「ソウル・コレクター」について。

 あるブログでの寸評である。「事件の性質は非常に興味深く、現代のデータ社会に警鐘を鳴らしているようにも感じられる。作中の事例は極端かもしれないが、数年後に同類の犯罪が起こる可能性はあるだろう。それが予想できるだけに、データの持つ非情さと、その前では沈黙するしかない人間の無力さに軽いさむけを覚えた。このタイプの犯罪に、ライムの科学捜査で立ち向かうのはちょっと無理があるように思える。データの崇拝者VS四肢麻痺の捜査官という構図がしっくりこない。証拠分析の緊迫したシーンは印象薄で、サックスが危険にさらされるというお馴染みのパターンもマンネリ気味。もとよりレベルの高い作者なのでこのくらいではびくともしないが、テーマがライムのキャパを超えた場合はシリーズ化する必要はないのでは?面白いのは面白かったが、単発モノの方が良かったような~」となる。確かにこの方の評価にはかなりうなずけてしまう。本当に小説を心から愛しておられる感じがとても共感できるし、記述しておられることに対しても確かに確かに・・・ということばかり。

 やはり、書籍というのは素晴らしいメディアだと思う。そして、「ブログ」というツールだからこそこの共感が成立するように思えた。まったく会ったこともない人と自分が気に入っている小説や映画やアーと作品に対してブラウザで繋がり、共感をできた時の感動は、たぶん、他の様々な手法やツールでの共感のディテールとは違った、狭いニュアンスも深いニュアンスも非常に小さいストライクゾーンながら構えたところにズバーンという感覚。が、反乱している情報だから、そのズバーンもなかなか出合えないことも事実ではある。が、この場合、確率の問題ではなく、ブログっていなければ、ある目的で何かをリサーチしようとしなければ出会えなかっただろう存在が必ずこのモニターの向こうにいると感じられる共感の種類はやはりブログならではの部分。と、「ソウル・コレクター」の警笛に対して逆手な意見から入ってしまいましたが、この部分の共感はブログのリアリティーとしての「楽しい」部分でもある。

 で、「ソウル・コレクター」についての私自身の感想はほぼ同じなのですが、別の角度からひとことだけ。どうしてもどうしても「ボーン・コレクター」という映画を観てしまっているので、D.ワシントンとA.ジョリーがどのページにも表れてしまい、それが、最初はいいようにも思えるのですが、後半あたりからどうもそれがこの物語のイマジネーションを膨らませ度合のリミッターになっているように感じてしまった。「ボーン~」の映画を観て、同じく原作なら良かったのかもしれないが、「ボ~ン~」の映画の感じで「ソウル~」を読んでしまったことで犯人像をMAX膨らませてしまった。それが、結果、ちょっとだけシリスボになってしまったような気がします。もっともっと、ギリギリのところまで事件の全体像が肥大するのかと期待してしまった・・・。が、これ以上はたぶん国家間の情報戦争情報をfictionしなければいけなくなり、今回の犯人像クラスでは荷が重たかったのだろう。う~ん、期待が大きいとこれだけの大作家の作品でもこうなってしまうのか・・・。

 さぁ、気を取り直して、次は「パイレーツ」です。