自分のフィルターとは・・・。

 なぜこれほどブログブログと注目されているのか?なぜこれほどインターネットインターネットと注目されているのか?このことについてあまり深く考えたことはない。仕事としてWEBサイトの企画・デザイン・作成・運営に携わらせていただいているから、デザイン的な意義や技術的な価値や全体的なインフラの諸状況などは細かく最新の手法に取り組んでいますし、プログラムがバックボーンにあるものの、表面的な独自性や機能性もグラフィックデザインと同じぐらいにWEBサイトは作りこみが難しいのでそのアプローチをロジックとセンスの部分でバランスよくリサーチし実際のクリエイティブに適用できるように試行錯誤の連続です。

 が、さて、自分にとってブログとは何のために書いているのか?と自問自答した時に、「みんながやっているから・・・」とか「自社のWEBサイトへのエンジン対策になるから・・・」とか「更新率を上げてキーワードを検索エンジンがどの程度拾うかのチェック用」とか「WEBサイトでは書けないような日々のことやちょっとひといき的なエピソードなどを気楽に発信できる・・・」とかいろいろ想い浮かぶがどれも正解であり、どれも大切な価値なのですが、それでも、さて、もっと深く「ブログ」の機能がもたらすそのブログを書いている人に対する効果は?となると、・・・だった。「楽しいから」という理由はもっとも大前提にあるのですが、その楽しさの内訳は???となるとこれまたグレイ。

 で、ある書籍にはブログの一番の意義は「自分の記録のアーカイブ・ログとしての活用術」であると記載されていました。「インターネット=発信手法」という構図がありきなので、誰かに見てもらうために書いているのテイが価値や意義の部分の多くをしめていたのですが、それほど、誰かに見てもらうことありきで書いてもなんか楽しくなかった。特にSNSについても、最初はコメントやメッセージを頂けたら初めての感覚なども相まって「楽しい」ように思えたが、それも飽きてきた。何故飽きるのか?それは、やはり、そこに価値や意義が薄いからでしょう。さりとてそれほどガチでブログやSNSをやっているわけでもなくそれだけでビジネスモデルにはなるわけがないので、その程度だからレスもその程度なのでしょうけれど、実は外向けの発信ツールでもあり、自分自身の内側に対しての価値の方が大きいのかもしれないと感じ始めていたタイミングでこの書籍のフレーズに出会った。これまた不思議な必然である。つまり、一見ランダムに書き出していることが自然と整理されパターン化され、自分の記録したいというエネルギーの傾向や方程式がこれほど明確にログれる機能は実は「ブログの最大の価値」なのだと最近思います。

 そこで、整理された自分用の記録を改めてある一定の時間を経て再確認する際に自分自身の思考パターンやチョイスするサインやフレーズが見えてくるのが実は「楽しい」のである。しんどそうだなぁ~とかややこいことやっているなぁ~とかブログを肯定できな人も多いようですが、それはその方のフィルターに「ブログ」がヒットしなかったということで、いい悪いの基準は決して当てはまらないと言えるようです。が、これが逆に「日記帳」に書くとなると、「整理しているモード」がメンドい。便利なモノってなんでもそうですが、手に入れてそれを一定期間使い込んで始めて見えてくる。よく食わず嫌いの私がここまでブログをやっているなぁ~と思うことがあるのですが、やはり、ブログの「楽しさ」を体感してしまったからなのでしょう。