「滝」に思うこと。

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 視点を変えることは歳と共に億劫になり見えていることをこれまでの自分の中のセオリーでYESとNOを決めてしまう。これが時に非常にもどかしい。同じ考えで同じモノを見ているとインプットもアウトプットも同じルートでワンパターン化されて、これが自分のスタイルだ!とうそぶいても結果量産しているだけでつまらない。だから、視点を変える、価値観をリセットする、苦手な薬を飲み込むなどなど、いろいろ試してみて本当に必要なことを自分の胃液で消化させ純化させることを見極める必要がある。それは時に胃液の訓練にもなる。

 しかしながら、そうしないことの方が人生は平穏であり視界は狭いが不安とは無縁でいられ、余計なストレスに悩まされる必要もない。それが心地いいと感じ始めたら、いったん、そのメガネをはずしたいところなのだけれど、気がつけばそのメガネが外れなくなる場合があるので注意したい。

 時にそんなことを痛感させてくれるSOMETHINGに出会える瞬間がある。それは何かのサインだと捉えているので自分の視界意外の風景にもちょっと勇気を出して顔を向けるようにしています。すると、新しい道が視界に飛び込んでくる。そして、そちらの方向に一歩だけ踏み出せばそれまで自分がいた場所がとても狭く暗く無味乾燥なことにドキリとすることも多い。

 で、ある方から「滝」の写真を頂いた。これがまさにSOMETHIN。この場合、何故?「滝」とはならないし、「滝」だからどうした?ともならない。それが逆にSOMETHINの条件なのである。そして、パターンとしてその何かは自分より年下の方から投げられる場合が多い。45年も生きてきたから自分は社会の「酸っぱいも甘いも苦いも辛いも」なんでも知っています的な鼻を掲げているとこの大切なサインを見逃す。この場合思うというより感じるに近いニュアンスです。

 私の大切な年下の友人からのそんな「滝」の写真です。