正解を求めて。

 あるCMのTIPSですが、日本の数学の問題はX+Y=?ですが、海外の問題は?+?=Zみたいな要素が強いとのこと。それは誰が決めたということでもなく、「疑問+知能=正解」みたいな文化や慣習がこの国には適していると誰となくそう捉えた結果であり、その部分についてこれほどの情報化社会が到来するまではそれで切磋琢磨が成立していたのでしょう。しかし、「疑問」も「知能」も多面多様になれば、当然「正解」のバリエーションもX乗に比例するはず。

 ならば、そんな時代の正解とは何?とアプローチしがちですが、実はそうではない側面の方が正解に近いように思える。例えがあまり適切ではないかもしれないが、「ゴルフの正解とデザインの世界の相関関係」について言えば、ゴルフというスポーツに興味を持ちラウンドするようになったのは27歳の頃、そこからほぼ20年、上手くなるために楽しむためにいろいろな練習をして、人に練習方法を聞き、いろいろな書籍やマガジンを読む、そして、ゴルフの正解を探す。それは、デザインの仕事にも同じことが言える。仕事として「いいデザイン」「強いデザイン」「大きいデザイン」を会得するためにいろいろなデザインを見ていろいな作品に触れ自分自身でも試行錯誤を繰り返す。ゴルフもデザインも最終目的は正解を求めているわけである。

 しかしながら、ゴルフで言えば、まだまだ全然正解などおぼつかないレベルで、いつも、楽しいと苦しいの行ったり来たり。続けていればスコアもそのうちよくなるだろうと緩く捉えて20年、逆に悪くなっている。体調や筋肉が少しづつ衰えていることを相殺しても、正解がだんだん遠くなっている。では、デザインではどうか?気がつかないだけで意識できていないだけでゴルフと同じく正解が遠くなってきてはいないだろうか?貪欲に取り組んでいることが裏目に作用していることが一番怖い。それは、ゴルフならスコアで明確に数値化されるが、デザインは数値化できない非言語。だから、より一層怖い。この危機感はこの仕事を始めてから常に隣にいる相棒?コンサルタント?シュリンク?家庭教師?アドバイザー?

 で、「正解などないんじゃない!」と乱暴な答を出す勇気もなく、いつまでも、隣にいる危機感に愛想よくつきあっている始末。つまり、「正解」ということは流動的なその分野の中で試行錯誤していること自体を指していて、ゴールがあるようで実はゴールはないのではないだろうかと思う。ただ、それも安心して一息つきたいだけの逃げ道かもしれないので、その想いはたばこ1本分ぐらいの休憩にしておかなければいけない。

 ワンピースは絶対にある!俺は海賊王に絶対になる男だ!というルフィーはとても輝いて見えるが、それでも、尾田先生は海賊時代の正解がすでに見えているはずだから、これだけ「ワンピース」がドキドキワクワクするのでしょうね。どこかに1冊、0巻が余ってないかしら・・・。