動物の言葉!?

 よくテレビで「動物と話せる人」が登場する。言葉を持たないペットの犬や猫たちが心の叫びをその人だけに発信しているという。もう、支離滅裂にも程がある。というか無法地帯である。確かにペットの死は途方もなく悲しいし、子どもの頃に飼っていたペットが死ぬことは鮮明な記憶が残っていることも事実。だが、どう考えても「動物の声が聞こえる。」「動物と会話する。」はおかしい。だが、テレビのゴールデンでタレントがいかにもみたいな表情で愛らしいペットと飼い主の映像を見ながら涙している。これはもうこのプログラムの何を信じていいやら摩訶不思議。こんなまがいものの真理でなぜ涙が流れるのか、そんなに人間の心は大きいのか、いやいや、このテレビプロジェクトの創り手のスキルが高くしかも志しが偉大なのか?その番組を観ている最中もこのことだけで頭がいっぱいになり、「涙」とは何なのか?「悲しみ」とは何なのか?と???が永遠に頭の中に浮かぶ。

 が、これほど氾濫しているということは、これを観て感情移入するユーザーがいるということ。そして、それは以外にも不覚にも数字(視聴率)がいいのだろ。その数字を見ながらもこれらの番組のプロデューサー達は「うんうん、今回もなかなかの仕上がり仕上がり」とほくそえんでいるのだろうか。確かに海外のいろいろな番組を観る機会があると、どうも日本の感覚(文化や慣習)では考えられない番組が高視聴率を得て指示を獲得しているという情報が流れる。この情報を疑うことは簡単であるが、実際にそのテイのことが起こっているということについては疑う余地もなく、「120へぇ~」である。

 で、つまり、言葉を持たないのが動物だから成立するが、もし、これが、いずれ「洗濯機と話をする人」「昆虫と話をする人」「チューリップと話をする人」「月と話をする人」などがどんどんテレビに登場しても、やはりタレント達は感情移入して涙を流すのだろうか?もう感動のベクトルがどこに向かっているのか分からない。が、これも「分からない。」だけであってそのことを「分かる努力」をしていないだけなのか?それもとも「分かる訓練」を獲得していないからだとしたら、これはこれで人として問題になる。が、そんなこともないだどろうし、そうなっては本当に人としてEND。人間どうしのコミュニケーションの問題だけでもこれだけいろいろな事件やニュースが氾濫しているのだから、動物と話す前にしっかり人間と話をしましょうよ的なことでこのテイの問題にはとりあえずケリをつけている。が、根は深いような気がします。皆さんはいかがでしょう?