ソフトが手に馴染むまで。

 いろいろ総合するとどうも私自身、一般的に自転車が乗れるようになった時期が遅いということに気がついた。かなりそれは遅く、それこそ働き出してからのお話。普通は小学校に入ってすぐぐらいに自転車に乗れるようになるらしい。確かにそのあたりが非常に鈍感だったのかもしれないが、田舎だったので(あまり関係はないかも・・・)、自転車よりも楽しいことがいっぱいあったような記憶もあるのですが、たぶん、自転車を欲しいと両親にねだり晴れて自分の自転車を買ってもらったのは小学校5年生の時だった。今でもその記憶は鮮明に脳裏に焼き付いている。ピカピカの自転車。そう考えれば友達はすでに2~3年生ぐらいから乗っていたような・・・。だから、自転車にあこがれて乗れるようになった瞬間は嬉しかったですし、友達といっしょに自転車でどこかへ行くってことについても、とてつもなくはしゃいでいた。では、空白の3~4年は自分はどうしていたのだろうか。そうそう、確かシンプルに走っていた走っていた。

 つまり、それを手に入れたい、自転車に乗って友人たちとどこかに行きたいという気持ちから、両親に買ってもらい、膝とかすりむきながら練習をして、ある時、それが自由自在にコントロールできた喜びと達成感は何ものにも代えがたい感覚でした。それまで友達が自転車、自分が走るということへの劣等感というか格差感が解消されたことや、こんなにも楽にスイスイとどこへでも出かけられる満足感は忘れられない。

 で、何かを「欲しい」と思い、「何故?」と問いかける。それは、「それを使って何かをしたい。」からと理由が明確になり、実際、一定の練習期間を経て自転車をコントロールすることで得られる「自転車に乗れる。」という価値。これが、大きくも小さくも広くも狭くも人生のいろいろなところで出会うことなる。例えば、自転車の話なら、それを知り、自分の自転車を入手し、「乗る」ための技術を得て、「乗りこなす」へステップアップするこの一連のプロセスは、グラフィックデザインやWEBデザインや映像系の専門的なソフトウエアでも同じであり、プログラム系のソースでも同じアプローチとなる。「欲しい→イメージ→練習→会得→活用」のプロセスである。自転車屋に並んでいるピカピカの自転車のハンドルやサドルを触っている段階を経て、それを乗りこなしている自分をイメージして、そして、手に入れて会得する。自転車が身体に馴染むように、ソフトウエアも同じで「活用」に辿り着くまでには、このプロセスが必要です。

 余談ですが、そのアプローチを人から学ぶ場合と独学で会得する場合とそれらはケースバイケースではあるのですが、達成感は独学モードが大きい。が、独学の弊害は標準を知らないまま使ってしまうこと。つまり目的だけ達成すればいいが強すぎて、ソフトウエアの基本を踏まえて応用までスタンダードな活用術を得るためには(例えば、それをまた誰かに教授する必要がある場合など)、でも、自分で使うためならば、私は独学モードでいい、というより、独学モードがいいと思います。結局、ツールなので、使い方は自分で見極める方が手に馴染む感じもしっくりきます。仕事に使うならここまでがイントロですから、応用に進むには「基本からしっかり」が王道ですが、なかなか、そう最適な条件と環境で取り組める場合も社会に出てしまうと難しいので、最後は人間何事も「独学力」の高い人が強いと思います。

 結果エピローグではないですが、5年生の段階で買ってもらった自転車は野球に釣りにと乗りつぶし中学3年生頃にはボロボロ(海辺だったので)。で、高校に通うために自宅から駅までの通学に3年間乗った自転車はおふくろの自転車。サドルの裏に自分が乗せてもらったであろう子どもシートが付いたおばはんチャリ。サビサビでしたが、3年間乗り切りました。つまり、「自転車に乗れるようになればあとは何でも(ママチャリ)気にしない。」がその他のいろいろなことに適用され、「一事が万事」ツールとは自分にとってそういうモノ・存在になりました。いいのか悪いのか・・・、これも全て独学力が強すぎて未だに不明。たぶん、とりこぼしているボールも多いはず。自分にとって自転車は乗れたらええやん的なモノであり、ソフトウエアは自分自身の感覚の中だけで「使いこなせている」がクリアしたらええやんという存在ですね。