森の写真。

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 ある素材集の中の一枚ですが、なんともいい感じの森の写真。このテイの写真は昨今の「環境問題に一生懸命取り組んでいます。二酸化炭素を一生懸命出さないように努力しています運動」に見かける写真のテイストですが、なぜ、森の写真と人間のエゴがその大前提で連携してしまうのか?これは、普通に観て連動しているが実はとても不思議な感覚である。そもそも、雰囲気のある森の写真を観てなぜ人間が地球環境を保護するという連想に行きつくのか?これにはいくつか前提があり、「人は自然を大切にしているから自然はそれに必ず応えてくれる。」や「自然のことを考えてていますと言っておけば、それがセオリーな時代だから、自社の企業活動はそれらの考えをベースに展開しているんですよ。」などという前提をクリアしていると考えているのか・・・?でも、それって、ちょっと強引である。何か共通言語が欲しいのはマスメディアに対して何かを発信する際の基本的なルールかもしれないが、どう考えても「人は人。」「森は森。」でしょう。

 この間にある関係性を深く考察するなら、その媒体や意義を語るべきであり、森は人が考えるほど微弱ではない。逆にもっとリスペクトする必要があり、上目線の時点でNG。森の写真を観たらそこに流れている空気のことや動物や鳥の声や葉と葉が風でこすれる音や水や土の匂いを連想し、脳を開放してはいかがでしょう?次に脳が連想するモノが地球のことなのか経済のことなのか文化のことなのかそれはそれぞれのポテンシャル次第でいいのではないでしょうか。なんでも二酸化炭素の削減で前に進むのは「ハダカの王様」状態であり滑稽。