直感のチカラ。

 自分自身の中にもホンネとタテマエがあり、それは、全ての人に言えることであるはずという仮説の上のお話ですが、この場合のホンネとタテマエの間の距離感を計測するモノサシってどんなモノサシだろうか?それがしっかりと意識できれば、数値化できれば、何か大きな判断を下さなければいけない状況で間違いない正しい判断ができるというもの。しかし、何が正しい、何が正しくないということを考えるとその理由は多様になり何を軸に正しいと正しくないを判断し、どう考えれば、自分の中の正しいをジャッジできるのだろう・・・となる。こうなるともう時間と自分の中の妥協ラインの設定との勝負。「何か新しい表現があるはず・・・」「何か強い独自の表現があるはず・・・」と時間ばかりが経過してどんどん迷いの迷宮に引きずり込まれる。別に本格的な迷宮に一回も訪れたことはないけれど、人はそう表現して迷いを消化している部分もある。

 が、先に答を知っている人もいる。その人は迷うしたくさんの多様な論理を繰り返す技ももっておられる。しかし、答はもう出ている人。その人の言葉は強い。決して限定しているわけではなく、モノゴトの例えとして、あるスーパーの受付のおばちゃんが「日本の経済をなんとかせんといけないですねぇ~」と言われるのと、長浜新市長が「日本の経済をなんとかせんといけないですねぇ~」と言われるのとでは、明らかに説得力のテイが異なる。同じ言葉を言っているにしても、伝わるディテールが異なる。それはどの部分がどれぐらい異なるのか?たぶん、裏に中にある何かの量が異なるからそれが異なるのだろう。例えばそれが「熱意」だったとする。しかし、人をただ見ているだけではその人に熱意があるのか無いのかなど判断つかない。しかし、アルバイトのおばちゃんの世界観と市長の世界観はおそらくたぶん市長の方が大きく熱いだろうから・・・というモノサシで言葉に質量を感じている。これが、日々、いたるところで起こっているから、どんな人でもその判断を一瞬一瞬で行って鍛えているわけである。

 で、直感を信じるのか信じないのかはその能力を自分の中に向けた場合の技術・リテラシーになるから、それを答だと絞り込むために、上記と同様、自分の中で自分の軸としっかりとコミュニケーションしている必要がある。とすれば、モノホンの決断力・判断力が少しつづ鍛えられるということにはならないのだろうか・・・。つまり、直感とは「思いつき」「ひらめき」「気まぐれ」的に捉えがちですが、1日グーグルで資料を集めて答を出したり、何十人で会議して議論して答を出すよりも、最適な答を出せる技のひとつなのであると思います。思いませんか?オズさん?