仮想過去の定義。

 「仮想現実」はいたるところに氾濫・飽和・充満している。が、それぞれに細かく分解していくと、まず、「仮想」とはいったい何を指しているのか?「現実」とはいったい何を指しているのか?という疑問に分解でき、さらに、「仮想」をウィキペディアにならい「仮想化という用語の起源は古く、1960年代には既に広く使われていた。ネットワーク全体や個々の機能やコンポーネントなど、コンピューティングの様々な面に適用されてきた。仮想化技術に共通する目的は、カプセル化によって「技術的詳細を隠蔽する」ことである。仮想化は、例えばアクセスを多重化したり、異なる物理的位置にあるリソースを統合したり、制御システムを単純化したりすることで、根底にある実装を隠蔽した外部インタフェースを生成する。近年、新たな仮想化基盤や仮想化技術が登場し、この円熟した概念が再び注目されるようになってきた。抽象化やオブジェクト指向などの用語と同様、「仮想化」という用語は様々な文脈で用いられる。本項では、これを主に以下の2つに分類して解説する。」としても、やはり、ここでさらに2つに分類している。

 まず、この段階で気になるフレーズは「技術詳細を隠蔽する」の部分である。利便性を見える化し技術背景を隠蔽することが=仮想化であることは間違いないようである。他の考察についてはさて置き、目的のためにその手法や論法を隠蔽し、目的のみをコンピューティングの中で体験できたように錯覚させることが言わば仮想の本来の目的のひとつであることは否めない。

 で、ふと気になるのが、「歴史」である。国内に氾濫する数多の歴史的な資産。歴史小説が氾濫し、人物像がクローズアップされ、それにいかにして浸るかというベクトルに終始した体験で多くの人々がアクションを起こしている「歴史」という価値観。古き良きなんとかに群がるサティスファクション。が、最近海外のテレビプログラムを観ていて思うのは、日本の歴史ってどこまで真実なのか?すべて、仮説ではないのか?という疑問。つまり、現実も仮想化なら歴史=過去も実は大義的には仮想なのではないだろうか?しかし、「仮想過去」というフレーズでグーグルやYahoo!にヒットするページは非常に少ない。つまり、過去=仮想で片づけられているからか、そもそも、過去=歴史を何かの都合で隠蔽したいから、そのフレーズが極端に少ないのか?その視点があれば、何かそのルートでビジネスモデルが動くはず。しかし、数多の歴史博覧会の根底が揺るぐこのフレーズはもはやこの国ではタブーなのか?触れてはいけない琴線だとしたらこのブログは隠蔽されるのか・・・?

 余談ですが、「仮想未来」なら、大丈夫なのだろうか?