教育という「ゆとり」。

 いつもあそこの人間達はステレオタイプに上手いことタブーを回避しているなぁ~レベルで「ゆとり教育」をずっと捉えていましたが、どうやら、それも緩衝剤が必要だったらしい。算数や理科の教科書が30%割増になるらしい。何が30%増えたのか?何がいったい30%足りなかったのか?たぶん「ゆとり教育」を発想し構想し決断したその人自身の中の教育に対する何かと同じ質量分なのだろう。

 そもそも発想の問題で、「ゆとり」とは「教育」をしっかりと受けたのちに訪れる各個人のこころの在り方だろうと思っていたのですが、どうやら、少しずつ解凍が始まったらしい。それに「ゆとり」が本当に必要だったのかという議論はさて置き、「ゆとり」の定義についてもまぁこの際どうでもよくって、「ゆとり」でも「ニトリ」でも「悟り」でもいいし、30%アップでも30%ダウンでもどちらでも時間とコストとそこそこの知識もあるのだから、好きにそれらを使えばいいが、最後の最後で、「教育」はそれを受ける個人のためのもの。決して国のために皆は自分の人生の大切な時間を費やして教育を受けよう、向学心を持って、新しい知識・経験・思考を手に入れようとしているのではないということ。いつまで国が幅を利かせているのだろう?もう、今更、日出ズル本の国ではないだろうに・・・。それほ三種の神器のマリオネットが心地いいのだろうか???