何故?ただの思いつきがダメ?

 デザインの仕事をしていて専用のソフトウエアを活用できるようになるまで書籍を読み適度なチュートリアルをこなし目の前の仕事にフォーカスする。いきなり専用のソフトウエアが活用できるわけではないので、機能や特長を知り実例を踏まえタスクに取り組むようにしています。しかし、アナログの道具と同じで手に馴染むまでがなんともギコチナイ。一旦手に馴染むとと道具と同じで能率が上がり品質を追求できる。そして、思考パターンと同期する感覚が得られ、ここをこうしたいがマウスとキーボードでリンクし始めるとホップはクリアする。

 その段階で「デザインを考える。」というプロセスのお話。若い頃、ある仕事であるレベルのデザイン案をお得意様から求められ展開するツールにどのように企画やデザインを適用し意向を表現するかという段階で誰しも頭を捻る。適正なテンプレがあればそれも視野にいれるが、基本はゼロスタート。この状況でデザインのアイディアや表現手法をどのような気持ちで取り組むかという部分で、若い頃は頭で考え過ぎて「これだけの資料をリサーチしてその中からじっくりと検討しましたから~」や「デザイン表現についてすでに何十通りの展開を考えて、その中から今回のコンセプトにマッチした~」などととにかく言い訳が先行するパターンが多かったように記憶している。それも、「仕事に対する熱意」であるから、必要ではあるが、「それでこの程度のデザイン?」と言われてしまうこともしばしば。つまり、プロセス重視の風潮がデザインの仕事のアプローチにもテッパンで、それさえこなせば信頼してもらえるだろう的な依存心があったことも事実。デザイン=感性ということは頭で理解していても、いざとなると、まず、堀から固めてしまう人間の悲しいサガ。それに反して、忙しくいろいろな仕事を並行していると、実際に作成から吟味・微調整のプロセスに想定以上に時間を配分できないこともある。その時、言わば「思いつき」でデザイン案を比較的短時間で作成して上司に怒られるパターン。「う~ん、こんなただの思いつきではダメダメ!」自分自身、時間もなく吟味も検討もせずに提出しているから後ろめたさも相まって、「すいません。」となる。

 が、心でずっと「何故?ただの思いつきではダメなのか?」と思っていた。デザインをカタチにするのに「時間×感覚×スキル=成果物」的な方程式なんてどこにもないのに。「思いつき」の裏にある何かがその時はあまりも微弱だったことは否めないが、「時間を費やしたから=いいデザイン」にはならないという感覚も大切だと思うのです。人の思いつきには膨大なる経験値と知識と感覚の要素が存在する。直感やインスピレーションも、ただもやっ~と降臨するわけではない。逆に「ただの思いつき」の方がストレートで印象的で強いデザインになることの方が多い。時間をかけることが何よりも重要という気質はどうもしっくりこない感じであり、ナンセンスに思える。

 それを最近どんな仕事のどの場面で感じたかについてはオフレコードですが・・・。