SNSの在り方。

 SNSについてmixiをはじめとする成功例がイメージ先行しているような気がする。本来mixiの関係者はここまでのヒートアップを想定していただろうか?というぐらいの浸透率をはじき出している。最近ではテレビCMも作っているから、もう、WEB発信のツールがメディアを塗る変えている構図が一番分かりやすい印象的な出来事でした。私もこのブログをスタートする前にあるクリエイター仲間から、グイグイと進められてmixiに招待してもらった。それきっかけで確かにWEB上のネットワークへのアプローチが数段高く深くなったと振り返ることが多い。あの時、彼に進められなかったらたぶん今でもSNSって???状態であったことは否めない。つまり、これを必然とすると、そういうことなのである。

 ここにSNSの定義がある。「SNSの定義は人それぞれ。どのSNSでも、フレンドリストやマイページ、プロフィールがあるということは共通していますが、招待制であるということ、足跡機能がついていること、日記が書けることなどの要素がSNSには必要だという人がいます。SNSと言えば大手のエンターテイメント型のコミュニケーションサイトを指すことが多いようです。しかし、SNS先進国の欧米では、学生専用のSNS、ビジネスや転職を目的としたSNSも登場しており、日本よりも広い概念としてSNSは認知されているようです。物事の定義はシンプルな方が良いと思われ、SNSをこのように定義してみました。「社会的なつながりを目的とするWEBサービス」と。それをWEBを活用して表現することがSNSの本質であると・・・。」となっております。うん、確かに構造を分解するとこの定義はとても納得。しかし、そこからスタートしたSNSがかなり先入観や思い込みで先行している部分も存在しています。

 PCのアプリやWEB上のツールは発展途上では「機能重視」だったのが、それが安定期になると、人間関係の構図やそれに関わる人のポテンシャルがその繋がりの広さや高さや深さに深く関連し始める。そこで、フレームはできたがコンテンツが不在の空洞化現状が起こり、いつしか、ハード先行の情報化社会になっている感じが否めない。やはり、何事も本末転倒は避けなければいけないということ。

 で、人はどうなった?それを活用して、進化進化と騒いでいるが本当に歩を進めているのか?勿論、自分自身にもその投げかけは常に意識しているが、明確な石を投げて湖面に広がる波のようなリアリティーはない。人の五感は質量のないディテールが感じられない存在には最後の最後で反応していないような・・・。これは、WEBを仕事にする、デザインをクリエティブを仕事にする人間にしてみればとても深刻なテーマである。表現と本質のバランス。全てはここに起源が存在するように思います。イグアナが食物を求めて海に潜ったように・・・。