2010年05月 アーカイブ

さようなら、D.ホッパー。

 いわゆる映画マニアの人達は生粋な部分があり、いろいろな方とお話をさせていただくたびに、まだまだ自分自身の映画の観方や接し方は生ぬるいと感じることが多い。それらの方たちは真髄が「映画を心から愛している人」なので、私の表面的な知識やそれらしい洞察では到底届かないぐらいの世界観をお持ちです。しかし、そんな時でも私は私なりに映画への愛情を語らせていただくと、そういう皆様は大きく受け止めてくださる。「なるほどそいういう観方もあるのですね。」と。明らかに映画に対する熱意や愛情が私の方が微弱であるにもかかわらず。すると、映画を通して映画の分野の人たちとの会話は私自身の「映画」ということの意義を学ばせてくれるし、そのコメントを通してまたまた映画が好きになる。このどこまでも続く正のループ。スパイラルに上昇するベクトルのその上に映画芸術の星が輝いているのだろう。

 D.ホッパー氏もたぶんそこへ召されたと考えられる。映画人の皆様に語らせると「D.ホッパー=イージーライダー」ということになるのですが、この映画だけはまだ私の映画のパンドラの箱から出していません。適正な機会を失った名作を入れている映画のパンドラの箱。いわゆる名作と呼ばれている映画が入っているわけですが、「イージーライダー」も確実に入っています。何故観ないのか?は明確な理由がありませんが、いつか観たいと思っているが今はそのタイミングではないと思ったからです。でも、このタイミングなのかなと思っています。

 で、私のD.ホッパー像は「トゥルーロマンス」のクラレンスの父親が全てです。このイメージが一番強烈でした。C.ウォーケンとのあのワンシーンは今でも鮮明に蘇ってきます。二人の会話のを何回も何回も英語で覚えたほど、そのシーンは数ある名シーンの中のひとつとして頭に刻み込まれているようです。あれを超えるシーンは想定できません。J.ニコルソンの「カッコー~」のように、デーニロの「タクシー~」ように、H.カイテルの「レザボア~」のように。

 さようなら、D.ホッパー様。改めて初「イージー~」を鑑賞させていただきます。

一旦電気抜きの思考。

 もう、電気を使わないデバイスでの仕事が一見成立不可能のように思えるが、実は決してそうではない。例えばiPadの中に潜むトラップをまだ実体験として得ていない段階ですが、この場合策士は完全に策におぼれてもいいと考えているように思える。ただの仮設ですが、策士自身が溺れるほどの策でなければ、そう錯覚できるようなモノでなければ時代は牽引できないということにも連動するのでしょう。と、テレビでiPadのニュースを見ながら考えていると、また別のテレビで面白いコメントがあった。それは、現代のインターネット技術は従来のアナログから利便性や機動力をベースに新しい価値を新しいエクスペリエンスを創出しようとデベロップされたのがそれ。しかし、iPadは逆であると。そんな情勢からそんな市場の信号を受けてデベロップされた、つまり、市場が変わったことで生まれた第2世代のアナログとデジタルのハーフなんだと。おおっ!そこまでの洞察は素晴らしい。IT時代の二世と言わしめるこのデバイスの魅力はもう想定不可である。が、確実にこの反応に対して傍観者も増えている。必然・偶然を問わずそうならざるえなかったニーズ。それを思考のガラパゴス化と呼ぶらしい。でも、誰かがそれを進化するために必要な環境だと捉え実際その島でどのようなことが起こりうるのかもしっかりとこの時代の現実として記憶しておく必要がありそう。

 で、一旦、思考をリセットするために「リセットしまぁ~す!」と宣言すれば・・・ということでもなさげであり、リセットがリセットでなくなる場合もあり、人間はどこまでも合理的でしかも飽きやすい本質を持っているから、どこのラインがリセットなのかこれも多様性で定義や定説に分解するこは難しい。

 そこで、ひとつの提言として「電気抜きの思考」という手法がいろいろな場面で採用されているらしい。それは、PCやケイタイや各種電気機器デバイスを使用・活用しない作業から思考をリセットしようという試みらしい。例えば音楽を使って気持ちを整え音楽を使って精神をいい状態にする。その思考から生まれる何かを再確認しそれぞれが抱えているモヤモヤにメスを入れましょうという試みは存在する。のように、もっと反現代的な逆行アプローチとして、電気のメリットを一旦、その場に置き、思考のディテールを確認し合いましょう!的なコミュニケーションがITのチカラを正しく見える状態にするプロセスでありアプローチのような気がします。電気機器のスイッチを入れるまでに用意しなければいけない何か?誰でも簡単にスイッチを入れて便利と効率を手にしているが、そのアプローチは底なしの青天井。だから、お金のためにお金を稼ぐ、情報を得るために情報に振り回される、今、心が感じていることすら何のためでどこへそのベクトルを向かわせるのか不明なまま走ってしまうのだろう。時に歩を止める。その場所の風景を記憶に心にとどめさせるために、いったん、便利なスイッチをオフにしましょうということなのでしょうね。

 誰かをツイートしても、コメントがあふれてても、現在、今、どこに立っているのか不明なのに、目標設定もゴールも見えるはずがない。

虹の女神、改めて。

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 やっぱ買ってしまった映画「虹の女神」。邦画でDVDを買ったのは「世界の中心~」以来なのですが、これはいつでもふと観たくなる映画なのでということでDVDを手元に置いておきたかった。コレクションに入れておきたかった。

 改めて3回目の鑑賞でしたが、やはり、いいっすね。純文学の香りがするというか、市原隼人さん、上野樹里さん、蒼井優さん、そして、その脇を固める役者さんの醸し出す空気が、これまた秀逸な物語の中でしんしんとシーンを重ねていく。開始からエンディングまでの気持ちの動かせ方についても、すでに3回目ということで観る前、観終わった後の期待と余韻の間にしっかりと「映画」が存在するというリアリティー。まさに、岩井さんが仕掛けた時限爆弾が4年の時を経てここまで覚醒をしているという質量。場わたり的な売上や観客動員や興行成績やメディア感度ばかりに気持ちを奪われた、心ここにあらず的な映画が氾濫する中、この映画の存在感はGREAT。

 主演二人の表情や言葉のディテールについて言えばそれぞれ二人の作品の中でもダントツにズバヌケで「虹の女神」ですね。また、しばらくしたら違う期待でこの映画を観て、また、その時に自分自身が何を感じ何を思うのかが楽しみな作品です。決して映画を観ている時間だけを楽しませてくれる作品ではなく、この映画の存在感が常にサインを発信し続けているような、数少ない「生きている映画」のような気がします。いいなぁ~、こんな作品を残せるって。心から羨ましいと同時に何か作品を創り出すということはつまりこういうことなんだと確信させられる作品でもありますね。

 もちろん、蒼井優さんの演技や存在感の部分は語るまでもなく。

ペピーノ開花!

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 順調に生育して気がつけばかなりの繁殖ぶり。で、無事小さなかわいい花をつけてくれました。なるほどなるほどこんな花をつけるのか・・・。このまま果実が実るまでよろしくお願いします!という気持ちです。なんとなくじゃがいものような花のカタチ。でもちょっとパープルが入っているので南国チックですね。さてさてどんな実がなることやら。すべてが初めてなのでどんな実になってそれはどんな味なのか???楽しみ楽しみ。

いい天気の琵琶湖。

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 最近寒い雨の日が続いていましたが、今日はとても気持ちのいい晴れの琵琶湖。対岸もしっかり見えていました。

iPadについての一考察。

 昨晩のニュースで「iPad」をある経済の専門家が洞察していた。快適すぎる便利すぎる道具のにはいくつかの弊害がある。答(情報)に辿り着くまでのアプローチにモノゴトの本質がある場合、それを間引く・飛び越える・割愛することははたして「進化」「便利」「効率」なのかと?まぁ、ものは言いようであるが、人間の本質としてそれがNOならこの革命は泡であり、YESなら金である。それだけでいいのでは。泡や金にそもそも何の価値があるかと考えれば、その人なりの結論が設定できる。が、正確には結論など存在しない。ならば、今、この時代に起きていることを感じて活用する術を会得し自分なりの考察ができていればそれ以上何ができるだろう。

 まだそれを入手していない段階ではありますが、どうやら自分自身はそれを「楽しそう」だと感じているみたいです。そこにYESもNOもないということ。

デジタル&アナログ。

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 双方のアプローチがひとつのルーティーンになればデベロッパーの意図はくみ取れるのだろうか。デザインノートの今回のテーマは非常に面白い。編集者の方たちの意図するところがとてもよく理解できる。この中にカンプライターという言葉が登場するのですが、これはもう死語だと思っていた。20年以上前この仕事につきたいと考えた時に、自分にできることとデザイン業界との接点が「デッサン力・描画力」しかないだろうと判断していたからである。絵を描くことは自信があったが、その他のデザイン力ということはまったく経験値として欠落していたからである。

 クライアント様やデレクターの意図するイメージをイラスト表現であれ写真表現であれ、カンプに落とし込みプレゼンテーションに適用するというあれ。たぶん、DTPの潮流が始まって以来、この言葉は死語になったと思っていた。が、このマガジンの中のクリエイターの皆様のコメントには「手描き」ということの意義や価値が今も脈々と流れていると語っている。そうだったのか・・・という実感である。PCとソフトウエアで作るカンプのクオリティーは高くて当然、しかし、企画やクリエイターのアイディアやセンスなど体温や皮膚感覚の部分が注入できないジレンマが確かに存在するということ。で、手描きのアプローチを割愛してダイレクトでソフトウエアで思考する若い世代のデザインに何か物足りなさを感じ、そのひとつがエネルギーが定着していないことに気がつくとしている。まさに!である。

 一方、ジョブスの意向は非常に明確である。M.S.との摩擦もあるだろうが、アップルは今の時代、何をすべきかロジックではなく、皮膚感覚で感じとっているようです。結果がズバリ「iPad」なのだと言及している。¥48,800のあのデバイスが今後どのような場面でそれぞれのビジネスシーンで情報革命を展開・浸透・波及させるのか・・・。もう、このうねりは止まらないだろう。

 情報の本質や人間が五感で感じる何かは普遍であるとして、仕組みを何故変えなければいけないのかという理由に注視するよりも、変わっていく仕組みをどう自分のモノにするかを考えるベクトルも必要だということだろう。食糧が地上になくなり海中に食糧を求めダイブしたイグアナのように、いつか誰もが海中にある藻をついばむことが普通になるのだろう。指の間にヒレが出現し海流に流されぬよう指の爪が大きくなったように人もそう変化しなければいけない時代なのかもしれない。それを安直に進化と呼ぶのは簡単ですが、進化の順番は誰か個人の思考から生まれその個人が決めたことでもある場合と歴史の潮流の中で必然であると捉える説、そして、他にも数多の理由づけがあるだろう。しかし、最も大切なことは「今」が自分自身にとってどんな状況なのかを頭と身体で学習し対応する必要があるということ。デジタルやアナログというアプローチの差異はこの場合、2・3次的な存在なのかもしれない。

やっぱ、iPadなのかな・・・と。

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 ガチのリサーチ開始しました。これが¥48,800か。やっぱ、なんだかんだと言ってもこれは一応購入かな。何をさて置いても誰よりも早くというテンションはないですが、いずれ近いうちにこれを使うリアリティーは体感する必要がありそうです。まだまだ、賛否両論ありますが、まぁ、情報革命のドストライクであることは間違いなく、使わない前から闇雲にジャッジするのもナンセンス。まずは、そこそこで使ってみてのどう自分自身が感じるのかを楽しもうと思っております。OSの問題で走るアプリの制限はあるものの、いつか、自分自身がPCからiPadに仕事のプラットフォームを移行するかもしれないですし、革命の恩恵が意外と大きいかもしれませんし・・・。新しい価値に潜む新しい未知のリスクも体感しておく必要もあるでしょうし・・・。

 情報人としてクリエイターとして、やはり思考のガラパゴス化は最大限回避したいですものね。

詳しくはこちらへどうぞ。http://www.apple.com/jp/ipad/

南港にて打ち合わせ。

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 本日は朝7時に長浜を出発して午前10時から南港にて打ち合わせでした。平林駅からトコトコとお客様の会社まで徒歩で向かいました。その途中のワンショットです。海の香と材木の香が漂うちょっと琵琶湖湖畔とは明らかに風情の異なる地で、大阪に住んでいた時にもあまりこの地に訪れた記憶がなく、日本の住宅市場を根底から支えている分野の現場を歩いているとそこかしこにその一面を感じ取ることができて、自分自身がいつもデジタルのオンラインでの情報交換に注いでいるエネルギーのベクトルとはまた違った思考になり、とても、活性化させれられました。地面が持っているエネルギーやその地で展開攪拌してきたビジネスの価値や意義は、やはりの部分でその地を自分の足で歩くことで、情報のリアリティーが五感を通して思考エリアに流入してくる感覚です。どれだけPCの前で画面から流れている情報に対して思考のベクトルを持っていってもそれは想定以上に薄く軽く浅い。やはり、個体としての身体を動かしてこそ、創る・考えるということが連動するのだと改めて体感した一日でした。

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 この春、SENSHUからLIANHAIRにリニューアルオープンされたヘアスタジオさんの公式WEBサイトです。店長のこだわりやスタッフの皆様のお店づくりのキモチ、そして、しっかりとしたセンスと技術。技術だけが優れていても、ただただ、アットホームな空気感だけでもバランスのいいお店づくりにはならいのでしょうし、何回もいつ行っても満足していただくってことになると、バランスの良くないお店は難しいのだと思います。だからこそ、リアンヘアの中島店長さんは技術とセンスとコミュニケーションのバランスを大切にしていくお店づくりにガチで取り組んでおられるのだと思いますね。

詳しくはこちらへどうぞ。「リアンヘア公式WEBサイト」

電子ブックの動向。

 趣味趣向で言えば電子ブックには興味がない。しかし、デバイスとして興味がある。つまり無料で書籍を読むという仕組みにではなく、それがどう本来の読者を引き付けるという本質の部分に興味がある。こんな時代だからという理由だけでそれを市場に出すほどアップルも暇ではないだろうから、それ相当の背景とそれを固めるための技術や企画がこの端末には装備されているはず。書籍業界がこの存在に危機感を抱くのは何故だろう?想定できる理由はいろいろあるが、それは本当に危機感の対象なのかと分解してひとつひとつを吟味する必要があるのではないだろうか。そりゃ無料で書籍が読めるは嬉しいが紙の上に印字された活字のディテールに慣れ親しんできた人間がある日突然電子機器を渡されてこれが新しい進化した書籍ですって言われてもそう簡単に反応はできない。やはりそれ相当の背景が欲しいしタイミングも大切である。次から次へと新しそうな機器が開発・登場して市場が活性化しているのか、そもそも存在したニーズをごっそり移転させようとしているのかで興味のトルクが変わってくるように感じています。何事も食わず嫌いの天の邪鬼なので口に入れるまでに時間がかかりそうです。

 で、何も考えずにまず使ってみて考えたらいいじゃんというタイプの人がたぶん量販店に列をなすのでしょうね。で、で、「おおっ、これがiPadかぁ~!」というリアリティーに課金するみたいな。本当に便利で優れたギアなのかどうかはその段階では麻痺してて不明。便利なのか?と疑問視したが、もう買っちゃったみたいな人をアップルは相当数想定してるのでしょう。こうなるともう新しい古いの問題ではなく、本当に便利か否か、その中の情報や仕組みに価値がるのか否か、そして、その仕組みは今後どのようにブラッシュアップされるのか・・・と。その動向が今から非常に気になるところ。ブランド戦略だけで製品が市場に受け入れられる時代ではないようにも思えますし・・・。

1,500のブログ記事。

 先日、このブログを始めて記事の総数が1,500を超えました。「毎月30個」を目標に始めたブログ。最初は何を書こうか?これを読んでくれる人に対してどんなテーマがいいのだろう?と考えていましたが、いつのころからそんな読んでいる人のことは、どうでもよくなってしまった傾向が強い。ブログを始める前、mixiなどのSNSを始める前は一応こんなところだけ!?慎重なので、それ相当のリサーチをします。書籍やそれらをテーマにしているマガジンも読み、もちろん、ネットでもリサーチして、多くの方にブログってどうでしょう?と意見を賜ったり。でも、結局、「ブログってオモロイなぁ~」という実感はやり始めて半年ぐらいはかかりました。最初はリサーチしたとおりの、いろいろなセオリーや定石に沿った、どこかで読んだような文脈でした。そして、どこかで読んだような文章であることが、これまたどこか安心できて、おうおう、ちゃんとブログやってるやん!というリアリティーが盛り上がりましたが、それは、実は、ただのデジタルコピーテクニックリアリティーだったのです。本当のおもろさや楽しさはそこを経てそのちょっと先にありました。が、そこに行くためには、必ず、上記のような定石の小路を通らなければならないということも今では理解・実感できます。

 なんでも、会得・体得するって「心技体」ですから、今の現代、「心=頭=仮想空間」だけで完結しているから「技」も「体」も磨けないのかな・・・。それに十分な「時間」も必要です。気になった風景やモチーフがあれば撮影して、運転中にもアイディアが生まれたら車を止めてメモをして、書籍やマガジンで面白いフレーズやサインがあれば、必ず、書き出して、素敵なコメントやキーワードを言葉にされる方がいればメモをする。それを毎日読み返して、チョイスしてキーボードに向かう。これらが「ブログする」ということ。いいのか悪いのか未だに不明ですが、1,500も記事を書けばそれなりに愛着が湧くってのが人間ですよね。

A.S.2.0から3.0へ。

 アップルさんの考え方はかなり特殊になっている傾向がありますが、市場を確保したい気持ちがここまで固執するとそれはそれでひとつのブランド戦略のルート感があります。が、普通にWEBサイトを閲覧しているにはこれらのことは「なんのことやら・・・」でいいが、WEBサイトで何かを発信していこうという立場に立つとそれはまた違った見え方をしてきますね。iPod+サファリに何故flashが走らないのか?この部分の確執がこれほど頑強で根が深いとは、まったく驚愕です。しかし、双方にそれ相当の理由があるからこの現状があるのでしょうが、その動向をドキドキして見守っている全世界のWEBクリエイターの皆様の生の声を聞きたいところ。どんな見解があるのだろうか非常に興味があります。

 で、具体的な取組りとなると、2.0を3.0にリメイクする必要があるのですが、それも、ざざっとリサーチしたレベルではまだまだ、日本語で取り組んでいる人は少なそう。ゴリゴリとスクリプトを書ける人はそういないだろうし、また、デザインや販売促進という視点でプログラムな方とコラボってみると、双方の思惑が微妙にずれている。この誤差はいつの時代のどの場面でも存在する誤差だろうけれど、今、世界で起こっているAPPLEとADOBEのつばぜり合い!?はどこで和解するのだろう?いやいや、どちらかがコテンパンになるまでやめないのだろうか?いやいやいやいや、ソフトがハードを飲み込んでしまうのだろうか・・・。双方妥協はしないだろうけれど、もっと、ちょうどいいボチボチラインでちょっとづつ答を出していってほしいなぁ~と思います。

 まぁ、他力本願なことですが、テクとテイのバランスをとりながら「この感じええやん!」というコンテンツやフレームをひとつづつ創っていくしかなさそですね。

COURRiER新装刊。

 アップルが世界を変えるらしい。そして、ビジネス記事がさらに加速するらしい。明日の世界が知りたい人のための「情報源」。らしい。アップルについては「1977年の創業以来、革命的な製品を数多く世に送り出してきたアップル。5月28日に発売されるiPadは、どんな未来を日本にもたらすのか?」ということですが、どんな未来ってアップルに未来を握らている感じはしていませんが、電子ブックがいかなものかというニュアンスもありますし、あまり、あおられるととパワーユーザーはそっぽを向きますよね。相対的な意味で。自由だったアップルはどこえ・・・という提言もあり、この新装刊はチェック!!

つぶやくのは苦手かも・・・。

 まだまだ、入口の前ですが、ツイッターでひとことふたことつぶやてみたが、どうも、リアリティーが感じられない。それは、仕組みの中へゴロンとダイブしてないからに他ならないが、そこまでがかなり自分自身遠いと感じてしまっている。もしかして、想定以上に距離があるような感覚。

 確かにblogもmixiもそうだったかもしれないので、今の段階で安直な答を出すことはしたくないですが、入口はかなり自分自身の感覚で言えば小さいツイッター。ということで改めての部分で自分自身と「つぶやく」ということの距離間が意外と遠いことに気が付く。誰かに聞いてほしいひとりごとをインターネットに書き込み、それを誰かが追尾してつぶやきが言葉になり潮流になっているのでしょうが、でもでも、やっぱ、たった140文字で何が組み立てられるのだろう?当然、組み立てないからツイッターなのでしょうけれど、では、140文字に対して140文字を返すことが、140文字をフォローし続けることの実態が何なのか?を知りたい感じたい。

 が、そういうアプローチの人間はたぶんツイッターは向いていないのかもしれない。入口付近でのこの躊躇は意外と根が深いかもしれない。

蓋然性の系譜。

 偶然と必然はシリアルにもパラレルにも綾を織りなしている。この系譜とは?たぶん単細胞生物がたどる進化の経路の綾と同じなのだろう。蓋然性にすべて支配されているという極端な仮説もひも解いていけばギリシャとローマに辿り着くらしい。定期的に直列する惑星のように脈略が自分の中で整い始める兆候がある。すると、それは必ず近い未来に何かを引き寄せてくれる(過去にそうであったように)。その蓋然性についてプラスマイナス0レベルで捉えることができたら、そこで新しい化学反応が起こるかもしれない。幼い微弱な感覚ではそれをスルーしてきたかもしれないが、今回、それが目の前に訪れた時はその何かを自分の中に取り込みたいと思っています。見えてるなら手は延ばせるはずだ。蓋然性について考えられていることが絶対中立的な客観へ意識が集中できている状態なのかもしれない。雑音にかき消されぬよう、躊躇せずに手を伸ばせるよう・・・。

adobe vs apple vs microsoft.

 どうしても今後の動向が気になるこのトライアングル。渦中の「iPad」を含めた電子ブックまわりの渦が今後どう波及し浸透していくのだろう。一時のペーパーレス時代の幕開けはそれほど波及も浸透もなかったという声も聞く。逆に不必要なプリントアウトが増えて別の紙のニーズが発生しているとかしていないとか。たぶん、世界のクリエイター達が仕事のプラットフォームであるMACからWINに移行を始めたあたりからアドビの考え方が中立、ちょっとWIN体重になったのだろう。そこからappleが電話や携帯プレイヤーで巻き返しを目論み最終兵器がiPadということになるだろう(今のところ)。で、ブラウザのお話ではどうやらIE全盛の陰りが見えている。いろいろな面でのほころびが見えはじめている。次はどうやらFIREFOXらしいが、それもさてその背景をしっかりリサーチする必要があります。

 そこでやはりHTML5.0とSWFの関係がこのトライアング内でどう緩衝し合うのかということ。たぶんその頃のタイミングが私自身もMACの幻想から覚めた頃だったのでとても複雑な気持ち。アドビのツールは優れてはいるが、世界標準に準拠できなければSWFも効果が下降する。が、このクオリティーをアップルがどのテクでアプリ化したところで、やはり、FLASHの牙城は揺るがない。もう、iPadのアプリがどうのというレベルのシェアではないはず。どこに軍配が・・・ではなく、この三位がほどよく共鳴してほしいと心から願うばかりである。

右手セットアップの弊害。

 そうかそうか、その通りだ。確かにセオリーを鵜呑みして右手でクラブをセットアップしているが、確かにその感じはありますね。だから、長いクラブでたまにこすり球が出るのか。そうかそうか、左手でクラブをセットアップすれば左肩が開かないアドレスを作れるのか。身体の流れはいつも理に適っています。そして、答はいつも握りしめたこぶしの中。なのに人はそのこぶしを握り締めたままで、それをなかなか開いて答を見ようとしない。もう答がこぶしの中にあるのに・・・。

衝動買い「粘菌~その驚くべき知性」。

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 これは予備知識なしでぶらりと書店で本日衝動買いした一冊。「粘菌」ってなんやねんという状態ですが、これでひとつ「粘菌」が自分自身のボキャブラリーになるだろう。出会いは偶然であっても人はそれを必然と考える。この積み重ねがDNAであるならば、単細胞生物である粘菌がどのような知性を持ちどのようなビジネスモデルに繁殖の触手を伸ばしてきたかをこの書籍で知ることは逆本末転倒。意外とこの直観は「大吉」を呼ぶのでちょっと期待しています。

CS4の2冊。

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 まぁまぁ、このテイの本は各3~4時間が想定内。気になる部分には赤線を入れて、重要なポイントにはしっかりと折りを入れて2冊をチェック完了。うんうん、確かに、いろいろなことが動いている実感を得ています。たぶんこの2冊を知識・経験知0状態で読破するこはできないでしょうし、文字を追うなら猿でもできますが、実際のソフトを活用するテイで言えばこのチェック方法が一番有効です。つまり、書籍について最近、どうも、0知識の方対象「R-0」指定の書籍が多いように思います。特にミリオンになるような書籍は義務教育の教科書より読みやすく質量が少ない、語弊がありますが、万象を重ねていない書籍が多い。どれとどれとはこの場で指定・限定することはできませんが、読みやすい=売れ筋路線という構図が蔓延している。電子ブックに危機感があるとはいえ、そこまで書籍の価値を下げては、紙に活字が印刷して製本してあるだけの物体は書籍とは言いませんし、著者がどんなにアドベンチャーを展開したいかはまた別のベクトルとしても、それでいいのビックネームさんということにはならないのだろうか?

 また、予想外に話が逸れたが、このテイのテキスト本は著者の視線が色濃く出てきて一見偏っているように思えるが、所詮はどんな優れたソフトウエアも人が使う道具。ソフトの知識やTIPSが欲しい人が「オンラインでリサーチする」「人に確認する・学ぶ」「マニュアルとチュートリアルを読む」「テキスト本を確認する」らの中からどれをチョイスするかは自由ですが、私が「テキスト本」を必ずチェックするのは、ソフトの知識や最新情報も得たいと考える一方で、著者や編集者のこのソフトに対する考え方・捉え方・評価を読み取りたいから。その評価と実際のソフトウエアを使用している際の自分自身の評価がどこまでそれに追いつけるのか?それとも追い越せるのか?それとも逸脱して道草を始めるのか?が結果、一周回って「ソフトウエアを自分のモノにできるということ」になると実感している。練習問題が出来てわぁきゃあ言っている人はそれはそれでその人の大正解。この書籍のノウハウをビジネスモデル転換できる人はグイグイ展開すればいいし、これを出発点に新しいソフトウエアを開発する人はそれでもよし。

 総括的にはやはり、今後もWEBの世界は動いていくだろうという感想で、それは、世界標準に準拠することや市場のニーズを受けて非常に緻密なブラッシュアップが繰り返されているということ。WEBデザイナーとしてWEBデレクターとしてこの部分の感覚を非常に重要視しなければいけないと思っております。ひとつひとつの細かい技術は覚えればできるのがソフトウエア。そこはソフトウエアの正直な部分。しかし、そえれを使って何か新しい価値を作りましょうというアプローチに必要なのはそれらを会得した上での機能の組み合わせ方であり、市場との連動・連携・シンクロ加減であり、それを求めているお客様との共鳴であり作用と反作用である。そのためにも、定期的に新しいテキスト本のリサーチは絶対に欠かせない。

蓮舫さんの苦笑い。

 仕分けられている事業団体は必然なのか偶然なのかはさて置き、こちら側にいる蓮舫さんたちと向こう側の雁首の対比がなんともゆかいな仲間達である。まぁ、実際にその現場がどのような空気でどのような公開~が展開されているのかは一部分の映像だけでは判断できませんし、一部分ということはその中の真実とも限らない。だから、テレビの映像と抽出された言葉の綾とりで何が分かるというレベルではないにしても、ないにしても・・・である。

 やはり、向こう側の人間のあのふわふわした弁証やあの視線の踊り加減や不可解なロジックやその場しのぎの定数提示には、そりゃ、蓮舫さんも苦笑いだろう。絶対にあの場所で向こう側に座っている人と知りあいにはなりたくない。めぐりめぐってどこかでつながっているとしても、あのうつろな蛇の前のカエル達が論理の行き場を失い取り付く島を失う風景は滑稽である。それなりにその世界でどんな不条理の上に成立したそれぞれの虚栄の人生観であったとしても、それなりの捩じれたプライドでもいいから、せめて、テレビカメラが回っている時は堂々としていてほしいですね。悪さをした幼稚園児でももう少し毅然としていますね。憮然にも憮然なりのそうなるほど頭の中が空洞なのかあの存在感の滑稽さは久々にテレビを観てお笑い番組以外に笑えた。
 
 蓮舫さん、ちょっとはテレビの空気を持っている人なんだから、あのふわふわした弁証に対して、なれてなくてもいいので、ひとこと、呟いてほしかったなぁ~。あの知的な表情でクールなトーンで「なんでやねん!」と。

 実は仕分けられているのは団体でも企業でも組織でもなく、向こうの席に座っている人自身かもしれない。仕分けられた人にはさらに誰かを仕分け、最後の最後の人が仕分けられたぁ~と呟く時、あの蓮舫さんの苦笑いが完結する。しかし、何事もこの世界は偶然の連立方程式。いつ向こう側に座るやもしれないし、いつこちら側で苦笑いをこぼしているかもしれない。が、少なくともこちら側に座っている人達のポテンシャルの高さと軸のゆるぎなさはキラキラと目から口から身体から発散されていた。それが向こう側の人たちにはかなりまぶしかったようですね。これが人の持つ「覇気」のチカラかもしれない。

オルセー美術展が始まる。

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 5月26日から東京で「オルセー美術展」が始まる。たぶん、相当の人が来場されるだろう。会場内はとてもつないことになるだろう。じっくり作品をひとつひとつ感じる時間などないかもしれないが、丸一日をその中でつぶしてもいいと思っています。原画のリアリティー量がどれぐらいなのか?その前に立った時自分自身が何を感じるのか?そして、会場を後にした時頭の中に心の中に何が刻まれているのだろうか?いてもたっていられない感覚です。ホントに楽しみですね。

Web site is http://orsay.exhn.jp/

FLASH CS4はそうなっているのか!

 やはり、ただ、ちょっと同じソフトウエアだとは言えローバージョンを使っている知っているとタカを括りズボラはいけませんいけません。まぁ、新機能はこれとこれだから使いたくなったら使うだろうと頭で知識として知っていることと、実際にその機能で何を作ろうか、ああ、あのサイトのこのテイストや機能はこれでこうすればという具体的な着想に発展させるためにも、やはり、基本的な部分と応用の部分までを頭に入れておかなければただの知識として頭にあるだけで応用にはたどり着けないと・・・。このことはこれまで痛いほど経験しているのに、ちょっと気を抜くとズボラをこいてしまう。

 ということでやはりしっかりと書籍を購入して再度一から基本の部分と応用の部分と新機能を最新の書籍で確認しました。と、やはり、知識で知っていることがどのように応用できるかが見えてくる。「あっ、なるほどね!」の連続。それに、同じ機能でもインターフェイスがブラッシュアップされているから作業中に想定以上にその機能を探してしまう。まだまだ、これでは手にソフトが馴染んでいないから、効率やクオリティーなど程遠い。それに、A.S.3.0の記述ルールが2.0より変わっている点も改めてシンプルなコードから復習をしています。知っていると会得しているの間にある距離間を連結させるには、反復練習と実際の作業の繰り返しを経て手が覚えてくれるというわけ。それを技の術というのですよね。

 お金はある、時間がある、知識がある、アイディア力も着想も豊か、だけど何も創り出すことができない人が多い。非常に多い。そんな恵まれた環境なら何でもできるだろに・・・と思える人が無駄な会話を酒の上に流している。確かにコミュニケーションは大切ですが、本体があってのコミュニケーションでしょう。コミュニケーションのためのコミュニケーションはコミュニケーション!?

 つまり、FLASHはクリエティブのための道具ですが、書き出したモノ、実装したモノ全てがリッチコンテンツにはならない。このセオリーも日々進化しているのだから、やはり、何事も基本が大切ってこと。いろいろ目から鱗です。

MIHOKO-SAAAAAN!

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Always, anywhere, it seems to be pretty fine. MIHOKO-SAN, you are always best to the everythings.

It is wonderful!

It is to come, you may keep in touch, to be variously pleasant!

Her web site is http://www.mihokohakata.com/

グッドジョブ!グーグルさん。

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 なかなか、仕込みますねぇ~、なるほどなるほど練り込みますねぇ~、グーグルさん。

D.W.CS4はそうなっているいのか!

 頭で理解しているつもりでも使うと想定以上にやっかいな場合とその逆で、意外と使いやすい場合がある。それは、新しいバージョンのソフトウエアを使う時のお話。なんでもかんでも最新バージョンが便利だと鵜呑みにはしない派なので、けっこう自分なりのタイミングを推し量る。でも、タイミングが合えば新しいバージョンでも入り込みやすくいつのまにか古いバージョンがあっという間に使いにくく感じるほどに手に馴染む場合もある。それは、比較的インターフェイスの場合であり、新しいバージョンで新しい機能ならそれぞれに部位が異なるので、基本ラインに新機能をプラスするイメージ。が、FLASHやドリ君はちょっと違う。それはWEBサイトを取り巻くインフラに同期してのバージョンアップだから、創るというアプローチ自体のベースになるテクが市場の変化に合わせて根底から変化している場合がある。これまでにも、FLASHなら3.0から現在のCS4までミミズからイグアナぐらいの進化を成し遂げた。イグアナという比喩がどの程度のモノなのか個人的なモノサシで恐縮ですが「とても」進化した。それは、使う側で言えばとても理に適っている進化であり、その機能が充実すると同時にさすがアドビさん、インターフェイスが錬りに練りこまれた整理がされている。そして、カッコイイ。

 が、ドリ君はずっとMXを使っていて特に不具合もなかったので当分CS4はあるけどMXでええかな・・・と思っていたのですが、いやいや、FLASHと同様にドリ君のCS4はえらいことになっています。月曜日から本格的にドキュメントをCS4で作り始めてるのですが、かなりコーディングの面で進化しています。基本がすべてCSSベースで作りましょうというアプローチになっているので、ソースサンプルも充実しているし、直接コード画面で記述しながらプロパティ画面で確認するという、なんともプログラム記述思考にブラッシュアップされているようです。特に「インラインフレーム」については、外部にHTMを持たずにコードの中にCSSで記述する方向で、すでに、CS4では「iFream」というタグは存在しない。それも、今後いろいろなブラウザが多分インラインフレームを表示させない方向になるだろうということに対しての措置らしい。つまり、html5.0を視野に入れているらしい。flash vs java.s.の動向がなんとももどかしいですが、まぁ、どちらがどちらってことではなく、どちらも一通りアプローチしておけば問題ないでしょう。個人的にはflashベースで考えていますが、html5.0になったらなったでなんとかなるでしょう。この世界だけは固執してもなんの意味もありませんから、自由に自然体になんでも来なさいってテイで構えている方がいろいろな波のベクトルをプラスに変換しやすいと思っています。つまり、テクなどなんでもいいのです。作りたいモノが見えていたらあとは会得するかしないか。できないならそれでFIN。そういう世界ですね。

 まぁ、そういう感じでドリ君のCS4最新現場情報はまたこのブログでいろいろ報告させていただきます。同志の皆様へ、また、新しいソースの発見やCCSの新しい美味しい情報がありましたらまたご連絡ください。よろしくお願いいたします。

バタフライ@ガイアナと不思議な植物。

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 で、PCの席の右上の目線の位置に配置させていただきました。店長様ありがとうございました。お世話になりました。

 虫がちょっという方にはNGかもしれませんが、この美しい青だけはモニターや印刷物やカラープリントでは絶対に出せないリアリティーですし、また、この小さな生物の美しいフォルム。この形状の美しさは自然の神秘としか表現できませんね。これが南米ガイアナの森林を飛翔していたんだろうと想像するだけでなんともたまりません。

 いろいろなタイプをパストーンさんの1階に置いておられるので都内の方はぜひ!それを自分の目で見るだけでも価値がありますよ。モノホンのリアリティーはやはり凄い。そして、ご厚意で同封して頂けたオプションのこのへんてこ(火星の植物!?)な植物もまたGREAT。また、ネットでリサーチしてみよっと!

 詳しくはこちらへ。パストーン公式WEBサイト

原宿から到着!

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 パストーン(原宿)様から荷が到着しました!完璧な梱包でありがとうございました!

白ひげどうなる!?

 もう展開の軸が多すぎてどう期待すればいいのか、どう予想すればいいのか分らない。まして、今、白ひげの身体のど真ん中に大きな刃が貫通している、1番隊長マルコもルフィーもエースもジンベエもさあどうする?状態。読めない・・・。たぶんもうすぐ出るだろう最新刊もさらに記録を樹立するのではないですか。これほどのことになるなら、次の選挙にルフィーが出れば・・・。ワンピースの中ではマゼランでさえも愛嬌があり自分の立場をしっかりと弁え自分の信じたアクションと発言をしている。さらに黒ひげさえ、今、インペルダウンで何をしているか不明ですが、存在感があり力もある。そして言葉の質量も重く濃い。

 ねぇ!マンガでさえ、というよりマンガだからなのですが、人の心が動いたから指示があり共感を得てるんでしょ?公私が混同している?支離が滅裂か?マンガに依存しすぎて正気を失っている?そうかな?あなたた達の方が「公私混同」「支離滅裂」「本末転倒」「現実逃避」らの言葉を背負ってますよ。例えそれが「政治」というゴールのない長距離走なのかもしれませんが、ゼッケンを背負ってコースを走っているなら芸能人やスポーツ選手におんぶにだっこでいいのか?私利私欲ではないにしても軸のぶれたフォームでゴールを目指せるのですか?はじめから走る気などなかったのでは?スタートは誰にでも公平ですが、ポテンシャルは十人十色。それぞれのゴールを目指せばいいのかな・・・とはならいでしょう。大変、話が逸れました。

 で、白ひげはこのまま・・・なのか?ところでどっかに「ワンピース0巻」余ってません?

そろそろ蛍の季節です。

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 私のベストショットではないのですが、そろそろ蛍の時期だなぁ~ということで、今年こそ蛍の写真を撮影しようとテンションを上げております。この写真は「日本最大級フリー写真素材 Photolibrary」様に登録して¥0でダウンロードさせていただいた写真なのですが、この写真がなかなか撮れそうで撮れません。いやいや、蛍って難しいのですよぉ~。花火と蛍は難しい!!!

 で、この写真の撮影者はこちらですが、これを機会に撮影秘話を教えていただこうかな・・・。

ツイッターの実感はまだ・・・。

 昨日、ツイッターに登録した。まだ何も分らない。何をどうすれば面白いのか?どの部分が昨今のツイッターブームのリアリティーなのか?これをどう活用すれば楽しい感じになるのだろうか?興味が先行して何事もこのテイに首を突っ込むのですが、まぁ、世間一般的に無害のようですから、まぁ、少しづつ覗いていれば楽しいこともあるだろう・・・ぐらいのフィーリング。

 しかし、いろいろなサイトを拝見したらその中に常に画面のどこかに「ツイッターボタン」がある。ということは、公式ブログやmixiのようにインターネットで何かを発信・受信している人にとってのツイッターはなくてはならないギア(ネットワークフレーム)のようです。その歴史をリサーチすればまだまだ初期段階ですから、取組みとすれば、遅くはないだろうが早くもなさそうである。

 さてさて、「ツイッターおもろいなぁ~!」と実感できるのはいつ頃だろう???

 ちなみに登録名称は「actkhuz」です。ツイッターパワーマスターの方がおられましたら、検索してみてください。そして、「ツイッターノウハウのつぶやき」をお願いします。ただ今の段階で140文字に限定されるのはなんか物足りない実感があります。

ガイアナ産モルフォ・メネラウス。

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 原宿の五十嵐淳子さんのお店「パストーン」様に打ち合わせに伺った際、1階のお店にあった青い蝶。店長様に聞けばこれは南米産の蝶ですとのこと。このタイプの蝶が購入できると初めて知り、とても衝撃的だったこともありでその時は買うことを躊躇。しかし、ずっとずっと気になっている自分に気がつく。で、店長様に今でもあの青い蝶はお店にありますか?と連絡。しかし、すでに誰かに買われてしまっていた・・・残念。で、これで諦めるのか粘るのかを悩んだ結果、店長様に確認をしました。次、この蝶の入荷がいつ頃でしょうか?と。で、昨日、入荷しましたとのことで、念のために写真を送っていただけた写真がこれです。これですこれです!早速、購入。

 ほんとにこのブルーの美しさが忘れらなかった。こんなインパクトな出会いってあるんですね。楽しみです。映画「アリス~」のラストシーンで飛んでいた蝶もなんかこんなイメージでした。もう、標本になっているので飛びませんが、この蝶が飛んでいただろう南米ガイアナの森林が頭に浮かびなんとも素敵な逸品になりそうです。虫が嫌いな人はちょっとNGでしょうけれど、この美しさは肉眼でしか感じられない美しさですね。

腕時計。

 いつのころからか腕時計をしていない。たぶんもう10年以上していない。気がついたら必要なくなっていた。というよりもそもそも腕時計は何故必要なのだろうと思っている。便利な世の中になったと誰もが口にするが、具体的に何がどう便利になった。環境問題にうるさい人に言わせれば地球の資源を過度に消費した上に成立している便利さだからベラベラベラ。ITに精通している人ならいつでもどこでも必要な情報が誰でも公平に得られる素晴らしい世界になってベラベラベラ。医療の問題も介護の問題も教育の問題も絶対的に便利ではなくなったと思いたくない人々は便利の本質を曲解している人も多いのではないだろうか。たまたま、腕時計をしなくなったからと言ってそこまで解釈を肥大する人間もいかなものかではあるが、そもそも便利とは何だろう?

 人にとって便利な有益な表現、企業にとって生産的なアプローチ、商う人にとって建設的な仕組みなどを頭に描きデザインやWEBサイトの仕事をしているが、腕時計をしていない、つまり、腕時計を便利だと思わない人間に腕時計をPRし販売促進するWEBサイトは作れない。これがどこにでもある先入観である。しかし、日常生活で腕時計をしていなくとも間違いなく腕時計の便利さは知っているというより、腕時計のポテンシャルは認識している。だから、自分自身との距離間において使っていないだけで、この世からなくなればいいとは考えていない。

 ということで、「なんでもいいリスト」の一発目は時間を確認するのなら携帯電話があればいいとなります。時計なんて街のどこにでもあるし、意外と体内時計は腕時計がないことで正確さを保ってくれているし・・・。それに打ち合わせや会議中に腕時計をチラリ見られると私自身テンションが0になる。それが一番の理由かもしれません。打ち合わせやお話中、何気に見た腕時計を相手が見て、テンションを下げたかもしれないという危惧を感じたからはずしたのかもしれません。時間の意識ぐらい身体の中で刻める人間になりたいなぁ~と。

絆とは?

 人は何かと「絆」を大切にしたがるが、そもそもその場合の絆とは何だろう?それが絆であること、その絆が存在する理由や背景に目を向ければ、どんな状況でも何がなんでも絆を結ぼうと努力するがそれで無理やり得た「絆らしきモノ」で人間関係は絶対に活性化しない。どちらかと言えばすでに存在する絆を無視して頭で考えすぎた絆もどきに依存し固定観念や先入観で絆の存在を捉えて安心している節があるのではないでしょうか。「絆」はミラクル接着剤でもウルトラハブでもスペシャル培養液でもない。つまり、大切なことは絆自体ではなく、すでに何らかの形骸化している関係性に対して自分自身がどう向き合うかで「絆」を自分の方向へ、そして、相手のベクトルへ向わせることができる。「絆」とはそういう存在でいいのではないでしょうか。

 今、手の中には野球のボールがある。誰かにそれを受け取ってもらいたい。もしくは、ボールを投げる、相手がそれをバットで打つといった構図のそのボールが実は「絆」でいいのではないかと。ボールを投げる技術、受ける技術、打つ技術、そして、その一連を観覧席で観る楽しさ。三振、ファインプレイ、クロスプレイ、ホームラン、ゲームセット。ボールが様々な場面で様々なドラマを作る。

 自分自身が国民から信頼を得られなくなり起死回生の黄金のボールを手中に強引に得たとしても、それは何のため?あなたがフィールドに降りてきて誰かとキャッチボールするため?誰もそんなボールは受けませんよ。逆に黄金のボールにとってあなたはただの弾まない空気の抜けた貧弱なボールなのかもしれませんよ。野球をなめるなとの観覧席からブーイングが聞こえないのでしょうか。

筆洗器について。

 水彩画を描くことは小学生の美術の時間でもやってきたし、趣味で水彩画を描く時にも、いろいろな画材を使って水で絵の具を溶く手法はもっとも絵を描く時のポピュラーな方法です。ほとんどの方が得意不得意は別として水彩画を描いてこられた経験をお持ちだと思います。私も小学生の時、学校の指定で一般的な水彩絵の具と写生セット的なモノを買ってもらった時の感激というか感動は今でも忘れられません。何かとてつもない無限大の可能性を秘めた(小学校の頃はこんなに大義ではないですが・・・)道具が自分の手の中にあるという感激感でした。

 ピカピカの12色の水彩絵の具のケースを開けた時の感動たるや、子ども心にはかなり刺激的な感動でした。そこからいろいろな絵に興味を持ちいろいろな手法にトライして今日に至ってるわけですが、絵の具も透明タイプから不透明タイプ、水性から耐水性、顔料・染料についても自然系から化学系までいろいろな絵の具と絵の関係について試行錯誤してきました。こだわればこだわるほどに絵の具は自分の描きたい完成イメージの幅を広げてくれ、何を描くかという部分の心の部分についても深く絵を知れば知るほど絵の魅力に取りつかれ続けて早46年という状態です。

 で、絵の具や筆や描く素材(専用用紙やイラストボードやキャンバス関連)のお話はまたいずれということで、今回の「これじゃなきゃダメ!リスト」の第1弾としては「水彩画を描く時の筆洗器」についてのちょっとしたこだわりを紹介させていただきます。

 どんな絵の具でも混色をする場合と単色の濃淡で描画する場合でも、通常、画面に入れる色数と同じ筆を用意することはしません。常に描いた色が終われば筆を洗い、次の色を作ります。とは言え、最初に何色から入れようと思って描く人は少ないように、鮮やかな色から濁った色へ、もしくは、濃いトーンか淡いトーンへと色相・彩度・明度の3Dの相関を意識しながら色を決めていきます。その間に色の数だけ筆洗器で筆を洗います。小学生の頃のおきまりの筆洗器と言えばクリーム色のプラのケース。3個横にジョイントする奴。あれが最初に筆を洗う器だと教え与えられたので、ずっと学生(高校生まで)の頃は同じ系統の筆洗器でした。しかし、イラストを仕事にし始めて、いろいろな水彩絵の具を使い始めてからふと思ったのは、筆洗器の水が濁ると次の色がその影響を受けているのでは?と感じる瞬間がありました。特にアクリルやカラーインクで耐水性のタイプを使う場合はこれがかなり顕著に画面に反映されます。出したい色の彩度や濃淡はこれぐらいなで、パレットで色を作り画面に入れるのですが、なんとなく、思った色にならない。時に影響を受けやすい色の場合は、彩度やメイドに影響が出てくる。何故?そうだ白い筆洗器の水をよく見たら白濁している。ああ、これかと。

 そこから、一枚の水彩画を描く場合、少なくとも着色を始めると神経質なぐらいに水を交換します。混色用には濁りのない水をスポイトで入れて筆洗器の水も5~10分に一回交換します。濃い色の筆を洗う時は描画用の筆洗器とは別に大きめのバケツを置きそこで洗ってから筆の濁りを取り新しい色を作ります。この作業に一番最適な筆洗器とは?それは、透明のガラス素材の瓶です。で、これもいろいろな便をこれでもかってぐらいに試したのですが、ベストはコーヒーが入っていた瓶でした。色の濁りが一目瞭然なのは勿論のこと、一回に洗う筆の回数とそれに入れられる水の量がなんともマッチするのです。これを色の変換毎に水を入れ替えています。

 ということで、水彩画を描く時の筆洗器のベストはコーヒーの瓶なのでした。たぶん、いろいろな瓶を試しているので20個ぐらいの瓶が常に待機しております。

3年前の25倍!?

 ネットを使った詐欺の被害件数が3年前の25倍になっているらしい。「あなたも絶対結婚できます!」「絶対にお金が稼げます!」という文脈に引きよせられて振込して被害に会うという件数が、3年前より25倍になったということ。まぁ、この場合の3年前がなぜ5年前や10年前ではないのか?という疑問や25倍という物理定数がどうやねんという視点もありますし、ネットを使ったという部分で、どうしてネットに限定するのかというこの記事の基盤も興味がありますが、それはそれ、新聞というメディアの性質上仕方ないとしてスルー。ここにツッコムと新聞全体の存在感やメディアとしての概念にメスを入れることになってしまうだろうし、そのテイの情報と絡めても結果、真理に辿り着けるアプローチではないにしても、よもや新聞で活字になっているから「3年前」と「25倍」の相関関係に興味が湧いたというだけのこと。

 で、ネット→絶対→結婚→幸福とか、ネット→ビジネス→お金→幸福っていうシンプルな幻想になぜそれほど黙視的になれるのか?信じる者が救われない時代なのか?そもそも信じるとは何なのか?の状態で分析すれば、逆だろう!?とう感じ。幸福→誰か→何か→ネットなら電子の流体経路が自然。何ごとも逆転の発想なのか、ネットから何かを始めようという魂胆に癌細胞DNAが潜んでいるようです。

 被害にあった人たちは「まさか!友人もやっていたので安心していたのに・・・。」「会社の上司に勧められて藁をも攫むつもりで、信じていたのに・・・」って、なんでやねん!いろんな意味を込めて、なんでやねん!

内山高志さんスッゲ!

 昔から野球や陸上などのスポーツには親しんできたのですが、格闘技ということで言えば、完全に観戦者であり、実際に相手に対して1対1で向かうという経験がない。どんな感覚なのかまったく実感がないのですが、テレビを観ていると、一度はそんな経験をしてみたいと思います。たぶん、この歳になり何もできないとあきらめていますし、おそらくたぶん間違いなく何がどう好転してもその経験は無理でしょう。

 だからかもしれないですが、特にボクシングの試合は昔から釘付けになる。いろいろな格闘技があるが、一番美しく激しく華麗で残酷でジャジにグレイな部分が感じられない純粋な競技だと感じるからです。パンチのコンビネーション、体躯のリズムとスピードの展開、持久力や戦闘力など、どれをとっても格闘技としては最高だと思ってテレビで試合があれば観ています。

 で、本日の内山高志チャンプの初防衛戦もガッツリ。6ラウンドのあのドカンという右フック。10cm以上の身長差でも常に自分のリズムでチャレンジャーをロープに追い込み、適打を打ち込んでいく内山チャンプ。常に試合を自分のリズムで展開して~の、重い右フック一発。もう、完璧な初防衛戦でした。スッゲ!

 さぁ、このテンションで今夜も飛べるまでロープワーク。例えまねごとだとしても右右左左となわを飛んでいるだけで気持ちがいいものです。

効率的より効果的か・・・。

 現代は全てが何の因果か何の力か誰のお約束か「より効率的」が念仏のように響き渡っている。ナンミョウホウレンゲキョウ~でジョウドへfly awey!である。現世を効率的に生きていればの背景にたぶんいつも純粋でいたいという気持ちが機能してたり、しっかり絶対多数意見に同調・共鳴していれば自分の立場は安泰安泰という空気が蔓延しているような。それがいいか悪いか、価値があるか否か、必要か不必要かではなく、それは「あり」なのか「なし」なのか?もっとが常により効率にだから効率が悪いと淘汰の対象になり、引いては効率が悪いということだけで排除の対象になる万象が多いんじゃない?というロジック。

 でも、モノヅクリ的には、勿論、仕事として「効率」は頭にあるが、時間やコストを抑えるということでしか得られないような「効率」では「本当の効率」ではないと信じているから、それはいつも「効果的」であってほしいと願っています。このヒントはある音楽業界の方のWEBサイトの記事からのピックアップさせてもらっているいのですが、まだ、その方とは直接お話をしていないので、メディアやWEBサイトの記事を拝見している段階ですが、いつか、この話題でお話をお聞きしできればと思っています。

 「効率」を考えればメールでのアプローチが効率的。でも、そうではないと信じている方だから、私もそれを効率とは呼びたくないし、で、効率が上がったから、で?で?で?である。だから、いつか、横浜へお会いしに行きたいと思っております。わざわざ会ってどうなるのいう「非効率」の心配はとにかく忘れ、あくまでもその方とその場所で何かを考えるために、何かを話すために、何かを聴きとるためにの「効果的な気持ち」だけを忘れないようにと・・・。

楽曲からの映像イメージ。

 やはり、映像を撮影したりPCで創り始めてからの変化ですが、例えばグラフィックデザインでもWEBサイトでも静止画のデザインだけに取り組んでいた時の思考パターンとFLASHやA.E.などで映像を発想・着想して作成するようになってからでは、明らかに絵や写真や音楽や、もちろん、映像作品のを観た時に頭に残る・浮かぶ・記憶しているポイントが異なる。デザインやイラストの仕事をする前の学生の頃もそうですが、美術の時間に絵を描いているレベルと芸大で四六時中絵のことを考えているレベルでは明らかに画面に向かっている時のテンションの密度が異なる。それはそういう環境に条件下に自分自身を置くことで、何かスイッチが入るのでしょう。そして、こればかりは頭で考えてても何も始まらない。空想・夢想はあくまでも幻想である。一本で線を描く、ひと筆でも絵の具をのせてこそ、スイッチが入る。

 で、動画・映像のイメージが頭に浮かぶという感覚についてですが、一番最初に(たぶん、10年前ぐらい?)FLASH3.0を買って動画を作った時、単純に円が左から右に動くチュートリアルをした時、初めて時間の感覚とデザインの感覚が自分の手の中で実感できた。これはある種の出会いだった。すると、気になるイメージや場面転換や映像の切れ目が見えてくる。それまで何気に見ていたモノにそのコンテンツの創り手の顔が見えてくる。絵やデザインも同じで創り手の顔が人が見えてくると、その作品は自分にとって特別の存在になり、記憶の箱に入れられいつでも忘れることなくフラッシュバックしてくれる。これが、いわばデザインやWEBや映像の仕事をする時の最大の最高の武器になる。

 その場合、理論や方法論は非常に重要ではあるが、この引き出しほど目の前の取り組みに対して有効に機能はしない。結果、共有させるのは作品で方法論ではないからである。作品に何かを入れる、入る実感を一度でも体験し、それが、誰かと共鳴でき、そこからのフィードバックが心地いいと感じた人は絶対にクリエティブの仕事はやめられないたまらない状態だろう。ドラッグのように次へ次へとトルクが上がる。しかし、上がることが最終的に注ぐことへ対しての「=」にはならない。これがもどかしくもあり、高揚するクリエティブの魅力ですね。

 そこで、あるアーティストの方の作品から映像イメージが次から次へと浮かぶ感覚があり、ひとつひとつ絵コンテにして書きためています。これがオートマチックに自分のマニュアルが使いこなせた方がたぶん映像分野では多くの共感を得てスタイルとして確立されているのではと思ったりします。

 「24時間迷子になる365日 ごちゃ混ぜになる夢とリアルがわかんない 髪を乱し息を切らしなりふり構わず 夜と昼の隙間から抜け出したい(いいくぼかおり:眠れぬ夜のシンフォニー歌詞より抜粋~)」これをさおりさんの声とピアノで何回も何回も聞いていると、鼓動が高まり、意識の中で時間の軸が乱される。そして、今、目に映っている映像のひとこまひとこまが妙に新鮮に映ってきます。それを加工できたら、映像作品として切り取れたらなどと、楽曲からの映像イメージってこういう感覚なのかなと強く感じております。やっぱ、凄いわ、さおりさん。

ペピーノ生育中。

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 ペピーノはすくすく。葉の数も倍ぐらいになり、茎も太くなってきましたが、どうやらまだふにゃふにゃしてるので、トマトのテイで一本づつ支柱を添えました。まだまだ、観察日記は序盤戦ですが、このままこのまま花をつけペピーノを実らせてほしいものです。さてさて、どんな味なのだろう?昨年のとうもろこしの失敗例があるので、6月あたりが山場かな・・・。

ドングリ移転成功!?

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 さてさて、ドングリを植え換えたが、はたして根付いてくれるのだろうか?ちょっと心配。大きくなったらまたどこか大地に植えかえてあげようと思っておりますし、それが、また、ドングリの実をつけるぐらいに大きくなったらなんかちょっと嬉しいかな・・・と。

道の上より。

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 私の後ろに道は続き、私の前に道が広がる~ではないが、進むべき道って頭の中でいろいろ考えても実際、今、自分がいる場所、歩いている場所を意識しなければ、実感できなければ、進むも戻るも成立しない。などといろいろな場面でそんなことを考えていると、こんな風に道の写真をブログで展開してログれば面白いかなということを思いついた。いろいろな気分でいろいろな道の写真をコレクションしてみようかなと思っております。その一発目がチョップ君の散歩コースのワンショット。

蔦のディテール。

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 ふと散歩中、壁一面に張り付いている蔦が気になった。幾重にも重なる葉の美しさを見ていると~という気持ちにはならないが、この一見意味がなさげな自然の表情が気になる瞬間って、自分自身結構フラットなニュートラルな気持ちなっていることが多い。偏狂な視点は特異な思考に導くスイッチのような実感とバランス感覚が心の中で意識できる時ってテンションの振幅と同じぐらい心地がいい。何気な風景がいつまでも好きでいれる心を持ち続けたいかなと・・・。

今日はここでかい!

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 健康でなにより。

このお花の意味。

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 たくさんの方に見守られ素敵な二人の門出。披露宴のラストにお二人からご両親に送られる花束。この花の意味は非常に重い。ご厚意でご両親から私の娘へということでこの花を手渡された。重い。この花を帰りの新幹線の中で見つめているだけで、いつか私も私の娘から・・・と思うと、もう、今日のお二人の幸福の笑顔が自分の娘の笑顔に重なり、その横には誰がいるのか???感動の結晶を私が頂いて本当にいいのか?ご厚意とは言え意味の重さに震える始末。

 こんな時、花束の意味はお二人の想いや願いをいっぱいに吸い込んでなんとも言えない芳香を放つ。花の香がそうそうしんみりと嗅覚を刺激する場面などない私に、この花束はこれを受け取られたご両親と同じぐらいの意味を持ち、いつかこの花を手にする時、私自身は何を考えているのだろうと思いを巡らせてしまいました。

 お二人のお気持ち、そして、そのご両親のお気持ちを、一気に受け取ってしまったような、感激・感動でありながら、どこまでもシリアスな気持ちになりました。

千葉の駅前にて

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 昨日(5月15日)は結婚式で千葉市へ。米原で朝イチ新幹線出発。東京に9時半頃に到着、総武線快速で千葉へ。10時半頃に千葉に到着してちょっとブレイク。駅前通りのカフェにてコーヒーとチーズバーバー。いつもチーズバーガーはマックと決まっているので、チーズバーガーってあんなものだと思っていましたが、いやいや、世の中にはもっと美味しいチーズバーガーがあるものだ。バンズも素材もお肉もマックの負けでした。三井ガーデンホテルのちょっと前にあるカフェでした。

ゲーム・ゲーム・ゲーム。

 なんとなくですが、無料ゲームのCMが多くないだろうか。それは何のために作られたゲームなのか?同意でアップルのアプリもそう。そのアプリは何のために作ったのだろう?もう、???の連続。そんなにゲームが楽しいのか?全くそのテンションはスルーしてきた、というよりも、否定してきた人間だからかもしれないが、全く意味も意義も価値も感じない。もしそんな言葉があるのならば「無駄以下」の存在だと思う。まず、それは楽しいのか?Wiiでさえ反応しなかった恐竜のような人間だから、まして、オンライン無料ゲームの「オンライン」の意味も「無料」の意味も「ゲーム」の意味も不明である。別に否定しているからと言って、分析をしたくないってほどの拒否反応ではない。それが、何らかの理由で開発されそれを利用している人が有益な時間、生産的な時間を過ごせるなら。もしくは、たまりにたまったストレス解消になるなら、それらはすべて心と身体と人生の健康に繋がる。ここまで誇大解釈して受け入れる気持ちがあるがやはり、しっくりとは来ていない。

 また、特筆すべきはそれらのゲームの中に存在する「お宝」の貧弱極まりなさ。なんでそれが「お宝」なん?ゲームっていうテイだからそれはそれで楽しければいいの?が、楽しいか?それがお宝?また、あるプログラム関連のお話で、ステップアップするたびにアバターの服やアイテムがグレードアップされ、特典ポイントがたまってベラベラベラベラ・・・。って、それがなんやねん!そもそもの「お宝」の定義はなんだったのか?多様にも程がある。

 世の中、ゲームゲームゲームで白黒つけたいから?つながるきっかけづくり?無料のゲームでひまつぶすその暇の暇さがなんとも滑稽である。世代が違うからか、もう、私のこの感覚はおっさん道のドマンナカなのか?が、別にさみしくも悔しくもない。ある方に言わせると「それは楽しいゲームに出会わなかったから・・・。」とのこと。いやいや、まったりとツッコミましょう。「なんでやねん!」と。それは逆逆、「あなたががゲーム以外の楽しいことに出会ってきていないからでしょう・・・。」となる。

近江八幡のお堀の新緑。

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 昨日は雨。どんよりとした曇天でしたが、近江八幡のお堀には新緑がまぶしいアップルグリーン全開で四季の中で一番生命力にあふれている季節。思わず橋の上から・・・。

適正があるとしたら・・・。

 もし、G.デザイナー・WEBデザイナー・クリエイター・アーティストの適正検査があったらと仮設を起こしたなら、それは何だろう?間違いなくソフトウエアのスキルや知識ではなく、小手先の技術や知識や感覚ではないような気がします。逆に普遍的な歴史や文化やメディアをどう捉えているかみたいなフワフワしたモノでも大きな路の上でただただ猛進すればいいというテイでもないだろう。それほど何かを創造する、想像するという作業には人間の本能の部分が深く関係しているだろう。では、適正値が不思議なモノサシで計測できたとして、その数値(たぶん物理定数ではないだろうが・・・)とは何かに記録できそれを継承しようとするときに遍在可能なのだろうか?だとしたら、そのバイブルは貨幣価値では推量でいないだろう。つまり、このバイブルを知識として会得し技術や方法論を体得すれば「モナリザ」が描けるというバイブル。現在の「モナリザ」の貨幣価値はいかほどかは不明としてそこまでいくとしたら、それは本当の意味で最終兵器のような。ダイヤモンドや金やプロトニウムの価値さえ曇らせるようなバイブルになるだろう。歴上最も人間に受け入れられたバイブルと言えばあれですが、私自身は全くそこに興味がない。しかし、このバイブルには興味が尽きない。

 この空想上のバイブルには例えばどんなインデックスなのだろう?どんな構成になっているのだろう?それをライトダウンするためにはどんなアプローチが必要なのだろうと思考のループが不本意にも加速する。歴史上、それに一番近づいた人って誰なんだろう?まぁ、たぶん、それは、脳幹の中にあり、遺伝と共に灰白質に記述されていて、何かの信号でアウトプットされるのだろうが、それを意識してアウトプットするためにどれだけの感覚や知識の刺激が必要なのだろう。悪しき薬品で旅立つことで錯覚はできるだろうが、それは誤認に他ならず麻痺していれば常道を逸脱すれば誰でもモンスターになれる。が、人には人のリミッターがある。それが本来何を意味しているのかあたりが糸口のようですね。

 で、氾濫している自己覚醒・自己啓発のモデルがそれにぶら下がっているとしても、たぶん、最後の最後でリミッターが起動するだろう。よもや話がかなり逸脱してしまった・・・。誰もが持っているのに、誰も持っていない何か。また、「眠れぬ夜のシンフォニー」状態である。

「新しい仕組み」。

 ビジョン、新しい仕組み、改革、新時代と、頭に美味しそうな言葉はいくらでも存在する。その逆もしかり。頭に優しげな人物、キャラクター、存在感で、熱意や団結力や純粋さを代行することも手法としてはテッパンである。が、「新しい仕組み」が欲しければ、「改革・変革・革命」が欲しければ、既存の概念をいったんリセットする必要もある。それができそうでできない。旧態依然の体質を変えないまま新しいステージに立つなど無謀でしかない。机の上でメタボな頭の栄養分だけを日々蓄積してきた人がある日突然「熱意」や「本能」や「誠意」に目覚めて戦う志しを新たにしても、決してその状態では戦えるカラダではない。戦うためには入念な準備が必要であり、準備をするためにはまず頭の思考を捨てて動く必要がある。カラダは動かなければ何も変わらないからである。

 いくらそのシステムのトップの存在感や説得力や信頼感が消失したからといって、代行を据えても本質は同じであると誰しもが見抜くはず。茶番もここまでくると怒りさえ覚えない。何がしたいのか、熱意あるファイターを傍らに置きそこまでしても自分の意味を守りたいのか。まぁ、そんな人たちがそこでいつものどおりのメタボな頭で思考している以上、絶対に「新しい取り組み」など実現しないだろう。し、ビジョンについても同様であり、何の進展もしないだろう。それはあきれる以下の出来事。傍観できる立場ならまだこうものんきのそのことをブログできているが、これが、もし、自分自身の生活や子どもたちにリアルに悪しき影響があるようだったら、人はその時、本当のリセットを求めて団結し動くだろう。私もリアルに立ち振る舞いを考えるだろう。そんな現在の動向が見えている人は多いと思いますよ。

 さて、メタボなその人へ。早くテレビの画面から消えてください。それが、今、あなたにできる最大で最高のいい判断だと思いますね。見苦しいこと極まりなし。

 そしてまた選挙の季節になる。ブリキの太鼓と道化の行進がまた街のいたるところで始まる。化粧もできないピエロの皆様が安く並べる言葉のフリマ状態。誰ひとりとしてそれに反応しなくなった時、裸の王様は今日テレビで見た笑顔のままでいられるのか?たぶん、もう感覚が鈍っているので、いつまでもナイトを添えて笑ってるだろうなぁ~。言葉にこれほども質量がなくなるともう何が口から出てもカラスの「カァ~!」にしか聞こえない。そして、同じようなことがいたるところで起きている。

 「新しい仕組み」など幻想と知るには今立っている場所から一歩踏み出さねば。景色が変われば視点が変わり情報の質が異なる。それを五感で取り入れ頭が反芻して純化するから新しいリアクション(反応)になる。このループ以外に新しい何かなど学び習うことなどできないはず。

 あなたはあなたのスタイルで柔道だけしてて欲しかった・・・。そこにいても発生するのは予定調和だけ。シナリオどおりにもう何ごとも進まない時代であることに気がついてほしい。化学変化を起こせるのは素養次第。あなたはあなたのフィールドで金に純粋に向かっていってほしいとと心から願う。ユーモアであなたが横の裸の王様を5秒で落とせばそれはそれで強いリアリティーである。

眠れぬ夜のシンフォニー@いいくぼさおり

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 すべて良かった。すべていいくぼさんの世界が成立していた。どのメロディーにもどの詩の世界にも引き込まれてしまった。が、特筆するなら、「眠れぬ夜のシンフォニー」。いずれ期が熟したらDVDは頂くとして今夜はこの1枚をゲット。この世の中にはどえらい魅力的な女(ヒト)がいるもんだ。ぜひ、こちらをチェックして一回聞いてください。もちろん、オンラインにはいろいろなコンテンツが上がっているようですし・・・。でも、一回、彼女の作品に触れると(特にライブを観ると)手元にカタチとしての作品を置いておきたくなるようなアーティストさんですね。こちらでもCDやDVDは購入可能でしょう。

詳しくはこちらをどうぞ。「いいくぼさおりWEBサイト」

いいくぼさおりさんライブ。

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 ある方からのお誘いで地元長浜のライブハウス「川崎やさん」にて昨晩「いいくぼさおり」さんのライブを拝見。

 なんと表現すればいいのか・・・、ずばり、3秒で心を持っていかれてしまった。結構、絵にしてもデザインにしてもその他自分自身がこだわっている対象に対してはじっくり観察して自分がどう感じているかについて心の中で頭の中で整理するのですが、いいくぼさおりさんのライブの世界観に3秒秒殺でした。次の瞬間、なぜ、このヒトがここでライブをやっておられるのか???どうして、長浜に来ておられるのか???と???が次から次へと頭に浮かぶ。そして、もう一人の私はさおりさんの世界観に最後の「ひまわり」まで。まるで、IN WONDERLALD状態。

 あとあと考えれば、いいくぼさんを何かに例えられるとしたら、若い頃の矢野顕子さんクラス。ルックスについてはそうそう滋賀県ではなかなか見かけることのないってぐらいの、いわゆるアーティストとしてのオーラをはなちながらの若い女性としての存在感を凛と漂わせている女性。で、圧巻がピアノとその歌声。これついてはもう、彼女のライブを観てください。彼女のDVDを買ってくださとしか伝えようがない。「実力派」「独自性」「楽曲のクオリティー」「歌声」どれをとっても逸品中の逸品。こんな表現は適切な表現ではない(いいくぼさんが心からそのステージを望んではいないような・・・)かもしれないが、タイミングさえ合えば3年後年末の紅と白の音楽テレビ番組に登場しているかもしれないってぐらいの言葉をチョイスしてしまう。決して、その業界の人間ではないので、今、音楽業界の若手で実力のあるアーティストの方がどれぐらおられるかは当然未知数ですが。仮設としてもし100人いて次にブレイクするのは誰かということになると、確実にいいくぼさんだろう。これから事あるごとにすべてのメディアでいいくぼさんをチェックしたいと思います。

 で、ご本人はいたってテンションちょっと高めの個性的なピアノガール。たぶん、ドリカムの吉田美和さんを最初にテレビで観て歌っていない時の印象とかなり近い。音楽業界の浮き沈みは熾烈であることだろうが、たぶん、いいくぼさんの実力とポテンシャルと強さと個性と存在感があれば、彼女の世界は誰にも手が届かないってぐらい高く深く広いモノになっていくだろう。う~ん、素敵な電話をありがとうございましたKOKO様。

詳しくはこちらをどうぞ。「いいくぼさおりWEBサイト」

近江町3奴祭り。

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 今日は朝から近江町母の郷で、母の日ってことでイベントが開催されました。そして、そこに登場した3奴祭りの撮影でした。写真では拝見していたのですが、さてさて、どんなテンションでどんな流れなのかと期待していると、なんとも厳かなゆったりとした風情たっぷりの奴祭り。それぞれに深い歴史的な背景がありそれぞれの口上を拝聴しながらなるほどなるほどという感じで、ゆったりとした動きがなんとも壮大で落ち着いた気持ちにさせてくれる演武でした。

 お祭りというと激しさとか煌びやかさとかこれでもかという演出が多い日本のお祭りだと思うのですが、この奴祭り、なんとも独特の空気感がありちょっと皆様の演武に見入っていました。サプライズで知事も来られちょっと来場者の皆様のテンションが上がっておりました。

やっと「アバター」。

 やっとのことで映画「アバター」のDVDがレンタルできて観れました。どうもふれこみが「あのタイタニックを抜いて歴代~」ってことだったので「タイタニック」と比較してどうのこうのとなるのはとてもめんどくさいので観ないかもしれないなぁ~と思っていたのですが、いやいや、これほど猫も杓子も状態だとやっぱ観ておこうかな・・・というふわふわした状態で観てしまいました。それが良かったのでしょう、「アビス」の頃のキャメロンのセンスや美術などなどこだわりの部分が存分に画面に出ていてとても素晴らしい映画でした。

 評判の中には物語がシンプルすぎて~とか、ただのCG映画だから~などという酷評が多く耳に入り、ああ、やっぱ、タイタニックで調子にのってその延長上で金だけつかったつまならい作品という印象があったのですが、いやいや、画面の展開やキャラクターのデザインなどなど、どれをとっても超一級品でした。これはかなりオモロイ作品でした。テーマも大きかったですがちゃんと結論に落ちていました。

デザイン思考というアプローチ。

 本文より抜粋。「それでも、テクノロジーの進化はとどまることを知らない。インターネットが火をつけたコミュニケーション革命によって、人々は今までにない方法でつながり合い、考えを共有し、新しいアイディアを生み出せるようになった。生物学、化学、物理学といった科学は、バイオテクノロジーやナノテクノロジーといった形で融合し、命を救う医薬品や驚くべき新素材の開発を期待させている。しかし、こういった目をみはる進展とは裏腹に、われわれの不吉な運命は改善の兆しを見せていない。むしろ、その逆だ。」とある。この問いに対して、次の文節では「必要なのは新たな選択肢」と続く。

 まさにである、誰しもそれを心の片隅に抱えてインターネットに接している実感があるのではないだろうか。進化とパラレルで退化する大切なモノ。それが大切か大切でないかは多様だいう言い訳で遠巻きにしている状態は本当の危機的な状況ではないからであり、それが、本当に危機のドストライク状態になった時、これらの技術がもう生活や人生と融合してしまったり、その中で(ご都合的に仮想現実と呼ばれている)すべてが完結せざるを得ない状況でどう対処すればいい?

 で、これらをすべて既成概念としてしまっていることが枠としてあるのならば、常に出口のドアに手をかけている状態でこれらの枠を俯瞰していたいと思います。しかし、この枠に距離を置いているタイプはどうなる。枠に対してシンプルに外と中なら話は非常に安直ではあるが、世の中そうもシンプルではない構造を呈している。外だから安心、中だから不安という構図ではない。それこそもう3D的考察が必要な状態と言えるのではないだろうか。そうなると、さらに、相対性の問題も深い関連味を帯びてくる。つまり、物事の論理が縦糸と横糸なら網目を見れば綾の不確実が理解できるが、その軸に向こうからやってくるドローの糸が絡み、それが、縦横無尽に時に回転しときに拡大縮小を繰り返す世界にあって、もう、これは外、これは中という方法論が成立しなくなる。それが、最終的にヒトが作り出した世界であるなら、ヒトとしていずれは馴染むだろうが・・・。

 デザイン思考とはもうそこまでを思考の対象にしなければいけないと想定される。次の瞬間、ロンドンの森の中に立っているようなリアリティー。そこで出会った誰かに何かを語りかけるようなSOMETHIONG。

ウニヒピリ@イハレアカラ・ヒューレン

 さてさて、これは何?聞きなれない言葉にとても興味がソソラレル。これも新手のエンジン対策か?にしてもそれは潜在意識を意味するらしい。しかし、サンマーク出版は意欲的な書籍を出される。素晴らしいこのエネルギーが書籍に完全に移入されている。書籍づくりは大中小いろいろな出版社が鎬を削っているわけですが、それにしても、いい言葉をチョイスされる。編集者の意気がビシビシと伝わってきますね。よくもこの情報の海からこの1点をチョイスするもんだ。12へぇ~である。

 で、著者とはどうやらカウンセラーだそうだが、最終的に「自分探し」を提議しているようだ。さてこの混沌とした時代に自分を探せるのか?潜在意識とどう向き合うのか?そして、見つかった後、ヒトは何を考えるが正しいのか?もうそこには正しいも悪いもない新しい何かが待っているのか?「平和はいつも自分から始まる。」としているが、さて、平和とはその場合何を指して「平和」としているのか?これはかなり大きな仕事の予感がする。が、それを¥1,500で購入できたならそんな価値はそうそうない。が、さてさて、この書籍を書店で見つけた時、自分自身がどう感じるかが楽しみである。

 そうそう、潜在意識を意識化に置いて対話などするものでもないと思うのですが・・・。

空気が抜けると。

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 雨上がり、霞が落ち、遠くまで空気が抜ける。決して重たくはない雲の切れ間から差し込む光。こんな琵琶湖の表情はなかなか見れません。ほんとにいろいろな表情の琵琶湖。決して見飽きることはない。たぶん、この先、ずっとだろう。

今日のヘダーもいい感じ。

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 いつものことながらグーグルのヘッダーはいい感じ。ヘッダー画像を変更するだけでなんかグーグルっていいなぁ~と思えてしまいます。これもひとえに企業努力なんですね。何事も作りハっぱなはダメですね。誠に反省するのみ。

ファイティング・エイド 01 2010.05.08

 いよいよ、明日(5月8日)、新宿FACEでファイティングエイドVol.01が開催されます。パンレットに携わらせて頂き、このような素晴らしいプロジェクトに参加できて本当に光栄だと思っております。本来なら会場に足を運びたい。大塚や幡ケ谷に住んでいた頃なら自転車ですぐなのに・・・。でも、実行委員会の皆様はこれが伝説の第1ページとして次のステージのプロジェクトも進行中だとか。その次のタイミングではぜひ現場・会場に足を運びたいと考えております。

 前日~当日~打ち上げ?などの風景も写真が到着次第にこのブログでも紹介させていただきます。ハヤブサさんの歌はかなりしびれるだろうなぁ~。さてさて、どんな伝説の1ページが幕を開くのでしょう?リングの上で汗や血を流して戦うという、ヒートアップした状況を観た会場の皆様、そして、それをメディアを通して知った皆様に、主催者である甲斐先生のメッセージがしっかりと届くことを願っております。政治家の皆様も口先だけで踊っていないで、熱い人達とたまには同じステージに立たれてはいかが?浅香光代さんは滑稽でしたが、とても、感動しました。ステージに上がれないのなら応援に徹するべきですね。中途半端な公約などガヤかヤジにしか聞こえませんよ。

 甲斐先生、三澤先生、無理をしないでくださいませ。

ペピーノ観察日記スタート。

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 無事、新しい鉢に馴染んでくれました。茎の下の部分から小さいな葉が少しづつ出てきました。あまりスーパーでも見たことのないペピーノ。さてさて、どのような実になるのか?というよりも、ちゃんと実は生るのか?いろいろ他のサイトを確認しながら、育て方を研究したいと思っております。なにやらお味的にはメロンのようなキュウリのようなウリのような・・・との情報がありましたが、味のことよりも、何よりちゃんと実が成立するまでしっかりと育てたいと思っております。

 で、ということで、ペピーノ観察日記スタートです。

ドングリ元気に植え換え。

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 わさぁ~と生えてきたどんぐりを少し分けました。このままここでどれぐらいまで大きくなることやら。そこそこ成長したら次は大地に・・・と考えております。まずは今のところ元気元気。

 で、初めて知ったのですが、この段階でまだドングリの根って土の上ぐらいの長さとか太さだと思って土を掘ったら、いやいや、根の太さは茎の3倍ぐらいあり、長さも土の上より長いんです。へぇ~、土の上よりも実は地面の下の方が逞しいのか・・・とちょっとオドロキ。ヒトもこうありたいもの。実は見た目より目に見えない土の下の方が強い感じなんです・・・みたいな。

賤ケ岳より奥琵琶湖を望む。

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 これは琵琶湖八景のひとつ。奥琵琶湖の賤ケ岳から奥琵琶湖を望んだアングルです。ガスってるのでいまひとつですが、それでもこの入り組んだ入り江の感じは奥琵琶湖ならでの風景です。琵琶湖の美しい風景のひとつですね。

ボックス!

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 アリスの前に映画「ボックス!」の告知版を確認。そして、同時に昨日、原作本の上下を読み終えました。なかなか熱い。物語は非常にシンプルですし、難解さはまったくありませんが、強い物語でした。そのテンションが100%映画になっているとは思えませんが、映画は映画のリアリティーがありますから、役者さん、特に市原クンの演技や筧さんの演技に注目したい。また、舞台が大阪ってことで、知らない大阪の表情がチョイスされているだろうからそれも映画での楽しみですね。小説の中にはよく知っている場面が多く登場したので、そのシーンの中の風景も楽しみです。天王寺動物園も楽しみですし、新今宮駅の周辺も楽しみのひとつですね。

アリス・イン・ワンダーランド。

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 いやいや、さすがである。原作のテイストを映像化するって、しかも、新しい物語として。どうなってるだろうかという部分で非常に興味がありましたが、いやいや、さすが。ルイス・キャロルの世界が最新の映像美術でこうなるのか・・・という感嘆感動感激のひとときでした。しかし、まぁ、J.ディップは怪奇な俳優である。アリスの衣装、登場キャラのリアリティー、物語のシンプルな強さ加減、音楽、美術、動き・・・まったくスキのない作品でした。またまた、DVDが楽しみです。

ツイッター文化。

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 やはり、どうしても、「ツイッター」が気になる。世の中のスタンダードを全部受けれていたら胃がいくつあってもキリがないのだけれど、書店でこうも「ツイッター」の啓蒙とうか洗礼を受けてしまうとどうしても触手が伸びる。また、別にこれをどうしたところで何か支障があるわけでもないだろうに・・・と少しすつメガネが外れていく。これも広告効果という奴だろう。で、手にしたこの自称スタートアップガイド。読めば、だいたいのガイドラインは思っていたようなもの。で、活用術の部分を細かく確認してもそうそう革新的なことは書かれていない。つまり、世の中のニーズとはいたってシンプルであると気づく。「140文字のつぶやき」。たかがつぶやき、されど・・・なのである。

 「ツイッターとはそもそも有名人・著名人の道具である。」とまずこのマガジンは言っている。その上で一般の人にもこの道具は有効ですという啓蒙が始まるわけですが、つぶやき→フォロー→つぶやくというループが昨今のデジタルデバイスの浸透率とこれほどマッチした仕組みはなく、どちらがにわとりでどちらがたまごだっていうことなどさて置き、まずは始めてみましょう!というのがこのマガジンの真意だろう。それはそれでとても理解できる。今さら、ツイッターの仕組みや効果や歴史を知ったところであまり意味はないしそんな複雑な便利さを一般の人が求めているわけもなく、1Q~のようなシンプルで理解しやすいテイのつまり、数値で言えば85~90ぐらいの人がターゲットだろう。つまり、いくら便利で売れているデバイスでも110以上のつぶやきは重いということ。

 で、つまり、ここが一番の本丸ではあるが、ツイッターにみる現代のコミュニケーションを考察する時、ポイントはどう便利かではなく、どうニーズに反応できるかでもなく、何事も受け入れやすさが重要なのである。難解で会得に時間が必要なことにはあまり反応しないニーズが世の中を動かし、それが新しいニーズ層になっている。この鉱脈を発見した人やこの鉱脈を仮想空間に創出した人は素晴らしい。それになりの恩恵を受けているだろう。が、やはり、ノビシロの少ないデバイスはバージョンアップのサイクルも激しく、獲得したニーズを右往左往させることになる場合が多いだろう。が、それもすでに予定調和であるからこのテイがまかり通るという仕組みだろう。

 そこまで考えさせるツイッター。さてさて、どのタイミングでダイブしようか・・・。

脳からストレスを消す技術。

 サンマーク出版の「脳からストレスを消す技術 有田秀穂著(東邦大学医学部教授)」という本がある。まだ、購入していませんが、たぶん、書店でぶらぶらしていて覚えてて発見したら購入するでしょう。「セロトニンと涙が人生を変える」とあり、人はストレスに勝てません。ならば、消せばいいのです。とある。そして、広告の文面には◎太陽の光を浴びると、ストレスが消える。◎ウォーキングやランニングなどのリズム運動を実践すべし、なんと、ガムを噛むだけでも効果があり。◎トントンと家族や恋人の身体に触れるだけで癒される。◎週末号泣で一週間分の疲れがリセットできる!などといろいろなtipsが列挙されている。これもどうやらテレビ発信系の情報のようですが、最近のテレビと言えばこのテイが多い。茂木さんが登場して脳とは・・・みたいな切り口でヒトについて語る流れ。

 昨晩観たテレビ情報では、頭の中に今から自分が何かに挑戦しようとするとき、成功のイメージといっしょに失敗のイメージを用意しておくとこで、集中力が向上して自分の力が十分に発揮できると言っていた。失敗のイメージをあらかじめ何パターンか用意しておくことで、仮に小さい失敗をした時に脳がパニックにならずにその失敗を払拭する成功のモードへ転換してくれるとのこと。ここ一番の失敗できな場面ではこの手法はとても有効に思える。が、失敗のイメージが強すぎるとそれに飲み込まれ委縮してしまうと思っていたが、実は、ここでもバランスなのである。

 で、ストレスを消す技術とこの著者は言っているが、これも多分バランス重視だろう。現代のストレスは非常に多様化していると言われているが、どの程度、どの時代と比べてどれぐらい多様化されているとは聞いたことがない。ぼんやりと多様化されているストレスに向かって何をどうすれば、ココイチで発揮できるチカラを貯えさらに新しい技術を会得できるだろう。現在、取り組んでいることが果たして今設定している目標設定にマッチしているのだろうか?そのノビシロが多様だとなると、それに対応するために、人も時代の多様を追いかける必要があるのだろうか。いや、その部分もたぶんバランスだろう。

 感動がストレスをリセットしてくれるといアプローチもなんとなく理解できるが、そうそう、感動することも次から次へと降臨するはずもなく、自分にとっての感動を知っていなければ、不規則に訪れるだろう感動を待つしかない。が、突然、感動・感激が訪れた時に素直にそれを受け入れるためにも、やはり、リミッターをいつでも解除できるようにだけはしておく必要があるようです。

 さて、そこまで自分の脳が器用なのだろうかと考えはじめると、それもそれはそれで結構なストレスである。

懲りないカラス。

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 また、カラス君が電柱に巣を作り始めた。たぶん卵の時期なのだろう。銜えてきた来た枝が電柱の下にいっぱい落ちている。でも、着実に巣は完成の方向。しかし、電線に止まった状態でフンをするものだから下においてある車の屋根が真っ白。どうやら、以前にも2回ほど長浜市の職員さんに高所作業車で撤去されているのに懲りていない。何故この場所がそれほど巣を作るのに適しているのか、それはカラス本人に確認してみなければ不明ですが、どうやら、何かの理由でこの場所がいいのだろう。近くにある神社では複数のグループが生活圏を争いバトルを繰り広げているらしい。その程度ならいいが、こうも目の前に枝が落ちたりフンが落ちたりとなるとちょっと迷惑。これが、自分の車の上なら即空気銃で追い払いたいところ。

 カラス自体は身近なトリなのでゴミを漁ったりしなければ、無害とも言えるよき隣人だと思うが、やはり、彼らも自分の生活圏を脅かされると攻撃モードになる。それは、ヒトとて同じだろう。今朝もせっせと加えてきた枝を差し込んで巣を作っている。たぶん、休み明けに市役所の方が来てこの巣は撤去だろうに。

オルセー美術館展2010「ポスト印象派」。

 今月26日から8月16日まで東京都港区六本木の国立新美術館に「オルセー美術館展2010」がやってくる。たぶん、日本でこれらの絵画を見れるのは最後だと言われている。う~ん、これは必須。必須過ぎてテンションが今の段階、というか、これを知った1月頃から上がって上がって下がらない。それが、いよいよ今月末からなのである。名画の原画には写真や映像を介して見るよりも自分の目で見て、それを一定の距離感で感じることの方が、100~1000倍のリアリティーがある。しかも、それを見ている感じている以外のsomethingが必ずその射程圏内に在る。それはその場でしか決して得られない何か?それが必ずそこにあると思うと、テンションが下がらない。

一生折れない自信の作り方。

 アチーブメント出版の話題のビジネス新書「一生折れない自信の作り方」青木仁志著、¥1,365である。アチーブメント出版というのをまずあまり聞いたことがないので、また、公式WEBでも確認しよう。「人は誰でもよくなれます。人生はどこからでもやり直せます。」ってことですが、まず、このテイの書籍は的がはずれているので買うこともないし、書店で平積みになっていてもスルー。ただ、気になるのはこの著者が「自信」をどう定義しているか?の部分。そののびしろが適正であれば、この書籍はこれで成立するだろうと思う程度。

 しかし、このテイの書籍が売れる。つまり、ニーズがあるという今の現代が非常に不透明で不思議。広告面を読めば24万人の研修実績を誇る人材育成トレーナーという経歴を著者は持っておられるみたい。24万人という物理定数、研修実績の内訳、人材育成トレーナーの経歴がどう自信と綾をなすのか?この段階までは広告を読めばファーストインスピレーションで感じられることだが、さてさて、その真意やたるや真価はいかに・・・で¥1,365を出費する気にはなれないなれない。

 そもそも、人材育成の研修で人生が変えられるわけがない。もし、万が一、変えられたとしたら、それは、研修が原因ではなく、「変わる」が必然だったに過ぎず、感覚として「変わった」と自覚できただけのお話。それが本当に相対的にも絶対的にも「変わった」のか?と確認する術はこの研修のシナリオの中だけのお話。世の中はそんなにシンプルな構造ではない。だから、結果、変ったと感じる、変ったと思えた人へのギフトが研修に費やした費用や時間と相当だったということだろう。

 以前、若い時に、友人に進められ3日間の人材育成か啓蒙のセミナーを受けた。全く興味もなく、気もち的には0テンションだったが、どうしてもという友人からの言葉だけに反応した。が、結果は明確。無駄な3日間だった。そこにいる人間を観察できたことは非常に意義が価値があったが、それにしてはコストパフォーマンスの設定がM・U・R・I、無理である。ただ、友人は満足そうだったのでそれでいいかと。う~ん、若い頃だったので時間の使い方に迷いがあったのでしょう。それが、自分の中のこのテイの象徴になっているから、まだまだ、視野が狭いのかもしれませんが、ただ、興味が0なのに、その時間には踏み込めない。絶対。

 怖いのか?何か変えられることが心配なのか?それほど自分を守りたいのか?とそれからもいろいろな場面でいろいろな方から人材育成のセミナーや啓発関係に誘われたが、答はNOである。中には気功の先生に会いましょう的なマユツバの結晶のようなお言葉もいただいたが、これについては失笑である。

 で、逆にそれらの皆様に返したい。「何故私がそれを怖いと思うのか?」「変えらるこが何故心配なのか?」「守って何が悪いのか?」と。が、この言葉は飲み込んだ。それは、コミュニケーションではなからである。石を投げて石を投げて何も生まれないからである。石を投げられたらしっかり受け取ってその言葉の言葉の重さや質やカタチやサイズを確認しなければいけないからである。そして、捨てるのかいつも手元に置いておくのかを決めればいい。と同様に、ヒトに言葉を投げる時はその逆だから、これらのことに留意しています。

 それができることが、私は唯一の「自信」だと思います。さて、この著者と文脈・論理の差異を確認することはないだろうが、私の場合「自信」とはそれ。

さぎのいる姉川。

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 しばらく見ていたが不動で魚を待っているのだろう。川面に一匹のさぎ。ハンティングの真髄は獲物に向かうことではなく、じっと獲物を待つことが基本。そして、自分のフィールドに入ってきた瞬間に迷わずアタックするが基本。餌(魚)は絶対に水の中にいる。しかし、食べるため腹を満足させるためには待つことが大切である。インターネットも仕事も同じ。限界を超えて飛び回り獲物が見つかると言えばそうではない。追えば逃げるのが獲物であることを知っているさぎはじっと待つ。タイミングをモノにできるかできなかはさぎ次第。人生も同じかもしれないですね。って、話が広がり過ぎた・・・。

これは何の意味がある!?

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 これはどういう意味があるのか?losのオブジェへのオマージュ?とにかく何かこの場所に置きたかったのか?これを見て何を感じればいいのか?いつも気なっていた。改めて間近でそれを見ても同じ気持ちにしかなれなかった。残念。

いっぱい散歩。

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 自転車につないでの散歩開始。10分でペースダウン。そこから、ほぼ1時間自転車を押しながら公園に到着。いっぱい歩きましたね。お疲れ様。

琵琶湖の風景5月2日。

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 いい天気。少し濁っている琵琶湖。遠くの景色はカスミでぼけている。湖面のキラキラがなんとも素敵な瞬間でした。

街の中のアート。

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 ふと目に止まった街の中の気になるアート。モニュメントひとつにその地域のその街のアートに対する観念が反映される。いくらヒトが頭で考えてアートの街にしようとしても、イベントを繰り返してもどうにもこうにもアートにはならない街がある。それが例えアートの街。文化の街と呼称できていても。それほどアートは難しいというかつかみどころがない存在だからである。アートに魅力を感じているがなかなかアートを身近に引き寄せることは難しい。

 例えば、この石のモニュメント。何気に街のスペースに置いてあるが、これをこの街の人が見てどう考えるか、もしくはこれを置いた人、創った人の考えがどれほどこの存在感の中から発散さているかが疑問である。湖畔にアートを並べたらその湖畔にヒトが来るのか?里山にアートを並べればその里山に付加価値が装着できるか?いずれもNOである。しかし、そんな「アートだのみ思考」があまりにも氾濫しているように思います。どれだけアートを頭で理解しても心や魂で感じていない人が、アートの価値を貨幣やタイミングで選んでそこに置いただけということが、決してアートの種をそこの場所に植えていないから。何が土で何が水で何が光かを知る必要がある。まちづくり、まちおこし、文化事業、ベラベラベラ。アートのたれながし状態。薄い軽いみすぼらしい。日本には日本のアートがある。それは、絶対にアートという世界観の中の日本であるべきであり、これが本末転倒するとそれはもうアートではなくなる。

 文化事業を語る前に自分のポテンシャルに合った身の丈の言葉を選んで欲しいと思う瞬間があった。彼らは彼らなりに与えられた業務を消化して時を浪費している。でも、成立する不思議な存在。もう、開口一番でお疲れ様状態。引いてはその人の人生に対しても過去形になってしまう。まるで、言葉を持たないこの街の中の不思議なアート作品のように。沈黙は金。

何ごともヒトっぽく。

 iPodタッチの車のCMいいですねぇ~。M社もA社も最初はもっともっとコンピューターっぽいインターフェイスを駆使していたのに、徐々になんだか便利=アナログ=最新技術という流れになってきました。これも一重に技術革新のなせる技なんでしょうが、結果、ヒトがマシンを設計しているってことでマシンはヒトよりに進化していくのでしょう。最近は会社を出てノートで仕事をする人を遊牧民と呼ぶらしいが、それも、また、味気ない、妙なプレッシャーのかかる空間ではヒトの頭のトルクが上がらないということにやっと気がついた。ということだろう。

 マシンを使うって感覚でつまみを回す感覚とかアナログのメモリを確認するとかカチカチとスイッチのオンオフ感も最初は、「おおっ!私は今パソコンを使っている」感に浸れたのかもしれませんが、今は指先でちょい。そして、次は3Dで、二つの眼でリアリティーを感じたいというわけ。そこにマシンらしさはなく、どこまでもヒトの五感を刺激するっていうテイでの進化・進歩があるのでしょう。

 G.W.初日、私はこれまでできなかったモロモロに平常どおり午前7時前からPCの前、ゆったりした気分で新しいDELLの設定やCS4マスコレのインストールを始めています。新しいDELLは2.93GHzが8発ってことで快適そのもの。まだまだ、その実力は重いレンダリングをしてみないと実感・体感できないでしょうけれど、まっさらのHDDに新しいソフトをひとつひとつ入れていく作業って大変ですが、これがまた楽し。まっ白いキャンバスにひと筆ひと筆絵具をのせて一枚の絵を描く感覚。時に筆が乱れたり、色が濁ったりするが、それもまた絵。絵を描くことに例えるなら、仕事でイラストなら締め切りありきですが、この場合はずっと描き続けてる感覚。油絵もそうですが、通常、一枚の油絵を描くって基本的にはエンドレス。終わりはなく、便宜上の終わりが完成となるが、PCも同じかもしれません。ただ、メーカーが勝手に終わらせる場合とPCの寿命でオダブツって場合もあります。なかなか、大往生はないが古いPCがなかなか捨てられないのもヒトならではの感覚。

華名さんの雄姿。

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 「カナプロ」での華名さんのリング上での雄姿。う~ん、カッコイイですね。