さようなら、D.ホッパー。

 いわゆる映画マニアの人達は生粋な部分があり、いろいろな方とお話をさせていただくたびに、まだまだ自分自身の映画の観方や接し方は生ぬるいと感じることが多い。それらの方たちは真髄が「映画を心から愛している人」なので、私の表面的な知識やそれらしい洞察では到底届かないぐらいの世界観をお持ちです。しかし、そんな時でも私は私なりに映画への愛情を語らせていただくと、そういう皆様は大きく受け止めてくださる。「なるほどそいういう観方もあるのですね。」と。明らかに映画に対する熱意や愛情が私の方が微弱であるにもかかわらず。すると、映画を通して映画の分野の人たちとの会話は私自身の「映画」ということの意義を学ばせてくれるし、そのコメントを通してまたまた映画が好きになる。このどこまでも続く正のループ。スパイラルに上昇するベクトルのその上に映画芸術の星が輝いているのだろう。

 D.ホッパー氏もたぶんそこへ召されたと考えられる。映画人の皆様に語らせると「D.ホッパー=イージーライダー」ということになるのですが、この映画だけはまだ私の映画のパンドラの箱から出していません。適正な機会を失った名作を入れている映画のパンドラの箱。いわゆる名作と呼ばれている映画が入っているわけですが、「イージーライダー」も確実に入っています。何故観ないのか?は明確な理由がありませんが、いつか観たいと思っているが今はそのタイミングではないと思ったからです。でも、このタイミングなのかなと思っています。

 で、私のD.ホッパー像は「トゥルーロマンス」のクラレンスの父親が全てです。このイメージが一番強烈でした。C.ウォーケンとのあのワンシーンは今でも鮮明に蘇ってきます。二人の会話のを何回も何回も英語で覚えたほど、そのシーンは数ある名シーンの中のひとつとして頭に刻み込まれているようです。あれを超えるシーンは想定できません。J.ニコルソンの「カッコー~」のように、デーニロの「タクシー~」ように、H.カイテルの「レザボア~」のように。

 さようなら、D.ホッパー様。改めて初「イージー~」を鑑賞させていただきます。