街の中のアート。

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 ふと目に止まった街の中の気になるアート。モニュメントひとつにその地域のその街のアートに対する観念が反映される。いくらヒトが頭で考えてアートの街にしようとしても、イベントを繰り返してもどうにもこうにもアートにはならない街がある。それが例えアートの街。文化の街と呼称できていても。それほどアートは難しいというかつかみどころがない存在だからである。アートに魅力を感じているがなかなかアートを身近に引き寄せることは難しい。

 例えば、この石のモニュメント。何気に街のスペースに置いてあるが、これをこの街の人が見てどう考えるか、もしくはこれを置いた人、創った人の考えがどれほどこの存在感の中から発散さているかが疑問である。湖畔にアートを並べたらその湖畔にヒトが来るのか?里山にアートを並べればその里山に付加価値が装着できるか?いずれもNOである。しかし、そんな「アートだのみ思考」があまりにも氾濫しているように思います。どれだけアートを頭で理解しても心や魂で感じていない人が、アートの価値を貨幣やタイミングで選んでそこに置いただけということが、決してアートの種をそこの場所に植えていないから。何が土で何が水で何が光かを知る必要がある。まちづくり、まちおこし、文化事業、ベラベラベラ。アートのたれながし状態。薄い軽いみすぼらしい。日本には日本のアートがある。それは、絶対にアートという世界観の中の日本であるべきであり、これが本末転倒するとそれはもうアートではなくなる。

 文化事業を語る前に自分のポテンシャルに合った身の丈の言葉を選んで欲しいと思う瞬間があった。彼らは彼らなりに与えられた業務を消化して時を浪費している。でも、成立する不思議な存在。もう、開口一番でお疲れ様状態。引いてはその人の人生に対しても過去形になってしまう。まるで、言葉を持たないこの街の中の不思議なアート作品のように。沈黙は金。