デザイン思考というアプローチ。

 本文より抜粋。「それでも、テクノロジーの進化はとどまることを知らない。インターネットが火をつけたコミュニケーション革命によって、人々は今までにない方法でつながり合い、考えを共有し、新しいアイディアを生み出せるようになった。生物学、化学、物理学といった科学は、バイオテクノロジーやナノテクノロジーといった形で融合し、命を救う医薬品や驚くべき新素材の開発を期待させている。しかし、こういった目をみはる進展とは裏腹に、われわれの不吉な運命は改善の兆しを見せていない。むしろ、その逆だ。」とある。この問いに対して、次の文節では「必要なのは新たな選択肢」と続く。

 まさにである、誰しもそれを心の片隅に抱えてインターネットに接している実感があるのではないだろうか。進化とパラレルで退化する大切なモノ。それが大切か大切でないかは多様だいう言い訳で遠巻きにしている状態は本当の危機的な状況ではないからであり、それが、本当に危機のドストライク状態になった時、これらの技術がもう生活や人生と融合してしまったり、その中で(ご都合的に仮想現実と呼ばれている)すべてが完結せざるを得ない状況でどう対処すればいい?

 で、これらをすべて既成概念としてしまっていることが枠としてあるのならば、常に出口のドアに手をかけている状態でこれらの枠を俯瞰していたいと思います。しかし、この枠に距離を置いているタイプはどうなる。枠に対してシンプルに外と中なら話は非常に安直ではあるが、世の中そうもシンプルではない構造を呈している。外だから安心、中だから不安という構図ではない。それこそもう3D的考察が必要な状態と言えるのではないだろうか。そうなると、さらに、相対性の問題も深い関連味を帯びてくる。つまり、物事の論理が縦糸と横糸なら網目を見れば綾の不確実が理解できるが、その軸に向こうからやってくるドローの糸が絡み、それが、縦横無尽に時に回転しときに拡大縮小を繰り返す世界にあって、もう、これは外、これは中という方法論が成立しなくなる。それが、最終的にヒトが作り出した世界であるなら、ヒトとしていずれは馴染むだろうが・・・。

 デザイン思考とはもうそこまでを思考の対象にしなければいけないと想定される。次の瞬間、ロンドンの森の中に立っているようなリアリティー。そこで出会った誰かに何かを語りかけるようなSOMETHIONG。