絆とは?

 人は何かと「絆」を大切にしたがるが、そもそもその場合の絆とは何だろう?それが絆であること、その絆が存在する理由や背景に目を向ければ、どんな状況でも何がなんでも絆を結ぼうと努力するがそれで無理やり得た「絆らしきモノ」で人間関係は絶対に活性化しない。どちらかと言えばすでに存在する絆を無視して頭で考えすぎた絆もどきに依存し固定観念や先入観で絆の存在を捉えて安心している節があるのではないでしょうか。「絆」はミラクル接着剤でもウルトラハブでもスペシャル培養液でもない。つまり、大切なことは絆自体ではなく、すでに何らかの形骸化している関係性に対して自分自身がどう向き合うかで「絆」を自分の方向へ、そして、相手のベクトルへ向わせることができる。「絆」とはそういう存在でいいのではないでしょうか。

 今、手の中には野球のボールがある。誰かにそれを受け取ってもらいたい。もしくは、ボールを投げる、相手がそれをバットで打つといった構図のそのボールが実は「絆」でいいのではないかと。ボールを投げる技術、受ける技術、打つ技術、そして、その一連を観覧席で観る楽しさ。三振、ファインプレイ、クロスプレイ、ホームラン、ゲームセット。ボールが様々な場面で様々なドラマを作る。

 自分自身が国民から信頼を得られなくなり起死回生の黄金のボールを手中に強引に得たとしても、それは何のため?あなたがフィールドに降りてきて誰かとキャッチボールするため?誰もそんなボールは受けませんよ。逆に黄金のボールにとってあなたはただの弾まない空気の抜けた貧弱なボールなのかもしれませんよ。野球をなめるなとの観覧席からブーイングが聞こえないのでしょうか。