蓮舫さんの苦笑い。

 仕分けられている事業団体は必然なのか偶然なのかはさて置き、こちら側にいる蓮舫さんたちと向こう側の雁首の対比がなんともゆかいな仲間達である。まぁ、実際にその現場がどのような空気でどのような公開~が展開されているのかは一部分の映像だけでは判断できませんし、一部分ということはその中の真実とも限らない。だから、テレビの映像と抽出された言葉の綾とりで何が分かるというレベルではないにしても、ないにしても・・・である。

 やはり、向こう側の人間のあのふわふわした弁証やあの視線の踊り加減や不可解なロジックやその場しのぎの定数提示には、そりゃ、蓮舫さんも苦笑いだろう。絶対にあの場所で向こう側に座っている人と知りあいにはなりたくない。めぐりめぐってどこかでつながっているとしても、あのうつろな蛇の前のカエル達が論理の行き場を失い取り付く島を失う風景は滑稽である。それなりにその世界でどんな不条理の上に成立したそれぞれの虚栄の人生観であったとしても、それなりの捩じれたプライドでもいいから、せめて、テレビカメラが回っている時は堂々としていてほしいですね。悪さをした幼稚園児でももう少し毅然としていますね。憮然にも憮然なりのそうなるほど頭の中が空洞なのかあの存在感の滑稽さは久々にテレビを観てお笑い番組以外に笑えた。
 
 蓮舫さん、ちょっとはテレビの空気を持っている人なんだから、あのふわふわした弁証に対して、なれてなくてもいいので、ひとこと、呟いてほしかったなぁ~。あの知的な表情でクールなトーンで「なんでやねん!」と。

 実は仕分けられているのは団体でも企業でも組織でもなく、向こうの席に座っている人自身かもしれない。仕分けられた人にはさらに誰かを仕分け、最後の最後の人が仕分けられたぁ~と呟く時、あの蓮舫さんの苦笑いが完結する。しかし、何事もこの世界は偶然の連立方程式。いつ向こう側に座るやもしれないし、いつこちら側で苦笑いをこぼしているかもしれない。が、少なくともこちら側に座っている人達のポテンシャルの高さと軸のゆるぎなさはキラキラと目から口から身体から発散されていた。それが向こう側の人たちにはかなりまぶしかったようですね。これが人の持つ「覇気」のチカラかもしれない。