2010年06月 アーカイブ

今から東京へ。

 昨日は暑かった。この調子で暑いとちょっといやかなぁ~と思っておりましたら、本日から当分雨のようです。東京に行くと結構歩くので、暑いのはちょっと・・・。雨でひと安心。今日は運命のパラグアイ戦です。その頃は川崎にいる予定ですが、妙なファンの暴動に出くわさないことを祈念しつつ・・・。オルセー楽しみ。

夏日ぃ~~~!

 昨日までの豪雨が嘘のように本日は夏のような日差しが・・・。明日から東京、暑いだろうなぁ~。雨の方がいいなぁ~。歩くしなぁ~。

M003 Google Androidタブレットか!

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 出てくる出てくる対抗馬。しかも、安いですねぇ~。動作環境はどの程度なのだろう?どんなブラウザなんだろう?flashが走ればかなりiPadは劣性ですね。アプリの数だけではイニシアティブはとれないですねぇ~。結局、同じ展開かな???

メダカちゃんの住まい。

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 こちらがメインの水槽です。サイズはh350mm×w600mm×d350mmで、メダカちゃん達にはちょっと大き過ぎるぐらいなのですが、以前に何か飼っていたモノを使っています。で、手前が第3世代の25匹が入っている小さい水槽で、その奥の水槽が生まれた卵を一旦移動している孵化用の水槽です。濾過装置もいろいろ試したのですが、基本的なちょっと大きめのぶくぶくを1個沈めているだけです。メダカちゃんはあまり糞をしないので、餌で水が濁る程度なのですが、それでも、大量の餌を食べているわけではないので、水の交換も多くて月2、冬などは2~3ヶ月は水温の変化に敏感なので、少々汚れててもメダカちゃん達は元気でした。今孵化している奴、これから生まれる第3世代はこの水槽で一緒になるサイズまで大きくなるまで、もう一つ、そこそこ大きい水槽が必要かなと思っております。それも、すでに用意してあるので、我が家には現在メダカちゃん用に水槽が4つあります。

 朝と夕のごはんタイムには水面に集まるんですよ。可愛いい!!!

Flash Rich Contentsは両刃!?

 WEBサイトの中で画像を動かすという技術はいろいろありますが、中でも一番の認知度となるとFLASHコンテンツになるのでしょう。ひと昔ならRIAとするリッチコンテンツが猫も杓子も状態で、ちょっと画像を効果的に動かすために大きな企業でもWEBの知識のある方にFLASHを与えて、プレゼンテーションの資料づくりとかWEBコンテンツのリニューアルとかが展開されていたそうです。私自身は大きな企業にいた経験もなく、会社から与えられるFLASHで勉強させていただいた経験もないものですから、この場合の担当者の気持ちは分らない。が、「どう動かすのか」ということだけに注視してもそのオペレイトの幅は広く深い。

 始点と終点、動かすコマ数、画像なのか文字なのか、直線なのか曲線なのか回転なのかF.I.なのかF.O.なのか、2Dなのか3Dなのか?平面的なワードやパワポレベル(創り込みをしたことがないためにこの系のソフトの奥義を知らないためだけです。)なら、たぶん、大企業さんなら100人中、85人ぐらいはそのスキルがあるだろう。が、動的な効果を感覚として持ち、上司!?からの無理難題を正確にFLASHに適用するスキルを持った人材となると、たぶん、3人はいないだろう。ここに大企業の内省化の裏があり陰がある。この程度を外注すれば予算がかかるために、ソフトウエアだけを与えれば「ちょっと動かす」はできるだろうという97人の意識が外注することよりも多くの機会費用を創り出していることに気がつかない場合も多い。つまり、知らない人は強いわけである。強い=無能とは語弊があるが、使わない人と一度でも使った人の間にある谷は意外と想定外に深い。

 世の中、APPLEがFLASHを見切って、さらに安定したWEB環境づくりに取り組んでいる。アドビもそに対応してFLASHでその環境に適合した形式の書き出しを練り込んでいる。つまり、企画書データ、プレゼンテーションデータ、そして、WEBデータに置いて、「ちょっと動かす」だけでは、もう、リッチとは呼べないほどこの樹木は大きくなっているということ。これは、アドビのWEBサイトを確認すればその変遷は情報として知ることは誰でもできるが、知るのディテールがそれを使っている人と使っていない人の格差たるや、0と1に近い。0とはいつまでも0であり、1は2になり3になる可変の法則に準拠する。

 で、片方の刃で相手が切れても、同時に自分の手も切っててはとても生産的・合理的とは言えない。まだまだ、FLASHに関する一喜一憂はあるだろうが、そこは乗りかかった船。この海をどこかに向かっていると思いたいし、自分の羅針盤を信じて、ワンピースを目指したいものです。

おかえりなさい!はやぶさ。

 「今から7年前、われらが探査機「はやぶさ」は、太陽系誕生の鍵を握る小惑星「イトカワ」へと旅立った。表面の砂を採取し持ち帰るという史上初のミッションを果たすために・・・。エンジン故障、姿勢制御装置の不具合など数々のトラブルを乗り越え、己の役目を果たし、燃え尽きたはやぶさ。その未曽有の偉業と、満身創痍の探査機を操る精鋭チーム「宇宙研」の物語。不屈の精神と情熱、執念、日本人が忘れかけていた魂がここある。」とのこと。これは、京都大学工学博士 吉田武さんの著書「はやぶさ~不死身の探査機と宇宙研の物語~」の新聞広告文です。これは、新聞の記事ではじめて知ったのですが、その新聞の記事にはこの偉業のディテールの詳細が記載されていた。いかにこの宇宙研の取り組みが偉業であり、どのような熱意と執念と思考錯誤があったかが書かれていた。そして、次のプロジェクトへの予算のことにも触れていた。なかなか、今の日本の仕組みはふわふわとした政治の政権取りのお話や事業仕分けがスポットライトをあび、本当に意義のある研究や人材に対する日本としてのサポートが微弱であると書かれていた。極端なお話、無能な官僚達、椅子を温めているだけの議員さんを80%ほどカットしてあとはクラウド内のシステムに管理をまかせ、本当に人が携わらなければ最前線の判断をしなければいけないポストの人だけで政治を活性化して頂き、その給料を宇宙研究や10年後30年後50年後の日本のために使ってほしいと思いますね。

 選挙ウイークが始まって長浜でもステレオタイプのスピーチを垂れ流している車が走っている。いつもいつもいっしょのことを貴重なガソリンを使って市民の耳を煩わせる人たち。まぁ、それはそれでいいのかもしれないが、情報時代に逆行するような街頭演説のリアリティーを見るにつけ、不規則な文脈と軽い言葉の質量に気分が滅入る。あんたたちもはやぶさのようにもえつきる覚悟はあるのか?と握手を求められたら耳元で囁いてみたいものです。
 
 原理主義にも二元論にもはじかれた閉塞感漂う日本政治のフレーム。資本主義の構造が大きく変化しようとしているのに、古き良き時代のルーティーンを繰り返すステレオタイプたち。ただ汗を出せば、ただ手を振り握手をしていれば伝わっていると信じている薄い人間像。願えばいつでも神風が吹くと信じているのなら、もう喜劇である。これらが、政治というスクリーンに映し出されている絵はなんとも見るに堪えない。政治とは何なのか?基本的な根底のお話をできる人が街や県や国のイニィアティブを牽引してほしいものですね。ただ、そんな優秀でモノゴトの本質が「見えている人」は政治の世界には一定の距離を置いているのも事実。だから、淀みに澱が沈殿するのでしょうね。これも自然の摂理。

メダカちゃん第3世代へ。

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 ウチの元気なめだかちゃん。わさわさと朝食に群がっております。すでに第3世代の卵が25匹孵化し別の水槽を元気に泳いでいるわけですが、体長は2mmぐらい。身体は透明で目ん玉だけキョロリ。昨年の経験から今の段階で25匹ということは、夏頃までにはたぶん100匹ペース。最初にご近所からもらってきたのが10匹程度でその中に2匹メスがいてそれが現在第2世代を産み30匹に増えた。この第2世代にはメスが6匹いるので、たぶん、たぶん、同じテイで卵を生み続けてそれが順調に孵化したら・・・のお話。まぁ、30匹もいるといろいろなタイプがいます。朝になると私の姿を確認して真っ先に水面にのぼりピチャピチャしている奴、卵を腹にくっつけて中層を悠々と泳いでいる奴、いつまでも、底にある石の間の餌を丁寧につついている奴。現在、孵化している25匹、そして、今シーズンに孵化するだろうのこりの75匹。また、いろいろなタイプが育っていくことでしょう。

 ほんとにメダカは可愛い。こんなに可愛く、育てやすいとは。変な話、1年間のコストは小さい餌ボトル1個。たぶん、数百円。これで、これだけ元気にたくましく卵をうみ続けている。そこそこ大きな水槽でゆらゆら。特に喧嘩をすることもなく、元気に泳いでいます。人間もこうありたいものですね。

ペピーノついでにゴーヤを。

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 まったく問題なくペピーノは元気に育っています。花もいっぱいつけている。あとはどんな実がなるのか楽しみ。で、ついでにゴーヤを家の西側に植えました。夏の西日対策もかねて、さてさて、はじめてのゴーヤ栽培。以外と過去にいろいろ失敗した「キュウイ」「もろこし」「ブルーベリー」に比べると育てやすいらしい。どうやら、実が大きくなりだしたら、あさがおネットではもたなくなるらしいが、まぁまぁ、希望的観測はこれぐらにして、実が大きくなりだしたら対策を考えたいと思っております。まずは、梅雨のミネナラルな雨と適度な太陽の光で順調につるを伸ばしております。楽しみ楽しみ。

伊吹山から富士山へ。

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 まずは7月ここの頂きに立ち、8月はいよいよ待望の富士山へ。非常に小さいことを気にする私は、この写真の中の信号が赤だったことがとても気になっている。できれば青信号であってほしかったと・・・。

昼間のパパ。

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 ある出版社の企画である地元(長浜)のカメラマンの方に「昼間のパパ」というテーマで写真を撮っていただいた。さて、私自身が被写体になるのは何年ぶり!?照れる以上の状態でうまいことカメラマンに誘導してもらってパチリ。で、その後、どうなったのだろうなぁ~と思っていたら、これはサプライズと捉えていいものか?こんなところに掲載していただいた。他も全国の昼間のパパの写真があっただろうに、こんなど真ん中に、全く僭越のなにものでもない。が、正直うれしさも50%。

 パパは仕事場では輝いている~みたいなノリにこの一枚もストライクだったのだろう。まぁ、メモリアルな一枚になりました。中央上部のグリーンのフリーズでパソコンの前の馬鹿笑いが私です。この私がニュアンス的にさて「パパ」でいいのかという大きな疑問もありますが、「昼間のおやじ」でもよかったかも・・・。

詳しくはこちら(http://papa.pgc.jp/)をご確認ください。

iPadの活用術。

 発売された、在庫がないらしい、対抗馬が控えているなどなど、iPadに関する情報は様々。の割にはまだまだ長浜という土地がらか外でiPadを見かけたことはない。しかし、敏感な人はもうすでに仕事に趣味にとこれを使い始めていることだろう。iPhoneはなんとなく、使い勝手が悪そうだし、宣伝しているほどアプリは使わないだろうとスルーしたが、どうやら、iPadはそうもいかないようです。数万種類のアプリをすべてチェックするわけにはいかないので、どのアプリがどの程度なのかはいずれ専門家の分析結果が情報として出回るだろうからそれを待てばいい。

 まだ、本体に触ったことがない段階なので、なんとも、持ち運び感が未知数ですが、サイズ的には重いノートブックに比べると機動力がありそうですし、バッテリーも10時間は魅力的です。なにより、回線の部分で言えば、3Gをどうするかである。どこでもWiFなんかもあるにはあるが、やはり、お膝元のS.B.で割引料金が嬉しいだろう。それに、電子ブックが注目を得ているが、本は本でええやんと考えているので、例えば、洋書を翻訳しながら読めるということや、資料をしっかりと閲覧してスクリーンショットをPCへメールで送り資料化する。逆に、撮影現場で撮影した写真を大きなサイズで確認するためにとかの活用術がこのデバイスの特筆する機動力のように感じています。

 で、さらに特筆すべきは、動画の閲覧だろう。iTune経由で本当に様々なコンテンツが得られる上、safariでの動画配信サイトからのd.l.は非常に価値がありそう。動画コンテンツの閲覧こそがiPadのもっとも有益なポテンシャルであり、ここから、波及・連携されるビジネスモデルは未曽有のように感じています。たぶん、アプリはおまけでしょうね。常にパワーユーザーがデバイスを牽引するわけで、市場に広く受け入れるためのアプリはルアーでしょうね。結果、ビジネスツール色を表に出し過ぎると一般ユーザーが注目しなくなるからだと思います。

 動画配信もどうやら、Y.T.の独り勝ちではなそうです。現在は最長10分~20分程度を勝負しているようですが、これは、今後、長くなることは間違いなから、そうなった時にこの携帯液晶画面端末がビジネス空間やリビング空間やアウトドアにどんな存在感を示すのか・・・、まだまだ、想定外の未開拓地が多く存在しているように感じています。

 さて、では、どのモデルを購入するかという吟味段階なのですが、動画を貯えようとすると、やはり、64が欲しいところ。回線もいろいろな比較表があるが、一台別に携帯電話を持つつもりなら、別段、射程圏内である。ここで、価値の少ない意味の少ないデバイスに無駄なランニングを注ぐつもりは全くないが、仕事に活用するというベクトルで考えれば、検討するとしたら、64+3Gでいいかなと思っております。

 で、ネックはやはりFLASHとなる。別に動画コンテンツならA.E.とP.R.でどうにでもなりますが、インタラクティブな仕組みを実装しようとした時にどうしても、今の段階では、A.S.3.0が欲しい。iPad用のアプリをSDKでなんとかすることはできそうですが、慣れ親しんだA.S.3.0@FLASHでいろいろ創りたい気持ちが強い。そのうち、アドビがこのあたりをクリアにしてくれるソフトを開発してくれることを期待しつつ、道具としてまずはiPadを使ってみようかいな・・・と。

サムライジャパン、決勝進出おめでとう!

 リアルタイムで観ることはできませんでしたが、岡田ジャパンが2勝目をゲットしました。凄いじゃん!しばらくこの余韻は冷めないでしょうし、またまた、決勝戦でもらしい戦いを展開してほしい。結構、ワールドカップに対して冷ややかな視線を送っていましたが、こうなると話は別モノ。なんだ、結構日本もやるじゃんという感じ。盛り下がるより盛り上がった方がいいわけで、日本のサッカーの歴史に新しい1ページを刻んでいただきたい。

キャンドルナイトinみなと館メインオブジェ完成!

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 こちらに明日は火が灯ります。楽しみ楽しみ。

詳しくはこちらをご確認ください。

キャンドルナトinみなと館

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 明日(25日)から2日間、グリーンホテルYes長浜みなと館さんの1階ロビーで「キャンドルナトinみなと館」が開催されます。時間は午後8時から10時まで。今回はレジンアーティストの白川さんとのコラボです。こちらの写真はメインオブジェの配置中。

詳しくはこちらをご確認ください。

 

WEBデレクションとは?

 一般的にグラフィックデザイナー・WEBデザイナー・イラストレーター・アートデレクターなど、いわゆるヨコモジ商売に携わっていると、「君の仕事はいったい何をやっているのかね?」や「具体的にWEBデザインとは何をしているのですか?」や「イラストレーターって画家とは何か違うの?」というご質問に出会うことが多い。花屋なら花を売っているし、ホテルなら宿泊を売っているし、医者なら健康を売っている。それらを買う人はそれぞれに花が欲しくて、旅を通じて宿泊するための時間を買っているし、健康を害したら健康になるために診察と適正な治療や薬を頂く。これは、誰がどう考えてもそうであるから、仕事の内容を確認することはなく、商品だけを判断してビジネスが成立していると言える。しかし、比較的ではあるが、ヨコモジビジネスはまず何をしているのか?何をしてくれるのか?から理解していただく必要があるし、具体的にポスターが欲しい、WEBサイトのFLASHコンテンツが欲しい、CM用の映像が欲しいとなる前段階に、どんなポスターをいくらで創ってくれるを信頼していただく必要がある。HOW MUCH?なら、誰でもコストで比較はできるものの、デザインのタイプやクオリTィーを理解していただくためには何が一番最適なアプローチであり、戦略なのかといつも、ずっと、考えています。

 逆に自分が花屋さんで今暮らしている人達にお店に来てほしい、また、こんな時代だから、オンランショップを開店して全国に向けてお花という商品を買っていただくためにWEBサイトに企画やキャンペーンはもとよりWEBサイトの仕組みやデザインを実店舗同様にこだわった魅せ方にしたいと考えるだろう。さらに、商品を買っていただくために、品揃えや時期的な旬な商品をリサーチして仕入れ、原価と売価のバランスを吟味するだろう。こんなに実際のビジネスの現場は単純ではないが、基本ラインはこのプロセルである。と、このプロセスの中でデザイナー・デレクター・クリエイターがどう関わらせていただくのかという部分の判断を誤ると、絶対にお客様とのコミュニケーションが途絶える。こちらは一生懸命にご提案を繰り返しても提案の的がずれていると具体的な進展はない。また、こんなタイプのデザインが欲しいと言っていただいているのに、違うタイプを並べても、そこに生産的なコミュニケーションは生まれない。

 また、タイプ的にどこにでもあるような商品であれば、このケースの場合、「どこにでもある商品の本質」を見抜けていないと、いくら適正価格であったとしても、フラストレーションが残留していく。つまり、ある始点から終点までを分解していくと、どの段階でも、しっかりとコミュニケーションできているということが最低条件で、それぞれのプロセスできめの細かい対応やそのルート上の新しいプロならではの提案がのっかっていかなければ、終点にはたどり着けない。これが、どんなボリュームのお仕事であっても、見失ってはいけない指標である。が、時に自分自身のポテンシャルにない、経験値にない事が発生した場合、さらに、0スタートでモノゴトをリサーチできるチカラも必要である。さらにさらに、世の中はいつも同じ状態ではないから、その動向を自分の中にしっかりと未熟でも一片でもいいので認識できていなければいけない。この努力を怠るともう、経験値だけで、教科書通りのコミュニケーションになり、建設的なビジネスが成立しない。国家試験的な免許を取得して一生安泰っていうビジネスならある意味画一的な安心感はあるが、それはそれでオモシロクナイ。だから、この仕事をしているというヒラキナオリ感もある。つまり、何がどう変化しようが、何をどの角度から押し入られようとも、それをすべて受けられる柔軟んな時に強引な時に粘り強い心と身体と技が必要なことも現実である。自由自在に思考を変化させなばら、時流や潮流をリサーチし、自分のポテンシャルへフィードバックさせる力。えらい大義になってしまうが、これを最後の最後で「エンジョイ」っしている人たちがクリエイターだと思います。

 で、WEBデレクションとは?に対してはWEBサイトに関連するありとあらゆることに長け、自分自身でもWEBサイトはどうあるべきかを日夜考え、そして、それを苦もなくエンジョイしている人となる。

 これは、なかなかなかなか、専門の大学や学校を出た人には理解できないだろう。が、専門の学校で基礎知識やスキルを得ていない人も理解できないだろう。PCとソフトが使えて、名刺にデザイナーと印刷しただけではデザイナーになれない理由がそこにある。まして、WEBデザイナー・WEBデレクターも同意である。

本気の度合。

 こんな時代ですから、ぼわぁ~と意識の中に「少なくとも現状維持」という意識があると何かの新聞か雑誌かWEBサイトの記事に書かれてた。うん?もしかしたらどこかからのメルマガかも・・・。と、つまり、ぼわぁ~という意識でなんとか現状維持をしようとする努力を多かれ少なかれ相対的に皆さんがやっているだろうという価値感を彼らは仮定しているわけです。そこから、目標設定はこうあるべき、節約術はこうあるべき、新しい目標設定はこうあるべきと論証して、最後に、売りたい商品をボン!という戦法。

 しかし、いわずもがなこれらはなんの根拠もない。新聞に書いてあったから、テレビで誰かが言っていたから、有名なWEBサイトで芸能人がブログっていたから、この程度の文脈ではとても今の時代、確証は得られないと考えるべき。だから、テレビで二枚目俳優がこの家に住んで良かったぁ~だとか、宝くじをお早めにと煽ったとこで、それに反応するターゲットは逆に減少していく。つまり、マスメディアからの情報のディテールに真価というか信頼度が低下し始めているということ。

 では、市場は何から情報を得ているのか、自分の足で耳で目で得た情報がまず一番の信頼度が高い。しかし、マスメディアやツールを見て聞いて味わってではなく、直接、情報源を自分の五感で感じることで判断しているという仕組みがファーストアプローチである。そして、次は信頼できるネットワークからの情報。家族であったり、友人・知人であったり、個人的なネットワークからの情報がそれに値するのだろう。で、そのネットワークの階層の最後あたりに、マスメディアがおぼろげなキャンドルの光のように揺らいでいる。

 では、こんな今日この頃、何か目標を設定して、それに精進するというプロセスにおいて、自分自身に問いただした時、その目標設定は「いつまでに?」だとか「どこまで?」だとか、さらに、「それは本気か?」と自問自答する場合があると思う。その際の自分自身の「本気モードレベル」はいったい何で計測すればいいのだろう?連呼する、大きな声で叫ぶ、色紙に書き出す、ブログに書き込む、家族に宣言する。いろいろあるが、どれも、ゆるい。本当の決意は絶対に自分の心の中から漏れないモノを指す。たぶん、ブログで「ガチに今年こそ結婚するぞ!」とかテレビで、「私は国民の幸福を心から願って~」とか、「お世話になった皆様のために、応援してくれる皆様のために、この勝負に全力で・・・」とか言っているが、どうも、本気モードで言うとレベルが低い。

 で、これが言わば何かを伝えるというお仕事の場合のひとつの指針やディテールになるので、デザインや WEBの仕事をしている以上、この部分をスルーして教科書通りにソフトウエアで創ったものがデザインですに絶対にならぬよう自分の答をクリエイターとして用意しておく必要があると思っています。それが、この仕事をするために(他の仕事でも勿論同じです)必要な「本気モード」なのではないだろうかと思っているので、まずは、自分に向けて、ブログに吐き出してみました。つまり、上記の論法で言うならば、語らない部分でさらに巨大な本気が自分自身の心の中にあることを願って・・・。

WINDOWS98のニーズ。

 黙視的に新しいソフトウエア、新しいOSばかりに気持ちが奪われてしますが、ふと、考えてみれば、古いソフトウエアはもう使えないのか?古いOSはも仕事には活用できないのか?となるが、決して仕事の現場ではそうとも限らないと気づくことがありました。実際、MACならばG5・G4・G3が未だに共存しているわけですしWINも98が走っている筐体も使っている。まだ、デザインやWEBの仕事は市場の活性率というか進化・進歩が激しく、最新のブラウザやプラグインや、電子機器にマッチさせなければ、コンテンツとして成立できないという側面がある。と同時に、新しいデザイン表現や技術・機能を装備するためにも、新しいデザイン感覚を適用するためにも、より新しい環境とプラットフォームであれば、ベターなはず・・・!?と思い込んでいる節の部分で、結果的に「新しいモノ好き」に陥っていることは否めない。が、それは、この世界にいる以上、永遠に続くので、そうそうリアルタイムに市場に合わせてソフトやPCを買いかえることもできず、できるだけ、そのタイミングは費用対効果のバランスを考慮し検討している。たぶん、大きな企業になればなるほど・・・だろう。まだ、ウチレベルなら、駒割りも小回りもOK。

 で、WINDOWS98が現在どんな現場で活躍しているかということは、オフレコードとしても、実際、新しいOSが発売されたからと言って、大きな工場や企業内では同じサイクルでは回らず、新しいOSに対応されない数千万の機器や業務システムならば、そこに御大WINDOWS98の活躍の場が存在する構図。そうかそうか、常に新しいOSやソフトウエアがデジタルの現場を支えているというわけでもないようである。しかし、世の中、携帯液晶電子端末が幅を効かせているにはいるが・・・。

 かれこれ、PCの歴史も振り返るべき歴史が蓄積されつつあるということなのだろう。「小さく薄く快適に」の裏で「大きく太く堅強に」がまだまだ活躍していることを知り、いつものことながら、視野が狭くなっていることにドキリとした瞬間でした。

今日は雨。

 梅雨~な一日になりそうです。昨日は暑かったのに、夜は雷と土砂降りの雨、そして、朝から梅雨な漢字の雨が降っています。が、ウチのペピーノもゴーヤもイチゴもどんぐりも恵みの雨を受けて満足そうです。ずぶぬれの愛犬チョップ君だけはびしょびょしょでちょっとテンション下げ。寒いのは平気みたいですが、暑いのはどうも・・・な感じのようです。缶詰を入れないと餌も残す始末。少々バテてるのかな?

電子ブック作成サービス。

 いよいよ、加速していく感じですね。「電子ブック」とか「電子カタログ」という名称でかなりいろいろなうWEBサイトがヒットし始めましたから、世の中的にはこの方向なのでしょう。とは言え、具体的に「電子ブック」とは?「電子カタログ」とは?となった場合、そのテクの部分は従来のHTMLベースですから、企画する編集する作成するサーバを管理するという視点でWEBサイトのリッチコンテンツづくりとそう大きな違いはない。ただ、ブックやカタログだということで、体裁の部分をらしくする必要と、電子ならではの動画や映像や音楽などの演出の部分とインターフェイスの機能やサーバとのインタラクティブ性はほぼ同軸のようです。さてさて、ノウハウとテクノロジーとネットワークの三位一体の戦略が必要なことは必須ですから、クリエイターとしてどう関わっていくのか・・・非常に面白い時代になってきた感じですね。

グーグルド@ケン・オーレッタ著

 電子図書館構想や中国での検閲問題など、ネット分野での話題にことかかないグーグル。検索、電子メール、動画共有などなど、情報サービスは我々の生活に欠かせない存在になった。一方で新聞や放送などの既存メディアにとっては非常に手ごわいライバルだということになっている。「邪悪になるな」とはグーグルの創業以来のポリシーらしいが、最近では批判的な視線が向けられている。電子図書館やデジタル地図上の街頭写真サービスなどに対してだろう。ネット時代のメディアの姿を直視するためにこの書籍は意義は大きそうである。

 小さい火は人に幸福を齎すが、大きすぎる火は不幸を呼び込む。かの有名な風の谷の民の言葉である。まさにである。腐った海が毒素を浄化するとは潮流の側面だとしても、薬と毒の違いは本来人間のさじ加減ひとつ。薬なのか毒なのかを見極める視点こそがグーグルを邪悪にも正義にも替える。メリットとデメリットの相関こそがマテリアルだと言える。結局、そこそこ便利なら正義でとてつもなく驚異的な便利なら邪悪となる構図に人間の性を感じずにはいられない。どこまでも合理的な一個体の脳の中で新しいメディアがどう機能しどう次へシナプスをつなげていくのだろう。メガネをはずしてよくみれば、3Dもただのずれた2枚の画像。それのどこにリアリティーがあるのか?

もうすぐお母さんなのに・・・。

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 ドコモのバナボ。もうすぐママなのに、こんなにキュート過ぎるのは何故だろう?たぶん、人間の中身が外に流れだしているからなのだろう。本気のキュートとは装飾された美ではないからだろう。芯を喰ったらバットでもクラブでもWEBサイトでもよくボールが飛ぶってこと。たぶん、人間も同じ。

書物の設計。

 デザインとは何か?という問いに対して、ある記事に「知覚に秩序を与えること」という定義を読む。例えば、読書という個人的で社会的なアクションにも、さまざまな知覚と秩序の関係があると思われると。書物の設計とはすなわち文明の設計にほかならないとも言えると言っている。そこには根本のところで人間の知覚と社会の秩序を結びつけるという思想が機能して優劣を分岐している。液晶や電子インクの画面表示機が書物の世界へ本格的に参入し始めた現代、さらに、設計プランに緻密さが求められているとも言える。その場合、デザインの軸はどう移動するのか?それともしないのか?そこがもっとも気になるところ。設計はアナログであれデジタルであれできるが、成果物がその境界線を飛び越えていくならば設計者の思考もそのボーダーラインをいっしょに飛び越える勇気が必要である。

 電子と電波が知覚に訴えるプロセスで設計者の思考が何故必要か?何故、デザインする必要があるのか?に注視しなければ、普遍の秩序で統治下された表現で知覚への刺激の均一化が始まる。これは、良き悪しきの分岐ではなく、文化として継続性を内在できるか否かで思考されるべきである。問題視するべき標的は価値や正義や損得ではなく、「残せる仕組み」であるか否かのような気がする。資本主義こそ絶大な宗教スタイルだと何かの書籍で読んだが、まさに、流通させるべきは貨幣価値ではない、人間として手の中にあるコマの数である。そこに当然デザイン思考が深く関係していることは否めない。たかが書物、されど書物なのである。

宮里藍ちゃんオメデトウ!4勝目。

 ワールドカップにかき消されているが、宮里藍さんが今シーズン4勝目をゲットされた。もう、止まりませんね。日本人二人目の海外での賞金女王も射程圏内ですね。スゲッ!

 で、おまけは、「男女を通じて日本人初となる世界ランキング1位になることが確実になった。」という速報も出ているそうです。スッゲ!スッゲ!

 遼君も迷いながらの現在18位。あと2~3つ伸ばして、ベスト10内で終わってほしいなぁ~。

チャンスは?ピンチとは?

 またまた、気になる書籍がありました。そのタイトルは「チャンスをつかむ人、ピンチをつかむ人」です。人生の「選択」に間違いはない。と言っておられるこの著者松田公太さん。タリーズコーヒージャパンの創業者らしい。広告面にはこうある。達成感あふれる毎日を送るための「人生のヒント」が満載!と。その一部は◎「まず、やってみる」ことで状況は一変する◎ライバルが強力だとチャンスは大きくなる◎目的がないことに悩む必要はない◎「誰かのために」と思えるか◎反対意見が出ないときほどピンチに変わる◎「軸からぶれないこと」が一番強い◎勝ちパターンを忘れよ◎他人と自分を比較するほど不幸になる◎失敗したらルールを決めよ◎悪評の人がチャンスを運んでくることが意外に多い◎難易度が高い状況には必ずチャンスが隠れている◎成功体験が失敗をまねきやすいのはなぜか◎目先の条件に流されてはいけない◎最悪な状況を乗り越えたところまでイメージすれば、恐いものはない!と列挙されている。

 つまり、チャレンジとは何かということであり、この著者にとって過去の経験がチャンスとピンチに明確に分かれている事実が一見、この列挙の中に隠れているように思わせ、そして、ユーザーがこの書籍を購入して熟読してこれはチャンスだ、これはピンチだと色分けをしたような気になりたい、という価値がこの書籍の価値の中に潜んでいる。が、もう、それらは、チャンスでもピンチでもなく、この著者の言葉の中にある、ただの遍在する過去の記憶に過ぎないということに気がつくだろう。気がつけばいいほうであり、焼き直し、コピーキャット、ステレオタイプ的にこれらを「発想・着想」だとは思わない方がいいだろう。

 結果、チャンスもピンチも個体次第。ノウハウは数多、しかし、真理はひとつ。これが鉄則だろうと思いますね。

残念、オランダ戦。

 しかし、日本がボールを持っている時間が少なくないですか?サッカーの試合の見方ってイマイチわからないのですが、それって、やっぱ、オランダが強い。余裕の優勝候補だから・・・?日本が切り込んだ場面もありましたが、オランダにしてみれば、これは想定内。後半戦、明らかにオランダは得点を取るモードだったような気がします。しかし、サッカーの試合は大番狂わせがあるらしいと解説者が言っていたので、このまま日本が守り切り、ワンチャンスでもしかして勝利、いやいや、最悪ドローと応援していましたが、結果は1対0で敗退。あとから、たらればは幾つもあるでしょうけれど、終わった瞬間の心情としては、やはり、格が上なのかぁ~オランダさん、でした。

 で、全米オープン、初日4位で出発した遼君、予選二日目で失速していなければ・・・と新聞をドキドキしながら確認。首位に2打差の第2位!!!!!!!!!!!!!!!!ありえない、予選2日目で首位に2打差の日本人って青木さんと丸山さん以来でしょう!しかし、ご両名は結果、2位と5位でした。伊沢さんや片山さんの4位は凄いが、その凄さの次元を一気に飛び越えている様子の遼君が今確かにいる。18歳、もし、もし、あと2日間、この位置にいて、もし、もし、最終日、それが実現した日には、日本のゴルフの歴史が変わるだろうし、10代のメジャーチャンプなんて過去にいたのだろうか?ウッズもエルスもみけルソンもいるこの大会でメジャーを制覇したら、次はどこに行くのだろう、遼君。ただ、ただ、快挙を祈る。歴史の1ページが刻印されるかもしれない・・・。

 いっしょにラウンドしたワトソンさえこう評している。「優勝してもおかしくない」と。

Claude Monetか・・・。

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 空気を切り取るか・・・。

1ヶ月に1冊以上!?って。

 これは、いきなり「なんでやねん!」である。ある、メルマガより抜粋ですが、「1ヶ月にどのくらい本を読むかを聞いたところ、実に81%が月に1冊以上、本を読んでいることがわかった。ただ、最も多かったのが1冊の31%、次いで2冊の20%となり、約半数がひと月かけてゆっくりと本を読んでいるようである。また、男女別で見たところ、ほとんど性差はないように見えたものの、月に5冊以上読んでいるのはほとんどが女性(92%)であった。活字離れ、と言われつつも、ビジネスパーソン世代にはまだ本は身近な存在であることがうかがえる。」って、何!1冊が81%で、どうなの?毎月1冊読んでいる人が81%いたら、まだまだ、活字離れの心配はいらない・・・って、なんでやねん!

 なんで本を1冊読むのに1ヶ月もかかるのか?完全にそれは活字離れじゃん!ビジネスパーソンさんたち、ほんとにそれで大丈夫?で、活字を離れてiPadで代用?で、気分転換にストレス発散に無料ケータイゲームって、どこまでボトムラインが低いんやねん!である。

 そりや、電子ブックで十分だわ・・・ビジネスパーソンさんたち。

さてさて、オランダ戦はどうなる?

 正直、あまり、Wカップは興味がない。1勝したことは事実ですが、いろいろな書評を読んでも、「たまたま」みたいなことになっている。勿論、日本チームの世界レベルについて具体的にどこがどうなのかは???ですが、ランキングやメデァイの批評を読む範囲内ではさほど期待はできないというところが現実なのではとあくまでもクールに一定以上の距離を置いて観戦しています。

 でも、本日は第2戦、オランダ戦はそれなりのテンションで応援したい。やっぱり、日本人として。

 日本人としてということであれば、サッカーの応援モードが10だとしたら、石川遼君の予選初日4位発進はテンションが上がります。応援モードで言えば1200ぐらいですね。もしや・・・、日本人初のメジャー制覇が18歳!?ってことになれば、日本のゴルフの歴史が大きく大きく塗り替えられることになるでしょう。何よりも遼君のゴルフに対する取り組み姿勢は国内外からかなりの評価があります。それは、本人を見ていればその超一流オーラが出まくり。なぜ、同じプロゴルファーなのにこれほどにオーラの違いが出てしまうのか?ご本人の技術や取組方などの部分と経歴や歴史がそれをグイグイと引き上げていくのでしょうけれど、ほんとに遼君は輝いている。ので、気持ち的にはWカップ:全米オープンの比率は10:1200となりますね。

 このまま今の位置をキープとかじゃなく、遼君の異次元のプレイを見せてください!!!

このリアリティー。

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 いくら技術が進歩しようがこのリアリティーはデジタルデバイスには絶対に表現不可能でしょう。

初夏の山道。

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 この道の上の方から年配のご夫婦が額に汗をしながら降りてこられた。そして、車で一息入れて帰っていかれた。たぶん、朝から3~4時間、山を歩きをしてこられたのでしょう。なんともいい時間を過ごしておられるのでしょう。まだまだ、そんな心の余裕がないので、自分がゆったり自然を感じながら山道を歩いているイメージは浮かんできませんが、いつか、気持ちと時間に余裕ができたら、そんな習慣を自分の生活の中に取り入れてみたいと思いましたね。

 梅雨の中日、ちょっと、蒸し暑い日でしが、木陰は涼しい。「ホーホケキョ」も鳴いていましたし、ご両名は、かなり、素敵な時間だったことと。

もうすぐバーベキューの季節です。

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 昨日は滋賀県南部のある施設様にてバーベキュープランの食材を撮影させていただきました。う~ん、この流れでご賞味させていただきたい・・・ぐらいの美味しそうなお肉とシチュエイションでした。決して、料理や食材にうるさいグルメな人間ではないのですが、本能の部分でファインダー越しにグルグル状態でした。う・ま・そ。

残念、ボトルネック。

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 書店の何々ナンバーワン!って一番目に留まる場所にたくさん置いてあったので、気まぐれに買ってしまった小説「ボトルネック」。チラミしたところ、何何賞だとか、角川文庫の何何賞だとか、いろいろ書いてったので興味が湧いた。普通ならこの態の小説は絶対に読まないのですが、いつもいつも自分のカテゴリーだけではダメだと思い、別の意味で思い切って買った。直観的にはもうダメモト。でも、そんな印象でも過去にはアタリもあったことも事実。わずかな期待を感じながら読み始めた・・・。

 が、予感は見事に的中。まったく面白くない。非常に残念な展開、残念な描写、残念な文脈。乱暴すぎる設定に乱暴すぎる人格描写。たぶん、オチに向かう最中も期待度は0。が、見事にそのままのエンディングに驚いた。よくよくあとがきを読めばこの作家さんは若くしてデビューしていくつかスマッシュヒットを出した後、アマの頃から温めていた原作がこれだとのこと。プロになって、視野も広がり技術も高めらてココイチで書き下ろされたらしい。が、まったく、質量がない。

 もし、皆様が書店に行かれて一番目に留まる場所にこの書籍が並んでいたとしても、一回、検討してください。何がボトルネックってこの書籍が一番のボトルネックでしたね。

観察日記第3弾。

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 梅雨のミネラルたっぷりの雨とたまの日差しのおかげで、ペピーノさんたちは元気に発育中です。花も思った以上につけてくれました。収穫の夏が楽しみ。で、そろそろ、ゴーヤの苗を今週末あたり買ってこようなかと・・・、そして、家の西側にはわせるための網網をセッティングしよう~と。

脳と神の関係。

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 ゆったりとまったりとひと文字ひと文字味わいたい感じの本ですね。さぁさぁ、アタリorハズレ!?

まるで・・・。

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 今が夜で遠くの空に星が瞬き、カラスでも飛んでいようものなら、まるで、それは、ゴッホが見た時のような麦畑・・・。

なんとなく、やっと、A.S.3.0

 ようやくA.S.3.0の応用段階が見えてきました。2.0に親しみ過ぎたせいか、3.0に頭を切り替えるのが意外とやっかいでした。つまり、一回慣れてしまったスタイルから新しいスタイルに切り替えるってほんとにエネルギーが必要です。まず、とにかく知りたい活用したいと思った書籍を読み、出てくる言葉や著者が言っていることの実態を10%も理解できていなくても読む。とにかく読む。到底初めて知る技術やソフツウエアのことだから理解できないのは当然。そして、また、別の書籍を読む。するとそこに前読んだ書籍の中と同じ言葉が出てくる。理解している知識としてある言葉や活用術があったなら、その理解できない言葉と強引に頭の中で連結させて鵜呑みでいいのでシュミレーション。そのまま2冊目も読み終える。この段階でたぶん、記憶している新しい技術の知識がどれだけってことになると10%前後。まぁ、2冊テキスト本を読んでもこの程度。でも、知識はそれだけですが、これまで同じようなソフトウエアや作成術の知識や経験があるから、それの応用と捉えて、これはここの機能の別アプローチなのか、ああ、これは新しい技術だけれど、こんな汎用性があるのだから、やらなければいけない、やってみよう、などと一歩づつ着実にアプローチする。到底、学生の頃のような吸収力はないので、何かがある日格段に頭に吸い込まれるというこはこの年齢になると絶対に起こらないので、自分の会得のスピードは心得ているつもりでいることが結果会得のスピードを上げる。

 すると、次の段階で、たった10%の知識ではあるが、ソフトウエアを起動する。新しいバージョンだから知らない機能があり目新しいインターフェイスに戸惑う。しかし、知識は10%程度でも、下位のバージョンは使っているので、それのバージョンアップなら50%程度ならどこにどの機能があるか?そして、新しい書籍で知った10%の知識はこういうことなのかと使いながら読み終えた書籍の中に登場していた内容と実際のソフトウエアを連動し始める。すると、頭に入っていなかったはずのことが、突然、ソフトを使いながら蘇ってくる瞬間がある。それは、パーツではなく、思考の枝の部分で、その枝が理解・会得したことでその先の枝や葉や花が見えてくる瞬間。つまり、知っていることは、実際に使い何かを作る行動のしおりにしか過ぎないということ。しかし、そこからが書籍の価値が発揮されるプロセスとなる。

 何か作りたいオブジェクトやプログラムやコンテンツをスケッチブックに描き、ソフトウエアを起動する段階で、当然、十分ではない知識で作業が滞る。そこで、傍らに書籍を置きながら2回目のアプローチ。ここから自分の中のソフトウエアの活用術のクオリティーが上がり始める。そして、ひとつのコンテンツが完成した段階でもう一度、書籍のその技術の部分を読む。すると、そのページに書かれていた技術や著者が何故この段階でこの説明をしたのかという部分まで理解することができる。これでひとつの技術が会得できたことになる。しかし、人は忘れるので、たまには復習も大切です。

 で、A.S.3.0もこの流れで取り組み始めて早2年。なんとなく、やっと、その文法の意味や背景が理解できてきました。あとは書籍のTipsを流用・活用・応用しながら自分のモノにしていきたいと思っています。この段階で一旦、お世話になった書籍を見てみると、1/3ページは小さく折られてて、半分ぐらいのページにはメモやアンダーラインが入っている。この状態で書籍自体も自分の大切なバイブルになる。気ままに読む小説ならiPadで代用できるかもしれないが、ここまで使う人のカスタマイズを受け入れられるのだろうか?動画や音楽も魅力的ですが、折り線もメモも他の資料を添付もできない電子ブックが仕事の道具になるのだろうか?いやいや、それも慣れの部分で、それがそうなれば自分のスタイルも変わっていくのだろうか・・・?仕事の書籍は紙であって欲しい。現時点では紙でなければいけない理由があり過ぎる。

一生かかっても・・・。

 iPadのテレビCMを観たのですが、なんと、「一生かかっても使いきれない楽しさが詰まっている」的なキャッチフレーズだった。ほぉ~、そこまで・・・。それぐらい自負があるって相当の計算か相当のビッグマウスですね。確かに確かにアップルはそこへ踏み込んでもいい世界レベルの企業さんではあるのですが、「一生かかっても~」ってかなり思い切った切り口だなぁ~と思ってしまいました。つまり、言いたいことは「これはこれからの貴方の一生に多かれ少なかれ影響を及ぼす商品なんですよ」と言いたいのだろうし、「貴方の一生を背負う覚悟は私たちアップルにはあるのです」とも聞こえる。そんな、電子機器メーカーがここまで言わしめる商品「iPad」って相当ですよね。

 で、思えば、最近テレビ番組で書籍の「ベストセラー」「ミリオンセラー」というフレーズをよく耳にする。これも先入観かもしれないが、やはり、「vs iPad」戦略なのだろう。書籍が人の一生を担ってきた部分をこの機器が受けましょう的な危機、鬼気せまる情報革命に聴き、効き、利き。MOVE ON!という感じなのだろうか・・・。

芸術作品の物々交換!?。

 「すてきな芸術品を交換しませんか?」というアプローチを海外移住と文化の交流センターを運営する特定非営利活動法人「芸術と計画会議」が展開しておられるらしい。芸術家の作品を観客が持参した「すてきなもの」と交換するプロジェクト。芸術と市民の距離を縮めることが狙いだそうです。ドイツの芸術家2人が同センターで写真やCDや本などの作品展覧会を開き、同期間中に物々交換会を開催されるらしい。観客はなにか「すてきなもの」を持ってくれば、芸術作品と交換できる。すてきなものとは、自分で撮影した写真や歌、踊り、料理、自分の好きな場所に案内するといったモノ以外でもいいらしい。海外移住と文化の交流センターは、ブラジルなどの南米に渡る移民が渡航準備のために日本で最後に過ごした「旧神戸移住センター」を改修し、国内外の芸術家のアトリエスペースがあり、市民と芸術家との交流の場所として有効活用しているらしい。

 このプロジェクトにどうやら裏表は存在しないように感じる。芸術が高価な価値ある存在として歴史上に遍在する時、必ず、どうしてもこの部分が多かれ少なかれ存在している。だからこそコレクター達が価値の上に積み重ねた目に見えない価値を争う構図。これは芸術の歴史の一面でもあるが、現在、今、生きているる人にとって芸術とは?という価値を分解したなら、この芸術作品とすてきなものとの物々交換はひとつ面白い魅力的なアプローチであると感じた。

 昔、N.Y.で滞在していた時、大学の寮の警備員がジャマイカの人だった。学校が終わる夕方頃、知人も少なかった私は寮の入口のところで警備している彼とたどたどしい英語で楽しい時間を過ごした。何かのきっかけで彼の似顔絵をノートに描いて進呈した。翌日、彼はこれがジャマイカの弁当だと言って持ってきて食べさせてくれた。魚とフルーツとパンだった。あの味は私にとってのまさに「すてきなもの」であり、死ぬまであの瞬間のこと、あの魚の味は忘れることはないだろう。

世界で戦えますか?か・・・。

 経済の専門誌の投げかけは「世界で戦えますか?」とある。◎世界で戦える人材の作り方。◎2年後、英語ができない役員はクビだ。◎中国でビジネスを成功させた日本人の軌跡。◎リーダー候補はスパルタ方式で「4倍の負荷」。◎グローバル人材に必要なスキル(英語と中国語、どちらを学ぶべき?世界で通用するスペシャリストの条件とは?中国・インド人とうまく働く条件は?)などなど、非常に興味をそそられるフレーズが列挙されている。そもそも、「グローバル人材」とは何か?この専門誌の中にその答はあるのだろうが、それを買って読むことは簡単であるが、一応、気になったので、このフレーズに対してちょっと道草をしてみたくなった。

 まず、なぜ、「グローバル=戦う」という発想になるのか?なんでもかんでも戦うという態でモチベーションを上げたいポテンシャルを高めたいという気持ちは分かるが、なぜ、ここは「戦う」にしてしまうのだろう。雑誌社も売上を稼がなければいけない危機感からか、崖っぷちモード感は十分に伝わってきますし、購買意欲を掻き立てるためにさまざまな工夫やアレンジがされているはず。必ずしもリサーチした人や編集した人は「戦う人」を探していたわけではないはず。が、結果、情報のアレンジとしてそれらを「戦っていた人」、そして、まだ、この雑誌を買っていない人を「戦っていない人」と設定してこの専門誌は編集されているわけです。国内でマイペースに日々の仕事をしている人達を「戦っていない人」、海外で仕事を展開している人を「戦っている人」と単純に比較することで購買意欲を高めたいのでしょう。だから、それに関連・連動するフレーズの連発・多発が止まらない。資格・検定モノも道義で、スキルアップ、スキルアップと連呼しても、これまで、そのモードになっていない人が、一定額の出費でスキルが上がりましたと錯覚させるモンキービジネスが横行しているが、スキルが上がったことで満足しているレベルでは実は何も始まっていないことをなんとか体感してもらうことが最優先のような気がします。

 戦えますか?って、なんとも緩い言葉だろう。戦っている人にも戦っていない人にも僭越である。

不二の山か・・・。

 二つとして無い山ってことで「富士山」なのか・・・。登山口は4つあり、初心者は吉田口が山小屋や諸施設が整っていて、交通アプローチが至便で最も利用者が多いとのこと。山開きの7月1日から山じまいの8月末までの2ヶ月が一般的な登山期間。天候が安定するのが7月下旬から8月上旬らしい。旧盆の8月中旬はすでに秋風が吹くらしい。で、上り8時間、下り5時間が目安らしいのですが、初めてアタックする人はいろいろな意味で準備を整えておく必要があるらしい。装備や体力や知識などなど。が、それを飲み込んだ状態でも頂上に立ちたいという気持ちが強い。たぶん、何かのテレビを観ていて登りたいと思ったのかもしれないし、実は昔から少しだけ登りたいと思っていたモヤモヤがそのテレビきっかけてスイッチオンになったのかもしれない。準備はこの1年ほど時間があれば山登りの本を読んだりWEBでリサーチしているレベルですし、体力的には散歩をしながら、毎朝毎晩下半身の運動とスクワットとなわとびを続けています。でも、長時間山道を登るということは全然負荷が違うだろうし、きれいな景色を観ていると気持ちが持っていかれ気がつけば膝も股関節もピークを越えて下山不可能というこにもなるらしいし、何より、3,000m以上の高地の酸素量は薄い。ただでさえ、頭痛持ちの私はかなり早い段階で高山病になる可能性もあるだろう。と考えると考えるほどリスクは大きい。が、しかし、1年以上想い続けているので、今年こそなんとか登りたい。

オルセー美術館展@NHK日曜美術館

 あまりテレビで六本木で開催されている「オルセー美術館展」の話題が出てこない。で、NHKの日曜美術館でガッツリと特集していた。誰もいないあんなに静かな展示会場でふたりだけで絵に向かえる特典っていいなぁ~と。まぁ、カメラやデレクターはいるだろうけれど、どこかのタイミングで会場内に入れるはず。とすれば、そこにある名画と自分ひとりだけというタイミングもあるはず。それってどんな気持ちになるのだろう。名画はいわば怪物である。それを描いた画家達が現代に残した、というか、生き残ったとても強烈な怪物である。しかし、その怪物は額の中から決して出てきて鋭い爪で皮膚を切り裂くわけでも、鋭い顎で頭をもぎ取るわけでもないが、確実に目に見えない爪と顎でそれを見入る人の魂をわしづかみにして画面の中に持ち帰る。だから、今もそれらは残っているとも言えなくない。つまり、この怪物はそれを描いた画家が仕掛けた時空を越えて現代に鼓動する素晴らしきモンスター達なのである。司会者の二人はその収録中、たぶん、魂をもぎ取られているはずだから、新しいスペアをいっぱい持って来ていたのでしょうね。

 怪物の前に立ち、テレビの番組だとは言え、決死のコメントだった。どれだけのポテンシャルを持ってしても、どれだけの叡智を持ってしても、これらの怪物の前で現代の作家や女子アナ程度では到底太刀打ちなどできるはずがない、それを、番組として成立させたということは、もう一つの可能性として、怪物達が見えなかった。もしくは、怪物達にスルーされたということ。だって、ひと筆ひと筆が見える距離で重なり合う色が自分の目の中に入ってくるのに、よく、言葉が整理できる。という視点では彼らはプロである。強いエネルギーを緩和するために専用のサングラスをかけていたのだろう。

 「語られる条件」で言えば、ゴッホが生涯2,000枚の絵を描き、売れたのは1枚だけという情報は必要がなく、ゴーギャンが病死したのか自然死したのかということもあまり意味がない。そんなことを本人がどこかに記述していたのか?記述などしなくとも絵を残せばそれが人生だと生命の証だと知っていたからそれを絵にしたのに、金魚のフンが長すぎる。想いとは技術や感覚を超え、時空さえ超えたその先にあるモノ。もしくは、それらの想いの一呼吸手前にあったモノ。それを、今の言葉で脚色するのは自由だが、方程式や論理でXYZ座標を決めて眺めても、たぶん、真理はそこにはないだろう。真理は絶対的に画家だけのモノ。それを描いた個体の中にあるものは永遠に未知である。絵を描かぬ者がシンクロしたければ、頭で考えずその手で何かを創る必要がある。そこに正真正銘の唯一無二の共感がある。文字や言葉のコミュニケーションにはびっくりするぐらいリミットラインが低い。

 ひさびさの日曜美術館を観て、そんなことを考えてしまいました。

基礎体力の有無。

 何事も基礎体力ありき。「デザイン教育に熱心な台湾の大学、東方技術学院を訪れたのは今年の3月のことだ。昨年亡くなったグラフィックデザイナーの父、福田繁雄の追悼展が同校で開かれ、オープニングに招かれた。式典に参加して驚いた。学長が学生を鼓舞し、成績上位者や優秀な教授一人ひとり表彰する。そのたびに割れるような拍手。デザインの力で社会をつくっていくのだという熱気がある。滞在中の世話をしてくれたのは同校出身で台南大学教授の林美吟さん。評判のレストランや店に次から次へと連れて行ってくれ、「おなかがいっぱい」と遠慮しても「一口だけ食べてみて」と勧めす。道教の寺院に興味があると話せば、すぐに見学に連れ出し、おくみじのやり方まで実演付きで説明してくれる。このバイタリティーで教授、デザイナーとして仕事をこなし、妻として充実した人生を送っている。前に突き進む純粋な気持ちはモノを作るための「基礎体力」となる。学生時代に留学した日本について「最近はどう?」と林さんに尋ねられた私は答に窮してしまった。自分の意見や主体を持つことに消極的で、他人とかかわり合おうとしない今の日本はあまりいい状態に見えないからだ。何度か同校で教えた父は、真っすぐで健全な学生たちの精神のありように魅了されたのだと思う。」とこのコラムは締めている。

 これはある側面からの意見としてもあきらかに福田美蘭さんの目に映る日本人像と台湾の学生の印象は相対であれ絶対であれ何か大きな問題提起として揶揄されている。だから・・・の部分と、何故・・・の部分があるが、この側面がもしあながちであるなら、それで飯を食っている人間として、なんとか自分自身の熱量を上げる努力や次の世代の熱量のある方との共鳴できるような展開をしていきたいと思いますね。大きな問題に対して何ができるか、見えないと言ってしまえばそれまで。例えあたらないパンチでも打ち続ける、例え届かない言葉でも発し続ける、例えたどり着けないとしても一歩で前に踏み出すことをしなければと思う。

 なぜ、こんな日本になってしまったのか・・・?ではなく、こんな日本にしたいから、まず、これから始めよう!でいいのではないか。千の手は決してないが、2本は確実に動かせるのだから。ふと、あらためて「基礎体力」が自分自身にあるのかないのか?ということになると、明確なジャッジはできない。ただ、立ち止まることなく動き続けていきいたいという腹は括っている実感は自負はあるので、それが、イコールなら救われる。

 ただ、悲しいかな、間違いなく「基礎学力」だけはないことについては明言できる・・・。

「サロゲート」・・・残念。

 かなり期待していたのに・・・。映画「サロゲート」はもう、全て、B.ウイルスに頼り過ぎ。なんでもかんでも主役に依存してはダメダメ。勿論、その部分を担うのが主役なんだろうけれど、物語の質量まで主役の存在感に頼ってはダメでしょう。う~ん、期待していたのですが、開始2分ほどで、これはもしかして、B.R.の感じでは?と思ってしまったが最後、そのままエンディングまでB.R.との比較でしかなった。もしくは、アバターの都市伝説版みたいな・・・。なんか残念な気分でした。こんな気分の時はいつものようにB.R.を見てリセットしよう。

1分間勉強法って!?

 「本当に頭がよくなる 1分間勉強法」代々木ゼミナールで6万人中1位をとった勉強法?30冊の本が2日で読み終わりました?勉強法の概念を飛び越えた勉強法でした?買ってよかったと心から思えた本でした?ページをまくるのが、楽しくてしょうがない?読書人生に広がりをあたえてくれましたね?サラリーマンを辞めて、社長になりました?自分が限界だと思っていたことが、ウソでした?左脳人間が右脳人間になりました?本当に1分間で本が読めるようになりました?本に対する抵抗がなくなりました?勉強に対する潜在意識の書き換えができた?知識をどんどん吸収して、素晴らしい人生に?今後の人生に希望が持てた?この世に出来ないことはない。それがわかった?アロマテラピーの試験に合格しました?って、なんでそんだけ時間を節約したいのか・・・。

 まるで、1分間で何かできたと思える、思いたいという自分と、結果をそこまでして連動させて、意義や価値感に置き換えたいのか?1分間で何ができるのか?できたは別として、なぜそこまで時間を節約して余らせた時間で海外旅行にでも行くのか?ブランド品を身につけてグルメに耽るのか?

 例えウォーカー(D.ワシントン)の持っている最後の1冊がこの本でも絶対に絶対に読みたくない1冊ですね。この手の書籍こそ早く電子になって1Kに置き換わればいいのに・・・。

 あっ、そうかそうか、この本を買った人達はみんな頭が良くって、逆に1分間で勉強をできちゃう人ばかりだから、上記のコメントが成立するのか!って、なんでやねん!!!

カエラさん、おめでとう!

 シングルランキング堂々の第1位「Ring a Ding Dong(リンガディンドン)」おめでとうございます!あのCMとのコラボとは言え、いつもながらのカエラワールド全開のこの作品が第1位とは、おめでたやおめでたや。エイタさんとのおめでたい、妊娠でおめでたい、もう、飛ぶ鳥が次次と落ちていきますね。

 ポテンシャルを貯えている人が時代を引き寄せた時のパワーは凄まじいと知る。子どもが生まれてもずっと歌は続けていくそうですね。いやぁ~よかったよかった。

 「バタフライ」も良かったですが、「リンガ~」もいいっすねぇ~!どんな母になるのだろう?たぶん、どこを切ってもアーティストな母であり、安いテレビや薄いマガジンはスルーしていただき、子育てと楽曲作りに集中してこれからも素敵なカエラワールドを聞かせてください、という感じですね。

ECサイト、ここで今一度・・・。

 氾濫するECサイト。ここで改めてその価値を考えませんか?というアプローチのメルマガが届いていた。その骨子は「◎そもそも市場の把握はできているか?◎顧客が誰なのかをイメージできているか?◎WEBに反映すべき自社の強み、WEBでカバーすべき競合の脅威は何か?」というものです。一般的に競合他社との差別化、独自性のあるコンテンツ(商品)、販売促進・新規顧客獲得のための企画立案などなど、ひととおりのお決まりごとならたぶんこれに関わっている人ならばすぐに列挙できるはず。しかし、それもこうも氾濫するとその密度がもう何を指して「把握」なのか?どう「イメージ」すればいいのか?そもそも「自社の強み」って何?ということになっているということがこのコンサル会社からのメルマガである程度洞察できるように思います。まだこの段階でも問題点の全体像は結構雲をつかむようなお話でフワフワしている。そでも、日々の売上を確保するために何か動かなければ、考えなければ、創りださなければいけないわけです。そこで、こらには常にコストや時間やエネルギーなどその対象に合わせてリスクが存在します。それを最小限に抑えて、できることなら最大限の結果へ導きたいと考えるのは人間の合理性というサガ。かなり非現実的な費用対効果を描き、目標設定値を見誤る。その結果、打ちのめされてモチベーションが下がりあらゆるアクションが沈滞する、停滞する、諦めるという負のスパイラルが起きていることも事実。では、どうすればいいのか?

 たぶん、錬金術はないだろうし明解な方程式もないだろう。トライ&エラーで経験値を貯え傾向と対策を見極め、いわゆるアイドマ(AIDMA)を実行するしかない。つまり、行動から答えを導くしかなさそうですね。

 で、「ここで今一度」が正解ということでしょう。「今一度」をしっかり繰り返し企画案の活性化とコンテンツのブラッシュアップをメジャーでもマイナーでもチェンジしていく必要がある。リスクを回避したいからと既存のロジックや法則に依存することは頭の中でビジョン化するにはた易く、誰でもできちゃうこと。誰でもできないこととはやはり失敗を成功に転化するためにリスクありきで取り組むことなのでしょう。

 今一度、そのことをベタではあるがしっかり取り組みたい。

みゆきさん最高!

 ひさびさに鳥居みゆきさんの作品を観れた。やっぱ、天才である。あの持って行き方は他の追随を許さない。あの組み立てはたぶんみゆきさんの中から出てきているだろうから、あそこまで突き抜けられるのだろう・・・。お笑い会に君臨するということは、未曽有のポテンシャルを温存できる方たちなのだろう。メディアが崩壊してもこの人達はそのエネルギーを新しいメディアにシフトしてくるだろう。マスが崩壊したのちに本当のコンテンツを持っている人がリングに立っているはず。そう思うと昨晩のみゆきさんの作品を思い出すたびに心が震えますね。やはり、「桃クリ3年、千葉8分!」は誠である。

AKBって何?

 おニャン子、モーニングと、まぁ、時代の流れだからいいですが、さすがにAKBは何をしているのか?何をしたいのか?そして、どこへ向かっているのでしょう?メディアのパラダイムシフトが情報革命が技術革新が爆走する中、あのテイの存在感がどうもフワフワしているように目に映ります。ご本人たちにしてみれば、リスク承知の予定調和として決して時間の浪費ではないものの、次のステージが見えていないのに、というか、期待する先がどこか見えないまま、集まっているから楽しいという時代ではないはず。そこに一定のフィルターをかけて現実と仮想の摩擦で生まれる醍醐味のアドレナリンジャンキーなのか?としたら、それもひとつの立派なスタイルである。さてさて、誰がキングで誰がクイーンなのだろう。せめて、ナイトで戦いたいものです。

大将3人はどこへ?

 さてさて、ワンピースもひとつの山場。3名の大将はさすがに大将。しかし、まだ、3名の真意が見えてこない。今は圧倒的な力だけの存在感が描写されていますが、まだまだ、ドローはあるはず。そこがもろいとただの力だけの存在になってしまうでしょう。ただ、それはワンピースの場合ありえませんから、それが大きな期待感に繋がるという仕組み。シャンクスもドラゴンもレイリーも、それに、エネルもどこかでこの大戦を吟味しているはず。それに、新世界にいる多くの兵(つわもの)も。それにそれに、ティーチもまだ潜んでいるし、もしかすると、インペルダウンの最下層にとんでもない奴が幽閉されているかもしれない・・・。う~ん、ワンピースはすさまじい。そのうち、アインシュタインやヒットラーやナポレオンやオバマさえ登場するかもしれないなぁ~、いやいや、楽しみ楽しみ。

空間認知と移動能力。

人間は知っている。自分達に動物達のような空間認知能力がないことを。

人間は知っている。自分達に渡り鳥のような移動能力がないことを。

人間は知っている。言葉のコミュニケーション能力の限界を。

だから、技術を進化させてきた。しかし、その反面、退化したことがないだろうか?

身体を寄せ合い越冬するペンギンのように、
子を守る鋭い眼光のライオンのように、
暗闇でも獲物を察知するフクロウのように、
水中で信号を交換してコミュニケーションするイルカのように、
人間の鈍いストロークを複眼で回避するハエのように
人間ははなれないのだから・・・、絶対に。

これは欺瞞に満ちた人間という種に対する罰かもしれないぞ、
これは実は生物的には未熟な人間の能力に対する負荷かもしれないぞ、
これは地球上で偉そうに踏ん反りかえらぬように課せられた枷かもれいないぞ。

政治の新陳代謝。

 新内閣発足。いつもこの瞬間は期待するがいつもいつもそれが新陳代謝ではないことに気がつくのにあまり時間は必要ない。結果、いつも何かをどこかで継承している組織だから、その部分を大切に守り続けていこうとしている人達だから、正確には新陳代謝など起こらないはずなのである。が、形式的にだけでもリセットしているなら、それ相当の結果が生まれてもよさそうな・・・と政治のことを全く理解していない素人として感じるのですが。政治には政治の世界のノウハウがあるのでしょうが、まぁ、もう、美辞麗句は聞き飽きて久しいので、皆様の立場でしかできないことを全うにやってください。としか期待できないですね。正確にはもう期待ではないのかもしれないですし。

 そして、然るべき立場に立ったわけですから、第一線を退いた人が私利私欲に走らぬよう監視しておいてください。退いた方達のゴシップは本当に喜劇であり悲劇です。

 で、平均年齢が59歳だとのこと。これが国を動かす中心になっている人達の平均年齢なのですね。たぶん、60歳以上だと思っていたので、ちょっとびっくりですが、でも、59歳って年齢はどうなの?人生経験も現場のスキルも人間関係も一番活性化されている年齢なの?それとも、そろそろ失速し始めている年齢なの?まぁ、この部分は十人十色でしょうが、「平均年齢59歳」はそういう意味で適正値なのかもしれないですね。

メモは紙でええやん!

 まぁいろいろなメルマガが日々到着します。ソフトからPCからアドビからアップルからマイクロソフトからその他いろいろ。ホテルからお勧め株から資産運用から。しかし、ストライクゾーンが非常に狭い私は送信先だけチェックしてDelete。でもたまに気になるキャッチコピーや気になっているDVDなどの案内を頂くと妙に気持ちが動いてサイトに侵入。

 で、最近、一番気になったのは「手書きのメモのデジタル化ツール」。これはいいかもしれない。手書きが即データになるってことは紙が必要なく保存も管理もしっかりできるしと、その説明画面をじっくり拝見。なるほどなるほどこれだけの機能がついて¥4,980か、と。で、購入するにはこの画面でと、お気に入りにいれる。そして、また、次の機会にその画面を見ると、どうもお気に入りに入れていた時のモチベはなくなっていて、なんでこんな商品が気になったのだろうか・・・となる。これもメルマガ効果なのかなとしみじみ。そもそも、「仕事デジタル人生アナログ」の私なので、メモなんて紙でええやん!紙にメモだからメモでしょう!?みたいなことになる。う~ん、ふらふらふらふらと人間は気持ちで生きているんですね。

新聞を読みながら・・・。

 米国の多くの新聞社では一律的なコストの削減を進めた結果、取材・編集力が弱体化したらしい。結果、読者を落胆させ、部数が減る悪循環に陥ったのだそうです。その結果、世界中の新聞社が過ちに気づきiPadによる有料化の実験に乗り出した、つつあるらしい。携帯端末に世界の新聞社が社運をかけているとうい側面も現実。そして、当然、ネット内の広告設定値が8~10%上がっているという報告もあるらしい。情報の発信方法であれ受信方法がこうもパラダイムシフトすると逆行不可のジェットコースターに乗っている加速感さえ覚える。一気に上昇し一気に加速する。このループを繰り返させられているうちにスピード感覚が麻痺してくるのでは・・・?以前ならこの程度のスピードを体感したら言葉も失い心臓もドキドキだったのに、それが、慣れてしまう人間。さらに、加速感を求める悪い癖。何がどうなって、どう転んでも、ジェットコースターは止まらない。ベンチに座ってそんな興奮しているもう一人の自分を、それこそ缶コーヒーを飲みながら煙草でも燻らせて見ているもう一人。そんな加速感の時代です。スリルだけのことなら、絶対にジェットコースターには乗らないが、ビジネスモデルとしての取り組みが軸にあるなら勇気を出さなければ・・・。

 朝起きて、iPadを起動すると画面の中から新聞記者が「おはようございます。本日のヘッドラインは・・・」ってことになるのだろうか?そして、夜、床につき書籍をめくる変わりにiPadを起動すると、3DCGの羊が「1、2、3、4、5、6、7・・・、」って数を数えてくれる!?う~ん、新聞社も大変です。

イマドコ?

 ツイッターを始めがどうもまだ理解・実感不足。まだまだ何をどうすれば?状態です。どこかでじっくりと取り組もうとは思っておりますが・・・。でもこれって青天井だろうから、自分なりの適当がベストマッチ。で、ふと、イマドコ?ということが情報の属性をかなり決定づけているように感じる。つまり、情報交換先の個人がどこにいるかということが情報のディテールをかなりの割合で占めている。何をしている何を考えている誰といるよりも。人間は空間認知能力の点でかなり動物の中でもその能力は低く、どうしてもロジックで存在感や存在意義を捉えようとするらしい。どこかに移動する際にも理由とか動機とかメリットデメリットで動く。そりゃ当然だろう!という部分が情報の孤立化を促進させているという論理。で、つなげるためのデバイスに注視さている啓蒙。イマドコ?がなんとなく気になる。

無料コンテンツ。

 「無料ゲームの仕組み」「無料ソフトのダウンロードサービス」「無料公開のWEB文芸誌」と「無料」が時代のキーワード。何かを得るために代価を払わず無料で入手させて限定解除するために課金を始まる仕組み。一回体感した便利の入口を無料で広く提供し、その中から有料ユーザーを発掘する仕組み。つまり、最初は¥0の価値のモノがユーザーの意識次第で有価化する。この化学反応をおこさせるのがコンテンツに内蔵させる「仕掛け」。しかし、何ごとも基本は物々交換時代からの等価交換がディールの基本だから、最初に無料で何かを得た時にその価値を誤解させてから、半歩だけ踏み出させて、それを1歩に変える方が0から1よりも簡単だということだろう。

 お店で¥1,000の商品がWEBサイトで¥900になり、他のWEBでは¥880になり、しばらくすると、その価格は一定の法則で下降する。そして、同じ商品が突然「無料」になり、無料の機能だけだと物足りなくなり¥100からだんだん¥1,000に上がっていく。この間、この商品の価値はいったい本当は幾ら?という疑問を抱きながら、情報化社会では、物理定数に価値が置き換わる。同じ商品であるならば、¥0より安い価格はないからである。これも販売促進計画の企画書の中のお話。しかし、かなりリアリティーはある。

 しかし、いい商品を開発してそれを購入された方に喜んでもらおうとする開発者・販売者の心意気としては、¥1,200の商品を¥1,000で売っているという自負があるはず。これも物理定数だと言ってしまえばそれまでですが、ここは、心意気という軸でモノサシで推量した部分。が、世の中の動きは前者に軍配がある。本来等価交換であるはずのディールがマスコントールやメディアマジックに捻じ曲げれらた結果の澱である。ここにはたして「真価」は存在するのか?真価を見極める人がいったい市場に何%いるのだろうか?ということに次のステップがあるように思います。あくまでも概論レベルですが。

呼吸の本@加藤俊朗

 詩人の谷川俊太郎さんがもっとも信頼する呼吸の先生・加藤俊朗さんと一緒に本を作りました。具体的な呼吸法から、宇宙とつながる世界観まで、詩人が質問し、呼吸の先生が応じます。という文脈が広告紙面には添えられている。詩人と呼吸の関係についてどこまで何が展開されているのか気になります。「呼吸法=運動」という捉え方をしてきた感じが強いので、「呼吸法=精神面」「呼吸法=世界観」という切り口が詩人という独自の視点で「呼吸の先生」が思うこと考えていることを考察されるのだろう。

 呼吸法を軸にお二人の世界観がどう展開されるのか非常に興味が湧く。デジタル文化はどうも人間の五感に訴えるというアプローチをたてまえに本音の部分で左脳的ロジックで押し切ろうとしている感覚が否めない。理解させようさせようとするがそれを本能のどこかで否定・拒絶する人間がいるように思います。しかし、マスに影響されやすい協調を合理と誤認させる仕組みが氾濫しているために、理解したを感じたと捉え会得できたように感じてしまうそれ。でも、身体や頭には何も入っていないから、新しいツールが出たらそれに簡単に移行できてしまう。このタイプの人間を市場に育てておいた方が発信側としては便利なわけである。海流を力強く泳ぐ天然のハマチとある一定の区域の中で育つ養殖のハマチの違い。餌は定期的に与えられるから身体は大きくなるが本能は退化する。

 この呼吸法でこれらをしっかりと分析できるような視点が得られれば呼吸も「されど、たがか。」である。

グランドゴルフ初挑戦!

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 今日は自治会・町内の皆様とグランドゴルフ大会でした。心配していた天気も快晴。逆に暑くなりすぎたらどうしょう?とか心配していましたが、午前中の2時間でしたのでちょっと汗するぐらいの適度な気温でした。年配の皆様が多いのでもしも・・・を心配していましたが、そんな心配は無用。皆様、元気にプレイしておられました。日頃はゴルフをやっているので、ちょっとなめていた部分がありました。もしかしたら、優勝できる・・・、優勝してしまったらどうしょう・・・?とほんとになめていました。いつものゴルフと全く同じで、グランドの外にボールが飛びだしたり、数センチなのに余計に3打打ってしまったり。同じ人間がやっていることだから、ゴルフでもグランドゴルフでも同じなのかぁ~と改めてグランドゴルフの恐ろしさを体験させていただきました。ガチの優勝者の方はパー3×16ホールの48のところをなんと38!なんと素晴らしいおばさま。で、私はふらふらしながらの48で37名中12位。なんでもいつもこんな位置です。でもほんとにケガや事故もなく無事終了してひと安心。なんでも事業やイベントを開催するということは大変なことです。皆様本当にお世話になりました。そして、お疲れ様でした!

 手前の赤い帽子が私です。このショットは確か・・・。

ダイレクトにつながるメリットとリスク。

 蜘蛛の巣(WEB)の縦糸は蜘蛛自身の移動のため、横糸は獲物を捉えるため。そんな糸(意図)が世界中に貼り巡らさえた。蜘蛛は葉の影で獲物が糸に捕られるをじっと待っている。WEBとは蜘蛛の巣の形骸化だけではなさそうである。ダイレクトにマスをスルーして繋がるの部分のリアリティーとは何だろう?繋がることも遮断することも蜘蛛次第。ただ、自分自身が他の蜘蛛の巣ひっかかる可能性がリスクであり、ルートに張り巡らせた透明な糸のトラップに待っているだけで獲物がかかるというのがメリットなのか。すると、つまり、それこそ目に見えないWEBでダイレクトに繋がるということは、いつでもWEBにかかった獲物の所へ縦糸を伝い走り込み自分のギアで繭にしてしまう能力と、新しい獲物を探して動く時、他の蜘蛛の巣に捉えられないように警戒する観察力があればいいということなのか。まぁ、いずれにしても、呑気な時代ではないことは間違いなさそうである。気がついたら繭の中で身動きできませんだけは避けたい。

「本を読む」=「情報を得る」ではない。

 お仕事でのアプローチの場合、WEBサイトからの情報を得るということと、本を読み何かを得るという行為には若干の差異があるように感じる。趣味の本を読む、趣味でWEBサイトを活用するなら、さほどその違いは意識できないのですが、何か仕事に必要なTIPSを会得しようとする際に、昔ながらかもしれないですが、書籍から得た情報とWEBサイトから得た情報ではどうもその浸透率や質量やテイストに違いが生じることに気が付く。それは具体的にどうやねん!ということになるとまだまだ体系化できていないし、ただの思いすごしかもれませんが、どうも何か違う。

 それは書籍を読むというリアリティーとWEBサイトなどのデジタルコンテンツを見るという感覚の「慣れ」の部分の違いだけならいずれ「慣れる」ことを待つでいいだろうが、本当にいつか慣れるのか?便利で効率はいいように思えるがいつまでも慣れないまま、「便利と有益」の啓蒙に押し切られ何か新しいストレスを溜めながら、いつの日かそれが書籍を読んで何か知識や技術を得るという感覚・能力を失わせることになったとしたら、それはかなりレッドカード。癌細胞のように生命を脅かす決定的な存在ではないものの、決定的ではないだけに、恐ろしいような気がします。小さいパンチをボディーにいっぱい喰らっているうちに、持久力や感覚を奪われいつしか戦闘能力も動体視力も失った本体が、電子画面に流れるテキスト・画像・映像を見ても何も会得できず、何も考えることもできなくなる悲劇。情報革命と呼ばれ、今そういうことが起こっているとしたら・・・。

 それらはいつの日か(もうすでにかも)背後霊のように肩の上あたりにいつもいて、右が天使で左が悪魔。双方からささやかれ(ツイッター)たり、判断力を鈍らされたりしながら、居付いてしまうような。デュークが見えて手にしている黒い液晶のノートにアップルのマーク。それがデスノートでないことだけを祈りたい。

一つの身体に一つの脳と心臓。

 基本となる母体は一つの身体に一つの脳と心臓(右脳・左脳は便宜上であり、心房心室も同意ではあるが)。つまり、60億の個体がサイバーなコミュニケーションをしているとして(必ずしも60億ではなくたぶん15億ぐらい)、個体と個体が繋がっているということは常に1対1であるはずであり、あるべき。しかし、相対に対して絶対があるように、繋がる末端までにあるハブやルートにもその影響がある。それを歴史と呼ぶもよし科学と呼ぶもよし芸術と呼ぶもよし。つまり最少単位である個体がチェーンのようにつながっているという意識というか概念を持つことが全ての基盤であると仮定するなら、モノゴトが個体単位で発生したと考えることと、いやいや、それは太古の昔から繋がっていると考える相対性こそが何よりの真実となる。まぁ、それを個体が分解して時に名声や地位になり、莫大な資産となり、その永遠のループがスパイラルが今日も地球上のいたるところでトルクを上げたり下げたり。

 と、一見壮大なこの考察も意味や意義を適用するためには工夫がいるわけで、それでも、思考の最小単位を一つの身体からひも解くことは非常に重要な視点だと思う今日この頃なのである。それは、いわゆる情報革命ということに対するある種の「構え」であり「姿勢」だと言える。

 で、これまではどうだったのか?ちょっと本来のルートに比重を置かず仕組みや組織や手法が肥大しすぎマス思考だったことの弊害があったように思えます。定職につかない若者が最高時より200万人減だと言うが、定職の定義もさて・・・、いかなものか。やはり、熱は熱い個体から冷たい個体へ流れるという定理に逆らえないということで。 

ガーボル・デーネシュへのリスペクト。

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 そうかそうか、グーグルはガーボル・デーネシュをリスペクトしているのか。今回も素敵なヘッダーアレンジですね。素晴らしい。

iPad 1,000万台!?

 iPadの年内の出荷想定数について上方修正があり1,000万台に再設定されたらしい。ロケットスタートばかりが何かと話題になっているが、どうやら、市場の反応はそれ以上らしい。特に私自身、iPhoneの場合はスルーしたが、仕事柄touchは購入した。と同様にPadは必要のようです。それ自体を仕事で何かクリエイトするということではなく、この汎用性というか機動力がまさにPad状態。様々な角度からの検証をニュースでやっているが、いつか、テレビでそれを観ることはなく、iPadのニュースはiPadがあればよくなるのでしょう。新聞やメディアは大変ですよ。ほんとに存在価値が下降・下落しますね。ほんとお疲れ様という感じ。つまり、コンテンツを持っている個人がコンテンツを欲しい個人にダイレクトで繋がる構図ですから(まだまだ、整備中でしょうけれど・・・。)、より等価交換の構図が成立するという流れでしょうね。広告代理店がフィールドを独占して市場をコントロールして、ひとり勝ちしていた時代が綻び、モノヅクリな人が自らの販路を自らで開拓しはじめ、それにデベロッパーの人たちが反応して、代理とか仲介とか媒体という経路を一刀両断した。つまりのつまり、究極の個人の時代なである。組織やシステムがスリム化される最小単位が個人なわけですから、箱を用意して「さぁさぁ!みなさん!この中で素晴らしい情報交換が行われていますよ!交流しましょう!交流しませんか!」などというナンセンスではなく、自らの意思とモチベーションで情報交換するコンテンツを創造し、モチベーションを持っている人は、そんな仕組みがなくとも、業種や世代や国境さえ超え、加速度的に深く広いコミュニケーションをして、そして、素晴らしい結果が出たということを意味する。そして、その皆様が次にそのギアとして渇望しチョイスしたのが「iPad」ということなのだろう。だから、受けられるスピードがカラーテレビの比ではないのだろう。これが現在のどうやらリアリティーのようです。買おう。

それぞれの世代の責任。

 広告・デザイン・印刷業界の歴史を振り返ってみても24年も関わっているわけで、24年しかという捉え方もできるが、「たかが&されど」である。その間、淘汰された分野や技術やフィールドがあり、それぞれに歴史があったはずなのに、もうそれらは歴史そのものになってしまった。細かくその分野に対する想いや感謝の気持ちもあるにはあるが、流石にまだその部分をしっかりと想い起して積年の念に浸る時間はない。次から次へと訪れる変革の波と呼ばれている現実を新しい価値観として受け入れ、適度に消化し考え動き創りづつけなければならないからである。

 では、20代、30代、そして46歳になった40代にこの仕事をできたことでの恩恵は必然だったのか?偶然だったのか?という部分。時代と共に発生した世の中の出来事に対して義務と権利ではないが、しっかりと自分自身は作用し反作用を適用できていたのだろうかと考える。さて、これから、なれたとして50代、60代になった時、どのように誰に関わりどこで何を考えるのだろうか?という思考の道のちょっと傍らにふと腰を下ろしてみると、さて、自分はそんな絶対に対してそれぞれの世代にそれぞれの責任を意識できていただろうか?と考えてしまった。そんなことを考えるようになったのもおっさんモードだからと楽観視できないぐらいに、今、世の中に起こっていることやビジネスシーンで繰り広げられる万象に対して、また、身近にお世話になっている人達に対して、バランスのいい関係は築けているのだろうか?と。

 ひとつ言えば、「絵を描く人」という視点で言えばもっともっと、お世話になった人やコミュニケーションしていただけた人に対して何もできていなかったのではないだろうかと暗鬼が頭を擡げる。最後の瞬間、50:50な気持ちでいるために、少しでもそのモヤモヤを絵にしなければいけないのではと、ふと考えてしまいました。この気持ちにたまたまはないはずだが、それでも、気分的なモノならそれはそれでいいとして、もっともっと、いろいろな気持ちや感情や考えていることを絵にしなければいけないと思います。この衝動は意外と強い。

鳩が逃げていった。

 品のいい鳩だったが、飛び去ったあとの体裁も気なるらしい。相当の環境で育ち、相当のレベルの努力と才能でそこへ降り立ったのに結果、公約をクソに変えて飛び去った鳩。何故こうも次から次へと現れるリーダーには素養がないのか?一言で素養と言ってしまうには想定外の世界ではあるが、ひとりの国民としてそれなりに期待もすれば落胆もする。いろいろな条件が整いチャンスを掴んでこられた幸運な実力のある鳩なのにこうも軽く飛び去られては・・・である。つまり、何をどうしようが、もう、その場所にいる人たちへの期待度たるやそこが上限だという目印にはなりました。

 ある仮説では今の政治機能をすべてクラウドに集約してシステム化すればそれに携わる人の数は現在の1/5でいいらしいですね。それで充分この国は機能するらしいです。表層の大義名分だけスリムにするのではなく、机の上の数字だけカットするのではなく、本質のそれらに適正な謝礼を渡して鳩といっしょに海外へ飛び去っていただくというのはいかなものか・・・。そこでそれまで培ったノウハウと知識でご意見番として監修しながら、ご自分達の人生をエンジョイしていただいてはいかがなものか・・・。もう、何事もそれぐらの分岐点に来ているような気がします。が、これもたまたまなのか?

DVD「ハジケマシテツアー・ファイナル・ライブ@いいくぼさおり」

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 ということで、さおりさんのライブDVDが到着しました。興味のある方はオンラインで「いいくぼさおり」で検索してあげてください。いろいろな「ヒストリーやリアルタイム」がヒットします。で、CDやDVDやライブチケットについて詳しくはこちら(http://futureamadeus.com/)こちらをご確認ください。

いいくぼさおりさんの元気。

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 アーティストの方の魅力を評価・分析・洞察する時にいろいろな変数がある。その場合「容姿が美しい」よりも「容姿は魅力的」が重要なモノサシ。で、パフォーマンスならば「伝わる」「伝わらない」がひとつのモノサシになるのではないだろうか。とは言え、そうそうライブに足を運べるわけでもなく、音楽はやはり容姿やパフォーマンスより楽曲である。テーマが曲調やトーンやテイストなどなど、これまたいろいろな変数を組み合わせてファンというのは総合評価を下し、アクションを起してている。それが、CD・DVDを購入するであったり、ライブチケットを購入してライブに行くだったりなわけで、アーティストとファンの心と心の間に何か化学反応が起こらなければ作用と反作用のスパイラルは派生しない。

 と、いつものことながら、第1球目(前置き)が変化球から入ってしまいましたが、今一番気になっているアーティスト「いいくぼさおり」さんの場合いろいろなフィーリングを持っておられますが、彼女を見て最初に心が動いた変数はその声や曲やライブの様子を拝見していろいろな「元気」がジンジンと伝わってきました。これが初球。で、そのピッチングの組み立てはまさに正統派でありながら、さおりさんらしい構成。気がつけばバットを一回も振らずに三振状態。でも、これは非常に満足のいく三振でした。しかし、次の打席では絶対にバットを振りたいと考えております。やはり、観覧席で応援するだけでなく、さおりさんの投げる球をできれば打ち返したいと思っています。さて、打席に立てるチャンスは回ってくるのだろうか。そこが一番キモ。

 ということで、これからも、元気にライブを重ね、元気を放ち続けてほしい方。さおりさんでした。

元暗し。

 一生懸命何かにフォーカスして時間を惜しんで貪欲に取り組んでいるつもりでも、それが、もしかしたらあまり他人にとって、もしくはビジネスにとって意味がない価値がないということになる場合がある。というか、そういうことは意外と多いように思います。しかし、「これは素晴らしいソフトだから、ぜひ、独学でもいいから勉強して仕事に活用しよう!」とか「この手法・表現はなかなか独自性が感じられるから試行錯誤をして自分のスキルとして取り込もう!」などと感じ実際に取り組むが、そのうち、想定以上に難しかったり、そこそこの状態になって、ふと、「あれれ、これはそれほど効果的でもないなぁ~」と気がつき、最初のテンションが下がり始めるってことないでしょうか?極端なお話、ある学部の大学に入ったが思っていた世界観がなく、逆にアルバイトの方にやる気がモチベーションが上がり、学校を辞めてアルバイトが本業になりビジネスとして成功するパターンの奴です。これは結果、幸福なのだろうか?ライフワークは誰しも同じスタートラインにスタート地点に立っているわけでもなく、ゴール設定もヒトそれぞれ。走り方も、もしかすると、競技さえ異なる場合が多く。時に個人競技の部分と団体競技の部分があったり、体力勝負の場合、頭脳勝負の場合、感覚勝負の場合などなどのつばぜり合いの本質が異なる。

 で、そんなことを考えながら、自分自身の得手な部分により磨きをかけて、そして、また、別の興味も貪欲に持ちながら技の引き出しをできるだけ多く取り込みたいと考える。これはごくごく自然な感覚だと思うのです。でも、相性ってのがあり、また、好き嫌いってモノサシもあるものだから、世間一般的にはこれとこれをやっておけば安泰みたいなことには興味が湧かず、どうでもいいことに興味を持ってしまい大義名分を失うケースもある。でも、正論はひとつではなく、他人の正論が自分の正論である可能性は極めて低い。

 すると、何かを一生懸命照らしているつもりでも、その光が相手にとってまぶしすぎたり好きな色でなかったり、光をあててほしくない気分だったりするとこれはメンドイことになる。だから、5W1H、コミュニケーションは難しい。そして、意外と自分の足元に光が届かず、しばらく見ないうちにゴミやコケやアカが溜まっていることに気がついた時、これはかなり辛い。たまには自分が今立っている場所にしっかりと光をあててその地面を確認する必要がある。これは分かっているつもりでもなかなか照らせないものですね。道草も時には大切だという言葉に癒されますが、道草ばかりだから・・・。

なるほどなるほどhtml5ベースか。

 「HTML5の完成には、あと10年はかかるでしょう。アドビはHTML5のWGのメンバーとして必要な作業をしていきますが、一方ではFlashプラットフォームのイノベーションを続けていきます。~HTML5をサポートしているという発言もあり(「完成に10年かかる」という言い方には多少の悪意を感じますが)、対立しているつもりはなさそうです。というのも、Flashプレイヤーは無料で配布しているものであり、アドビの主な収益の源泉は開発ツールからです。たとえWeb標準としてHTML5がFlashを置き換えてアプリケーションプラットフォームとなったとしても、HTMLのオーサリングツールであるDreamweaverが彼らのラインナップにあるように、標準をサポートする開発ツールを出すことによってアドビのビジネスモデルを維持することはできます(もちろんFlash/AIRというアドビ自身の技術がデファクトになることこそアドビにとって最も望ましいストーリーではありますが)。」とある。なるほどなほど、そういうことなのか。

 どこを指してエンドユーザーとするかはボーダーレスになったとは言え、超えられないボーダーラインは確かに存在する。が、デベロッパーの裾野が確実に広がり、ツールキットが下層まで降りてきていることは事実である。そのボーダーを超えられるか超えられないかは少なからずコストも影響するだろけれど、やはり、開発者のクリエイターのポテンシャルに依存するのだろう。国家的パイの物理的な研究には歴史があり背景が確立されてそこに存在する門は確かに狭い。しかし、まだまだ、IT分野は未開拓エリアが残っている(というか未開拓であるか否かさえ開発者・挑戦者のポテンシャル次第)わけですから、FACEBOOKが3600億円になるような先鞭一隅のチャンスはまだ残っているわけです。

 市場がhtml5になる10年先!?(たぶん)がひとつ雌雄を決するゴール地点になりそうですね。

 でも、自分自身、その頃には100%アナログ人間に戻っているかもしれないし・・・。

伝えたいモノ。

 誰かに何かを伝えたいという気持ちはどこからやってくるのか?という疑問。隣の芝生ではないが、とにかく他人の行動や言動は魅力的に感じるのも何故?よくその手の書籍には人は何かを探究しようと様々な洞察や分析を試みてきたが一番未開拓な「自分自身」の探究方法を知らない。などというフレーズがある。これもまた真実のような気がします。それでも何かを誰かに伝えたいという「伝えるモノ」や「伝え方」や「伝える理由」を確かめるのが実は一番難しいように思えた。我思う、ゆえに我あり。か・・・。デカルトの場合、本当のそれは何だったのだろう?たぶん、不明なままだろう・・・。