元暗し。

 一生懸命何かにフォーカスして時間を惜しんで貪欲に取り組んでいるつもりでも、それが、もしかしたらあまり他人にとって、もしくはビジネスにとって意味がない価値がないということになる場合がある。というか、そういうことは意外と多いように思います。しかし、「これは素晴らしいソフトだから、ぜひ、独学でもいいから勉強して仕事に活用しよう!」とか「この手法・表現はなかなか独自性が感じられるから試行錯誤をして自分のスキルとして取り込もう!」などと感じ実際に取り組むが、そのうち、想定以上に難しかったり、そこそこの状態になって、ふと、「あれれ、これはそれほど効果的でもないなぁ~」と気がつき、最初のテンションが下がり始めるってことないでしょうか?極端なお話、ある学部の大学に入ったが思っていた世界観がなく、逆にアルバイトの方にやる気がモチベーションが上がり、学校を辞めてアルバイトが本業になりビジネスとして成功するパターンの奴です。これは結果、幸福なのだろうか?ライフワークは誰しも同じスタートラインにスタート地点に立っているわけでもなく、ゴール設定もヒトそれぞれ。走り方も、もしかすると、競技さえ異なる場合が多く。時に個人競技の部分と団体競技の部分があったり、体力勝負の場合、頭脳勝負の場合、感覚勝負の場合などなどのつばぜり合いの本質が異なる。

 で、そんなことを考えながら、自分自身の得手な部分により磨きをかけて、そして、また、別の興味も貪欲に持ちながら技の引き出しをできるだけ多く取り込みたいと考える。これはごくごく自然な感覚だと思うのです。でも、相性ってのがあり、また、好き嫌いってモノサシもあるものだから、世間一般的にはこれとこれをやっておけば安泰みたいなことには興味が湧かず、どうでもいいことに興味を持ってしまい大義名分を失うケースもある。でも、正論はひとつではなく、他人の正論が自分の正論である可能性は極めて低い。

 すると、何かを一生懸命照らしているつもりでも、その光が相手にとってまぶしすぎたり好きな色でなかったり、光をあててほしくない気分だったりするとこれはメンドイことになる。だから、5W1H、コミュニケーションは難しい。そして、意外と自分の足元に光が届かず、しばらく見ないうちにゴミやコケやアカが溜まっていることに気がついた時、これはかなり辛い。たまには自分が今立っている場所にしっかりと光をあててその地面を確認する必要がある。これは分かっているつもりでもなかなか照らせないものですね。道草も時には大切だという言葉に癒されますが、道草ばかりだから・・・。