世界で戦えますか?か・・・。

 経済の専門誌の投げかけは「世界で戦えますか?」とある。◎世界で戦える人材の作り方。◎2年後、英語ができない役員はクビだ。◎中国でビジネスを成功させた日本人の軌跡。◎リーダー候補はスパルタ方式で「4倍の負荷」。◎グローバル人材に必要なスキル(英語と中国語、どちらを学ぶべき?世界で通用するスペシャリストの条件とは?中国・インド人とうまく働く条件は?)などなど、非常に興味をそそられるフレーズが列挙されている。そもそも、「グローバル人材」とは何か?この専門誌の中にその答はあるのだろうが、それを買って読むことは簡単であるが、一応、気になったので、このフレーズに対してちょっと道草をしてみたくなった。

 まず、なぜ、「グローバル=戦う」という発想になるのか?なんでもかんでも戦うという態でモチベーションを上げたいポテンシャルを高めたいという気持ちは分かるが、なぜ、ここは「戦う」にしてしまうのだろう。雑誌社も売上を稼がなければいけない危機感からか、崖っぷちモード感は十分に伝わってきますし、購買意欲を掻き立てるためにさまざまな工夫やアレンジがされているはず。必ずしもリサーチした人や編集した人は「戦う人」を探していたわけではないはず。が、結果、情報のアレンジとしてそれらを「戦っていた人」、そして、まだ、この雑誌を買っていない人を「戦っていない人」と設定してこの専門誌は編集されているわけです。国内でマイペースに日々の仕事をしている人達を「戦っていない人」、海外で仕事を展開している人を「戦っている人」と単純に比較することで購買意欲を高めたいのでしょう。だから、それに関連・連動するフレーズの連発・多発が止まらない。資格・検定モノも道義で、スキルアップ、スキルアップと連呼しても、これまで、そのモードになっていない人が、一定額の出費でスキルが上がりましたと錯覚させるモンキービジネスが横行しているが、スキルが上がったことで満足しているレベルでは実は何も始まっていないことをなんとか体感してもらうことが最優先のような気がします。

 戦えますか?って、なんとも緩い言葉だろう。戦っている人にも戦っていない人にも僭越である。