書物の設計。

 デザインとは何か?という問いに対して、ある記事に「知覚に秩序を与えること」という定義を読む。例えば、読書という個人的で社会的なアクションにも、さまざまな知覚と秩序の関係があると思われると。書物の設計とはすなわち文明の設計にほかならないとも言えると言っている。そこには根本のところで人間の知覚と社会の秩序を結びつけるという思想が機能して優劣を分岐している。液晶や電子インクの画面表示機が書物の世界へ本格的に参入し始めた現代、さらに、設計プランに緻密さが求められているとも言える。その場合、デザインの軸はどう移動するのか?それともしないのか?そこがもっとも気になるところ。設計はアナログであれデジタルであれできるが、成果物がその境界線を飛び越えていくならば設計者の思考もそのボーダーラインをいっしょに飛び越える勇気が必要である。

 電子と電波が知覚に訴えるプロセスで設計者の思考が何故必要か?何故、デザインする必要があるのか?に注視しなければ、普遍の秩序で統治下された表現で知覚への刺激の均一化が始まる。これは、良き悪しきの分岐ではなく、文化として継続性を内在できるか否かで思考されるべきである。問題視するべき標的は価値や正義や損得ではなく、「残せる仕組み」であるか否かのような気がする。資本主義こそ絶大な宗教スタイルだと何かの書籍で読んだが、まさに、流通させるべきは貨幣価値ではない、人間として手の中にあるコマの数である。そこに当然デザイン思考が深く関係していることは否めない。たかが書物、されど書物なのである。