2010年07月 アーカイブ

ぶれない人に・・・。

 ぶれない人になりたいか?なりたくないか?という思いが頭に浮かぶ。これは「ぶれない人:小宮一慶著」を見た時の思い浮かんだこと。人はなぜ金がからむとぶれるのか?としている。そして、どうすれば「ぶれない人」になれるのか?という疑問を投げ、「政治家や経営者など、自分の信念を持ち、それを貫くべき人々が、目先の利益にとらわれ、簡単にぶれている。だが、著者の長いコンサルタント経験からみると、信念を貫く人ほど長期的には成功を収める、と言える。人気コンサルタントが本音で語る成功論。」という777円の書籍である。

 まず、「ぶれている人」をなぜ金と関係づける?「信念」ってそう簡単に持ち続けることができるのか?それは本当に「信念」でいいのか?目先の利益を追いかけることはぶれているということなのか?著者の長いコンサルティングの経験ってもたぶん50年以上ではないだろう?どの程度の経験なのかを知らないままその経験からみられても・・・?それに長期的に信念を貫いている人が収めた成功って本当にぶれなかったからなのか?そもそも「本音」という言葉自体が怪しい。言葉、特に日本語は辞書どおりには解釈されていない慣習が日本には存在するし、定義どおりに教科書どおりのステレオタイプが権威だとか公認だとかスタンダードとされているが、もう、そんな画一的な価値観は誰も靡かないし、そもそも、この書籍は著者にとって「信念をつらぬいた結果」なのか否か?という視点もあったりする。

 で、人間だから心で生きているんだから、ぶれてもいいんじゃないと思う。たまにはセルフコントーロールできな「ぶれ」をエンジョイするのも人の特権だし、ぶれてないぞ!と思いたいだろうが、信念も借りモノなら貫き方も借りモノになるより、ちょっとぐらいの「ぶれ方のコツ」を持っている方が人生楽しいのではないだろうか。HOPEは追えば逃げて行き、それを得る準備ができている人に向かって降りてくるような気がします。2:8でぶれてる方が楽しいと思う。

芥川賞と村上春樹の関係。

 「1Q84」にもその名が登場する日本でもっとも有名な文学賞・芥川賞が、世界的作家・村上春樹に授賞しなかったのはなぜか。選考会で何があったのか、そもそも芥川賞とは何なのか?を徹底分析するって、何のために?

 芥川賞と村上春樹を何故比較するのか?逆フェイクか?一周まわって何が言いたいのか?日本の小説はほんとに代表作しかあまり読まない。最近ではほとんど手にすることはない。ニッポンの小説の未来はどうのこうのとこの著者は語りたいのでしょう。つまり、すべてが「ありき」なこのアプローチはいかなものか?自分自身、ただの食わず嫌いであることは認めているし、視野が狭いことも確信がある。その視点での偏った偏狂な独りごとではあるが、実際、本や小説が好きな人が100人いたら、このテーマにYESは何人?NOは何人?中立・無関心は何人だろう?その縮図がもしかして日本の文学の世界の縮図ならそれがこの国の歴史であり慣習であり文化であるとできなくはない。

 その部分に切り込んでいるかもしれないから少しは興味があるが、ならば、別に村上春樹ではなく、芥川さんと芥川賞の相関性について書けばいいのに。もしくは、村上賞という仮説をたてて村上春樹との相関性を語るってのもアリなのではないだろうか。と、いつものフラフラとした道草でした。

文豪はみんな、うつ!?

 という書籍があるらしい。漱石、有島、芥川、島清、賢治、中也、藤村、太宰、谷崎、川端・・・みな、苦悩そのものを作品にしたが、うち7人が重症の精神疾患、4人が自殺。原因は何か?精神科医によるスキャンダラスな作家論という書籍がある。ただ、現代医学で当時の作家をどう鑑定・診断するのか?もう、全て故人である。作品から推察・洞察・分析するならただの評論だろうし、このディテールを精神的にどう分解するのだろう?まぁ、このテイの書籍を買うことはないが、もし、作品がただのトラップでありフェイクならどうする?皆さんは心身ともに堅強・健康で作家としての作品を着想する段階で表現した文脈がたまたま現代精神医学では「うつ」だとしたら、病んでいるのはこの著者だという仮説もたてられる。現代が病んでいるか病んでいなかは別に興味はないが、その時代その時代に健全と病みの振幅はあるはず。つまり、この作家が代表作を生んだ時代背景と現代の精神社会とのひずみがこの書籍の中に吐き出されているだけのような気がします。なんでもかんでも「うつ」で片付けるイージーな感じもちょっとメンドクサイ。

オズデさんいいアドバイスをありがとう!

 いつもいつも導入に頭を抱えてしまうレーザープリンター。買い物的にはいつも100前後なので、イニシャルとランニングを合わせるとまぁまぁな数字になります。年間保守料金ってもの量販店などで購入するインクジェットとはまったく設定値が異なるのでこのランニングの部分も非常に重要なのです。

 で、どのメーカーのどのクラスにするのかという選択肢があるのですが、これもある程度まではスペックを吟味するのですが、結局、ブランドイメージとかWEBサイトのキャッチコピーに翻弄されてしまいます。それにメーカーさんが持ってこられるチャンピオンデータとセールストークにこれまた翻弄される。ってことで迷う迷う迷う。

 でも、一番、ありがたいのは弊社(アクト)と同じようなテイのトップに聞くアドバイスがやはり芯を喰っている場合が多い。そこで和歌山の後輩のオズデザインの社長に確認。やはり、そのアドバイスは何よりも信頼できる芯を喰った意見だった。やはり、何事もピンとキリがあるが、自分自身の考え方のディテールに対してベストマッチは近い存在からのアドバイスがとても有効だということ。いいアドバイスをありがとうオズデさ~ん!

富士山の頂。

mt_fuji_top01.jpg
 おおっ!これが夢にまで見た富士山の山頂か!あと1週間あと1週間。

水ヶ塚駐車場は雨。

mizugatuka_parking.jpg
 7月30日(金)午前10時頃の水ヶ塚駐車場の写真です。本日から友人が富士山登山にアタックしておりまして、現場からのケイタイ写真です。まだ、雨による警報中で待機中らしいですが、空はだんだん快晴に向かっている様子。ここから新五合目まで車で登り、富士宮登山口より午後からアタック開始とのこと。雨あがりの富士山アタックのようです。来週はここから私もアタックだと思うとワクワクしてきます。友人はこのあと八合目で宿泊して明日下山らしいので、途中途中でリアルな写真を送ってくれるそうです。で、8月2日からはまた別の友人が富士山へアタック!彼からの情報もこのブログで追いかけていきたいと考えております。くれぐれもご両名のご健闘を祈るばかりである。

西梅田の壁画サイン。

display003.jpg
 昨日は打ち合わせで心斎橋、平林、肥後橋へ。で、JR大阪駅から西梅田駅への通路の壁画サインがこちら。いつもここを通るたびにとても気になっていました。まぁ、これだけの作品を仕上げるには描いた人も大変ですが、ここにこのテイストを起用した人もエライ!直接描いてはなさそうですが、この空間はとてもいろいろなアイディアが注がれていて楽しい気持ちになります。これがリアルな写真や3DCG的な近未来空間だったらたぶんこんな気持ちにはならないなでしょう。また、このサインの中に登場している人物が全て外国人(著名人)という設定もテッパンですがマッチングしているようなテイストです。やはり、これも手描きの絵のチカラなのかな・・・と。

 どこかにこんなテイストの絵を描きたいものです。

お店の薬、病院の薬。

 風邪をひくとその度合でただ栄養を摂り安静に寝ると、薬屋さんの風邪薬を飲むと、病院に行ってお医者さんに診ていただき処方された薬を飲む、もしくは、高熱なら注射か点滴。その上は入院ということになるのですが、その判断のモノサシって何だろう?「ちょっと身体がだるくて微熱があるなぁ~」程度なら早めに風呂に入って寝るですが、「おおっ!寒気がする!体温も40度を超えてる!頭がふらふらする!」なら病院に行くのですが、その中間ってあるわけで、もしくは、複合的に他の調子が悪い要素などが含まれてくる場合があるわけで、風邪は万病の元と言いますが、風邪の原因も多様なわけです。

 とある書籍で医師の著者が風邪だから薬をすぐ飲むのは身体自身の治癒力を落とす原因になると言っていたが、「身体がちょっと熱くてだるいなぁ~」レベルならそういう判断をするかもしれなが、視線も定まらないぶるぶると悪寒が止まらない椅子に座っていることもままならない・・・って時に、「身体自身の治癒力が~」などと考える方は少ないはず。つまり、度合によって、ただ休むという判断とお医者さんにお願いするという判断が常であり、その中間は任意(さじ加減)となる。

 逆に仕事でソフトウエアやPCを検討・購入する場合、自分自身で経験上やネット上の情報をかき集めて判断・決断する場合と、どうしても、最終判断がつかない場合は専門家の意見を仰ぎ、こちらの意向や希望をお伝えしてあとはエキパの方にお任せします!となる。前者なら価格は最安価なモノをチョイスできますが、後者ならエキパの方を信頼してお任せします。「まぁ、できるだけ安くお値打ちにお願いします。」程度のお願いをするだろう。だって、自分自身にはない経験値と情報力と知恵をお持ちなわけですから、そこに「費用対効果」のモノサシが登場するわけです。つまり、自分自身的にはここまでなら費用対効果は自分のモノサシで量れるが、ここから先は自信がないということを認識しているから、「お願いします!」となる。これが逆に妙なテンションのプライドが邪魔して専門家の方の意見を聞き入れず手前勝手なことばかり注文・希望・要望して、しっかりとコミュニケーションもとらずに、「もっと安価にならないですかなねぇ~!」とカラ暴言を出したこともしばしば。身の丈知らずであったと反省しきり。で、いいソフトやPCがそのプロセスで導入できたか?と言えば、NO。

 つまり、風邪に対する「薬」とは、広告や販売促進やインターネットの世界での「デザイン」に相当するわけで、お客様おひとりおひとりの費用対効果のモノサシで推量してもらって価値があると感じていただけてなんぼだという意識を強く持たねばと感じています。安い薬はドラッグストアに売っていますが、風邪をひいた時、ほんとうに困っている人が病院に行くわけですから。小さい会社ですが、自分自身はドラッグストアの店員なのか、病院の先生なのかをしっかりと明確に心に持っておきたいと思っております。だから、プロとしての経験値と情報力と知恵が全てのお仕事の生命線なのですね。

ゴーヤ君順調です。 

goya100728.jpg
 手を伸ばして接写したらピンが甘かった・・・残念。でも、こいつが一番大きなウチのゴーヤ君です。ちょっと大きな葉の影にで発見できなかったのですが、発見した時の感動は大きかったですね。このまま、素敵なサイズまで発育くださいな。で、ゴーヤの適正なサイズって何センチ???

富士山に1度も登らぬ馬鹿、2度登る馬鹿といわれるが・・・。

 素晴らしい名言だ!私は8月7日の午前8時から富士宮登山口からアタック!これが人生初の富士山チャレンジとなる。ほんとにいろいろなサイトで富士山への愛についてリサーチしてきましたが、この名言のリアリティーをあと10日後に体感できるんだ!もう、ドキドキが止まりませんね。この日のためにほぼ1年前より地道なトレーニングをしてきました。1年かけて体重も69から62に絞り現在安定しています。足腰も毎朝毎晩のスクワットでそこそこ大丈夫だろう。しかし、登山で一番危険なことが「過信」であることも頭には叩き込んである。が、その日、その登山口に立った時、自分自身がどんな気持ちなのか?自制できるのか、目の前の風景に完全に飲み込まれるのか?中学2年の時、初めて学校を代表して地区の100mに出場した。あの時の心臓の鼓動は今でも覚えている。100mだったからあっという間だったが、今回は山頂まで順調にいって4時間ある。このリアリティーはいったいどんな感覚なのだろう。さて、2度3度登る馬鹿になりたい・・・。

カエラさん新曲!!!

gamen100728.jpg
 もう、飛ぶ鳥を落とすって感じ。ハマっている人、アタっている人ってのは、何をやっても時代が口開けてまってます状態なのでしょう。「Deep Beep」なんと素晴らしいタイトルだこと。もうすぐママなので、カエラちゃんからカエラさんへでしょう・・・(なんのこっちゃ!)。

 詳しくはこちらのWEBサイトをご確認ください。

松丸本舗の取り組み。

 「インターネット上で、文学、経済、芸術などあらゆる分野の書評を行い、セールスにも多大な影響を及ぼす松岡正剛さん。自らがプロデュースする松丸本舗では、リピーター続出のユニークな書棚空間をつくり出している。」らしい。この新聞記事が気になったのも、その松岡さんがお勧めの「今、読むべき本はこれだ!」的な(このテイはほんとにキライなのですが・・・)セレクションの中にたまたま、すでに読んでいある本が20冊中、8冊もあったので気持ちにヒットしたのかもしれません。ベスト3の中にも2冊が入っていたので、この2冊は誰に勧められたわけでもなく衝動買い的に購入した書籍だったので、何かのサインなのかと気になりました。

 で、記事を読み進めると、「本を体になじませる。」や「人との会話するように読む。」とかとても気になるフレーズがあったのです。まぁ、本の好きな方ならこのテイはテッパンかもしれないですが、それでも、この記事は気になりました。電子書籍が目まぐるしい時代の変革の寵児のように取りざたされていいますが、ほんまに?という心もどこかにあって、まぁまぁ、そうヒートアップせずとも、リアル書籍でも電子ブックでもなんでもいいんじゃないの、要はすべて「我思う、ゆえに我あり」なのですから。

 BTW,「もっと気楽に気軽に本と付き合う。自分のスタイルでコミュニケーションを。」ということのようですが、この言葉が馴染む人ってすでに~の人でしょう?これはまさに「~ありき」の投げかけですから、このデレクターもストライクゾーンの設定が狭いような印象を受けました。世の中には本を読むよりももっと気楽に気軽に付き合えるモノが氾濫し過ぎていますから。さらに、「自分のスタイル」でかなり受け手に依存している論法です。野暮にもそれが何%かとは考えませんが、「本=スタイル」をコミュニケーションに展開できる人、老若男女が無作為に1,000人いたら、30人ぐらいじゃないですかね。(何の物理定数でもありません。)

 まぁ、気になったついでに「松丸本舗WEBサイト」をのぞいてみました。が、サイトの仕組み的には21点。本丸の内容的にはまたじっくりと拝見するとして、WEBサイトの仕組み・表現的な採点は21点でした。

 詳しくはこちらのWEBサイトをご確認ください。

博報堂の狙い。

 日本企業向けの中国国内での企業イメージアップ戦略について、中国に進出している日本企業に対して博報堂がコンサルティングを展開しておられるらしい。製品の評価は高いのに企業としての評価が低いための販売力の活性化というか根底からのボトムアップだろう。国内では企業ブランドの価値向上が広報戦略から社会貢献まで、ふんふんと「聴き入る企業」が多いだろうが、相手は中国の慣習や文化である。市場を確保してニーズを捉えるために、さて、どのようなコンサルティングが展開されているのだろうか、とてもとても興味がある。中国では「尊敬できる企業かどうかが製品選びにおいて重要な意味を持つ。」とのことだそうですが、お互いをリスペクトするためにまずは「尊敬」というベクトルで何かを始めなければいけないのか・・・。頭で理解していても心の反応はいかなものか。小さいことがネックになるタイプの国民性がデリケートと賞賛を得る視点とパイの小ささをファジーなニュアンスで押し切る戦法の間に存在するさまざまなストレスに、さてさて、人間様がどれだけ耐えられるのか・・・?というディーテルだろう。

 まぁ、このテイのことはこうして博報堂さんあたりが旗を上げていただかなければ、なかなか、ゴイっとムーブメントにならないし文化として定着も観念として浸透・波及もしないわけですから、博報堂がってことではなく、もっと、内部の個人名を出して、顔を見せてほしい気もします。

 で、結果、ビジネスシーンにおける尊敬とは何かを外に内に示すことで、もう一度、広告代理店の復興を狙っているのか?いやいや、これを契機にピンで動くポテンシャルの高い人のフェイクなのか?このマスメディア戦法にどんなトラップがあるのか?それが見えた時にこのプロジェクトの真価が見えるような気がします。

79.59歳まで。

 日本の男性の平均寿命は79.59歳らしい。現在46歳ですから、まぁ、平均という意味であと33.5年という計算です。ということはもう半分は完全に終わっているということ。折り返し地点がどこだったかは不明ですが、この平均年齢はリアルである。この数値で世界一らしいですから、世界中の皆様の場合は人生がもっと短いってこと。まぁ、人生は長い短いではないが、短いより長い方がいいだろうし、ただ、長いというのも悲しいが、明石家さんま先生の有名な言葉「生きてるだけで丸儲け」の言葉どおり、あまり強欲にならず適度に貪欲に、丸儲けなんだとそこそこガツガツでちょうどいいような気がします。そのためにも身体ひとつ脳ひとつ心臓ひとつの人ですから、まずは健康に貪欲になりたいものです。

 心の健康がどうのこうのというテイのアプローチを目にしますが、心(頭)だけ先行してもバランスは崩れる。何事も身体と技との三位一体。暑い日が続きますが、水分とモチベーションをしっかり補給しながらの丸儲けといきたいところ。

デカイ雲。

cloud100726.jpg
 ふと振り返るとデカイ雲。思わずパチリ。

富士山登山まであと12日。

 富士山登山に向けてそろそろ具体的な準備物を揃え始めています。と言ってもほぼ大物はすべてそろっているので、あとは、ちょっとした備品程度。少なくとも3冊の富士山登山関連の書籍と雑誌を読み、ネットでもいくつかエキパの方の情報をリサーチして~の、備品のリストアップ。普通の3,000m級の登山とはまた違った趣きの富士山登山。高地を歩くコツや心得の基本は頭に入っているつもりでも、いざ、現場となるとたぶん想定以上の何か不具合が起こるはず。それに対しても気持ちや準備品を整える必要があるようです。今は、書籍やネットの知識を頭で予習し頭にたたき込んで健康管理をしながらも、暑さに負けないようにダラダラしない生活を朝のラジオ体操から続けています。

 初心者の陥りやすいポイントとして、準備物を多く用意し過ぎて当日の背負う荷物が重く多くなり過ぎてエライことになるというパターン。今の段階から確かにそれは心配要素。あれもこれもではなく、今想定できる最適をジャッジしたいと考えております。体調にしても暑いのは仕方ないとして、それでも、適度に身体を動かして、ちょっときつそうでも長い距離を歩いたり、階段は1段飛ばしたり、時間があればスクワット。登山は自己責任。ただ、今は当日、山頂に立つ爽快さだけをイメージしています。

デザインって農業!?

 いろいろなお仕事のエキパの方とお話をしていると、いろいろな打ち合わせやお客様のお仕事の流れやこだわりやビジョンなど詳細を拝聴していると、ふと思うことがある。私の仕事は「どこか農業に似ていないか?」と。業種で言えばあきらかに、土の匂いもしないし、自然の影響はあまり関係ない。炎天下で額に汗することもなく、朝のすがすがしい感じなどまるでない。が、なんとなく農業のようだ・・・みたいな。

 まぁ、「第一次産業には、自然界に働きかけて直接に富を取得する産業が分類される。クラークによれば農業、林業、漁業、鉱業がこれに該当する。水産加工のように天然資源を元に加工して食品を製造する業種は製造業に分類され、第一次産業には含まれない。クラークは、経済発展につれて第一次産業から第二次産業、第三次産業へと産業がシフトしていくことを提示したが、クラークによる分類では産業内部で生じている構造変化をとらえきれないという弱点がある。例えば、現代では同じ農業をとってみても、開発途上国でみられるような昔ながらの農業もあれば、先進国でみられるような、バイオテクノロジーを駆使しブランドのマネジメントも行うといった第二次産業的、第三次産業的な農業(アグリビジネス)もあり、同じ農業であっても多様化が著しい。」などという意見もある。

 また、「第二次産業には、第一次産業が採取・生産した原材料を加工して富を作り出す産業が分類される。クラークによれば製造業、建設業、電気・ガス業がこれに該当する。現代においては製造業も多様化しており、古典的な第二次産業の枠内に収まりきれない業態も出現している。例えば、アパレル等ファッション関連では、消費者の嗜好の移り変わりが早いので変化を迅速に生産に反映させるために、製造から小売までを一貫して行う業態(製造小売業)が主流となっている。逆に電器産業ではOEMやファウンダリーへの発注などにより、商社化が進んでいる場合もある。また、研究開発などの情報や知識を生産する機能を第四次産業として位置づける考え方も提唱されている。」という第二次と、「第三次産業には、第一次産業にも第二次産業にも分類されない産業が分類される。クラークによれば小売業やサービス業などの無形財がこれに該当する。これらの産業は商品やサービスを分配することで富を創造することに特色がある。」という第三次がある。

 となると、デザインは第三次だと捉えていたし、業態的にはそうだろう。でも、上記の「自然界」に働きかけるアプローチという部分に注視すればお得意様は人であり、人は自然だと捉える捉え方は結構個人的に心のピースにマッチする。マスメディアが崩壊する。つまり、販売促進の手法やデジタルコンテンツを連動させ商品の種を植える場所(土地)を吟味し、種を植える。水をやる、肥料をやる、葉をつける、花を咲かせる、実がなる。情報革命が全てを第一次的なアプローチに回帰させる、みたいな。いつの日か第二次や第三次などのカテゴライズさえ、全て「自然界」で包括させるような革命だったと語られるような未来をジョブスはイメージしているような。考え過ぎかな・・・。汗をかき出しすぎて少しミネラルとアミノ酸が減退して迷走ぎみかもしれないが・・・。

壁画描画中、ちょっと休憩。

working_now.jpg
 1週間雨が降らない。下地塗りも完了したので、水曜日より描画作業に入っています。で、昨日は、朝から猛暑の中、午前中から描画を開始。が、1時間描き始めて身体中の水分が全て出たような感覚。水分補給するも次から次へと全身から汗になり流れ出る。ベトベトになったTシャツとパンツもすぐに乾燥してしまうぐらいの外の仕事の脅威的な環境。

 改めて、建築現場での皆様の毎日の仕事に対してリスペクト。立って絵筆やハケを動かしているだけなのに顎からひじから背中から汗がポタポタ状態。そんな中、金曜日は夕方、ソフトボールの練習で夕方とは言え、外野を1時間ほど守り、前に後ろに右に左にボールを追いかけていましたから・・・、当然のごとく両手も両足も腹筋も背筋も筋肉痛。そんな中の午前中からの炎天下の描画作業は、もう、何かの罰ゲーム状態。気力で午後5時まで頑張りました。もう、残っているのは帰りの車の運転する気力・体力だけでした。なさけない体力になってしまったものです。

 中学・高校時代はこんな炎天下でも朝から夕方まで野球や陸上の練習をしていたのに・・・。ほんとに遠い、遠すぎる過去の記憶も朦朧とする炎天下の作業でモヤモヤと回想してしまう始末。そんな状態での一枚です。でも、涼しい部屋でパソコンの仕事と比較してですが、こんな無茶な環境での仕事もちょっと中毒(クセ)になりそうです。

壁画の準備#02

wall_painting02.jpg
 で、翌日、絵を描く前段階の下地塗り段階が完了。二人で3時間。う~ん、水分補給しながらも次から次に汗になる。この日も夕方でしたが、もう、フラフラ。想定以上に高さ1.6m×横幅8mは広い・・・。

壁画の準備#01

wall_painting01.jpg
 まずは、1週間前、壁面を描くためのお掃除が完了したところ。夕方の時間帯とは言え、上から下からの熱気は想像以上でした。午後4時からブラシでこすりながら水をかけてお掃除完了。汗が身体からこんなにも出るものなのか・・・と。

エンディングの研究。

 あまりこのテイの書籍には興味を受けないタイプなのですが、何故か気分的にこのタイトルに少し反応してしまった。「エンデイングの研究」って!この書籍のリードはこうなっている。「エンディング」とは、「死」のことである。しかし本書のタイトイルは、死そのものの研究を意味していない。「死ぬまでに為し終えておくことの研究」と言えばわかりやすいだろう。残された年月に何を為すべきか。それが本書の主旨である。」となっている。協力団体として健生エンディング研究会という団体名称があるので、ちょっとこれはまずなんだろう?となるが、もし、このテイの書籍に想定以上の深い文化や慣習の歴史に対する精神的な物理的な洞察があるとすれば、この書籍は読んでみたいと思った。

 が、たぶん、恐らく、直感的には15%以上の確率は期待していない。が、そんな書籍でも意外とのびしろがあるケースもなくはない。が、現状の感覚が15%なら入手して手元に置きたいと思う気持ちには遠い。ただ、「エンディング」という人生の切り方がアプローチがとても思いきっていて興味を受けた。きな臭い自叙伝でなければいいのだが、それを確かめるモチベーションも15%以上ではない。ただ、ちょっと気になるキーワードでした。

ひきこもり69万人!?

 つまり127,767,994(17年10月のデータ)人中約690,000人が現在ひきこもっている状態であるというデータがある。信ぴょう性はたぶん恐らく70~80%程度の精度であろう。つまり、0.005%がどうも自分の部屋から出ない人、もしくは家から出ない人という断定を受けているらしい。つまりのつまり、日本の国民の200人いたら1人はどうやら「ひきこもり」と認定を受けている状態。海外の事情はどうなんだろう?また、ひきこもり傾向にある若者については155万人いると推計されている。これらのことを調査する人も大変であろうが、調査結果を踏まえ、この調査の責任者の方は「高いコミュニケーション能力が必要な時代になり、それができずにひきこもる若者が多いようだ。」と言ってしまっている。また、何でも病理にあてはめたい立場の人たちにすると、精神疾患と定義し区別しうとしている。

 さてさて、現代は本当に「高度のコミュニケーション能力が必要な時代」なのか?ある企業では公用語に英語が導入されニュースなっていたが、逆にひきこもりスタイルの方が生み出すニーズもある。法律や権威や名声に守られた椅子の上に座り、国民の声を聞くというたてまえで、私が国を変えますってことを言葉にしている時点で、この個人に高いコミュニケーション能力があるのか?と疑問になるし、限られた組織の中で一定のルーティーンを繰り返し大義名分を肴に美食にうつつを抜かしている人達も、決して高いコミュニケーション能力があるとも思えない。いわば、通念化したひきこもり状態だとも言えなくない。共通言語を失った段階で正確にはコミュニケーションが成立していない。コミュニケーションの基本ルールは等価交換であるべき。世代も年収も立場もポテンシャルも超えて等価交換のスタイルを維持できる人はさて200人中何人いるだろう?

郷に入っては・・・!?

 「郷に入っては郷に従う」ということわざがある。ことわざには人間の叡智があると思いたいが、鵜呑みにはできないし、一旦部分的に自分自身に適用するにしても、自分なりの分析・分解はしておきたい。分解できればその構造やパーツのひとつひとつが見れて手にその部品をのせれば全体像がより理解できると思う。だから、私は昔から「一般的に」という言葉に心の真ん中があまり反応しない。つまり、「一般的に」や「標準的に」を連発している人の言葉にあまり質量を感じない。連呼してその人は自分の立ち位置を「標準」にしたい呪文のように聞こえるからである。いやいや、ならば、はさみを使っているバカの方に魅力を感じてしまいます。

 また、別の視点でこの言葉が好きになれないのは、日本語の慣習の中で生まれたのか、古く中国のどこかで生まれた言葉なのかは知らないが、現在、日本語としてこのように存在している以上、日本語として捉えてのお話ですが、考え方の根底が狭いし一方通行であり、まるで、赤信号みんなで渡れば怖くないのテイがプンプンだから。

 英語には「so many country, so many custom.」という言葉があるらしい。様々な国には様々な慣習がある。という意味だが、これは、それぞれの慣習をリスペクトしながらも自分のスタンディングポジションは明確に持とうよ!的なニュアンスを感じる。これもニュアンスのさじ加減ひとつだと言えばそれまでですが、明らかに日本語の「郷に~」とは違うベクトルを感じる。

 日本の冠婚葬祭の儀礼的な部分が深く日本の文化や歴史や慣習や生活スタイルに関連しているのは間違いないが、それでも、そういうことだから私もそれで安心ではなく、そう言われたからYESもNOもなくそうしておけばいいだろう発想の「郷に入っておけばとりあえず安心型」の人間にはあまりエネルギーを感じない。で、郷ってなんやんねん!となります。

 そんな方とのコミュニケーションではとりえあずポーンだけ動かしていればいいかな・・・と。キングとクイーンは動かない動かない、みたいな。

骨をデザインに・・・。

born_design.jpg
 ほぉ~、一見、前衛的なインスタレーションかなと思いきや、iPadのケースらしい。デザインのアイテムに「骨」か・・・。なるほど、実際に自分の骨をダイレクトに触ったことはないし、骨格見本っても小学校の理科室レベルで恐る恐るタッチしたぐらい。そういえば、人間のろっ骨も自然が成しえたクリエイティブ(創造物)なんだ。構造的にも心臓(iPad)を守ります!的なニュアンスが伝わらないわけでもなさそうである。骨か・・・。着眼点がいい。

 詳しくはこちらのWEBサイトをご確認ください。

グーグルまたまたやりよる。

mucha10-hp.jpg
 しかし、やりよりますね。グーグルのこのテイのエネルギーとセンスはピカイチ。活性率の高い組織の人間のエネルギーがこの一枚に象徴・集約されている。それほどロゴマークは凝縮されていなければいけない。パソコンでチョイチョイと創った(創ることは悪いことではないが・・・)ものをそのお店の看板に上げることの意義が、体裁だけ整っているのと、深い思慮と広い経験知と相当の技術が注ぎ込まれたモノでその後の波及・訴求・展開がどうなるかが見えているなら、絶対に後者である。それが自分できないなら間違いなく費用をかけるべきだ。が、景気のせいにしてそれをスルーする。それは、自社の未来をスルーしていることになる。

 自分で15万円の材料と時間をかけて大型液晶テレビを作れるならそれを観ればいいが、一般的に15万円で液晶テレビを一から作れる人はそういない。だから、15万円の価値がある。それと同じ。

 いやいや、グーグルさんはやりよります。オリンピックやワールドカップのも素敵でしたが、個人的にはやはりミュシャテイストのこれはいい。

アップルの次の展開は?

 さてさて、アップルの次の展開はいかに?iPodをブラッシュアップするのか?iPadのテレビ?それとも、新しいコンセプトのMAC???ワクワクドキドキはいいのですが、あまりにも展開が速すぎてワ!ド!で次から次へですから、もうちょっとゆっくりとあせらずに戦略を展開していってください。そんなに早く展開されても持久力が・・・。って、これもアップルマジックかもしれないから、何もアップルのゴールだけを目指す必要もない。便利だ便利だってことですが、電子ブックがそれほど上だとも思えないし・・・。

キレイな夕焼けの琵琶湖。

biwako100721.jpg
 暑い一日でしたが、ふと、湖岸で車を止めてパチリ。とてもキレイな夕景でした。

USTの展開例。

 確かに素晴らしい技術ですが、ユーストリームってもうひとつ具体的な展開例が見えているようで見えない。確かにあれをこうしてこうすれば・・・で構造は理解しているつもりでも、それだけの技術がどう何に展開できるのか?まぁ、なんでも同じですが、武士は刀を持って、農業の方はクワを持って、漁業の型は網を持って仕事!?をしておられたわけです。これはどうも本質の部分ですから、時代が大きく変わりました。紙の書籍がある時から電子ブックに変わりました。さぁ、端末で電子ブックを読みましょう!安いですし、動画や音声も聞けるのですから・・・は、一見、便利なように魅力的に映るが、じゃあ、それで何を見ているってことになると、どうでもいい安直なアプリに興じる、雑誌を動画付きで見て情報のディテールが高くなったように感じる。これはこれでいいのですが、なんかちょっと技術や啓蒙的な部分が先行し過ぎて楽しいのか楽しくないのかちょっと疑問。

 そりゃ、ある日突然、農家の方が刀を持たされて、今日から武士です。戦争に行ってください・・・では、大きく様は変わったが、歴史が繰り返されているだけのような。もっと、無国籍に異なる異文化と交流したいし、異文化の慣習の中で自分のポテンシャルを試してみたいというベクトルの方に気持ちが動いてしまいます。結局、道具が進化しても立っている場所を変えなければ人間の中身は同じような気がするのですが・・・。

僕なりの山登りの意義。

 それが偉いとか何かと比べて秀でているということではない。富士山に登ることをいろいろな人に言うと極端に2パターンの意見を聞くことができる。ひとつは「そんな無謀なことはやめほうがいい・・・。」「何故?そんなシンドイことをする意味があるのか?」「身体のことを考えたらやめるべきだ。」などの反対派。と「素晴らしい挑戦ですね。私もずっと登りたいと思っています。また、山頂に立った時の気持ちを教えてください。」「準備とか大変でしょう。でも、いいですよね。私もいつか必ず登りたいと思っています。」「私も以前に登ったのですが。大変でしたが、あの達成感は無二ですね。」との賛成派。

 この二つの考え方を否定も肯定もしないが、否定する人に対して思うことは「残念」。賛成して応援してくれる人に対して思うことは「感激」。である。もう一度言うが、登れるから賛成してくれるからいい。登れないから反対してくれるから悪いでは決してありません。私の腰や首が悪いことを知って、無理をしてはいけないですよ。私の気性や人間のタイプを知っていて、無茶をしてはダメですよ。もう決して若くはないのだからと言ってくださっていることは十分に理解している。

 が、人間の核の部分はそうモノゴトを多様に捉えることができない。否定する人と共鳴したいとは感じないし、言葉少なに共感を得られる人に対しては大きな共鳴を覚え、心から嬉しさを感じる生き物だと思う。言わば、デザインやWEBサイトのお仕事も同じで。自社の商品や業務内容を否定から入ってくる人と一緒に仕事をしたい、否定的な方にコストをかけてツールを創ってもらおうと思う人は少ないはず。それは、教科書通りの回答としてではなく、逆の立場なら私がまさにそう思うというところから組上げてきた考え。作用と反作用に注視しなければモノゴトは進化も進行も融合もしないという結論。

 で、山登りの意義とは。いろいろな条件で日々を過ごし、いろいろなタイミングで挑戦して失敗して挑戦して失敗している。が、結果、そこに登ろうと考える人や実際山で出会った人は少なくとも一歩踏み出した人であるはず。それをその場所で共有できることが、私は山登りの醍醐味だと思う。自然に触れるとか共に時間を共有するとか、五感が刺激されるとか、適当な理由はいろいろ思い浮かぶがそれは表面的な意義であり、本質は、山というシチュエイションでの一期一会を共鳴できる快感があるからだと思います。それを感じるためにもう1年以上地道なトレーニングをしてきた。そのお蔭で40度以上の熱が出ても仕事ができる。ずっと諦めていたゴルフで95のスコアを出せた。山に登ろうと想い付き得られた副産物は多い。

 つまり、そういうことである。富士山に登ることは偉大な行為でも、登れる登れないが優劣の尺度で量れるようなモノでもない。登るために努力すること。自分が決めたことに対して努力をできる人がその場所に行けるとしたら、何もしない人とは自分の器の中で小さい判断に迷い大きい判断を見誤る。結果、その場所に行けないのだろう。最後にもう一度、その場所に行けることは決して優れているということではない。ただ、いけない理由があることが人生のいろいろな場面でその場所に行けなくしているということに気がつかず、いつまでも同じ場所にいる人生はどこか寂しいような、楽しくないような気がします。あくまでも私の個人的な独り言ですが・・・。

How to dismantle an...

 もし、僕のいる場所がめまいだとしたら、ここには知りたくなかったことの全てがあると君はいいたいのだろうか?思考よりも強い感情をコントロールできずに、ただ君がここで夢想していることが僕のリアリティー。だから、僕はこの場所で君を感じたいから、こうして、ひざまづいているだけ。これで、チェックメイト!だからじゃなく、ほらね!って言えばいいんだよね・・・。と。

 う~ん、ちょっと曲解してみましたが、いい曲です。何回聴いても。

元気な企業が多い国、日本へ。

 日経新聞の全15段をこの切り口で押し切ろうとする強引なスポンサーだこと。読めば、日本経済新聞者が読者や企業のみなさんと、ともにつくっていく紙面だとのこと。なんともフワフワしていること。

 今の日本には「つなぎ役」がいない。人材、技術、資金などをどう結びつけるか。「つなぎ役」こそがイノベーションを生む。と。この仮説はいかなものか。例えばアイディアこそがイノベーションであると「10年定年制」というアイディアのお話。「誰しも新しいことに挑戦するときは元気が出る。一方、長年同じことをしているとマンネリ化し、新しいことに対する抵抗感が生まれ、期せずして抵抗勢力になりやすい。そこで10年定年制を提案したい。多くの仕事は10年経てば一人前。会社員は最長10年でいったん退職し、その後転職するか残るかを決める。企業は10年で退職金を払い、必要な人材なら再契約する。企業は多額の退職給付金を積み立てる必要がない代わりに現役世代の給与を引上げる。給与が増えれば消費も増える。長くいることに価値を認めるのではなく、新しい挑戦に価値を見い出すことで社会は活性化するだろう。」というアイディア。たしか、政治家はもっとサイクルが短いはず。なのにあのテイであり、抵抗勢力どころの騒ぎではない。つまり、10年定年制を導入しようが、人間の本質は変わらない。新しいことへの挑戦を心地よい、そして、元気がでると実感を得ている人間はすでに自分のスタイルを持っている。仮に社会にでる前の段階の学生にこの概念はどう映るだろう。いやいや、学生イコール挑戦力に欠けているとは到底考えにくい。すでにビジョンを持っている人間は学生の頃から勉強を挑戦と捉えているはず。社会に出ました。新しい職場が挑戦ですってことで、はい、いらっしゃい、みたいな会社に本当に挑戦をしようとしている学生達が目を向けるだろうか?はななだ疑問である。

 つまり、もう、10年とかなになに制度です皆さん、どうでしょう?みたいな時代では明らかにないってこと。いや、そもそも、挑戦者は時代の動向や情勢に影響されずにスキルやナレッジを会得しようと歯を喰いしばっている。喰いしばっていない人と何もいろいろなことをシェアしたいなどとは考えていないはず。

 元気な企業が多い国、日本へ。とこれは具体的に誰に対するメッセージ?何を指して元気なのか?何を指して多いのか?この紙面を構築したデレクターはたくさんの迷いの末にこの表現にたどりついたはず。その苦悩がもう少しこの紙面に出てくれば、逆にこの紙面の展開の質量ももっと上がっただろうに。挑戦していない人が作った挑戦しませんか?みたいなメッセージには心は反応しませんね。わき目もふらず目的を注視できてこそ挑戦である。このメッセージは体裁を整え過ぎでしょう?もっと荒削りでいいと思うのですが。

 この紙面、たぶん、1本のコストが動いているはず。ある意味これはこれで挑戦かも・・・。

電子書籍元年。

 「本が好きな人はもちろん、出版業界、コンテンツビジネスに携わるすべての人に考えてもらいたい「これからの本をとりまく世界」。電子書籍元年。iPad&キンドルで本と出版業界は激変するか?」「これは恐ろしい本である。なぜなら、伝統的な本の売り方を全否定して成り立っているからだ。私にはもう出版社はいらない。キンドル・POD・セルフパブリッシングでベストセラーを作る方法。」「ライフスタイル・ワークスタイルが変わる!iPadでできる100のこと。」「夢をかなえるツイッター。いいことが起こるつぶやきのコツ。」「デバイスがフリー文化を破壊する。Kindleショック。インタークラウド時代の夜明け。」「電子書籍の衝撃。本はいかに崩壊し、いかに復活するか?」「出版のいまを知るための一冊。電子書籍と出版。電子書籍の登録により、出版をめぐる状況はどう変わるのか?さまざまな分野でその変化の最前線に立つ人々に訊く。」と新聞広告の上でマシンガンのようなキーワードの弾丸が放たれている。これでフワァ~と舞い上がる気持ちを抑えるのが至難。抑えることなくそのままフワァ~浮いていられるならそれも気持ちいいだろうが、まぁ、これについては仕事との連動・連携が深く関係するので、フワァ~と一般ユーザーと一緒に夢遊するわけにもいかない。が、ツールである以上、頑なに夢遊を否定するわけにもいかない。実感のないところに実益はないからである。リアリティーを知識としてインプットするだけなら意義がない。使ってみてのリアリティーや価値の質量をインプリントできてこそツールの意義があるように感じています。

 で、何が元年で何が破壊されて何が最前線かは明瞭に知覚・リサーチできてはいませんが、もし、それが、印刷物の態や書籍・雑誌・新聞に置き換わるというなら、この活用術を自分なりに構想すればいいだけ。が、昔ならこんなニーズへの取り組みは大きな資本を持っていた大看板が圧倒的に有利で頭数が多い方が組織力でゴイッと市場を底曳網漁業できたかもしれないが、現在の宝(情報やコンテンツや物事の原石)の粒は小さくなっている。荒いマスメディアの網の目では救えないサイズになっている。だから、大型船ありきではない。水中にもぐりモリで目視してone by oneで捕まえる必要がある。ひとりでゲットできる量は限界があるが、時間をかければ確実な原石を海底で探せるはず。水面で船の舵だけ握ってごっそり収穫しましょう的な方法では粗大ゴミが拾えるぐらいでしょう。まぁ、大企業さんだから、海底のお掃除もCSRってことで意義は少しあるだろうし。結局、CSRに依存している企業さんだから、海に潜れない、潜る必要もないし、潜る危機感もないのだろう。こっちは必至で歯を食いしばって息を止めて海底を探しているんですから。間違ってもイルカを捕まえてゴシップ映画にされぬよう。

 電子書籍元年。リアルに海に潜るのか、リアルに山に登りクラウドの上をその目で見るのか・・・みたいな。

クーラーは嫌い。

reifuuki.jpg
 ということで仕事場の冷風機。下のケースに水を入れて循環させて冷たい風を出す構造です。冷凍庫で固めた専用の保冷剤やカチカチに凍らせたペットを入れておくとさらに冷たい風が出てきます。クーラーのあの独特の臭い匂いもないし、循環する水の音がピチャピチャとなんとも涼しげな冷風機なう。フォルムはちょっと洗練されていないし野暮な機器ですが、意外とこの感じは好きな感じで気に入っています。たしか、¥9,000ほどでした。

新鮮きゅうり4本なう。

kyurikun100719.jpg
 今朝、お隣の家庭菜園で採れたキュウリを4本、ご厚意で頂きました。ありがとうございます!つやつやのキュウリ。ゴーヤが採れたらお礼に進呈しなければ・・・。しかし、こんなに立派なキュウリのおかえしに貧弱なゴーヤは進呈できぬ。まだ、1個も実が発見できていないのに、気の早い話ではあるが。美味しそうなキュウリです。

ゴーヤ君がいい感じです。

goya100719.jpg
 特にお世話をしているわけでもないのに、ゴーヤの7つの苗はここまで大きくなりました。強い!ゴーヤ。黄色い花はつけているがまだ結実はしていないようです。が、このゴーヤの目的はあくまでも日よけであり、特に夕方の西日をブランドしてくれればまずはOK。だから、立派なゴーヤができればそれはそれで嬉しいですが、今の段階でこの面のサッシはゴーヤの葉に隠れているから日陰作戦成功。水をやるときなど近くに行くとあのゴーヤの匂いがしっかりするんですね。さてさて、1個目はいつ?

あさがお順調に。

asagao100719.jpg
 昨年収穫した種を4つの器に植えた。つまり、第2世代のあさがお達。ゴーヤの手前でそろそろつるが伸びてまいりました。いつの頃かひまわりが残念な結果になってあさがおに切り替えた。やっぱ、日本の夏はあさがお抜きでは語れない語れない。

ペピーノ、1個目発見!!!

pepino100719.jpg
 上の方の葉が枯れてきた。あらららら・・・、ペピーノは失敗かと毎日観察していたが、迂闊にも下の方のわさぁ~と広がるたくさんの葉の一番下に1個目の小さな小さな実を発見!!!おおっ!これはテンションが上がる。今年に入って一番テンションが上がったことかもしれない。このままこのまま目標値まで大きくなってほしい。で、次の2個目も期待している今日この頃です。

 WEBサイトでリサーチした時はもっと、1本の茎にわさぁ~と実が鈴なりだったのに・・・、現実はそんなんにEASYではない。

Man's Best Friend.

It's a lot of fun to play with dogs.They dont' speak our language,but we don't talk to them to communicate.If we look at their tails,we know their feelings.

Q01.How do we know dogs' feelings?

That is a very familiar question.
For example, what do you feel in case of a human being?

書籍直販の構造。

 もうマスメディアの綻びは止まらない。有名作家が出版社をスルーし、著名なアーティストが大手のプロダクションを離れる。企業もこの構造の変革をニーズと捉え戦略を練っているだろう。神話や固定観念など通念は突然この世から消去されるわけではないが、その力は明らかに衰えている。だって、生命線であるコンテンツが欠如したマスの仕組みに何が残る。コンテンツが消え企画モノがしばしの緩和剤になるだるだろうし、それに反応するニーズは存在するわけだから。これまで蓄えた膨大な歴史上のアーカイブを小出しにしていれば悪い意味で「繋ぐ」ことはできるだろう。が、継続・継承とは呼べないだろう。もう、テレビで「仰天映像」や「古き良き懐かしのスターの秘蔵映像」を観ても心が動かない。国内ロケが限界点に達して、数字を持っている映像は全て海外の映像。中には放送できない映像もあっただろうが、まだ、それは大切に「繋ぎ」として温存させているのか、一定のルールがあるように思える。ギリギリの映像を繋ぎ繋ぎ数字を得ているようなテレビの業界。ニュースもバラエティー目線の編集が目立つし、MCが主観を出し過ぎ。編成がこれでOKなら、テレビの業界も底が見えてきたような。

 で、書籍の直販という構造が加速した結果、どんな世界になるのか?5年後、例えば学校の教科書が電子液晶端末になったら・・・。新聞や雑誌が全てアプリで閲覧できたら・・・。カルテや記録用紙が全て包括されたら・・・。人の情報が全て水のように雲(クラウド)の中に吸い上げられて、気圧の変化と共に地上に降り注ぐ。場所を選ばず、時に大地を潤し、時にハリケーンのように猛威を振るう情報。森林の伐採がなくなり、植樹の取り組みが世界を席巻し大地は緑に溢れ、端末を持った人が公園で情報の受発信に時間を活用するのだろうか・・・。

 電子ブックだから、配送業者も必要なくなり、有機エネルギー源も枯渇の危機を回避する。つまり、油田が世界情勢をコントロールできなくなる。太陽電池が増殖すればドバイも大変だろう。そんな近未来の物語を電子ブックで読むリアリティーの中で人の心はどうこれらを受け止めるのだろう。この電子ブック元年、あらゆる可能性ののびしろが想定圏外にあるように思います。

 ネットで書籍コンテンツを直販から購入できるとうことの副産物とは???

青木さんの言葉。

 例年恒例の全英オープンの青木節。愛のあるコメントとあの独特のイントネーションを聴いていると全英オープンを観ている感覚がよりリアルになる。世界のトッププレイヤーが1mのパットを外したり、100ヤード圏内でグリーンを外すシーンは、いかにこの場所、セントアンドルーズが聖地であり、厳しい自然度120%のコースなのかが感じられる。強い風にキャップを脱いでウエアをバタバタと旗のようにはためかせながらアドレスをしているプレイヤーを見ていると、雲の上の人達なのになんとなく可哀そうに思えてきますね。

 そんな中、石川遼君は18歳なのに18歳なのに独特のオーラを出している。気楽に他の海外の選手に声をかけ、そして、声をかけられている。日本人のプレイヤーが全英などの海外のメジャーに出ていると、まぁ、喜んでいるのか悔しいのか表情を押し殺して「寡黙な仏像」のような表情が常。このタイプと明らかに異なる、青木さん、丸山さん、石川君はすでにもう、おじいちゃん、お父さん、そして、息子の関係ぐらいの世代なのに、何かこの3名には共通する魅力を感じてしまいます。

 で、解説中に、青木さんが言ったひとことが、妙に頭に残っています。「ここに来てる連中は世界のトップレベルのプレイヤーばかりだから、もう、技術がどうのこうのって話じゃないんだよね。そりゃ言い出せばキリがないけど、やっぱ、最後はパターだからね。そんで、パターの出来を左右するのは、心。パターは心が出るんだよね。だから、怖い。心が強い人が勝っちゃうんだよねぇ~。」とのこと。そうかそうか、最後は心なんだ・・・と。

エドラス、ザントドン、マカリア・・・。

 アイオリオ、アイデス、アウエンタール、アーカム、アグラウラ、アースシー、アダンの国、アップミーズ、アトヴァタバール、アバトン、アフェニア、アムルの墓、アルカ、アルギア、アルンハイム、アロィ、アンドラ、イアニクム、イカツア、イシュタカル、イルアーナ、ヴァゴン、ヴィシェボルキ国、ヴェッツァノ、ウラノポリス、エヴァーキア、エウサピア、エドラス、エルシリア、エレホン、エワイパノマ、オギュアギア、オクタヴィア、オケアーナ、オフル、カストーラ、カナ、カピラリア、ガラ、カルパテンブルグ、カルーン、カロナック、カンパーニア、キカンドンヌ、キャスパック、キャトミア、キリヌ・ウルゴン、クアール島、クストウェルックスト、クラヴォニア、グルーポフ、クレプシドラ、グローム、コーク、コセキンの国、コラダイン、コンコルディア、サイレンス、サマラ、ザントドン、ジノグラフィア、シバ、ジュアム、ジュメルズ、ジョリギンキ、シロス島、ズヴェンディス、ステップフォード、スペンソニア、ゼノピア、セレーネ、ゼンダ、タカリグア、ダゴルラド、タプロペイン、タモエ、タルタルス、チチプー、チリベット、ツーレ、ディレンダ、テオドーラ、デスピナ、テーレピュロス、トゥピア、ドミノーラ、トリフェーム、ドレクサラ、ナキューメラ島、ナンジカシラ、ニュートピア、ヌビア、ネペンテス、ノーランダニア、パイル、パウチ、ハシオクラム、ガシュプース、ハドリバーク、バビラリー、バラタリア、バリュータ、バルニバービ、ハルモニア、バンザ、ピュテュア、ヒュペルボレア、ピラリス、ファルゲスタン、フィロス、フェリスランド、プトレマイス、ブリガドゥーン、フリードニア、プロセリアンド、プロトコスモ、ヘクラ、ヘリオポリス、ポアテスム、カリリア、マバロン、マラコピア、ミスニー、ムメルゼー、メティンゲン、メロア、モリアーナ、ユージア、ユーラリア、ラグナグ、タミアム、リアラロ、リクサス、リグマロール、リープ、リラール、リン・リグア、ルータバガ、ルリタニア、レウケ、レオーニア、レレク、ロキュータ、ローハン、ロマンシア、ロンブ、ワック、ワトキンス、ワフェルダノス・・・。ニンゲンノソウゾウリョクハスバラシイ、スバラシイ。

適正年収って!?

 よくある「適正年収チェック」って何?どの程度のデータベースとどの程度のアルゴリズムで何をどう相関させているのか不明な上、結果、これは目安ですってこと。なんやねん!目安を知って何になる。目安は目安やろ!って思っていたのだが、ちょっと気になってログイン。が、質問内容がメンドクサイ。そんなこと入力して何をどう判断するの?これが何と連動して年収的な数字をはじき出すの?それはどこかの国際基準値に基づいているのか?国内でも相場は変動しているし、GDPや様々な経済指数があるでしょうし、それを裏付けるだけの物理定数を持っているのか???もう、疑問点があり過ぎて質問に答えることに集中できなくなる。たかが20分程度の質問にもう3分ぐらいでいっぱいっぱい。で、ログインしたが約4分でログアウト。ほんとにつまらん!ちょっとやってみようかな・・・と思ったモチベーションを返してください。って、お前が勝手にログインしたんやろ!?

 格差社会ですから、このアプローチをルアーにただ個人情報が欲しいだけでしょう。もっと重要なことは適正年収ではなく、別の適正値が知りたいものです。

 逆にこのテイの無料サービスのリアルの適正価値を科学的に算出できるアルゴリズムはないものだろうか?

パソコン絵画という手法。

gamen100716.jpg
 「ArtRageは、どなたでも簡単に絵画を楽しんでいただけるように開発されたペイントツールです。キャンバスや画材を用意する時間や場所を気にすることなく、いつでもどこでも仮想のキャンバスで絵を描くことを楽しんでいただけます。ArtRage 3では、待望の水彩ツールが搭載されました。筆に含ませる水の量を調節したり、湿らせた紙に描いたりと、さまざまな表現が可能です。ほかにも、インクペン、ステッカースプレー、選択範囲、塗りつぶしなどのツールが追加され、さらに幅広い表現が楽しめるようになりました。」というこのソフトウエア。昨今のこのテイのソフトの費用対効果はいかなものか。ちょっと、気になっています。PSはあくまでも画像編集レタッチソフトですし、ペインター系の安価なソフトなのだろうけど、単純に10,000以下のソフトでどこまで有意義な感じなのか試してみたい感じがしてきています。

 何よりもこの広告戦略の上手い部分は、強引に「パソコン絵画」と位置づけていること。ソフトの価格や機能よりも結果この造語がこのソフトウエアの広告の軸になっていることがとてもウマイ。どうしようかな・・・?

 詳しくはこちらのオフィシャルWEBサイトをご確認ください。http://graphic.e-frontier.co.jp/artrage/3/?mm_st100715

デッサンの基本って何ですか?

 ワタシ自身の仕事はグラフィックデザインやWEBデザインが中心なので、一般的には「デッサン」とは無縁のように思われている。実際、「デッサン」を学生時代にケント紙に鉛筆で描くあれを想像している人は、DTPやWEBデザインに「デッサン」など関係ないと捉えている方が多い。また、グラフィックデザインをしている人やWEBデザインをしている人で私のアドバンテージは「デッサン力」ですって言う人も少ないだろうし、「デッサン」が上手くってもデザイン力があるには連動しにくい。それが一般的な捉え方です。逆に鉛筆で絵を描いた経験のない方でも、素晴らしいグラデやWEBデザインをされる方も多いはずですから、まぁ、一般に関係なしが正しいかもしれない。

 たまたま、私はイラストレーションを描くのでかもしれないが、仕事先でイラストや絵のお話になった時に「やっぱ、デッサンとかもしっかりやってきたんですよね?」と聞かれた場合、純粋に「そこそこ」となる。すると、私も絵を描きたいと思っていて、やはり、基本は鉛筆デッサンですから、どうしたら上手く描けるのですか?となる。これについては10分や20分程度では充分な説明が絶対に無理なので、「やっぱ、デッサンの本とか買ってきて、地道に・・・」となる。ガチで「デッサンの基本とは?」となると、ではいくつか練習課題を・・・となるが、到底、絵を描くという練習課題ではないため、たぶん、つまらなく思われてモチベは上がらないはず。たまに、「デッサン画はこう書くんですよ」的なサイトやブログを観るが、「ひやぁ~!」という鉛筆で描いた絵が公開されている。これは鉛筆で描いた絵であって、決して、デッサンではないのですが・・・残念!となる。でも、それぐら「鉛筆デッサン」ってなんぞやの世界なんだろうと思います。

 ので、基本って何ですか?という質問に対する答は、「3つの捉え方をしてください。」となる。ひとつ目は、モチーフをしっかり見る。二つ目はしっかり見たらそれを頭の中に焼き付けて自分のデッサンの完成形をしっかり克明にイメージする。そして、三つ目はそれを手で忠実に描く。このどれが欠けてもデッサンにはならない。つまり、観察する力と構想する力と描写する力(技術)のバランスがそれの「基本」となります。どれが欠けても鉛筆で描いた絵になりますから注意してください。

 逆にこの三つの力がバランスよく会得できれば、絵を描くことの魅力が格段自分に向かってきます。あとは、ポテンシャルとモチベーションとインスピレーションでしょうね。これは応用の部分ですが。

 余談として、デザインとデッサンの関係ですが、実は大いに関係があります。が、それも、このブログに書き出すともうとんでもない文字数になるので、また、いつかの機会に・・・。ただ、デザインでもデッサンは重要だと思います。

3DCG=SFチック!?

 なんでだろう?ソフトウエア会社さんから、特に3DCG系のソフトウエアの優秀作品はこれだ!みたいなテイの作品は何故こうもうSFチックな幻想的な作品が多いのだろう?ガンダム系やエバン~系のロボットにローティーンの女の子や握ったら折れそうな男子系に宇宙空間バックの宇宙船・・・みたいな。確かにこれらはイマジネーションと3DCG系のソフトウエアが創りましたというテイで一番わかりやすいスタイルかもしれないが、次から次へとこのパターンのオンパはちょっとお腹一杯。イマジネーション=サイエンスフィクション系はひとつの確立された世界観としてアリだけど、=テイストのワンパターンがさみしい。

 デザイン・WEB・マルチメディア系の専門学校のCMなんかのビジュアルも、確かにイマジネーションは豊かだろう系の作品がトップを飾っているが、もう、私自身が46のおっさんだからか、琴線に触れないし、目盛りが動かない。これも世代のギャップなのかもしれない。おっさん的にはこれらのスタイルを一周回ってきて、さて、もう少し「捻る」「掘り下げる」「抽象化する」などの人間ならではの個性というか変幻自在なボールが欲しくなりますね。じゃあ、例えばってことになると、これがまたいろいろあるので、このブログで掲載してみます。

 同様に日本のCG作品はおもろくねぇ!というテイのブログやサイトをよく発見する。で、じゃあ、何がオモロイノとなるとフワフワしているのですが、それは、おもしろくないではなく、飽きてるだけかも。と同様に私もいろいろ言いつつも飽きてるだけかもしれません。やっぱ、何事もテッパンというテイがあるのかな・・・と。

本は3回読めか・・・。

 さすが一時代を築いた方の言葉には質量がある。リアル書籍と電子ブックを先頭に走るデジタルコンテンツのつばぜり合い(もうつばぜり合いレベルではないかもしれないが)ばかりに注視しがちですが、それがリアル情報であれデジタル端末の情報表示であれ個体の中にその情報をどのように取り込み知識を知恵にどう変換して応用してアクションに繋げるかが実は本丸。学生時代の勉強という存在もそれの基礎的なトレーニングだったと捉えると、やはり、専門知識・専門技術を身につけたと思いこみ、社会に出た、が、思うようにならない。学生時代に体得・会得したと感じていたことが通用しないほど社会の現場のニーズは複雑だったということ。で、そこからスタートだと勇気を出して臨機応変に学ぶ技術が身についている人は社会に出て与えら得れた課題をその技術や能力で改めて体得する。これを繰り返さないかぎり政治家ぐらいにしかなれないだろう。

 で、リアル書籍も電子ブックもまず読むことでリサーチが始まる。これは知覚。で、知識の記憶が知恵だと認識してしまうことが多々あり、覚えているということが自分のスキルになっていると誤認することが多いとこの方は言っている。これがイエローカード。オンランショップのコンサルタントという立場での見解ではあるが、その成功例からそれが決してオンラインショップ上のノウハウに収まらないことは周知であり、つまり、現場で動き創り考えるルーティーンを繰り返してる人は逆に立ち止まることができない鮫状態なのであろう。泳ぎ続けて生命を維持しているみたいな。

 1回目はただゆっくりと文字を追い頭に入れる、2回目はアンダーラインを入れて呼応・共鳴する部分にフォーカスする。そして、3回目は書籍にメモを書きこむという読書法らしい。2回目までは普通にやっているが、書籍にメモを書き込むのは個人的に嫌なので私は重要な部分を別のノートに書き出しています。特にこのような読み方をしなければいけないのは「お仕事関連の書籍」なわけですが、現在、取り組まなければいけないテーマをWEBでリサーチして書店でリサーチして書籍を購入して、まず1回目を読み始め鳥瞰的に頭に入れる。で、次から実際にそのソフトウエアを起動しながら作業しながら読む。この段階でピックアップする情報ページの角を折るとか、重要なフローや文脈にラインを入れている。でも、手に馴染まない場合は3回どころか10回ぐらい読む場所もある。たぶん、文字を目で追って頭に入る入り方と手に馴染む馴染み方の誤差がこの感覚の誤差であり、取り組む目標値のハードルの高さだと捉えています。

 すると、人間ですから、手に馴染む道具は使いやすいし、目標を達成できた時は嬉しい。で、この人参(感覚というか達成感)を追い続ける馬のように気がついたら止まれない状態になっている。が、この感覚がある以上、悪いストレスになることは絶対にない。何故なら基本が「楽しい」からである。基本的に嫌なことはしないし、好きなことだけをやりたいが人間の本能だし、そんなことをつぶやいていたら、若いころ会社の先輩は「社会はそんなに甘いものじゃないぞ!」と言っていたような記憶があるが、逆に「社会はそんなに楽しくないものじゃないぞ!」と返した記憶もある。まぁ、人それぞれ真理は多様でいいはずだから、それが、お互いにリスペクトできる場所が社会でいいのではないだろうか。

 本はするめ、本は鏡、本は人、噛めば噛むほど、リアルを映しだし、著者の感情・感性が内在していると思います。

 「15分で小説が読めました!」なんてのは完全にレッドカード。

メモリ君お疲れ様。

memorikun.jpg
 君が具体的にどのように仕事をPCの中でしてくれていたかなど知るよしもないですが、まずは、取り外したってことでお疲れ様。昔はヒィ~ってぐらい高価だったのが今では1GBでこれだけ!?ってぐらいに安くなりました。これも時代の流れということで、私たちPC使いはこれがないと仕事にならないわけで、その部分をこの小さな心臓が担ってくれていたと思うと、これまた感慨深い。たぶん、これと同じようなモノが世界のいたる場所で日夜働いてるって考えると、人間が仕事をしているというリアリティーは実はこいつらがやっているだけで人間様は教科書通りにキーボードを叩き、マウスをカチカチやているだけで演算作業はこいつの役割り。地球上にこれが何枚あるか想像もできませんが、たぶん、恐らく、人の数よりも多いだろう・・・。仕事の道具だと言えばそれまでですが、なんか筐体から取りだされたメモリをマジマジ見ているとそんなことを考えてしまいました。というこのブログを作っている最中もPCの中でこいつらが働いている、LIKE THAT...

アンジー@ソルト。

gamen100714.jpg
 コノテイハ、シッカリトテイキテキニヤッテキマス。ヨサゲヨサゲ・・・。

 詳しくはこちらのオフィシャルWEBサイトをご確認ください。

15日から全英です。

Saint_Andrews001.jpg
 15日から全英オープンですね。セントアンドルーズか・・・、一生に一回こんなところで夢のようなラウンドをしてみてぇ~!まさに聖地ですね。

苫米地英人さんの本。

 天体観測などの天体望遠鏡で月の表面がけっこうリアルに見える程度の奴。それで夜に月を見ていたら月にも生物がいて同じような望遠鏡で地球を見ている。で、ちょうど、月の生物と目があったような感覚ですね。苫米地英人さんの本を初めて読んだが異次元(ふわふわした表現ですが・・・)に誘われるような感覚でとても新鮮というかとてもシンクロできた。たった900円の書籍にこの質量はお値打ち。

 つまり、神が脳を創ったと信じている人にとってみれば、脳が神を創ったというアプローチは本末転倒ですが、いやいや、本末転倒でさえ幻想でいいのか・・・と思える。決して結論めいたことは一切なし。ただ、リアルとビジョンが凄い。ただ凄い。

 日本も確かにキューバに習わなければたぶん「つじつま」が合わなくなるだろうな・・・。

ぞろぞろと出てきますね・・・。

 いやいや、たぶん、かな・・・と想定していましたが、iPadでflashを観る方法いろいろ出てきましたね。すべてはチェックできていないですが、まずは、iPod-touchで試してみよ・・・。これがなんともドキドキしますね。そんな簡単にアップルの独占はできないはずですし、flashパワーユーザーを無碍に扱うとトンデモねぇ目に会いますよ・・・と言わんばかりのチカラワザの合わせ技ですね。じっくりと取り組もう・・・。やはり、flashクリエイターの底ジカラを感じてしまいますね。さぁ、どうする?アップルさん!

美人時計に座布団2枚!

gamen100712.jpg
 「美人時計」って何?と思わせる視点、で、アクセスしたら、ほぉ~と思わせるアイディア、で、詳しく見ればなかなかナビな感じ。う~ん、これは座布団2枚ですね。たぶん、iPad対策もあるだろうから、仕組みはj.s.かな?まぁ、flashで作るなら簡単だろうが、flashはアップルさんに嫌われているのでおそらくj.s.だろう・・・。それに確かに24時間毎分1440人の美人を集めたそのエネルギーに脱帽であり、夜になると、やはり、ムードのある美人で、朝なら健康的な美人だったりするわけでしょうね。うまい!

 やっぱ、これからWEBコンテンツはこうでなきゃ!みたいな見本ですね。さすがYahoo!さん。これのテイストとフィーリングは何かflashで作ってみよう!1440カットはちょっとさすがになので10分毎で144カット。でも、やはり「美人」には勝てないかな・・・。イケメン144人揃わないしなぁ~。絶景144カットも難しいしし・・・。う~ん、よくも集めたものです。まさにチカラワザ!ですね。

 詳しくはこちらをご確認ください。

公用語が英語!?

 グローバルな会社では公用語を英語に設定するらしい。まぁ、当然の流れでしょう。ヨーロッパなどはあたりまえでしょうし、アジア圏でも当然。今さまらみたいなことがニュースになる日本がちょっと遅れている。たぶん大企業では英語のスキルが本来の業務のスキルと同意ぐらいに扱われ、コミュニケーションする際に英語が使えないと昇進に深く関わる・・・という構図でしょうね。

 でも、本末転倒型と異文化が交流する時にリレーションシィップという大きなキーワドがあります。このことを16年前N.Y.でお世話になった、後にMBAを取得してクアラルンプールで起業した恩人にコンコンと説明された。そのことが今でもコミュニケーションをする際のベースの考え方になっていることはリアル。つまり、異文化や慣習が異なることがビジネスやライフワークにおける摩擦を生むことをどこまで意識できるかで国際化へのアプローチが変異するとのことだった。あれから時を経て16年、やっと国内でそのことがニュースになり表面化するリアル。何につけても「やるのかやらないのか?」が迫られた段階で、すでに、先が見えている人は10年以上前からそれに取り組んでいるということ。今から気がついて取り組んでいては遅いと捉えるか、それを普遍な危機感に変えてガチで引き寄せるか・・・、まぁ、人生は常に二者択一の連続なのかもしれない。

It's really expected course.
I'm not sure what is made from now, it's important what to do till now.
like that.

奇しくも1984年3月12日初版。

books10071202.jpg
 著者アルベルト・マングェル&ジアンニ・グアダルーピの「世界文学にみる架空地名大辞典」の冒頭にはこうある。監訳者前口上としての高橋康也さんの言葉である。「もうひとつの、旅への誘い。十七世紀イギリスのすぐれた詩人アンドルー・マーヴェルに、静かな庭の中で瞑想する喜びを歌った次のような詩句がある。・・・より劣った快楽をあとにして、精神はやがてみずからの至福に閉じこもる。精神こそは大海であり、その底には地上の一切がおのれの類似物を見い出す。~中略~ のみならず精神は、それを超えて別種の海を、はるかに異なる世界を、創り出す。」と書かれている。

 1984か・・・。

 仕掛け的にはどうやら整理できている上での挑戦のようにも感じるし、実験的なアプローチ感も否めない。成功している失敗しているはそれを手にして3冊読めばいいいのですが、まだ、気持ちがどうしても温まらない。何故だろう?何回も書店に行き、その3冊を手にするのだが・・・。

 NOとTOPOSでユートピア。存在しない場所という意味が造語だというTIPSはさて置き、仮想空間を駆使する現代のビジネスシーンにどこか系統的なパターンが見えたり見えなかったり・・・。

カラクリと捉えると。

books10071201.jpg
 市場はこれで活性化したアップルの復活劇をしばし注目してはいるが、まだまだ、それを「カラクリ」と呼ぶなら次のカラクリも次の次のカラクリもあるだろう。当面、気持ちはそれに奪われているとしても新しい活用術が芯を喰っているか否かについてレスポンスの速度と共に必要な本当の活用術の相対性を吟味しなさいよとこの書籍は言っているような気がする。テレビでこれでマジックをしている人やオペ中にこれの画面をピッチしている医者を見ても、ああ、これはカラクリの匂いがするなぁ~レベル。

 カラクリとするならば、この商品が世界に日本国内にどのようなターゲットに浸透するかの設計図があるはず。それぞれのビジネスのカテゴリーでどの程度か知らないがそれは仕上がり実行されているはず。その設計図の目標・ゴールはどこなのだろう?が気になる。ないかもしれないし・・・。

 もうすでにこれに関するマガジンや書籍やで活用術をかなり知識として入れているつもりですし、実際、本店(銀座)でそれに触ってきたし、持っておられる方のご厚意で少しだけ触らせていただいた。大きさや重さやインターフェイスを分析するにつけ、さすがの存在感である。まったく新しいアプローチであることはかなり芯を喰っている。入手することは比較的簡単なようですが、問題は、入手するタイミングである。なんでもかんでも鵜呑みは嫌なので、納得して買いたい気持ちが強い。別になくても仕事にはなんの影響もないという部分と、これがあることでこんなにメリットがあると仮設が自分の中でリアリティーになった時が手に入れるタイミングだと思っている。所詮は道具、CMの言っていることは鵜呑みにできない。「Ver1.0は買うな!」という暗黙のルールもあることだし。まぁ、近いいずれ・・・でいいかなと。

散歩中の3つの出会い。

 気持ちいい朝。愛犬チョップ君の散歩中に3つの出会いがありました。まず散歩で意識しているのは歩き方。山歩きからの富士山登山を計画しているので、いろいろなその手の本を読むと一様に「早く歩くことや身体を運動モードで歩くことはダメ。」と書かれている。できるだけ長時間歩くためにも、アスファルトの道ではないために小石や小枝に足首をひねらないようにとにかくゆったりと歩くこと。目線も下向きではなく少し前を向いていろいろ視界に入ってくる情報を楽しみながら歩くことでリラクッスできるとのこと。ので、いつもならセカセカと早足で歩く散歩コースも体感スピード的には2倍ぐらいの速度に落として、身体もリラックスさせて、ぼぉ~と歩いています。すると、確かに15分ぐらい歩いていると呼吸が安定してくる実感があります。ああ~なるほどこれかという発見。セカセカ競歩みたいなスタイルで歩いていた時はたぶん気持ちも固くなり五感から入ってくる情報も気持ちのゆとりもなくスルーしていたのでしょう。それが、チョップ君に合わせてちょっと長く立ち止まったりすることでいつもと同じ散歩コースなのに新しい素敵!?な出会いがいくつかありました。

 ひとつ目は、以前にも田んぼのあぜ道を歩いていた時に体長30cmぐらいのカメを水路の中の石の上に発見。しばらく見ているとこちらに気がついたのか濁った水路の中にドボン。こんな大きな亀がいるんだと思っていたのですが、そいつがふと見下ろした水路に泳いでいる(流されている!?)ように下へゆったり向かっていました。今日は水路の水がクリアだったので発見できたのですが、それでも、いつもの早足だったら発見できていなかったでしょう。しばらくその亀を見ていると(チョップは草を食べている。)水流に身を任せて流されながらもゆったりと水底にある石につかまろうとしている。右手をひっかけようと伸ばすが大きな身体だから水流に流される。また、水草のカタマリにつかまろうと踏ん張るが流される。ああ~結局こいつは泳いでいるんじゃなく流されているのか・・・と。すると、水路の壁にふらふらと流されていき、コンクリートの継ぎ目のようなところに右手の爪がひっかかったのか、その状態でばたばたし始めました。後ろ脚も水底につけて踏ん張り、どうやら、水面から上にのぼり甲羅干しでもしたいかのように左手を壁に伸ばしてそのコンクリートの壁を登ろうと、後ろ脚を水底につけて、両手をコンクリートの壁面にひっかけて登りはじめた。首をぐぃ~と伸ばして水面に顔の一部が出た瞬間、両手が水流の勢いでコンクリートから引きはがされてまたまた水流に流されていきました。おお~い、どこまでいくんやねん!

 で、いつも休憩している田んぼの真ん中にある倉庫の駐車場で朝の体操。チョップを水道の蛇口に括りつけて朝の体操を始めると、チョップ君が何やら発見。クンクンと鳴き出します。よく鼻の先を見ると直径3cmぐらいの黒いカタマリ。そのカアマリからは細い手のような足のような耳のようなモノが出ている。近くでみるとコウモリの子ども。たぶん、弱って巣から落ちてきたのらしい。生命感がなく動かない。チョップにクンクンとつつかれてあま噛みされるまま。たぶん動物の匂いがしたのでしょう。ちょっと口に入れようとした瞬間、そのコウモリが翼をのばして「キキィ~!」とひと声。そこで軽くチョップ君はパニック。直径3cmのカタマリが翼を伸ばして20cmぐらいになって鳴いたものだから一気に攻撃モードになり息が荒くなりいつもの低い無意味な攻撃態勢(どんだけビビってんねん!)。コウモリはそれが最後の元気だったのかもとの3cmのカタマリに戻りました。でも、チョップは攻撃態勢のまま一定の距離を保ちながら・・・、保ちながら・・・の、朝で腹が減ったのでしょう、ありえないぐらいのヨダレがボトボトボトボト!持参したクッキーを1個あげたらコウモリのことは忘れたようでクッキーをガツガツ食べていました。

 で、帰り道。今度は向こうからあきらかに本日散歩デビューという状態の体長25cmぐらいのヨチヨチ歩きの柴犬の子どもがお父さんと娘さんに連れらて歩いてきます。まさにヨチヨチ状態。チョップは散歩の足を止めその子どもの柴犬を凝視。またまた低い姿勢をとりはじめるものだから、「おいおい、なんでやねん!」とケツをひとけり。目の前をその柴犬が通り過ぎようとした瞬間、やっと、その子柴犬がチョップに気付き、猛烈な勢いでチョップに高音のかわいい鳴き声で挑みかかってきました。低い態勢でそれを受けるチョップ。子柴犬はおとうさんに引っ張られてスタスタと行ってしまったあとも、しばらくその態勢のチョップ。ずっと、その子を凝視状態。子ども相手に吠えなかったのは優秀だけど、もう、その低い態勢は解除してもええんちゃうの?とまたひとけり。ようやくそれで帰路についたという本日の朝の散歩紀行でした。

 言うまでもなく、家に帰ってきて美味しい缶詰の朝ご飯にかぶりつくチョップ。

考えず感じること。

 まぁ、何もWEBサイトに関連したことではないが、注目のデバイスiPadについても考える前に使って感じてくださいよ!と言っているわけで、ITの普及と共に情報が氾濫しているこの状況を必然とすれば、全てのとりあえずの答とはそこの部分でしょう。考えずに感じることで競争しようよということでしょう。~の考え休むに似たり的なことで、もっと五感で感じて作用と反作用のレスを上げようと思います。いくらネット上で繋がっていても正確には脳は繋がっていると感じていないこと。どうなることが繋がるのかについて改めてひも解く必要もなく、繋がるとは握手であり対面対話であり、JOIN US!なのである。ここにWEBサイトでの表現や商品の発信を組み合わせればそれがイマドキの活性率の高い情報交換であり、引いての部分でのビジネスモデルのテッパンだと言ってもいいのではないでしょうか。

 では、創り手、発信サイドが市場やターゲットに対してどこまで五感に訴えられるのかという勝負。まぁ、10の内、1か2程度がITの担う部分であり、残りの部分を何で補足するのかをイメージできていればその取り組みは動いている仕組みになりうるような。動いて、創って、考えてというフレーズは社名のACTを構想していた16年前のことですが、今さまらながら、現代の万象にあてはめて考えることでのシンクロ感はしっくりきています。つまり、この定理は古くならなかったということで、今後もこの方針で間違いないのかなと思っております。

 情報や知識の上に人間としての洞察や観察をのっけていけば、自然とその次のSOMETHINGが見えてくるように思います。筋道たてて考えるのもちょっとオフモードにして、今、自分が立っている場所を360度見回してみる、地面を確かめる、空の青さを確かめるあたりが、リアルな部分でしょう。

 ゴルフ場なら、ティーショットが右にぶれて林の中の白杭の内側にボールがあった時の安堵感、白杭の向こうにボールが飛び出ていた時の残念な気持ち。では、ゴルフのプレイ上、白杭はつまりOB杭なんだけど、ビジネスやライフワークで言えばどこにその杭があるかで自分の18ホールが見えてくる。朝、ティーグラウンドに立つような気持ちで、仕事やライフワークに向かえたらいいなぁ~と思います。で、その一日ドライバーがあたっているなら最後までドライバーを握ればいいし、こすってたら、スプーンやユーティリティーに変えればいい。それでもダメなら3鉄でいいじゃないか・・・という感じ方。

山歩きのエキパの日課とは。

 山は怖い。ゲームのようにリセットはできないしクーラーのリモコンも意味がない。つまりそれが自然でありその自然を楽しむことが山を歩くということ。登山ということ。しかし、楽しさと引き換えにゲームや室内競技では身につけなくてもいいルールがいっぱい存在する。そして、実際に歩くのは自分自身だから、日々のトレーニングの積み重ねが結果、山歩きや登山の「楽しい」とイコールになる。危険を回避する能力や観察力などは経験を経て身につくもの。これが学習であり知恵である。日々のブラウジングやオンラインネットワーク上の雲の中に死ぬまで使いきれない楽しさ(アプリ)があろうがそれは、まぁ、どうでもいいこと。知識を知恵に変える。日々の習慣の中で自分自身の身体をいい状態に維持する能力について、山歩き・登山に挑戦しようということで見えてきたことです。

 で、いろいろなまず知識の部分。山歩きや登山をしているエキパの人たちは老若男女自分たちのペース(スタイル)を見つけているらしい。体力があるからといってそれを誇示するようなスタイルは危険と背中合わせであり、誰よりも早く歩けたり登れたりすることには何の意味がない。で、身体のケアという部分では、朝と寝る前のストレッチ、風呂で筋肉をほぐす習慣、ちょっとした待ち時間で身体の間接の柔軟体操をするなどなど。けがのしにくい身体づくりはここまで徹底したストレッチからとのこと。そして、筋肉や関節の力を無理なく鍛える方法として、椅子に座って片方の足を水平にして我慢、仕事中でも立っているときはつま先立ち、歩く場面ではちょっと長めを意識して歩く、エレベーターは使わない、階段ならゆっくりと1段飛ばしで登る、室内や外を出たり入ったりする時は今自分がどの程度汗をかいているのかや水分の補給はできているのかなどに気を配るなどなど。これらのことを日々の習慣でエキパの皆様は実行しているらしい。そして、何より、自分でこれらのことを取り組みながら、気づくことがあるらしい。ここからが自己学習の段階で知識が知恵になる瞬間なのだろう。

 これらのこと、全く、仕事やライフワークと同じではないか。知識が豊富な人に魅力を感じないのは、たぶん、知恵が少ないと感じる場合が多いからかもしれない。情報を記憶している人よりも、楽しい人って、知恵をたくさん持っている人のような気がするし、その方の言葉は質量がある。言葉や会話のクオリエィーというと全く僭越(モノサシが存在しない分野であるため好き勝手言っております。)ではあるが、いやいや、自分もそこを目指して「知恵力」を上げたいと思います。その向こうに山頂があるはずと信じて・・・という感じですね。やっぱ、エキパの方はどのジャンルの方でも凄い独自のスタイルを持っておられるものです。

わかってもらえる・・・さ。

こんな歌、歌いたいと思っていたの・・・さ

素敵なメロディー、あの娘に聞いてほしくて

ただそれだけで歌う僕さ

この歌の良さがいつかきっと君にも

わかってもらえるさ いつかそんな日になる

僕ら何も間違ってない もうすぐなんだ

気の合う友達ってたくさんいるの・・・さ

今は気づかないだけ

街ですれ違っただけで分かるようになる・・・よ。

 と歌っておられたあの方。もう、この世を去られて、改めてこの歌詞が心を高揚させる。これって、何故こうもいつまでも新しいのか、何故古くならないのか、この態こそ今まさにではないだろうか。そもそも新しい古いなどただの便宜上の言い回しに過ぎない。誰かひとりのために何かを想い考え行動するこそが、現代の全てのビジネスの根底にあるべきだと、例の白髪の外人は言っているような気がする。つまり「間違い」こそ実は一周まわって正解だと。ただ、昔より一周回るスピードが速くなっていることは事実であり、スピード感さえも麻痺していると捉えるなら時間の経過などあまり意味がないのかもしれない。それを「カオス」と呼ぶことは誰でも知識として知っているが、その存在を自らの知恵でどうにかしようとする努力は想定以上に難しい。だけど、知恵を持ってでしか、一周回って「ワン」につながらないジレンマも現代のリアル。

今は気づかないだけ、だけどだけど、わかってもらえる・・さ、と歌い続けたいですね。

グーグルの七夕ヘッダーロゴ。

tanabata2010-hp.jpg
 いつものことながら、いい感じですね。なんと言いますか、いい感じです。

電子コンテンツへの取り組み。

 電子ブック、電子カタログ、電子パンフレットと、携帯液晶端末の浸透は4大メディアの崩壊を警鐘している。本当か?以前、PCが市場を席巻した際、「ペーパーレス時代到来!」的な啓蒙があらゆるビジネスシーンに猫も杓子も状態だった。が、PCの浸透率と比例してプリントアウト用の用紙のニーズは多くなったという報告もある。ノートPCが普及率を上げ、携帯電話、スマートフォン、e-book、そして、携帯液晶端末となる進化論の流れの中で、今度こそどうやら間違いなく紙+活字文化は大きな分岐を迎えたというより、減退の道の上。情報革命がいよいよ本格的に・・・と捉えるのか、そもそもと捉えるのかは個人差があれど、端末の進化で退化していくニーズが存在することは現実のようです。間違いなくこれが進化であるなら、安心してこの潮流に乗っかっていけばいいだろうが、何事も鵜呑みは危険。石橋を叩いても渡らない時代、そもそも、目の前の橋を渡るべきか否かをも問われているような気がします。

 で、仮に乗っかるとして、4大メディアが崩壊したとして、紙の需要が減ったとして、このあおりを受ける市場が存在する。紙媒体のピークは1996年だったという説があり、そこから、確実に下降の一途であるらしい。そして、この電子書籍元年2010年の到来となるらしい。デザインを仕事にする人間としてこの市場の変化、メディアの変化、情報の受発信形態の変化(進化!?)はどう影響するのだろう?風がアゲているのかフォロっているのか?もしくは、ただの横風なのか?ここが一番のキモ。直販が流通の主軸となり、誰もが発信者となりうるこの現代に、多様な市場にどのような心意気で向かえばいいのか。それが見えているようで見えない雲の中。

 デジタルがアナログを飲み込み、アナログがデジタルの箱から飛び出すこの電子マジックにそれは3Dメガネでドッキリってわけにはいきませんいきません。デザインとはこの場合、どんなタネにするのか?どんなトリックにするのか?表現的にどう魅せ楽しませるのか?結果、それは、ウケるのか引かれるのか?をマネージメントしなければいけません。テーブルを直視してマジシャンの指先だけを見つめている人間ではデザインに関われないような気がするから。とはいえ、マジシャンになりたいとも思わないわけで、この部分がいろいろな意味で今後の方向性を示唆しているような気がします。

 まぁ、なんでも来い!どんな時代になっても、楽しいオモロイモノを創ってやるぜ!的なぐらいにヒラキナオリでぶつかっていく腹が必要だと思います。つまり、動いて、創って、考える人に風が吹くような。これはちょっとやり投げな暴論かな・・・。

何事も熱意。

 あるWEBデレクターさんからの生声ですが、やはり、認知させるための広告費やネームバリューも大切ですが、例えそれで認知され訪問者が増えても、それはそちらの商品が売れるということにはならない。まぁ、当然のことではあるのですが、エンジン対策をした、大手のモールサイトに出店した、ネットワークを広げている・・・だけではオンラインショップの根本的な活性化は見込みにくいとのこと。ほんとにそのとおりだと感じています。「エンジン対策ありき」ではないがエンジン対策も重要。モールサイトを介してネットワークを広げての認知度の向上の重要。他社との商品の中核競争能力の向上も重要。電話やメールなどでのきめ細やかな対応も重要。商品に関連する定期的なキャンペーン企画やメルマガなどの販売促進も重要。すべてが重要なのである。どれを欠いても活性化は沈滞する。が、時間は有限であり何をどれぐらいの比重で行うかも費用対効果のバランスが崩れると本末転倒となる。ほんとにバランスが難しい。が、基本的なモノサシはやはりそれに携わり工夫や思考錯誤をする「熱意」に包括されるような気がします。熱は張り巡らされたWEBの糸を通じて常に行き買っている。そこにガチンコで参画し自社をアピールし商品の認知度を上げて購買に繋げる。これが基本フレームのはず。受信スタイルは新しいデバイスはどんどん市場に投入されユーザーは新しい刺激や新しい情報を物色し続けている。その場所で適正な化学反応を起こさせるために絶対的な熱量があるなしで雌雄が決するような構図は今も昔もこれからも同じなのでしょう。

 対面販売のスキルやコミュニケーション能力がWEBに適用されるのは当然の流れであり、その逆もしかり。WEBだから対面販売だからの格差はしだいになくなってくるのかもしれない。が、双方のアドバンテージは確実に異なるわけでそれらをどう自社の営業展開に効果的に取り込むか・・・その取り込み方や捉え方が勝負の分岐点なのでしょう。

 熱意のパーツをひとつひとつ分解するとその全体像が見てくるのではと考えています。

視聴率のために・・・。

 イッテQのイモトさんが次から次へと世界の秘境や珍獣と格闘している映像は確かに引き込まれます。たぶん、視聴率的にもいい数字を持っているはず。しかし、次から次へとそれぞれの地に短期間とは言えあれだけの適合性を持っている女性って、たぶん、男性だったら難しいのかな・・・、絵的にも無理があるのかな・・・イモトさんだから成立するのかなと思っていつもテレビを観ています。出川さんと絡むプロジェクトもあったりするが、出川さんは出川さんである程度フォーマットの上で独自のスタイルを築いておられ、日本の枠というかテレビの枠から越えていない気がします。しかし、イモトさんは見事にセーラー服にあのルックスという条件で馴染んでしまう能力が凄い。

 で、それに見慣れていると、ちょっとやそっとの企画ではもうテレビの前の視聴者はドキドキしない。つまり、数字が稼げないのだろう。最近観たテレビにはお笑いコンビが結構劣悪な環境でそれぞれの司令を受け映像をゲットしてくるという態で、かなり、その映像にはプロジェクトの内容よりも、その環境にいるということだけでかなり危険な匂いがする場面があった。ひとつ間違えば生命の危機に転換してしまうような場面があった。でも、タレントさんはぶつぶつ言いながらチャレンジする。もし、これが最後のタレントとしての映像になってもいいだろうぐらいの覚悟があるように見えた。お笑いタレントさんたちは自らの存在感やタレント生命を自らの命と引き換えに真剣勝負しているように見えた。それが結果数字を得るならテレビ関係者の危機感もかなりガチだなぁ~と感じてしまいました。

 それに比べ、毎日毎日、車の上で適当なことをうるさくがなっているその類の人達。あんたらは何だろう?民間のためとか国のためとかってもう結構、もっと、海外の秘境で命をかけているお笑いタレントさんの爪の垢的なものをリスペクトするべき。ほんと3つの意味でうるさい。ひとつは音量がうるさい、ふたつめは内容的にうるさい、そして、最後3つ目はそこにいるという存在自体がうるさい。IT時代ですから、もっと、昔ながらの運動方法ではなく、真実を本当に考え語りたいならもっと時代にマッチしたデバイス(方法)で語るボキャブラリーとポリシーが欲しいんですけど・・・。

電子書籍の普及へ乗り越えるべき壁。

 あえて、日経新聞からの記事をリスペクトと共に100%抜粋します。

 「米アップルの多機能携帯端末「iPad」の発売を受け、電子出版への関心が高まっている。出版業界では警戒感も強いが、上手に使えば安い値段で読者に便利なサービスを提供できる。電子書籍元年といわれる今、日本でも電子化への基盤作りとルールの検討を急ぐべきだ。電子出版事業で先行するのはアマゾン・ドット・コムやアップル、検索大手のグーグルなど米国のIT(情報技術)企業だ。米出版業界も電子化へ急カーブを切っている。背景には高速無線インターネットや高精細な画像を表示できる携帯端末の登場がある。ネット経由でソフトやシステムを提供できる「クラウドコンピューティング」の広がりで、情報を大量に蓄積、配信できるようになったことも見逃せない。新しい携帯端末やサービスに対し、日本の出版社や新聞社、広告会社なども情報提供を始めた。国内の出版事業は1996年をピークに縮小し、現在は2兆円を切っている。デジタル時代への出版の取り組みとして当然の試みといえよう。しかし外資主導で日本の電子出版が広がることには疑問がある。米国の情報サービスは、同時テロを機に制定された「愛国者法」により、有事には米政府が差し押さえられる。基本的な出版物のデータベースや配信基盤は日本国内で整備すべきだ。出版社の意識転換も欠かせない。90年代にもソニーなどの家電メーカーが電子書籍端末を開発したが、出版業界がまとまらず、頓挫した。二の舞いを避けるには、書籍情報の提供や技術の標準化について出版各社の協力体制が重要である。読者に情報を直接配信できる電子出版は再販制度や取次制度へも大きな影響を及ぼす。デジタル時代には流通よりも企画や編集などの出版社特有の機能が重みを増す。その意味でも、書詩データベースの構築など出版社の取り組みが求められている。電子化は新刊本だけでなく過去の出版物も重要だ。国立国会図書館が蔵書の電子化を進めているが、出版界の要請で同時に一人しか閲覧ができないなど制約が多い。電子化の効用を最大限に生かすには、著作権を尊重しながらも、利用しやすくするため、なんらかの仕組みを考えていくことが今後の課題だろう。海外ではコミックスなど日本文化への関心が高まっている。電子出版は国内読者の利便性を高める一方、海外にも販路を開くことができる。電子翻訳技術などを合わせて活用すれば、日本の情報をもっと海外に広めることができるに違いない。」とある。

 どんどん、河川工事が進められ大河の景観が変わっていく。当然、水の流れも変わるだろう。海が世界とつながっていることは誰でも知っている。国内で降った水が川を流れ海に注ぎ、水蒸気が雲になる。まさにクラウド。日本だとか海外だとかは別にして、もう、情報技術の態で言えば間違いなくボーダーレス。地平線も水平線も形骸化しているとも言えなくないだろう。が、地平線も水平線もあることを忘れては水の行方もままならないだろう。水はそもそもどこから生まれたのかの部分と、生命維持のための水をそうそう雲から降る雨にだけに頼るとも考えにくい。これも情報の抽象化かもしれないが、ただ、水のように飲めないだけに厄介であると人間は考えて感じているはず。

2010.06.29のスカイツリー。

sky_tree100630.jpg
 ちょっと曇っていたし雨も少し降っていましたが、駅のホームからパチリ。まだまだ高くなるスカイツリー。新しい日本のシンボル、只今、発育中。

渋谷のデスプレイ作品。

display002.jpg
 ほぉ~、さすが渋谷ですね。通りを歩く大勢の人を無視してパチリ。東京にいた頃ならスルーしていたかもしれないが、今ならこれがとても新鮮。つまり・・・ということ。まぁ、簡単にそれらのことを集約・包括はできないが、まぁ、そいうこと。これが言わば東京のポテンシャルでしょう。だから、東京以外がどうのこうのという訳ではなく、東京の東京たる所以というか・・・。とてもgoodな作品でした。

 まずは、人がいて、ニーズがあり、コミュニケーションがあり、メディアがあり、クリエイターがいる。このことを逆算すれば、できれば、何がどうあるべきかが見えてくるという仕組み。

ここか・・・。

apple_at_ginza.jpg
 ここにそれがあった。初めて手にとるiPad。そうかそうか、これが時代を変えようとしている端末なのか?意外と重い、そして、意外と大きかった。

ある朝の窓から。

window100630.jpg
 ある朝、ある会社様の施設に宿泊をさせて頂きました。ちょっと蒸し暑い、その日も暑くなりそな予感漂う朝でしたが、気合充分で目覚めた感じでした。自宅以外で朝を迎えるよりも、いろいろな場所でいろいろな場面に出会うことよりも、違う場所での朝はどこか気持ちがリセットされますね。お世話になった会社様の皆様への感謝の気持ちやその一日出会う予定の皆様へ対してどのように接するのか・・・などなど。そして、帰りの新幹線の中、その朝からの出来事を何回も何回も振り返る。非常にぎゅっとした一日でした。それもこの窓の風景から始まったのかなぁ~。

 新しい場面に挑戦する時、最初のイメージって結構印象的だから覚えています。16年前の今日、1994年7月4日(アメリカの独立記念日)の午前9時頃、初めてN.Y.の地に立った。一人で飛行機に乗り、一人で出迎えの人を探し、一人で大学の寮に向かった。あのボロボロのリムジン。「welcome! yoshikazu sugino」というダンボールの紙を持った黒人のおっさん。そのおっさんが送迎のリムジンの中でくれたマルボロの味。この記憶は棺桶まで持っていくだろうなぁ~。空港から大学に向かう途中、映画で観た風景。手回しハンドルで窓を開けると風が心地よい。遠くに見えるマンハッタン。「そうか今日は独立記念日だったのか・・・」と独り言。昨日のことのように鮮明ですね。

山歩きの基礎マメ知識。

 「山歩き」「富士山登山」で検索するといろいろなサイトがヒットする。まずは、どのようなことを心がけて何を準備して知識的に必要なことは何なんだろうとリサーチしています。ほんとに山歩きの愛好家の皆様のブログや個人サイトは面白い。いろいろな山を歩いたときの手記や危うく危ない場面に出くわした時のエピソードなどは読んでいて楽しくなりますし、危ない場面では、おっと、自分だったらそんなに冷静な対応はできず、パニック状態になってしまうだろうなぁ~などと楽しくリサーチしています。個人で歩いても、山での出会いが心地いいと記されている。例え初めて出会った人同志でも同じ山を歩いているということだけで仲間意識というか共鳴できる魅力があり、複数で登る時はそれれはそれで、世代を越えて普段日常で話をしないことや自然の中では素の人間性が現れて、ああ、この人はこんなことを言う人だったのかぁ~みたいなことを、自分の妻なのに感じたり、とか。鉄則として複数チームで登る時は一番歩くのが遅い人、もしくは、体力的に強くない人のペースに合わせて皆が歩く・登るというのが暗黙のルールとしてあるらしい。なんと素敵な「山登り」。

 また、富士山などは結構ツアー化してそれぞれ登山のポイントに休憩所や売店などがあるからとはいえ、日本の最高峰、天候の変化や地殻の変動的なことで一気に命に関係するようなアクシデントになりうる山らしい。自然はやはり怖い、人間はやはりちっぽけだということ。

 そして、山に登るということは常に何においても自己責任。何かのツアーで天候が急変して冷たい風や雨に体温を持っていかれたり、ガスや気圧の変化で体調を崩し歩けなくなり命を落とすというような訃報もよくテレビや新聞で観たり読んだりするが、基本は自己責任において~となる。それも山を歩くということの厳しい現実というかルールなのでしょう。これらのことを肝に銘じてウキウキ&ピリピリな感じで準備しています。

 目標設定も自由でいいわけですから、無理をせず自分自身の体調や天候の変化、そして、いっしょに登っているメンバー・仲間と常にコミュニケーションしながら気分が悪くなったり体調がおかしくなったらすぐに中断して下山すればいい。無理をして自我を通して危険な場面に踏みこんだり、仲間との協議を中途半端にして仲間を危険にさらしたりすることは愚の骨頂。それが、現在の自分自身の状況を冷静に判断した結果だと自分に言い聞かせ、登山を辞めることも大切な勇気であり判断能力。

 う~ん、しかしながら、これら全て、人生や仕事に適用できることだなぁ~と思います。それに気がついている人もそうでない人も「山」という存在は知っているが、山登りをするということで、世代を越えてお互いの生活のベクトルを越えて共有して相互に高め合えるというこは何より素晴らしいと思います。

 が、たぶん、実際、山登りの現場に入れば、想定以上に体力や気力がなく、「ああ、山は厳しい!」ってことになるかもしれないですし・・・。

真クリエイティブ体質。

books100702.jpg
 PHP、元博報堂制作部長、真クリエイティブ体質、高橋宣行著、本体価格¥1,000、観察・洞察で磨く発想力。買うきっかけはたぶん「元博報堂」だったのかもしれない。自分の五感を信じていますか?的な態の手書き文字にも魅かれたのかもしれない。まだ、数ページ、しかし、現場主義の匂いがしました。嗅覚が反応したのかなと読み進めると確かな匂いがある言の葉が並ぶ。いい書籍はいいタイミングがある。無味無臭の書籍には興味がない分、悪臭でも芳香でも匂いは大切。

長浜東RC公式WEBサイト開設しました。

nagahama-east-rc_web.jpg

 長浜東ロータリークラブ公式WEBサイト7月1日開設いたしました。

 詳しくはこちらをご確認ください。http://www.nagahama-east-rc.com/

あじさい。

ahisai100630.jpg
 西明寺の麓、お客様の駐車場に咲いていたあじさい。とてもきれいなライトパープルでした。

オルセー美術館展

orsay100630.jpg
 いやいや、もう、生きている間に二度とこれらの原画を観れないかもしれないと思うと、大切な人と別れるような気持ちで新国立東京美術館をあとにしました。いやいやいやいや、その場所にしかないディテールってあるんですね。どれだけネットの画面やテレビの画面や印刷物でそれを観てても見えないモノが原画の前にはありますね。なんとなくしっとりとした気持ちになる115点でした。ええわぁ~油絵の存在感。一番二番はないですが、ずっと観たかった原画だけにこのロートレックは感動でした。

小説「告白」がちょいヤバイ・・・。

 まずは小説にて「告白」をチェック。なかなかヤバかったですね。とてもいい作家さんでした。「ボトルネック」とは比較になりませんでした。ただ、それぞれの登場人物が「告白」というスタイルで一人称で綴る量が想定以上に多かったのが、とても、新鮮でありながら、ちょっと適量以上に長いような。高校という舞台に日本の小説らしからぬ挑戦的な表現への入口感が垣間見られそれがドキドキしかけたのですが、当の本人はさほどサイコってはいない。どこかに理由や背景があったりする。もっと、学校のシステムや相対的な葛藤のモノサシが捩じれていたら・・・と思うと総合点的には82点でした。

 しかし、日本のこの態の小説にこれまであまり自己評価的に点数を付けてみようかなという印象がなかったのですから、この82点はかなり(手前勝手な)の数値です。0点以下、もしくは、途中で読むのを辞める。極端な小説は人に勧められて迷った末、読み始めて、10行でNGだったのもありました。ので、小説「告白」はちょいヤバイ・・・という感想でした。約3時間で読んでしまったことがちょっと残念。3~5回ぐらいに分けて毎晩少しづつ読んだ方が楽しかったかもしれない。

 さて、同ジャンルで言えばいろいろ日本の小説もチェックしているモノがありますが、さて、さて、「1Q84」はどうなんだろう?やはり、まずは、書店で1ページほどチェックしてこよう。

 映画「告白」も楽しみです。たか子さんの演技のクオリティーはかなり高い評価だそうです。確かに、森口役ならベストマッチかもしれない。新境地なのだろうか・・・?