2010年08月 アーカイブ

もう1本いっとこか・・・。

 さて、今日は8月31日。まだまだ猛暑は終わらないということですが、今年の夏はいろいろバタバタしていたというか充実していたというか暑いわりには無理をしたというか・・・、いろいろありました。

 待望の富士山登頂に成功し、その1週間前に町のソフトボール大会で右手の親指を捻挫する、富士山登山で悪化しながらもプラマイかなりプラスの登頂の達成感。そして、恒例のラジオ体操もほぼ皆勤(1日だけ午前6時に雨だったので寝てしまったら、30分後に晴れていたみたいな)だったし、壁画も午後4時から暗くなるまでという猛暑にガチで向かい合い現在ほぼ95%まで仕上がりました。さすがにその壁画をいっきに仕上げようと先週の土曜日(28日)午前10時から夕方まで描き続けたら、汗がふき出る水分補給汗のループを3回繰り返しながら、ずっと絵筆を動かし続けてたら、やっぱ私も人間です、夕方頃には体調が妙な感じになってきて、寒気がしてきました。これはヤバイと帰りそのままバタン。で、日曜日は打ちっぱなに行き、同様に2回汗が吹き出し午後2時で頭がぼぉ~となって帰ってきました。昼寝して仕事してたら昨日の疲れ抜け切れず定時で仕事を終え、誰よりも早く就寝。普通でも午前9時頃になるともう眠たくなってくる身体なので、あまり、仕事終わりで何もしたくない感じが私の健康術。でも、朝は午前6時に起きて6時30分にはDELLのスイッチは入れています。これを繰り返しているとけっこうこの暑い夏も乗り切れちゃった・・・という感じ。

 で、おまけは日曜日の打ちっぱな。なんと、前日(土曜日)ガチで熱中症になりかけつつも、どうしてもあるスイングのコツが分ったような気がしたので、朝から暑さでもわぁ~っとしてたのに、打ちに行ったのです。で、で、やはり虫の知らせなのでしょうか、何かサインがあったのでしょうか、10年以上、その練習場に通っているのに、一度もあったことのない向こう側のネットの位置にドライバーのショットが当たりました。たぶん、普通の私のドライバーよりも15%ぐらは飛んでいた・・・。隣のおじさんに聞こえないように心の中でひとりテンションがMAX(ホレてまうやろぉ~!状態)だったのでした。となると、つまり、3鉄も8鉄もPWも同じでヘッドが走る走る走る。練習場では過去にこのような現状が何度か経験したのですが、コースではしょんぼりだったのです。が、今回こそは・・・、と19日のラウンドを楽しみにしています。

 ということで、2010年8月のブログ記事は77本。過去最多本数で縁起のよい数字で締めくくれました。さぁ、9月もこの調子で頑張ろう。しかし、ツイッターはあんまり楽しくない・・・。

BUZZ(バズ)革命。

 モノが売れない時代はクチコミ(BUZZ)で売れ!とのことです。ビジネスの勝者は「BUZZをつかんだ者」であるそうです。いわゆるクチコミという奴はいったい何だろう?人から人へ、口伝えでというテイでしょうけれど、それが、ITのデバイス各種でソシャルに展開することもクチコミと捉え、携帯電話やPCを通じたC2Cのコミュニケーションを指しているのでしょう。もう、B2Bという言葉すら最近は耳にしなくなったようですが、でも、ビジネスの勝者=クチコミの達人ならば、企業というくくりはどこへ?もう、企業とか組織とか政府とかっていう単位でモノゴトが動かない。何かがゴロリと動く時、それはもう会議室で起こらないという結論に達するような気がします。そもそも、会議室で何が起こっているか?起こってきたかを振り替えればその答えと現状の現象は理解できそうですね。

 議長が会議を始め、会議の参加者がそれを聞く、意見のための意見に無駄な時間が費やされ、時間が来ましたってことで、会議の経過がそのまま会議の結論になる。たいていその結論は緩いから次回に持ち越され、それを次までに整えて整えて・・・。これは何?つまり、どこでも行われてきた会議のスタイル。責任感のない言葉が会議の時間の中で飛び交うがそれはポテンシャルを震え立たせる言葉ではない。会議が終わり、「・・・ってありえないよねぇ~」とか「・・・あの意見聞いた?あれで時代がどうのこうのって言うよねぇ~もっと空気を読めっつ~の!」と本質のコミュニケーションが展開される。これがたぶんBUZZなんだろう。

 では、会社の会議の目的は?予定調和であり組織の潤滑油でありフィッシュボーンでシリアルな時間の経過体験である。そこから新しい意識が生まれないのは、そもそも、人が集まりひとつの答えを導き出そうとするアクションこそに人間の思考パターンに沿わない何かがあるのだろう。昔お世話になった会社でよく飛び交っていたBUZZネタがある。それは、「会議の多い会社は潰れる。」だった。なるほどなるほどそれはあながち・・・。

映画「第9地区」。

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 うん、とてもgood. うんうん、3年後が楽しみ楽しみ。

詳しくはこちらをご確認ください。http://d-9.gaga.ne.jp/

In english, please.

 あるメルマガより抜粋。「多くの方がご存じのように、今年に入って日本企業である楽天やユニクロが社内公用語を英語とし、日本企業から世界企業を目指すことを発表しました。このニュースからも象徴されるように、今までは英語ができれば大きなアドバンテージになっていましたが、これからは英語ができなければビジネスの世界から取り残されてしまう時代が日本でも本格的に到来しつつあります。言い換えれば、ビジネスと英語、お金と英語の関係は切っても切り離せない関係であると言えます。そのような時代環境の中で、英語や将来に対して不安をお持ちの方が多いのではないでしょうか?そこで、英語を使ってグローバルに仕事をしたいとお考えのビジネスパーソンを対象に、「お金と英語のリテラシーを高めて、ビジネスで成功する方法」をテーマにしたセミナーをこのたび開催します。」となっている。まぁ、このセミナーに参加するつもりはないし、会社の公用語が英語になったところで、別段、なんとかなるだろう。それよりも、日本企業から世界企業を目指すなら言語の問題よりも別の大きな問題がありそうです。英語ができなければビジネスの世界から取り残されるという危機感は大切ですが、環境問題・禁煙促進運動・二酸化炭素削減・省エネなどなどもしかり、グローバルに仕事をしたいならお金と英語のリテラシーを高めるだけでいいのだろうか?

 最近、珍しく大河ドラマを2週連続観たが、「新しい日本新しい日本」と連呼しているあたりが人気のようですし、戦国時代云々もたぶん日本の歴史はこうであっただろう・・・ぐらいの史実からフィクションで膨らませて人気俳優がそのテイの刺激的なやりとりで盛り上げてます・・・みたいな感じ。それが、今の時代と対比させてモヤモヤを疑似的に解消しているだけのようでした。新しい日本の夜明け・・・か。たぶん、仮定ですが、その頃の幕府と今の日本の政府を比較するなら、どんな部分が違うのだろう?刀を差している武士がいなくなってさぞ政府はやりやすいことだろう。

 で、グローバルとは?PLS, tell me in english, Frust. Well, let's discuss about it. Come on!

イタタタタタ・・・。

 ある新聞の記事からの抜粋です。「例えばバブルの頃は食自慢といえば、少数民族や欧州の田舎など海外の珍しい料理が話題となった。いま視線は国内生まれの個性へ。地に足がついたのか、ゆとりの減少か。ともあれ衣食住遊、独自の生活文化を守ってきた地方にはチャンス到来である。中央からの補助金で、東京をまねるばかりが地域振興ではない。」とある。これは痛いんじゃない!?

 誰が?東京をまねてるって?って聞くかもしれないけど、独自の定義は想像以上に教科書には存在しない。教科書にある地域振興のマニュアルには逆になんと書いていあるのだろう?たぶん、バブルの頃の澱がいっぱい残留しているような気がします。だって、東京だって「まねだらけ」ですものね・・・。

 で、「まね」が悪いのか?そうではないですものね。「まねぶ=学ぶ」ですから。独自などそもそも存在しないのですから、オリジナリティーって言葉にあまり泥酔しないほうがいいということでしょうね。

明日7割は忘れる・・・!?

 あなたはからなず明日7割を忘れるから、そんなあなたが1ヶ月で500語を覚えるための英単語集というのがあるらしい。うん?なんでその「7割」という強引な物理定数が登場するのか?何かのデータベースからの適用でしょうが、この乱暴なアプローチで反応する人も多いだろうが、ちょっと、強引な戦法ですね。で、その1ヶ月で覚えた500語は次の日7割忘れないの?英単語だけ覚えてても英語ができるにはならないでしょうに・・・。

 「英語ができる。」は「英語が話せる。」でも「英語が聞ける。」でも「英語が書ける。」でもないでしょう。英語英語って人間的に既知に富まずユーモアも見聞も知恵も持たぬ人が英語ができたところで何をするの???例えば、アメリカ人でも同じ。「今日はいい天気ですね?」「お名前は?」「どこからいらしたのですか?」「貴方の家族は?」「好きな食べ物は何ですか?」なんてどうでもいい。それでも7割忘れるのが怖いなら絶対忘れることのない、自分にとって必須アイテムを増やしましょうよ。

 で、単語は大切か大切でないかとなると、やはり、大切。でも、コミュニケーションは単語だけじゃ成立しないし、チュートリアルだけで展開力が増すってこともない。忘れなかった3割のバリエーションを増やし持ちゴマを駆使して伝えようとする気持ちの増幅の方法を身につけた方が確実でしょう。たくましい強い本質の部分での楽しいコミュニケーションができるんじゃないでしょうか。

そもそもウエブログとは。

 ある方の書籍を読んでいたら、まぁ、当然そんな感じはしていましたが、昨今のブログやSNSやツイッターのコミュニケーションに警鐘を鳴らしておられた。まぁ、禅の視点からのこのコミュニケーションに対する警鐘だから、うなずける部分とそうでない部分があるのですが、特に「煩悩」についての切り口でした。うんうん、確かにそういうタッチやニュアンスはあるけれど、でも、無理をしない程度に楽しめてたらそれでええやん、という感じなので、そんなに清廉潔白に煩悩を捨てても「空」の概念は人間のある一部分だろうから、そちらにベクトルが向いたらそういう感じもいいかも・・・程度です。

 で、そもそも、ブログとはウエブログが出発点であり、ウエブ上に自分自身のために何かを記録するために発達した技術らしい。それが、インターネット=ブログみたいなムーブメントに煽られて必須アイテムみたいなテイになって、これを書かなければ時代に取り残される~みたいな妙な危機感でこれに取り組む。すると、それが無理苦理な分「苦」ののびしろが発生して、その「苦」をフラットに戻すだけで「楽」を感じるようになり、本来の楽しさではなく、「苦」ありきの「楽」という振幅を「楽しい」と心が誤認しているという警鐘である。まぁ、それはそれでいいじゃん。コメントがあればうれしいし、日頃、電話やお会いしてお話できない部分でインターネットを通じてちょっとでも音信が交換できればそれでいいじゃん。

 何もブログを書きながら、修行モードで「おおっ、苦しみ苦しみ。」って感じなくとも、書きたいことを書きたいタイミングで気楽に書けばそれがブログってもんではないでしょうか。昨今のブログブームでほんとにいろいろなサービスでブログを始める人が多いらしいですが、ある調査ではブログを始めたが毎月2本以上の記事をコンスタントに書いている人はブログに登録した人の20%だそうです。つまり、なんでもそうですが、3日坊主が80%存在するってこと。

 また、ブログを書くために文章の勉強をしたり、はずかしくないネタを集めるためにコストをかけて記事を買う、プロから文章を買う人もいるらしい。う~ん、本末転倒!そこそこ、本を読んで親しんでいたら、文章などなんとでもなるでしょうに・・・。いやいやそうでない人が80%いるわけです。でも、ブログをしている人の中の80%だから、していない人はもっと多い。つまり、ブログを楽しんでいる人の割合はもっと減るってことになりますね。おそらく、日本の人口比率で言えば、5%以下じゃないですかね。

 とはいえ、「だから?」は必要ない。あまり人と比較して「楽しさの基準」を適用するのは好きではないので、自分の物差しで自分の楽しさを切り取れば、それがブログでいいんじゃないでしょうか。

飛んだぁ!!!

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 湖岸道路を運転中、鵜の群れを発見。アユでも食っているのかとよそ実運転。すると、一斉に何かのタイミングで飛びたちました。たまたまたカメラを持っていたので運転しながら、ズームにしてパチリ。食後の運動かい?

ゴ~~~~~~ル!

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 で、この鳥居をくぐれば山頂到着。見てください、これでも、元気をひねりだして笑ったつもりが・・・。人間、6時間30分も厳しい山道を登りあと数メートルで登頂という時の笑顔ってこうなっちゃいますね。嬉しいんですが、身体の中にエネルギーが残っていない状態の笑顔ってこうなっちゃいますね。

 でも、最高でした。ビバ!富士山!!!

あれ?夏の富士山にサンタが・・・?

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 なぜ、富士山のこの場所にサンタクロース?もう、疲れ果てて幻想でも見ているのか?それとも、知らさせていなかっただけで、ここに実はサンタがいたのか?ってなんでやねん!聞けば富士山大好きの外人がボランティアで登ってきてサンタの格好をして登ってくる子どもたちを楽しませているらしい。でも、サンタを見て私自身も疲れが5%ほどほぐされた気になりました。

 富士登山で9合目を超えると疲労困憊につきサンタクロースが見えることがありますが、これは、まぼろしではもなく、幻想でも妄想でもありませんので、次回、登られる方はご注意ください。とても明るいサンタでした。

富士山の万年雪。

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 これが8月7日の富士山の万年雪でした。確かに肌寒い感じでした。

200円トイレの窓からパチリ。

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 ここは確か9.5合目の有料トイレ。まぁ、友人からトイレが¥200というのは聞いていたので、びっくりしなかったのですが、もう、すでに3.500mは超えているわけだから、何をするにも地面価格では収まらない収まらない。でも、絶景でした。

その前の看板。

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 で、そのお宿の前の看板。これがまた岩石に白ペンキ。ここは9合目、もう、日本ではないんだ・・・。

枕が干してある・・・。

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 これは確か富士山の9合目の宿泊施設お昼頃の風景。けっこうたくさんの枕が日干ししてあった。ということは、このテイの施設にどんだけ泊まれるんだい!?

最近のお気に入り3冊。

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 右から「クラヴマガ入門~イスラエル軍式護身術~イミ・スデ・オー+エヤル・ヤニロブ(共著)」¥1,800を中古で¥3,000でオンラインで購入。和訳されている唯一の公式入門書。なんでこんな本を・・・ということですが、なんとなく興味がありまして・・・。
 中央は言わずと知れた「小池龍之介さんの考えない練習」¥1,300なり。大反響につき12万部突破ということで、ずっと、新聞広告の頃から気になっていて、なんとなくタイミングかなと思い購入。まだ100ページ前後ですが、ゆったりまったりとひと文字ひと文字楽しめる書籍です。このリアリティーは絶対にiPadやキンドル関係では無理だなぁ~。
 で、一番左が「P.F.ドラッカーのマネジメント(エッセンシャル版)基本と原則」¥2,000なり。これはもうマネジメントのテッパン中のテッパンですから、マネジメントに携わる方ならどこかでインプットしていることのまぁ、バイブルのような書籍ですね。

 例えこの3冊がiPadで半額で読めたとしても、まず、読まねぇ~!って感じです。本を読むって文字を頭に入れるだけじゃないですからね。情報のディテールや編集者の意志が研ぎ澄まされて研ぎ澄まされて本というテイになっていることがまずファースト。その次にその質感というかマテリアルが五感に何か文字情報以外のことを伝えようとするチカラがある。これは、いわば、著者や編集者やデザイナーや印刷・製本に関わった熱意や想いがカタチになっているのです。で、ページをめくるとそこにはひとつの世界が広がっていく。文字を読み解きながら光と影の挟間で著者の声を聞く。そして、聞きながらの自分の五感とイマジネーションが文脈にリンクしシンクロする。これが本のリアリティー。デバイスはデバイスでしかない。ツールからひと皮むけた時、デバイスのリアリティーが五感を刺激するのでしょうね。

 アイコンをタップして広がる世界はまだまだ質的にも量的にも小さい小さい。

本は読まずとも本である。

 まず、e-bookというジャンルがある。これは電子書籍元年ということで、いわゆるデジタルデバイスで閲覧できる仮想の書籍である。「電子ブック」「電子カタログ」「電子パンフレット」などで検索すると、かなりのこれに伴う情報がヒットしている。つまり、本や印刷物が全てデジタルコンテンツに置き換わるかもしれないというムーブメントのパーツを分解していくとその実態の一部がこの存在なのである。これは、とてもとても興味がある。iPadはまだ入手していないが、それは、まだ明確な利用方法が自分の中で限定できていないからであり、限定できていない存在にたとえ¥48,800でも出費はしたくないと考えている。いやいや、そうではないですよ、こういう時代だから買ってから入手してからそれは考えればいいじゃんという人は買っているだろうが、そんな乱暴なことはできればしたくない。¥48,800あれば、どれだけ欲しい書籍が買えることか、どれだけ仕事に使えるソフトウエアが買えることか、どれだけ楽しいドキドキを入手することができることだろうかと考えるからである。それよりも、それが利用価値があると感じたらそれは手元に置くだろう。まぁ、そんなに急がなくとも次から次からこれらは市場にあふれているわけだから、今はしっかり傘をさしてそれらの雨音に耳をすましたいと考えております。

 で、電子ブックのそれにともなう規格の争奪戦がいたるところで起こっている。いわゆる利権の争奪戦である。従来の書籍や雑誌を制作していた場所では膨大なデータとノウハウとチャンネルがあるわけで、結果、どうあがいてもそこが考え方をシフトして手を組めば市場から見たその分野は結局同じの構図に見えるようにも思えるし、いやいや、どれだけアーカイブしてるコンテンツがあろうが、それらは過去の遺物。これからのデジタルコンテンツ時代は殿様も武士も農民も同じステージでつばぜり合いができますって切り口で啓蒙されても、やはり、地の利や財の利は間違いなく存在する。これを切り崩すには蟻のように小さい穴をたくさん開ける必要がありそうです。手持ちのツールが家臣なのか刀なのか鍬や鋤なのか・・・という問題である。ただ、デジタル世界はボーダーレス。ひとりひとりは微力でも七人の侍ならなんとかしてくれるだろう。

 ただ、デジタルブックにはとてつもない期待をしているしいずれそれを手持ちのネタで一冊作りたいと考えていますが、本はそのサイズの用紙が一定枚数、多くの人の知を集めて企画され編集されて、そして、丁寧な技で印刷され製本された成果物である。その存在感を光の中の疑似コンテンツに置き換えるのに人間がどれだけ慣れるのだろうか?という疑問と、古今東西、これほど飽き性の人類に永年親しまれてきた本という存在を、人は簡単に手放すのだろうか???と思っております。

 だって、本はその中身を読まずとも本であるから。

廃墟と廃道という存在。

 最近書店で気になる書籍のカテゴリーベスト1は「廃墟と廃道」に関する写真集や雑誌です。何かどこかとても気になる。立ち読みでチラミしている段階ですが、いずれ、そこそこそのテイの書籍や写真集を買うことになるだろうと思っております。まだ、ガチでそのテイのWEBサイトをリサーチはしていませんが、2~3年前、富士山をリサーチしていた頃のようなドキドキな感じを「廃墟と廃道」に感じてしまいます。

 まず、それを専門に撮影しておられるカメラの方の考え方が面白い。だから、写真もどこか美しい。写っている風景や施設はもう雨風の中でかなりの建物としては停滞している。つまり、時間が止まっている状態なので、世界の絶景や世界遺跡のような美しさや壮大な雰囲気はない。その施設から人が離れてかなりの時間が経過している壊れた家具やほこりが上にたまったゴミの山が切り取られている。人が離れると建物はこうなるのか・・・という衝撃がある。それがどこか美しいと感じるのはたぶん人間だけだろうけれど、でも、とても気になってしまいます。

 ここに目を向けたこの第一人者のカメラマンは凄いなぁ~と。気になる以上、そいういうスポットがあれば、ぜひ、カメラを持ってそのテイの場所に行き撮影をしてみたい。その場所に立った時、少なからずこのカメラマンの方の気持ちが分かればこのドキドキの意味が少し理解できるかもしれないので。まさか、近い未来の日本像をこの写真に見い出しているとは考えたくないが、それに近い危機なフィーリングもドキドキに含まれているように感じます。

 IT、バーチャル、デジタル、インターネット、クラウド、仮想現実とキラキラする存在に心を奪われていると、リアルの世界はいつかこうなってしまいます的な警鐘のようにも感じますし・・・。

沖縄系の人!?

 時に意外な角度からの変化球にはドキリとしてしまいます。私自身このテイの容姿なので、外見にあまり気を配らない。諦めているのか放置しているのか、とにかくシンプルにあまり足し算が嫌いなので、足りないぐらいな引き算でちょうどいいんじゃないと考えている。だから、あまり、誰かに似ているとか言われたことが極端に少ない。最近では、「ああ、なんとなく、滋賀出身の方ではないような第一印象でした・・・。」とか、「なんか絵とかデザインとかやってはる人かなぁ~と思っていました。」が好意あふれるギリでガチなコメントでした。

 で、昨日ある方に「沖縄の人みたいですね。」と言われた。これは正直、46年間の人生経験の中で初めての経験。「沖縄の人」のニュアンスが特に悪い要素がなかったので嬉しい嬉しくないではとても嬉しい感じでした。逆に何故嬉しいと感じたのか・・・?が自分でとても疑問になり、あれからいろいろ反芻しています。「沖縄の人」か、黒いから?民族っぽい?ネイティブジャパニーズではない?漁師っぽいのか?南国っぽいのか?素朴っぽいのか?しかし、どれも悪い気は全然しない。この言葉は意外と今後も私自身の心に残留する言葉になるかもしれないような気がした。遠い未来にジャマイカにでも移住するようなことになった場合、たぶん、この言葉がキーフレーズになるだろう。

 しかし、沖縄には一回しか行ったことがない、泳げない、海は好きじゃない、のんびりタイプではない、こんな人間は沖縄系の人のニュアンス・テイストがあるとは・・・?

勝間和代さんスゲェ~!

 ツイッターの基本的な活用術という書籍を買っていろいろチェックし、まず、フォローする人は少なめにとのことでした。で、試しにその雑誌の中で紹介されていたオススメの方の中に勝間和代さんがあったので、勝間さんの書籍は何冊か読んでるし、テレビに登場されてても好感を持てたので、まぁ、試しにと思ってフォローしているのですが、まぁ、凄い。これがツイッターの最高峰かと思えるぐらいのお忙しい日々が刻々と更新されている。フォローしている人がまだ5名なので、そんなにゴチャゴチャはしないのですが、その中でも勝間さんのツイートは強烈です。こんな忙しい日々を送っている方のリアルってほんとのほんとの部分でリアルはわからないとしても、この140文字のアーカイブだけでも、そのエネルギーやモチベーションや活動の多面性多様性が充分に伝わってきますね。

 う~ん、私もどこか東京かN.Y.かロンドンにオフィスを構える日が来たら、有頂天になってヘビーツイッターになるのでしょうね。なかなか、普通のライフスタイル内で発生することのつぶやき・ささやきでは正直興味が湧かない湧かない。でも、これも一重に「にわとりとたまごの法則」で、逆本末転倒ぐらいのテイぐらいでないとほんとの楽しみは得られないのかもしれません。

 って、これだけ文字が多いとツイッターでは無理ですものね。だから、頭をもっと整理しなさいということなのだろう・・・。

詳しくはこちらをご確認ください。http://twitter.com/kazuyo_k

バリューか?ノイズか?

 「情報が氾濫している。」とはよく聞くし見るし、そう強く感じる側面は機会は多々ある。が、その場合の「情報」とは具体的に何か?分解してみるといくつかのパターンがある。有益な情報とそうではない情報。個人的に主観的に好きな情報とそうではない情報。正しいと思える情報とそうは思えない情報。これらをバリューなのかノイズなのか選択・判断・考察しているモノサシって何だろう?ひとつは、価値というこなら、お金に換算できるし、価格的な価値を別のベクトルで判断することは消費者として当然日々行っている価値判断である。これらは比較的「価格」という基準があるからそうストレスなく判断できる数値化されたバリューである。しかし、情報の全体像はこの価値判断に当てはまらない場合も多い。

 情報とは何か、つまり、五感と心でインプットされモノ。勿論、PCの中から携帯デバイスの中からテレビからラジオから新聞から雑誌からそれらの情報は個体の中にインプットされる。¥100のモノを¥100でインプットするならストレスはないが、¥50のモノを¥100で買わされるとストレスになり、¥100のモノを¥50で買えたならそれはバリューである。が、このように明確に数値化できない情報がストレスになり個体の中に蓄積され続けると、最初それに若干のストレスを感じていた個体が慣れ、それがその個体のモノサシ・価値判断のスケールになる。これはある意味学習と呼べるのかもしれなが、良き学習もあれば悪しき学習もあるという現実。すると、その習慣で得たモノサシで以前なら価値を感じていたことがそれほど感じられなくなり、個体にとって適正な有益な情報だったにも関わらず、そのサインを見逃してしまうこと。これが、日々、小さいジャブのようにどこからも飛んでくる。これに対する護身術はないものだろうか?セキュリティーリスクと言えばそうだろうし、プロテクトツールでバリアしてればいいだけかとなるとこれも疑問が残る。結果、現代の人は自分自身の心の中にひきこもる。アイソレートは決して悪しき習慣ではないし、この状態からとてつもないコンセントレーションが生まれたり天才的な歴史的な着想が生まれていることも事実。とすると、これらのことについて、こうあるべきだ!というバイブルは存在しないという仮説も成立しなくない。たぶん、福音にもそれが適用できるはず。

 となると、バリューとノイズは自己責任において個体が判断しなさいということにならないだろうか。自己責任ほど無責任な感覚はないが、組織であれ企業であれ政治団体であれこうも人の集まるところに蠢いている悪しきノイズがネット社会になり聞こえてくると見えてくるとそうそう無関心でもいられない。強い刺激を強いストレスを個体は心のどこかで求めているという学説もあるから、非常に厄介な個体ではあるが、そこはそれでいいじゃん。五感と心でしっかりとバリューとノイズを見極めたいと思いますね。

戸籍上の152歳って!?

 大阪市が25日、市内に本籍地があり戸籍上120歳以上の5,125人が「生存」したままだったといことを発表した。まず、なんでやねん!たぶん、お役人さんのことだから、現実はあと少し多いはず。で、最高年齢の男性は安政4年(1857年)生まれの152歳が発覚したらしい。

 なんでやねん!!!親族に確認をするって、これまで確認しなかったのは何故?

 逆に生きてたらミラクルですが、なぜ、こうも、全国的に今の時代、「新たに判明する。」ことが多いのか。これはネット・デジタル社会のメリットかもしれないですね。正確なデータベースを構築しようとする人が緩い役人に鍔を競り寄せているわけですから、このような「新しい判明。」がボロボロでてくるのでしょう。だからというわけではないですが、ほんとに物理定数は信じられない。

 長生きはとてもいいことですが、書類の上で長生きしてもねぇ~。

クラブ・マガか・・・。

 健康とはちょっと遠いかもしれないですが、「クラヴ・マガ」ってあるんですね。面白そう。さっそくネットでリサーチしたら専門書がない!でも、東京ではすでにフィットネス・ジム感覚で「クラヴ・マガ」をエクササイズに取り入れた専門スタジオがあるではないですか!そのサイトを拝見したら、なかなか、これが面白い。いわば護身術のようですが、まぁ、太極拳やヨガの一連のような取り組み方を推奨しているみたいですが、本場のマガはなかなかハードでシリアスでガチのようです。

 ネットでどのブックサービス関連を探しても、新書がないものだから、やっと見つけて「購入確定」ボタンを押そうと思って、待て待て確認と再度、書籍の内容を確認したら、英語版!!!で、ようやく、中古をアマゾンで発見して購入しました。またまた、書籍が到着したら護身術の全貌をこのブログで紹介させていただきます。

 で、なぜ、護身術かってことなのですが、まぁ、長浜の街を歩いていて、いきなりナイフをつきつけられてcome on bill !とはならないのですが、万が一、登山中に熊に遭遇した時にただ追いかけられてガブリとやられるぐらいなら、わずかながら抵抗する術があれば・・・と思い、まぁ、protect myselfってことでこれなら一矢報いることがと思って取り組んでみようかなと思っております。

 余談ですが、なんでも首をつっこんでしまう私は、少林寺拳法から空手、ボクシング、合気道とその道のエキパの友人がいて、気軽に教えてもらった薄~い経験と会得すらできていなのに小さい自負があるものですから、いざとなったらどれかで護身できると思っているのですが、さらに、この世界が認めた護身術でもう一枚薄い知識を増やしてたいと思っております。とは言え、もっと、シリアスな護身術の知識だけはあるものですから、できればそういう場面になってほしくなと思うほどのヤバイ知識はさて置き、例えば胸倉を攫まれた時、腕をZ型にねじればどれだけ腕力・筋力のある方だとしても、簡単にひじが折れますし、ボクシングの理論で言えば、たぶん、不意をつくなり向かってきた輩でだとしても、そこに当たれば間違いなく失神以上のダメージを与えることができます。これらは純粋な競技としてのスポーツでは絶対にタブーですが、タブーを知ることが競技のルールを知るということですから、危険な技も知識としては入れておかなければなりません。それがルールなのですから。

 ただ、体長2~3mの熊と山道で遭遇してどんな護身術で撃退できるか・・・となると疑問ですが、まぁ、世界最強の護身術だから熊ぐらい・・・。

やんやんマチコって!?

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 もうこれは例えようのないほどのセンスとスキルとエネルギーが生み出す傑作としか表現できない。そもそも、ウサビッチがあれまでブレイクしたのは何故か?と考えてしまうが、あれは作者でさえ予想でいないブレイクだっただろうし、ここまで浸透し波及すれば、それはそれは次の展開が期待され、そこで、このクリエイターの皆様はそれなり・・・というかこれまでにないプレシャーの中、第2段の展開を考えてこられて~のの「やんやんマチコ」だったはず。それがこのクオリティーってことは、もう、このブレイクは必然ということになる。ほんとに素晴らしい。ここまでバージョンを上げながら、ウサビッチのテイストを継承している魅力とは何だろう?もう、ひとえに作り手のポテンシャルがあったからこそ生まれた、非常にミニマムなモノヅクリ魂が成しえた逸品なのである。

 もう、ゆるキャラはええやん、だって日本全国ボウボウやん。いっぱい作ってもどれがどれかってどうでもええやん、それを見て癒されるって、もう、あきてきたやん。例のトーンでマチコさんにバッサリいってほしいものです。

 もうもう、ここまでの展開となると「へぇ~」としか言葉が出てこない。楽しいだろうなぁ~作っている人。やっぱ、創るって楽しい。ドラッカーが言っている、マネジメントとは経済を成長させる仕組みであり、成長するためには創ることであると。右から左じゃダメやん、すでにそこにある価値の浮き沈みで利を得ることも経済ではないやん。経済の新陳代謝は壊すことと創ることやん。

 いろいろ、悩んでいたが、これを見て、やっぱ「自分自身が創りたいと思えるモノを創ろう!」確信しましたね。

詳しくはこちらをご確認ください。http://www.yanyan-machiko.com/

藍ちゃん5勝目オメデトウ!

 女子ゴルフの最高峰の舞台で、ロングヒッターでもショットメーカーでもない宮里藍ちゃんが今シーズン、5勝目をあげられた。記事を読めば、「小技」に磨きをかけた結果であり、本来の藍ちゃんのスタイルが現在の地位を獲得したと書かれていた。ランキングらの全ての部門で第1位なのだそうである。「世界一スイングの遅いゴルファー」と言わしめ、開幕から2連続優勝で始まった藍ちゃんの2010シーズン。勿論、期待するのはあと9戦。攻めに攻めて頂き、日本人二人目の海外での賞金女王とベストプレイヤーの称号だろう。

 世界ランキング第1位の「小技」かぁ~。

映画やマンガの舞台。

 映画などの撮影地を訪れることをロケ巡りやシネマ観光などと呼ぶらしい。近年、マンガやアニメ、ゲームに描かれてた場所を訪れる人が増えているらしい。映像作品や小説、歌などを英語でコンテンツと呼ぶことから、各種作品の舞台を訪れる旅を「コンテンツ観光」と呼び、文化的意味や経済効果などを研究する大学も登場しているらしい。優れた映画監督やゲーム作家の手にかかると、ごく日常的な風景ですら突然、輝きを増すのだろう。普通の案内書などよりも、人を呼ぶ理由が分かるような気がします。日常を逃れ、絵空事の中に入り込みたい。そこの新しい課金のシステムが存在する。つまり、絶対的な意味における創造というマネージメントなのだろう。そこにスパイラルが起こっている背景はさて?やはり、メディアコントロールは今も昔も有効なのだろう。動機付けのチェーンリアクションである。

「ザ・ウォーカー」という映画。

 マトリックスを制作した二人が何故この映画を作ったのだろう?で、D・ワシントンなんだ?さらに、ゲーリーオールドマンもこのポジションである。昨日、原作を読み終えて、あとがきで、D・ワシントンが映画と宗教の関係について書いていた。なるほどなるほどそういう狙いがあったのかと。よく、このテイの映画で「最後の戦争が~」「地球最後の日」という表現がされているが、それを監督のイメージで映像化された世界を見ると、必ず、どこか映像が渇いている。古くならマッドマックスなども砂漠がそのシーンととても合う。これは時代が変わっても「地球が滅ぶ」というテイは=乾くというイメージにマッチするからなのだろうか。廃墟をテーマにした写真集が書店にあったのでチラミするとなんか時間が止まっている感じが美しく思え、よくもまぁ、この写真家はこの構図を切りぬいたいなぁ~と思ってしった。もう、人気がなくなったテーマパークや銅山やホテルなどは写真だからもしれないが、時間が止まっている。決して美しいとは言えないその空間。やはり、乾いている。廃墟が美しく思えるのは人が離れた瞬間からその場所は乾き始めるというリアリティーに心が動いているからだろうか・・・。

 で、乾きとはつまり終焉であり、乾きと生命力は対義となるということ。このザ・ウォーカーでも原作を読んだだけで、告知版のCM映像しか知らないが、紫外線の熱に都市が荒廃しそこに残された一部の生命は何かを求めて蠢いているという設定。そこに、ウォーカーと荒廃した街の支配者が・・・という映画なのですが、物語のフレーム以上に二人の演じる登場人物がその映像の中で、どこまで「渇き=荒廃」と「生命力=希望」を演じているのかDVDが楽しみである。そういえば「ドミノ」も適度に乾いていた。

 余談で、録画して「龍馬伝」を観ているのですが、改めてNHKはCMがないのがとてもいい。見慣れないあの広角レンズの絵もなかなかいい感じ。彩度を落とし気味の色もいい感じですね。ただ、オープニングのCGは今回はちょっと残念ですが。

 詳しくはこちらをご確認ください。http://www.thewalker.jp/

イモトアヤコ@モンブラン!?

 私の山登りのテンションはもしかすると、この番組のイモトアヤコさんのキリマンジャロへのアタックがスタートだったかもしれない。それまでに何か健康のために何かできることを?と考えていたことは事実ですが、「登山」に絞り込んだのはこの番組のイモトアヤコさんのキリマンジャロだったかもしれない。

 あんなに苦しそうな映像だったのだから、実際はその5~10倍のヘビーさだっただろうに、専門家に言わせればキリマンジャロはハイキングらしい。が、モンブランはクライミングだそうである。それにアタックしておられるとは・・・?確かに番組タイトルは「世界の果てまで~」ではあるが、イモトさんは確か「珍獣ハンター」というカテゴリーだったような気がするのですが、クライマーだったか?あのクレパスにあの風景。

 陳腐で安直な比較しかできませんが、私の夏山の富士山登山のあの絶景を写真で見るとその迫力が1/10以下に落ちている。で、キリマンジャロと富士さんだったら、たぶん、高さ的な条件的には3:1ぐらいであろう、で、キリマンジャロとモンブランがハイキングとクライミングなら1:5なんだろう。ということは、季節とか標高とか登山時間とかを比較した上でのあの映像と現場の比較となると・・・。モンブランは夏山富士山登山の150倍以上!!この数字はあまり意味がなさそうですが、これが私自身が感じる富士山とモンブランの比較のリアリティーであるから仕方ない。つまり、テレビで昨晩観たモンブランの映像は私の考えている想像している現場のリアリティーとのギャップが150倍だということになる。

 といいうことは、その前にやはり、剣岳である・・・。

白いあさがお。

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 2代目のあさがお。昨年は確か白い花はなかったような。でも、今年はこのようにチラホラ。鮮やかな色のあさがおもきれいですが、白ってのもなかなか。

富士山でカレー。

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 このカレーの味は一生忘れないだろう。味とか価格とかじゃなくて、富士山でカレーを食べたということは他に比較できない美味しさがある。ええっ!こんなカレーなのに・・・?って思うでしょうけど、実際、そこでこのカレーを食べてみてください。この美味しさは言葉では表現できません。

こんな風景。

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 これは確か9合目あたりの休憩所。こんな風景はそうないですね。ほんとに写真だとその迫力が5%ぐらいになってしまうのが悔しいです。

富士山山頂の火口。

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 富士山山頂は涼しい。達成感にしばし浸りながらシャツを着替える。で、ぶらりぶらりと山頂付近を探索しました。もう、下山する時間が気になって今回はお鉢めぐりはスルーしましたが、この山頂に立てた達成感は無二。また、来年もここに来たいと、あんなに苦しい6時間30分だったのに、そのことよりもその気持ちが強くなる実感がありました。

富士山登山のこれがガチの角度。

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 これがたぶん6合目~7合目あたりの登山道です。岩だらけ・・・。見上げるとはるか上方に山頂を目指す人の列が見えるのですが、それが、遠い・・・。

富士山登山にこの2匹も・・・。

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 どうしてもこの2匹が行くことになり・・・。たぶん、この段階で6合目を出発するタイミング。まだまだ余裕がありました。

e-mailは遅い!?

 ほぉ~、アメリカの学生やサラリーマンにアンケートをとったところ、「e-mailはレスポンスとして遅いツールである。」という結果が出たそうです。これはどういうこと?つまり、snsへの依存度がかなり・・・ということで、運転中、授業中、歩行中、常にデバイスから今をつぶやき続けることが最速のレスポンスをネット世界へ送る基本形らしい。これはこれは。完全に彼らが錯覚しているのか、もう、私自身が鈍感なのか・・・。世の中のコミュニケーションの形態は明らかに変わったが、何をコミュニケーションしているかに言及すれば間違いなく「たわいもないこと。」が、しかし、この「たわいもないこと。」が真実にシンクロしていそうだということが錯覚を助長している。それに、それは本当に錯覚か否かを確かめる術はない。コミュニケーションの規模というかルートが個to個になった段階で、その傾向はサーバの管理者しかつかめていない。だから、成長する企業の舞台裏の準備万端たるや舌を巻く。しかし、プラチナデータやチャンピオンデータのアーカイブで何が分かる?アルゴリズムを作ったのも人ならば、それをアナライズするのも人。結局、凄まじい規模のサーバが演算した解析結果を見て人が何を思うかだけのお話になぜこうもう、世界が動揺するのか???それは、そこにしか価値の基準がなくなりはじめているからでしょう。もう、いわば、科学も宗教も経済も歴史も文化も包括されつつあるのかもしれない。自分だけの記憶がサーバの中にあるわけですから、感情移入が難しくなっている現実。心が感じる前にCPUが答を出しているのだから、まったく、つまらない。だから、それよりも早くリアルタイムを更新することで時間を意識化に置けてると錯覚したいがためのSNSのヒートアップのように思えるが、これも錯覚なのか???

聡明な女は、裸も美しい。

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 幻冬舎から草刈民代さんの写真集が出ている。続々重版だとのこと。「完璧な彫刻」と評されたオールヌードを含む決意の写真集。とあるが、バレリーナの写真集か・・・ちょっと気になります。引退を決意された時、バレエ文化のために自分にできることはといういことで写真集を決意されたそうです。何か大きなモノを背負っている人の根性はどこまで至高であり、それを実現してしまうエネルギーに満ちていますね。

ツイッター活用術って・・・。

 今、何をしているかを短いフレーズでネットのバケツにほり込む感じ。140文字だからあまり考えることなく、時系列に頭に浮かんだこと、目の前に起こっていることをリアルタイムに次ぎから次へバケツにほり込む感じがツイッターのファーストインスピレーションです。で、この機能性というか特性・ポテンシャルを生かしてユーザーがどんなフレームをアイディアをTIPSを用意するのかという次のステップ。結果、これに集まったアーカイブがいくつかのパータンに分れてくることで、万象に対する傾向と対策が見えてくるとか見えてこないとか。だから、活用するのはご本人次第ですが、活用が活用に終わらないのが開発者の頭のいいところ。ユーザーは「ほ~ら、こんなにフォローが多くて、ラインキングが上位になってます!」的に一喜一憂しているが、これは、あまりどうでもいいこと。開発者はユーザーに「楽しんでくださいねぇ~」と言っているが、一番楽しんでお金にしているのは、や・は・り、開発者。お釈迦様の手のひらの孫悟空状態。居心地は悪くない、危ないそれも作戦ねぇ~!なのであろう。なら、楽しもうと思っています。JOHN DOギリギリで・・・。

頭脳(あたま)の散歩か・・・。

 ポプラ社から外山さんの書籍が10月初旬に発売されるというお知らせ。緊急出版という文字の真意は何だろう?それほど今の時代に向けて訴求しなければいけないテーマなのか?「デジタル教科書はいらない。」という仮題まで意味深である。活字を読む、書くことの大切さとは?一億総デジタル化時代への警鐘。政治と教育のプロフェッショナルが語り合う「未来への対談」という切り口だそうである。たぶん、書店で発見したら外山さんの書籍なので買っているだろうが、今、8月、なのに、10月初旬の発売予定の書籍をここまで広告するってことは、つまり、その時期にいろいろな警鐘が必要な動きが国内で想定されているってことでしょう。だから、緊急出版なんでしょうね。

 で、デジタル教科書の是非についてこれから明確になってくるでしょうけれど、まぁ、何ごとにも便利には便利の裏があるわけですし、不便には不便の表もありますから、一概にデジタル教科書の導入を否定することもできぬまま、それなりに馴染むまで・・・的なゆるい感じでいいのかもしれない、と、思うのは大人だけであり、そんなことに対する疑問やアレルギーがない学生の皆様にとってみれば、最新の機器は効能もそれなりだろうから使ってみたいだろうし、無碍にデジタルだからNOでは言葉が軽い。だから、その場面になった時、自分なりの答を持っておきたい人がこのテイの書籍をひとつの見解として情報として購入されるのだと思います。

 携帯電話もパソコンもデジタル教科書も無かった学生時代だったけれど、とってもとっても楽しかったんですけど・・・。ほんとに必要なのかいな???

ふじ石亭さんにて。

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 昨日は長浜のふじ石亭(フジセキテイ)様でお食事のご招待を頂きました。長浜に来てこちらの外観がずっと気になっていたのですが、どうもオーナー様が変わられたのか2年前ぐらいから料亭としてオープンされていたそうです。とは言え、このような高級料亭に行く機会もなく、「この岩石はモノホンの溶岩なんだってぇ~」という噂だけの存在でした。ご招待いただいたお客様に聞くと、マジでガチでこの溶岩は富士山から持ってきたとのこと。何何?このデカイ溶岩を???トラック何台分?そんな外観のふじ石亭さんの中はこれまた落ち着いた別空間。個室で和食のコースを頂いたのですが、これまたそのほとんどの料理が今まで口にしたことのないような・・・。ということで、思わず、ブロガーのように携帯のカメラで撮影してしまう始末。う~ん、これが日本の美味なのかもしれないですね。

 って、かなり、お酒も入っていたので、そんなことを考えてしまったのかもしれません。帰りは自転車でどう見てもただの酔っぱらい。右へふらふら、左へふらふら。気持ちがいいのか悪いのか。とても、ちょっと夕食にってテイで行くことはできませんが、1年に1回、何かの記念日に・・・というクラスのお店でした。

 あっ、そうかそうか、だから「ふじ(富士)石亭」なんだ!!!なんか最近、富士山系のパターンだ。これも言わばトレンド的にパワスポって呼べる奴なのか?いやいや、ここはそれではないでしょう・・・。

 詳しくはこちらをご確認ください。http://www.fujisekitei.com/

富士山登山道の風景#005

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 と、あたりの風景や登山道のテイが少しづつ休火山になっていく感じ。岩~な感じがチラホラと目につくようになってきます。うん?この上はどうなっているんだい???という印象でした。でも、まだ、この段階では、「おおっ!これは溶岩だなぁ~!」「いろいろな成分が含有されているんだろうなぁ~!」などと考える余裕がありました。このような風景はイマダカツテ・・・でした。

富士山登山道の風景#004

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 ということで6合目を出発して最初に休憩した(なんとも休憩のサイクルが早くなる。これが予想以上に早い。こんなことで山頂まで体力と気力がもつのだろうか・・・とそろそろ頭をよぎり始めている。)場所からのショット。最初はほんとにほんとにローギアでスタートしたので、しっかりガッツリ風景を楽しむことができました。この風景の迫力、写真では1/30しか伝わらないのがちょっと悔しいです。

富士山登山道の風景#003

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 で、その6合目の休憩場所の中のショット。唯一無二の山の休憩所はそれなりの雰囲気がメラメラと漂っていました。雰囲気あり過ぎです。

富士山登山道の風景#002

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 最初の休憩場所6合目。このあたりでは登ってくる人も多く、下山してくる人も多くすごく賑わっていました。富士山登山初めての私は皆さんがとてもたくましく見えました。ここの段階でまだ気温も高く、汗もかなり噴き出していましたが、富士山登山の専門誌ではそろそろ気温が下降してくるとのことだったので、このまま10分ほど呼吸を整えてさらに上の7合目を目指しました。

富士山登山道の風景#001

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 ひと休憩をしたのち歩き始めるとこんな風景でした。まだまだ、登山道は緩やかでしたし、こうして立ち止まって風景を眺める余裕がありました。この時間帯は富士山に来れた感動でいっぱいでしたが、あと1時間も歩くと別の意味でいっぱいになろうとは・・・。

ツイッターで企業PRってありなんだ!?

 ようやく、なんとなく、ツイッターに取り組んでみようかなと思っております。ここまできたらもうこのブームも確立されたでしょうし、すでに何を持って成功かという部分を規定するのは、まぁ、ネットの世界ですから難しいとはいえ、確実にこの開発者は世界の長者番付の上位に名をはせているのですから、成功事例としてその恩恵を少しでも分けていただくために、ちょっとギアをニュートラルからローに入れようと思っております。ちょっと遅いスタートなのかもしれないですが、誰よりも早く取り組んで、誰よりも多くツイートして、誰よりも多くのフォローをお願いしたいとは考えていないので、自分自身のそして自社のテイにマッチした活用術を創意工夫していきたいと、ほんとにローギアでのスタートをしようと思っております。無音スタートのプリウスのように最初は電気でサードあたりからガソリンで・・・みたいな。

 で、具体的にツイッターで何をどうする?の部分ですが、どうやら、自分の会社や業務の案内や告知などに使ってもツイッターユーザーは反応してくれるとのこと。ならば、ガシガシ業務案内やデザイン企画やデザイン作品やWEB作品の紹介のディテールをつぶやきはじめようかなと考えております。ツイッターはレスの早さとリアルタイム感が命だと雑誌に書いてあったので、この仕事で、リアルタイムな進行形をつぶやくって何だろう?ですが、それはそれで試行錯誤してみようかなと思っております。

 じっくり系で伝えるなら、発信するなら、やはり、WEBサイトだろうし、更新の活性率を上げるならブログだろう。それを限られたアイソレーション感で展開したいなら、SNSだろう。で、ツイッターはそのさらに先を行くつぶやきの時系列のアーカイブでささやくつぶやくのリアルタイムな時間軸を表現することらしい。そこにはリアルな断面が時系列にならぶ世界なんだそうですね。つまり、どんどんどんどん、ITのサイクルは短くなっていく傾向にあるとも言えなくないなですね。では、次に登場する新技術ぐらいから、今現在を映像や写真でスライドショー的にビデオチャットぐらいのネットワーク感を演出するのだろうか?いやいや、頭のいい方の考えの中では技術的にデジャブを見せるぐらい平気でやってしまうかも・・・?いやいや、2~3日先の未来をパターン化した膨大なデータベースと特異なアルゴリズムで計算して表示させるようなことも構想しているかもしれない。これは疑似的なタイムマシンとも言えなくない。

 さぁさぁ、仮説ばかりでは飯は食えません。今手にできるツールの活用術が先。ツイッターをまずは手に馴染ませてからのお話ですね。

絶対音感のかわり。

 お盆休みに東京芸大の音楽学科バイオリンを卒業し演奏者として活躍してこられた女性とお会いする機会がありました。聞けば2歳の頃からバイオリンの日々。う~ん、強烈である。そのまま東京芸大まで一直線だったことを振りかえり、生活=バイオリンという学生時代のお話だった。う~ん、学生時代は適当に勉強してスポーツしていたぐらいの私にしてみれば、バイオリン一直線の生活はどうしてもイメージできなかった。お母様がプロの奏者だったことが深く関係しておられたわけですが、一流になるために厳しい練習練習の日々だったご様子。つまり、東京芸大とはそういうイメージがあったので、まさに~でした。しかしながら、その方には音楽の分野での「絶対音感」がなかったことで、楽譜を読んだりオケで演奏する時にその部分でのご苦労が絶えなかったとのこと。まぁ、絶対音感など言葉でしか知らない私はこのご苦労でさえチンプンカンプン。音楽家にとっての「絶対音感」の価値がとても実感できない始末。それを努力で乗り越えられ入試試験にパスされ芸大に入学されたわけですが、それもどのレベルのどのクラスのご努力なのかは未知数。お母様は絶対音感の持ち主だったので、同じ練習をしても会得するスピードが格段に別モノだったらしいとのことでした。

 で、絵やデザインの分野における、音楽の分野でいうところの「絶対音感」ってあるのだろうか?というお話の流れになりました。さて、私はそんなことも考えてことがなかったので、ポカ~ン。まず、絶対音感ということが言葉でしか理解できていない始末なので、それを、絵やデザインに置き換えることも難しいし、それが音楽家にとってとても重要な能力であるということは理解できるが、では、絵やデザインを仕事にしている人間にとって重要な能力とは???この段階で頭の中がグルングルン。その場では適正な対象を限定できないまま・・・。「たぶん、感受性的なものなのかもしれないですね。」が関の山。

 他にもいろいろなお話が聞けたのでとても有意義気な時間だったのですが、どうしてもそれから「絵やデザインにおける絶対音感って何だろう?」と気になり、今も気になって仕方がない。そんな部分の思考をしてこなかったということに間違いないのですが、それはあるのかないのか?あるとすれば何なんだろう?と。

 学生の頃、野球や陸上をしてきた、働きだしてゴルフやバスフィッシングを始めた、いずれも、競技として楽しみ、勝つことが目的でうまくなるため早くなるためにそれなりの努力をする。また、その努力の過程が楽しい部分もあり、勝負の結果はさほど気にならないようにもなってきた(つまり一番になれなかったから・・・)。とてもとても絶対音感を持ちプロの奏者としてオーケストラの一員として舞台に立つってこととは無縁の世界であり、基本に「楽しい」があればそれで納得してきた。が、そんな中でも、確実にスゴイ奴はいた。センスがあるというか、努力とセンスが連動して結果を常に出せる奴である。その違いは何か?学生の頃ならそれが悔しくて悔しくて練習を2倍3倍するが勝てない。あげくの果てにケガをして故障をして同じ土俵にも立てなくなった学生時代。底なしの悔しさはすべて自分の場合、「絵」に向けられた。つまり、音楽でいうところの「絶対音感」。スポーツでいうところの「センス」。ようは天才には天才の条件があるということ。それが明らかにない、持ち合わせていない人間は、気持ちと努力でなんとかしなければいけないという事実・現実。

 東京芸大の方とお話をさせていただきながら、その部分をひしひしと痛感していた。間違いなく音楽の分野でいうところの「絶対音感」がない人間は、持っている人に対して勝つ負けるのレベルではないのだと。そんな母上を持つこの方もはんぱない努力を積み重ねてこられたそうです。いろいろな意味で立場や状況・環境は違いますが、その部分で共感・シンクロできたことでテンションが上がりました。

 絵ならなんでしょう?「色や形や構図やメッセージを感じる力=感受性」がそれなのかもしれません。が、それは「絶対感受性」とは呼ばないし、そういうテイのモノでもない。音と色、音とカタチ。つまり、仕事も人生も企業も国も全て同じような・・・。「見えている、分っている人が絶対。」であり、他はそれの相対であるというこなのかいなと・・・。なら、「相対の力」を磨いて「絶対の力」に挑みたいものです。

モノサシついでに。

 自然豊かな高知県在住、グラフィックデァイナー梅原真氏の書籍のお話。それは、疲弊する地域の再生などを同氏に託そうとする人たちと同氏の考えや生き様にスポットをあてた書籍である。グローバルでフラットな社会になればなるほど辺鄙な町は個性的な経営・観光源として輝きを見せるが、地元の人はあまりに見慣れた風景や日頃口にしている地場産品の本当の魅力に気がつかないという部分や、それらのプラスマイナスを全国の消費者目線でその地域にベクトルを向ける工夫・方法論について梅原氏のご活躍はいかに的な部分を通して「地域再生論」として考察しておられるイメージ。

 そのためにはその地域のポテンシャルを小手先ではない真の魅力として地元の人たちが語れるか否かにかかっているとも言っておられる。梅原氏と地元の人たちのまちづくりの奮闘・奮戦記なのだろう。生き生きとした活動ぶりがこの書籍に落とされていればこの書籍は地方再生のバイブルになりえるだろう。それが公的な立場の人間でもなく、企業家でもない、一クリエイターだということにひとつ共感を抱いてしまいました。地方再生と言うが、その全体像は一クリエイターのモノサシでは推量するには複雑怪奇であるとも思えるし、いっしょに奮戦記を共有していては本質を見誤る。そういう意味でこの梅原氏の著書には非常に興味がありますね。おそらく進行形であろうその取り組みのプロセスに、おそらくバージョンアップ中の梅原氏のモノサシのどこかのディテールが垣間見れたとしたら、この書籍の価値は高い。

心は見えないけど・・・。

 CMのキャッチコピーより。「心は見ることができないけれど、心づかいは見える。思いは見えないけれど思いやりは見えますよね・・・」とのこと。上手い!まさに王道の表現です。広告やデザインやWEBは何かを伝えるための手法ですから、たった15秒のCMでこのことについてズバリと言ってしまえるという立ち位置が素晴らしい。デザインとはつまり、「心づかい」であり、「思いやり」の部分。まぁ、どこよりも安くって数値的な比較をさせて内容をスリムにするということもテッパンではありますが、それは、引き算のように見えて実は何も引いていないことになる。つまり、「開き直り」に近い感覚。薄利多売なんて言葉もパチンコ屋さんの入口にはヒラヒラと旗めていいますが、まるでそののぼりと同じぐらいに薄い。別に「開き直り」が1から10まで悪いとも非生産的だとも思えないし、その中に創意工夫があればそれは「心づかい」とも「思いやり」ともとれなくないが、割合的に開き直りは最後の9か10程度ぐらいが適正のような気がします。

 心が見えない、思いが伝わらないのは何故か?ご本人の努力が足りないと簡単に答を出すこともできますが、いやいや、そんな問題でもない。もしかすると伝わらないのは「心」や「思い」が存在しないのかもしれないし、何を持って「伝わった」というモノサシも持っていなければ、確証は薄い。

 で、やはり、「心づかい」や「思いやり」を日頃から温存させて保有しておく必要があり、もし、それが種的な存在なら、いつも自分の中にいろいろな種を用意している人が結果「強い存在」だと言えるような気がします。まぁ、「器がデカイ」などと言われている人はたぶんそんなタイプのパターンなのでしょう。それで、そのテイの書籍に答を求めて行脚するが、なかなか、ご本人との相性がイケてるそれに巡り合わないこともしかり。それも著者の「心づかい」や「思いやり」だけでは推し量れないが、軸足はそこにあるような気がします。難しい書籍も趣味の本もマンガも雑誌も新聞も「心づかい」基準でアプローチしてると意外とアタリが多いのも事実。

終戦記念日とお墓参り。

 平和について多くの言葉が重ねられる日。ご先祖のお墓の前で手を合わせ思うことは、自分の家族が健康であれと願うばかり。もっともっと日本に愛国心をと、テレビの中のコメンテイターは言うが目先の生活が何よりも優先されることと日本の歴史を同軸でなかなか考えるには余裕がない現実もあります。でも、現在の自分が今こうして幸福に暮らせていられるのは~と考えると目の前の生活に歯を食いしばることだけで余裕がないからと安易に切り捨てることもできない。ということは少なからず愛国心も機能しているのだろうかとも考える。経済学者は3年後5年後10年後の日本の未来像をいろいろな角度で考察しているが、その中にどれだけ真実があるのだろうかとも考えるし、何か行動を起こすにしても、エネルギーはどこかに確保しなければいけない。どこでそのエネルギーを温存するのか。温存できたとしてそのエネルギーを使うタイミングはいったいどこなのだろうか?追悼式に思うことは1年に一度日本の歴史を振返りながら自分自身の今のリアルを確かめるということなのだろう。

出発して約15分。

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 どんなエキパの方でも登山を開始して15分~20分で必ず休憩を入れるそうです。それは、斜面を歩き始めて最初の汗をかくのがちょうどこの時間帯であり、ビギナーの方でも、この距離なら致命的な忘れ物を取りに戻ることができるから。それに、バックや靴の状態は実際の山の斜面を登りはじめてから気がつくことが何より重要。平地や似たような山道を登ってシュミレートしても、現場は違う。だから、本番開始15~20分で必ずひと休憩を入れる。この段階でだいたいの体調や汗の出方なども掌握できるからなのです。そうかそうか、女性登山家の本を一番ガチで読んだのですが、その著者の方の言うとおりだった。もう、全身から汗が吹き出し、やはり、フロントのロックを2ヶ所止めないとバックが両肩に食い込んでくるのですね。これが知識ではない知恵のリアル。

 ということで、いったん下着を着替えて出発前のパチリ。ここから上は気温も下がるのであとは山頂で着替えればいいはず・・・というひと安心の表情なのです。

 まだまだ、富士山登山紀行は続きます。

ここが出発点か・・・。

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 リサーチ中にこの場面の写真を何枚見たことだろう。雑誌にも掲載されていた出発点に今立っているという感じ。これは、ここに来て立った人だけが共有できる感覚なのだろう。そこに今立っているということが、出発への期待感とミックスされてまだまだ五合目なのに少しハイ状態。

富士山五合目到着。

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 この段階でほぼ30%の達成感に浸っていました。シャトルバスで到着した富士山五合目はもう素敵過ぎて素敵過ぎて。ここで1時間ほど気圧に身体を慣らせてから登山スタート。早く登りたい、だけど、そこはプランどおりにと、ゆったり腰を降ろして軽い朝食を食べていました。

これが当日の装備一式です。

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 7月頃からちょっとづつ揃えた富士山登山用グッズ一式がこの45リットルのバックに詰め込んであります。かなり重いが何分初挑戦につきいたしかたなし。高山病になってしまったとき、足首をねんざしたとき、岩で手を切ってしまったとき、雨が降ったとき、もしもし、遭難してどこかで寝なければいけないとき、腹が減ったとき、のどが渇いたとき・・・、出発前にあれやこれやと想定して想定して揃えたものだから、もうパンパンです。当日の朝、車で整理・確定するためにいろいろ持ってきたが、やはり、パンパン。この段階で緊張もしていましたが、それを飲み込むほどの期待感がありましたね。もうそろそろバスがやってくる。そして、未体験の5合目へ。というタイミングです。

富士山が見えてきた。

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 水ケ塚駐車場(2合目)にて。もう、山頂の皆様はご来光を見て下山モードに・・・ぐらいのタイミング。空は雲ひとつなく快晴。シャトルバスの運転手のおっちゃんが「今日(8月7日)は今シーズン最高の天気やねぇ~!」とのこと。そうかそうか2年越しの富士山登山、最高の一日を過ごせるのかと思うと、ワクワクドキドキな気持ちが抑え切れない感じでシャトルバスの始発に乗るために並びに行きました。

企業は営利組織ではない。

 「企業とは何かと聞かれれば、ほとんどの人が営利組織と答える。経済学者もそう答える。だがこの答は、まちがっているだけでなく的はずれである。経済学は利益を云々するが、目的としての利益とは、「安く買って高く売る」との昔からの言葉を難しく言い直したにすぎない。それは企業のいかなる活動も説明しない。活動の在り方についても説明できてはいない。~中略~利潤動機なるものは、企業行動はもちろん、利益そのもとさえ無関係である。何某が利潤動機のもとに事業としているということは、その者と記録係の天使だけの問題である。しかも、利益のために事業をしているということから、彼がいかなる事業をいかに行っているかは知りえない。利潤動機なるものは、的はずれであるだけでなく害を与えている。この観念のゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。この誤解と敵意こそ、現代社会における最も危険な病原菌である。そのうえこの観念ゆえに、企業の本質、機能、目的に対する誤解に基づく公共政策の最悪の過ちがもらされている。利益と社会貢献は矛盾するとの通念さえ生まれている。しかし、企業は、高い利益をあげて、初めて社会貢献を果たすことができる。」となっている。

 なぜ、この書籍が気になりマネジメントとは?の部分に興味が今さらながら湧いてきたのかがすこし明確になったような気がした。つまり、社会が画一的なマネジメントもどきの定着で淀んでいるということになんとなく気がついたような。それは、非常にITの進化・進歩・普及と密接な関係がある。ニーズが多様になったとよくオンラインビジネスの最前線から伝達されてくるが、いやいや、ニーズとはもともと多様でしょう!?と思っていたし、政治の仕組みが淀んでいるから経済が淀むってこれは絶対に=ではないはずだから、政治の現場にいる人と経済の現場にいる人とのコミュニケーションや連携を分断する、何か悪しきシステムがあるからじゃないの!?とツッコンでいた。極端な思想や哲学でこの「日本の肩こり」をほぐそうなどとも思わないし、自分と自分の仲間でこのことがしっかり共有できていれば、その関係の中で「肩こり」とうまくつきあう方法・手段もこれまた「社会性」と呼べるのだろうとそこはファジーにしておくことができた。が、全く相性の悪い組織は存在する。社会的にとか日本や世界の歴史的に素晴らしい取り組みであるのかもしれないが、私自身のポテンシャルとは相性が悪い仕組みである。まぁ、日本には素晴らしい言葉があり「石の上にも3年。」のとおり首を突っ込むがやはり必然的に3年でF.O.となる。

 営利組織ではないなら、企業とは何か???まだ、この書籍の序盤戦なのでそれを期待したいが、私は「企業とは人の集まり」であり、それ以上それ以下の何モノでもないと思う。で、具体的にとか体系的にどうなの?とステレオタイプな常識人は質問するが、それは、自分で考えてくださいでいいじゃん。みんな大人なんだからその部分は自分の中で確定させて、その上でコミュニケーションしましょうよ・・・みたいな。

Sweaty work.

 つまり、汗をかく仕事という意であるが、この場合、たぶん、Brain workと対比されるのだろう。というのもある広告で「たばこのポイ捨ては誰かの汗をかく仕事になりますよ!」的な警告文の中に使用されていた。たばこを吸う人の心ない行動が誰かの汗になっています。だから、たばこの吸いガラは指定の場所か携帯灰皿へというメッセージ。

 心ない行動が見ず知らずの人の手を煩わせているということだろう。たばこを吸うモノとしてズキリとくる広告文だった。私自身のことで言うと20代の頃は何の気もなしに普通に路上に吸いガラを捨てていた。今考えるとぞっとしますが、その時のモラルのなさ加減については良いこと悪いことの判断どころか何も気にしていない無神経のなせる技でしかなかった。それが、奉仕活動に参加して路上のゴミ拾いをしてから、道の上に捨てられている空き缶や紙くずやたばこの吸いガラがよく見えるようになった。その奉仕活動も誰かに誘われて進んで取り組んだわけでもなかったし、別に道の上のゴミを拾うことに優越感があったわけでもなかった。が、次の日から道の上のゴミがどうしても気になる人間になってしまった。たばこの吸いガラについては、吸う場所を気にするようになり、それから一回も吸いガラを道の上や公共の場所に捨てていない。それはあたりまえでしょ!というレベルのことなのですが、奉仕活動に参加していなければ、無神経にも同じ行動を今でもとっているかもしれない。これは恐ろしい。

 無神経な人間の無神経な行為が誰かの汗になっているのである。社会は循環している。ボトムラインが上がればもっともっと社会はいい活性のループを繰り返し淀みが消えるのかもしれない。

 「汗をかく仕事」か・・・。パソコンの前でキーボードを叩きマウスを動かす仕事は汗をかく仕事ではないが、考え方観方を置きかえればこのオンラインの中でも同様のループを起こせるはず。仮想だとかデジタルだとか言ってしまうから、「汗(sweaty work)」の連想になりにくいが、必ずbrainとsweatyの構図は同じはず。オンラインの中でもたまにはゴミ拾い的な奉仕活動をしてみなければいけないと思います。

151,119人の魂。

 神戸市エリア内だけで100歳を超える方の生死の確認がとれていない数が193名だったそうである。この確認って市役所の人がやることでしょうから、まぁ、あきれた現状がある。確認不可能だったのか、それとも、突っ込みが甘いのか。ということは、日本国内には783の市があるわけで、町や村を入れたらもっと多いってことになるのですが、単純に193を783でかけたら151,119ですから、この数字って怖い。さらに郡部のエリアを入れたらたぶん20万人以上の100歳以上の方の所在が不明だということになるような気がします。この現実はどう受け止めればいいのだろうか・・・。

 こんな時期だからというわけではないですが、もし、すでに他界しておられるとしたら、彷徨ってらっしゃるのではないでしょうか・・・20万の魂。

唯一無二のリアル。

 最終的にの最終的がどのクラスなのか規定はできないが、最終的に人は価値感としての唯一無二のリアリティーを日常生活にIT社会に求めているという仮説があったとする。これを実証するために、どのような検証をすればいいのだろう。科学者なら実験や観察や研究を繰り返しデータを蓄積しながら、物事の心臓を突き詰めればいいが、上記の仮説のディテールはどうすれば変数を規定できるのだろう?簡単にオンリーワンと言っている安いコンセプトワークも氾濫しているが、そう簡単にオンリーワンなどあり得ないはず。オンリーワンって10回呼称すればそれがオンリーワンになるだろう的なマジックでその場その場で短い記憶の引き出しに仮のオンリーワンをいっぱいコレクションしたいだけだろう。

 唯一無二とは言わばTPOである。適当な規定で言えば、地球はほぼ間違いなくひとつのはずである。アインシュタインがなんと言おうが時間軸もまずシリアルだろう。状況・条件ってことになれば、脳ひとつ心臓ひとつの個体が意識化しているのだから、これも限定できるはず。が、これだけの好条件が重なってもなかなか、唯一無二と思える存在・状況・リアリティーには遭遇しない。これは何故だろう?

 リアリティーの一部分しか見えていないのだろうか?それとも、実は木も森も見えていないのだろうか???

 白いスケッチブックを片手に展開される鳥居みゆき氏の妄想紙芝居が何故か頭の中で交錯する。そぉ~れヒットエンドラン!ヒットエンドラン!絵にも描けない美しさ・・・である。

 ということで、ちょっと妄想モードのネタをこのカテゴでこれからピックアップしていきたいと思っております。たぶん常道は逸っしないつもりです。

マネジメントの役割。

 これはドラッカーの書籍からの抜粋です。「マネジメントには、自らの組織をして社会に貢献させるうえで三つの役割がある。それら三つの役割は、異質ではあるが同じように重要である。1.自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。2.仕事を通じて働く人たちを生かす。現代社会においては、組織こそ、一人ひとりの人間にとって、生計の糧、社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要な意味を持つ。3.自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。」とある。が、これらは非常に抽象的でどこかの資料でけっこう読んだことのあるフレーズ群である。だから、マネジメントを改めて深く掘る気になれなかったのだろう。結局、それを抜きにして現代社会は成立しないことは周知であり、この理論が確立するまでにすでにそのパーツパーツは存在していたはず。それを体系的にまとめただけで、創造的な価値があるとは感じることができなかったからである。マリオネットならマリオネットでいいじゃん!地位も名声もないんだから、自由にそんな体系的なことは気にせず与えられた糧をワンバイワンで取り組めば、原因と結果のスパイラルは時間軸の上で「楽しさ」や「意義」や「ID」に変換されるだろ・・・という思いで今日に至っている感がある。

 が、なぜ、ここでマネジメントが気になりだしたのだろうか?この自分自身への問いが一番質量がある。何故だろう?まだ、それは分らない。たぶん、この書籍を1冊読んだ程度では、ただの、on your mark.だろう。

 創造的思考が新しいニーズを具現化し新しい時間軸にシンクロしていくと予見している文脈もあるが、もしかしたら、このフレーズがいまモヤモヤしている部分なのかもしれない。

上から押し潰す感覚か・・・。

 ゴルフを始めた頃、まだラウンド経験も浅い状態で、ゴルフメーカーのクラブの広告の仕事をしていたのものだから、頭だけはデッカクなってしまい、その知識に身体がついていけずなんとももどかしい時期があったことを思い出されます。でも、ああゆうカタチでゴルフ熱に火がついたことは今となっては楽しいゴルフライフを送れるいいきっかけになったと少し感謝している。クラブに対する知識だけは開発メーカーさんと同じレベルにならなければ、とても、新しいドライバーやアイアンの広告やパンフレットなどは作れなかったからである。そして、プロトーナメントの仕事をさせていただきながら、まだ、まともにドライバーも打てないのにコースマネージメントとか戦略的なこともいろいろゴルフ倶楽部の専門家やプロの方に知識として教えていただけた。

 その頃、すでにプロの方の弾道を見ていたので、自分が練習する時との明らかな明らかな違いを感じていた。それが体力や技術や理論の違いであることは間違いないのですが、でも、目に焼き付いたプロの方の弾道を目指すべく練習場に通っていた。が、到底それは叶わぬ夢だった。

 で、もちろん、体力も経験もセンスも違うのですが、理論としてボールの捕まえ方については、「はらう」のではなく、「打ち込む」のだと知っていた。が、到底それを体感することはできなかったし、本コースに行っても100前後をウロウロしているゴルフライフだった。が、最近、何かのテレビで、ボールを上から押し潰すということにつてお話をされている方がいた。ああ、あのことかと思いながら観ていたのですが、なんとなく、頭で知識として知っていたことが、体感できそうな感覚になったのです。どう考えても、筋肉的にはそこいらのおっさんに劣るわけではないのですが、距離と精度が上がらない。勿論、練習方法もめちゃくちゃなんだろうけど、それでも、ゴルフがワンランク上に行かない。何故か?もし、もう一度、上から押し潰すアイアンショットが素人レベルでも会得することができたら、あと5打はスコアを少なくすることができないだろうか・・・と。つまり、このきっかけで90を切れないかと最近すごく考えています。

P.F.ドラッカーという存在。

 友人にもよく指摘されるのですが、私の視野は狭い。気楽な友人とのお酒の席でも大抵のことは否定から入る。世の中のこと、仕事のこと、アートのこと、デザインのこと、ライフワークのことなどなど、気楽なお酒の席でもそのほとんどを肯定することはしないのですが、「お前は視野が狭い。」と言われると、ううう・・となりつつ、肯定してしまいます。それを言われる友人もいろいろいるのでケースバイケースであり、それぞれのTPOも勿論多様なのですが。

 で、イワユル「マネジメント」という分野があり、自分自身の仕事と近いようで遠い存在でした。気になっているがガチで興味を持つのはまだ先先・・・とスルーしていたのですが、最近、なんとなく気になりはじめています。そもそも、マレーシアの友人がその道でビジネスに活用していることを知り、それを知ったというレベルなのですが、仕事の進め方や組織における・・・みたいな部分は常に亜流我流自己流であり、もしかするとセオリーもモラルもチュートリアルの経験値もびっくりするぐらい低いのかもしれません。でも、この仕事はそんなことよりも・・・的な開き直りでスペシャル現場主義で現場で数々の血を流してきた次第。で、得た知恵が全てみたいな意味で視野が狭いと。

 でも、このP.F.ドラッカーだけはなんか気になるのです。何が良書かまだまだリサーチ中ですが、いい書籍があれば誰かご教授くださいませ。

メアリー・ノートンという女流作家。

 今の段階でジブリの「仮ぐらしのアリエッティ」には興味がない。昨日もドラマチックにこの作品で抜擢されたマロさんのドキュメントを観たが、さほど、心は動かなかった。たぶん「ゲド戦記」よりも興味がない。このテイでDVDを観たならたぶんのびしろの部分で楽しめるかな・・・というレベルからあまりテンションが上がる要素を感じることができないでいる。

 宮崎さんが抜擢したとのことだが、だから、作品への太鼓判とはまたニュアンスが違うだろうし、ジブリは凄いが今回の映画がどうなのかまだ何も知らない段階だからであることは承知の上、何か期待感が薄い。が、原作であるメアリー・ノートンの作品は読みたくなった。現在リサーチ中ですが、イギリスの女流作家で小説以外にもマルチな文筆活動を展開してこられた方のようです。原作を読めば、この気持ちはちょっとでも変化するのかもしれない。っても変化を期待して原作を読むというテイではなく、映画を通して知った原作の作家に興味がただ湧いてきたという程度。

 でも、過去にこの流れで「アタリ」の確率が非常に高いのもパターン。さて、どの作品にまず触手をのばしたものか・・・。

幸せの新しいものさし!?

 一足先に次の豊かさを見つけた11人。こんな生き方があったのか!会社、住まい、時間・・・価値観を変えることで新しい幸福を手にした11人の事例を紹介。明日のビジネスに活かせるヒント付き。定価¥1,600という書籍は高いのか安いのか?出版元が博報堂大学(幸せのものさし編集部)ってことですが、さてさて、この書籍は買いか否か。

 いくつか気になるフレーズがこの小さい広告の面にちりばめられてはいるが、「博報堂」って部分が気になる。情報の質量というかディテールが上からだったら嫌だし、逆にあさってのベクトルでもつまらない。また、フラットに共鳴できるかって視点になると、どうも、「博報堂」がボトルネック。読んだら読んだでそこそこなんだろうけれど・・・。

 つまり、いつもこの感覚が自分のものさしだってことを意識化に置くとすれば、たまには的なアプローチでこれは読んでもいいかな?いやいや直観を信じて11人の成功事例を聞いたところで・・・ってことでスルーなのか。この判断は日常のいたるところで大きく小さく起きている事象。消費者目線で言えばこれを作用と反作用的に制御してこそライフスタイルにビジネスモデルに適用できるのだろう。ひとつのキーワード、ひとつのフレーズ、ひとつのサイン。これらが飽和充満蔓延している世界で何に軸足を置くか・・・である。まぁ、ここまで気になっているんだから、書店で見つけたらINDEXぐらいはチェックしょう~っと!

この靴で。

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 この靴で富士山の登山ルートを登って降りてきた。このリアリティーは何に例えよう・・・。例えるモノが思い浮かばない。ほこりまみれの2本のステッキ。全てのルート上のワンシーンワンシーンがステッキを握ると思い出される。そして、その時、頭で考えていたことが条件反射のように鮮明にフラッシュバックされる。これが山を登るというリアリティーなのかと・・・。生涯でこれほど苦しくも楽しい時間はあっただろうか???富士の山は不二の山。ここにしかないリアリティーはそこを歩いた者の心にしか刻み込まれないのだと思うと、なんだか朝のドキドキが蘇り、もう一度、それを体感したいと思う気持ちになる。登り6.5時間、山頂1時間、下山3.3時間。それらの風景は忘れられない。そして、もう一度、そこに行きたくなる不思議な気持ち。

 ゆっくりとそれを確認するために、カメラに収めた2GBの写真の中からいろいろこのブログで紹介していこうと思っています。初めての「山登り」。それが終わったあと、「もう二度とこんな体験はご免だぁ!」となってしまうのか、「もう一度」となることができるのか、それがとても興味がありましたが、どうやら、後者のようです。自然の中で苦行のような約10時間だったが、自分自身とガチで向き合えたような気がします。「何故、富士山に登るのか?」の問いに対する答が「そこに富士山があるから。」といういたってシンプルな理由こそが人間の本能をどこまでも刺激するのだという感覚。これは間違いなく始まりな感じです。

アタック当日の朝。

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 アタック当日の朝、午前2時。水ケ塚駐車場(2合目)に到着するとそこは肌寒い空気と満点の星空だった。東名を3時間飛ばし到着した疲れも忘れさせてくれる星空だった。ドキドキワクワクを抑えながら仮眠をしたが1.5時間で目が覚める。ふと車の外を見ると正面にこの風景が広がっていた。

 おおっ、これが富士山か・・・と。雨が降るかもしれない、霧がかかって2合目からは見えないかもしれないという不安が一気に目の前の富士山の姿にかき消されていく。雲ひとつない空に浮かび上がる富士山のシルエット。斜面に点在する光はたぶん宿泊施設の光だろう。今も山頂でご来光を見ている人がいる、しばらくそんな気持ちと今日富士山にアタックできる感動からか、この風景に心を奪われた。

 あたりはまだ肌寒い。駐車場のいたるところでこれからシャトルバスに乗り5合目を目指すフリーク達の声が聞こえてくる。しみじみと実感が湧き上がる。ああ~やっとここに来れたんだと。

初富士山登山達成!

 これほどの苦しさだったとは。これほどの達成感だったとは。新五合目から山頂までの間の6時間30分で考えたこと。山頂に立ち感じたこと。下山しながら心に浮かんだこと。帰りの車の中で感じた何故富士山に登りたいと思いつき達成できたのか・・・の部分について。本当にたくさんのことを考えることが、自分自身に対しいてこれほど多くのことを考える機会であったということが何よりの価値である。

 まぁ、ぼちぼちと2GB分の写真とそのポイントポイントの写真がカメラの中にあるので、たぶん、50本ぐらいのブログ記事は平気で書けるでしょうし、もしかしたら、「初めての富士山登山」という書籍だって書けるぐらいのTIPSがあります。二合目のシャトルバスの切符売り場のおっちゃんに「今シーズン最高の快晴状態」と言わせたほどの好条件で山頂に立てたことは、ミラクルに他ならないない。

 ひとつ思うことは、日本を大きく二つ分けるとしたら、「富士山の山頂に立った人と立っていない人。」に明確に分けることができる。これは何よりも明確。だから???というテンションではなく、これはどんな哲学や論理や思想の谷よりも明確な分かれ目。山頂に立った人が立っていない人と共感はできない。そんで立つ価値や意義は本当にあるの?と立っていない人が立っていない理由をどれだけ並べようがそこに共感はない。これは0と1の違いぐらい明確である。そんなことやいろいろ感じたこと、じわじわとこのブログに綴っていきたいと思います。

 今シーズン最高の天候の中で撮影した写真は宝物です。

 で、次は?となると、もちろん、来年もアタックしたいと感じていますね。2度登るバカになりたい。

富士山登山今晩出発!

 天気もよさげで安心安心。富士山登山今晩出発!明日午前8時アタック開始です。

売り方は類人猿が知っている。

 久々に糸井さんのコピーから始まる広告を見た。うん、やっぱいい。それはこう始まっている。「この本が売れないのは、ほんとうにおもしろいからである。」と。それは、「売り方は類人猿が知っている。ルディー和子:著」という書籍の広告である。なぜモノを買うのか、買わないのか・・・。動物の「本能」から人間の「感情」を考える。となっている。おもしろそうである。

富士山登山まであと2日。

 すでに先週と今週の頭に無事富士山の登頂を達成した友人たちから、本当に丁寧な富士山登山のアドバイスをたくさん頂いております。ほんとに嬉しい。スポーツの好きな人つながりも、釣り好きつながりも、パソコン&ソフトウエア好きつながりも本当にいろいろなお話を聞ける。この情報交換というか情熱交換が素敵。いっぱいの情熱を頂けるとやはりそれを返そうとする作用と反作用が人間の仕組みであり、これが機能しているから社会が素敵になるわけで、それがこの世で一番価値のあること。

 二人の友人からは現場でのタイムラインや登り始めてからの歩幅のこと、トイレのこと、水分補給のこと、そして、何よりも高山病を回避するための呼吸法などなど。たぶんご両名とも私がせっかちでゆったりとは無縁の人間だとよく知っているからこそ、とにかく「ゆったりと確実な一歩を!」というアドバイスをしてくれます。嬉しい限りです。

 富士山登山を決意していろいなサイトや書籍を読みましたが、どれも一貫して動作はゆっくり、呼吸もゆったり、早く歩くことに何の意味もない。一番意味のあることは頂きに立つことであり、さらに、確実に下山することであると書かれている。つまり山頂に立つことで達成率は50%ということ。楽しい登山にするためには下山が達成できて100%。ある登山家の方の書籍を読みとてもリアルだった文脈は、水分補給の理想は1リットルのボトルを回数を分けて少量づつ飲みながら山頂を目指し、山頂で0.5リットルを確認すること。で、下山後、自分の車に戻った時に最後の一口を飲めるのがベストらしい。これこそが知恵。生きている知恵こそが人を動かすのだと痛感しました。

 なんだかんだと言ってもあと2日。2年越しの富士山登山です。何事も「ゆったりと確実に」。

お前が絵を語るか・・・。

 昨晩のテレビ番組のお話。芸能人テッペン決定戦みたいなテイの番組で、はんにゃの金田さんと、自ジャストミート福澤さんと猫ひろしさんはあきらかに輝いていた。スポーツが描く真実の部分がテレビの中で展開されていてとても心が熱くなった。それにピアノの対戦を批評する専門家の皆様の音楽に対する愛ある言葉の質量にはちょっと感動した。と思いきや、最後の対戦は「絵」を持ってきた番組P。おいおい、芸能人で絵が上手い人は何人か知っているがこれをラストで大丈夫?川島さん、エスパーさん、てっけんさん、あっちゃんの絵はまぁまぁこんなもんだろう。圧巻はしずちゃん。これは間違いなくガチ。そこまでは微妙なバランスをキープできていたが、まったく、ちんぷんかんぷんは絵を採点する二人のおっさん。お前は何者?なぜ、お前らが他人の絵を批評し採点するのか?ここだけ遺憾が渦を巻く。画材に構図に構成にテーマについての指摘がもうナンセンス。雄弁の蔓が自分の首を絞めていることに気がつかない二人。技法がどうの、配色がどうの、タッチがどうのと片腹が痛い。

 で、絵を採点するのに3名の審査員が10点づつで30点満点!?なんじゃそりゃ!極めは構図の中に飛んでいる「カラス2匹が必要ない。」と言い切る始末。絵を描いた人が描いたモノに対する必要か必要でないかを第3者がなぜどうのこうのと言えるのか?悲しい教養と無意味なボキャブラリーとねじ曲がったプライド。思わず、ひさびさにテレビに突っ込んでしまった。「なんでやねん!」絵は語るものではないですよ、伝えるものです。絵は考えるものではないですよ、感じるものです。絵は批評するものではないですよ、絵が見る人を批評するのです。機会があればこのことをぜひ二人に伝えたい。

暑い夏の寒い話。

 今年の夏の新記録。あまり特筆すべき盛り上がるテイのお話ではないが、熱中症が1万7000人。お年寄りの方が50%というから、若い方やお子様も被害にあわれているってこと。ほんとに暑い。5日連続35度以上ってのはこれまた新記録らしい。降雨も新記録。このままホットな感じはエスカレートしていくのだろうか?反動で氷河期になるとかならないとか。希望的観測の裏にはいつもと同じペラペラのゴシップ狙いの評論家が手ぐすね引いてるのだろう。暑さ対策は、早起きと昼寝とアクエリアス。私は根っからの貧乏性なのかクーラーが嫌い。あの匂いが大嫌い。夏は暑くていいじゃん、ということでずっと夏を過ごしてきたが、さすがに今年の夏は厳しい。でも、今だに車は窓全開でクーラーは使っていない。燃費の方が気になって気になって。だから、とにかく汗はかく。尋常じゃないぐらい汗をかく。でも、これまた尋常じゃないぐらい水分を補給する。これが夏バテ対策。

 で、寒いお話。113歳は実は30年前にお亡くなりになっていた・・・というお話から、出るわ出るわの110歳超えのご老人の生存確認作業。不明だけでもう10人ぐらい新聞に載っていたから、たぶん、全国的には100名以上の110歳の方が不明なのだろう。ということは100歳以上の方の生存の確認も押して知るべし。さらに、90歳なら・・・?これらの確認は誰の仕事?役所の連中が無能なのはまぁ予定調和としても、まず、家族でしょう?おばあちゃんやおじいちゃんが一人暮らしで生きているか死んでるかが「思う・・・。」では。八百万の神の国、日本。もうすぐ終戦記念日にお盆がやってくるってのに、この失態は非常に寒いお話。

 世界一の長寿国日本ももしかして、第5位ぐらいじゃねぇの?上層部がすでに他界されているってことは、平均寿命が下がるでしょう?不思議な不思議な国、日本。

 で、で、さらに、余談ですが、日本国内には空き地が増えているらしい。未管理の宅地が増えて管理者が雑草を切らないから伸び放題で虫や動物が住み始めているらしい。街が自然に再生しようとしているのか、人間がいろいろなことを諦めはじめた結果なのか?それでも和を重んじて花鳥風月とフワフワしていられるか否か。

月に囚われた男。

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 こういう角度から新しい金字塔が立ちあがるのですね。まだ、観てはいませんが、このテイなら結末が良くないはずはない。ううっ、ケビン・スペイシーが出てるのか・・・。

 詳しくはこちらをご確認ください。http://www.moon-otoko.jp/

自分への期待度。

 さすが世界のAI-MIYAZATOである。すでに今シーズンは瞬間風速ではあったが、世界ランキング第1位にもなり、すでに世界で4勝の金字塔を築いた。その背景にはかなりのどん底感があったことも現実であり、それらのどん底感の深さは知る由もないが、そこから這い上がってこられた底ジカラはまさに世界レベル。その藍ちゃんの言葉だけに重い。自分の実力を分析した上で、その日の体調や精神状態を掌握した上で、さらに、気分的なモチベーションも加味した上で、トーナメントに臨む時、藍ちゃんは「その日の自分への期待度とどうつきあうかが難しい。」と言っている。この言葉の意味は深い。

 目標を持って日々努力を重ねているのはいつかその目標を達成したいからであり、達成するために努力や研究や小さな挑戦を繰り返し、一進一退しながらでも、粘り、諦めず、こだわり、へこたれず前に進むからこそ目標が達成できる。達成できたことの自信とそれまでの試行錯誤は次の目標設定のための重要なノウハウになりパーツになり核になる。このルーティーンを繰り返すからこそ自分自身のスパイラルが上に向く。まぁ、上でも右でも前でもいいのですが、とにかく、歩を進めること。動き続けることが活性化の本丸。軸がぶれない人はいい意味の頑固者、ぶれ方を楽しめる人はいい意味の動いている人。これを見誤るとこれが底なし。動けば動くほど底なし沼。

 期待もするがジレンマもある。結果を出し続けている人の苦悩って秒単位で快晴とサイクロンが交互にやってくるような感覚なのだろう・・・。

キャンドルナイトVol.02開催予定です。

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 グリーンホテルYes長浜みなと館様でキャンドルナイトVol.01に続き、来る8月13日・14日の両日にVol.02が開催されます。今回のテーマは「ミニ縁日」ということで、素敵なキャンドルの灯りをロビーで眺めながら大人の方にはワイン、お子様にはソフトドリンクと「輪なげ&ピカピカ金魚すくい」というミニ縁日感覚をお楽しみいただける仕組みです。さらに、不思議な企画として「アヒルデー」同時開催!という「癒し?」「サプライズ?」「不思議系?」の企画も同時に開催されます。このアヒルデー、同ホテル内の露天風呂に黄色いおなじみの「ぷかぷかアヒル」さんがわさぁ~と浮いているという仕掛け。

 ???、実際にリアルにその映像が頭に浮かびませんが、アヒルちゃんといっしょに露天風呂に入る感じが実はどんなテイなのかフィーリングなのか興味がわいてきませんか?わいてきませんか・・・。と、なにやら、とにかく、まずもって楽しげな2日間になりそな予感の2DAYSですね。

 ワンドリンクと縁日参加引き換え券付きフライヤーは同ホテルのフロントにございます。

 詳しくはこちらをご確認ください。

 詳しくはこちらのWEBサイトをご確認ください。

富士山登山まであと4日。

 いよいよカウントダウン。富士山登山まであと4日となりました。大学時代の友人が一人はすでに登頂し、もうおひとりが現在、たぶん、おそらく、山頂あたり。携帯に送られてくる写真を見ながらひとり興奮しています。今は7合目、もう8合目、おおっ!これが9合目、あと少しで山頂・・・。もう、この感じはたまりません。先鋒で登った友人は山頂が曇っていてご来光は残念な結果でしたが、でも、これをモチベに大回目の富士山登山が見えてきたご様子。もう一名はそろそろ山頂付近ですから、さきほどの9合目の写真が快晴で雲海が見えていましたので、たぶん、山頂は絶景なはず。いいなぁ~、よし!最後の持ち物点検を今晩もやりながらテンションを上げていこうと思っております。

ソフトボール大会、皆様お疲れ様でした!

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 昨日は地域のソフトボール大会でした。午前8時の第一試合から皆様集まっていただきまして本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。結果は・・・まぁ、いいとして、皆様、ケガなく無事終了できたことが何よりです。私はレフトで走り過ぎでもうヘトヘトです。しかし、2番バッターの責任は果たせたと思っております。4打席3安打1エラーで4打席とも出塁できたので大満足です。本当に参加いただきました皆様、お疲れ様でした!

スイカを頂きました!

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 壁画制作の現場で施設の方にスイカを頂きました。ありがとうございました!よ~く冷えたスイカ。水分・糖分の補給にバツグンでした。甘くて美味しいスイカでした。

ペピーノ1個残念!

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 ずっと見守っていたのですが、ペピーノ君はこの1個だけの結実となりました。このサイズ、どう見ても40%の完成度ですが、これ以上見守っていっても本体が枯れ始めたので慌てて収穫!?う~ん、難しいぞペピーノ!!!残念ペピーノ!!!来年も再挑戦リベンジですね。