企業は営利組織ではない。

 「企業とは何かと聞かれれば、ほとんどの人が営利組織と答える。経済学者もそう答える。だがこの答は、まちがっているだけでなく的はずれである。経済学は利益を云々するが、目的としての利益とは、「安く買って高く売る」との昔からの言葉を難しく言い直したにすぎない。それは企業のいかなる活動も説明しない。活動の在り方についても説明できてはいない。~中略~利潤動機なるものは、企業行動はもちろん、利益そのもとさえ無関係である。何某が利潤動機のもとに事業としているということは、その者と記録係の天使だけの問題である。しかも、利益のために事業をしているということから、彼がいかなる事業をいかに行っているかは知りえない。利潤動機なるものは、的はずれであるだけでなく害を与えている。この観念のゆえに、利益の本質に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。この誤解と敵意こそ、現代社会における最も危険な病原菌である。そのうえこの観念ゆえに、企業の本質、機能、目的に対する誤解に基づく公共政策の最悪の過ちがもらされている。利益と社会貢献は矛盾するとの通念さえ生まれている。しかし、企業は、高い利益をあげて、初めて社会貢献を果たすことができる。」となっている。

 なぜ、この書籍が気になりマネジメントとは?の部分に興味が今さらながら湧いてきたのかがすこし明確になったような気がした。つまり、社会が画一的なマネジメントもどきの定着で淀んでいるということになんとなく気がついたような。それは、非常にITの進化・進歩・普及と密接な関係がある。ニーズが多様になったとよくオンラインビジネスの最前線から伝達されてくるが、いやいや、ニーズとはもともと多様でしょう!?と思っていたし、政治の仕組みが淀んでいるから経済が淀むってこれは絶対に=ではないはずだから、政治の現場にいる人と経済の現場にいる人とのコミュニケーションや連携を分断する、何か悪しきシステムがあるからじゃないの!?とツッコンでいた。極端な思想や哲学でこの「日本の肩こり」をほぐそうなどとも思わないし、自分と自分の仲間でこのことがしっかり共有できていれば、その関係の中で「肩こり」とうまくつきあう方法・手段もこれまた「社会性」と呼べるのだろうとそこはファジーにしておくことができた。が、全く相性の悪い組織は存在する。社会的にとか日本や世界の歴史的に素晴らしい取り組みであるのかもしれないが、私自身のポテンシャルとは相性が悪い仕組みである。まぁ、日本には素晴らしい言葉があり「石の上にも3年。」のとおり首を突っ込むがやはり必然的に3年でF.O.となる。

 営利組織ではないなら、企業とは何か???まだ、この書籍の序盤戦なのでそれを期待したいが、私は「企業とは人の集まり」であり、それ以上それ以下の何モノでもないと思う。で、具体的にとか体系的にどうなの?とステレオタイプな常識人は質問するが、それは、自分で考えてくださいでいいじゃん。みんな大人なんだからその部分は自分の中で確定させて、その上でコミュニケーションしましょうよ・・・みたいな。