心は見えないけど・・・。

 CMのキャッチコピーより。「心は見ることができないけれど、心づかいは見える。思いは見えないけれど思いやりは見えますよね・・・」とのこと。上手い!まさに王道の表現です。広告やデザインやWEBは何かを伝えるための手法ですから、たった15秒のCMでこのことについてズバリと言ってしまえるという立ち位置が素晴らしい。デザインとはつまり、「心づかい」であり、「思いやり」の部分。まぁ、どこよりも安くって数値的な比較をさせて内容をスリムにするということもテッパンではありますが、それは、引き算のように見えて実は何も引いていないことになる。つまり、「開き直り」に近い感覚。薄利多売なんて言葉もパチンコ屋さんの入口にはヒラヒラと旗めていいますが、まるでそののぼりと同じぐらいに薄い。別に「開き直り」が1から10まで悪いとも非生産的だとも思えないし、その中に創意工夫があればそれは「心づかい」とも「思いやり」ともとれなくないが、割合的に開き直りは最後の9か10程度ぐらいが適正のような気がします。

 心が見えない、思いが伝わらないのは何故か?ご本人の努力が足りないと簡単に答を出すこともできますが、いやいや、そんな問題でもない。もしかすると伝わらないのは「心」や「思い」が存在しないのかもしれないし、何を持って「伝わった」というモノサシも持っていなければ、確証は薄い。

 で、やはり、「心づかい」や「思いやり」を日頃から温存させて保有しておく必要があり、もし、それが種的な存在なら、いつも自分の中にいろいろな種を用意している人が結果「強い存在」だと言えるような気がします。まぁ、「器がデカイ」などと言われている人はたぶんそんなタイプのパターンなのでしょう。それで、そのテイの書籍に答を求めて行脚するが、なかなか、ご本人との相性がイケてるそれに巡り合わないこともしかり。それも著者の「心づかい」や「思いやり」だけでは推し量れないが、軸足はそこにあるような気がします。難しい書籍も趣味の本もマンガも雑誌も新聞も「心づかい」基準でアプローチしてると意外とアタリが多いのも事実。