絶対音感のかわり。

 お盆休みに東京芸大の音楽学科バイオリンを卒業し演奏者として活躍してこられた女性とお会いする機会がありました。聞けば2歳の頃からバイオリンの日々。う~ん、強烈である。そのまま東京芸大まで一直線だったことを振りかえり、生活=バイオリンという学生時代のお話だった。う~ん、学生時代は適当に勉強してスポーツしていたぐらいの私にしてみれば、バイオリン一直線の生活はどうしてもイメージできなかった。お母様がプロの奏者だったことが深く関係しておられたわけですが、一流になるために厳しい練習練習の日々だったご様子。つまり、東京芸大とはそういうイメージがあったので、まさに~でした。しかしながら、その方には音楽の分野での「絶対音感」がなかったことで、楽譜を読んだりオケで演奏する時にその部分でのご苦労が絶えなかったとのこと。まぁ、絶対音感など言葉でしか知らない私はこのご苦労でさえチンプンカンプン。音楽家にとっての「絶対音感」の価値がとても実感できない始末。それを努力で乗り越えられ入試試験にパスされ芸大に入学されたわけですが、それもどのレベルのどのクラスのご努力なのかは未知数。お母様は絶対音感の持ち主だったので、同じ練習をしても会得するスピードが格段に別モノだったらしいとのことでした。

 で、絵やデザインの分野における、音楽の分野でいうところの「絶対音感」ってあるのだろうか?というお話の流れになりました。さて、私はそんなことも考えてことがなかったので、ポカ~ン。まず、絶対音感ということが言葉でしか理解できていない始末なので、それを、絵やデザインに置き換えることも難しいし、それが音楽家にとってとても重要な能力であるということは理解できるが、では、絵やデザインを仕事にしている人間にとって重要な能力とは???この段階で頭の中がグルングルン。その場では適正な対象を限定できないまま・・・。「たぶん、感受性的なものなのかもしれないですね。」が関の山。

 他にもいろいろなお話が聞けたのでとても有意義気な時間だったのですが、どうしてもそれから「絵やデザインにおける絶対音感って何だろう?」と気になり、今も気になって仕方がない。そんな部分の思考をしてこなかったということに間違いないのですが、それはあるのかないのか?あるとすれば何なんだろう?と。

 学生の頃、野球や陸上をしてきた、働きだしてゴルフやバスフィッシングを始めた、いずれも、競技として楽しみ、勝つことが目的でうまくなるため早くなるためにそれなりの努力をする。また、その努力の過程が楽しい部分もあり、勝負の結果はさほど気にならないようにもなってきた(つまり一番になれなかったから・・・)。とてもとても絶対音感を持ちプロの奏者としてオーケストラの一員として舞台に立つってこととは無縁の世界であり、基本に「楽しい」があればそれで納得してきた。が、そんな中でも、確実にスゴイ奴はいた。センスがあるというか、努力とセンスが連動して結果を常に出せる奴である。その違いは何か?学生の頃ならそれが悔しくて悔しくて練習を2倍3倍するが勝てない。あげくの果てにケガをして故障をして同じ土俵にも立てなくなった学生時代。底なしの悔しさはすべて自分の場合、「絵」に向けられた。つまり、音楽でいうところの「絶対音感」。スポーツでいうところの「センス」。ようは天才には天才の条件があるということ。それが明らかにない、持ち合わせていない人間は、気持ちと努力でなんとかしなければいけないという事実・現実。

 東京芸大の方とお話をさせていただきながら、その部分をひしひしと痛感していた。間違いなく音楽の分野でいうところの「絶対音感」がない人間は、持っている人に対して勝つ負けるのレベルではないのだと。そんな母上を持つこの方もはんぱない努力を積み重ねてこられたそうです。いろいろな意味で立場や状況・環境は違いますが、その部分で共感・シンクロできたことでテンションが上がりました。

 絵ならなんでしょう?「色や形や構図やメッセージを感じる力=感受性」がそれなのかもしれません。が、それは「絶対感受性」とは呼ばないし、そういうテイのモノでもない。音と色、音とカタチ。つまり、仕事も人生も企業も国も全て同じような・・・。「見えている、分っている人が絶対。」であり、他はそれの相対であるというこなのかいなと・・・。なら、「相対の力」を磨いて「絶対の力」に挑みたいものです。