直感とセオリー。

 何事も基本が大切・・・というセオリーがある。しかし、何か新しいことを始める場合、基本を知識としてインプットして経験を積み重ねエキパになる。その途中でいくつもの壁にぶちあたり試行錯誤することが学習であり、この会得するスピードやレベルの度合はいったい何で決まるのだろう?ほんとに基本は大切なのか?日本ってやはりどこか基本から始めましょう的なノリだし、ひとつのことに一生懸命取り組むことをどこかよしとする風潮というか慣習というか感覚がある。あまり、スポーツや趣味などもいろいろマルチな人間を重んじないというかリスペクトしない傾向にあるように感じます。それはまぁそれでいい面もあるのでしょうけれど、何か違うよなぁと思い始めたのは大阪芸大に入学したあたりから。高校までに出会ったいろいろな人間とは世界が360度広がった。自分自身も高校生だったことも深く関係しているのでしょうけれど、視野が狭かった。狭いことは決して悪いことではないが、できれば広い視野があり、その視界の角度なんかを自由にコントロールできる方が人生楽しいと、思うようになったのもこの頃。そこから、あまりセオリーを信じなくなったし体系的な見地からのアドバイスを鵜呑みにしなくなった。というより、拒絶・否定・無反応になってしまった。決して不感ということでもないのですが、それに近い感覚を自分の中の基準としてよしとするような。

 で、ゴルフのお話。27歳の頃、和歌山の後輩と大阪の先輩と3人で練習場に通うようになり、ショートコースやそれなりにラウンドを重ねるようになった。お陰さまでいろいろな指導者に恵まれた!?が、セオリーを実践することはとても心地が悪い。さりとて直感が芽生えるほどスキルが高くない。でも、基本スタイルがなかなか身につかない状態が続いた。ある人のアドバイスでは「君は野球をしていたからバットスイングと同じ感覚でクラブを振っていても上達はないですね・・・。」と。これは正確にはアドバイスではないが、このセオリーの背景も真意も見えていないほどの技術レベルだったから、あまり、深く考えなかった。後にこのアドバイスはとても大きな意味を持つのですが。

 そんな状態で、本コースラウンド2回目であるレッスンプロの方にこんな言葉をかけてもらった。君はアプローチとパターの距離感覚がいいですね。これはどれだけスクールで教えようとしても教えられない感覚的な部分だから、それを君の場合はラウンド2回目で~。と言われた。その時はこの言葉の意味も充分に理解していなかったが、ああ、感覚的でいいんだと感じた。で、その次のラウンドでその方の言葉どおりにああだのこうだのとセオリーを無視してまた別のゴルフビジネス関係の方とラウンドさせていただいた。ほんとに自由にプレイした。結果、17ホール終了した段階で94打。18ホール目はパー3。ダボでも100を切る。ゴルフを始めて1年と少し、3ラウンド目で100切り達成かと思いながら18番のティーグラウンドへ。すると、一緒に回っていたそのゴルフ関係の会社の方がひとこと。「その右手の人差し指ですが、折り曲げてクラブに添えた方がいいなぁ~、親指もクラブに添えた方がいいなぁ~。」まぁ、お客様の偉いさんだし、私は27歳の若造。そうか、セオリーならそうだろうから、言われるようにしてみるかとセオリーどおりのグリップにする。が、なんともしっくりしない。まぁ、いいか・・・と打ち出すと。グリーンまでの池越えの打ち上げだったのですが、力なくグリーン手前の池の渕にトップぎみに突き刺さりコロコロとボールは池の底へ。もうモヤモヤのモヤモヤのまま、特ティーで4打目を打つがモヤモヤの状態なので、寄らず、寄せて3パット。結果102だった。その経験から、ずっと、「直感とセオリー」の使い分けに悩んできたような気がする。

 が、つい最近から、その頃のピストルグリップ(私だけの呼び名)に変えた。すると、ヘッドが走る。ラインが出る。距離が10%伸びる。強い球が出る。う~ん、約18年間の迷いが完全に晴れた感覚です。ので、次のラウンドがとてつもなく楽しみなのです。その頃遊びでインテンショナルなボールを打ち分けて遊んでいたことも、今では、全て自分のモノにできた感覚。3鉄からPWまで、このクラブが好き、このクラブは苦手と中途半端な直感に依存してきたが、もう、アイアンはアイアン。アライメント、ボールポジション、ワッグル、トップからダウンへそしてフィニッシュへ。高い球を打つのか低い球を打つのか右からなのか左からなのか、いかに自分のボールの軌道をイメージして柔らかい集中力でボールを打ち出すか・・・。これが、なんとなく次のラウンドではできそうな感覚です。セオリーを自分のモノにできたら、あとは自分の感覚やイメージを信じるだけなのである。

 ホンマにゴルフはオモロスギル。