刺激の上書き。

 人間の本能はネガティブなことや悪いと判断する刺激に対して貪欲であるらしい。確かにいろいろモヤモヤしている時や失敗した時など、かなり心臓がドキドキする。本人的には失敗したりネガティブな状態で、気持ち的にはなんともモヤモヤで嫌なフィーリングなのですが、実はそれ、身体的には求めているから始末が悪いらしい。筋肉は痛い状況や辛い状況を本能的に求めているらしい。う~ん、やっかいな身体である。しかし、心は後天的に学習能力があるために、いつまでもモヤモヤしている状態や苦痛な状態を良しとしない進化・進歩を始めるからこの身体の本能を制御しようとるす。そこに、人間の試行錯誤の長~い歴史があるらしい。こんな簡単に人間の身体と心の歴史を切り取っても、「これだけ?」ってことなるのですが、いやいや、始まりはシンプルだったそうだという仮説です。

 で、その試行錯誤の代表が恐らく「宗教」であり、「偶像崇拝」なのかな・・・と。このことをあくまでも仮説レベルですが、頭に入れてこういうアプローチもあるんだ程度で心に止めておくと、今、自分自身が感じている、気持ちや心の動きの意味や意義やそのパーツパーツの連結部分が見えてくるのではないでしょうか。その場合、心の学習を怠り安易な時間つぶしに心が奪われ続けると、その学習もままならないないそうです。学校で教室で「勉強中」だけが勉強・学習ではないので、もう一度、学ぶことの本質を見極める時期に今日本は来ているとも考えられなくない。この点では、完全にヨーロッパはいろいろな手を打っているらしい。金銭的な豊さではなく、もっと、広く優しいフラットな豊さというか、古来継承されてきて、これからもずっと継承されなければならない部分での豊さというか。

 そのためにも、とりあえず安易な刺激をブロックすることで、自分のパイを一旦冷静に見つめましょうということらしい。容姿は鏡に映るけど、心や本質は何に映るの?となるそうですが、それは、「他人」だそうですね。まぁ、他人にもいろいろありますが、自分のパイがどう映るかと同じぐらいに、いろいろな人との関わりの中でその人に映った「自分」を見て確認しなさいということ。これしかないそうですね。だから、インターネットとかゲームで時間を潰していると、今の自分が見えなくなってしまって、五感も鈍るってことらしいですね。なるほどなるほど。人のライフスタイルとはどのような写輪眼を持ち、それで、何をコピーするか、そして、どんな幻術を見せられるかでカタチづくられているとも言えなくないですね。