2010年10月 アーカイブ

植物のスピード感。

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 さつまいもの芽から葉がふたつ出てきました。このスピード感はいい。こんな小さい場所のこの程度の環境でもしっかりと力強い葉を出してくるか・・・みたいな。テントウムシもそうだし、なんか、生物ってやっぱ凄い。見ているだけで力が出てくる感覚です。このスピード感が正しい心地よいスピード感なんだと思います。一時の喜怒哀楽に一喜一憂して勝手な世界観で自分を自分で追いこんで穴熊感を楽しんでいるだけの人間。に比べて自分のタイミングで自分のスピードで生命を謳歌するその他の生き物。あまり、人間は自分の都合でその邪魔だけはしないようにしなければいけない。言葉は常に質量を持たず、行動こそが生命の証みたいな・・・。

どこから来たテントウムシ。

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 ふと、マイデスクの前の窓を見るとテントウムシ。どこから来たのか?今朝はなんか会社の廊下にいつもはいるはずのないハエが4匹。何かどこかで腐っているのか?クマも冬眠前のどんぐり目的で人里にありえないぐらいの数が徘徊しているらしい。うんうん、動物も昆虫もいろいろ事情があるというわけ。階段の隅にぞうりむしがうずくまっていたが、指でつつくともそもそ動いていた。日に日に冬になる感じ。カメムシが大量発生する夏の冬は雪が多いとのこと。今年は会社で一匹もカメムシを見ていないが、雪は少ないんだろうか。いたるところで起こることが何かを誘導しているかもしれない。日常に潜むバタフライエフェクトは何かのサインなんだろうか・・・?

グーグルヘッダー画像、いいですね。

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 いつもこの小さいスペースで楽しませてくれるグーグルのヘッダー画像。センスってこれでいいんだなぁ~といつも感心感心。こんなに巨大企業なのにその本丸にこれほどの遊び心が潜んでいる。これだぁ~と思いますね。一方、A社は先端技術で市場を先導しているようですが、基本はそこだったはず。しかし、ゴシップが一人歩きし過ぎてもう本体像が見えない。広告のあの男だけが一人歩きしているようなイメージですね。遊び心をあの膨大なアプリに込めたのでしょうが、さて、どちらが遊び心という軸でモノホンか・・・?

Media Encoder CS4か・・・。

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 なるほどなるほど、このソフトはこういう時に使うのか・・・という機会が最近ありました。いやいや、もっともっとソフトウエアのことは勉強しなければ、宝の持ち~になってしまいますね。結局、道具なのに、使い方を知らないということは持っていないのと同じ。知識の上に知恵が盛られていくわけですから、まずは、分らなくとも理解できていなくとも知識ありき。で、あとは自分自身の能力とモチベーションとご相談。

 で、このソフトウエアを簡単に説明すると「ビデオとオーディオをデジタル形式で録画および録音する場合、品質、ファイルサイズ、ビットレートの各バランスを考慮する必要があります。ほとんどの形式では、圧縮による品質の低下を数段階から選択できるようにして、ファイルサイズとビットレートを下げています。圧縮は、効率的に保存、送信および再生できるようにムービーのデータサイズを縮小する重要な処理方法です。圧縮を行わない場合、標準規格のビデオの 1 つのフレームを格納するのに、約 1 MB(メガバイト)の容量が必要になります。NTSC のフレームレートは約 30 フレーム/秒で、圧縮されていないビデオは約 30 MB/秒で再生されるため、35 秒のフッテージを保存するのに必要な容量は 1 GB になります。DV 形式の NTSC ファイルに圧縮すると、約 3.6 MB/秒のビットレートで 5 分間のフッテージが 1 GB の容量に収まります。可能な限り高品質で配信することを目的としてビデオを圧縮するには、ファイルサイズとビットレートが配信先のメディアと再生デバイスで許容される範囲で最小となる圧縮率を選択し~」となるのですが、映像データの最適化というか数多のビデオ形式を編集可能な形式に変えるという機能のようです。まだ、本格的に活用ができていないので、必要に迫られてようやく勉強開始です。

映画「LEON」アドバンスコレクション。

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 一般公開された内容に約15%盛ってあった。それが、いいか悪いかは別としてレオンとマチルダの関係や二人の心情が深く掘り下げられているシーンという視点での再編集だったような気がします。「へぇ~そうだったのか」という部分や「あ~あ~、だからこうなっているのか」とう繋がりの部分で非常に一般公開分と比較して見ごたえがありました。派手な戦闘シーンが意味もなく増えているというわけではないので、映画「レオン」が好きな方、女優、ナタリー・ポートマンが好きな方はたまらん編集になっていますね。

 まぁ、改めてですが、ナタリー・ポートマンが可愛い。天真爛漫の部分と陰の部分をこの当時、たぶん、12~13歳のはず。で・・・この演技というか、このマチルダを好演。ご自身もこれが本格的なガチの出世作と言っていいはずですから、こういうタイミングで映画の歴史に存在できる感覚ってどんなに素晴らしい感覚なのでしょう。想像もできませんが、「どやさ!」という感じなのか、「しみじみするやん」的なジンワリ感なのか・・・。

 で、二人と合わせてもうひとり。G.オールドマンの存在。これを抜いてこの映画は絶対に語れないわけですから、改めてその登場から最後まで怪演怪演怪演怪演怪演の連続。そのタイプの怪演が多い人ではありますが、出世作よりも、この時期のG.オールドマンは最高です。近々にD.ワシントンとの「ザ・ウォーカー」とう映画でも貧弱なキレキャラのボスを演じているようですが、それも楽しみ。普通に観てたら普通に二枚目なのに演技力というか自分への脚色力が強い上、イマジネーションも秀逸なんでしょうね。

 レオンを観終わって、テレビで映画「SP」の紹介映像が流れていた。う~ん、なぜ、こうもスタイリッシュさやリアルさやテンポが違うのか。センスと言ってしまえばそれまでですが、それにしても、映画「SP」はそこそこリキが入っているプロジェクトでしょうし、ハリウッドのなんたらかんたらを呼びクオリティーを上げているとも聞くのに・・・、これは韓国映画よりも品質が低いぞ。どこらへんでこの場合はボタンをかけ違えたのだろうか。

やんやんマチコ第1話。

禁煙について。

 喫煙をやめられた方からのアドバイス。世の中の流れが禁煙だから・・・ではなく、別に何かの小さなきっかけでたばこは止められるものですから、別に深く重く捉えずにいつでもやめられる感じでいればいいんじゃないでしょうか・・・とのこと。う~ん、別にやめるつもりがないわけではないが、別にやめる気持ちはない。絶対にやめないぞ!と頑固になっているわけでもないし、気持ちが落ち着くから吸っているだけなのに。どうも、世間はそうではないような気がします。

 ええっ!?たばこをやめられないのは一体全体において、意志が強いのか弱いのか?それさえ分からなくなってきました。しかし、禁煙がじわりじわりといろいろな公共施設の場で浸透してきていますが、これまた、猫も杓子も状態で、考えなしに禁煙指定すれば安心(横断歩道みんなで渡れば精神)みたいなことも鼻につきますが、市販されている商品でそれを使用する場所を限定するって例えそれがたばこでないとしてどうなの?とも思います。禁煙エリアによく「迷惑!」「汚い!」「カッコ悪い!」という言葉を目にします。まぁまぁ、日本人らしいそっち寄りの見解ですね。世の中にはたばこ以外にも迷惑で汚くてカッコ悪いモノは多く存在するのに、喫煙者が迷惑で汚くてカッコ悪いなどと、これは、そっち寄りの視点であり、ある意味誹謗中傷ではなかとさえも思えます。「健康を害する!」と言われたら納得できるのですが、「カッコ悪い!」と言われても、そっちの人たちはそんなにカッコいいのか???

 まぁ、これもただの喫煙者の独り言です。

"Back to the Mac."か・・・。

 やっぱり根本的なポテンシャルはアップル強し・・・なのですね。改めて今後のプラットフォームの方向性をリセットしなければと思っております。いろいろほんとにあっちとこっちで難しい力関係があるようです。う~ん、でも、これも一本化するとするとで独占になってしまうわけですから、この世界における当然の流れなのかもしれません。WINとMACはこのような感じでパワーユーザーの天秤の目盛りを左右にいい意味でぶらせてくれるのですね。結果、この混沌が前進するためのエネルギーになるのでしょうか。"Back to the Mac."って別にこっちの世界へ行ったきりではないのですが、比重がWINに偏っていた頭の中をリセットする必要がありそうですね。

真木よう子さん。

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 最近、テレビで映画「SP」の宣伝で真木よう子さんがよく登場する。そもそも、「SP」という映画がテレビプログラムだったことを知らなかったので、突然、映画「SP」を知ってV6の岡田君と一緒にセットで登場しているので、女優の世界でも新人の方なのかと思っていたら、なになに、結構なキャリアを持った1児の母でらっしゃるとか。大河ドラマでも「お龍」で登場してこられてから、逆に龍馬伝を少しだけ観るようになった。別に坂本龍馬には興味がないからである。確かにその存在感は新鮮という意味合いもあるのですが、独特の表情や言葉の出し方などが雰囲気がある。もちろん美人だしプロポーションや和洋でも似合っているのはあたりまえ。が、どこか存在感がある。モデル出身の見た目だけ・・・?と思いきや、結構なキャリアと独特というか「男前」なキャラのようです。経験や物事の考え方やライフスタイルがその人の表情や仕草に出ているということなでしょう。いやいや、タレント芸能人さんたちも大変である。次から次から優秀で有能な方が狭い枠を争っておられる。事務所やプロデューサーがルックスとスタイルだけでチョイスして育てようと思っても「真木よう子」さん的な存在感はそもそものポテンシャルの部分なのでしょう、なかなか、その世界で光るにはいろいろな条件がマッチしないといけないのでしょうね。努力だけでなんともならない世界は芸能界だけではないですが、結果、今、輝いている人達っていうのは、必ずその前段階で何かしらの努力や素敵な経験値を踏んでおられるということなんでしょうか。ここにも「心技体」の方程式があるような気がします。

6次産業!?

 ほぉ~、そんな定義が言葉あるのですね。完全に造語らしいですが、そんなこと言ってしまえば、全ての言葉が造語ですから、いずれこの言葉もリアルになるのでしょうね。いやもうそうなって、波及しているらしいですね。

 産業の構造として、第1次、第2次、第3次とあるのですが、昨今、第1次産業の方達が現代の流通の仕組みを変えようとしている。ネットワークを構築して自らが製造し販売しビジネスを回しておられるらしい。しかし、これは本来の姿。この仕組みを称して「6次産業」と呼ぶらしい。頼りない国の政治家達にうんざりして独立独歩で開拓に挑戦された結果そのトルクがごろりと時代を動かすエネルギーのコアのカタチになったというだけ。無能な方が便宜上選挙らしきシステムで「選ばれた」と誤解して、机の上で適当な時間つぶしをしている間、現場の動ける人、考えている人、創っている人はすでに挑戦をしているということ。汗を流さず、筋肉を動かさず、五感を活用せずして何が「新しい国を創るだ!」である。ちゃんちゃらである。

 で、6次産業の仕組みは実にリアルでガチである。この方程式はあらゆるフィールドに適用できそうである。少しづつこの軸についてリサーチしていきたいと思っております。確実に時代は動いているんだなぁ~という実感を感じる言葉ですね。

10億人の肥満と10億人の飢餓。

 世界の人口が現在約70億人。のうち、10億人が肥満で10億人が飢餓で苦しんでいるらしい。これはどう受け止めればいい数字なのでしょう。残りの50億人のひとりで良かった良かったなのか、苦しんでいる人に手を差し伸べることをしなければいけないのか。10億の肥満の人が毎日食べている食事を10億の飢餓で苦しんでいる人に分けるという単純なことは難しいのか?クラウドで地球は小さくなったと言われているがこれは仮想のお話。インターネットで食糧が共有できるうような技術が発達すれば、もしくは、電子食糧みたいな技術が進化すれば一気にこの問題は解決するのだろうか。う~ん、10億人の肥満の人は10億人の飢餓の人のことをどう思っているのだろう・・・?リアルな数字です。

電子書籍とは何か?

 本日、株式会社TOOさんが主催される「電子書籍の基礎知識」というセミナーに参加してきました。会場は京都の四条。昨日から寒気団が来ているらしいので駅を出るととても寒かった。少し早めに会場についたのでいつもお世話になっているTOOの営業の横井さんと「電子書籍やiPad関連」についてお話をしていました。まぁ、何事も関東と関西と地方という位置関係はいろいろな意味で存在するようで、特にビジネス面でのこの3分布の比較はされてしまいます。その上でどう考えて動くかということがビジネスに深く関連してくるし、何もその構図関係だけでビジネスの点でも単純に安易に力関係を推量はできないことも周知。これらをある程度踏まえた上で、さて、「電子書籍」とは今後どうなの?ということでその入口の部分を教えていただきました。それなりに書籍やWEBサイトでリサーチしているものの、基本的なことをスルーしていきなりメイン情報を得てもやはり混沌とするだけ。基本的なことをデバイスや紙面から読み取る前にエキスパートの方の言葉と声で知識としての部分と知恵の部分としてインプットされてその核の部分が数多の知識情報とマッチするようなニュアンスです。噛まずに飲み込むとやはり消化が悪い・・・と。

 で、具体的に「電子書籍」ということを何の目的でどう展開するのか?が見えていない関西と、まずは、取り組んでみてそこに新しい何かが実感できるリアルがあれば、そこからビジネスに展開するという関東の温度差というか、貪欲さの違いのちょうど中間地点に今自分自身が立っている感覚なので、まだ、具体的なsomethingは見えませんが、ワークフローと到達点の二つの視点で「電子書籍」が見えればいいかなと思っての参加でした。結果、小一時間のセミナーと終わってから講師の方のご説明を受けるとやはりこのフィールドは「アリ」だと実感しました。ワークフローというか技術的・プラットフォーム的な部分でいうと、極端な例として、印刷会社や製本会社さんが書籍を制作していた代わりにサーバに保管された電子書籍が浸透するデバイスで閲覧できるシェアが今後リアルブックのシェアを侵食した場合、必然的に印刷会社や製本会社のシェアは小さくなる。グラフィックデザインの世界がDTPに置き換わった時に、いわゆる「写植屋さん」と「製版会社さん」は侵食を受け、淘汰されてしまった。それと同じことがかなり遅いスピードではありますが、「印刷会社」と「製本会社」もしくは「製紙会社」のシェアを侵食していくのでしょう。ある日突然それが0になるということは想像しにくいですが、たぶん、写植屋さんも製版会社さんも同じ危機感だったわけですから・・・。それに、このことを理解して手を打っている企業は多い。今さら、小さいエリアの価格競争に向かうために4色印刷機を入れるような「逆行」はありえないということ。

 ということで、かなり、中略しますが、時代は「アンドロイド」のような気がしますね。

初雪!?

 北海道では初雪らしい。10月に初雪は珍しいらしい。とは言え11月は平年より暖かいらしいし、12月平年並みらしい。今年の冬、長浜地方の雪が心配です。少なくなってきているとは言え、今年は猛暑だったので冬には雪が多いかもしれない。気温が下がるといろいろな身体のウィークポイントが悲鳴を上げるので、体温を上げて大怪我をしないように回避したものです。仕事をしながら毎日継続できる健康術が大切。一日一回体温を上げるような小さいトレーニングをすることで身体の活性率が下がらず弱い部位の治癒もボトムには落ちない。高いレベルの筋力や持久力は仕事には必要ないので、MAXレベルのトレーニングは必要ない。と、やはり、ここでも心技体なのである。要は身体の健康は心のため、心の健康は技のためなのである。だから、技(仕事力)を一定のレベルでキープするためには、一周回って、身体の健康がキモ。さてさて、2010年もあと2ヶ月です。頑張ろう。

映画「告白」。

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 主演の松たか子さんの充実した演技が観れるのだろう。とても楽しみです。物語については待ち切れずに原作を読んでしまっているので、展開は文脈では頭に入っていますが、さて、それが2時間の映像になり映画として鑑賞した時に小説のそれとどれぐらいののびしろとなるのか・・・?楽しみです。昨今、あまり邦画は興行収益的には洋画を超えているという情報もありますが、さりとて邦画が以前より面白くなったとは思えない。文学的な作品や時勢をトレスしたリアルな作品はいつの時代も爪痕を残してきています。海外で評価される邦画に魅力的だと感じる映画が極端に少ないので、邦画のテイストを引っ張るのはやはりやはり主人公の俳優さん・女優さんだと思います。だから、どんな偉大な受賞を受けようが素人なんでも映画評論的には「つまらない。」となる。

 が、さて、映画「告白」はどうだろう?R指定もあるそうだし、その物語的に話題にもなっていた。今のところ想定されるテンションを上げる要素は十分である。物語が良かったので映像も挑戦的な映像であって欲しいと願っています。

武士道について。

 最近、ある友人と「武士道」について短い情報交換がありました。不景気を理由に「仕事がない。」と言葉にしてしまう人は自分の足で歩いていないのでは?というテーマでです。サムライはいつも刀を腰にさしていつ何時(なんどき)でも戦う決意があったはず。刀を持つことで物事の分別を判断を自分自身で行いその判断の責任も自分で100%受ける覚悟があったはず。世の中がどうであれサムライは自分の世界観や哲学を持ち一人の人間として世間と向き合って生きていたような気がしますというお話のモード。で、現代、刀を置いた日本人はお上(政治家)に年貢(税金)を支払う代償に「政治が悪いから生活が苦しい。」「経済政策が活性化しないからビジネス面が辛い。」「環境問題・エネルギー問題を語らずじて何が未来だ。」みたいなテイの依存する自由を得ているような。それは平和?というテンションの情報交換でした。

 サムライは自分の判断で太刀を降ろし、自分の判断で自害していた。命について誰の価値感でもなく、自分自身の価値観で生きていた人間がいたのだということが、この国、日本の最大の魅力である。それを戦国時代の武将をゲームにして何が楽しい!武将や姫をヌイグルミにして偶像化して奉って何がムーブメントだ!というちょっと熱い系のお話でした。つまり、武士道とはやはりのやはりの部分で、「武士は食わねど高楊枝」なのだと・・・。

 ならば、いつでもそれを抜けるように刀を研ぎ澄まし、いつでも切腹覚悟で一秒一秒を生きなければいけないのだろう。こんな時代にも実は武士道が成立するとかしないとか。

只今午前11時15分前なう。

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 打ち合わせ15分前に到着なう。

この冬はこれに挑戦。

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 この冬は「アネモネ」と「チオノドグサ」に挑戦。特に大意はありませんが、なんとなく、きれいかな・・・と。ちょいとチューリップやクロッカスやヒヤシンスや水仙系ではないような気がしまして。

映画「アイアンマン2」。

 ちょっと複雑な正義のヒーローですが、原作とかコミックの原版を知らないのでこのキャラクターが従来のアイアンマンファンの皆様とどれぐらいのギャップがあるのか未知ですが、映画の1と2を観た感じではこのタイプの主人公はとても人間臭くってリアリティーがあり素敵でした。特別な力を手にした人がよく映画には描かれそれ相当の相反する苦悩が描かれる。これと主人公のタイプがマッチしないとなんだかこの主人公は強いのか弱いのか分からなくなる。で、いわゆる敵についても、社会に怒りを覚える、主人公に個人的な恨みを覚えてる、復讐のため、金のため、といろいろな目的があるだろうが、そのプランや具体的な行動力についても、やはり、人間(俳優さん)のタイプとマッチしなければどこかキレのない存在感になってしまうと思うのです。そして、それぞれの立場に絡む脇役の人達も。主人公との関係性や組織の中の存在感としてのタイプ。これらがすべてギクシャクしなければ、物語にスムーズに心が入る。という意味において、今回の「アイアンマン2」はキレもコクものびしろもあり、さらに非常に重要なテンポもありましたので、楽しいスピード感を堪能できながら鑑賞することができました。

 しかし、ミッキー・ロークの怪演がなければこのキレもコクもノビシロもテンポも成立しなかっただろうと言えるほどの存在感でした。

映画「グリーン・ゾーン」。

 マット・デイモンの映画「グリーン・ゾーン」を観た。グリーン・ゾーンとは「かつて連合国暫定当局があったバグダード市内10km²にわたる安全地帯のことである。イラク暫定政権下の正式名称は「インターナショナル・ゾーン」ではあるものの、「グリーン・ゾーン」の呼び名が一般的である。物語はアメリカ占領下のグリーン・ゾーンで起こるスリラーである。」と説明がオンラインにある。何が真実かについていろいろなテーマでいろいろなアプローチで小説に映画に描かれてきたが、やはり、この面子で組み上げられた映画作品だけにかなりの骨太な映画である。戦争映画はその時代時代の洞察をリアルに描いていることが多いと感じているので、なぜ、今、イラン・イラク戦争なのかという大きな視点とマット・デイモン演じる兵士の視点が戦争という存在をしっかりと2時間にスタイリッシュにドキュメントに描いている。いったい「アメリカ」とは何ものなのか?その策略や戦略の背景にある両国の深く黒い駆け引きの琴線に一瞬でも触れることができるガチな映画作品でした。

 勿論、主人公マット・デイモン以外にキーパーソンはたくさん登場してくるのですが、ちょっと、じんわりと魂に投げかけてこられる感じの心地良い重さの映画でした。いったい「愛国心」とは何なのでしょうという大きなテーマが物語の始点から終点までしっかりと流れている。キャメロンが広島の原爆を次に映画で描くらしいが、さて、それを観て日本人は何を感じるのだろう。そのタッチの映画をキャメロンに創らせてもいいのだろうか?時代劇やふわふわした恋愛映画程度の刺激で上書きできるようなマスターデータだからニーズののびしろが小さいのでしょうね。それに比べやはり、このテーマでこの描写でという映画を多くの協賛企業が賛同するような国の仕組みこそが言わばアメリカなのだとしたら、やはり、それはエネルギーの質が根本的に高いと言わざるを得ない。言語は国境を分けるが魂は人を真理で結ぶのだろうと思った映画でした。正義には正義の理由があるし、悪には悪の理由がある。が、それも所詮便宜上のひとつの区分けでしかない。そんなことよりも安易に黙殺してはいけないことに目を向けましょうとこの監督は言っているかもしれない。

道路の上の栗。

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 打ち合わせに行く途中、長浜の街の中、道路の上にクリを発見。思わず路肩に車を止めて拾ってきまいた。栗の木は人間が何をしなくとも葉を増やし花をつけ実を落とすんですね。こんな立派な栗の実。これは食べずに春になったら植えてみよう・・・。って、最近は頂いたり拾ったりしてくる実や種をなんでもかんでも植えているパターン。芽が出て元気に育っている奴もいれば、苗で買ってきたのに実もつけずに枯れてしまう奴もいる。本当に植物を育てるって難しい。改めて農業や漁業や林業の方のノウハウというか経験値の素晴らしさにリスペクトしてしまいますね。第3次は元より第2次産業がほんとにやばい。では第1次産業は?米ひとつとっても日本の国がやっていることは本末転倒の支離滅裂の暴飲暴食に近い。正確に表現するなら「完全に狂っている。」である。「自給率100%の島国日本」を創ればいいじゃん?インターネットがあるんだから、鎖国にはならんでしょう。外交外交って英語もろくにしゃべれない頭の中が空洞化して老化してる末期のおっさんがいくら威厳を示してもみじめで滑稽なFake。ならば、完全に国の機能を自国で成立させる国として再構築してみませんか?って、お前は何者やねん!

 政治家や一部の企業家だけが国を創っていると思うなよってこと。国とはその土地に暮らす全ての人を指すんですから。資産や名声や歴史や文化などどうでもいいことであることが早くリアルになればいいな。

 イガからはじけ出た栗の実のように、そのタイミングを見据えたいものですよね。

さつまいもの芽。

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 出た出たさつまいもの芽。なかなかこの季節空気中に菌が多いのか水につけているとすぐにかびが発生するのでそれを毎日洗い落しながらの観察。で、本日、チェックしたら小さい芽が出てました。これが伸びると意外と雰囲気のあるフォルムになるのです。楽しみ楽しみ。まだまだ、たくさんの種イモをいただいているので、いろいろなタイミングで栽培していきたいと考えております。で、来年には大きめのプランタンか何に植えて栽培もできれば・・・と考えおります。ちゃんと芽って出るんですね。ちょっと感動です。

新しい名刺が完成。

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 またまた名刺をリニューアルしました。表面は最近情報紙S.O.S.用に描いた水彩画で裏面はこの夏に登った富士山の写真を適用。まぁ、こんな仕事をしていますので、常に新しいデザインにする気持ちも大切かなと全面的にリニューアルしました。会社の連絡先が入っているだけがビジネスカードの機能性の部分ではありますが、それプラスアルファの部分で何か印象的なビジュアルやコメントを入れたいという試行錯誤の結果ではあります。今回は300枚印刷したのですが、たぶん1年~1.5年ぐらいでいつもなくなりますので、その頃にはまた新しいデザインに気持ち良くリニューアルできるように素材や頭の中を活性化しておきたいものです。何事も原因と結果ですから、このループを大切にしていきたいと考えております。富士山さんの5.5合目あたりの写真ですが、この時は今シーズン(2010年)の開山期間中最高の天気だったのでとてもキレイな眺望でしたね。

新Mac book air!?

 「事前予告とか噂とか、一喜一憂でいろいろ出ていましたが、蓋を開けてみれば、Macユーザにとっては期待以上の内容だったと思います。楽しさ満載の「iLife '11」、MacBook史上最小の「11インチMacBookエア」、iPhone 4&iPodタッチとビデオ通話できる「FaceTime for Mac」、そしてMacのこれからの方向を大きく示したスニークプレビュー「Mac OS X Lion」。」というメルマガ情報を頂いたいが、あまり、ピンとはこない。これは仕事にどう関連するのか?いったいアップルは何をどうしたいのか?Flashユーザーに反旗を翻し、クリエイターを陳腐なアプリで浮き足立たせ、いったい何がしたいのか?この仕様で本場の皆様は納得なのか?これで納得なら別にアップルでなくてもいいじゃん!みたいな。本来の本当の「期待」が見えていないのか・・・?それとも私がずれているのか?この方向性の向こうにデジタルライフの未来があるのか?まぁ、仮にあったとしてもそれはあまり魅力的ではない。

AUユーザーなので・・・。

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 何回となくiPhoneを検討したが、なかなか踏み切れない。元々ずっと携帯電話がauさんだからである。それに、Flashの件でアップルやソフトバンクの連携が鼻につく。具体的には便利なアプリもたくさんあるだろうし、最新機器だからゴシップを鵜呑みにせずともいいデバイスだろうと思うがなんか最後の決定力に欠ける。そもそも、パソコンでも同じですが、必要ない機能やアプリがいくら一生分用意されていたとしてもそんなものに時間を浪費できる人はさて何%いるのか?しかも、アップルの信者でそれがステイタスなら費用対効果はあるが・・・という堂々めぐりで決断できていなかった。iPadも同じだろう。つまり、以前はアップルのなんとも素敵なギア感覚が素晴らしいと心が動いていた部分がもうフリーズしている状態のようです。確かにデザインはいいけどぶっちゃけ~なのである。使う人の気持ちを無視して自分達のスタイルを結果ユーザーに押しつけている商品ってどうなNOぉ~!なのである。

 だから、auユーザーだからアンドロイドかな・・・と。flashも動くらしいですし。結果、MACの勢いが凋んでしまったことと同じことをアップルはやっているような気がする。短いレスポンスを繰り返し市場を撹拌・刺激するが、いつも短命に終わってしまうが、それでも次があるからいいじゃん的なスタイル。まぁ、それも正解かもしれませんが・・・。

LEON DVD

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 なんとなく買いたくなりまして、アマゾンにて購入。やっぱ、リュック・ベッソンは私(わたし)的には「グラン~」よりこちらなんです。

女性の方が稼いでいる現実。

 新聞に書いてあった記事。独身の30歳以下の男女の平均月収が男性よりも女性の方が上らしい。100歳以上の戸籍に名前だけがあるすでに他界している人がぼろぼろ出てきました。つまり、その年金で暮らしている人がいるということの裏である。政治不信が経済をふわふわさせていることやメディアの崩壊がいろいろな意味での「実は」の部分にメスを入れているということでしょう。そういう時代だから、別段、男性の平均月収が女性の平均月収より下回ろうが驚きはしない。その背景的には男性の製造業のニーズが減り、というか、製造業に携わる人達がいわゆるオートマチックな機械によるシステムにその存在価値を奪われる傾向にあるということなのでしょう。で、女性は医療事務や介護関連などの現場のニーズは不景気に関係なくいつの時代にもニーズを創出しているということ。つまり、そのスキルや経験値を持っている人は給与の対象として製造業に携わる男性よりも価値が上だということの結果であろう。でもまぁ、そんな物理定数で何を洞察したところでリアルな部分で次の一手にさほど影響はない。経済の構造が製造業からソフト思考に移行しているということはもうこの時代だからということでもないので、当然の流れであり、労働力を提供しているだけでは、社会のニーズの変革には依存するだけで、社会との関係性における充実度の高いマッチングは獲得できないとも言える。

 で、やはり、女性は強いといことであり、女性は才能という本能に長けているということはどうやら現実であり事実のようですね。脳幹が太いことで感覚や行動力や判断力に何か男性よりも長けた能力が多いということなのでしょう。つまり、菩薩の上の孫悟空は上手いこと言っているわけ。そりゃ、このインターネット社会の基礎の部分をしっかり支えているのは明らかに女性である。そのニーズが存在しなければ、ビジネスだのアートだのビジョンだの言っている余裕はないのだから。ここをリスペクトしなければ、いくら机の上でどんなテイの理想を語ろうが、しょうもない会議の時間で当たり前のことばかりを呼称・復唱しようがそれらはすべて「キレイゴト」なのである。脈々と流れるデジタルコンテンツを支える女性のポテンシャルは世界を支えているのである。

 だから、平均月収が男性よりも女性が高いという記事を読んでも別段驚くことはない。当然だろうと思いますね。子どもを育て、家事をこなし、社会のニーズにスキルと能力でレスポンスを返す女性にリスペクトせずにどうする?というテイ。たぶん、政治の世界もあんなにたくさんのおじいさんは必要ないし、全国的にみてもおじいちゃんの議員さんをはじめ油顔の若手組も含めて女性陣に置き換えれば、ちょっとは日本も活力が出てくるのではないだろうか。男は考え過ぎ、考え過ぎて判断できない人ばかり。数値や傾向や対策に本来の正しいというか有効な判断をできずに指をくわえてる。そのとなりで強い女性は自分に与えられたニーズを着実に処理していく。この行為こそが創出である。たぶん、自殺者の数の内訳は知らないが男性の方が多いはず。ならば、男性の役割とは?それは「筋肉」しかないのだろうと思います。いろいろな意味での筋肉的思考というか行動というか、だから、製造業となるのでしょうが、製品を製造するのは機械ですから、そこに筋肉は関係なくなってきている。ならば、別の筋肉を使いましょうよという時代なのかもしれないですね。頑張ろう・・・。

これもいいっすねぇ~。

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 最近アートに関するいろいろな取り組みが気になっています。勿論、この仕事をしている以上、アートとの距離間は近い方ですから、気にならないということは逆に危険信号なのですが、アートとデザインの関係は永遠のテーマとして、パソコン内でソフトウエアが描くデジタルペインティングの限界点が来ているような。いやいやそんなのは比較検討するまでもなく、デジタル絵画など本来のアートのジャンルにさえ入れないと確信しているのですが、それでも、インターネットで印象的なデジタルコンテンツにはソフトウエアでの合成コラージュや3DCGソフトを駆使した作品が気になる場合もある。しかし、所詮モニターで観ている絵に対して何の感情も高揚も起こらないわけですから、無理に奮い立たせずともデジタルはデジタルで認知しておけばいい。

 最近、ソフトウエアよりも、デッサンとか画面構成などを教えてほしいという方からの依頼がありまして、その場合、どこからお教えすればと悩んでいます(嬉しい悩みです。)。絵を始めたい、水彩画を始めたい、鉛筆デッサンを始めたいという方は、すでに自分の中で描きたい絵が頭の中にある方です。僭越ながらよく申し上げるのは絵を描くということは、3つの能力が必要で、ひとつめは手の技術力、ふたつめはモチーフを見る能力、で、みっつめはイメージする構想力。この3つのバランスが基本だと思っているので、そのことをご理解していただくためにどのような練習を~というテイになります。まぁ、そんな本格的でなくとも白い紙と鉛筆があれば絵は描けるわけですから、あまり、固く考えずに楽しむことの方が基本なのかもしれません。

肖像画っていいですね。

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 やっぱ、このクオリティーのオイルペインティングは落ち着きます。実際ここまで描くのにはどれぐらいの時間と魂を込めればいいのか未知数ですがここまで描くと肖像画としては鉄板ですね。やはり、そのディテールといいますか仕上げ的には油絵以上の表現手法はたぶんないでしょうし、日本画や水彩画などの画材で描かれた絵というのも勿論歴史があり素晴らしい作品が多く存在するのですが、絵画の歴史の長さで言うなら油絵が最高峰だと思います。天文学的な価格価値がついてる作品などもやはり油絵ですし、画商さんの中でも取引されている価格帯もたぶん油絵がクラス的には最高なんじゃないでしょうか。だから、油絵を描くのが好きだということでもないのですが、やはり、この質感や描く人の気持ちや魂を込める手法としては油絵という画材はその長い歴史と共に様々な取組が展開されてきたわけですから、そこに知恵やスタイルは深いモノがあると思います。

渡部陽一さんスゲェ~なぁ。

 「戦場カメラマンの渡部陽一です。」とあの独特のイントネーションで最近テレビにでまくりの渡部さん。口調だけではなくいつも首からぶら下げているあのカメラといい、独特のキャラクターといい、その存在感は圧巻である。他の芸能人やタレントの影のアルファ値が15%ぐらいに下がるほど強力。いつもはその存在感でコメントも少なめだからどうしても独特の言葉のチョイスやお人柄だけに注視してしまうが、いずれ渡部さんの人間性や活動のディテールもテレビで見る・知ることができるだろうと思っていましたら、昨日、あるテレビで渡部さんが母校の小学校に凱旋!?するという企画があり。渡部さんは6年生のクラスに自己紹介を兼ねた授業をされた。その内容は「戦場とは?」「戦争とは?」「世界とは?」というテーマ。このテーマで現在職についているどの小学校の教員が何を語ろうが児童たちは耳を貸さないだろう。そんなポテンシャルを持っている人間など教育の現場に一人もいないだろうし。ところが、渡部さんがいつもの口調で「戦場カメラマンの~」と始めると子どもたちは笑顔になる。そして、ひとつひとつの言葉を子どもたちなりに消化して聞き入っている。そして、渡部さんの写真と戦争をテーマにした短い映像が流れた。その映像には戦争の悲惨さや醜悪さが描かれている。しかし、そんな現場でも子どもたちは笑顔で生きている。というテイ。それを今目の前で同じ光景が広がっているように食い入るように見つめている渡部さんの顔。これはガチでスゲェ~!最近のテレビはもういろいろな意味で末期である。ネタもなく企画構成もおぼろげでいつもいつも同じことのループ。そんな現状だからこそ渡部さんのような「本物」が言葉を放つ機会が出来たのだろう。言わば全てがフィクションでありクリエイティブということはイコール「本物」ではないということ。ドラマや映画がいかに3Dで何を語ろうが表現しようが、マガイモノなのである。そのことを今一度現場の方は肝に銘じ万象を改める時期なんだろう。仮想現実の脆さにもうそろそろ気がつくべきである。そんなもの渡辺さんのような本物が一人でも登場した日にはもくずでしかないのだから。

渡部陽一さん公式WEBサイトです。

映画「ボックス」DVDは・・・?

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 どうやら11月26日がDVD発売開始らしい。もうすぐもうすぐ・・・。で、「岳」はいつ公開なんだろう・・・。

WEBサイトの活用術。

 さて、今さらながらではあるが、世の中にはいろいろな人がいる。タイプってこともあるし、業種ってこともあるし、年齢ということもあるので、皆さんが皆さん一様にインターネットやWEBサイトなどのデジタルコンテンツや仕組みに魅力を感じてビジネスにライフスタイルに活用しているというわけでは決していない。それがどこまで知覚できるかを推量しなければ、本当のコミュニケーションはできないんじゃないかなと思っております。

 最先端を行く人ということで、あらゆるデジタルの知識を持ち、デバイスも最高の機器を揃えて120%活用している人が必ずしも有効にそれらを活用できているかというとそうでない場合も多い。つまり、知識やスキルは抜群なのですが、それを活用する手法が目的になり、いわば「ガンガン使っているだけ」で、創造活動はしていない。ましてや本来のコミニュケーションが沈滞している場合。に反して、さほど知識や経験やスキルがなくとも目的を明確に持っておられ目的以上の結果を得ている人もいる。ミドルクラスの機器とさほどハイブローなギアがなくともしっかりとコミュニケーションする人。このタイプの人は強い。「知識」と「知恵」で言えば圧倒的な「知恵」の持ち主。そんな方と比較して「知識」優先の人は完全にこの飽和した情報の海におぼれてしまっている。泳ぐのが精一杯で右往左往状態。「知恵」のある方は少ない歩数を日々継続力を持ち進めていくから絶対に目的地に到着する。あまり、風とか波とか暑さとか寒さとか関係なく。まさに「うさぎと亀」なのである。別に「うさぎな方」は油断しているわけではないのですが、大きな意味で相対的な相関性において「油断」をしている。が、ご本人はそれを「油断」と認知していない。これは本当にいたるところで起こっている悲劇。

 「亀な方」はあせらず着実な一歩一歩をone by oneで重ねる人だから、スランプがなくトラップにはまらない。うさぎの言葉にも耳を貸さずただマイペースに歩を進める。このインターネット全開全盛時代にどちらが正解なタイプのかは判断できないが、できることなら、私は「亀」でいたい。そこに本当の意味での「WEBサイトの活用術」が見えてくるスペースが存在し確保できリアルが存在するような気がします。もう「知識」の時代ではない、完全に「知恵」の時代であることは間違いないのだから。

 さてさて、誰が「うさぎタイプ」で、誰が「亀タイプ」なのでしょう?

チョップ君の小屋リニューアル!

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 ボロボロの愛犬チョップ君の小屋、只今、リニューアル中なう。っていう感じでしたね。

観光アート!?

 「新しい旅のスタイル」・「アートは社会を変革するプラットフォーム~20世紀は「科学の時代」だったと言われているが、21世紀は「創造の世紀」、つまり、クリエティブな考え方、クリエティブな暮らし方、クリエイティブな生き方をする人がますます重要視されてくると私は思う。そこに、アートやアーティストの需要が高まる理由がある。(本文より抜粋)」・「今日、現代アートを見るための、これまでにないまったく新しい観光客の動きが日本各地で起き始めている。また、現代アートを中心に捉えたプロジェクトやイベントが日本中で活発に進行している。こうした新しい動きが日本の地方を中心に始動しているのはなぜか?本書はアート、とりわけ現代アートの魅力、観光とアートとの関係、直島、青森、金沢に見られる現代アートによる地域活性の成功例、アートプロジェクトの新潮流などを概観しながら、ちょっとしたポイントを押させた細やかな情報とともに、これまでにない鑑賞の仕方はアートの効用を提示する。一度は訪ねてみたい美術館100ガイド付きのお得で役に立つ一冊。」という書籍を買った。

 光文社新書で¥760(税別)。山口裕美というアートプロデューサーの著書である。たぶん、新聞広告で上記の文脈が気になって覚えていたからだろうし、「観光アート」という組み合わせにちょっと語感的に興味が湧いたからである。しかし、ペラペラと読みだすと、まぁ、予想通り。全体的につらそうな流れになってきている。本書、まえがきにチョイスされた語彙があまりにも「アート」と遠い。たぶん、この著者はアーティストではないだろう。また、クリエイターでもないのだろう。行間にそのシグナルが点滅している。たぶん、このまま読み進めても心の高揚はないだろう。が、「観光」・「アート」ともに仕事として必要なファクターなので細かく折りたたみコンパクトに引き出しに入るサイズで読んでみようと思います。

 たぶん、一度は訪ねてみたい美術館100ガイドあたりはかなりきな臭い。

財津昌樹氏「トイレで知る・考える」カレンダー。

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 もうVol.20なんですね、財津さん。素晴らしい展開です。毎日、そこでそれを拝見しています。最初は何故トイレ?と思ってしまいましたが、そこは人間にとって本能の場所だったのですね。改めて鋭すぎるその眼力にボディーブローです。行きてぇ~ですが、遠方につきご了承ください。また、南新宿にお邪魔した時は「わぶ」でカキフライ定食をお願いします。そろそろ美味しい季節ですね。

「財津の部屋」WEBサイトです。

ペトロール1本。

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 このオイルは油絵を描く場合の下絵の段階で使用する乾燥系のオイル。乾燥系ではテレピンとこのペトロールが一般的ですが、こちらを購入したのは、やはり、匂いが好きだから。どうもテレピンの匂いがちょっと・・・。速乾性のオイルでデッサンを起してから様々なペインティングオイルに移行して、最終段階でグロス系やマット系で落ち着かせるのが油絵のスタンダードですから、意外と一枚描くのにこのタイプは消耗します。ってことで1本追加。

カラーインク5本到着。

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 こちらはカラーインク。ボトル売りをよく使う色を単品で購入。発色が抜群ですし乾くと耐水性になるので、重ね塗りで描く場合も一発で色を決める時もイラストボードとの相性がいいですね。特に、チューブのアクリルや透明水彩に比べて混色時の濁りが抑えられかなり彩度をキープできるので、カラーインクはとても便利です。チューブはどうしても混ぜると彩度が落ちてくるので、最後の仕上げには適しているのですが、全体を描く場合はカラーインクがベストですね。お気に入りのメーカーは二つあるうちの一つで5色を追加で単品買いしました。

F10号キャンバス3枚。

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 こちらが油絵用のF10号キャンバスです。このサイズなら張りキャンを購入した方が安いですね。これ以上の20号や30号以上になると、枠とキャンバス素材を別で購入して自分で張った方が好きなテンションで張れ、しかも安いということになりますね。F規格は肖像を描く時によく使う比率です。

映画「カイジ」。

 映画「カイジ」の後半1時間を観たが、まぁ、なんと言いますか、残念な感じでした。マンガなら面白いのでしょうけれど、実際、藤原さんと香川さんでのあのやりとりのリアリティーはどうでしょう。設定もいまいち理解していな状態であのカードゲームだけを観たのでその重さとか臨場感が伝わってこなかったのかもしれませんが、お互いに重い演技をMAXモードで展開しておられるのですが、やればやるほど・・・重さから滑稽さに代わってしまう悲しさ。さてさて、どんなものなのだろうと観ていたのですが、やはり、最後はちゃんちゃんで残念な映画のひとつになりました。ひとつ人を洞察するという部分であのテーブルでのかけひきは良かったのですが・・・。移入はできませんでした。

コミュニケーションは知覚である。

 仏教の禅僧、イスラム教のスーフィー教徒、タルムードのラビなどの神秘家の公案に、「無人の山中で木が倒れたとき、音はするか」との問いがあるらしい。音波は発生するが音を感じる者がいなければ、音はしないということ。音とは知覚されることによって音となる。これを例えにこの場合の音こそがコミュニケーションであると連動するらしい。なるほどなるほど、誰も聞かなければ音ではないというこなのですね。まさにそれが今デジタルデバイスの進化で覚醒されている、と、同時に攪拌されているような気がします。この混沌の中で生まれた価値あるコミュニケーションこそが次の価値だとドラッカーは言いたいのか・・・。知覚であると言われるといろいろなことの整合性が整うように感じる。

第3回「日経小説大賞」に。

 日本経済新聞社は日本経済新聞出版社と共催で2011年に第3回「日経小説大賞」の候補作品を募集するらしい。物語性が豊かで時代性、社会性、娯楽性を兼ね備えた優れた作品に大賞を贈るらしい。未発表の自作小説であればジャンルは問いませんとのこと。選考委員は小説家や文芸評論家の皆様各氏で、2011年の日本経済新聞朝刊で選考結果を発表するらしい。大賞受賞者には賞金1千万円と記念品が贈呈され、受賞作は日本経済新聞社出版から出版されるとのこと。400字詰め縦書き原稿用紙に300枚から600枚以下。1200文字の内容要約文と題名などを添えて郵送してくださいらしい。

 う~ん、なんか興味がありますね。勿論、1000万円にも興味はあるが、日本経済新聞社というところになんとなく惹かれます。時代性、社会性、娯楽性という部分でも、過去の2回の受賞作品は知らないが、さぞ~よろしいでしょうね。小説における、時代性や社会性ってどのような表現を指しているのだろうか?そして、娯楽性ということは?A4サイズに400文字を打ち出して600枚となるとかなりの量だし、まして手書きなんてありえない。いや、ありえるのだろうか?そもそもジャンルは問わないとのことですが、小説のジャンルって具体的にどのようなジャンルがあるのだろうか?このあたりがとても気になるので、ちょっとトライしてみようかなと思っております。だいたいいつも書いているブログが600~800文字だから、ブログ記事でイメージすると多くて300本分。毎月50~60の記事を書いているので、文字量的には6ヶ月分か・・・。結構多い。普通、このような公募に作品を出す人って仕事をしながら取り組んでおられるんでしょうか、毎日毎日、書き続けておられるんでしょうね。そう考えるとなかなかハードルが高くなる。でも、テーマを決めて設定を決めて物語を書き出し、ひとつの作品にまとめるって大変だろうけど楽しいそう。達成感もかなりあるだろうなぁ~。そんな気まぐれで書けるような代物でもなさそうですが、ちょっとづつ書き出していけば、400×300枚=120,000文字ぐらいは打てそうな気がする。

 まぁ、今日の気分はそうでも次の日はどうだか分かりませんが、ただ、なんとなく興味があります。

 そもそも、小説の骨子ってどうして決めているのだろう?たくさん小説は読んできたが、自分が小説を書くなどとはこれまで考えたこともなかったので、どうして構成を決めているんだろう?好きな小説家の構成のまねでもいいだろうし、最近、読んだ作品や過去に読んだお気に入りを改めてチェックしてみようと思う。改めてそういう風に考えると、書店に並んでいる小説って凄い。ほんとにガチで1日パソコンに向かったらいったいどれだけの文字が頭の中からアウトプットできるのだろう?それにも興味があるし、仮に10時間キーボードを打ち続けたらどれぐらいの文字数になるのだろう?う~ん、なんか、ふと思いついたことなのに、考えれば考えるほどモチベーションが上がる気分です。これが小説という作品を創る時の醍醐味なのかもしれない。書いたことないのに・・・、1文字も書きだしていないのに・・・。

コスモスの群生。

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 ふと営業中に目に止まったコスモスの群生。色とりどりの花が秋の感じでとてもきれいでした。「薄紅のコスモスが秋の日の さりげない陽だまりに揺れている この頃涙もろくなった母が 庭先でひとつ咳をする」か・・・。

豊臣秀次公か・・・。

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 28歳で自害か・・・、凄まじい人生である。激しい時代だったのですね。それに比べれば、2010年の不景気などたかが知れているのかもしれない。日本の歴史にはあまり正直興味はないのですが、改めてその波乱の人生を何かのきっかけで知る度に日本の歴史って激動激動の連続だったのですね。現代の平和がその上に成立しているということですから、この平和、大切にしなければ。そして、次の時代へこの平和で安定した国へ伝えなければいけないのですね。という風に日本の歴史オンチなりに感慨に耽ってみました。

それで何が楽しい?

 聞いたこともない名前の男から突然メールが到着する。たぶんスパム。そのメールのタイトルには「お久しぶり」と無難なスタート。で、本文は、「ご無沙汰しています。私は世田谷で会社を辞めてSOHO状態です。いろいろ考えて希望退職しました。現在は、WEBサイトの仕事などをマイペースにしています。自分の時間が持てるって素敵です。これが悠悠自適の生活というのでしょうか。もし、お近くにお寄りの際は私のマンションまでお立ち寄りください。ゆっくり、ビジネスのお話でもしましょう。最近、公開した私のWEBサイトです。もしよろしければ一度覗いてみてください・・・。」って、覗くか!えらい巧みなアプローチでんな。それはどの部分が楽しくってやっているのか教えてください。ところでお前、誰?

 「最後に自分のスタイルで人生を~うんたらかんたら・・・。」と語ってるし・・・、なんでやねん!

秋晴れ。

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 昨日はちょっと暑い感じの一日でした。お昼前後は汗ばむ秋晴れ。雲も秋の感じですね。料理撮影の帰り道、思わず雲がモコモコしていたのでパチリ。秋やなぁ~ほんまにモコモコやん。

フィンガーボード発見!

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 これこれこれ、これを買おう。必須アイテムのようですね。

素敵なグッズ満載の楽天WEBサイトです。

さつまいも到着!

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 Thank you Bro! どのように栽培するのかを確実にリサーチしてから育てたいと考えております。きっかけは観賞用に皿に水を浸し栽培しようと思っておりましたが、ここまでの量を頂けたので、そっと、来年はプランタンで栽培してみようと思っております。種イモの管理などしっかりと掌握していないので、リサーチしてこの冬は補完、そして、植えるタイミングを見計らいたいと思っております。来年の夏頃にはこれを数倍にして御返しできれば・・・と壮大な計画を頭に描いております。頑張りま~す!

 でも、まずは、ちょこっと切った断片からなんとも素敵な茎が出てくるのです。葉のカタチもなかなかかわいいのでそれを目指したいと思います。芽が出ましたらこのブログで報告とさせていただきます。さつまいも大好き人間が多いので、スープやパンに加工されてしまわないように死守します。

モナ・リザの謎の謎。

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 「絵画を読み説く」「絵画に隠された暗号を~」とかってホントにメンドクサイ。仮にそれが真実だったとしても、それで?だから?まず、100%それらはフィクションだろうし、捏造に近い仮説を今さら聞かされても書籍でひも解かれても・・・という感じなのに、そこかしこで「絵画の謎」が横行している。古今東西この現象って一律なのでしょうけど、それだけ絵画の謎を知りたいだろうか?謎は謎だから謎。だから、「どうだろう?そうなんじゃないの?」ぐらいのリミッターでいいのでは。絵を描いた本人もびっくりのような絵の謎がひとりで歩き始めている。が、「価値の上がる絵とは多くの人々に語られる絵である。」というホックニーの言葉どおり、それは必然なのかもしれない。では、語られるから価値があるのか?価値があるから語られるのか?どっちだ?技術的な背景や構図や社会性についてベラベラ語ることは容易いができれば、描いた人の描いている時の気持ちが1秒でも0.1秒でも同期できたらシンクロできたら、素晴らしいだろう。いわば、そのためだけに絵は描かれているような気もしなくない。

一同合意の二面性。

 マネージメントのコンサルタントが海外から日本の中小企業に訪れた時になんとも不思議な会議の進め方に驚くらしい。会議に問題提起がなされ対策が講じられる。それぞれの部署からの数値的な報告や現状についての考察があり、テーマに沿った情報が収集されて紙でデジタルで資料が配布される。問題点の規模に応じて、カテゴリーに応じてそれぞれの担当者から解決策がプレゼンテーションされる。そして、そのプランに対する意見や修正案が会議に出席している人達から述べられ、共感と反論の協議が展開する。ここまでの時間、それぞれ然るべき部署の人間が数時間ひとつの部屋に拘束されていわゆる「会議」が進行してくる。最終的に結論が出る場合と出ない場合があり、会議の多くはその場で結論が出ないことが多い。仮に多数決で審議したとしてもそれはあくまでも便宜上の一段階に過ぎない。最終結論ではない。そして、おどろくなかれ最終結論はトップが出している。これにはもうコンサルタントという立場ではない人間でも舌を巻く出来事。その一部始終を見ていたコンサルタントは言ったらしい。「この会社にコンサルタントは必要ありません。」と。その言葉を残して母国へ帰っていったというお話。

 このお話の摩訶不思議な部分はなぜこの会社がコンサルタントを雇おうとしたのかという部分で、そもそも、その結論を出すための会議はどのような内容だったのだろうか?という点である。このような現象はいたるところで起こっているはず。何も中小企業に限ったことではないだろうし、マネージメントが何故必要でどのような効果を齎すというのかを、いったい、誰がどんな情報を判断して導いたのか・・・。もう、この不思議な不思議なスパイラルが無限に続く。

 つまり、この場合の会議の「合意」とは便宜上であるということ。本質の部分で予定調和を得るために同じ方向を確認するための会議であり、結論を出すための時間ではないのである。まぁ、「人が3名以上集まれば答は出ない。」という言葉にもあるとおり、人の心の綾は難しい。まして、会議のテーマに相当の責任感がある場合、二面性は必要不可欠なのであろう。最も大切なことはそのテーマについて協議したという事実やプロセスが重要なのである。専門家でもない人間がネットで独自の分析力で収集した情報をどう活用するのか?まして、マネージメントのスキルもキャリアもない人間がマネゴトで正しい状況判断ができ、会議をナビゲートできるのか?年功序列で上から下へ流れる水ほど美味しくない水はない。

 しかし、なかなか聞けないことですが、どんな場面でも勇気を持って切り込みたいものです。What do you mean?と。

本日NEW名刺入稿!

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 前回は2009年4月に作成した名刺があと5枚になったので新しいデザインを作成しまして、本日入稿しました。ほぼ1年半で300枚を配りました。前回のオレンジのデザインはイラスト入りで結構自分でも気入ってて、いろいろな方からも好評を得ていたのですが・・・、同じモノ(再版)はやっぱりイヤなので、また最近描いた水彩画と富士山登山(2010.08.07)の写真を適用しました。完成は1週間後です。10月後半ぐらいから配り始めることになるでしょう。

アドビがMSに・・・。

 アドビの株価が急上昇したらしい、うん?やばいのか?マイクロソフトにM&Aなのか?何故こうも捩じれてしまうのだろうか。アップルのやり方が的を得ていたのか、アドビが固執してしまったのか。どちらの製品に対しても古くからお世話になっている一ユーザーとしては非常に複雑な心境である。お互いにもっと歩み寄り最適な方法論へは導けないのか?どちらが勝ちでどちらが負けなどまったくナンセンスな仕組みである。一時、「勝ち組」とか「負け組」って言葉が席巻していたが、勝つとか負けるなどという概念は運動会だけでいいじゃん!小さいエリアで猫の額を取り合ってきた歴史が全ての国だから、そこがどうしても気になるのは分かるけど、戦国時代ブームもまぁまぁそこそこにしときませんか?

 で、アドビとアップル。そんなにエッジをたてなくとも共存する方法はないのだろうかと、一ユーザーとしてとても心配ですね。この仕事をしていく上で、アドビさんのソフトは使っていくだろうし、プラットフォーム的には安定していればどのOSでも使っていくだろう。ただ、iPadを仕事で活用しましょう!といくら呼びかけられてもそれほど伸びしろはあるようにも思えない。と、つまり、アップルの考え方がクリエイターの現場のテンションとちょっと趣が異なっているとも洞察できる。これは予定調和なのか革新の部分なのか、まだまだ、混沌としている印象です。すでに活用している環境がある日突然一変するということもないだろうからこのまま動向を観察しながら最適な環境を試行錯誤するしか、当面の動きはいいのかな・・・と思っています。これが5年後10年後となると予想は不可能ですが。

八幡山ロープウェー様。

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 さて、このボディにどんなデザインが最適か。それを今全力でイメージしています。頭の中のデスクに変数を並べこの車体を観光に訪れた方が車から歩行中に、または、雑誌や専門誌などで拝見されて、八幡山に登りたいと感じられるようなデザインを考えています。今の段階で頭の中の風呂敷の広さは滋賀県の面積よりも広く、伊吹山よりも高く、琵琶湖よりも深い。そこからフォーカスしていき2体のこのボディーにデザインを適用できればと考えております。これがデザインの仕事の醍醐味であり一番刺激的なフェーズですね。さぁさぁ、頭のトルクを上げていこう。

観賞力というチカラ。

 芸術作品を鑑賞しながら自由に感想を言い合う「対話型」の鑑賞方法が教育現場で広がっているらしい。本来、美術教育は「描く・創る」ことが中心で、「観賞」は美術や芸術を学ぶなかで簡単に触れる程度。自分の意見を発表したり、他人と比較したりるする中で、芸術作品を見る目を養うのが狙いで、音楽などにも適用されているらしい。が、まず、芸術とは何かという部分でこの取り組みはずれている。内なる声を画面や楽曲で外へアウトプットすることが芸術である。これ自体が見事で秀逸な「対話」である存在に対して「観賞」を通じて対話ってなんでやねん!

 そもそも表現重視から転換して異なる見方を理解する~うんたらかんたらがこの取り組みの便宜上の主旨だろうが、それは、何が目的なのか?ただ、絵や音楽を見て聴いて美味しいコーヒーを飲みたいだけでしょう。そもそも日本語の仕組みでどう芸術を鑑賞しそれを対話に持っていくのだろう?そういう場が具体的にどこかにあるならば一度参加したい。ビギナーでもエキパでもアーティストはアーティスト、クリエイターはクリエイター。しっかりと自分の足で立ち頭で考え手を動かし完成したモノを、ドシがどう観賞してどう対話するのだろうか?これ以上考えていると頭が熱くなるのでこの辺にするとして、何も芸術について語る前に日常の対話でそれをやればいいじゃん!ネタに困ったからと芸術の鑑賞らしきことを経て対話のネタを探そうなどとおこがましいにもほどがある。芸術家と芸術家がお互いの絵を通して言葉少なに対話するならそれは意義がある。何も創らない人が創ったように気になって、表現はどうの、この作家の心情はどうのこうのと、それこそ安いフィクションである。それがリアルだと錯覚する時間があるなら、何かを創作するベクトルに時間を費やした方が健康的である。

うつ病の苦しさ。

 うつ病は2度苦しいらしい。それに襲われている時と復活して元の職場や社会に復帰する時。うつなど何も現代病の代表みたいに特筆する必要もないし、振幅の短い憂鬱などいつの時代にもあったはず。それが、IT社会だとかデジタル社会だとか勝手に今の時代に名札を付けて、便宜上、「うつ病」にフォーカスしているだけの側面もあるんじゃないだろうか。「ああ、ストレスの多い時代だから、景気が悪い時代だから、うつ病ですって言っておけば、温かく見守ってくれださるでしょう。」的な心のスキから漏れる冷たい風のようなモノなんじゃないの。そりゃ、冷たい風に当たれば体調は崩すでしょうし、身体的に健康状態を維持できな状態になれば、薬や安静が必要なことは当然。しかし、心の病気であるならば、心のタイプや心の健康管理で「うつ」を弾き飛ばす、「うつ」を心の免疫で分解してしまうことはできないのだろうか。まぁ、そこまで「うつ」対策せずとも、古今東西様々な「うつ」に打ち勝ってきた方達がいるからこそ、現代が成立しているわけで、気にしなければいいだけ。これが難しいのですが・・・。

 最近はあまり休まない(休めないが正しい)が、学校の頃など風邪で熱を出して2~3日休み、完治して学校に行くとなんとなく、取り残されたような時間の流れから遅れてしまったような感覚になる。まして、社会に出て職場を一旦離れ復帰する時などいろいろ考えてしまうことは多いだろう。などと、いろいろ考えていること自体が「うつ」の因子かもしれないので、複雑怪奇な時代ですし、いろいなことが沈滞して経済の状況は安定しているとは言えない時代ですが、大きく捉えて、楽天的に行きたいとも考えます。嫌なことは何か別のことに集中することで忘却の彼方へ吹き飛ばし、次から次へとやってくる時間を有意義に過ごしたいものです。

 よく、もっと心に余裕を持って、しっかり休日を取ってオンとオフの切り替えも大切ですよ~たまには気楽なお話を肴にお酒を飲みましょう~などと言われるが、私は逆にそれがストレス。起きてから寝るまで意味のない時間を過ごしたり(だから、あまり、旅のための旅も嫌い。)、数時間でもお酒で頭の中がふわふわしている状態が嫌い(お酒が強くないだけ・・・。)、まして、何もしない1日など考えられない。そんなことをしたら、もしかしたら、心臓が止まって死ぬかもしれない(ガチで)。それに、団体行動も嫌い。組織のみんなでひとつのことを協力しあって素晴らしい達成感を!とか、成功体験を!などというテイはもっと嫌い。それこそうつになる。人間は一人で生まれて一人で死ぬ生物です。生命がある間をどう過ごすかなど自分で決めればいいじゃん!とこれが鬱にならないコツのようです。

 まぁ、うつは万人万色です。何事も人の意見はそこそこで自分のスピード感を大切にしたいものですね。

なるほど交渉能力なのか。

 学校と社会の決定的な差は何だろう。デジタル教科書がいずれ施工されれば、その現象はさらに激化して拍車をかけることになるだろうという警鐘例がある。学校教育における、というか、それは学校という機関だから仕方がないと言えるのかもしれないが、クラブ活動やサークル活動レベルではその能力は決して養えないし、まして、教師と学生という立場は相関性に優れていると学生の頃は捉えていたが、それは、先生や教師の皆様を始めとする学校サイドのご尽力だったことに今さらながら気がつく。

 師弟関係の大規模な機関が学校の構図にはあるが、その部分には非常にむらがある。あったように思える。求める人間には求められるモノが与えられるが、求めない人間は一定期間を過ごすだけのつまらない期間になる。この差の原因をよく家庭環境や個人のポテンシャルにゆだねる理論は数多にあるが、それもひとつ。しかし、それは言わば結果論である。どうして?何故?の部分で言うならば、決定的にまだいろいろな技術や能力や視野がビギナーであるティーンに対して、もっと、事例と体験を経て「交渉能力」の鍛練が成されていないのである。

 このことに注視した海外の学校機関は多く、特にヨーロッパやアメリカの大学ではこのことを重視したカリキュラムやこの道のエキスパートを講師陣に備えている。何故交渉能力が必要かといえば、社会に出るために会得しておかなければいけない能力だからである。学生最後の年、社会に出るという緊張感のその内訳のほとんどが、「社会に適用できるだろうか?」だったように記憶している。それが、現代ではインターネットというやっかいなツールが蜘蛛の巣のように張り巡らされている社会が存在するから、ITというツールが使えれば交渉力があると誤認する人が多いことの弊害がそらかしこで発生しているような気がする。それは、学歴やキャリアやモチベーションなどに関係なくである。常に自分自身の立ち位置が「その他大勢の一員」でいい人と、「社会との関わりに適度な距離をおく個体」を意識する人の差異。この差の間には果てしなく深い谷が溝があると思います。

 まぁ、このことをブログに書き出していること自体が何故?かもしれないですが、これはただの手記であり、アーカイブであるから、何もここからコミュニケーションが生まれるとは考えていない。だから、ブログが楽しいのである。

 交渉能力とは?これは細分化していけばキリがないし、何に対しての交渉なのかというターゲット指定についてもそれこそ「ありとあらゆる」になる。もとより、何故このことが気になるかという部分で言えば、デジタル教科書への懐疑がトリガーになっていることは大筋での論拠。私自身は教育の現場で何を学んだのかと回帰する度に、5名の師匠(先生)の顔しか浮かばない。その先生方からいっぱい言葉を頂いているはずなのに、その言葉は本当に断片的にしか残っていない。その替わりに先生方の顔や声や存在感が頭の中に浮かぶ。目を閉じれば0.1秒でその5名の顔が浮かぶ。交渉能力の出発点は実はそこにあったのではなかろうか・・・?と思っています。うん、交渉能力について、まだまだ、「ひとりミーティング」をしなければならないようである。

敬語で子育て!?

 あるテレビ番組でゆるゆるのご夫婦がガチで「敬語で子どもを育てると教育上いいらしい~」的なことを言葉にしていた。公共の電波の価値が下がるわけである。それを担う人間はもっと危機感と責任感を持ちクレバーにスマートに流暢に語れっつ~の!なんで我が子に敬語で接っさなければいけないのか?それは何基準?どこの慣習のモノマネ?その心は?って整ってないし、オチちてもいない。なんでやねん!

Superflyさんはいいっすね。

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 AKBは別にビクトリア湖の湖上に乱舞する蚊の大群のようなもの。映像で見ているには価値はあるが、さて、そこに第1人称で臨むことはありえない。それを踏まえて~の秋元康の戦略は巧みである。が、それはご本人が一番それを知っているだろうし、ずっとあれだけ意義のない、価値のないことをさもプロデュースしてます的なテイで~、と余談はさておき、最近のオキニイリは何と言ってもSUPERFLYさんです。デビューから聴き始め、アルバムとしても3枚目まで来ているアーティストさん。

 彼女が紅白歌合戦にでることはファン的にはやめていただきたいが、もし、国民が国民のために国民が支持するアーティストが選ばれるなら、紅組の一番はSUPERFLYさんだろうし、トリは美和さんで何も問題ないはず。白組はどうでもいい。

 と、例のテイで完全に「歌声基準」でSUPERFLYさんが一番素敵ですね。

やっぱ、iPhone強し!なのか・・・。

 いよいよ、年末に向けて、いろいろなリーダー端末が出てきました。一旦、iPadが先行しているように見えますが、後続達は強そうである。話題性なら断然アップルでしょうが、実態はいかなものだろう?実際、それほど、iPadを街角で見ることはないし、携帯性を歌うなら、やっぱ、iPhoneなのだろうか・・・。確かに、家でiPadはさほど・・・であるし、ビジネスシーンにということですが、ノートブックで十分です。さらに、iPadでは勿論、電話ができないし、カメラもない。アップルのコンセプトに踊らされている感がありきならそれはそれでその基準の「便利」だから別にいいわけですし。この筐体を持ってます~ってことが、右も左も分らない人の前だけでは、最先端感を誇示できるなら、それなりに値打ちな安い買い物である。そもそも、クラウドクラウドとは言うが何がクラウドなのか?ただただ概念的なことばかりが先行して具体的な利点や活用術はどこかの大手がその包囲網の中で一喜一憂しているだけでしょう。もう、ビレッジかっ!って感じ。外は実はもっと厳しい大自然社会があって、iPadはデジタルサファリパークのちょっと首の長いキリンのような存在!?目立つが目立つだけ・・・!?みたいな。

 でも、iPhoneは大自然(リアル社会)にしっかり根を下しているような逞しい印象を、今日現在では持っています。が、さて、これも包囲網の中の一トラップなのか?う~ん、サファリパークだと思っていたのが、実はアフガニスタンでトラップを踏んで「ハート・ロッカー」みたいなことにはなりたくないし・・・。それに「これを使わないと~」とか、「便利です便利です」と言われて改めて重箱に入った「便利」を手にしても・・・みたいなことも感じるし、携帯電話なら普通のでいいじゃん?とも思うし、誰かが便利だと言うなら一回試してみたい気もしなくはないし。もし、「便利」がセオリーや先入観だったらちょっと寂しいし・・・。

もし、・・・がなくなったら!?

 結婚活動、ラーメン、霞が関、プロフ中毒、バラエティー、イチローのバット、文学部、コンビニなどなどがなくなったらとひも解く現代風の考察。主婦の友社の本というのがあるらしい。これを総じて「なくなる日」シリーズで毎月6日に定価800円で創刊されるらしい。知らなかった。例えば「末期がん、その不安と恐れがなくなる日」とは、「がん哲学外来」というのがあり、そこでどんなことが語られていて、生きているということは、死ぬということはどういうことかを啓蒙しているのだろう。また、「政治家がなくなる日」では、政治家の人数と報酬の関係や経済評論家があらゆる日本の無駄を検証しているのだそうです。一見、面白そうなタイトルと構成コンセプトですが、たぶん、この仮説はあまり意味がない。いわゆる「たられば」では何も解決しないし、この書籍をどう読み捉えるかによって形成される考えは有益な何かを、生産的なモチベーションに連動するかもしれないが、そこもまた個体のポテンシャルだろうし、そもそも、相関性で言えば、ポテンシャルのある人は無くなってしかるべきモノがなくなっても受け入れることができて、相対に順応すうる能力と与えられた素材を応用する能力があるから、決して「たられば」で軸がぶれることはないように思います。つまり、このシリーズは時間を持てあまし怠惰な生き方に慣れた(慣らされた)個体への暇つぶしのオモチャのように思える。が、それでも、それぞれの著者に引力があれば、そのシリーズは手元に置きたい一冊になるだろうが、それもタイミング次第。

 しかし、このシリーズの著者も含めて、こういうテイの企画を編集者から打信されて、「はい、それは面白いですね。」と執筆を始めているのか?それとも、あくまでも持ち込みでこのテーマでこんな書籍を~というアプローチのやりとりが発生してこれらの書籍の創刊になっているのだろうか?ならば、「もし、書籍がなくなったら~。」とか、「もし、日本がなくなったら~。」とか、「もし、酸素がなくなったら~。」などのテーマで科学的に哲学的に宗教学的な考察はないのだろうか。ラーメンって、なんでやねん!

やっぱ、懸垂がいいんですね。

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 いろいろクライミング関連、ボルダリング関連でWEBサイトやブログをリサーチしていると、やはり、ウエイトトレーニング系よりも、ストレッチや必要な筋肉を鍛えることが大切と書いてある。力が強くてもしなやかさがなければダメ。ウエイトトレーニングをして筋肉が増えて力が強くなっても自重が増えるだけなら結果同じ。戦う相手は「重力と自然」。マッチョな身体を誇示してもたぶんそんなの関係ねぇ!なんだろう。だから、といってトレーニング後のケアを忘れるとエライことになる。常に背骨や手足の関節には負荷がかかっているわけだから、トレーニングをしてケアをしてトレーニングをして~のループを確立しなければ、故障して終わり。

 ガチでリアルに陸上や硬式野球で「故障」のみじめさの部分でかなり痛い目にあってきているので、「腰痛」を克服するために始めたストレッチや下半身強化のスクワットのお蔭で山登りができるようになり、その延長上でクライミングやボルダリングが見えてきたことは自分の中で軸がしっかりある感じ。そのトレーニングで懸垂をすることが背骨にもよく、手や足の関節にもいいということは、とても、脈略が自分の中で一本化されている感覚です。

 いつか、どこかの岩盤にアタックする日のためには、「しなやかな筋肉」と「無駄のない絞り込んだ身体」が必要なようです。そのための腕のトレーニングとするとやはりシンプルに「懸垂」のようですね。ちなみに、懸垂の最高記録は45回で、ロープクライミングなら体育館の天井まで腕だけで5往復はできていた頃があった。ただの遠い過去の自慢話にならぬよう、今、この歳(46歳)になったとは言え、そこを自分自身の目標として頑張ろうと思っております。よく小学校にあるような登り棒でもトレーニングはできるし、よ~く、観察すれば街のいたるところに指をひっかけてぶら下がる練習をする場所は無数にありますし・・・。

HTML5という言語。

 もっと、ハードルの高い言語かなと思っていた。今、一番注目のホットな言語らしいですから、これからWEBビジネスを展開するにおいて、最重要視されている言語であることには間違いだろう。しかし、その歴史は古い。ではなぜ、今、「HTML5」なのか?なのであるが、専門書を読んでいると、それもなんとなく理解できました。すでに、それ関連の最新の書籍を数冊手元に置いて読み始めているのですが、脈略の軸が非常に理解・納得できることと、アップルがFLASHを微弱性と言った意味がよく理解できた。で、言語的な構造についてですが、これも、そうハードルは高くないし、論理的な構造においてもそう難解なわけでもなさげである。たぶん、CGIやAS3.0を改造してきたことや、プログラムの文法や記述式についても、何故、この記述とアイテムが必要で、これを応用するとどういう表現に繋がるのかということが体系的に理解できていることで、さらに「HTML5」の意義が見えてくるというこのなのだろう。具体的にはiPadやiPhoneに実装するための仕組みづくりに必要な言語のようですが、また、代表的なブラウザ6種とモバイル3キャリアのブラウザの微妙な違いに対応するためにこの言語の安定性が今改めて・・・ということ。

 何より、嬉しいのは、この取り組みの書籍の著者の中にいつも仕事でお世話になっている方がおられるということ。これは心強い。勝手に一方的にそう思っているだけかもしれないですが、いつも、メール交換をしている方が著者であるから、言葉の質量が重い。で、ほんとに頭に入る感じです。じっくりとですが、サンプルをD.L.していろいろなAPIを試してみたいと思っております。しかし、「アナログ時計」がFlashを使わずにHTMLベースで作成できるとは・・・、う~ん、楽しみである。ということは、動作確認のためにやっぱiPadは買いなのか?いやいや、キンドル、リーダー、アンドロイド、ガラパゴスいろいろあるからなぁ~、全部買うことはできないし、できれば、Flashが走るアンドロイドと、検証用にiPadが必要になるのかなぁ~と思っております。しかも、オーディオやムービーにも強いと・・・。

 意外と言語の体系を復習してトレースしているような印象の「HTML5」でした。これは楽しい感じになりそうですね。まぁ引き続きFlashは手法として楽しいので取り組みますが、ちょっと、大きな流れに沿う意味でこの方向(HTML5)も楽しもうと思っております。となると、今、やっとリニューアルに着手できたACTのWEBサイトにも試しでHTML5やCSS3を使ってみようと思います。もちろん、AS3.0はいくつかサンプルを用意していますし、いろいろ今後の展開を踏まえて取り組まねば・・・だ。

貨幣価値の誤解。

 スタンフォードでは「イノベーション・トーナメント」というのが開催されているらしい。あらゆる学術のエキスパートの卵たちが学業を経て社会に出るまでに行う実践演習のようなモノ。これは凄い。今、日本の大学や教育機関が一番取り組まなければいけないことだろう。そんな学生のため学生のためにと高いシステムを導入してアメのようなカリキュラムでワクワクドキドキさせようなどと本末転倒言語道断である。それは学生のためではなく学校のためでしょう?と、そもそも、日本の大学の総体性とスタンフォードを比較しても始まらないが。

 イノベーションとは価値の創造である。ニーズを掘り起こし付加価値を市場に返すために会得した知識をどう意義に換えることができるかである。手持ちのコマを理解する中で個体のポテンシャル、組織内のコミュニケーション、社会の規範に基づき独自性のある構想を練り継続性と持続性と展開力を鍛えるチカラを養うらしい。到底、イージーなゲームプログラムレベルでは意義などと程遠いというテイ。

 そこに新しい貨幣価値を見出し引いては経済を活性化させる、ビジネスモデルを創出するということなのですが、それはそれほど難しいことでもなさそうである。日常のセオリーや先入観や固定観念を一旦置き新しい視点でモノゴトを捉えることができればその糸口は手の届く範囲にいくらでもあるらしい。確かに。で、非常に重要なポイントはそれが見えた時の判断力。「何もしないのと、何かをするという二つの選択肢を切り替えるのは、ほんの小さなスイッチですが、選択の結果は大きく違ってくる。」ということ。これがまさにである。

 やるなら今なのである。今やらないは「やらない。」ということ。この言葉が非常にしびれましたね。つまり、貨幣価値など「セオリー」であり、「先入観」であり、「固定観念」のカタマリなのである。ほんとにつまらない。

ぜんぜんダメ・・・。

 昨日、早速、ボルダリングの書籍を書店にリサーチにいくと、いくつか、クライミングに関する書籍があった。いろいろな用語も知らず、道具も知らず、そもそも、ロッククライミングやボルダリングという構造が頭にない。どのような仕組みで岸壁にアタックするのか、そして、どのような道具をどの場面でどのように使用するのか。フリークライミングとは?もう、???だらけ。ネットで検索してこれらのことを調べたがネットの情報って広く浅い。じっくり探せばいいのでしょうが、なかなか、目的の情報にたどり着けない。たぶん、いろいろ規制があるから、どこまでどの情報をという部分でそれぞれの情報にリミッターがかかりすぎ。本当に欲しい情報は想定以上になかった。これもWEBサイトの宿命か、ブログやつぶやき程度では、日常の機微は読めても、論理的なアーカイブや文脈にはたどりつけないのか・・・。

 で、書店でいろいろ読んでいると、だいたいのクライミングの構造は理解できたが、その前にどのようなクライミングをする人はどのようなトレーニングでどれぐらいの筋力と柔軟性を持ち合わせているのだろうとそのタイプの書籍に目を通す。すると、クライミングのための日々の練習方法が書かれてる書籍があった。その書籍ではまず柔軟性、そして、筋力。これでクライミングに必要なモノは1/3揃うらしい。で、残りはプランニングと観察力だそうです。腕の力があっても的確な判断を誤れば初歩的なミスをして命を落とす。十二分な道具を装備していても使い方を間違えればトラブルを起こしパニックになり命を落とす。つまり、ここでも、心技体なのである。これは、頭で理解しているだけでは絶対に会得できない。ベーシックな日々の鍛練と一歩一歩の経験から蓄積される能力。失敗をしても最低レベルで収めるための対策とテクニック。しかし、自然の中では予想外のことがあたりまえのように起こる。それに適応できなければ、必ず命を落とす。うん、クライミングとは人生そのものじゃないか。

 そこでまず筋力的な部分で言うと、奥ゆき20mmぐらいの出っ張りに指をかけて指だけで身体を支えるのは当然のこと。さらに、15mm、10mmと短くしてその状態で何分ぶら下がっていられるかという持久力。次に両手で8本の指を6本にして4本にして2本にするらしい。う~ん、そんな・・・。合わせて、片手4本の指でどれだけぶら下がれて、右手左手を組みかえたり、横に移動したり。そして、軽く20回ぐらいは懸垂できないと・・・ということ。ぜんぜんダメダメ。今できることは、3分間ぐらい8本の指でぶらさがり、懸垂は3~5回程度。そうかそうか、これはかなりキツイぞ。さらに読み進めると、これらの練習器具というのがあって、いろいろなサイズに穴があいていて、深いの浅いの角度がついているのやら、円形の穴などがワンセットになった、幅1mぐらの穴だらけの木のフレーム。これに暇があればぶら下がり、指を鍛えるらしい。よし!まず、ここからである。これをネットで探して絶対に買おう!!!

原三佳恵先生の個展へ。

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 大阪芸大でお世話になった原三佳恵先生の個展へ。年一でご案内を毎年いただくので今回はとてもタイミングがよく、先生も来ておられたのでゆっくりとお話することができました。先生、お元気そうで何よりでございますって、原先生はそんなお歳ではないのでこの表現はちょっと変。先生のスタイルは10代20代の頃はちょっと???でした。それは頭で考えていたからだったこと、46歳になり、少しは感じられるようになったのかこの作品の存在感に惹かれる自分がいます。絵やアートは「狙う」と必ずターゲットが遠くなる。「構える」とターゲットを引き寄せられなくなる。だから、「自然に」が正解。デザインやWEBの仕事をしていると、「狙い」や「構える」がありきになすぎ、策士が策におぼれ、自分自身で仕掛けたトラップに自分でひっかかる・・・みたいな連続。でも、そんな傷が増えるたびに心が「NOTHING」になる感覚。なんでもかんでも「無」で解決はできないが、これはとても重要なこと。それに気がつくためには、それが見えるようになるには、多くの傷が必要だということ。

 学生の頃は生意気なことばかり先生に言葉にしていたような気がします。はずかしい限りである。でも、こうして時を経て先生の作品に囲まれながら、先生をお話をする時間の心地良さと言えば、他に置き換えるモノがないほど心地良い。いろいろお話できてほんとに楽しかったです。

 開催されていたギャラリーさんはこちらです。お近くの方はぜひ!ただ、このWEBサイトはもうちょっといろいろな意味で頑張ってほしい気がしますが・・・。ギャラリー内で創っておられるのかな?担当者様頑張ってくださ~い!また、ちょくちょく拝見します。

ギャラリー・プチフォルムさんの公式WEBサイトです。

これもアート!?

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 ひさびさに御堂筋を歩く。淀屋橋のプチフォルムというギャラリーさんに行ってきた帰り。何やら御堂筋側に不思議なアートが並んでいるが、とあるビルの壁面のこのオブジェクト。こちらの方がなんか不思議でいい感じ。作為的なアート、まちづくりのためのアート、予定調和とセオリーか生まれたアート、日曜大工のような手芸教室のようなアート、アートは様々でいいが、人の手が入ったオブジェクトならそれはすべてアートと呼んでもいいのかもしれない。つまり人が何かの目的のために創作したモノの「何か」の部分がポイント。

なんばの街。

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 昨日は仕事でなんば経由で岸和田へ。いろいろな想い出のあるなんばの街。昨日は天気もよくこんな表情でした。住むにはちょっと密度というか臭いというか、いろいろ濃い街である。

ボルダリングと言うのか・・・。

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 これこれ、テレビで観た人、尾川智子さん。やりたいのはこれこれ。まだ、どこで何をやればいいのか、どんな練習が必要でどういうスキルが必要なのかはボヤァ~としている段階ですが、とにかく、これをやりたい。これは筋肉の力と持久力とバランス感覚と観察力があれば初級の初級からできるのではないだろうかと考えています。最終的には装備を完全にしてロープでのロッククライムですが、そこは自分自身、間違いなく富士山より高い山だろうから、そう短期間で会得できないはず。だけど、若くなくとも自分のスタイルとスピード感で刺激があり達成感があればでる・・・、いや、絶対に挑戦したいと考えています。まぁ、火がついたのは富士山登山より前だから、腰痛を克服するために2年以上前から始めたいろいろなトレーニングが結果、富士山に登れた。富士山は富士山でまた来年も挑戦するが、そこまでに、もっと、上の刺激をとこの「ボルダリング」をリサーチし始めているわけ。いきなり冬山に行って命を落とすわけにはいかないので、ボルダリングのトレーニングをしながら、いろいろな条件に挑戦できる身体を鍛えたいと思っております。ちょっと無謀かもしれませんが・・・。

尾川智子さんの公式ブログサイトです。

中田ヤスタカさんのトラップ。

 「僕が君の言葉で悩むはずがない・・・。」か、中田ヤスタカさんのトラップは深く近未来のようでいて、実はリアルを描いている。しかも、本質は源泉から流れている強さがありますあります。時に論理的とは感覚的とシンクロするのですね。

SANDCLOCK#001

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 まずはサクッと簡単なGIFアニメの「砂時計」です。実際の砂時計は3分モノなのですが、15秒にFLASHで編集しています。パラパラマンガの写真版です。ってな具合でいろいろ動画系やオリジナルアニメーションなどをこのブログにアップしていこうという実験的な試みの第1段で~す。「GIFアニメ」形式の利点は軽いデータにできることと、プレイヤーやプラグインが必要ないということ。ブラウザだけあれば、再生できるのでサクッと動画を作るのに便利な形式でありスタイルですね。

よし!今年はカレンダー作るぞ!

 ちょっと、なまけていた卓上オリジカレンダー。今年はモチベが上がってきた。よし、頑張って作ろうと思っております。たぶん、ペン画になる予定です。経過報告は少しづつこのブログで報告します(また、途中で放置しないように・・・)。ご希望の方がおられたらご連絡ください。メール(info@act-khuz.com)でもコメントでもいいので気軽に入れてください。まぁ、普通の卓上カレンダーでしょうが・・・。ちょっと、サプライズも構想しています。