観賞力というチカラ。

 芸術作品を鑑賞しながら自由に感想を言い合う「対話型」の鑑賞方法が教育現場で広がっているらしい。本来、美術教育は「描く・創る」ことが中心で、「観賞」は美術や芸術を学ぶなかで簡単に触れる程度。自分の意見を発表したり、他人と比較したりるする中で、芸術作品を見る目を養うのが狙いで、音楽などにも適用されているらしい。が、まず、芸術とは何かという部分でこの取り組みはずれている。内なる声を画面や楽曲で外へアウトプットすることが芸術である。これ自体が見事で秀逸な「対話」である存在に対して「観賞」を通じて対話ってなんでやねん!

 そもそも表現重視から転換して異なる見方を理解する~うんたらかんたらがこの取り組みの便宜上の主旨だろうが、それは、何が目的なのか?ただ、絵や音楽を見て聴いて美味しいコーヒーを飲みたいだけでしょう。そもそも日本語の仕組みでどう芸術を鑑賞しそれを対話に持っていくのだろう?そういう場が具体的にどこかにあるならば一度参加したい。ビギナーでもエキパでもアーティストはアーティスト、クリエイターはクリエイター。しっかりと自分の足で立ち頭で考え手を動かし完成したモノを、ドシがどう観賞してどう対話するのだろうか?これ以上考えていると頭が熱くなるのでこの辺にするとして、何も芸術について語る前に日常の対話でそれをやればいいじゃん!ネタに困ったからと芸術の鑑賞らしきことを経て対話のネタを探そうなどとおこがましいにもほどがある。芸術家と芸術家がお互いの絵を通して言葉少なに対話するならそれは意義がある。何も創らない人が創ったように気になって、表現はどうの、この作家の心情はどうのこうのと、それこそ安いフィクションである。それがリアルだと錯覚する時間があるなら、何かを創作するベクトルに時間を費やした方が健康的である。