武士道について。

 最近、ある友人と「武士道」について短い情報交換がありました。不景気を理由に「仕事がない。」と言葉にしてしまう人は自分の足で歩いていないのでは?というテーマでです。サムライはいつも刀を腰にさしていつ何時(なんどき)でも戦う決意があったはず。刀を持つことで物事の分別を判断を自分自身で行いその判断の責任も自分で100%受ける覚悟があったはず。世の中がどうであれサムライは自分の世界観や哲学を持ち一人の人間として世間と向き合って生きていたような気がしますというお話のモード。で、現代、刀を置いた日本人はお上(政治家)に年貢(税金)を支払う代償に「政治が悪いから生活が苦しい。」「経済政策が活性化しないからビジネス面が辛い。」「環境問題・エネルギー問題を語らずじて何が未来だ。」みたいなテイの依存する自由を得ているような。それは平和?というテンションの情報交換でした。

 サムライは自分の判断で太刀を降ろし、自分の判断で自害していた。命について誰の価値感でもなく、自分自身の価値観で生きていた人間がいたのだということが、この国、日本の最大の魅力である。それを戦国時代の武将をゲームにして何が楽しい!武将や姫をヌイグルミにして偶像化して奉って何がムーブメントだ!というちょっと熱い系のお話でした。つまり、武士道とはやはりのやはりの部分で、「武士は食わねど高楊枝」なのだと・・・。

 ならば、いつでもそれを抜けるように刀を研ぎ澄まし、いつでも切腹覚悟で一秒一秒を生きなければいけないのだろう。こんな時代にも実は武士道が成立するとかしないとか。