2010年11月 アーカイブ

映画「ソルト」と「ボックス」。

 まず、市原君の「ボックス」。原作の小説よりは映画の尺にコンパクトになり過ぎているので、登場人物の心情が十分に描けていなかったのが残念。そして、クライマックスのあの長回しは圧巻でしたが、それでも、右を左に変えただけで・・・というちょっと残念な結果だった。小説のあのギリギリ感だけはなんとかして映画に挿入して欲しかった。あのジムの風景を映像にして欲しかったという気持ちが残りました。それ以外は青春映画のテイが充分に展開されていたので楽しめました。ちょっと小説の「苦さ」が大阪の風景の中で独特の世界観として描かれているのでは・・・?という期待感があったのでその部分だけが残念な感じでした。しかしながら、映画「ボックス」は市原隼人の映画ですから、市原君が画面いっぱい元気に飛び跳ねる・カッコ悪く泣く・無邪気な笑顔を振りまく・・・ともう市原隼人なしではこの映画は成立しなかっただろうというほどの充実度でした。ただ、例のタレントボクサーが画面を数秒だけ汚したことがなんとも遺憾でした。これは何をさて置いても監督として削除するカットだったでしょうね。一気に覚める瞬間でした。映画の色の部分だったのかもしれないですが、あのカットは絶対に映画「ボックス」には必要なかった。というよりも入れたことで映画「ボックス」のクオリティーを下げた結果になっている。本人もボクシングを愛しているなら自嘲すべきでしたね。全くの汚点でした。残念。

 で、映画「ソルト」について。何も気になるところがない。などと素人がどうのこうのと言うスキなどどこにも0.1秒も無かったですね。別に荒を探す観方を常にしているわけではなく、とにかく映画と早くシンクロして楽しみたいと考えているのですが、一つでも気になる場面や音楽や物語の流れや役者の台詞・表情・アクションなどなどがそのシンクロ感を0に戻すことが多い。そんな映画選びもレッドカードは絶対に見ないし原作も読まない。しかし、これはいいなぁ~というのは徹底的に事前の情報を入れる。で、映画開始ドン!で、映画が終り、「もう、何も言うことはない。」となる映画は本当に少ない。が、これがまさにそれでした。特筆するとすれば物語のテンポがいい。よくこのたかが100分程度の中にこれだけの情報を適正にリズムよく描けるもだなぁ~と。ほんとに優れた映画作品は心の底から見終わったあとに震えますね。で、やはり、予定どおりにDVDは買いのようです。

岡村さん完全復活おめでとう!

 別にめちゃイケの番組に乗っかってるわけではないが、やはり、岡村隆史という人間は今のテレビメディアに必要不可欠だと思った瞬間でしたね。元気に完全復活おめでとう!と必然的にこうなる。

いい感じ。

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 いつものことながら、素敵なヘッダーでございます。

日本語「語感の辞典」中村明著

 「楽しく読んで日本語力UP!」語感とは「語感が強い詩人」というように「言葉に対する感覚」の意味もありますが、本辞典では、言葉の微妙な意味合い・イメージ・雰囲気など「言葉のもつ感じ」を対象としています。「この語感の違い(=ニュアンス)が言葉の使い方を左右します。」とのこと。中村明さんという著者の方もするどい視点でするどい書籍を開発されたものです。言葉の表現を使い分けるためにニュアンスを表現し分けるためのバイブルになりそう・・・ととても気になっている書籍ですね。

 そもそも英語と日本語はニュアンスの部分でかなり異なる。それは文化や慣習が違うからということで納得しているが、その部分を細かく分解して体系化するのは至難の技だろうなぁ~と思っていた。音楽や絵画表現は言わばこのニュアンスの集大成であるから、それを言葉にする、例えばある音楽作品や絵画作品について批評したり感想を述べたり考察をひも解いたりする場合に必要になってくるのは言葉の表現であり。ボキャブラリーが豊富で組み立て方のスキルが高ければそのニュアンスが正確に伝わるのか・・・となれば、決してそうではないように感じていた。評論家というプロのコメントを読んでみてもあさっての方向に走り出している場合、いわばトンチンカンなことになる。これは正しく評論されていないということではく、語感のチャンネルが異なるからだと思う。すると語感のチャンネルというかスイッチングが異なるだけで同じことを言おうとしていてもベクトルがずれる、摩擦が生じる、誤解を招くなどいろいろな現象が起こってしまうことを回避するためにこのようなテイの辞典が創造されたのだろうか?いや、そうではないだろう。もっと、深い部分で「日本語」の文法の歴史や現代の価値観がベースに時代性がある部分と、感覚として五感からインプットされたSOMETHINGが一旦、脳にSAVEされ、それが、アウトプットされる時に何かがそれを誇張し歪曲させ、時に沈静化させ、時に高揚を促すというこが日々到るところで起こっているために、その蓄積として遍在するスタイルが言わば日本語。そこへデジタルテキストという厄介なアウトプット手法が発生したものだから、それをインプットする時にこのようなニュアンス系の体系化されたテキストが必要だったということだろう。そいういう意味でこの辞典はぜひ手元に置いて置きたい気もするが、ただ、この著者である中村明という方の主観も大きな変数であるから、この部分についてもただ鵜呑みにはできないだろう。

 そもそも、絵画的な表現と文字表現の違いについてはそれこそ義務教育の早い段階で修錬を始める。そして、多くのチュートリアルを経て人はこの「語感」をコミュニケーションの礎に置く。いや、置いていあるはずである。しかし、教育のレベルや知識・知恵レベルの高低やその細かいディテールの差異が引いてはその方のボキャブラリーを構成しているわだから、やはり、そこは心技体、中と外は一体であるからいい部分と良くない部分があるだろう。「口は災いの元」ではないが、言葉が捩じれたまま伝達されると決して本体に同じニュアンスで返ってくることはなく、野球のボールを投げたつもりがフリスビーが返ってくると「なんでやんねん!」となり、一生懸命相手が「愛」を投げてくれているのに、キャッチする能力の関係でそれが「哀」に変わる場合もある。言葉は本当に難しい。

 音楽についてもアーティストの方が頭や心で描いた歌詞の世界が必ずしも100%聞き手に届くとは限らない。明らかに「遊び過ぎ」のミュージックビジネスには辟易するが、それでも、そこにニーズがあるなら、ビジネスとして成立してしまう悲劇は誰にも止められない。仮にそれを何かのチカラで止めたとしても、耳から入って心に蓄積される感情やニュアンスはもう修正が不可能である。ただ、こんな悲劇ばかりが実際現実的に起こっているわけではなく、その逆もある。ピュアであろうが難解であろうが、何かを伝えようとするときそれが言葉やニュアンスを介してしっかり受け止められる場合も多く、その違いは勿論、発信者と受信者の相対性の中で起こる化学反応なのですが、このシナプスの結合であるまさに化学反応をどうアウトプットに変換するかがやはり本丸なのである。そのデバイスが言わば人間本体であり、脳が秒単位で行っているお仕事のディテール。さて、この部分をどこまで覚醒できるかが、言わば言わば「生きるためのモノサシの縮図」とも言えなくない。地位や名声や家柄や資産で人を判断するなとDef techは言うがそこにも必ず、「語感の妙」が存在する。それありきではないとそういう方は言うかもしれないがそれも含めてIN & OUTであるから仕方ない。

 とは言え、絵画やデザインの世界では「赤は赤」であり、「苦しいは苦しい」であり、「うるさいはうるさい」である。基準さえあればこのような誤解や捩れに困る悩む苦しむことはないと言うが、人は非常に厄介であり、「誤解」も「捩れ」も「歪曲」も時に楽しいと感じる思考回路を持っている。さて、たぶん、恐らく私も持っているだろうこの強力な「変換機」はこの辞典をどう捉えるのだろう?

夕陽もキレイキレイ。

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 ということで静かな表情の琵琶湖と夕日の構図です。なかなかキレイでした。

ほんとにいい雲が出てましたね。

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 雰囲気のあるバス停の待ちスペースと雲。いい天気でした。

で、現場到着。

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 まだこの時は午前9時30分頃。ということで長い影が伸びていました。

森林の間から。

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 今日はほんとに空が青く、雲が絵に描いたように適度なボリュームで散らばっていました。思わずパチリ。

ここはどこでしょう?

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 こんな道を通るとは・・・。京都の朝の山奥はちょっと怖いぞ。熊にヒヤヒヤでした。

インターネット活用術とは。

 本日、インターネット活用術ということで少しお時間をいただきお話をする場を与えていただけた。これは、気合が入ります。頂いた時間が30分ということなのですが、それでも、この時間の中に何か私の経験から申し上げることは何だろうと頭をこの2ヶ月ほど絞りまくってきました。その詳細についてはまたこのブログにライトダウンしていきたいと考えております。今は頭の中を整理するのに集中したいと考えております。

北からの砲撃。

 やってしまった感じかな。ついにトリガーが引かれたのかな?詳しくは分からないしただ砲撃を受けた街の映像を見る限り、「ついに」という感想を抱いている方が多いのではないでしょうか。つまり、この事件は起こるべくして起こったのだろうし、国際情勢でまだまだ、そこから均衡を調和を得られていないということ。複雑な問題がありそれぞれの国家間の問題がまさに火種なのかもしれないが、結果、一般の民間の人が傷ついている。命令をする人やスイッチを押す人はそれが届かない場所にいて、協議の末だから、組織の結論だか知らないが、「やむを得ず傷つける必要がある。」と決断をしていることが嘆かわしいし、まして、そこが日本だったなら、こんなに吞気にブログなど書いている場合ではない。孤立したいのか、協調したいのか、主張したいのか、提案したいのか。それらの真理を知る術はないが、ただただ、不安な気持ちが煽られる。

本は、これから。

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 「本は、これから」という書籍。本日書店で平積みになっていたのを発見して、思わず、今、頭の中にあるいろいろなこととシンクロしてしまったのでビビっと衝動的にレジへ。まぁ、こんな買い方をした時って恐らくアタリ。本に関わる37人の熱い愛情が感じられるのかな・・・と思い、買ってしまいました。

 書籍について否定的な部分も肯定的な部分も入り乱れながら時代のスパイラルは回転し続けるように思うので、あえて、電子ブックとの相対性を見切る視点も必要だと考えている。これもたまたまなのですが、昨晩、いっぱいさせていただいた東京在住の写真家の方とも、「書籍」についての熱い議論をさせていただけたことも、この書籍に手が伸びた理由になるかもしれませんね。いったい、「書籍」とは何なのでしょう?そして、インターネットとは、デジタルコンテンツとは、いろいろな疑問が常に頭にある感覚。答はたぶんないだろうから、このままこのまま何事も進行形でいかねば・・・という感じですね。

 つまり、何事も「これから」なのである。

街で発見、フクロウ君。

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 これはたぶん鉄製の灯り用「ふくろう君」でしょう。中にろうそくやお香を入れるのでしょう。店先であまりにもかわいい顔してたんで買ってしまいました。鉄の感じがなんか落ち着きます。

裏のいちょうの木。

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 今年も黄色に染まっていますね。冬への合図のようです。

チョップ君、なんですか?

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 もう冬だというのに毛が抜けてしまっていますね。どうしたいのですか?あなたは。

油絵をまったりと・・・。

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 まぁ、特に期限は決めず~といういつもの感じで油絵をひさびさに開始しました。今回はある女性アーティストさんを描くつもりです。気負うと途中で息が切れるので、油絵に関してはまったりとマイペースに始める感じがベスト。描いたり消したり描いたり消したりしながら、ここだ!っていうところで筆を置ければまぁそれが完成という感じです。油絵についてはこの感じで描けるのが油絵の手法として好きな特長。仕上げました的な絵はどこかめんどくさいので、時間を作って集中したりしばらく鑑賞したりしながら、イメージをひと筆ひと筆置いていければ・・・と考えております。特に個展をするわけでも公募に応募するわけでもなく、今回の目的はそのアーティストの方にプレゼントするのが目的ですので、その方から頂いた熱量というかテンションを御返しする意味も込めています。展示会場で多くの人に見せる絵ではないので、自分の世界で自分のスピードで描くのがとても大切なポイントですね。まぁ、完成して送る時にその気になれたら、このブログでも完成作品を紹介したいと思いますが、それも未定。ブログのネタで描くわけじゃないのでテンションがぶれないように自分自身の気持ちを大切にして描きたいと思っております。使いなれたパレットに下描き用に絵の具が2色だけ入った状態です。

2011カレンダー原画完成!

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 なかなかじっくり描くことができずに~だったのですが、時間を作りカリカリ描きました。私の担当は2・4・6・8・10・12月の6枚、お相手は???。ということで、無事完成しました。月曜日から印刷となりますので、先行して予約を頂いている方から優先に完成しだいにケースにセットして発送させていただきます。300~400ぐらいを用意しているので、ご希望の方はお気軽にご連絡ください。お名前とご住所と電話番号をご連絡ください。

 まぁ、今回は温めていた企画を発動しました。カレンダーのタイトルは「ガラパゴス」。このテーマについては、また、このブログや新しく企画しているプロジェクト用のWEBサイトで詳しく記載していきます。で、今回のコラボの相手は「キノさん」。彼のこともどこかで詳しく展開していきますが、二人でいろいろやっていこうということで、東京と滋賀でモソモソしております。何がこのミニマムな状態でできるのかということがメインテーマなのですが、モノゴトの起こりはすべて人であるはず。しかし、一人では何かにつけていろいろな障壁がある。とは言え3人以上ではモノゴトの本質がぶれるという人間の本質から、何かを起こすなら最小単位は「二人」からであるという指針を元に起動したプロジェクトなのです。詳しくはカレンダーにも記載しています。そんな意味で2011年が元年になればいいなぁ~と思うのです。

映画「宇宙戦艦ヤマト」について。

 しかし、ついに・・・である。しかも、キムタクと来た。日本映画ではありえないスケールのCGを駆使するらしい。アニメの物語はもう頭の中に焼きついている。さて、それがどうなるのか?あのあの「宇宙戦艦ヤマト」であるから、絶対にはずしてほしくない。海猿やSPのようなテイではかなり残念だから、絶対に絶対にあのレイジマツモトの世界観で突き進んでほしい。絶対にキムタクの映画にはなってほしくない。あくまでもあくまでも「宇宙戦艦ヤマト」としての映画の仕上がりを心から期待するばかり。ただただ・・・。

 ということは、あと10年20年後に「ワンピース」や「ナルト」が実写の映画になるんだろうか・・・、ぞっと寒気がする。

怒らないこと・・・か。

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 著書「くじけないこと」の同著者の「怒らないこと」「怒らないこと2」という書籍があります。それぞれに二人の精神科医さがコメントを広告に寄せているのですが、ひとりは「「自我はない」この言葉にドキリとした。そして、人として、精神科医として考える旅がはじまった。」と言い、もうひとりは「1ページ1ページに目を開かされた。言葉のもつ力、論理性の高さ、驚くべき著作。」とある。まぁ、ものは言い様ではあるが、ドキリも論理性の高さも確固たるモノサシなど存在しなから、このお二人のさじ加減ひとつ。精神科医さんという肩書きはさて置き、お二人が何者かも知らない状況で活字だけを読んで特にテンションはあがりませんが、「くじけないこと」という書籍が気になっていただけに、次は「怒らない」か・・・と。なる。この現代においてくじけずに怒らずにいることはイコール何者なのか?というQUESTIONである。

 という意味でなんとなくこの著者「アルホムッレ・スマナサーラさん」はチェックかもしれない。

「トーク力」というスキル。

 お笑いバブルは何やらはじけたらしい。そして、格差社会がここでも生じているらしい。まぁ、ほんまかうそかは別として、確かにそんなテイは感じる。勝ち組・負け組の例えしかり、テレビの番組に残るお笑いタレントをはじめとする芸能人にはその起用方法に一定の方程式があるようです。

 つまり、トークができるかできないか。その番組の流れやテーマに沿って、求められているトークが展開できるか否かという能力。自分の知識や自慢話だけでは空気が読めないってことになり、蘊蓄ばかりでは流れやリズムが切れる。だから、「トーク力」ということのようです。自分のネタをしっかりと持ち、現在流れているリズムにそってそれらを組み合わせる能力。しかも、テーマがぶれずに起承転結を考慮してしっかり求められた尺の中でオチを用意する。これがこの場合の「トーク力」なんだと思います。

 で、「トーク力」がない人のパターンとしては、同じお話をしていても、どこか何か足りない。凄い内容をしゃべっているのに何故か盛り上がらない。このお話はほんとに奇想天外なのにその奇想天外感がニュアンスとして伝わってこない。「あれ?こいつ何言ってんの?」となる不思議。これは、一概には言えないかもしれませんが、ひとつに「表現方法」と「全体の構成力」に深い関係があるように思えます。

 つまり、しっかり構成を考えて表現力豊かにトークできる人はイコール、人のお話を同様に聴けている人であることが最低限のスキルで、空気を読む~というあたりもこの能力に近いような気がする。その上でこれらのパーツに装飾をして組み立ててリズムとセンスでオチに持っていく。まさにヒトシマツモトのスベラナイハナシのテイである。

 これは何もお笑い界だけのお話ではなく、お笑の場合それが極端に集約されているからテレビとして成立するわけで、一般のビジネスの現場やライフスタイルの場面でも「トーク力」のある人とそうでない人がいることも事実である。これも一概には言えないが、最後の最後でポテンシャルなんだと思いますし、相対力なんだと思います。蓄積しているディテールの重なりが細かく厚い人ってやはり魅力的です。そんな人になりたいものです。

「はやぶさ」スゲェ~!

 ほんとにくだらない政治家のニュースやグルメのペットや芸能人の話題が氾濫する中で、それこそ、名実共に「はやぶさ」のニュースは輝いている。偉業どころの騒ぎではないことが記者会見をしている教授や博士の皆様の表情からも発散されているではないですか。これでこそニュースです。もう、仰天映像番組はもうイナフなのでしばらく「はやぶさ」に関わってきた人達のドラマを取材して見せていただけないものでしょうか。ほんとにスゴイと思いますね。ニュートンの編集局のサイエンスライターの女性も言っていたが「言葉にならない感動」はほんとに言葉になっていなかった。あれだけの頭脳明晰な方でさえその興奮度で言葉を失わせてしまうほどの発見だったようです。

 うん、まぁ~、その度合となると想像もつかないぐらいでしょうが、未知の発見が今後の宇宙開発や様々な理論を構築する上での確固たる礎になることは間違いなく。その未来を描くだけで関係者の皆様の感動の度合が読み取れるというものですね。

 政治家の皆様、これがガチなリアルです。狭い視野の中で翻弄されずに私利私欲に走らず、このような研究・活動しておられる知へもっと予算を配分する知をもってください。日本が世界に誇れる出来事。これは、未来永劫に語られる出来事なのだろうと思いますね。ロマンがあるわぁ~、あり過ぎるわぁ~。

入れるパット。

 ゴルフはカップにボールを入れる競技。長い距離で400~500メートルの距離を少ない打数の時は4打で入れることもあるぐらいのゴルフと言えば大きく飛ばした方が有利だと考える人も多い。私自身、ただのひがみなのですが、あまりドライバーでの飛距離はしょぼいため、いつも、ドライバーが飛ぶ方とプレイをすると「そんなのどんだけ飛ばしても最後にはカップに入れる打数がゴルフの勝負だから、正確性と距離感覚さえあれば・・・」などとうそぶくタイプ。実は飛ばしたいのですが、野球と違って強くシャープにスイングすればボールが遠くに飛んでくれるという競技ではないために、ドライバーを安定してコースで打てるようになるまで途方もないぐらいの時間とコストをかけてしまった。で、結局、ドライバーの飛距離的にはアベレージゴルファーの平均飛距離よりも10~20ヤード少ない飛距離に落ち着いています。そりゃそりゃ5万も6万もする最新のドライバーを購入すれば距離は買えるとも言われていますが、そこまでゴルフにコストをかけるつもりはないので、アベの飛距離の9掛けぐらいで納得しています。それを基本にプレイを組み立てています。

 次はアイアンショットとグリーン周りのアプローチが言わば、飛距離の出ない私のゴルフの本丸。ここが楽しいからゴルフをやっているようなモノで、例え第1打で40~50ヤードおいていかれても、第2打では同じ距離、もしくは、その内側に落とせる自信が私のゴルフライフを支えているようなもの。とは言え、そんなにハイクラスの自信というわけでもなく、あくまでも「エンジョイゴルフの域」ですが。

 で、グリーンにのってからがパットの出番なのです。が、ここが実はスコアメイクする場合にでも、その日のプレイが楽しいか楽しくないかを大きく左右することに最近気がついた。まぁ、それほど、そこまでいくためのクラブが安定しなかったということであり、そこまで思えるようになるにこれまた途方もない試行錯誤があったということ。「ドライバーイズショー、パットイズマネー。」だったかそんなニュアンスの言葉があるのですが、これは、ドライバーショットとはパフォーマンスであり、パッティングはプロの試合なら賞金をかけた一打一打にプロの人生をかけているというニュアンス。まぁ、それほどパッティングは奥が深いというお話。

 あとワンピンの距離でグリーンにボールがある場合、もちろん入れること前提でアドレスし素振りをするのですが、気持ちが置きに行くモードの場合、カップには届かずあと数センチでボールが止まる。これを「よし、カップに近づいた、あとワンパットでホールイン」と捉えるか、「なぜ、もっと強めのタッチで打たなかった!ライン上だったのに!」と憤慨するかでひとホールひとホールのリズムが発生します。ショートを繰り返すな!とよく言われていますが、これが、自分にうそをついてショートでもいいからスコアを作るために確実に確実にと思い始めると、次から次へとショートを繰り返す。そろそろこの距離ならワンパットで入れろや!と自分に喝を入れてもこのリズムの時はショートを繰り返す。これが、続くとマイナスのストレスがたまり他のクラブのショットにも影響がでる。200ヤードも数センチも一打のゴルフで、なぜ、この距離を入れにいかないのか?ともやもやが肥大する。しかし、攻撃的なというか攻めている時はカップをオーバーすることが多く。たまにロングパットがカコーンと入る。これは技術的なことではなく、120%メンタルの部分が左右している。オーバーするにも、プロラインとアマチュアラインがあるから、アマに入るとこれまたストレスになる。が、このオーバーの時も「攻めた」と感じるか、「入らず遠ざかった」と捉えるかで気持ちのリズムが狂ってくる場合がある。ほんとに人間は気持ちで生きていると思う瞬間である。だから、気持ちのいいリズムのいいラウンドをしたいなら、常にどこからでも「入れるパット」を打てと自分自身に言い聞かせている。

 仕事も同じ、どこにカップがあるのか見えてるなら、そこに入れる気持ちがあるなら、ワンパットで入れろって気持ちでリズムのいい仕事をしていきたいものです。これは、同伴者に勝ったとか負けたレベルの一喜一憂ではない、戦う最大の敵である自分自身との勝負なのである。う~ん、ゴルフは深い、そして、楽しい。

いよいよ老眼鏡。

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 いよいよメガネ時代に入りました。もう、近くの画面も近くの書類も近くの書籍も見えねぇ見えねぇ。こんなことで我慢するよりもやっぱ老眼鏡が必要!と昨日買いました。一通りの視力検査をしてもらったのですが、通常の距離なら問題なく1.5以上あるのに、近くになるとボケる。お店の方に言われたのですが、これは46歳ともなると仕方ない「老化」の部分。早い人は30歳代からやってくる症状だから仕方ないですね、とのこと。お客様の心理状況を把握した素敵な心温かい対応である。まぁ、おっしゃっておられることに1ミリも間違いはないだろうから、私も心から納得してこの1本をチョイスしました。度合的にはいくつか老眼のレベルがあるそうですが、一番軽いレンズです。

 で、早速こちらで書籍を読んだのですが、まぁ、クリアがMAXです。若い頃、書籍を読んでいたスピードで文字を追っていける感じ。しかも、クリアに文字が入ってくるので比例して頭の中にもクリアに入ってくる感覚。う~ん、視力って情報の入口としては非常に重要な部位なのですね。あまりにも書籍の文字がクリアなので文字の色が黒い。細かいルビなどもクリアだから、もう、2行同時に読める感覚。思い切って老眼鏡を購入して結果良かった良かったということ。

 我慢して意地を張って無理をせず、46歳なりの手法を素直にチョイスして結果all rightということ。これで、頭の中も活性化してくださるといいのですが。

さおりさんの珠玉のひととき。

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 ライブ終わりの穏やかないいくぼさおりさん。しかし、珠玉の90分でした。お疲れ様でした。春のライブからあと1年後かな・・・と思いきや、この秋にまたライブの機会があるとは。サプライズでした。

いいくぼさおりさんNEW DVD!

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 昨晩は長浜市内のライブハウス「川崎や」さんにていいくぼさおりさん単独ライブに行ってきました。まさに珠玉の90分。こんな贅沢な時間が長浜にあるんですね。やはり、時間の質量を上げるのは人次第だ・・・ということ。で、新しいDVDの情報を頂きました。まだ完成していなようなので、完成を待ち、オンラインで購入予定です。楽しみ楽しみ。いやいやいやいや、新曲、良かったですね。H氏もお元気そうで少しだけお話できて良かったです。また、次回はガチの川崎あたりで一杯よろしくお願いします。

くじけないこと。

 「くじけないこと(アルボムッレ・スマナサーラ:角川SSC新書:819円)」。精神的にちょっとしたことで「くじける人」が増えています。現代社会を生き抜く知恵をブッダの教えをもとに伝えています。という広告文で紹介されている書籍ですが、う~ん、誰でも毎日へこみながら生きています的なテイで、何をどうブッダの教えてと連動させているのか?たぶん、スリランカの人だろうから、視点や根本が違うだろう。その部分だけでもこの書籍は819円の価値があるだろう。しかし、スリランカの仏教のリアルをどう噛み砕き日本のへこむタイプの人に教えとして伝えているのだろう?という側面も気になる。そもそもへこむといはその社会ありきだから、ありきということは多かれ少なかれ何かの指針があるはず。それをベースにへこんでいるとしたら根本のお話と根本のお話の間に摩擦は発生しないのだろうか。軸足をどちらにということで選択肢を提示されたとして、結局、居心地のいい場所を選ぶことが最大限へこみを回避すると慣習に刷り込まれている人だとしたら、この紐解きは拒絶されるかもしれない。それでも、こう考えればくじけませんよと言ってくれる言葉の質量があるならそれもひとつの価値であり意義だろう。

 別にくじけてもいいじゃん!みたいなひらきなおりも時にはくじけるを回避する結果になるだろうし、くじけるを正面で受け止めて傷が増えるより、いなせるならいなしたいですし・・・。

「ストロベリーナイト」の成功要因。

 まず、原作者が誰か知らないテレビドラマであったこと、そして、新聞の予告でもあまり知識がなかったことがこのテレビドラマがフィットした要因であった。まだ、詳しくリサーチしていないので、このブログを書いてから調べようと思っていますが、まずは、何故ああまでしっくりきたのかを分析してみたい。

 昨今、マンガ原作のテレビや映画が多いのはいいのですが(そんなことどこの国でも同じだから)、ただただ、テレビにするという条件化で何がぶれてくるかと言えば、まず、物語の尺である。マンガが小説の世界では時間の感覚が自由であることを2時間のドラマや13本の連続ドラマプログラムに変換しなければいけないという条件がある。これは、脚本家の方の手腕とPの手腕が露呈するのだろうが、いくらマンガが面白くてもそれはマンガの尺で抑える部分、引っ張る部分、盛る部分、はじける部分をコントロールしているからであり、それを単調な2時間の尺に同じ画面の中で限られたコストの中でとなると、そりゃ現場の人達は大変だろうから、こうも、最近のテレビドラマが面白くないのであろう。どんなテーマでどんなカテゴで役者は誰かは10分ほどで読めるから、ここ最近、10分以上観たテレビドラマが全くなかったのもそれが理由。そして、やはり、どんな役者さんが登場しているかも大きな要因になる。このキャラをこの俳優さん?この条件でこの女優さん?ということにならない限り脚色は成功するはずであるが、まぁ、これも残念なことが多い。特に俳優さんや女優さんの人気だけで始点から終点までひっぱろうとする意図が一瞬でも観えた時、もう、その段階で気持ちがOFFになる。そんなことがここ最近はずっと続いていた。誰が出ようが何が原作であろうが、10分を超えたテレビドラマはあまり記憶になかった。かの大河ドラマでさえ、真木よう子さんのシーンしか記憶にない。大沢さんと綾瀬さんのドラマは珍しく初回から最終回まで1分も見逃していない。

 で、昨晩の「ストロベリーナイト」。テイはまぁ、「ブラックサイト」でありさほど新しい感じもなったのですが、上記の理由で視点から終点まで実に秀逸に物語、配役、ドラマ性、テンポ、社会性、美術などがマッチしていた。何より、俳優に全く無駄がなかった。適材適所と言えば僭越ですが、このポジションにはこの俳優さん・女優さんということで全く非の打ちどころが0だった。主演の竹内さんもGREAT。脇の俳優さんもGREAT、意外と高島さんも良かったし、旬な皆様も全くマッチしていいた。物語の中のリアリティーという部分で非常にホットな構成でした。圧巻はやはり、谷村さんと林遣都くんである。ここまで設定と物語を全て最後の最後で受ける人物像は誰か?それがとても興味があり物語の1分1分に緊張感があった。もしかして、これだけの俳優・女優を集めたドラマなんだから、そりゃ最後の結末の部分で登場する犯人は凄まじいはず、もしや、もうその人物は登場していた?などと最後の最後までその瞬間を楽しみに鑑賞できた。で、谷村さんと林遣都くん。ここまで重厚で旬で演技派の俳優が物語を引っ張ってきたこをと受けるこの二人の重圧は相当だっただろう。しかし、さすがにこの二人の演技はGREATだった。それが最後の最後までこの物語の質量を上げ続けた。谷村さんはすでに演技派として地位を確立しているが、林遣都くんの今後の展開をこのドラマを始点に楽しみが増えた感覚である。

 いやぁ~良かったですね。ちょっと、ぞぞっとしましたものね。テレビドラマでこんな「ぞぞっと感」は何以来だろうか?と考えてももう記憶にないほど遠い昔のような気がします。ってぐらい林遣都くんは良かったですね。二の線の若手のイケメンでは絶対に無理だったでしょうね。ほんとに林遣都くんは演技派なのかもしれないですね。線が細いことをしっかり自分の演技の中に取り込み、その器の中でこの物語における自分自身のポジションを理解してカメラの前に立っておられるよな・・・、う~ん、良かった。

 勿論、竹内さんはその実力どおり、ガチで物語の全てを支えておられました。この支え方ができる女優さんと言えばの部分ですが、深津さん・柴咲さんぐらいだろうから、このストロベリーナイトに関しては竹内さんが大正解だったと思います。ほんとにひさびさにしっかり最後まで楽しめたテレビドラマでした。

 勿論勿論、桐谷君も速水先生も良かったっす!!!

見よう見真似が基本。

 何事も最初は0ベースであるはず。それを逆にマイナスからアプローチする人もいるがそこの部分はただのびしろを実感したいだけであり基本は0ベースでフラットであることがモノゴトを引き寄せる時の基本スタイルだと思います。だから、何かを会得したいと考える時、様々な手法があると思いますが、現代一番簡単のはインターネットを活用すること。あらゆる情報がこの中には一見あるように感じられる。一瞬で目的物を絞り込めるアドバンテージは圧倒的にWEBサイトだろう。で、次にはペーパーベースの知識を収集することでありそれを読み見て知識を会得する。これはWEBサイトと一見同意に捉えがちですが実はかなりいろいろな面でニュアンスやフィーリングが異なる。それは・・・の部分はまたこのブログで書き出したいと思っておりますが今回は割愛。

 で、最も効果的なアプローチはそれを会得している人を自分自身の近くに感じられるようにすることである。それ以上、何かを会得しようとする際の効果的なアプローチはない。逆に、全て自分自身の中で何かを創造してきたと豪語する人はうそ。そんなことは絶対にあり得ない。歴代の天才達も絶対にこのプロセスから何かを自分の中に撮り込み反復を繰り返し自分自身のスキルにしているはずである。ではこの能力は人間の能力、特にどの部分でとなるとやはりそれは脳になるだろう。五感からインプットされた情報を消化してスタイルに変えている部位はここしかない。ミラーニューロンについての書籍もいろいろ読んだが結局それは人間が人間自身のことを記述しているテイを超えないから実際はどうか?など書かれてはいなかったし、そんなこと例え書かれていたとしてもそれはただの仮説でしかない。では実証はと短絡的に考えがちな現代、実は実証などこの先何がどう進化してもありえないのである。実証とは天上天下唯我独尊なのであるから、絶対に自分の身体という殻から外には出ないもの。何やら禅問答のような文脈になってきたが、実際のリアルはこれが正しい。

 世の中には師弟関係というコミュニケーションが存在するが、教授するということは獲得する人がいて成立する。また、人間の脳は「私が今、彼に教えている。」の部分の名詞の部分を意識できないらしい。つまり、「他人に教えている」「他人に学んでいる」はすべて、感覚の上で、主語がない。これが全ての基本であることを理解していれば、例えそれがミラーニューロンの仕業であれ何であれ、「真似る」ことが「学ぶ」なのである。つまり、何かを得たい時に一番確実でディテールの質が高いアプローチは人と接触することなのである。それが様々な条件で難しい時、書籍やメディアやインターネットの活用でいいのである。これが本末転倒にならなければ、いつか0は1になる。

バレボ大会皆様お疲れ様でした!

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 本日は地域のバレーボール大会、ほぼ、2年ぶりのバレーボールの感触。参加いただいた皆様、本当にお忙しいところご無理をお願いしてありがとうございました。結果はさて置き、無事、皆様けがもなく3試合を戦っていただきまして心から感謝いたします。なかなか寄せ集めのチームではありましたが、セッターの方と両アタッカーのおかげで試合のテイになるばかりか、ワンセットとることができました。これはちょっと感動でした。まぁ、日頃やっている方とやっていない方の違いを言えば結果「しょうがない」になるのですが、にも増して、ガチでコートに立つ以上勝ちたかったという気持ちが若干心の中に芽生えるぐらいのヒートアップに感動いたしました。

 皆様!本当にお疲れ様でした!!!今、太ももが悲鳴を上げています・・・。

 しかし、親睦なんだからそこは空気を読んでくださいよ、チームPさん達。という余韻も実のところあったりなかったり・・・。まぁ、それでも手加減していただけたのかな・・・?

映画「ザ・ウォーカー」。

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 この監督でこの二人でこのテーマだったら、例え物語がシンプルでもスタイリッシュな映像が楽しめるでしょう的な映画。もう、原作は読んでいるので、その物語にどこまで映像がマッチするか?いやいやそれ以上のテンポと二人の怪演が楽しめるか?あたりが見どころかなと思っております。楽しみ楽しみ。

連呼するニュアンス。

 あるテレビ番組で関東エリアの方のコメント。「関西人はすぐに言葉を連呼するとのこと。このニュアンスがどうも小馬鹿にされているような感じで腹が立つとのこと。」これはつまり謝っている際にも「ゴメンゴメン!」だとか、質問されて知らない場合、「知らん知らん!」だとか、単純に返事でも「はいはい。」となる感じがどうも鼻につくというコメントがありました。逆に自分自身が平気で「ゴメンゴメン」「知らん知らん」「はいはい」などは使っている方なので、別の視点で捉えると、ちょっと、いい気持ちではないというニュアンスがなんとなく理解できる。そうかそうか、日本語は難しい・・・ということ。

 確かに、そう言われると、心のどこかに「ゴメンゴメン」と言いながら、「いつまでもうるさいなぁ~」とか「謝ってるんやからもうええがなぁ~」みたいなニュアンスを込めているかもしれない。純粋に正直に謝っているなら、確かに「ゴメン」でいいのかもしれない。う~ん、関東と関西というわけではないが、日本語のコミュニケーションは難しい難しい。が、これも文化や慣習の違いだろうから、なくなるとなくなるでまた寂しい。ただ、小馬鹿にしているニュアンスがあるならそれは正さなければいけないから、注意が必要ですよね。

畜光石はのびしろあり!?

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 意外とのびしろを感じてしまう畜光石。どうやら天然鉱石を原材料に使っているようですが、何かしらの加工を施しているようなことが書いてありました。しかしながら、自然素材で2~3時間の光をあてておくだけでかなりの時間ほのかな光を放ち続けるらしく、エクステリアや公共の施設などにも機能面と設計デザイン面で今後エコ運動のひとつとして取り組まれていくだろう・・・みたいなことの記事がいろいろヒットしました。確かに、元は石なので無害で当然、エネルギーも光に感知しているだけだから電気も石油燃料も必要なし。クリーンであることが現代のもっとも大切なキーワードだから、この畜光石は今後いろいろなビジネスの場面で登場してくるのではないでしょうか。

蓄光石を探しています。

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 これが例の蓄光石。この他にもリサーチするといろいろな種類があるそうです。なんとも惹かれます。調べていると、電気を使用しないエコなアイテムとして夜間のサインなどに最適であるなどという効果があるらしい。まぁ、そのあたりは別に置いておいて「光を蓄積する石」ってどういう物質なのだろう?とてもとても興味があります。ぜひ、手頃な価格で譲っていただけるサイトを探しているのでよろしくお願いします。はやく手に入れたいアイテム現在ナンバー1ですね。優しい光なんだろうなぁ~。

 結局、太陽光発電やダイオードや液晶などの技術進化のコアにはいつも「鉱石」が存在するわけで、石油が枯渇するってことで改めて石の力が人類を救済するとかしないとか・・・。またまた、これで名実共に公私共に「ストーンコレクター」としての追い風を受け、カミサンの忠告を無視してコレクション作業に猪突猛進できるという感じですね。さて、お幾らぐらいなんだろうか・・・?

さおりさんが長浜にやってくる!

 この週末14日、長浜市内のライブハウス「川崎や」さんにいいくぼさおり姫がやってくる!楽しみ楽しみ。早速予約いたしました。

川崎やさんの公式WEBサイトです。

流出問題。

 もし流出したことが問題であれば原因は人にあるが、問題点の鉱脈は深い。まぁ、天上天下唯我独尊だから仕方ないんじゃないだろうか。またまた、テレビ用の原因が捏造されて過去の出来事になるだけ。人間の風化させる能力は凄まじいですからね。熱いうちに打っている鉄が言わば鉄なのかもしれないですね。あとは錆を待つだけみたいな。そう言えば日本の錆がこのことをコメントしていたが、もう、今にも崩れそうなテイ。鉱脈に触れなければ酸化しなかったのに・・・みたいな。

マンガの読み過ぎ、映画の観過ぎ!?

 とりとめもない非現実的なことを言うとよくこう言われる。「それはスギノさんマンガの読み過ぎでしょう!」「そんなこと現実的にありえないありえない、それは映画の観過ぎでしょう!」と。ふと考えたのは、読み過ぎて悪いこと、観過ぎて悪いことなどあるのだろうか?例えば、回りくどく物事を難しくにしか表現できない言葉にできない人が勉強のし過ぎだったとして、その方に対して、意味が理解できない時にその方に「貴方は勉強のし過ぎですから、もっと、一般的な言葉を文脈をチョイスしてくださいよぉ~!」と言ったとする。すると、この場合、「勉強のし過ぎ」は悪いことなのか?伝わらなかった原因は勉強をし過ぎた人にあるのか、それとも、一般的な表現を求めた比較的勉強をしなかった人に問題があるのか。コミュニケーションとは相対性の問題だなぁ~と思います。明らかなに勉強をしてこなかった方でもちゃんとタレントとしてテレビに出て仕事らしきことをできる環境の基本ラインがあり、「おバカ」と呼ばれても逞しく生きている様を見ると、なぁ~んだ、この世の中勉強しなくても、公私ともに「おバカ」でも一人前!?となってしまう社会の多面性。この場合、一番幸福を攫むのは誰?絶対的に幸福のモノサシはあるだのだろうが、それは、心臓ひとつ脳ひとつの身体の中で完結してればいいじゃん、みたいなことではないだろうか。黄色いハンカチを振り回しても幸福にはなれない。虫が黄色に寄ってくるだけ。

 で、マンガを読み過ぎと映画の観過ぎについて、では、何がどうあれば「過ぎ」なのか。細かいことを言えば、そこにも確固たるモノサシは存在しない。が、なんとなくが横行する社会生活だから、それが例え悪くも良くもないというファジーなニュアンスで「~過ぎでしょう?」って言っておけみたいなことで、深く追及しない空気がいわゆるKYな感じかなと。つまり、マンガの読み過ぎで映画の観過ぎですが、何か?と言いたい場面も、どこか空気が淀むので、「へへへへ・・・。」と切り返すのではなく、私はすでに「マンガの読み過ぎと映画の観過ぎ」という情報をTAKEしているのだから、あなたからも何かGIVEさせてくださいませんか?が建設的だと思います。えてして、オタク的なコトを棚に上げたい人って、カラだったりするから始末が悪い。もっと引き出しの中に何か入れておいてくださいよって感じ。

なかなか骨のある・・・。

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 うん、なかなか骨のあるアイディアです。

プライスレスだから楽しいのか?

 お金がないから人生を工夫をしてきたということなのだろうが、あまりたくさんのお金が必要な「楽しみ」を持っていないことに気がついた。つまり、お酒を飲まないことや旅行をしないことブランド商品に反応しないこと。そして、バイクや高級な車には心の目盛りが1ミリも動かない。よく芸能人がほざいている「自分へのご褒美」的な高級腕時計やアクセサリーなど頭にないししない。まぁ、お金のない人間のただの愚痴ではあるのですが、それにしてもそれにしても、自分自身の「楽しいこと」はお金がかかっていない。衣食住に興味がないから、雨風を凌げる、困るほどの空腹感がなければグルメなんてどうでもいい、まして、何とか牛がどうのなど例え選択肢を迫られてもそのベクトルをチョイスはしない。吉野家さんの「牛鍋丼」がパーフェクトである。それに、ウエアについても同じ。ラベルやロゴを買うことはしない、あくまでも機能性に相応しい売値だったらmade inは気にしない。

 ならば、何が楽しいのか?と聞かれると、「デザインやアートの仕事」「絵を描いたり何かを創ること」「運動をして健康管理をしっかりすること」「山や湖で自然に触れていること」となる。これが不思議と見栄や謙遜ではなく、本当にそう思っている人間だからあるいみタチが悪い。で、それは、社会に出てからそうなったのか?と振り返ってもそうでなはない。学生の頃から適度なライトなギャンブル以外はだいたい上記のことに限られてくる。まぁ、ここまで人格が形成されるにはいろいろなサインがあったのでしょうけれど、この状態のどこにストレスがない。もしかしたら、自問するとそう思いたいと思っているだけなのかとも禅問するが、どうもそうではなさげ。やはり、「楽しい」は自分の場合、かなり、相当、プライスレスなのである。だから、車やバイクなどにも興味はないし、時計やバックや靴にもこだわりはない。つまり、上手く表現できないが、「時間」や「金」や「立場や肩書き」などのモノサシに絶対に縛られたくないと思っているのかもしれないですね。と、ブログに書き出してみましたが、どうもこの「楽しみ」が本丸のようです。何よりのびしろが自分次第なのがいいですよね。

長浜バイオ大学の魅力発見発信プロジェクト。

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 「長浜バイオ大学魅力発見発信プロジェクト」ということで1回生の有志11名が教授の元、長浜バイオ大学の魅力発見発信プロジェクトと題して3チームに分かれそれぞれのポテンシャルでこのプロジェクトに取り組んでおられます。私の担当は「発信」の部分のサポート。広告で例えるなら企画会議をチームで行い何をどのような手法でどのように誰に伝えるかという部分の、「手法」と「どのように」の部分で昨日はその第一回目の中間発表で少しヒアリングをさせていただいた。

 大学を経て社会に出る~という部分でも、間違いなく私が大学生だった頃とは状況が悪化していると言われているから、この1回生の皆様の言葉ひとつひとつが明らかに自分のその頃とは違うテンションを感じ各チームの発表を仕事のように集中して聞き入る。ながら、さて、自分自身が大学(大阪芸大)1回生の時、はたして「社会との関係性」などいうベクトルが頭の中に存在しただろうか???という疑問もパラレルで走りはじめとてもドキドキするひとときでした。

 もとより、今回の11名の皆様は理系でバイオ大学というカテゴリーの皆さんですから、私が大阪芸大や東京の専門学校で得た知識やノウハウ、そして、東京・大阪のデザインや広告の現場で得た経験値のディテールをお伝えしてもたぶん理解・会得することはできない。だから、概念や全体的なフレームについて、また、皆さんが考えるテーマやコンセプトをいかにして成果物(CM映像やポスターなど)にするかということについてのヒントやアプローチの手法の部分と具体的に画面構成や絵コンテなどの映像のシナリオを作成する段階からそれぞれのチームにアドバイス的なことをお伝えできればと考えています。

 アウトラインをご説明した段階で、おひとりおひとりにこのプロジェクトに参加した理由・背景をお聞きしたのですが、皆さん素晴らしい!しっかりとした理由と自分自身をどう啓発して覚醒したいかを頭に持っておられる11通りの文脈がありました。これは別に改めて聞く必要もなかったのかもしれないですが、私自身、この11名の皆さんと最後のコンテンツ完成までコミュニケートするに置いて、それぞれの意識とモチベの確認ということでお聞きしたのであり、逆に皆様の言葉を私の中に一旦SAVEして消化して反芻してどんな化学変化が起こるか・・・という部分もしっかりとガチで踏んでおきたかったので、あえて皆様にその部分を言葉にしてもらいました。うん、学生らしい素晴らしい解答ばかりでした。

 まぁ、デザインやアートやメディアに関する専門的な知識やノウハウは道草になってしまうので、いろいろ興味があればなんでもお答えするつもりですが、今回の主旨はそこではないので、教授と11名の皆さんで素敵なコンテンツを作成したいと考えております。11名の皆さんは間違ってもデザイン業界や広告業界、もしくは、アートの世界へ羽ばたく人材ではいい意味でないので、できるだけ本丸から逸脱しないように、ベタにガチにイキに助言ができればと思っております。皆様、最後までよろしくお願いいたします!という感じ。

白鳥も晩飯!?

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 で、その手前には数羽の白鳥もカモたちと適度な距離を保ち浮いていました。と、いきなり2匹が水中に頭をつこんで逆立ち!?たぶん、水中か水底の藻かなにかを食べているのでしょう。晩飯ってことかなと・・・しかし、結構水中に潜っている潜っている。白鳥の意外な肺活量にびっくりしました。また、雪が降りだすと対岸の雪山や湖岸の雪景色とこの白鳥達がマッチして琵琶湖の冬らしい素敵な場面を見せてくれるっていうわけです。いったいこの人たちはどこからやってきたのでしょう?

今年もやってきました。

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 ふと琵琶湖を見るとたくさんの渡り鳥が琵琶湖の夕焼けの中にたたずんでいました。岸からは一定の距離を保ち無数のかも達が浮いていました。この季節の琵琶湖と言えば~みたいな景色であるのですが、毎年のことながら穏やかな気持ちにさせてくれる風景のひとつです。

面白い本、面白くない本。

 奥さんが、ふと、「この本は面白くなったわ・・・、最後まで読んだのに・・・。」と呟いていた。小説なら10ページほど読めばその作者・著者の雰囲気がこの冒頭に込められてるのだから、そのテイストというかフィーリングが判断できたはず。それを我慢して全部読むのもこれも忍耐力のお話。「そんな、途中で面白くなくなったら読むのをやめて別の本を読んだらええのに・・・」と言ったが、「我慢して読んだ。」のだと。う~ん、これが私にはできない。絶対にできない。気合を入れてリサーチして高い書籍を買うが読み始めるとどうも期待していたベクトルではなく、入口の部分がまどろこしい。で、目次をひも解き興味のありそうな部分をつまむがそれでもおかしい。あげくにあとがきを読むがどうもずれている。ああ・・・結果、ずれていたのか・・・と中断。別の書籍に移行する。が、しばらく数年を経て、ふと、気になっていて読み始めるとこれがまた以前の違和感がなく、すらすらと頭に響く。こんなことがあるから、頭からストップすることはしないつもりでも、つもりでも、明らかに判断ミスの小説や書籍は存在する。それらは、私にとって「面白くない本」なのである。が、それを別の方の読書感想をネットや直接読まれた方から聞いたり読んだりするとまた別の感想というか視点を持っておられ、確かに、そのアプローチなら面白くなるのかも・・・と思う。つまり、同じ書籍でも「面白い」と「面白くない」を感じるのはその人自身の問題なのかなとも思うわけです。

 だから、何万部と購入される書籍や世の中の電子書籍のムーブメントなどは波及・訴求されている大きな流れというのは最大公約数のお話なのかなと。つまり、書籍が主体的に「面白い」ではなく、相対的に「面白い」内容を書籍であれ電子書籍であれ、そのテイに整えればビジネス的にアリなのである。この方程式は本来の「面白い」との間にどれだけ深い谷があるのだろうかと思うのです。創刊しては消失していくマガジンも同じ。

 で、つまり、100人中、この本は面白くないと99人が判断しても、自分ひとりが「面白い」なら、その本は私にとって「面白い」であり、99人が「面白い」と判断しても、それはそれ、私自身の「面白い」の基準が異なればそれは面白くないとなる。だから、何か自分で書籍を作りたいなぁ~と考えた時に99人の「面白い」は絶対に書きだせないので、まずは自分にとっての「面白い」を書きだす必要があるのかなと思います。このあたり間違っていますでしょうか、キノさん?

ノルウェーの森か・・・。

 そうかそうか、これが映画になるのか。何故今なのだろう?いろいろな意味で期が熟したのだろうか。かなり以前に小説を読んだが、不思議な小説だった。そこから完全に村上春樹は読まなくなった。軽すぎたのか重すぎたのかシンプル過ぎたのか難解すぎたのか直接的だったのか間接的だったのか、もう、その時の記憶はないが、何故かこの小説から村上春樹の小説は読んでいない。それが映画になる。小説と映画は質量が違うだろうが、さて、どんな映画作品になっているのだろう、少し、楽しみである。

現代ってB.I.G.が必要!?

 どうも最先端の感じが世の中には浸透しているようで結果表面的なキレイゴトのように思える。オバマもどうやら失速ムードだし、当選したときはクラウドの展開の広告塔のようにハジケていたが、結果、表面的で失速みたいなことのようです。

 で、思うのは、今の世の中なんだかんだと言って「ベタ」で「イキ」で「ガチ」な人がカッコイイみたいな感覚があります。つまり、「ベタ」とはまぁ漫才用語かもしれませんが、ストレートに純粋にノーマルな展開こそが実は強い方法論であり、「イキ」とはオリジナリティー逞しい展開力をポテンシャルを持っている人、自分の足で立っている人みたいな意味での「イキ」。そして「ガチ」な人ってのは、ふわふわせずに一生懸命精一杯動いて動いてそれでもギリギリな状態なんだけど、ひとつひとつ目の前の案件を誠意を持って取り組む人みたいなイメージ。それで、いろいろ無理が来てキャパを超えながらも、誠意を忘れないでいる人みたいな部分。この「ベタ」「イキ」「ガチ」の三拍子が揃っていればたいていの問題などへでもないような。そんなことを考えてみました。だから、具体的に何をどうするの?となると、全く具体的なアプローチや方程式などいつものことながら、まとまってはいないのですが、なんか、「ベタ」で、「イキ」で、「ガチ」な人になりたいなぁ~と。

デザインとスタイリングの違い。

 混同されがちなこの二つの言葉。通常、「形や色」を表す言葉として同じような意味で使われている。また、「イメージ」と「デザイン」の微妙なニュアンスの違いもボタンをかけ間違えると根本的な大きな問題になる場合もある。これが意外とビジネス上のコミュニケーション中によく発生するので、言葉ひとつに慎重になる必要があります。と同じぐらいに「デザイン」と「スタイリング」の本来の意味は違う。一般的にデザインとはスタイリングと捉える人が多く、スタイリングという意味は形や色の部分の外観の仕様を吟味することを指します。しかし、デザインとは設計という意味があるように、決して表面的な形や色などを決めることではありません。この商品はどのようなターゲット層があり価格設定や機能面を考慮してどのように商品の「強み」を分かりやすく印象的に魅力的にどう伝えるかの部分がデザインが担う部分です。しかし、これは言葉にすればたったこれだけのことなのですが、どんなに小さいな商品企画でも、販売促進ツールでも複雑に絡み合う様々なベクトルを束ねる作業がとても大変であり、経験値の必要な作業なのです。しかし、フローチャートどおりに教科書どおりに事が進むことはまずありません。小さな躓きが根本的なプロジェクトの障害になることもあり、慎重以上に臆病になってしまい、ネガティブな思考に支配されると遅遅として進まなくなり、プロジェクトが沈滞します。時に感覚的になり臨機応変さをもって、意志決定をしなければならない場面もあり、このようなポイントポイントで「デザイン」のことを理解していることや、クライアント様にしっかりと物事のディテールを伝えているかの部分が充分にコニュニケーションをとっているか否かで成功像が大きく変貌します。つまり、物事に対して100用意しておかなければいけないとした場合、仮に99しか用意できていないことで100という目的に到達しない場合と、1しか用意していなのに覚醒させることで100を簡単にクリアすることもあるが「デザイン」という仕事のある意味での本質のような気がします。言葉は本当に大切です。合わせて時間の経過も重要な方眼紙なのです。

どうなるスマートフォン&タッチパッド。

 さてさて、この年末から2011年の年頭にかけて、いろいろなメーカーからのスマートフォンとタッチパッドの新商品や後継機が続々と市場に登場するらしい。どれも素敵そうでどれも多機能であり、さまざまな特徴をセールスポイントに戦略を練っているようなイメージです。さて、そもそも、iPhoneから始まったスマートフォンやiPadから始まったタッチパッドという製品・デバイスはどうなのだろう?と感じています。今さらながらなのですが、本当に便利なのか?新聞や専門誌で読むような「電子書籍」は本当に次の大きな市場に拡大し浸透するのだろうか???と。一方、mixiやfacebookなどのSNSやツイッターなどのサービスを始めとするWEBアプリ!?コンテンツ!?に対してはどうだろう?新しいメディアとしてテレビやラジオや新聞やマガジンのシェアを侵食していることは否めないが、さりとて、どこまで有効なのか?どこまでのびしろがあるのかとなると、その覚醒力は落ちてきているように感じてしまう。次から次へと早い展開で市場を席巻してきただけに、その失速スピードも早いような気がする。だから、次から次へと機能やキャパを増やして買換えを促すしくみに、一般のユーザーの人はガチて追随してくるのだろうか?これが、デザインやWEBの仕事用のPCやソフトウエアならビジネスとして必要不可欠だから、吟味して検討して協議して導入しているから、ある意味「仕方なし」と気持ちの置きどころがある。が、一般のビジネスマンや企業経営者の方が、いくら、「便利」と「多機能」を連呼されても、それに何%が反応するのだろう?市場としては、明らかに専門的な分野よりはのびしろはあるだろうが、それほど、「多機能」や「最新」を求めているのだろうか?と感じてしまう。

 ということで、この年末、メディアにはこの戦術が百花繚乱となるだろうが、どこがシェアを確保するのだろうかという部分の興味と、このムーブメントでどこまで市場が活性化するのだろうか?という見方ができるような気がします。つまり、「インターネットの活用術」というテイで、大きく大きく、これらのことを捉えた時に「一番旬なコト」と「一番堅実なコト」の間にどれだけ多くの方程式と錬金術が存在し、それをどうリサーチして会得して次の行動に繋げるか・・・。これが、今後の2010~2011にかけての戦略の基盤になるような気がします。結局、人のチカラというか叡智の大小がのびしろに連動しているような気がとてもするのですが。アナログとデジタルは今後も常に思考の中に混在して、新しいビジョンを見せてくれるだろう・・・が、見えている思っていてもそれが3D映像だったら、聞こえていると思っていてもそれがFAKEだったら、触れていると思っている存在がトラップだったら・・・と。仕掛けた方が有利なのか先に動いた方が不利なのか・・・。さてさて、どうなるこの市場。

質実剛健か・・・。

 欲しいモノを買うのではなく、必要なモノを買おう!と私の東京の師匠が言っている。魅力的な人間の言葉は古くならない。古くならずにいつまでも心の中に残る言葉を残せるから魅力的なのか、さて、そのあたりは不明ですが、昨今、富に記憶力が低下しているように感じる。しかし、絶対に忘れない存在や出来事は心から頭の中から消えることなくいつまでも鮮明に力を頂ける。賢治宮沢ではないが、私はそういう人になりたいものです。つまり、知識を右から左へ受け流す人ではなく、しっかりと言葉や出来事を自分の中で消化できる胃液が必要なんだろう。胃腸が弱いと全てに力が漲らないと同じ。思考やアイディアも健全であることが必須条件のようです。

 で、何が必要かについてはポテンシャル次第である。市場のニーズに敏感になってアンテナを張り巡らしているつもりでも、そんなことは誰でもやっていること。そこには意味があるが、全てを集めて精査したところで、出せる答えはその努力と見合う定量であるとも限らない。普通にシンプルに考えて、その場所で見えてくるモノを素直に見極めることがシンプルに考え、シンプルに行動するということだと、師匠は言っているのかもしれない。モノが飽和し情報が飽和していると言われて久しいが、それも本当か?ただの先入観でありメディアコントロールかもしれない。うわさやゴシップの空洞化に一喜一憂するわけにもいきませんし・・・。師匠ならいろいろなことに迷った時になんとアドバイスをくださるのでしょう?言葉は意味がない、だから、自分で考えてください。と、たぶん、おっしゃるだろう。それが答えだろうし。そこにはどこか「禅スピリッツ」の匂いがしなくもないが、たぶん、正解なんだろう。

あと2ヶ月です。

 もう、2010年もあと2ヶ月を切りました。早っ!何か今年はいろいろやってきたようで実は例年どおり・・・みたいな。年始にはあれもやりたいこれもやりたいと目標を設定していたはずなのに。どれも達成できていない。う~ん、毎年この時期になると同じことを考えて反省している感じです。う~~ん、進歩がないのかな。目標設定が甘いのか危機感が足りないのか・・・。今さらごちゃごちゃグチっても仕方ない仕方ない。ONE BY ONEで、ひとつづつ丁寧にかつ迅速に誠意を込めてを原則に頑張ろう。いい年末にしたいものです。かれこれもうクリスマスプレゼントなんて頂いた記憶がない。子ども時代にもまともに何かメモリアルなギフトが枕元にあったという記憶もないので、別にええ歳をこいて期待しても仕方ないですが、できれば、モノじゃなく、何か心が温かくなる出来事が起こらないものだろうか・・・。この年齢になると何が温かくて何が冷たいも鈍感になる。まぁ、そんな輩には何も降臨しないということだろう。

 と、いつもの独り言な感じでラスト2ヶ月スタート。