マンガの読み過ぎ、映画の観過ぎ!?

 とりとめもない非現実的なことを言うとよくこう言われる。「それはスギノさんマンガの読み過ぎでしょう!」「そんなこと現実的にありえないありえない、それは映画の観過ぎでしょう!」と。ふと考えたのは、読み過ぎて悪いこと、観過ぎて悪いことなどあるのだろうか?例えば、回りくどく物事を難しくにしか表現できない言葉にできない人が勉強のし過ぎだったとして、その方に対して、意味が理解できない時にその方に「貴方は勉強のし過ぎですから、もっと、一般的な言葉を文脈をチョイスしてくださいよぉ~!」と言ったとする。すると、この場合、「勉強のし過ぎ」は悪いことなのか?伝わらなかった原因は勉強をし過ぎた人にあるのか、それとも、一般的な表現を求めた比較的勉強をしなかった人に問題があるのか。コミュニケーションとは相対性の問題だなぁ~と思います。明らかなに勉強をしてこなかった方でもちゃんとタレントとしてテレビに出て仕事らしきことをできる環境の基本ラインがあり、「おバカ」と呼ばれても逞しく生きている様を見ると、なぁ~んだ、この世の中勉強しなくても、公私ともに「おバカ」でも一人前!?となってしまう社会の多面性。この場合、一番幸福を攫むのは誰?絶対的に幸福のモノサシはあるだのだろうが、それは、心臓ひとつ脳ひとつの身体の中で完結してればいいじゃん、みたいなことではないだろうか。黄色いハンカチを振り回しても幸福にはなれない。虫が黄色に寄ってくるだけ。

 で、マンガを読み過ぎと映画の観過ぎについて、では、何がどうあれば「過ぎ」なのか。細かいことを言えば、そこにも確固たるモノサシは存在しない。が、なんとなくが横行する社会生活だから、それが例え悪くも良くもないというファジーなニュアンスで「~過ぎでしょう?」って言っておけみたいなことで、深く追及しない空気がいわゆるKYな感じかなと。つまり、マンガの読み過ぎで映画の観過ぎですが、何か?と言いたい場面も、どこか空気が淀むので、「へへへへ・・・。」と切り返すのではなく、私はすでに「マンガの読み過ぎと映画の観過ぎ」という情報をTAKEしているのだから、あなたからも何かGIVEさせてくださいませんか?が建設的だと思います。えてして、オタク的なコトを棚に上げたい人って、カラだったりするから始末が悪い。もっと引き出しの中に何か入れておいてくださいよって感じ。

comments

非現実的なことが、現実にならないととは限らない。
非現実的なことを考える機会を与えられたとは考えないのですかね。
どこからが「し過ぎ」かはわかりませんが、仮にし過ぎの定義があったとして、し過ぎないと見えてこないことが必ずあるはず。
見えたはずでも、もう少し、し過ぎればまた見えてくるものが違う。
それに少しでも触れる経験があれば、「し過ぎでしょう。」という言葉は簡単には発しないと思うのですが?
引き出しがカラならましですが、引き出しをお持ちでない方も稀にいますから始末が悪いですね。
もしそういう方が、このブログの記事を見れば「考察のし過ぎでしょう。」というわけになるのでしょうが、考察のし過ぎの前に、考察出来る情報の取り過ぎもあるでしょう。
ここまで気づけば、もうし過ぎとは言わないでしょうけどね(笑)

  • kuni
  • 2010年11月08日 22:49

何事も脚力の違いでしょうね。
我思う故に我がある。
一ゆえに多、多ゆえに一みたいな。

そりゃ、右の頬をぶたれたら
0.1秒後に相手の右の頬をぶちたいですからね。
これが「喝!」の意義ですものね。

言語道断って素晴らしい言葉です。

  • khuz
  • 2010年11月09日 07:59

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