日本語「語感の辞典」中村明著

 「楽しく読んで日本語力UP!」語感とは「語感が強い詩人」というように「言葉に対する感覚」の意味もありますが、本辞典では、言葉の微妙な意味合い・イメージ・雰囲気など「言葉のもつ感じ」を対象としています。「この語感の違い(=ニュアンス)が言葉の使い方を左右します。」とのこと。中村明さんという著者の方もするどい視点でするどい書籍を開発されたものです。言葉の表現を使い分けるためにニュアンスを表現し分けるためのバイブルになりそう・・・ととても気になっている書籍ですね。

 そもそも英語と日本語はニュアンスの部分でかなり異なる。それは文化や慣習が違うからということで納得しているが、その部分を細かく分解して体系化するのは至難の技だろうなぁ~と思っていた。音楽や絵画表現は言わばこのニュアンスの集大成であるから、それを言葉にする、例えばある音楽作品や絵画作品について批評したり感想を述べたり考察をひも解いたりする場合に必要になってくるのは言葉の表現であり。ボキャブラリーが豊富で組み立て方のスキルが高ければそのニュアンスが正確に伝わるのか・・・となれば、決してそうではないように感じていた。評論家というプロのコメントを読んでみてもあさっての方向に走り出している場合、いわばトンチンカンなことになる。これは正しく評論されていないということではく、語感のチャンネルが異なるからだと思う。すると語感のチャンネルというかスイッチングが異なるだけで同じことを言おうとしていてもベクトルがずれる、摩擦が生じる、誤解を招くなどいろいろな現象が起こってしまうことを回避するためにこのようなテイの辞典が創造されたのだろうか?いや、そうではないだろう。もっと、深い部分で「日本語」の文法の歴史や現代の価値観がベースに時代性がある部分と、感覚として五感からインプットされたSOMETHINGが一旦、脳にSAVEされ、それが、アウトプットされる時に何かがそれを誇張し歪曲させ、時に沈静化させ、時に高揚を促すというこが日々到るところで起こっているために、その蓄積として遍在するスタイルが言わば日本語。そこへデジタルテキストという厄介なアウトプット手法が発生したものだから、それをインプットする時にこのようなニュアンス系の体系化されたテキストが必要だったということだろう。そいういう意味でこの辞典はぜひ手元に置いて置きたい気もするが、ただ、この著者である中村明という方の主観も大きな変数であるから、この部分についてもただ鵜呑みにはできないだろう。

 そもそも、絵画的な表現と文字表現の違いについてはそれこそ義務教育の早い段階で修錬を始める。そして、多くのチュートリアルを経て人はこの「語感」をコミュニケーションの礎に置く。いや、置いていあるはずである。しかし、教育のレベルや知識・知恵レベルの高低やその細かいディテールの差異が引いてはその方のボキャブラリーを構成しているわだから、やはり、そこは心技体、中と外は一体であるからいい部分と良くない部分があるだろう。「口は災いの元」ではないが、言葉が捩じれたまま伝達されると決して本体に同じニュアンスで返ってくることはなく、野球のボールを投げたつもりがフリスビーが返ってくると「なんでやんねん!」となり、一生懸命相手が「愛」を投げてくれているのに、キャッチする能力の関係でそれが「哀」に変わる場合もある。言葉は本当に難しい。

 音楽についてもアーティストの方が頭や心で描いた歌詞の世界が必ずしも100%聞き手に届くとは限らない。明らかに「遊び過ぎ」のミュージックビジネスには辟易するが、それでも、そこにニーズがあるなら、ビジネスとして成立してしまう悲劇は誰にも止められない。仮にそれを何かのチカラで止めたとしても、耳から入って心に蓄積される感情やニュアンスはもう修正が不可能である。ただ、こんな悲劇ばかりが実際現実的に起こっているわけではなく、その逆もある。ピュアであろうが難解であろうが、何かを伝えようとするときそれが言葉やニュアンスを介してしっかり受け止められる場合も多く、その違いは勿論、発信者と受信者の相対性の中で起こる化学反応なのですが、このシナプスの結合であるまさに化学反応をどうアウトプットに変換するかがやはり本丸なのである。そのデバイスが言わば人間本体であり、脳が秒単位で行っているお仕事のディテール。さて、この部分をどこまで覚醒できるかが、言わば言わば「生きるためのモノサシの縮図」とも言えなくない。地位や名声や家柄や資産で人を判断するなとDef techは言うがそこにも必ず、「語感の妙」が存在する。それありきではないとそういう方は言うかもしれないがそれも含めてIN & OUTであるから仕方ない。

 とは言え、絵画やデザインの世界では「赤は赤」であり、「苦しいは苦しい」であり、「うるさいはうるさい」である。基準さえあればこのような誤解や捩れに困る悩む苦しむことはないと言うが、人は非常に厄介であり、「誤解」も「捩れ」も「歪曲」も時に楽しいと感じる思考回路を持っている。さて、たぶん、恐らく私も持っているだろうこの強力な「変換機」はこの辞典をどう捉えるのだろう?