魅力発信発見プロジェクト。

 さて改めて「魅力」とは何かを考えることは意外と難しい。そもそも「魅力」とはどう定義できるのだろう?その定義の普遍性は?それは何を持って魅力とさせるのか?数値的なことなのかイメージ的なことなのか?一般的に何かの魅力を分析・考察しようとするとメリットや効果や何かの規範に対してプラスに作用することをチョイスしがちではあるが、魅力を伝えるとなるとその規範の軸足がぶれる。つまり、誰が感じている魅力なのか?が明確にアウトプットできなければ、訴求にはつながらない。自分が魅力だと感じていることやモノでも賛同を得られなければ「へぇ~」で終わり。しかし、共鳴できる視点があり「そうそうそれそれ!」という視点があれば、「魅力」としてそれは成立する。人はその判断を一瞬で判断していると言われている。感覚であり論理ではない部分が実は本丸なのである。いくら何百枚の論文を読破しても多くの時間でそれを訴求しても共鳴を得られなければ実際問題、発信にも発見にも値しない。これが「伝える」という作業の一番難しいピーク点である。では、人知を尽くせばそれは成立するのか、莫大なコストをかければそれは反響するのかとなるが、そうでもない部分が結局印象度を上げ好感度に繋がり信頼を獲得している場合が圧倒的に多い。人間は「慣れる」生物だから、何回も同じ表現を見続ければそのイメージが脳裡に焼き付き固定するが、それは良きにつけ悪しきにつけ「慣れる生物」なのである。

 で、「魅力」とは、主観であり客観である。伝える視点が軸足となり、どこまで、その熱量を何かの手法で伝えるかがキモ。つまり、普遍的な「魅力」と言われているものを具現化してもディーテルは薄く、リアリティーは低い。つまり、存在感のない質量感のないモノをいかなる手法や手段でアウトプットしても伝わる伝わらないで言えば伝わらないということになる。意味的に。良いことと悪いことで言えばどちからというと悪いことの方が伝導率が高い。これを逆に利用すると「良いこと」をクローズアップしてフォーカスさせることができるという手法もあるが、さて、ここまで登っていただく意義があるのかないのかという判断をいずれしなければならないだろう。まさに、日々、これの繰り返しなのではあるが。