二つの価値。

 こんな考察がある。書籍と電子書籍の根本的なリアリティーの差について二つの考察である。まず、電子書籍は「どこを読んでいるか分からない。」という理由だそうである。これにはなんかドキリとしてしまった。全く逆の発想である。仕事で紙媒体とWEBコンテンツを比較してお話を進める際に、紙面だと盛り込める情報に限度があるが、WEBサイトは画面をスクロールしたり切り替えればサーバの許す限り情報量が盛り込めますと言ってきた。それは間違いない事実でありある意味メリットなのだけれど、リアル書籍と比較した場合、論説であり小説であり今どの段階を読んでいるのか、つまり、全体に対して今どの部分に意識を集中すればいいのかが分らなくなるということ。これは一見どうでもいいことのように思えるが実は感覚を麻痺させられていることになるという側面が確かにある。書籍なら表紙があり目次があり前書きがあり本体がありあとがきがある。本体についてもそれぞれのチャプター毎に編集者や著者の意図が反映されていることも含めて実は書籍は完結している。が、どこからでも読めるテイの電子コンテンツはただ情報を得るという行為だけに捉われ発信者の意図や想いや狙いを無視してただ情報である、テキストや画像や映像が並んでいるだけ・・・と捉える側面があるということ。これは、クリエイターとして冷や汗ものである。情報を得ればそれでいいのなら、誰が作っても同じことになり、フラット化どころか均一化された情報の本質だけ、しかも、無駄が一切介在できない作りになっている傾向にあるということになる。これは、確かにそうかもしれない。ブラウザで切り替わるWEBサイトの区切りはどこでつければいいのやら。つまり、このことは人間の思考の中でマッピング能力と言われる部分らしい。全体の中におけるその位置を認識することで情報のディテールの優劣を判断している。また、情報と情報の相関性をこのマッピング能力で感じることでより情報のディテールののびしろを感じ分けているということになる。音楽で言えば、もう聞こえない音とまだ聞こえない音の間を感覚と記憶でつなぐことで全体の情緒やクオリティーを感じてそこに主観としての反応が「楽しい」「悲しい」「激しい」などと連動しているのであるから。それが、確かに電子書籍関連のコンテンツには全く欠けている。

 二つ目は目的ありきで情報にアプローチしている以上、「偶然の出会い」がないという事実。これにもドキリとしてしまった。つまり、検索機能で情報を絞り込んで得られた場合、ただ、「欲しいモノ」がそこにあるのなないのかが電子のパルス。いくら一生かかっても使いきれない読み切れない書籍がそこに存在するとしても、それは何の意味もないに等しい。一生にどれだけの書籍が読めると言うのだろうか。それよりも自分が出会うひとつひとつの情報としての書籍とは、間違いなく、何かの意図や感覚がチョイスしてその質量が手の中にあると感じることで、その書籍の中の文字や写真が意味を持ち彩色を喚起させるのである。書店に行きぶらりぶらりとアンテナを立て、出会うべき人に出会うように書籍に出会うことがWEBの世界や電子書籍にはまず存在しない。確かに・・・である。

 で、この価値をどう捉えるのかさえもしかしたら、今の時代に試されているとしたら、ここは大きな大きな分岐点のように感じられた。誰でもどこでも入手できる情報がクラウドの中に存在している。しかし、物理的にそれをどうチョイスするかは人間の能力としての機微の部分に委ねられているということになる。さぁ、どうする?一旦誰かに何かを預けるのか?このまま自分の感じるまま指針とするのか?う~ん、摩訶不思議な時代である。電子書籍の未来も書籍の未来も実はここが分岐点なのかもしれないし、または、大きく進化するためのここがボトルネックかもしれない。