ひとつの卵。

 人間は一回の食事に10万個の卵を食べることはできない。そういう習慣がないからであり、身体のサイズに10万個の卵は多すぎるからである。10万個の卵をどう料理すれば美味しく食べられるなどと人間の思考は答を用意していない。が、それを食べられるという世の中になったからといって、それを食べられるツールが開発されたからと言って「卵」を食べたいと思わない。この感覚がいわばインターネットの中にあるデジタルテキストだと言えなくもない。人間は一回の食事に一個の卵をどのように料理してどのような食材と合わせてどのように盛り付けるかを考える生物だからである。それが楽しいのである。つまり知識よりも認識ということ。

 もうあまり見かけないが「大盛り番組」や「食べつくし企画」あれは観ていて辛くなる。何に対して辛いかというとその番組を作っているプロダクションのデレクターに対して、それを発信しなければ死活問題になってしまうと判断しているテレビ会社、そして、何よりもカメラの前で出された食材を胃の中に押し込んでいるタレントさん。まるで、後ろにジョン・ドゥーがいるようである。「大食」は罪だと誰か言っていたはずなのに、それがテレビで流れると普通に鑑賞してしまう人間の業。多く食べられることを競うなどローマの時代で終わったはずなのに、まだまだ、そこかしこにコロシアムは存在するのだろうか。

 一つの卵を美味しく食べられたらそれでいいじゃん。酷暑の影響で卵が高騰しているらしい。にわとりも大変である。餌を食べ毎日卵を製造している。人間も消費するだけでなく、にわとりのように何かを作らなければ、数億年先に地層の中で原油になるぐらいしか使い道はないだろうに、それも、わざわざ焼却して炭素に返す始末。地球は卵、美味しい楽しい卵にしなければと何億人の人が認識しているのだろう?