すべて些末である。

 決して間違えてはいけないこと。良い仕事とは、「こうである。」などという方法論で成立していない。まして、インターネットの中にありあまるノウハウやステレオタイプな情報が納められているとしてもそれは決して「創作」ではない。だから、テンプレートをどう活用しようが決して新しい価値は生まない。創作とは元来そういうものだから、個人の感性が作り上げる芸術とは全て同位となる。この感性に多くのユーザーが反応し自分にとって有益なものだと感じれば、それが広く商品として価値を生み出す。そして、それを作って作者がビジネスとして成立し創作を続ける。この循環が正しい。だから、セオリーに腰掛けて机の上で白や黒について協議してもそれは整理であり創作ではない。何かを創っていますって自分自身のIDをどういじくってどうにかしようとしても、そこが間違っている場合、創ることから離れていく。つまり、インプットして消化してアウトプットしたモノでなければすべてが些末なのである。お手本はない。お手本をきれいに写せる段階では創作ではない。つまり、セオリーを壊すことが唯一のスタートラインであるべきなのである。

 仕事とは苦労や労働に見合った報酬を得る行為であるから、無料で何かをしているボランティアには一見崇高な行為に見えて実は無料さに依存しているだけ。ピリピリした感覚がなければ報酬を得る勇気を見送る結果になるだけで、継続できるルーティーンにはなりえない。ここが一番の本丸である。

 なぜ、こんなことを思ったかと言うと、あまりにも「無料ゲーム」とか「無料ソフト」とか「無料」な価値が氾濫し過ぎていることにちょっとかなり危機感を感じたからである。「無料なのにここまで多機能です。」の裏には「無料だからここまでで御免なさい。」という些末さに思えるからである。ここから上位の機能が欲しければ有料になりますって、それは一見手法のように見えるが大きな感違いである。だから、無料ゲームののびしろのなさ加減がナンセンスであり微弱すぎてその手法で企業のIDの認知度を上げようとする仕組みに疑問を感じる。厳しい時代だからこそ多様なニーズに反応できる創造力を鍛えたいと思う。