目的意識と目標設定。

 ある小説家の方の本を読んでいる。その書籍にはその著者がいかにして小説家になり成功を収めたかがその方の言葉で綴られている。普通ならばこのようなタッチの書籍は手に取ることもないし、まして買って読もうとは思わないのですが、まえがきに書いてあったあるフレーズに反応してしまった。勿論、この著者はいくつもベストセラーを出しているし、自分でももう一生分の資産は貯まったと言っているぐらいだから彼のプランは成功したことになる。羨ましいと思うし相当の努力をしてこられた感じが本文を読みながらひしひしと感じています。しかし、本人にしてみればこうなることはある意味必然だったような言い方。その苦労が全然苦労として捉えておられないニュアンスがある。逆に自分の目的意識と目標設定を明確にしてそれに沿ってやるべきことをやってきたとのこと。こういうタイプの人は努力が努力ではなく、もう、人生の一部になっている。決して血と汗の結晶ではないのである。自然とこつこつマイペースに考え書き出してきたことに当然のようにニーズが社会が多くの人が反応した。結果、人気作家として不動の地位と作家としての安定した生活を手に入れたというだけ。これが自然。

 つまり、ゴールがキモ。よく、アート系やデザイン系の学校を卒業した新卒者やデザインの仕事をしたいという若い方と接点があるが、彼ら彼女達のゴールはグラフィックデザイナー・WEBデザイナーとして働くことが目標ではなく、その立場になれるだけでゴ~~~ル!みたいな部分が確かにある。で、現場の課題を与えると頭を抱える。こんなことは学校では習わなかったと・・・。で、自分のポテンシャルに3年ほどして気づく。そして、仕事を変える。自分は「デザイナーになれた。」という達成感と共に他の仕事をして人生をつつがなく過ごす。これも必然。

 上記の小説家はこうも言っている。「自分が目標設定した以上の人間には絶対になれない。」と。確かに重い言葉である。その通りである。目標設定さえしていれば、その目で耳で何事もインプットしていれば、自分自身の血や肉になろうことも、それがない人は簡単にスルーするし、コミュニケーションに置いてもそこに軸足を置かない。だから、つまり、そういうカテゴの人にはなれないのである。つまり、結果には十分な原因がある。そして、結果が次の目標設定のための原因に置き換わる。この循環がいわばスタイルになるわけで、何かテッパンな公認試験を合格して鳴り物を鳴らしてその肩書きを手にした時(瞬間)に失速する人と、入りはミニマムでも一旦その世界にはいり自分ののびしろを自分自身で設定して努力を努力とも思わず、試練を試練とも感じず切磋琢磨している人。後者の人間だけが手にできる「循環」があり、このエンジンのトルクを上げるためのガソリンは「目的意識と目標設定」でしかない。

 私も同じ、小説などいつでも時間があれば書けると思っている。

 最初の部分、ひっかかったフレーズとは「小説家になりたければ小説を読むな!」である。

 さて、ブログ記事2,000本まであと3本。今年もあと3日。次の3本はそういう意味も込めて長いブログになろうかと思います。今から少し今年のことも含めてこの3本の構想をいつものライトダウン形式ではなく、しっかりと練りこんでみようと思っております。あと2010年も3日ですし・・・。