ブログ投稿2000本目!

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 この12月31日のタイミングで外は猛吹雪。大好きな雪が降っている。寒いが気持ちは凛とする。そして、これでブログ投稿が2000個目。まぁ、塵も積もれば~ということで2000本まで飽きずにブログを書いてこれた理由は?たぶん、「オモロイ」からだろう。ただ書くことが?たまに頂けるコメントが?ブログを書くためにそのアンテナを立てることが?これを読んだ人とその話題でお話が広がることが?まぁ、いろいろその「オモロイ」は分解できるが、私自身、何事においても「感性」とか「センス」とかという天才的な何かが自分に備わっているとは感じたことがない。逆に何事においても「感性」のある人の近くで歯ぎしりをしたことや、「センス」のある人の作品を見ながらこぶしを握り占めていたことなどしか思い起せない。つまり、それがないということがどれほど悔しかったが「コツコツ派」の自分を形成していると思っている。だから、何事においてもコツコツと対峙する。周りの人間から見ればそれは「努力」だと言っていただけるが、本人はそんな僭越なことは微塵も思っていない。それをしなければ頭が心が「悔しい」と感じることが嫌なのである。若いころは勝ち負けにこだわり無理をした。その結果、身体に心にその無理が蓄積していたるところが悲鳴をあげ壊れた。何事もやりすぎでありオーバーワークだった。で、結果は出せたのか?となるが、決して目標設定に足らない状態でマイナスになることも多々あった。うん?これではお前結局マイナスだぞ!と声がした頃から、自分を見つめるようになる。その結果というかその過程で手に入れた方法論が「コツコツ派」なのである。

 地球上に生命を受ける動物で人間以外に自ら自分の暮らす環境を変える動物がいる。そいつは「ビーバー」である。自分の歯だけで木を切り住処を作り水流をせき止め外敵から種を守り子孫を育てるビーバー。彼らはつまり「コツコツ派」の「カリカリ派」なのである。子どもの頃、図鑑でビーバーを知り、彼らの巣の構造を知った時にこんな小動物がそんなことをするのかぁ~となんとなく心に引っかかっていたサインが結果、それは自分が映っていたということなのかもしれない。だから、コツコツとやってきたので、2011年もコツコツとやっていきたいと思ってる。ひとつぶひとつぶの雪なら手の平に落ちた瞬間に溶けてしまうが、しんしんと降り始める雪は景色を真っ白に変えてします。これこれ、だから、数多の色の中で一番好きな色が白。

 さて、2010年はどうだったのか、それで2011年はどうするのか?というこの31日に何をここに記述したいのかとずっと考えていた。で、やはり、今年なんとなく心に引っかかっていた一番大きなことを、というか、今年一番たくさんしんしんと降り積もったことを最後にそして記念すべき2000本目にチョイスします。

 それはたぶん私が編集している情報紙S.O.S.の第25号から始まっている。その最終ページに私はこう記述している。

 「痛みよ志しになれ、傷よ翼になれ。」と。

 この号は私が心からリスペクトしているある女性アートアニメーターからのメインテーマ「カタルシス」からスポイルされてる。彼女の存在はとても大きく、S.O.S.を始めてほんとにいろいろな素敵な魅力的なクリエイター・アーティストの方と出会ったがその中でもベスト3のひとりである。彼女のアートに対する心というか気持ちの角度というか振幅がほんとに素敵だった。一回り以上年下の女性がここまでアートやデザインに対峙しているのにお前はどうだ?と凛とした気持ちなった。そして、彼女から頂いたテーマをずっと頭の中で反芻していて自然に出たフレーズがこれだった。ここで私の中の情報紙S.O.S.がひとつ完結した感覚があった。そこから、勢いで企画や編集に取り組まず毎号毎号をしっかり吟味して自分の気持ちを整理して取り組もうとさえ感じさせていただけたのである。そこからかなりペースダウンしているが、第26号はほんとにガチで作ることができた。で、2011年はさらにこの気持ちを覚醒するために第27号の企画をスタートした。テーマは「なんでやねん!」つまり、漫才のつっこみのフレーズであるが、これをテーマにしたいと考えております。クリエーター目線でアーティスト目線で今の時代にツッコンでいただきたい。と僭越ながら編集長は考えています。まぁ、この詳細は年が明けたらじっくりと全国のマスターメンバーひとりひとりに相談して第27号を進めていこうと思っております。また、その時は皆さん、よろしくお願いいたします。

 話は逸れたが、今年一番気になったこと。それは、「ずれ」「摩擦」「捻じれ」「誤差」「ゆがみ」「ひずみ」などというキーワードです。これは完全に「痛みと傷」からスポイルされている。何かを創ろうとする時にデジタルツールにはこれがない。このことにストレスっていうほどの感覚ではないが、何か???という気持ちなった。便利で飽和した情報時代のこの先の行方を危惧している気持ちがあるとすれば、それは人間的な「ずれや摩擦や捻じれなどなど」がどこか強制的に制約されて、成果物としては整然と誰が創っても同じ金太郎あめ状態になること、これが、どうもストレスになっている自分に気がついた。それは必要のないものなのか、それともデジタルツール的に苦手な、プログラム言語では一文字でも記述ミスが起こるとそのプログラムは正しく走らない。WEBもDTPもとにかく水平・平行を強制される。そこでずらしたければ故意に「回転」させる。「摩擦」を得たければそれはそう言語で数値を入力するということで擬似のそれを創るということになる。なぜ、わざわざ「ズレやゆがみ」をわざわざ0.03度とか指定するのか。これは正確には「ズレやゆがみ」ではない。結果そう見えていてもそれは微妙に回転しているオブジェクトに他ならないのである。これが長年この仕事をして麻痺しているから微塵なストレスがたまり頭を打つ~みたいなことになってはいないかと思った。そこから、アナログのアプローチに回帰し始めた。すると「濁り」や「滲み」や「紙の小さな繊維」や「油絵具の小さなゴミ」や「貼り込みのズレ」がなんともリアルを演出していることに気がついた。この仕事を始めた時は「この写植は曲がっている!もっと水平に!もっと平行に!」と怒られたが、それがデジタルツール全盛時代を経て今自分自身が「ズレや歪み」をどこかで求めている。これがとても不思議で気になった1年だった。これはたぶん何かのサインであるはずだから、ここに気持ちをフォーカスしてさらにデジタルツールに向き合いたいと考えています。

 人と人とのコミュニケーションにおいてもしかり。ストレスのない社会や格差のない社会を!と誰かはしたり顔で唱えるがそれは警笛ではない。管理したいから整理したいからと予定調和でしかのびしろを得られないポテンシャルな自分をその警笛で覆いたいからだけ。もっと、多様な時代の多様な生物としての機微を考慮したクリエイティブに取り組みたいと考える2010年12月31日ですね。

 やはり、「痛みが志しになるように、傷から翼生え飛翔できるように。」なのである。それこそクリエティブワークの本丸だと思います。いつもブログを読んでいただいている皆様へ、来年もどうぞよろしくお願いいたします。khuz