2011年01月 アーカイブ

今朝もしんしんと。

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 昨晩からまたまた雪が積もってしまいました。朝ひとおとり雪かきしたのに、もうすでに10cmほど積もっている・・・、今年はほんとに雪が多いぞ。毎朝の雪かきも飽きてきた。もういらんぞ雪。

KO-WALLさん、ありがとうございました!

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 素人がいろいろ基本ラインの質問をして、それに、笑顔でお答えいただきましてありがとうございました。また、岐阜にもボルダリングジムができるという情報も頂き、感謝感謝。長浜から栗東はなんといっても遠いので、できれば、岐阜のジムがオープンしたらリサーチに行こうと思っております。「KO-WALL」さんありがとうございました。小さい子どもから筋肉マッチョな男性と彼女みたいな方、そして、ちょっとスリムなおっちゃんまで楽しくこの壁にトライしておられました。なんかすごくいい感じでした。

 店長さんからのアドバイスは筋力トレーニングよりもやはり基本的な初級コースから壁に向かうこと。毎日のトレーニングはやはり一番重要なのはストレッチと身体の柔軟さだそうです。この言葉を肝に銘じて今日からボルダリングジムデビューを目指してまたトレーニングです。うん、なんか現場を見れてとてもガチでリアルな感じでした。

詳しくはこちら公式WEBサイトです。http://www.biwa.ne.jp/~ko-climb/

滋賀レイクスターズ応援!!!

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 なかなか、スタイリッシュなゲーム観戦でした。とてもとてもショーアップされていて、まるでライブコンサートを観戦しているようなテイでした。2メートル以上の外人がコートの中をキュキュっとプレイしている感じのライブ感はとてもリアル。その演出効果も素晴らしいパフォーマンスでした。やっぱ、ライブはいいっす!またまた、チアリーダースの10名もプロの仕事をしておられました。全然飽きない2時間でした。これは値打ちでした。バスケのことはよく分かりませんが、なんか、ドキドキしてしまうゲームでした。目の前で見るダンクシュートはやはり圧巻でした。

詳しくはこちら公式WEBサイトです。http://www.lakestars.net/

チアリーダーズ公式ブログはこちらです。http://lakescheer.shiga-saku.net/
なんともかわいい素敵な演出ですね。

感情は出そうよ・・・。

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 いつも行く書店で目新しい書籍を発見。「感情を出したほうが好かれる」という加藤諦三さんという著者の本。う~ん、なかなかビンゴでしたね。あなたの弱点を隠すな!と副題にあるのですが、ぶらりと立ち寄った書籍でこのタイミングの出会いは書店ならではのリアル。この出会いがあるからリアルブックは楽しいのです。電子書籍にはないひとつの醍醐味ですね。

 で、内容に興味ある方はぜひ購入していただきたいのですが、少しだけ入りの部分を紹介すると、こんなフレーズがある。「人は弱点を隠そうとしない人を好きになる。」この真理は意外に新しい。書籍のキーフレーズは海外の最新の研究書籍からひも解かれているので間違いない論拠。世の中にはノーと言っても好かれる人がいて、イエスと言っても嫌われる人がいる・・・か、なかなかの書籍でした。

 と、読み終えて、いつ頃の出版だろう?と確認すれば、なんと2011年2月10日初版となっている。なるほどなるほど未来からの贈り物なのである。これもリアルブックのガチな魅力です。

「ファンタ・ピース」はガチである。

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 昨日は難波のライブハウスにお邪魔しました。「ファンタ・ピース」という12歳から21歳という15名の女の子達のユニットです。ライブハウスで週末定期的にライブを行い、ジワリジワリ系で爆発のトリガーを待っておられます。マネージャーの方にお話を聞けば、数名のユニットは多く存在するのですが、15名となるとなかなか関西エリアでも存在しないらしい。まぁ、AKBのりのテイストではありますが、ファンにしてみれば、もうすでに爆発的なユニットよりも、ファンタ・ピースさんのようにインディーズ的な展開から応援できる親近感がたまらないのでしょうね。確かに、ステージはまだDVDでしか見せていただいていないですが、この世界は何かのチャンスが起爆すれば、のびしろは無限大です。それぞれのメンバーさんもガチで踊りに歌にとポテンシャルを高めておられるそうです。爆発の日も近い予感ですね。

詳しくはこちらです。http://ameblo.jp/fantapeace/

「黒壁こまち」パイロット版。

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 昨日から長浜の黒壁ショップにてパイロット販売開始されたプチミニどら焼き「黒壁こまち」。さっそく、パイロット版の全5種を頂きました。開発段階からいろいろな味のどら焼きを頂き、今回のテスト販売に至りました。それぞれにあんの部分やどら焼きの部分にも「ごま味テイスト」や「抹茶味テイスト」が盛り込まれたアレンジです。どれも美味しい仕上がりになっております。これが、長浜の名物になるといいなぁ~と思っております。

男性のキュンとくる表情・・・。

 くだらないテレビのアンケート企画で、「男性の表情でキュンとくる瞬間は?」というクエスチョン。渋谷かな?そのあたりの二人の女性がいつものテンションで語っている。というより、鳥のようにさえずっている。「私は、私のために、ユーフォーキャッチャーでグッズをゲットしてくれている時、ユーフォーキャッチャー越しにチラっと魅せる彼の視線がたまらない。特にグッズをゲットした瞬間に魅せる彼の表情に、すごくキュンとしちゃうわぁ~!」って、なんでやねん!ユーフォーキャッチャーしている段階でダメじゃん!

本当の失敗は挑戦しないこと・・・。

 なるほどなるほど、上手いことを言う。ヒルクライムさんが「失敗は怖くない、怖いのは後悔だ。」と作品の中で歌っていたが、まさにである。汗や血を流すことを恐れてその場に立ちすくむことが、現状維持にならず、世の中は常に動いているんだから、停滞は後退を意味すると言いたいのだろう。で、「挑戦」とは何を指しているのか?それも多様であり、個人差があるはずだが、「動くの?」「動かないの?」と選択を迫られた時「動かない」と安易に判断してしまう人にはなりなくない。

 逆に、日本にはまだアメリカの異業種交流やボランティア精神を教科書通りに鵜呑みにして、それを日々の鍛錬や自己の啓発だと誤解している組織が本当に多い。この組織が市や町の単位で氾濫してきたがそれもそろそろ終焉の時だろう。そこに何がある?おそらく何もない。空想や幻想で人生が有意義になる時代の部分は完全に不必要だとクラウドの中から聞こえてくる。時間こそが全ての基軸である。無意味な時間を組織の中のポテンシャルの低い人達で過ごすことに全く意味はない。慣習として郷に入ることは決して挑戦しているとは考えにくと知るべきである。固体としての精神力や行動力こそが基本単位であるならば、枠の中で考えることは明らかに蛇足に他ならない。自己研鑽を大きな組織のポリシーに依存せぬよう、あくまでも、自己の研鑽に時間を活用する人が「動いている人」であると思う。モノゴトを「好きか嫌い」「正しいか正しくない」「有益か無益」でジャッジする前に、自分自身の自己研鑽のモノサシで推量する力がなければ、時間を無駄に過ごすことになり、それは、「後悔」として心に蓄積していることを「リアリティー」と勘違いしている人となる。まさに、ほんとうに、御苦労さまである。私の意義はそこにはありません。つまり、価値観の問題であり、ポテンシャルの問題です。大前提を再確認してくださいって感じ。

グーグルvsヤフー

 グーグルが社員増員、ヤフーが人員削減ということ。これはつまりそういうことだろう。一昔なら、日本国内のエンジンのシェアは圧倒的にヤフーが多かったが、それも時間の問題だろう。70%以上近いシェアを獲得していたのになぜこんな逆転が起こってしまうのか。つまり、企業努力的な部分がこの構図の背景にあるようですね。世界水準の超一流企業でもこのようなことが起こりうるのだから、ひいて他の様々なビジネスモデルの企業についても同じだろう。さて、その場合の企業努力って具体的にはどのようなことなのだろう。これは多岐に渡るであろうし、こうだ!っていうテッパンの方程式はないだろう。それに企業ってトップから組織された人だから、端的にモノゴトを考察することはできないが、つまり、人が強いということだろう。この時代の「強い人」とは?この場合の「強い」の内訳となると何が想定できるのだろう?日進月歩じゃないけれど、進化・成長が時間軸上で日々コクコクと動いているわけで、それにシンクロできない人とできている人(もしくは動かしている人)の差が、引いては企業の力関係を左右するのだろう。う~ん、非常にシリアスなお話ですね。

 真髄は見えないが、ただ単に目に見えている部分としてWEBサイトを見ればわかっちゃうし、仮にそれがにわとりで本体の部分が卵としても・・・。

「買う」という満足感。

 日本人の経済感覚はある時点から狂っているというお話。モノが無い時代には人は一生懸命働いて生活のためモノを買っていた。しかし、高度成長の果て、得たモノに対する満足感がモノを「買った」という行為に置き換わったという説があるらしい。う~ん、確かにその感覚は微妙ですが、なんとなく理解できるような気がする。つまり、モノに反応していないわけで、ブランドやメディアやインターネットの情報で脚色された装飾されたモノ(情報)をゲットする行為に満足感を抱き、貨幣価値とかモノが良質であるとかモノを生活に馴染ませ活用することに重きを置いていないということ。なるほどなるほど、だから、泡のように消えた残像にまだ本質をかき消されているような位置関係ですね。それはあるあるである。

 お金で得たモノの価値はさて置き~金を稼ぎモノを手に入れる瞬間に一番アドレナリンが出てるのかもしれないぞ。日本人は単一だからコレクター気質が強いともよく言われているが、そのベクトルが本体ではなく行為に置き換わっているとしたら、本来のニーズが結論であり、モノは目的に対しての媒体になるのか?複雑な仕組みになってしまったものです。お金に余裕のない私にしてみれば、これこそが本末転倒であり、この竜の頭と蛇の尾は決して挿げ変わることなどないのだが。さてさて、こだわりの多様化が幻を追いかける構図になってしまったとしたら、かなり、レッドカードである。

ケント・モリさんの失笑。

 テレビにあのケント・モリさんが登場された。彼のダンスとの出会いやM.J.への敬愛やマドンナとの出会いなど、散々、素晴らしいダンススピリッツを拝見し、アメリカでのダンスステージを観て、さらに、スタジオ登場で、ワンステージ短いステージを展開された。もう、唖然というかこれ以上、いや、これと同位のアーティストとなると「世界の坂本」しかいないじゃん!もしかしたら、ケント・モリさんは現在最高の経歴を持っている日本人アーティスト・ダンサーかもしれないぞ。映画監督や俳優ならハリウッドクラスにひっかかる人は数人いるが、世界の三船さえ、世界の黒澤さえ、たぶん、ケント・モリさんのダンスパフォーマンスの前には舌を巻くのでは・・・と思わせるその登場。芸能人でさえちょっと圧倒されぎみの恐縮な感じ。

 で、最後にその総括で荒俣がコメント。「ケントのダンスには日本の能のテイストがどうたらこうたら~、結局そのテイストをマドンナやM.J.は凄いと感じたの感じてないの・・・。」と。う~ん、困ったものだ、ケントさんの冒頭のブイをこのご老体は覚えていないのか???日本の画一的なダンスが嫌になり、日本を飛び出してアメリカ本土の本場のダンスを修業された~ってあったでしょうに!そこで、M.J.のオリジナル溢れるダンスをリスペクトして現在の「ケント・モリ」があるっていってるじゃん!何が「能のテイストや和のテイストが・・・」なのさ。テレビの一消費者でさえ片腹が痛い痛い。そこは、自分のボキャブラリーは一旦置いて、「これからも素晴らしいダンスを私たちに魅せて、世界を魅了していってください!」でいいじゃん!何を自分自分みたいな、見苦しさがMAXである。なんでもかんでもルーツを「日本文化」に求めない方がいいですよ。たぶん、恐らく、間違いなく、グラスの下のケント・モリさんの表情は失笑だったはず・・・。

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雪の琵琶湖。

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 春も夏も秋も琵琶湖はキレイですが、どんよりとした吹雪の琵琶湖もなかなか。

しんしんと。

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 今年の冬は雪が多い。またまた、しんしんと降り始めました。

「シェア(共有)」がキーワード。

 SNSに始まるソーシャルネットワークの真髄は、所有することからの離脱だろう。情報を共有することでモノの価値を変動させている。本来のニーズの対象が「所有ありき」だった場合、あらゆるモノの貨幣価値は限定される。生産者と流通の仕組みそのものが価値を設定していた。しかし、インターネットの普及はメディアや流通システムにパラダイムシフトを派生させボーダーレスな世界観を構築したばかりか、モノの価値さえも(もしかするとここが本丸かもしれない。)変革させた。

 アメリカ人の約半数の世帯が「電動ドリル」を持っているが、ほとんどの人がそれを一生で6分~13分しか使っていない・・・みたいな。他社とのシェアを考えればたかが6分にどれぐらの代価を支払っているかで費用対が見えてくるし、再設定も容易である。これが「電動ドリル」だからいいようなものの、ワークシェアしかり人の代用がいろいろな現場で派生したらさてどうなる。いや、どうなる人とどうもならない人との共有はどうなる?せめて、なんとか歯を食いしばりそんなことどうもならない人にならねば・・・。

 そして、この「シェア」から生まれる新しいビジネスモデルとは?が次にやってくる波だろう。国家間の争いや宗教戦争にさえこの感覚が導入・適用・反映されれば、空港のターミナルで自分に巻きつけた爆弾のスイッチを押さなければいけないような人は生まれないはずである。人間の「所有欲」が巻き起こす数々の悲劇、これらも、エゴを捨てれば共有の道が開けているはず。そこにこそ本丸はあるような気がしますね。

「競争と公平感」とは?

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 日本経済新聞2010年エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10の第3位で、週刊ダイヤモンドの2010年ベスト経済書第1位と。なかなかのおひれ付きではあるが、サブタイトルの「市場経済の本当のメリット」の部分がとても気になる。大竹文雄さんという著者はまだリサーチしていないのでどのようなお人柄なのか不明としても、なんとなく気になりますね。

 こんな質問が列挙されているのですが、「なぜ日本人は競争が嫌いなのか?」「運やコネは勤勉さよりも大事か?」「競争が好きか嫌いかは何で決まるのか?」「競争のメリットとは何だろう?」「男と女、競争が好きなのはどちら?」「格差の感じ方に差が出るのはなぜ?」「私たちが公平だと感じるのはどんな時か?」などなど、気になるフレーズが散りばめられている。なかなかいい感じである。

 あまり、経済のどうのこうのなど気にはならないが、「それじゃ経済人として失格でしょう!?」と過去に何度も言われているわけではありますが、それでも、上記のフレーズは気になる。

 特に「競争のメリット」の部分が一番気になりますね。「競争社会」と漠然と捉えている部分にいくつかメスが入れば悪い腫瘍も摘出できるかもしれないですし・・・。

しいていうなら・・・。

 京都のラーメン店は競争率が激しいらしい。それぞれ自慢のスープに麺とアレンジを加え、小さいお店ながら味ひとつで勝負している。そんなお店が立ち並ぶエリアだからこそお互い研鑽しながら自分のお店のスタイルを追求している。だから、ニーズが反応してラーメンの街を形成している。なんともまぁすばらしいルーティーンだこと。小さい規模の単位でも創意工夫でお店の中核競争能力を磨いておられるのですね。そんなお店の店長さんの心意気は高い。とても高い自身に溢れているからかなりエゴがきついのかと思いきや、テレビの企画で「しいていうならこちらのお店より美味しいラーメンは?」などという失礼な質問にも、ちゃんと答を用意しておられる。自分のお店のラーメンが一番だという自負と、このお店だけにはかなわないという至高の心。これは、もう、勝った負けたのレベルではなく、リスペクトの部分だろう。自分の位置を決めるのも自分であり、結果、お店に来るお客様にそのbestを出し続ける大切さと、それでも、まだ、高みがあるだろうと余裕をかまさない真髄。山は登る人を選ぶか人がそれを選ぶのか?みたいな。

 いやいや、しかし、美味しそうなラーメンのオンパレードでしたね。「たかがラーメン、されどラーメン」なんですね。まぁ、私も同様に同じような小さい規模の会社ですから、「たかがデザイン、されどデザイン」的な心意気で日々の研鑽を怠らぬように邁進したものです。「このデザインうめぇ~~~!」「アクトのデザインはええらしいでぇ~!」「琵琶湖の湖畔にオモロイ奴がおるでぇ~!」と言っていただけるような試行錯誤自己啓発を追及したいものです。

アドビTVか・・・。

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 ほぉ~、アドビTVか、これが。これじゃTVの人々は大変なはずでわ。大変大変。まぁ、出版社と同じでメディア革命だから仕方ないけど、スカっとだるま落としな感じですね。さてさて、最後に一番上に乗っているだるまさんはどんな顔をしているのでしょう?ジョブスからの新CEOか?Mark Zuckerbergか?ゲイツか?それとも油田王の資本家かウォール街の資産家?もしくはもうこの世にいない人達か?って感じですね。クラウド(天国)の中から電子で何かメッセージを送信しているかもしれませんし・・・。サイエンス・フィクションがノンフィクションにある日一瞬で置き換わるようなパラダイムシフト。絶対に起こるでしょうね・・・。

詳しくはこちらです。http://tv.adobe.com/jp/

フェイスブックの浸透率。

 とうとうフェイスブックが日本を席巻するのか・・・?海外のメル友の皆さまからずっとずっと前から進められていた「フェイスブック」。今回のD.フィンチャーの映画が日本国内での普及の起爆剤になっているよです。基本はSNSだが、そのシェアというか全世界の浸透率がようやくあとづけで国内に流入してきた構図でしょう。まぁ、そもそも、SNSは海外から流入してきたメソッドですから、どう取り組むか波及するか活用するかは結果、使う方のポテンシャル次第であろうが、ブログやツィッターがビジネスの分野で安定してきた上に津波のように押し寄せてきた感じなのでしょう。そのユーザーの保有量では絶大のフェイスブック。ここで日本のポテンシャルが試される・・・みたいな部分もあるでしょうね。さてさて、So many countries, so many customsってことで楽しみ楽しみ。ボーダーレスなデジタル空間にどのようにダイブするのか航海するのか、そして、どこへたどり着くのか・・・。

詳しくはこちらです。http://diamond.jp/articles/-/10862

智子さんってばよぉ~!


 なんじゃこれ!

青い鳥で何を連想する?

 さて、一般的に「青い鳥」で何を連想するか?検索すると面白いキーワードがヒット。「青い鳥症候群 みなさん、メーテルリンクの「青い鳥」という作品をご存知ですか?絵本にもなっているので子どものころに読んだ方も多いことでしょう。知らない方のために、おおまかなあらすじをご紹介しておきます。

  貧しい家に育ったチルチルとミチルの兄妹は、幸福を招くという青い鳥を求めていろいろな国に旅に出か けます。しかし、結局どこにいっても青い鳥を捕まえることができすに家に帰ってきます。二人は疲れ果てて眠り、夢から覚めると、なんと家で飼っていた薄汚れたハトが青い鳥になったのです・・・。 この物語にちなんで、現在の職場に不満を感じ、「もっといい職場があるはず」「自分の能力を活かせる仕事があるはず」と、理想の職場を求めて転職を繰り返す人のことを”青い鳥症候群”と呼んでいます。
  外側から見ると華やかでやりがいのある仕事に見えても、実情は意外と地味でかなりハードな業務だったりします。ほとんどの仕事がそのようなものですが、理想と現実とのギャップを埋められずに、我慢できず職場を転々としてしまう人がいます。しかし、どの職場でもそれなりの苦労があるため、理想の職場は見つからず最終的には絶望感を感じることにもなってしまうでしょう。

 自分に合わない仕事だと見切りをつけて転職をすることや、キャリアアップのための転職も時には必要でしょう。しかし、その際には自分がなぜ転職をしたいのかを冷静に考え直すことが大切です。現状のどこに満足がいかないのか、理想ばかりを追い求めていないかをもう一度よく考えてみましょう。

 もう一つの青い鳥。メーテルリンクの青い鳥を絵本や童話集で読んだ人は多いでしょう。絵本や童話集は子供向けのものであるため、最後には青い鳥が見つかったというハッピーエンドで終わっています。そして、青い鳥は身近なところにいたという話を「幸せは身近なところにある。だから、その身近にある日々の幸せを大切にしよう」というメッセージとして解釈するのが一般的です。

  しかし、メーテルリンクの青い鳥の原作ではその話に続きがあります。もともとの原作は童話として書かれたものではなく、戯曲、つまり舞台用に書かれたものなのです。そして、原作では家にいた青い鳥も結局逃げてどこかへ行ってしまうところで話が終わります。

  この原作に対して、メーテルリンクの意図しているところに対してはさまざまな解釈が成り立ちますが、作家の五木寛之氏は著書「青い鳥のゆくえ」で面白い解釈をされています。

   できあいの幸せ(青い鳥)なんてこの世にはない。幸せは簡単には手に入らない。でも人間には青い鳥(幸せ、希望)が必要だ。だからそれを作らなければいけない・・・。」

 という非常に面白い考察である。なんかガチでリアルな響きが心地悪いが、これを現代の構図に当てはめるのかはめないのかは個人差があるとし、「青い鳥」とはやはり、人の深層心理に深く根付いているような気がしますね。

 人間は一つの幸せをつかむと、すぐに次の幸せを求めてしまう欲深い生き物です。たまには自分の人生においての本当の幸せとは何だろうかとじっくり考えてみるのもいいのではないでしょうか。

 そこで一句、「青い鳥 パソコンフリーズ さようなら」 青い鳥(幸福感)などパソコンの中にはありませんから、もっと、身近にある幸福を探しましょう。パソコンがフリーズしたらいなくなるような青い鳥ではダメでっせ、寂しいでっせと作者は言っているのですね。

三姉妹下描き完了。

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 あるお仕事用の三姉妹のイラストの鉛筆での下描き完了。明日から透明水彩とガッシュで着色です。やはり「姫」は顔が命。この状態でほぼ70%は仕上がり。あとはいわゆる色気の部分ですね。どこかでこの原画を発見したらご一報ください。

プロヴォカティブ(provocative)

 ちなみに「プロヴォカティブ(provocative)」とは、本来的には「攻撃的、扇情的、挑発的」などという意味があるそうです。「可能性を信じ、可能性を広げる」という意味があるそうです。どうも、このニュアンス、たぶん、日本人は苦手だろう。「どんぐりの背比べ」「和をもって~」「出る喰いは打たれる」「横断歩道~」みたいに、つねに協調性がよしと義務教育をへて社会の構造がそうさせている。これにはある部分でちょっとメンドクサイ。攻撃的な人間が孤立する仕組みというか、つまり、村文化なのだろう。あちらの村の村長とこちらの村の村長は意見が合わないから、村の民はそれぞの郷に入って郷に従うことがYESみたいな。それは必ずしもコミュニケーションではない。おそらくコミュニケーションの中に包括されるの能力だとは思いますが、そのしきたりに価値観を侵食されるとアイソレートが全てになる。つまり、井戸の中の蛙状態。情報時代、仮想でいろいろな価値観を共有することは大切だが、ポテンシャルを押し殺してまでネットの中のコミュニケーションに依存する必要もない。また、エゴからくる主観を主張とはき違えるとその反作用はネットだけに相当大きい。これに耐える覚悟があるなら、このリスクのジャブを受けながら、リアクションの右フックを狙っているなら、ジャブやストレートはダッキングすればいい。これのことを「プロヴォカティブ(provocative)」と呼ぶのかもしれませんね。

 ただ、ドンキホーテのように無計画に無謀に挑むということではなく、プランを何通りも練り上げた上で鍛錬しシュミレーションするところにこの姿勢の思考の展開図が見えてくるのだろう。シリアスな攻撃性ではなく、どこかユーモアを湛えた攻撃性でありたい。勝った負けたの結果に一喜一憂することなく、この思考パターンの人と鍔を競り合うことでお互いに高みへ行ければ、故ポートガス・D・エースも喜ぶことだろう。

「木暮荘物語」@三浦しをん

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 恐らく最新だろう。まだまだしをんさんの本は出ているのに何故我慢できない?何故新刊に手を出すのか?それはこれを入手するタイミングが今日だと思ったから・・・。書籍ってそんな存在ですよね。書籍ってそんな買い方でいいんですよね・・・。

人類が消えた世界か・・・。

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 ずっと気になっていてチェックしていた書籍。ハードカバーの時から気になっていてようやく文庫になっていた。そこからもずっとチェックしていたのですが、これまた、なんのタイミングかは分かりませんが、本日購入。ゆっくり楽しみたいですね。人類がいなくなる~とどういう理由かは分かりませんが、仮に~の部分でさてさて地球はどうなっていくのだろう?他の生物達はどうなるのだろう?うんうん、イメージが膨張する感じです。これも「待ち甲斐」みたいなこともちょっと期待して。

錦織圭さんの言葉。

 ベスト16を逃した錦織圭選手が試合後のコメントでこのような内容のことを言っておられる。「全力で戦って負けたすがすがしさと悔しさは、今後の成長の糧になるでしょう。」日本人にして46年ぶりの3回戦にコマを進めた錦織選手の言葉だけに重い。格上の世界ランク第9位の人にぶつかったわけですから、なかなか自分の試合をさせてもらえなかったようですが、それでも、相手選手を意識しながら、自分のスタイルに持ち込もうとするこの強い気持ち。これが何より素晴らしい。具体的にどんなすがすがしさでどんな悔しさかなど想像する術もありませんが、それを経て、「成長の糧」と言わせる器の大きい人であることは、まぁ、間違いないでしょう。ここまでの選手が何をもって「成長の糧」と呼ぶ基準はどんなことなのだろう?それを言葉や文字で知ったところでどうすることもできず、ただ、ほぉ~で終わるのだろうが、世界を相手に戦う気持ちや技や身体ってどこまで研ぎ澄ましているのだろう?もしかして、鍛錬を繰り返して「研ぎ澄ます。」という感覚ではなく、「自然体に向かう。」のかもしれない。やはり、ここでも目的意識と目標設定の違いが至高につながるということだろう。

 さて、では、一般レベルにおいて「成長の糧」の成長の部分。情報時代に様々な技術やビジネスモデルが進化する進化すると言われているが、この「進化」と「成長」の語感の違いは何?たぶん「進化」の方がのびしろが大きい意を指して長期的なバイオリズムなんだろう。で、「成長」とはミニマムな単位で時間の流れに沿って等身大なイメージなのだろう。ならば、現代のこのビジネスの状況は「成長」でいいのかもしれない。でも、のびしろを考慮したいから、させたいから、「進化」という語彙を選択するのだろうなぁ~。それがメディアのテッパンなんでしょうね、神ちゃん。

この仕事の魅力か・・・。

 27歳の頃、その時お世話になっていた会社に新人が入ってきた。その彼の質問に私はこう答えているそうだ(私はすでに忘れているのですが、その彼が言ってくださった。)。質問は「スギノさんはなんでこの仕事をしているのですか?」だったそうで、それに対する私の答は「いろいろな人と出会えて楽しいから。」だったらしい。恐らく27歳か28歳のあたりだろう。東京でデザインの仕事を始めて、大阪(新大阪)の広告代理店の中の制作会社にお世話になっていた頃のこと。

 さて、今現在(46歳)、同じ質問に対して自分はなんと答えるのだろうと考えた。確かにこの仕事は一日中パソコンの前みたいな印象があるが、それは、デザイナーさんの場合、グラデの方やWEBデザイナーやプログラマーの方などはたぶん、この時代、仕事はPCの前だけだろう。しかし、営業やデレクションをしている人は一日の仕事の中でPCの前に座っているのは20~30%ぐらいだろう。あとは、電話で打ち合わせしたり直接お客様のところで打ち合わせが主であり、印刷物を扱っているなら、納品に車を運転したり、デザイン確認用出力を届けたりなどの業務も発生する。つまり、新しいお仕事をするごとに新しい人との出会いがある。これにストレスを感じる人は絶対にこの仕事はできない。ソフトウエアがちょっとつかえて、デザインをかじって、名刺に「WEBデザイナー」って肩書きを入れれば、立派なクリエイターではあるが、デレクションは総合格闘技。そこの苦しさも27歳なりに知って、やはり、自分自身は基本的にたくさんの人との新しい出会いが楽しいと感じるから、この仕事をやっている。それは、今も同じですよ、ましゅ~さん。インターネット時代です、N.Y.の方ともロスの方ともバンクーバーの方ともロンドンの方ともパリの方ともメールや手紙の交換をしていますよ。うん、ただ、楽しいからです。

 ところで、PWが100ヤード弱とのこと。私と同じですね。では、3月5日(土)、琵琶湖大橋の守山側に来れますか?メールをお待ちしております。いつでも好きなタイミングでご連絡ください。

みんなの見積り大研究!

 「Web Designing」2月号の特集記事である。これは毎号とはいかないが気入った特集記事や技術的なお話で新しいことが取り上げられていたら買うようにしている専門書(マガジン)である。とにかくWEBデザインの世界は新しい技術がインターネット環境に連動して次から次へ新しい取り組みがされるので、全てを会得するとこはできないものの、全体的な流れや気になる技術やソフトについてはこうして頭にだけはSAVEする必要があります。中には海外の素敵な取り組みのWEBサイトがフォーカスされていて、実際の仕事のヒントやサインになることもあり、とてもいい雑誌だと思います。

 で、この号の中に「Webサイトの提案と見積りに関する現状を徹底調査 みんなの見積り大研究」という記事があったのでこの中に記述しているいくつかのポイントと実際自分自身が自社で取り組んでいるビジネススタイルの相違点などを少し。ちょっとビジネスモードのブログになります。

 まず、WEBサイト案件のお見積書を作成する際には3つのポイントがると書かれている。それは「成果」。つまり、クライアントさんがWEBサイトにどのような成果を求めているかを反映させる必要があると。そして、次が「物価基準」です。これは世間一般の物価基準値だけではなく、この業界の基準値も意識しなければいけないということ。物価が変動し上がる下がるを知らないければ、あさっての金額を算出してしまうことになるということ。そして、3つ目が「自分」だとのこと。「技術力」「デザイン力」「デレクション力」など制作に必要な力はどの程度?というわけである。この3つのポイントが崩れると、クライアントさんに迷惑をかけるばかりか自社の存続にさえ影響を及ぼしますよというお話でした。うんうん、確かにである。私は比較的若い(27歳ぐらい)頃からデザインやプレテ資料を作成することから、クライアントさんとの接点を得ることや、チームとして動く場合、イラストレーターさんやコピーライターさん、カメラマンさんと連携をして仕事をやらせていただく立場を頂いていたので、様々な案件ごとに金額の設定とデレクションの綾で苦労させていただけた。これが結果、今の自分を支えていることは確信があるが、ひとことでこれらのことは語れない。ただ、テーマや資料を頂きデザインを作成するなら、パソコンとイラレとフォトショップがあればできるが、企画して見積りをしてプレゼンをして、進行を管理して、印刷現場やサーバ会社と連携をとり、チーム内のスタッフの管理やデザインのクオリティーを一定以上に維持するのは、確かに20代の若造にはきつい仕事だった。しかし、楽しくもあったことも事実。組織の中でもデザインビジネスを展開しているという実感がありとても有意義でした。

 それが、時代を経て、WEBサイトの仕事になったとしても同じシンパシーで行けるという確証がある。そして、少なからず自負もある。決して黄金律などないが、もしあるとすれば、「何事もタフに突き詰め諦めない。」ということかもしれない。だから、見積りも同じであり、この雑誌に書かれていた全国のWEBサイトの現場、特に「ご提案とお見積り」の記事はとても利ある文脈でした。

 ちなみに、こんなWEBサイト、あなたならいくらで引き受ける?という事例がありました。それはこんな設定でした。「東京都内、新宿から15分の駅前に位置す美容室の新規開店。地元の駅前の新規店だから、人気を長く継続した仕組みがほしい。そして、地元にも根付いたお店を展開したい。サイトプランはトップページからリンクページへ約6ページ。スタッフが更新する公式ブログCMSも必須。特にギャラリーコーナーページは充実させたい。予約システムは不要。モバイルは必須。制作期間は約1ケ月。」とある。さぁ!いくらだ!となる。この雑誌の中に算出された見積りの数値はそれこそピンキリで、¥150,000~¥1,600,000となっている。それぞれに言い分はしっかりしているが、上記のポイントで言えばさてさてどこが適正値なのだろう?クライアントさんの予算枠もあるだろうし、相場ってものもある。私なら、概算ですが、サーバやドメインの管理を入れても30~40ぐらいだろう。これで、公開後の細かいメンテやサポートもできるはず。ただ、更新作業はボリュームによって別途となるだろう。ただ、デザインを整えて作って終わりがWEBサイトではないので、この部分、クライアントさんがどう評価してくださるかがポイントだと思っております。サーバを管理させていただく以上、長いおつきあいができないと本末転倒である。ただ、弊社の場合、印刷物や広告などのグラフィックデザインも展開しているし、時にはCM映像だけとか展示会用のDVDプレイヤー用コンテンツだけとかも展開しているので、WEBサイトだけをやって終わりというスタイルではない部分で、グラフィックコンテンツとの連動を加味して金額を算出しているという部分もアピールポイントであり競争能力かもしれない。WEB屋さんは結構DTPを見下している傾向・ニュアンスがあるが、WEBもDTPもそれぞれ奥は確実に間違いなく深いです。

 逆に、新人さんやミニマムなSOHOオフィスの方は案件を稼ぐために「希望価格での安売り」をされる。今の時代、これでは絶対に成立しない。これで瞬間風速は上がったとしても、ミニマムな予算でミニマムな展開をしながら、世の中一般の「成果」をのびしろとして期待はできない。これはかなりここまでWEBサイトが氾濫してくればいい意味でも悪い意味でも2極化していると言える。さて、確固たる提案力と技術力とデザイン力とデレクション力を駆使してガチで取り組めるのか、安易に安価なアプローチでクライアントさんからの希望をクリエイトできずに、そこでクリエイター生命を断たれるのか?デザインの現場もつまり激化しているのである。

 うんうん、なかなか、この大研究ネタ面白かった面白かった。

コラーゲンで得た「若さ」。

 人は老いて死ぬ運命にある。しかし、明らかに不自然な「若さ」を整形手術やコラーゲンで得た人は本当に「若い」のか?見た目につやがありすべすべの肌が本当に「若さ」の基準なのか?仮にそれらを施術していることや服用していることを知らずその方に会い、年齢よりもどこか若い感じがすると感じられるのだろうか?広告やテレビに出てくるグラマーでつやつやの女性達はそれでいったい何が手に入ったのだろう?「若さ」にもいろいろな基準があるし、実際、年齢的に若い女性の魅力が30・40・50歳になり肌がくすみ身体のハリがなくって容姿が変貌したとして、それは自然の摂理である。しかし、世の女性の皆さまはなんとかして「老い」を止めたい、もしくは、若い頃に戻りたいと願う。このニーズで巨万の富を得た企業の人達は、やっぱり至誠が天に通じたと達成感に浸ることができるのだろうか。結局、絶対に手に入ることなどない「若さ」を付け刃な技術と元素でとりつくろい、そのひとときに短い達成感を感じているだけのような気がしますが、これが、ビューティービジネスの本丸だから仕方ないのか。

 男だからこの気持ちは永遠に理解できないだろうが、私は年齢と比較して頭の毛が薄い。30歳頃から薄くなりかけて35歳ぐらいには明らかに薄くなってきたので、そこから気にするのが邪魔臭くなって丸坊主(3mm)にしている。でも、薄くないところが伸びてくると「あ~あ、薄くなってるなぁ~。」と思うが、それ以上は何も感じなくなってしまった。しかるにかつらや育毛剤のCMを観るたびに、ここにニーズがあるんだなぁ~と思うが、それにコストをかけることはない。おまけに半分以上(残っている毛髪)の白髪である。大人のルールとして黒色かブラウンに染めたらとも言われるが、それも、メンドクサイ。つまり、メンドクサイ人はこれらのビジネスの蚊帳の外なのである。薄くなりかけた30代の頃は、育毛剤や頭皮にいいシャンプーなどを買っていたが、それも飽きた。結局、そういう人間だから、そうなったのかとも考えてみたこともあるが、それもたまたま。DNAにそう記述されていたタイプの人間だから仕方ないと思っています。

 でも、「若さ」って実際、どうあることなんだろう?肉体的なことだけじゃないと思うのですが。どうでしょう?これもやはりないものの自暴自棄なのだろうか。まぁ、仕事ができて、ゴルフができて、山に登れる身体とそれに見合った技と心があればいいかなと思っております。それでそれが今のところ一番「健康」な状態かなと・・・。

宝くじが当選すれば人生は変わるのか?

 よくテレビCMで聞くフレーズ。「宝くじを当てて人生を変えてやろう!」という無責任なキャッチコピーがあるがこれは海外でも同じテイなのだろうか?奇跡の確率で途方もない(数億円以上)金額が自分のモノになった場合、本当に人生は変わるのだろうか?これは「宝くじ」をまだ一回も購入したことのない人間のひがみややっかみや愚痴レベルの独り言であることは否めないのですが、本当にある日突然3億円が自分のモノになったら本当に人生がどう変わるというのだろう?というのも、ずっとこのテーマで何か物語を書きたい(短い小説)と思っていたので、テレビのCMのフレーズがずっと耳に残っていたのでこんなブログを書いています。

 たぶん、恐らく間違いなくある日突然自由になるお金が3億円手に入れば、気が緩み仕事に対する熱意を完全に消失するだろう。そして、知人・友人・家族はこの程度のお金で何か特別な機会を得たと勘違いするだろう。それまで日々の暮らしの中で培ってきた感覚や金銭・経済観念のどこかの部分が破綻するだろう。いい方向でこの資金を活用すればいいだろうが、いやいや一生懸命仕事をしてその報酬として得たお金以外の方法で得たモノなどなんの価値もないはずが、それが必然のように思え、信じ、自らの人生だからこそ勝ち得たものだと誤解する。そこが全ての始まりであり、一旦壊れた人間の中にあるスイッチは傷のように癒えないだろうし、治癒もしないだろう。つまり元に戻ることなく軸を失い糸の切れたタコ状態になるだろう。それに、「私は1年前、宝くじで3億円当たりました。そして、素晴らしい人生を獲得しました。」という人に会ったことはない。メディアのゴシップなど捏造ノンフィクションの絵空事であるから物理定数的に絵に描いた餅よりもまずいはず。

 身近にそんな人がいて、それで人生が変わったんですっていうふるまいを見れてその言動を聞ければ少しは納得できるかもしれないが、まず100%そんなことはないだろう。確かに「変わる」と言っているが好転したとは言及していないことも、CM的には保険なのだろうか?一転どん底モードになるやもしれない「宝くじで当てた3億円。」結局、夢を買うんじゃなくて、それを購入した分の精神的なドキドキを楽しんで、よしんば当選したとしても、それこそが夢みたいな。

 たぶん、宝くじは一生買わない人間なので、こんな妄想が成立するのかもしれない。

グーグルすげぇ~なぁ~!

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 グーグルはほんとにガチでいろいろなモノにリスペクトを怠らないななぁ~。すげぇ~企業だなぁ~!!!Aとは根底から違うよなぁ~、うん、スゴイ。

ワンピースの新世界とは?

 週刊ジャンプは買っていなので、ワンピースのストーリーはコミックスが最新なのであるが、さて、今後ルフィー達の仲間はどうなる?シャンクスはどうする?黒ひげはどう動く?天竜人は?新世界の兵どもは?そして、ドラゴンは?みたいなことでさらにさらにヒートアップしていくことでしょう。ますますその期待値は上がり、アトムどころの騒ぎではなくなるだろう(もうすでに・・・)。で、ルフィーをはじめとするその仲間達が海軍vs白ひげではまったくほとんど描かれていなかったのですが、それはどうつじつまが合ってくるんだろう?すでにジャンプを読んでいる人ならそのあたりの方向性は理解しておられるだろが、コミックスのサイクルで楽しんでいるモノ的には、とてもわくわくしています。

 で、ここまでの漫画になれば、それそうとうの専門のブログネットワークが存在して、ひとたび「ワンピース 新世界」あたりのキーワードで検索すればその全容やディープな皆さんの想像力でいろいろな仮説が飛び交っているでしょう。しかし、そこはあえて堪えて最新刊を待つという感じ。このサイクルが自分自身にはちょうどいい。フィギアもいろいろ高価なモノがネット上に存在しているようですが、それにもあえて手を出さずに、あくまでも自分自身は「ワンピース」という物語のファンであり、その気持とワンピースを繋ぐメディアはコミックスがベストだと思うのでそのサイクルを徹底しています。

 つまり、本当に自分のスピード感を知っている人は決してネット上の豊富な情報や便利なツールをあえてスルーするみたいなことなのかもしれない。そこにスタイルがあれば、ネット情報はおかずでいいみたいな。

三浦しをん「私が語りはじめた彼は」。

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 うん、三浦しをんさん5冊目の感想は、「間違いない。」である。どう間違いないか、間違いなく小説である。小説家に期待することはひとつ、世界観も含めた分脈も含めたセンスと技術と人間性で酔わせてほしいということ。何万部売れていようがそれは関係なく、山積みにしてある小説にまぁ~間違いが多いこと。にしても「三浦しをん」さんは圧巻である。ゴシップありきの小説や何かのオマージュありきの小説は分かる。フレームをどこかから借りてきて(借りることは決して悪くないし、法典をひも解きたいわけではないので・・・)、そこに著者の経験値やリサーチ能力をベースに独自の組み立て方がされている。と同時に一文字一文字にワンフレーズワンフレーズ毎に粋な視点が散りばめられてる感じ。言わば珠玉なことの例えに相当するのですが、いい。私が読み始めたしおんさんの5冊目。ひさびさ(10年ぶり)に読み終えた直後だが、もう一回読もうと思っています。たぶん、恐らく新しい発見があるはずだろうし、心が動いたフレーズフレーズにまた反応できるかもしれないと思うと、連続2回目の期待値が膨らむ。ほんとにこんな小説は稀である。

 芥川賞も直木賞も発表されたのでチェックしに書店に行かねばならないが、まずは、これをもう一回。

篠を突くような雨か・・・。

 激しい雨のことを例えた表現。篠竹(しのだけ)を束にして地面に突きおろすように、はげしく降る大雨、豪雨。篠竹は、細く群がり生える竹のことらしい。なるほどなるほど素敵な表現ですね。日本語にはなんとも風情のある情緒あふれる表現が多い。が、最近、これらの語彙や比喩を活用する小説や論説が少ないのは何故だろう?昔ならこんな表現がクイズ番組の最難度にはならなかったろうに。絶対を意識しすぎて相対がおざなりになっていないだろうか、まぁ、なおざりよりいいが。

堂々の第7位!丸ちゃん!!

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 う~ん、残念。だけど第7位入賞おめでとうございます。やはり、アメリカはそう簡単に勝たせていただいけないのですね。でも、そんなところがあこがれの舞台なわけで、う~ん、残念。まだまだ、今年も若い衆をひきつれて日本ツアーでも頑張ってください。この入賞で海外でのシード権も獲得できたそうですが、ぜひ、その試合でも優勝争いを期待しております。う~ん、残念。でもでも、第7位もすげっ!

「WebMatrix」提供開始!

 「米Microsoftは1月13日(現地時間)、Web開発ツール「WebMatrix」の提供を開始した。Webサイトの構築、管理、公開まで、あらゆる開発作業に必要な機能を兼ね備えたシンプルな無償ツールだ。Webサイトを気軽にすばやく開発できる効率的な環境であり、また入門者に適したツールでもある。WebMatrixは、プログラミングフレームワーク、Webサーバー、データベースが1つの統合型エクスペリエンスにまとめられているのが大きな特長。Web開発の基本的な作業をこなすために複数のツールを使い分ける必要はなく、デスクトップ上で開発環境から実稼働環境へシームレスに移行できる。」とある。これは素敵だ。つまり、一般にWEBサイト構築のツールが無償で公開されるということ。必ずしもWEBサイト構築のソースやギアは有償である必要はなくなるということだろう。これが浸透するベースには「WEBサイトを構築する」ということがある特定の環境ではなく一般のユーザーにも無料で活用できるということだろうが、これでよりGOODなWEBサイトとPOORなWEBサイトが明確に差別化されるということが起こるだろう。ツールが広く無償になることで一見それは何事も可能になるように思えるが、それはある一定のレベルが限界点である。これまでにも同様の取り組みが展開されてきたがそのツールを使いこなし有益なWEBサイトに活用・適用できてきたかというとそうそう安易ではない。建築設計の世界もDTPの世界もビジネスツールの世界も同様である。

 つまり、無償のツールを「使う人」がポイントであり、「使う=創れる」ではないことを頭で理解していても手に馴染んでいるか否かが分岐点である。しかしながら、これは早速使ってみようと思っておりますね。プロにとってはこの取り組みは両刃のように思えるが、実はとても嬉しい出来事なのである。

おおっ!丸ちゃんが首位である。

 おっと!って感じで、いきなりテンションが昨日から上がっていることがある。丸山茂樹さんが今、ソニー・オープンで首位に立っている事実。連日の65で10アンダーの首位である。昨日の段階では首位に1打差だったのが連日の65で首位に躍り出ておられる。素晴らしい素晴らしい!!これには今年一番のテンションが上がっています。なんとも素晴らしいことでないだろうか、まだまだ、2日間あるから、優勝という期待度は4日目の段階まで胸にしまっておかなければいけないが、もしかして、アメリカツアーでの4勝目がこのタイミングで来たら、また、丸ちゃんがアメリカに行ってしまう感じはちょっと残念ですが、でも、一旦日本に帰ってこられ厳しい期間を経てのこの首位争い。結果がでれば最高である。

 プロのゴルフの世界、しかも、アメリカのツアーは最高峰である。そこで結果を出す日本人なんていなかったわけで、青木さんでさえ、到達できなかった離れ業をクリアしてきた丸山さんだからこそ、日本に帰ってきて耐えていた期間の後のこの首位争いは、これまでの3勝とはまた違った攻め方やテンションの持っていき方があるのだろう。そんなことを考えていると世界のトップクラスで戦う人の努力や能力がいかに人知を超えたその上の上にあるスキルやメンタル力なんだと想像してしまう。

 このまま、このまま、最後に最高の丸ちゃんスマイルを心から期待する。

理解度について。

 まぁ、この言葉はそのままモノゴトを理解する度合いのことを意味しているが、さて、深く分解すると意外と安易に日頃この言葉を使っていないだろうかと感じた。情報が飽和している時代に情報はリサーチすれば迅速に自分のパソコンに落ちてくる。それを見て理解することを目的にマッチさせることが一番肝心な部分ではあるが、本体の理解度がどこまで目的に対してマッチしているかについて推し量る術はないような。理解度を上げましょうと言うがそう簡単にこれは上がらないぞ。自分のルーティーンでやっていることが実は結構浅かったりしないのだろうか・・・。ちょっと、じっくりこのことは検証していきたいですね。

 例えば、「歴史」を理解するとはどういうディテールだろうか。史実をトレスして著者の意図をくみ取り文脈を読むことでそれが客観であれ著者の主観であれ、物事の全体像を知ることができる。そこからの語彙や文脈をどのように自分の中に組み込むかがまず導入だろう。しかし、同じ言葉を読んでもその人の予備知識やポテンシャルの度合いによって幅によってはどのようなフォルムでその内容が入ってくるかが異なるはずである。つまり「知る」ひとつとっても幅が想定される。長文や論文になればそれこそ読解力の部分と文脈からのイメージ力がその深度を左右するだろう。

 で、それを入れた段階から頭の中で反芻が始まるわけですが、これも相当その人のポテンシャルで入るディティールが異なる。どのようにそれらをまとめて資料化するか知識化するかアウトプットの準備をするかなどのノウハウ的なところが技術的にというか論理的に異なるはず。で、そのことで組織的にグループ的に新しいアクションのための方法論を練る場合、そのまとめ方の部分と出し方の部分の能力が理解度と呼べるような。同じことを同じ言葉でコミュニケートしていても出てくるモノが異なる不思議。

 が、逆に言わばデザインという仕事はこの連続である。新しいテーマを投げられ回収し集め反芻しプラン化・プロジェクト化してアウトプットする。この一連のルーティーンが仕事のフレーム。手元の資料が不足しているから表現が劣化するという若いクリエイターとも仕事をしたことがあるが、それは、資料不足ではなくあきらかにポテンシャル不足。そのことはどのような説明も不可のガチのリアル。それは説明や資料で得られるモノではないからである。こんなことを繰り返してきたから、「禅」の世界観に時に惹かれたりもするのかもしれない。だから、自己に対して常に啓発と警鐘と刺激を取り込む訓練をしていないと、つまり、「そういう人」になり、理解できないことを外因に委ねてしまうのである。ひとことに「理解度」、深い考察と分析が必要だと思った。

おお!雪だ雪!

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 今朝の会社の前。う~ん、ついに降り始めた。これは今年一番の雪になりそう。雪をかいてもかいても次から次へ降り積もる感じ。現在もシンシンと降っていますね。しかし、雪は嫌いではないので、なんか、風景が白くなる感じ。とてもいい感じです。雪かきをしていても、なんだかとても嬉しいハイな気分になる。愛犬チョップ君はウサギのように飛び跳ねている。そうかそうか私は犬系だったのか。それもかなりの犬な感じ。散歩してても、ガツガツ歩く感じ、キョロキョロする感じ、ちょっとしたモノオトで敏感に反応する感じ、雪の比較的多いところを歩いてしまう感じ。同類の2匹の生物がお互い綱につながれつないで歩く感じ。雪でテンションが上がるあたりもう末期である。

コトコト電のお弁当。

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 昨日(15日)は彦根駅から近江鉄道さんで日本酒とお食事を電車に乗りながら楽しむ「コトコト電」に乗りました。それのお弁当(1枚目)と電車の中の装飾(2枚目)がこれこれ。地元の食材を見事にアレンジしたお弁当。ゆっくり味わいました。また、人生初の「利き酒」を体験。これも地元のお酒を6種、小さいカップに入れていただき、次々に出されました、が、そもそも、お酒の味などまったくノーカン。だから、うん?これは甘いな、うん?これはちょっと薄いな?うんうん?これはもしかして美味しいのかな???とゴトゴト電車に揺れていると、もう、日本酒が冷だから、グワングワンいい感じになってきました。すると、あれ、1番目と3番目はどこが違ったのか?あれ、美味しいのはどれだった???とまったく、6種の味など分からなくなりました。う~ん、これは正確に利き酒とは言えない。結果、たくさんの日本酒を飲んだだけで楽しい電車でのひとときでした。外は雪が降り出し、なんとも雰囲気のあるコトコト電でした。

 電車の中で語り部の先生に「織田信長」のいろいろなお話を聞きながらの楽しいひとときでした。

PC(ソフトウエア)を使うメリット#001

 意外とあたりまえのことになり、現代におけるパーソナルコンピューターとソフトウエアの連携は言わば「鬼と金棒」状態である。ビジネスにおけるこの不在はもう相当の孤立感を意味する。第1次から第3次まで産業という産業にインターネットとシンクロするこれらの端末・デバイスは必須アイテム中のアイテム。しかし、その活用術となると、ボトムレベルの書籍や導入部分のテキスト本は数多に存在するが、さて、ガチに専門的な活用術となるとその数はほとんど存在しないような気がします。まぁ、どれだけ専門書やこのテイの書籍をリサーチできているかということになると、さほど~レベル。これが仕事ではないのであくまでも自分目線のモノサシであることだけは言及したい。

 で、グラフィックデザイン・WEBデザイン・映像・音楽編集・プログラム編集からちょっとアートな活用術ということでのプロ編とまでいかないものの、パソコン+ソフトウエアと仕事の時間活用の部分での連携についてい少しノウハウ的なことを書いてみたいと思います。

 ある案件が始動すると、まず、プラットフォーム(パソコン+ソフトウエア+インターネット)でやることは、仕上げるために必要な材料・エレメントのリサーチと収集作業になります。既存のデジタルデータを加工する場合、0からソフトウエアで制作する場合、アナログな手法でイラストボードに向かう場合などなど、これが最後の最後の成果物のクオリティーを左右するので重要なポイントになります。しかも、当初予定していた材料がある方向性の起動修正でまた0からのリセットということも多々あるので、どこで入手してどのように作成してという材料としての管理力も大切となる。プラットフォームで作業する以上、これらのデジタル材料は全てハードの中にあるわけですし、カメラで撮影した写真データなどもしっかり管理しておかないと、検索して最適な一枚にたどり着くのに数時間かかることもあり、それはできるだけ効率を出したいところ。で、簡単な小さいサイズのコンテンツデータならそれほどプラットフォームのスペックは必要ではないが、相当のコンテンツを印刷物でもWEBでも構築するとなるとデータ容量が何GBあっても足りなくなる。映像などを編集して書き出しを繰り返すとあっという間に100GBは行くので、できるだけ過程のデータは削除したくないが、行程を吟味して削除をしている。

 さて、そんな仕事現場を踏まえPCとソフトを使うメリットのひとつに時間の効率化があると思う。つまり、どれだけハイスペックなプラットフォームでも一台では限界があるということ。また、仕事の案件毎にOSを選定しなければならない場合、WIN/XPというプラットフォームだけでは物足りない。できれば、複数のOSで複数のソフトウエアを常に連携させながら、作業を進めることがPCを活用する場合のメリットであり活用術のように思います。古くなったパソコンは遅いから仕事現場のネットワークから外してしまうのは一理あるが、それでも、新しいプラットフォームだけで処理できない案件が平行して動いている場合は、これも必須になる。ひとつの案件に集中してクリエイティブできるようなことはまず現場ではないので、常に3~4台のWINとMACが動いている状態がベスト。メインで作り、サブで管理する。ひとつでプイログラムを記述してひとつでグラフィックをオペレーションしてひとつで3DCGをレンダリングさせる。最後の1台はネット用で情報交換に活用する。それぞれの仕事の種類でプラットフォームは分ける方が確実に能率は3~5倍になると思います。

 そこで作業の効率を左右するのが、ベタなところで「キーボードのショートカット」が大切。グラフィック・WEB・映像・プログラム系のソフトとなると、少なくとも7~9個(それぞれにWIN版とMAC版)を使っているので、ショートカットが個々のバージョンで異なる。生産性の効率を上げるためにこれらがすべて手に馴染んでいないと意味がない。つまり、デザインの作業とは言え、ソフトがどれだけ手に馴染んでいるかが勝負なので感覚的な部分でも論理的な部分でも会得しておくことが大切。その上で、複数のPCとソフトウエアの活用術が見えてくると思います。

 イラストについて言えば、あまり、ソフトウエアでは描くことがないので、イラストボードと筆やペンなどのツールも必須になる。着色して乾燥させている間に3Dのレンダリングをしてインターネットで検索する~みたいなことが体感としてできていると、「おおっ、パソコンとソフトウエアってやっぱいいじゃん!」となりますね。

今昔奇怪録@朱雀門出著。

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 ある方からのオススメの一冊。さっそく入手しました。このジャンルは全くスルーしてきましたので、ある意味楽しみです。ホラーと言えばの部分で、私の王様は「スティーブン・キング」なので、どうしても、ホラー系となるとキングと比較してしまうだろうと思っておりますが、それはまだ未知数の部分として、自分自身がリサーチして入手した小説ではないので、どれだけののびしろがこの文脈の中に存在するかが楽しみです。非科学的な部分はあまり自分的には芯を喰っていないので、どこまで琴線に触れるのかがとても楽しみです。まったくの筆おろし状態なので、さてさて、どんな振幅があるのでしょう。

 「恐怖」とはその地域の慣習や歴史などの思念的な部分が背景にあったり、宗教的な要因が深く関連している。そこに登場する人物にどこまで感情移入できて、情景描写や物語のディーテルがどこまで軸足としてぶれていないか、根拠のない論理に恐怖を覚えるのか?仮説上の文脈構成に冷たいディーテルを感じられるのか?うん、楽しみな一冊です。

七曲がりの滝。

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 あるクライマーから到着した関西エリアの「七曲がりの滝」のショットです。この迫力はたぶん写真では伝わってこないのだろうとしても絶景であることは感じることができる。たぶん実際この場所に立てば、恐らくこの迫力の度合いは30~100倍ぐらいでしょうね。つまり、どれだけパソコンモニター・タッチパッドの液晶モニター・スマートフォンのモニターの鮮明度が上がり、どんな技術で3Dを駆使しようが、その臨場感やリアリティーはたかが知れているということ。写真や映像の限界点がそのあたりなのでしょう。デジタルパルスを五感が感じるリアルの度合い・モノサシがあるとしたら、そのあたりが正確に計測できるだろうに。が、それもまた計測できないからいいのかもしれない。

 この「七曲がりの滝」はそこそこの冬山登山モードで山中を闊歩した者だけが到達するリアリティー。その場にヘリでストンと降ろされて「はい、これが絶景です。」ってのも一番大切な部分が欠落している。つまり、ここに至ると決めた瞬間の想いから、その場所を思い描くイメージとそのプロセス(行程)を経て、身体が動き頭が活性化されそしてその場に立ち肉眼で見るからこそそれが「絶景」なのである。生物学にか医学的にかは知らないが、そこにガチなリアルがある。端末の中で適当な代価を得てもそれに人間の心が呼応するとは思えない。頭で考えるほど頭は薄くない軽くない小さくない。それが、デジタルコンテンツの性ならばそのことを十二分に理解した上でクリエティブに取り組まないと尻の切れたトンボが乱舞することなる。

 極寒の空気の中、滝の水が凍り、その氷がきしむ音、聞こえてきそうなワンショットです。

映画「ソーシャル・ネットワーク」。

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 これこれ、フィンチャーの新作新作、楽しみ楽しみ。

映画の公式WEBサイトはこちらです。http://www.socialnetwork-movie.jp/

10の黄金律。

 米グーグルの会長が示した「10の黄金律」というのがあるらしい。下記にそれをコピペします。

◎採用は委員会方式で
グーグルで採用面接を受ける人はすべて、少なくとも6人以上の管理者あるいは将来の同僚との面接を行う。すべての人々の意見が大切であり、このことで、採用のプロセスがより公平になり、採用基準の向上にもつながる。もちろん、それだけ時間がかかることになるが、その価値はあると思っている。すばらしい人材を雇い、その人を次なる採用のプロセスに集中的に組み込むと、さらにすばらしい人材を雇うことにつながる。

◎必要なものはすべてを供給せよ
私たちは、標準的な(有給休暇、健康保険などの)付加給付を提供しているが、それに加えて、ファーストクラスな食事施設、ジム、洗濯室、マッサージ室、床屋、洗車設備、クリーニング、通勤用バスなど、ハードワーカーなエンジニアなら、ほしいであろうものをほとんどすべて提供している。結局、プログラマーはプログラムを書きたいのであって、洗濯物を洗濯したいわけではないのだ。

◎一カ所につめこめ
グーグルにおけるほとんどすべてのプロジェクトは、チームプロジェクトであり、チームというものは、コミュニケーションをとる必要がある。コミュニケーションを円滑にするもっともいい方法は、チームメンバーをお互いに数フィートの間隔においてしまうことだ。結果的に、グーグルのほぼすべての人々がオフィスを共有することになる。

◎協力を容易にする環境を作り出せ
すべてのチームメンバーがお互いの数フィートという近くにいるため、プロジェクトを調整することは比較的容易である。物理的に近くにいることに加え、グーグル社員は、週に一度、先週1週間になにをしたかを説明したメモを自分のワークグループにメールで送ることになっている。これによって、簡単に、誰が何に取り組んでいるかがわかり、進捗管理や、ワークフローをシンクロさせることが容易になる。

◎自社製品を自分でも使え
グーグル社員は、会社のツールを徹底的に使う。ウエブはもちろん、すべてのプロジェクトやタスクについての社内向けウエブを使う。すべては、インデックスされており、必要に応じてプロジェクト参加者が利用できるようになっている。GMailの成功は、ひとつには、社内で何ヶ月もベータテストされていたことにある。社内でのメール使用は、極めてクリティカルな活動であり、GMailは結果的、もっとも厳しい要求を突きつけるグーグル社のナレッジワーカーを満足させるべく、チューンされていったのである。

◎クリエイティビティを奨励せよ
グーグルのエンジニアは、自分の就業時間の20%を自分の好きなプロジェクトに費やすことができる。私たちの秘密というほどではない、もう一つの秘密兵器は、社内のアイディアメーリングリストである。この会社横断的なサジェッション箱には、駐車場の手順から、次のキラーアプリのアイディアまでさまざまなアイディアを投稿できる。

◎コンセンサスに至るように努めよ
グーグルでは、唯一判断を下す者を英雄視するのではなく、「多数は少数より賢い」というスタンスに立つ。どんな判断を下そうとも、その前に、広い視点をつねに求める。グーグルでは、マネージャの役割は、専制的に決断を下すのではなく、さまざまな視点を集めることにある。

◎「悪魔」になることなかれ
このグーグルのスローガンについては、いろいろ書かれてきたが、私たちは、本気でこれを実践しようとしている。特に、マネージメント層ではそうである。どこの組織でもそうだが、人々は自分の物の見方というものに熱狂しがちである。しかし、ほかのよく知られたハイテク企業のマネージメントスタイルとは違って、グーグルでは、誰もイスを投げない。寛容とリスペクトが育まれる環境を作りあげたいのであって、イエスマンだらけにしたいわけではない。

◎データが判断をもたらす
グーグルでは、ほとんどの判断というのは、量的分析に基づいている。私たちは、インターネット上の情報だけでなく、社内の情報をも管理するシステムを作り上げている。私たちは、多くのアナリストを抱えており、彼らが業績を解析し、トレンドを描くことで、会社を可能な限りアップトゥデートに保つことができる。

◎効果的にコミュニケーションを取ること
毎週金曜日、全社員参加の会を設けている。ここでは、発表が行われたり、紹介や、質疑応答なども行われる。こうしたことにより、マネジメントサイドがナレッジワーカーがいま何を考えているかがわかり、逆もまたしかりである。

とある。

 この「悪魔になるな」というニュアンスは、人間は自分の見方に溺れがちだが、異なる意見に耳を傾け他社を尊重する環境こそが大事であり、組織の長は専制的に判断を下す前に、常に様々な視点を集めるべきであると。組織をイエスマンだらけにしてはいけないとしているらしい。

 極々、当然の話のように聞こえるが、なかなか、この黄金律を実践できる企業は少ないだろう。個性を伸ばし、より大きな力(なにも大きな力がすべてではないが・・・)に高めるために必要なのは、経営者の構想力と組織の包容力だろう。決して人気や知名度ではなく、自分自身がいきいきと働ける職場を自分の目で見つけられるか。そんな独自(本来の)の眼力がある人材を企業も求めている時代なのだろう。理想を言えばキリがないが、最低限度モノゴトが時間軸の上で動く以上、それを担う動力源・エネルギーが必要であることは間違いないだろう。

故横沢彪氏のご冥福を祈る。

 それは偉業としか表現できない仕事を展開されたことに他ならない。他界されてもその金字塔は今もファンの心の中に輝いている。それがメディアを創るということなのだろう。一見派手な世界のように見えて実は地道な作業の蓄積だったことだろう。人と人とのつながりにこそお笑いの真髄があるのだと思います。たぶん、恐らく、現代はそれがかなりの頻度で現場の方のポテンシャルに依存しているような構図が感じられる。結果現場ではあるが、それを包む大きな包容力のある方が影で支えているのびしろとそうでないのびしろ。横沢さんから継承すべきことは多いはずだと思います。

勝者なき消耗戦か・・・。

 「マスメディアの王者の座に長きにわたって君臨し続けてきた新聞社とテレビ局。しかし、インターネットの普及や新しいメディアの台頭に加え、収益の柱だった販売や広告収入も頭打ちになり、繁栄を支えてきたビジネスモデルが限界を迎えている。ようやく自分たちが構造不況業種になり下がった現状に気づき始め、新たな経営モデルを模索しているが、時代の変化は想像以上に速く、残された時間は少ない。はたして王者たちは、生き残ることができるのか。今、その戦いのゴングが鳴り響いている。」というメルマガが到着した。なるほどなるほど。へぇ~王者だったんだ・・・みたいな。インターネットの普及がここまでとは想定外だったのか、なんとかなるだろう程度の危機感だったのか・・・と決め打ちするのも見誤っているように感じる。そもそも「マスメディアVSインターネット」という構図は成立しない。時代の変化と言ってしまうのは非常に簡単で安易ではあるが、そもそもそのスピードは何がモノサシなのか?単純に短絡的に「早く」なったとして、何が?「進化」と言うがどの程度?「進化のスピードが早くなる。」とはいったい何を意味しているのか?地球の自転速度が速くなればそりゃ早くなるだろうし、磁場が狂えば生態的に影響がでるだろう。公転と自転のスピード上で整ってきた環境下で何がどう早くなり進化が具体的にどうなのかなど誰かのさじ加減ひとつ。創出もたまたま、淘汰もたまたま。

 「勝者なき消耗戦」って、何が勝ちか仮説上の便宜上のご都合上の力点でしょうに。

「めし友グランプリ」か。

 「めし友」とはご飯の上にのせて食べる、ちょっとグルメでちょっとほんわかなご飯アイテム。それぞれ国内の特産物などを原料にそれぞれご当地のいろいろな方が工夫をこらした調理方法で「めし友」を作りそれをタレントや専門家が審査してグランプリを決める。M-1が終わったので次の一手のようですね。しかし、面白い視点でありのびしろのある企画ですね。たしかに、滋賀県の近江八幡の「赤こんにゃく」がテレビの画面に登場すれば釘付けになりますものね。残念にも決勝にコマを進めることはできなかったが「滋賀県近江八幡の赤こんにゃく」はその名を全国に投げられたはず。あとは実際それを食べてみて全国の皆さんの味覚に訴えられれば素敵な展開が見えてきます。何も皆さんは赤こんにゃくで自社ビルを建てたいとは芯のところで考えていないはず。郷土愛のひとつのカタチとしての赤こんにゃくアピールだったと感じました。それがまたテレビで伝わる感じがなんともにくい企画です。さすがである。戦略とはこれこれ。テレビの特徴をよく捉え練り上げられた企画である。現場の人間だからこそ、いろいろ動いておられる人だからこそこのプランを具現化できるのでしょうね。そういう人に人は感動するのでしょうね。お手本のような企画です。

直人対決。

 タイガーマスクの主人公名称「伊達直人」がピックアップフォーカスされている。素敵ですね。名前を公表しない売名行為から距離を置く姿勢がなんとも日本人の美学を表している。恵まれない子ども達にそれぞれの直人さんは自分にできるカタチで学業の日常生活の手助けをするかぁ~、素敵です。確かタイガーマスクというアニメが流行った時代も時代背景にそのような現状があったのでしょう。だから、誰しも子ども心に逆境に負けない強いヒーローに釘付けになった。

 一方、もう一人の直人さんはどうだろう?間逆とは言わないまでもさてさて、その手腕は???って、この場合実在の人物ではあるが、その実態は「伊達直人」よりも薄いような印象がある。何をやっているのか?どう考えているのか?そして、この国をどうしたいのか?杓子定規なことは置いておいてご本人がどう考えて行動しているのかを見える仕組みがあればいいのだが。どうせなら、直人さんと直人さんに同じリングに上がっていただき闘っていただくということはバーチャルでできなものか。何をテーマに戦うかが重要ではあるが、その前にどんな戦術で技を持っているのかを観客として知りたいところ。タイガーマスクにはいろいろな技がありそのリングに立つための背景もしっかりと漫画の中で描かれていた。同様にセオリーをステレオタイプに羅列する能力ではなく、ガチの手腕をリングで戦ってみませんか?勝ち負けはさて置き、何か新しい抜本的な化学反応が起こるかもしれないですよ。

 子ども達に罪はない。大人も大変な時代。余生モードになった余裕のある連中がちょっとだけ「伊達直人」になれば詰まっていた流れもゆるやかに流れ出すような気がする。流れを止めている一人がもうひとりの直人さんではないことだけを願うばかり。

こんな感じかな・・・。

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 いよいよアクトのWEBサイトをどげんかせんといかんことになってきた。いつかいつかと先送りにしていたらとうとう1年が経ってしまった。サイトのデザインのラフスケッチも一番最初のラフスケッチを確認したら2010年の1月。つまり、昨年の今頃に「そろそろ」と思っていたことが結局軽く一年経った。いかんいかん、これではいかんと自分を奮起させるものの、「これだ!」という決定打が出ないからしないという悪循環で年を越えてしまった。だからそろそろなんて言っている場合ではないのだけれど、自分の会社のWEBサイトって灯台の元じゃないけどあまりフォーカスしないんですよね。というかどういうWEBサイトにしたいのか?と自分自身に投げかけるが「あれもこれもどれもそれも・・・」となり、収拾がつかなくなるパターン。締め切りも自分自身のさじ加減だし技術的に大抵のサイトは大丈夫(のつもり・・・)だから、どんどん先に送られる始末。しかし、ここでガチで取り組まねばなるまいと恒例の1月病に襲われている感じです。

 さて、ならば、消去法で考えてみよう。弊社の業務はどうで、情報としてどこまで何を掲載するのか?コピーライトで魅せるのかデザインで魅せるのかアートな感じにするのかビジネスタッチにサクサクっとさせるのか?また永遠にも思えるループがぐるぐると回り始める。世の中に存在するデザイン会社のWEBサイト、印刷会社のWEBサイト、WEBデザインプロダクション、個人作家さんのアートなサイト、楽天などのちょっとガツガツしてるモール系のサイト、ガッチリ金看板を全面に押し出す大手のコーポレートサイト、海外のデザインやアートの分野のとてもとても魅力的なWEBサイト。仕事でいろいろなWEBサイトを見過ぎているのだろう、ここでも決定打が出ない。ホームラインを狙いたいのにバントはしたくない!とか、ヒットではなく、塁にランナーが溜まるまで待ちたいとか、どうせ打つなら最終回で記録より記憶に残る印象的なWEBサイトにしたい・・・、う~ん、思案が止まらない。

 ならばならば、色で決めよう。赤が今年のトレンドらしいから、真っ赤なサイトはどうだ?いやいや、黒いサイトはカッコイイぞ、いやいや、シンプルイズベスト、ベースは白色に、でも、色を扱う商売をしているのだから色もそこそこカラフルに・・・と、この始末。

 さらに、ならばならば、電子書籍時代だから、もっと文章表現に凝った読んで頂きアクトの業務を知っていただくようなちょっと読み物風の~や、絵本的なテイストで物語を創って業務案内をしたらどうだろう?でも、昨今、喰いつきを考えたらあまり文字は多いのはちょっと。ならば、俳句やキャッチーなコピーライトで楽しく、ぐっとくるようないろいろな語彙やフレーズを並べて広告的なニュアンスのコンテンツはできないだろうか?となる。う~ん。

 じゃあ、ぶっちゃけ(自分自身に)、どんなWEBサイトにしたいのか?と開き直り一周(何周も)回ってくるとどうやねん!となる。結局、自分が創りたいWEBサイトになる。世の中のセオリーや固定観念は頭に入っているつもりでも、元来天の邪鬼な人間なので、どこか新しい、どこにもないような、観たことないような世界観をとなる。でもでも、なかなか、そんな斬新なことをできるはずもなく、自分なりの「そこそこ」でそろそろ、本当にそろそろ、リニューアルをしないと・・・。

 この文章を書く前は上記のようなサンプルがいいかなと思ってアップしたのですが、もう、一回観たら飽きてきている。自分が飽きるんだから、アクトのWEBサイトにそんなニュアンスが適用されるのも嫌だし・・・と、また、別のサイトをリサーチしようと思いかけている。まぁ、そんなこんなで結局一番いいのは、期限を切ることだろう。だから、このブログに宣言してしまえば既成事実としてそれは必然になる。

 ということで、なんとか頑張って、2011年2月28日(月)にはリニューアルを完成します。で、情報紙S.O.S.第27号も3月1日の発行を目指して、企画・編集に着手します。ということで、S.O.S.マスターメンバーの皆さま、今回はちょっと変形でフルカラーで企画しておりますので、よろしくお願いいたします。詳しくはメールと郵送で近日中に原稿依頼書を送らせていただきます。今、しばらくお待ちくださいませ。テーマはこれもずっと1年保留状態になっていたモノでいきます。第27号のメインテーマは「なんでやねん!」です。ツッコミフレーズですね。現代に日本に世界にペットに仕事先にカミさんに有名人に無名人にクリエイターっぽい感じで新春一発目のツッコミをばっさりと入れていただきたい。詳しくはこのブログでもご案内していきますし、原稿依頼書にも記載させていただきます。

 はぁ~、記述してしまった・・・。有限実行で頑張ります!

強い物語。

 「物語には続きがあります。面白い物語にふれ、圧倒的な物語に身を委ね、ただ無心に活字を追った一冊には、あなたの想いがきっと宿っているはずです。その一冊に触れている時の風景、心の動き、そして物としての手ざわり。物語を紡いだ著者の想いに、あなたの想いが重なったとき、「本」はかけがえのない宝物になり、「物語」が受け継がれていくのです。」~あるパンフレットより抜粋~。非常に的を得ている素晴らしい文脈である。さすが危機感のある出版社のコメントは重く深く継続性が高い。訴求力があるというか覚醒力があるというか。たぶん、多くの出版社はこれらの想いを書籍に込めてきたのだろが、時代が書籍から電子書籍に流れようとしている現代、この言葉は悲痛なニュアンスさえ感じてしまう。物語は確かに続いている。例え著者が他界されたとしても書籍に込められた想いは一冊の書籍の中に刻印され、読み手をどれだけ時代が廻ろうが待っている。それが書籍である。それにはどうしても「手ざわり」が必要不可欠だと思っているが、それも時間の問題かもしれない。「手ざわり」など要らない。知覚だけあれば脳は満足だという割合が増えれば「手ざわり」は「想い」から引き剥がされるのだろう。それを一番最初に込めた人の想いといっしょに。そして、永く繋がってきたスパイラルさえそこで事切れてしまうのかもしれない。その中にも「強い物語」が継承されることを心から願っている。

初練習。

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 かれこれ最後にラウンドしたのが昨年の夏。それから一回も練習場には来ていない。ということでほぼ半年ぶり。寒いので今日は身体ならし程度にということで、ドライバーと3鉄とPWで100球ほど。とはいえ今年こそは絶対に90を切るつもりなので、じっくりとここで練習していこうと思っております。この練習場が好きなのは、着地地点がフラットで芝(草)地面であり、いろいろな風の向きがあるので参考になるということで、オキニイリの練習場なのです。人が少ない時は芝生の面でこっそり打ったりもできるので非常にありがたいという訳。さて、まだまだ寒いので身体は動いていませんでしたが、ここでじっくりと調整していきたいと思っております。ことのほかクライミングの練習で上半身を鍛えていることで、「クラブが軽い」と感じた初練習でした。頑張ろう。

しをんのしおりを知る。

 書店で三浦しをんさんの「しをんのしおり」という書籍を発見。あぁ~こんなの出てたんだと即入手して読み始めています。なかなかですね。やっぱ三浦しをんさんという作家は好きであると確認できる。4作品ほど小説を読ませていただいた段階でまだ小説も残っているし、エッセイなどもあるらしいことを知った。これは、昨今の日本の作家さんでは珍しいことである。いつも、書評のくだりで判断して書店で購入して残念!というパターンにそろそろ懲りていたので、最近の作家さんで2作目を買うというこはまずありえなかった。そんなつまらないことで時間を使うなら専門書か仕事関連の書籍を買う方が~みたいなことになっていたからである。私の好きな海外の小説家は30名ほどおられるのですが、すでに、新刊がでる可能性が非常に薄く、出た時は即購入して読んでいるものの、あとが続かないのが現実。ひとつひとつ丁寧にチラミしてチェック・リサーチするがどうもはずれな感じがするために書棚に戻す。有名な作家でも上記の30名に入っていないとちょっと躊躇してしまう。で、意を決してもほとんどが残念な結果になる。映画の原作も精力的に読むがそれでも映画の方が良かったやん!ということがほとんど。

 そんな流れを完全に三浦しをんさんは切り替えていただけた。小説としての質感や構成や空間の描写が素晴らしいこと以上に人間を愛しておられるひとつひとつの言葉が読んでいて心地いいと文章にすればたかがこの程度であるが、少なくとも出版社が売ろうとしている小説作品とは異なるモノ。逆に出版社のオススメ作品はひれが多すぎる。その割りに翼が小さく飛べない小説作品が多い。まぁ、出てくる小説全てを網羅している訳でもそれぞれの大手出版社にネットワークがあるわけでもないので、感覚的な暴論に近い見解ではあるが、書籍が売れない原因のひとつに出版社の誤解が少なくとも影響を及ぼしていることは否めないと思います。物理定数で決して書籍の質量は推量できない。それは、人を推し量ることと同じであり、小説は著者であり、著者とは小説であるからである。出版社には高学歴の方が多いらしいが、高すぎてきっと腰が曲がらないのだろう。もっと、頭のストレッチをするべきだろう~とたぶん、三浦しをんさんも思っているのではないだろうか~というニュアンスが「しをんのしおり」の中に感じられた。錯覚かもしれないが素敵な錯覚を得られる文章って、それはそれで素敵だと思う。

ワンピースの波。

 昨年ぐらいからテレビで何かと「ワンピースクイズ王決定戦」みたいなテイの企画プログラムが走っていることが鼻につく。それぞれのタレントが私はワンピースのことなら何でも知っています的なコメントを重ねる感じ。このシーンでは泣いたとかこのシーンを語らずにワンピースは語れないとか、それぞれのキャラクターを語る。尾田先生もこのことを喜んではおられるだろうが、さて、ひとりのファンとしてこのにわかブームな付け刃的な場渡りモードがとても鼻につく。というのも、家電とワンピースを同じにしてほしくないからであり、ラーメンと同じに扱って欲しくないからと考えるからである。日本を漫画王国とひとくくりにしてその一角にフォーカスしてテレビの視聴率につなげようとする魂胆が好きになれない。ならば、ルフィーがゾロを助けるあたりから取り上げてほしいし、映画と連載を同軸で分析らしきすることもできればやめてほしい。たぶん、ワンピースのマスター達はこんなテレビプログラムを見て失笑しているだろう。ガンダムやエバンやドラゴンボールやスターウォーズみたいなテイでああだのこうだのと全く片腹が痛い。テレビの人たちはど~んと白ひげやエースの大きなセットの中でタレントがワンピースを語ればそれで数字がとれると思っているだろうが、あまりにも安易なこの雰囲気に失笑であり、テレビ欄でその企画を発見しても絶対に見ないし、仮に緩いタレントがワンピースを語り始めた段階でチャンネルは変えている。つまり、ブームになったこととメディアの連携には何も相関関係がない。相乗効果はどこかで連動しているだろうけれど、それは、たまたまの部分で、本丸は尾田先生をはじめとする編集企画実行委員会のサポートメンバーの中で完結していればいい。どんなカタチでユーザーにそれが届こうかあとは野となれ山となれでありそれが大きな山になったからと言って、皆が皆その頂で思いを共有する必要はない。それは他の一大ブームを築いた物語なら、関係も興味もないのでそれでいいが、絶対にワンピースだけはそれをやってはいけないと思うし、それで視聴率を得ようとしているデレクターがいるとしたら、お茶を濁して速やかに撤去して、また、いつもように家電やラーメンやスイーツや衝撃映像で日銭を稼いでくださいな。ロビンのあの叫びを簡単にクイズにはするな!この類の意見はたぶん国内に5,000万件ほど蠢いているはずですよ、たぶん。

 そして、「ワンピース」があれだこれだと決して語らないこと。それは、ファンの心と尾田先生を紡ぐ太いラインですよ。にわかかディープか知らないが適当な根拠と思いつきでそれを言葉にすることだけは止めていただきたい。それで、何を示したいのか知りませんが、それは、ワンピースファンの目には小さい小さい誇示・主張・エゴ過ぎて滑稽です。物語はまだまだ続きます、続いて欲しいと願うファンとそこそのテレビの枠で結論めいたことを適当に語るテイでこの物語を締めくくるようなことは、自分の小さい器を露呈することに他なりませんよ。見苦しい以下の行為ですから。

小説という商品。

 衣食住、趣味趣向、様々な商品が市場に氾濫している。代価に見合う商品を日々のルーティーンでユーザーは購入し、デベロッパーは市場をリサーチし流通を動かしメディアを拡販し購買力をコントロールしている。それらをベースに経済や文化や歴史が流動的に時間の経過の中で進化と退化を繰り返す・・・と端的にフレームだけを文字にすれば今起こっていることはこれだけに納まらなくはない。しかし、そこに一喜一憂があり紆余曲折があり試行錯誤があり切磋琢磨があるからドラマチックになる。そんな飽和する商品の中で「一冊の小説という書籍」は非常に特別な商品のように思える。まぁ、単行本で¥3,000まで、文庫本で¥1,000までという単価がそれぞれの発行部数に見合う制作コストをかけて制作され、上記の流れの通り、メディアや流通や販売店の意向、ニーズの是非で、ユーザーの手に渡る。しかし、「いい小説」の条件にはどのような商品でも同じであるがそれを求める「いいユーザー」が必要である。この場合の「いい」は誰が作り何を指しているのだろうか?という部分で、さらにこの「いい」が分解でき分類できるような気がします。ただ、小説を書いている人目線で言えば、頭の中にあるイメージや構想やノウハウを文章化することで小説というカタチは完結し、その次の段階で印刷や製本や販売営業・販売戦略を経て書店に並ぶ。となると「いい小説」は著者が筆を置くまでに確定しているということになり、他の専門書や雑誌のように「多くの手」を「多くの知恵」を「多くの広告主」を結集させなくとも完成する、しているという仕組み。これは、言わば、ひとつの芸術なのである。陶芸家が土を練って作品を創る。それを、欲しい人が代価を支払い購入する。非常にシンプルな仕組みなのである。しかし、時代と共に仕組みもニーズも変化し、作家のスタイルも変化している。それが上記の通り「進化か退化か?」は・・・のみぞ知る的な暴論に任せ、やはり、変化していることは否めないし、「いい小説を作者が創り、いいユーザーが購入する。」という仕組みはいくらアマゾンが便利なろうが、いくら街の書店がクローズしようが同じなのである。まぁ、これらの進化と退化はあらゆるビジネスの現場で起こっていることではあるが、最終的に生産者とユーザーがいればこの仕組みは成立する。進化の過程でその中間で綱渡りをしている人は確実に退化・排除される。というか合理化される対象になるのでしょうね。いい生産者であるためにいいユーザーであるべきなのである。

 「それは、お前が好きな小説を買うためだけの無駄使いの言い訳にしか聞こえない。」と感じる方は、もしや、綱の上の人なのかな???

非言語の伝導率。

 デバイスが進化する以上、ニーズは拡散される。新しいニーズとはそもそも?と言い始めるとそのスパイラルが綻ぶようにも思える。もう、言語上の理性は表裏一体感を失い、それぞれの磁場に散り始めているように思える。その原因を歴史や言語の収束力に求めないようにしたいが、それがルーツでありそれがルールである以上根底は揺るがない。言及すれば「iPad」とは何か?となる。右のほおをぶたれれば左のほおを差し出す精神なのか、八百万の神が宿っていると認識するのか、色即是空な情報経路にアイデンティティを見つける努力をするのか?飽和している情報の駒を何かで繋げるために一躍を担うことができるのか?期待値は決して低くはないがラクダのこぶの頂きが相対である世界にその真価はどうリンクさせるのだろう?と、ちょっと大きめのふろしきを広げてしまったが、つまり、言語が担ってきた流通というか思考のアウトプット経路と非言語(音や絵や触感や味覚)との関係性をあの白髪のご老体はどうにかして丸く収めたいとでも考えているのだろうか。英語圏と日本語の伝導率、はたまた他の言語の伝導率をこのデバイスがどこまで集約するのだろう・・・がもっとものびしろのある論点だと思う。

 で、デザインやアートの担う部分。デジタルコンテンツをアナログなスキルで分解し再構築する作業の行程上、どの節をどの脈を紡げばそれは淀まないのか。というのもある企画申請書を今読解しているのですが、どうも、最近このテイの企画書の荒ばかりに気持ちが奪われ本丸の部分をコミュニケートできないジレンマがある。これが若干ストレスになり、その作用を反作用に変えるエネルギーがどうも非生産的に感じられる。創るとは繋ぐ能力であるから、ここに違和感を感じてしまうと悪腫瘍のようにそれがすさまじいスピードで転移する感じが心地悪い。腹を切り、摘出したらそれはダイヤの原石だったという化学反応があることもあるので開くまでそれを悪腫瘍だと決めないように努力はしているが、無影灯で影を作らずその部位を照らしているつもりでも、それが見えにくいことが辛い。つまり、これらは手の術なのだろう。メスと鉗子だけでは部位にたどり着けないもどかしさ。仮に発見できたとしてもすでに転移が認められやもなくそのまま縫合して死期を待つ~みたいな。悪い部位を摘出することで生命線を断つ結果にならぬようにスーパードクターの技と知識と判断力が非言語を扱うエキスパートにはより求められている時代だとも言えるように思います。末期の患者に死期を通達する時、医師は笑顔であるべきか、感情を押し隠し伝えるべきことのみを伝えるべきなのか。共に涙し人生の価値観をそれぞれの患者と共有する器が必要なのか。伝導率を考察することはオペとクランケの関係にも似ているよに思うのです。

 ただ、自分の身体の中にも悪腫瘍が存在しないという確証はないので、日々、手探りであることを忘れぬこと。

著作権を振りかざす人。

 著作権はのぼりではない。著作権は法典ではない。けっして無意味にに振りかざしたり奉るものではないように感じる。が、あらゆる意匠を著作物として規定する人達の真意はいかに?何のためにそれをそうするのかという根幹的な部分がどこをリサーチしても緩い。それを古今東西までエリアを広げてみると、どこかにそのルーツがあるのだろうかとも思い、リサーチするが、意外と緩い。まぁ、法律と同じレベルの組み上げ方であるから所詮何かの理由で利便性と便宜上の文章化に過ぎないのだろう。法の裁きが絶対だとする立場の人には得てして一定のパターンがある~と考察するある書籍を発見した。この場合もこの著者がリサーチした文脈であるからその著者のさじ加減ひとつではあるが、できるだけ中立に著作権について語ろうとする姿勢は素晴らしいと思えた。こうありたいと願うがやはり長いものには巻かれてしまう立ち位置は否めない。巻かれるぐらいない巻き返したいとも思うがそれはそれでこちらの生命線を断たれても無意味なのでそっとしておきたいとも考えている。

 さて、ミニマムな著作権のお話。デジタルコピー時代にそもそも正当な著作物の定義とはどうあるべきなのだろうか?開発者がこれはフリーですと言った場合それは共有され、これは著作物ですと言ってしまった場合それは保護されるというお話を、開発者や著作者意外の人はどう受けて止めているのか?がとても気になる。何も考えず、何も創らず、何も守るべきクリエティブに関わっていない人にかぎり、それを振りかざすのは何故だろう?何も上と下の優劣の関係のお話ではないが、結局、文章化された書面で著作権の寄贈をほのめかして、それを得て規定し乱用している諸機関の人の軸足はどこだ?もっと自分のくさりの長さを自覚して欲しい。そこから先の話は口を出さす鎖に繋がれているエリアで吠えていればいいじゃん!それが耐えられないからと言って鎖は外さないほうがいい。外の世界でかみ殺されない保証はないですよって感じ。だから野犬は自由に放浪し、カラスは好きな場所で好きなモノを食する特権を得て、外敵から危険を察知・回避するスキルを身に付けているのですから。あなた達など鎖をはずせば瞬殺ですよって感じ。能ある鷹はそれを隠しているものです。

 そう思うと国宝彦根城が小さく思える。城はそこに君臨する主君の象徴。どうやら、現在はそれが不在らしい。がめつい商人が牙城の未来を描けない時代にその要因を求めるのは容易いですが、その時代にそこに存在する責任もその立場の人は会得していないと。不徳な新聞の記事用の泥試合を誰が見たいだろう聞きたいだろう。本丸はそこではないはず。「もみ消す力」と「概念の力」が盾と矛にならなないように、生産的な和解から生まれる創造の芽をリスペクトしてほしい。

彦ニャンどこへ行く?

 またまたその使用方法で作者と彦根市がもめているらしい。裁判では作者の言い分が通ったようですが、彦根市はそれを不服として~みたいな絵に描いたような泥試合。これが長浜市でなくて良かったと思う反面、同県内のしかもそこそこ認知度を獲得しているキャラクターでこのような悲しいもめごとが発生していることをどう受け止めればいいのやら。これも販売促進であり、ブランド化の一環だと大きく捉えることができればいいのだが、どうも、実態はガチでそうではないようである。古今東西どこにでも起こりうる「うんことはえの物語」。臭い代わりに何が浸透してはえの羽音がどう聞こえるか?主観と客観が入り乱れてまさにキャラクター争奪戦というミニマムな戦国時代が勃発している。冷たい戦争なのか、お茶を濁した茶番劇なのか、さて、こうなるとお互いに遺恨が残りつつも平行線上にけん制し合う攻防がこれからも続きそう。で、一定の認知度と経済効果を稼ぐキャラのサダメなのかもしれないですね。まぁ、ゴシップのテイでちやほやされているうちが花なのかもしれませんし・・・。お互いにメディアの露出を「シメシメ感」で受け止めているかもしれない。尻切れトンボの本末転倒が一周回ってワンならそれも予定調和かもれいないですし。地元、長浜市の三姉妹キャラクターが覚醒しない理由を考察した方が生産的・建設的かもしれないですし・・・。

格闘する者に○(マル)@三浦しをん

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 うん、良書でしたね。今、書店に行くとチマチマしたゴシップ優先の小説が多い。メディアありきの小説にはどうも反応できない。仮に仮に良書だったとしても(まずそういう奇跡はない。)、入口が間違っているから読み終えた後の余韻などまずない。まして、1ページ読めばその著者の文体など明確である。まして、チャプターを見ればさらに明らか。だから、小説は書店でチラミが必須。

 で、三浦しをんさんのデビューである「格闘する者に○(マル)」は現在氾濫しているゴシップ小説群と比べて、その存在感は明らかに異なるモノ。間違いなく良書である。すでに、三浦しをんさんの作品はこれで4冊目。これは全く珍しいことであり、かなりミラクル。いわゆる現在の日本の作家の中でベストセラーを獲得しているゴシップ小説と比較してということですが、これらの小説は必ず序盤戦から「たるみ」が始まりこれはトラップかと期待するが、最後まで「たるみ」が続く。で、最後にその「たるみ」がプツリと切れて終わり。これで何を感じろというのだろうか。著者は悪くない、たぶん、編集者と出版社に原因があるからだろう。例の「KAGEROU」は100万円を頂いて読んでくださいというテイでも読まない。たぶん、あれは書籍というテイの拷問に近いと想定している。いいはずがないというか・・・。何がどう好転しようが意外が意外で終わらずかならず失速感と共に後悔が押し寄せてくるだろうから。それも時代性だと我慢することも耐久性がつくのかもしれないが、貴重な時間を心のトレーニングに浪費するつもりはない。だから、そう判断している。

 夏目漱石の臭いがする三浦しをんさんの作品、あと数冊あるらしい。これはタイミングをみて読みたいと思っていますね。

スリムクラブええなぁ~。

 いやいや、最後のM-1グランプリ準優勝「スリムクラブ」いいですねぇ~。インパクトの点では明らかに「笑い飯」さんを圧倒していたし、新鮮なタッチと不思議なタッチが最高に旬ですね。語録的に一番好きなのは「僕たちが決勝で上位3位以内って、M-1のセキュリティーはかなり甘くないですか?」のひとこと。これでたぶん2011年は安泰でしょうね。さて今後どのようなのびしろとポテンシャルを魅せていただけるか楽しみ楽しみ。今日のいいともは、う~ん、60点でしたね。

エグザイルV3って!?

 しかし、始めて知ったことなのですが、完全にスルーしていた「レコード大賞」は、エグザイルだったようですね。しかも、3年連続って!?あれのどこが音楽なのか、そもそも今どきの感覚で「レコード」というニュアンスも緩ければそれに適用される人達も緩いということなのか。私は音楽が好きだしテレビも好きだし才気溢れる方の歌声やパフォーマンスや言動には心からリスペクトしているつもりですし、ファンとしていつでもどこでも音楽は流れていてほしいタイプなのに、このエグザ~は嫌悪感さえ感じる。というとなんだか心のどこかで反面~ではないがリスペクトしているような部分も残しつつみたいなことなのかなと自問自答するが、決してそうではない。あれは(別に悪いとかレベルの問題として捉えているわけでははなくて・・・)タイかインドのダンサーの集まりにしか見えない。歌詞や楽曲としてのクオリティーに関しても同意。日本語の語呂合わせでフィットネス感覚で大勢でちょろちょろしているだけの集まりに、仮にも「レコード大賞」が授与される背景とは???の部分を非常に危惧してしまう。

 で、どうなの実際「エグザイル」という存在は?もさいしメンドっち~しスタイリッシュの欠片もないステージパフォーマンス。世代が違うのか?感性が逸れているのか?価値観が違うのか?適当にF.O.してほしい。その代わりに絢香さんに帰って来てほしい。ほんま、彼らだけはよう分からんわぁ~。

ましゅ~君へ。

 拝啓、ましゅ~君へ。お元気そうですね。年賀状ありがとう。まず、アイアンとドライバーの件ですが、これは春になったら芝生の上でお教えいたしますのでそれまで自分なりに試行錯誤してください。そもそも、アイアンとドライバーを分けて考えている時点でスイング理論がぶれています。普通はぶれるというかどちらかに軸足を置いていくアプローチが正しい、自然のようですが、どちらも同じスイングで・・・などという雑誌やテキスト本の類には精神論が入っているので、実際、100前後のアベゴルファーには到底想像もできないレベルでのお話だろうと思っております。しかし、それぞれのスイングを突き詰めると確かにそうなんだろうなぁ~という感覚はないわけではないが、でも、「同じです!」とは言えるにはまだまだラウンド経験が必要だと思っております。よって、お教えしますと申し上げましたが、そんな教える教えられるというゴルフよりももっと現場で楽しむ方法をお互いに見つけませんか?そこで、結果、同じになるかもしれないですし、そうならないかもしれません。それでも楽しかったらいいじゃん!みたいな方が逆にスコアメイクできたりすると思います。で、振り返れば、「ああ~、ドライバーとアイアンは一緒でいいじゃん!」みたいなことがそれぞれ各自の正解のように思いますよ。

 で、ボルダリングのトレーニングをしているからグリッププレッシャーがどうのというレベルでは、まだまだあなたも100切りは遠いですね。最適なグリッププレッシャーがどの程度かはもう数多の雑誌にひも解かれています。それをいかに自分のスイングに適用できているかでいいのではないですか。まさか、まだ、手の平にタコができている段階ではないはず。ビギナーが手のマメやタコをこれ見よがしに自慢するケースがありますが、この段階は少なくとも卒業しておいてくださいね。

 野球で私があなたのボールを受けていた頃、そのヘナチョコボール(新しいチョコボール商品ではないですよ)を思い出すにあたり、あなたの筋力はたかが知れています。マラソンのことについても、それほど瞬発力なゴルフではないと想定した上で、さて、あなたのPWの距離は何ヤードですか?これを聞けば大枠ののびしろが判断できます。また、いつでも私の道場の門をた叩いてください。さらば開かれん・・・ですから。

捨てウサギ!?

 ウサギ年、せめてウサギに少しぐらいはリスペクトしてもいい一年のはずが、すでに都会ではペットとして飼っていたウサギを公園や河原に捨てちゃう「捨てウサギ」が続出しているらしい。まぁ、それを取り上げた編集者の意図もかなりギリギリな感じも伝わってくるが、記事を読むと「なつかない」「医療費が高い」という理由らしい。これもまた勝手な話。その他犬や猫でも様々な理由で飼うことを放棄する人が多いが、そんな人達に「動物の命の尊厳」について諭すことなどできないわけで、なら飼うなよ!ということも予定調和。だから、タレントがテレビでペットとじゃれているのを見てそういう人達は満足しなってこと。正月らしい新聞記事ですね。いやいや、新聞社の書き手さん達も大変大変。

ワンダホー!

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 何が今一番ストライクかってこれこれ!ど真ん中にストレートですね。KUNIさん、ありがとうございました!これをひっさげてジムに乗り込む日、昔、選手に選ばれて100m競技のスタートラインに立った気持ち、鉛筆のセットを手に芸大のデッサンの実技試験に臨んだ気持ち、ベストギアでバストーナメントの開始の合図をボートの上で待っている気持ち、それらに匹敵する高揚感を得られる只今ガチのギアです。「これは何ですか?」という人はまぁ置いておいて、これに手を突っ込み岩盤でレストする日をイメージして、今日からさらにトレーニングに熱が上がるっていう感じが心に充満していま~す!

KUNIさんの公式ブログはこちらです。http://www.sos-khuz.com/kuni-blog/

こんな傾斜です。

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 こんな雪の傾斜(岩盤ベース)は始めてでしたが、なんか心がシャキリとするというか、ワクワクするというか、不思議な高揚感がありました。不思議と怖いとか寒いとかという気持ちが無かった。毎日スクワットや懸垂やストレッチなどをコツコツやっているのもあるし、まぁ、その部分で適正な自信があったのかもしれない。ただ、過信は禁物、そんなに山は甘くない。まだ2回目の登山程度で何が分かるかという部分もあるが、頭で考えているだけで「山はどうだのこうだの~」という奴レベルの言葉に琴の糸は震えない。山頂で交わす言葉の醍醐味を知った以上、もうこれはジャンキーへの序章である。山を知る、自然を知る、己を知る・・・なのだと思いますね。机上で、パソコンの前で、手の中の端末で何を考えて何を交換しようがそれは薄く質量が0なのもここ立てば理解できるはず。だから、そのテイでは人の心は動かない動かない。一事が万事、何事もそうなのである。と思いましたね。

山頂で出会ったマスター。

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 素敵なおじい様である。雪山の山頂で出会ったマスター。ここでは皆が一様にスマイル。何故人は山頂に立つとスマイルになるのだろう?この気持ち、ジョンに歌にしてほしかったなぁ~。ということでいろいろな情報を教えていただきました。ありがとうございました!いつか、必ず、こんなエキパになって山頂で山道で出会う人に一杯笑顔をあげられるようなクライマー&アルピニストになれたらいいなぁ~!BTW,人は人に感動するのですね。ただ、そこが山頂だということも好くならず必要な条件ではありますが。同じ道を歩いてきた者同士が分かち合えるシンクロできる何かがあるのですね。うんうん、ワンダホー!である。

若者の失業率増加。

 大学の内定率が60%を切っていると報じられているらしい。それを細かく分析していくと、その理由・原因がただ不況であることだけではないという記事を読むと、まぁ、いろいろな人がいろいろな考察を展開している。企業が求める人材の適正が一般の大学を卒業するレベルの人材では目標点をクリアしないらしい。インターネットでエントリーすることで間口は広くなったが、その企業側のデメリとして本来求めている人材以外の人材からのエントリーが増大し書類審査でふるい落とし率が増大したとのこと。また、学生側のデメリとしては本当にやる気や熱意をもち努力してきた学生が一般的な書類選考でふるい落とされ、企業側に本当の自分のアピールポイントを伝える方法がないとのこと。これはある意味インターネットならばこのようなことが起こることは否めないとして、確率だけの数値が上がることと現場での不具合や違和感がこの数値以上に深刻な問題でることに注視せずに、この確率の数値だけが独り歩きしているのでは・・・という警鐘である。

 実際・現実はどうなのだろう?この記事だけはその全体像は見えてこないような気がします。単に失業率の数値だけならバブル崩壊後の数値とあまり推移はないらしいし・・・。しかし、ここでもハエメディア達がブンブン飛び回る飛翔音だけがうるさいだけかもしれない。煽ることで代価を得ているならそれを何かに還元することも担うべきではないかと、これまた、勝手な暴論に行きついてしまうほど状況は深刻なのだろう。では、どんな人材が社会の現場では求められているのかというガチの部分をひも解けばそれは時代がどうなろうが基本ラインは同じだと思います。が、そう甘い理想論が介入する余地もないぐらい事態は深刻化しているということかもしれない。では、海外にその逃げ場を確保すればいいのか?いやいや、どうやらこの状況は世界的なお話らしいから、フワフワ(これも理想論!?)している場合ではない。最後の最後で地に足をつけている人が自分自身の基準で「自分らしさ」と「社会との関係」を創造するしか手立てはないのだろうと思います。学生の皆様、頑張ってください。モニターの向こうに自分のビジョンを見つけることから一旦そのマウスを置いて、自分の手に身体に頭の中に何があるのかを整理して、「動いて、考えて、創ってください。」それは、どの立場の人間にも適用できるひとつのテンパンの法則のような気がします。

雪山2時間10分。

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 4日の朝から青葉山にアタック。最初は木に積もった雪が溶けて雨のように落ちてくる山道を登り、途中は積雪50cmぐらいのところをアイゼンを付けて登りました。途中にロープを使って登るコースもありなかなかの2時間10分でした。で、山頂でパチリ。正月に登る雪山って始めてでしたが、気持ちがシャキとしてなかなかの感じでした。始めての雪山ということでいろいろ不安もありましたが、夏に富士山に登った装備に普通の防寒だけでしたが、やはり、本格的に冬山を登る場合はいろいろ足りないモノがあることを実感しました。かなりの傾斜のある雪道もありましたが、日頃、コチョコチョとやっているスクワットやストレッチや懸垂などのトレーニングのお陰でどこも痛くなることなく山頂に立てることができこの達成感、うん、登山2本目、「そこそこ」でしたね。

一人の人間が創れるモノ。

 多くの人が関わる創作物には必然的に軸がぶれる傾向にある。昨今のテレビなどスポンサーの飼い犬状態である。それは体裁を維持するために必要な判断なのだろうが、それを受けてる層に対してはさほどのびしろの少ない体裁となる。これも必然だろう。で、一人の人間が創り出せる創作物が最後の最後でその凄さを発揮している。そして、それが結局時代を創ってきたという視点がある。まぁ、自分自身、会社という組織の中で勉強させていただいていた頃はそのことをあまり強く意識しなかったとは言え、会社として組織としてのメリットを最優先しなければいけないジレンマがとてもストレスだったことは覚えている。

 しかし、本当に何が欲しいのかの声の部分を人を介してヒアリングして何かを創るということがもどかしく、その仕組みから出た。何がしたかったかとなると、お客様の声を自分の耳で聞きたいと思ったから、本当に欲しいモノは資料やサンプルでは分からない。どこに向かってベクトルを向ければいいのか分からないことが消化不良で大きな組織がメンドクサクなった。それはそれでお世話になった会社様には迷惑をかけたとも反省しているが、これも必然だからと、自分の考えを優先して行動させていただいた。それはそれでリスクも多かったが今ではそれが必然だと思っている。多くの手を介して制作させる成果物はどこかエッジがとれる。しかし、一人のクリエイターとしてひとつひとつの案件を自分の手で企画して制作して評価を得て納得を得て代価を頂けることが何よりも淀みがなくて透明度が高い実感がある。つまり、「人は人に感動する。」ということを相対的に捉えられるリアルが環境として得られていなければ、何かを創るという行為は淀み濁り劣化するような。その「信頼感」こそが何かを創るためのもっとも適した素材のように感じております。その上で、それを感じられななくったら適当な組織や仲良しクラブで時間を適当に浪費すればいいと思っております。真剣勝負がしたいなら、やはり、一人で刀を構えたいもの。

合理化されない存在でありたい。

 私はいつの頃からか「衣食住」に関するベクトルに興味が薄れていき、最近ではもう、諦めたようにその類に心の針がピクリとも動かなくなった。これはある意味危険信号なのもしれないが、クリエイティブという視点ではかなり無駄な思考が頭の中から排除され、見たいモノ、見なければいけないモノを見せてくれているように感じている。自分の器は大きいことにこしたことはないが、限界はあることも知っている。だから、ときどき引き出しを整理して引き算を楽しんでいる。が、入れなければいけないモノも多いので、器を大きくする努力は怠ってはいけないいけない。

 で、「衣食住」に関わるものの生産活動は時代とともに機械化され合理化されてきた。しかし、多くの人間を支えるためにそれが逆に人間の存在を整理しているとも言えなくない。基本的に人間は楽をしたいという理由からあらゆる技術を発展・進化させてきた。以前は肉体労働こそが仕事という軸が正論であり、ブレインワークはある限られた知識や技術を持った人のジョブだった。しかし、コンピューターによる情報化社会において、機械化とシステム化は迅速に時代を牽引している。となると、人間様は何をすればいいのか?その答は明確である。「衣食住」に関わらない、つまり、生存するためのものからは離れた対象に仕事を求めることになる。つまり、「遊び」「娯楽」の産業である。物質的に豊かになるということは時間に余裕が良きにつけ悪しきにつけ手に入り、そういう贅沢・快適に消費者が金を出すのである。そこに確実に流通が生まれ次第に流れのパターンができシステムが最低限の仕組みになったとき、やはり、最後の最後は「何かを創っている人」がそこに残るのだろう。これが大枠の今後の流れとしても、さて、次の一手は何をどこに置く?ポーンで守りを固めるのか?ナイトで切り込むのか?クイーンで敵を排除するのか?何と何を相殺するべきか?結果、勝負はそいういうテイで毎日どこかで起こっている。いろいろなチェックメイトの末、勝った者と負けた者が最後に握手をできる社会の構造だけは合理化は難しいはずであると思う。

 今年もそんなスモールゲームもビックゲームもあるだろうが、策士として策に奢ることなく、次の一手を考えておきたいと思っております。「合理化」とは以外と箸にも棒にもならないことを企業のトップの人達はそろそろリアルとして捉え動き始めるように思います。

天の邪鬼であるべき。

 元来、どうも、この気質が損をしているとは思っているが、実はこの部分こそが創作のキモだとも考えている。それをいろいろな書籍や書評で知るごとにそれを確認して肯定と否定のラインを引いている。その感覚がいつしかテッパンになりそうだと意識してしまうと、それをまた天の邪鬼が否定する。肯定と否定を繰り返して創作意欲のスパイラルが上を向く。これをどこかのクラスで手を打った人は創作の畑から必ず出ていかれる。あ~あ~でちゃったなぁ~と思ってもその人に対してそう言うことはない世界のお話。

 出ていく人は明らかに出ていく。そして、外からそれを眺めている。つまり、肯定も否定もせずにただそのままを見ている状態。手を出すことなく声も出さず傍観・黙殺している。そういう方とは明らかにシンクロできないし、コミュニケートの手だてが見つからない。歩み寄りたいが外にいてはどうしようもない。適当な話題でお茶を濁すことはできるが、外で手を叩きたい人は多いし、外で投げる野次に終始している人も多い。そういう人は観戦料を払って早く会場から出ていってほしい。フィールドに降りてこないと何も始まらない。意外と土の上は冷たいモノ、芝生の上は熱いモノである。このディテールはそこに立たなければ感じることができない。決して、モニターの中から湧き出て手の中に落ちてくることはない。

 天の邪鬼気質が確実に「創作」に相応しいとは断言できないが、肯定をなかなかしない人は楽しいし魅力がある。その瞬間は「なんやねん、こいつ!」と思うが、あとでその方の言葉を反芻すると原石がたくさんちりばめてくださったことに気がつく。そういう人こそがまさに「宝」なのである。だから、私も同じフィールドの人には常にではないが、天の邪鬼モードで対峙している。肯定はするが、鵜呑みはしない。それが長年のコミュニケーションの軸になってくると、どこかフィールドなのかをしっかりと意識できるようになる。しかし、同じフィールドは飽きる。だから、他流試合をするようにしている。道場を破るだけの実力があればいいのだが、猛者も多い。コテンパンになったり、入口のところで「失礼しました!」と一礼して引き下がる武士の魂も持ち合わせているつもりです。だから、いつでも刀は磨いておきたいと思っています。いい意味で他人も自分も裏切ることで一定のモチベーションがキープできるような気がしますね。

商売とは。

 年頭早々硬い話になりますが、ある書籍の著者がこのようなことを言っている。「僕は人間関係の軋轢の中で、なんとか自分の立場を守ることがビジネスだとは考えていない。それは、給料をもらうための方策かもしれないが、ビジネス、すなわち「商売」ではない。組織の中で自分の立場を守ることよりも、もっと広く社会のニーズを眺め、これからいかに展開していけば良いかを考えて迅速かつ的確に手を打つ、ということが重要だ。周りの人間に好かれるために仕事をしているのではない。理想があれば、その理想を拠り所にして行動する。できるかぎりそれに近づく方向を目指す。そんな甘い方針を本気で揚げるのが、僕のやり方である。自分の立場を守ることに終始すれば、立場はたしかに守られる。そして、つつがなく定年まで勤め上げることができるだろう。そういう人は「世間の厳しさ」を知ったことで、苦労を重ねた自分に満足すれば良い。僕はそんなもの知りたいとは思わない、というだけだ。いかがだろう?」とある。まさにである。同感以上の言葉があれば私もこの考えに同意である。顔も知らないこの書籍の著者にここまでシンクロできること、これが書籍の存在感のリアル。絶対に、電子仕掛けの端末ではこのリアリティーがまだ私には伝わってこない。いずれの部分でもこの文脈をそれで感じられる日が来るとして、それはそれ。現状がここでグッと引き締まっている以上、次は次で考えればいいかな・・・と。また、その動きができる自信もあるし、そうなったとき自分に必要なモノを見極めジャッジできる自信もある。変化は楽しい。変化がなければつまらない。「商売」についてそう多くを語れるほど何もできてはいないが、大枠、このフレームは芯を喰っていると思えた。商売とは相対性であると。

明けましておめでとうございます。

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 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。スギノヨシカズ