合理化されない存在でありたい。

 私はいつの頃からか「衣食住」に関するベクトルに興味が薄れていき、最近ではもう、諦めたようにその類に心の針がピクリとも動かなくなった。これはある意味危険信号なのもしれないが、クリエイティブという視点ではかなり無駄な思考が頭の中から排除され、見たいモノ、見なければいけないモノを見せてくれているように感じている。自分の器は大きいことにこしたことはないが、限界はあることも知っている。だから、ときどき引き出しを整理して引き算を楽しんでいる。が、入れなければいけないモノも多いので、器を大きくする努力は怠ってはいけないいけない。

 で、「衣食住」に関わるものの生産活動は時代とともに機械化され合理化されてきた。しかし、多くの人間を支えるためにそれが逆に人間の存在を整理しているとも言えなくない。基本的に人間は楽をしたいという理由からあらゆる技術を発展・進化させてきた。以前は肉体労働こそが仕事という軸が正論であり、ブレインワークはある限られた知識や技術を持った人のジョブだった。しかし、コンピューターによる情報化社会において、機械化とシステム化は迅速に時代を牽引している。となると、人間様は何をすればいいのか?その答は明確である。「衣食住」に関わらない、つまり、生存するためのものからは離れた対象に仕事を求めることになる。つまり、「遊び」「娯楽」の産業である。物質的に豊かになるということは時間に余裕が良きにつけ悪しきにつけ手に入り、そういう贅沢・快適に消費者が金を出すのである。そこに確実に流通が生まれ次第に流れのパターンができシステムが最低限の仕組みになったとき、やはり、最後の最後は「何かを創っている人」がそこに残るのだろう。これが大枠の今後の流れとしても、さて、次の一手は何をどこに置く?ポーンで守りを固めるのか?ナイトで切り込むのか?クイーンで敵を排除するのか?何と何を相殺するべきか?結果、勝負はそいういうテイで毎日どこかで起こっている。いろいろなチェックメイトの末、勝った者と負けた者が最後に握手をできる社会の構造だけは合理化は難しいはずであると思う。

 今年もそんなスモールゲームもビックゲームもあるだろうが、策士として策に奢ることなく、次の一手を考えておきたいと思っております。「合理化」とは以外と箸にも棒にもならないことを企業のトップの人達はそろそろリアルとして捉え動き始めるように思います。