一人の人間が創れるモノ。

 多くの人が関わる創作物には必然的に軸がぶれる傾向にある。昨今のテレビなどスポンサーの飼い犬状態である。それは体裁を維持するために必要な判断なのだろうが、それを受けてる層に対してはさほどのびしろの少ない体裁となる。これも必然だろう。で、一人の人間が創り出せる創作物が最後の最後でその凄さを発揮している。そして、それが結局時代を創ってきたという視点がある。まぁ、自分自身、会社という組織の中で勉強させていただいていた頃はそのことをあまり強く意識しなかったとは言え、会社として組織としてのメリットを最優先しなければいけないジレンマがとてもストレスだったことは覚えている。

 しかし、本当に何が欲しいのかの声の部分を人を介してヒアリングして何かを創るということがもどかしく、その仕組みから出た。何がしたかったかとなると、お客様の声を自分の耳で聞きたいと思ったから、本当に欲しいモノは資料やサンプルでは分からない。どこに向かってベクトルを向ければいいのか分からないことが消化不良で大きな組織がメンドクサクなった。それはそれでお世話になった会社様には迷惑をかけたとも反省しているが、これも必然だからと、自分の考えを優先して行動させていただいた。それはそれでリスクも多かったが今ではそれが必然だと思っている。多くの手を介して制作させる成果物はどこかエッジがとれる。しかし、一人のクリエイターとしてひとつひとつの案件を自分の手で企画して制作して評価を得て納得を得て代価を頂けることが何よりも淀みがなくて透明度が高い実感がある。つまり、「人は人に感動する。」ということを相対的に捉えられるリアルが環境として得られていなければ、何かを創るという行為は淀み濁り劣化するような。その「信頼感」こそが何かを創るためのもっとも適した素材のように感じております。その上で、それを感じられななくったら適当な組織や仲良しクラブで時間を適当に浪費すればいいと思っております。真剣勝負がしたいなら、やはり、一人で刀を構えたいもの。