プロヴォカティブ(provocative)

 ちなみに「プロヴォカティブ(provocative)」とは、本来的には「攻撃的、扇情的、挑発的」などという意味があるそうです。「可能性を信じ、可能性を広げる」という意味があるそうです。どうも、このニュアンス、たぶん、日本人は苦手だろう。「どんぐりの背比べ」「和をもって~」「出る喰いは打たれる」「横断歩道~」みたいに、つねに協調性がよしと義務教育をへて社会の構造がそうさせている。これにはある部分でちょっとメンドクサイ。攻撃的な人間が孤立する仕組みというか、つまり、村文化なのだろう。あちらの村の村長とこちらの村の村長は意見が合わないから、村の民はそれぞの郷に入って郷に従うことがYESみたいな。それは必ずしもコミュニケーションではない。おそらくコミュニケーションの中に包括されるの能力だとは思いますが、そのしきたりに価値観を侵食されるとアイソレートが全てになる。つまり、井戸の中の蛙状態。情報時代、仮想でいろいろな価値観を共有することは大切だが、ポテンシャルを押し殺してまでネットの中のコミュニケーションに依存する必要もない。また、エゴからくる主観を主張とはき違えるとその反作用はネットだけに相当大きい。これに耐える覚悟があるなら、このリスクのジャブを受けながら、リアクションの右フックを狙っているなら、ジャブやストレートはダッキングすればいい。これのことを「プロヴォカティブ(provocative)」と呼ぶのかもしれませんね。

 ただ、ドンキホーテのように無計画に無謀に挑むということではなく、プランを何通りも練り上げた上で鍛錬しシュミレーションするところにこの姿勢の思考の展開図が見えてくるのだろう。シリアスな攻撃性ではなく、どこかユーモアを湛えた攻撃性でありたい。勝った負けたの結果に一喜一憂することなく、この思考パターンの人と鍔を競り合うことでお互いに高みへ行ければ、故ポートガス・D・エースも喜ぶことだろう。