2011年02月 アーカイブ

MEBIUS@ARZACH

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 キノさんからの太鼓判。さてさて、この中に何が潜むのか???

アドバイスの在り方その2。

 ソフトウエアは道具である。何をどう解釈しようが道具である。釘を打つためのトンカチであり、木を削るためのノミである。道具には製品の優劣があり、素材や形状や機能がそれぞれの目的別に異なる。新しい古いの違いこそあれそれを使う人間の技術と相まってこそ目的を達成する。このことがデジタルコンテンツを作成する際には忘れがちになるのは何故だろう?そして、プリンターから出てくる紙面や作品を見た時に同じパソコンで同じソフトウエアで違う人が行った作業が同じにならないことに意外と気がつかない。道具だから同レベルの人が例えその道具を使って同じ作業をしてもアナログの世界では全く同じ作業として完結することはまずない。が、デジタルコンテンツは同じだと勘違いする人が意外と多いような、つまり、条件が同じなら同じものが仕上がるという先入観が非常に強く、コピーしていることと創作していることを同じに捉えるだけではなく、まるで、それを創った人と同じプライドを手にする人がいる。それは、ある意味非常に素晴らしいことであるし、私自身もこのテイの勘違いはよくする。実際、仕事でソフトウエアを使う際にこの勘違い抜きにして制作現場は成立しない場合も多いからである。その上、この勘違いは非常に気持ちがいいから癖にもなる場合が多い。

 オリジナルの神様はそんな勘違いをする人にとても厳しい。オリジナルとは古今東西全く新しいどこにもない唯一無二の存在がそれだと神様はひとことも言っていないのに、究極のオリジナルを今までに何度も見てきたかのように「う~ん、オリジナリティーが足りないですねぇ~。」と腕を組む人、一回あなたのオリジナリティーの定義をここに出してくださいみたいなことになる。オリジナルなど幻想である。救われたいなら信じればいいが、それは救われているとは正確には言わないし、信じていると思っていることが、一周回ってきて疑っているとなっていることに早く気がつくべきである。信じるの定義や語感をここで披露しても仕方ないし、定義や語感さえ多様な時代に、何を信じるのかは自分次第。

 道具を使うことで何かを創るのならまず頭で知る段階から手に馴染ませる必要がある。そこからが本来の創るという作業である。これができれば全てはオリジナルなのである。テンション的にはそれはコピーモノかもしれないが、オリジナルとは万象であり唯一無二とは概念の域のお話なのである。

 で、グラフィックデザインのレイアウト感覚を会得したければ、考え創り検証し反省するループの繰り返しで得られる感覚なのである。ソフトウエアを使うとこの「考える」部分が見事に欠落する。だから、ワードで作ったようなチラシが氾濫するのである。しかし、デザインには正解がない。何日も構想して何時間もひねくりまわしたからと言って努力賞は貰えない。しかし、考えがまとまっていてコンセントレーションが適正で感覚的にいい感じの時は簡単に目標地点をクリアする。そこからが至福の時であり、一番いい状態を見極めてプリントアウト!なのである。この感覚をもう一回もう一回とやってこれたからこそ今がある。つまり、何事も「もう一回根性」を失っては前に進まないということ。

蛙の卵。

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 冷たい水の中、春の予感ですね。

三姉妹博覧会3会場について。

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 こちらは浅井会場です。うん、非常にいい展示内容でした。リアルに豊川さんの衣装や三姉妹の皆様の着物や大河ドラマのディテールがリアルに散りばめられていましたし、何よりも施設の装飾といい、細かい演出がとても素晴らしい展開でした。ロケの風景や勿論歴史的な背景のパネルも充実していましたし、「香木」の香りを嗅ぐこともできる設備もありました。トータル的に3会場で一番goodな会場でした。交通のアクセスや駐車場の完備もgoodでしたし、じっくり拝見したのちは同会場内のスナックコーナーで休憩するにも十分なスペースがありました。いろいろな会場内の企画・戦略的にもアイディアがありましたし、これは、¥300以上の値打ちがありますね。

小谷会場です。

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 規模的にはそこそこでしたし、手作り感溢れる会場の演出が運営者のモチベーションをそこかしこで感じることができて、このロケーションの持っている地面の力と歴史の在り方ともマッチして、天気のいい日など近辺の散策と合わせて楽しいひとときが過ごせると思いました。

三姉妹博覧会小谷城ジオラマです。

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 三姉妹博覧会、小谷会場のジオラマ。この迫力は一見の価値あり。この立体感を俯瞰で見ると実際の城跡の雰囲気やドラマのシーンシーンが結構頭の中でリンクする感覚。このようなジオラマはこのような博覧会会場ならでわの部分のリアルだと思います。すぐそばに小谷城址があるわけですから、さらに、リアルな感じですね。

FLASH職人か・・・。

 ある方のブログで「この歳なって今更FLASH職人になろうとは思っていないが、FLASHはどうしても気になるツールでありニーズがあるわけで、なんとか、この歳で~」って「この歳」というキーワードがどうも気になった。いったいどの歳なんだろう?しかしながら、「FLASH職人」という語彙のニュアンスがなんかいい。結果アドビのソフトが職人視されているということであり、職人だから相当の技術が必要であるということに認識として他ならないわけである。そうかそうか、FLASHとは今そういう一面もあるのだと改めて妙なリアリティーを感じた。アップルに見切られたFLASH、結果、アンドロイドでスカスカ動いている現実、アプリ思考とどこまでガチにバトれるのか?さぁ、ヘボはwhich?

 まぁ、何事にも優劣白黒正誤を適用しても詰まらないので面で捉えて、私も虎視眈々とFLASH職人道を歩んで行きたいと思います。3DCG職人というテイもマルチメディア映像編集職人もできれば極めたいので、貪欲に貪欲に。

仕事選びの3Kとは?

 「汚い」「危険」「キツイ仕事」が仕事選びで敬遠される3Kらしい。う~ん、贅沢な話である。まだまだ危機感が緩い緩い。私は大学時代に42種類のアルバイトをした。4年間継続したアルバイトも3種類あるし、単発で瞬間風速狙いのバイトもあった。そして、卒業後も1年間、東京でひとりデザイン事務所のアルバイトだけでは苦しかったのでいろいろなアルバイトをした。結果、その経験を経て翌年正社員になれた。高校3年生からいろいろお世話になったアルバイトではあるが、数字が欲しかったので、率先して3Kに取り組んだような気がする。その代わり身入りは相当良かったような。

 「汚い」で言えば一晩中、大きなレストランの生ごみの掃除とホール・厨房の掃除。「危険」で言えば、山の斜面にロープを腰に括りつけ土を削るバイト。「キツイ仕事」で言えば、肉体労働は他種多様だったし、一晩中機械から出てくるノートをパレットにキレイに積み上げること約8時間。また、プラスチック成形の部品パーツが熱処理されて出てくるのを一心不乱にケースに整頓すること10時間。高層ビルのダクトシュート(人が二人程度なら同時に落ちるぐらいの直径の穴)に各フロアのゴミを掘り込む業務などなど。この穴に落ちたらたぶん・・・みたいなバイトだった。

 まぁ、これだけのバイトをしていれば、別段3Kなどどうでもよくなる。人間があらゆることに対して鈍感になるというか麻痺してくる。別にお金のために手段を選ばなかったということでもないが、その一面も確かにある。でも、「気にしない。」モードになれば人間大抵の仕事はできる。

 よく、デザインの仕事は「クリーン」で「危険とは無縁」で「カッコイイ」ので羨ましですと言われるし、ある教室でデザインのソフトウエアを教えていた頃は、「先生のような仕事をしたくってこの学校に来ました。デザインの仕事はやりがいもあってクリーンでスタイリッシュであこがれなんです。」って目を輝かせていただ人が何人かいたが、そんなにこの仕事はカッコイイのか???がガチな部分。危険ではないが自分のスキルやセンスやテクと四六時中向き合い研鑽と探究を怠るこができない仕事ですよ。たぶん、あなたじゃ無理でしょう・・・みたいな人に限って「カッコイイ~!」となる。そんな仕事に優劣付けているようなレベルでは、逆に仕事に選ばれる人になっちゃいますよ・・・みたいな感じですね。

 政治家が国を選ばず国が政治家を選ぶものだらかこんなみじめなことになるんです。主体は軸は本丸は自分の中に持っていないと。あなたたちの議論・答弁は国会という然るべき場所で税金を使わず、どこかの気楽な居酒屋でやってくださいって感じですから。でも、この国を愛する人がいる以上、たまたまかもしれないですが、そのポジションの仕事に就いたわけですから、頑張ってくださいよ政治家さん達。別に3Kありきでもいいじゃないですか?芯を喰った国の展開をお願いしたいものです。

デジタルアートマスター4

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 うん、京都の駅前でチラミ。かなり気になるぞ。まだまだ、この図版の中のイメージが頭に残っているぞ。うんうん、買っちゃうかもしれないぞ・・・。

アドバイスの在り方。

 エキスパートの方からのアドバイスはいつも芯を喰っている。ライフシーンにおいてビジネスシーンにおいて、そして、趣味趣向のジャンルにおいて、ほんとうに壁にぶちあたる度にいろいろな方からの助言やアドバイスを頂き、迷走中に適正・適切なアドバイスを頂いた。今こうして仕事をさせていただいているリアルについても、若い頃にお世話になった皆様からのアドバイスが有効に機能している。言わば、仕事とは人生とは自分で勝ち取った知識や経験で成立していると思いがちであるが、実のところ、多くの他人からのアドバイスで成立していると言っても過言ではないのかもしれない。

 趣味のお話ですが、ボルダリグやロッククライミングに興味を持ち、映画や専門書やDVDでそのたくましいクライマーの容姿やボルダリングの映像を見ていると、「おおっ、凄い腕回りだ!凄い筋肉だ!ええっ!指2本で懸垂!!!」などとインパクトのある部分だけを捉えて、身近で可能なトレーニングとして腕の筋力トレーニングをし始めるパターン。「指のフックだけで懸垂が10回できた!」とか「片手で10秒ぶら下がれるようになった!」などと力の部分だけのトレーニングでなんかもう岩をごいごい登っているような気になる。しかし、ジムの方から頂いたアドバイスはこうだった。「ボルダリングやロッククライミングは力ではないのです。ルートを見極める観察力とプランニング。そして、自然の壁に臨む時、そのポイントに身体をマッチさせ適合させ登れる柔軟な筋肉としなやかな筋肉、そして、ある一定の力を長時間維持できる持久力が大切。で、腕の力はその次。あればより高いクラスに挑戦はできるが、あくまでも腕の筋力はおまけ。」だと。う~ん、心に沁み込んだ素敵なアドバイス。

 その日から、ぶら下がりながら身体を捩じったり揺らしたり。風呂上りもちょっと仕事の合間の待ち時間などに屈伸や股関節のストレッチをしています。何事も奥を見たければ心を開く必要があり、逆に心を開かせるには何事もその奥を会得している必要がある。この2点の間で成立するアドバイスこそが、もしかしたら、ボルダリングをする楽しさなのかもしれない。これと同じことが山登りやバスフィッシングやゴルフなどにも適用され、同じく、仕事やライフスタイルの様々な場面でも同様に機能しているのだと思いますね。

 いろいろな方のアドバイスで楽しく生活し仕事をしライフワークを楽しめているのですから、私自身もいろいろな方にセオリーや固定観念ではない適正なリアルなアドバイスを投げられるような人間になりたいと思います。それには、やはり、心技体のバランスが本丸の本丸だと思います。という一番大きなアドバイスでした。

「京ばあむ」美味しい!

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 このパッケージのインパクト、京都のスイーツという威厳、そして、何よりどこかのバームとは違う個性的な美味しさ。その適正な価格設定。これは完璧な存在でした。何より美味しいことが「京ばあむ」の特徴であり、この商品だったらそりゃ売れるはず、間違いない。で、自分の家へのお土産によし、京都の人がどこかへ持っていくために買うお土産によし、はたまた海外の方が日本のお土産にというテイでもよし。う~ん、この味でこのパッケージのブランド化はこのルートの最高峰とも言える。決して過言ではないですね。いやぁ~美味しかった。いやいや、このテイのスイーツって美味しかったらいいじゃん程度の私の味覚でもしっかりとした抹茶テイストの訴求力には美味しい味プラスアルファの部分が伝わってきましたね。京都はおたべが王様かもしれませんが、時代は動いているので、「京ばあむ」なかなかのところまで登っていくような気がします。いやいや、もうしているのかもしれないですし、今更、「京ばあむ」について語るのも、実はオコガマシイのかもしれないですし・・・。

SNSはどこへ行く?

 いわゆるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のことですが、今後ののびしろはどこか?すでに、WEBサイトはSEOの呪縛から解放されて新しいステージに到達した。つまりユーザーでありニーズがそこへ押し上げた構図だろう。それに追随するように様々なデバイスが進化をする。が、これもにわとりと卵かもしれない。しかし、間違いなくニーズの多様化はよりベーシックにアナログに回帰しようとしている。つまり、大きなインターネットという波は押し寄せたが引くことも早かったということ。そして、砂浜には従来の恩恵が残っている構図だろう。つまり、海とは同じであり地形が変化するのはある一時のリズムのひとつであり、それに呼応する人の心はいつの時代も飽きやすく常に新しい何かを求めているということ。しかし、創造の神はそうたやすく新しい何かを与えることはない。だから、波のように一定のリズムで押し寄せ引いていくのだろう。船を人のニーズに例えるなら風を受ける帆がどちらを向いているかを知る人と知らぬ人の違いが航海の雌雄をを決する。そして、羅針盤を持っている人が新世界に辿り着くという仕組み。

 えらい抽象的な概念的な表現に逸れたが、SNSは完全に海の上を風や波と一緒に漂っている。さて、船はあるのか?風を受ける帆を持っているのか?羅針盤はあるのか?航海を共に乗り切るための友は傍らにいるのか?と問われてるような。

 もう、SNSの仕組みだけで一定のニーズやプロジェクトを掘り起こすことはできない。できないというよりも、もうこの仕組みに反応する活用する人はしているということ。その味を捉えた人は新しい仕組みにまた別の味覚を求め彷徨うだろうが、SNSだからみんながMIXIのような恩恵を受けるには決してならなないだろう。もう、MIXIのタイミングを適用する術はどこにもないと知るべきである。今、本当にSNSを展開するならば、それは、大海原でイルカの力を借りてクジラの力を借りて、もしくは、プランクトンの力を借りれる優しい温かい気持ちが必要なのだろう。冷たい海の水の元素のピースを何億枚も並べたところで一枚の絵さえ描くことはできないだろう。全てはひとつであることを知れば、今進む航路は見えてくるように思います。羅針盤の指す方向に絶対に目的の地があると信じる力が進むチカラにならなければ、想定以上に海のうねりはキツイはず。嵐の雲を見極めなければ、浅瀬や岸壁や氷山を察知できなければ、簡単に座礁・転覆するのだろう。海は海のまま、人は人らしく・・・なのだろう。

東大生タレントのプライド!?

 あるテレビのクイズ番組に次のような問題が出た。「木炭画などのクロッキーやデッサンに用いる消しゴムの代わりに使うモノとは?」で、3名の解答者が答えた。いずれもトンチンカンな答だったが、ひとり、あまりテレビでは見かけない女性タレントで東大生、もしくは東大卒業を売りにしている、いわゆるインテンリ美人系のタレントが、言うに事欠いてか、東大生タレントのプライドからか、「そんなことは東大では教えられなかったもん!」とうそぶく感じ。たぶん、インテリの威厳と可愛いの演出からひねり出した結論がこの戯言。ちなみに答は「パン」。

 まぁ、それはその通り、デッサンと東大は明らかに遠い。それに、別にこの答を知らずともお前は東大生タレントとして生命線が続くまでテレビに露呈することはできるだろう。しかし、その場面で答を知らなかったからと言って、「そんなこと東大では教えられなかったもん!」と言う人間性が見えた瞬間にフリーズしてしまった。どこまで自分のエゴを守りたいのかこのクソガキは。いわずもなが、デリケートな部分をあえて露呈させて心理学的に論理的に私は絵画のことなど知らなくてもこうしてテレビに出ているのだから、そんな問題を作った、そんな問題を捻じ込んできたテレビ側の人達を冷やかに軽蔑しているという、ひやかしとしてのテイでとしか考えらなかった。

 テレビの世界だから何を言ってもいい、放送禁止だけ覚えて触れなければ、適正・想定内の論理的・形骸化的にルートが通っていればいいという、ねじ曲がった心からこぼれたお前の言葉の「醜さ」にかなりドンビキしてしまった。

 まして、絵画の世界をfuckな東大生タレントにいじられた感じ、遺憾と共に冷たい殺意さえ湧き上がってきた始末。いやいや、東大生もいろいろいるわけではあるが、仮説としてそんな東大の卒業生の皆様が特定のルート上を辿り、現在・現実としてそこにいるからこの国がこうなったとしたら、東大生のキャリアものびしろもなんとなく納得できそうですね。たかだかfuckな東大生タレント一人の醜いコメントフレーズ一本で日本が沈むとしたら、これも立派なバタフライエフィクトか!?

本日、午後の琵琶湖。

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 こんな表情もなかなかです。ちょっと波がありましたが、ゆったりと湖面は静かな穏やかな表情でした。

今朝の奥琵琶湖。

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 今朝の奥琵琶湖の表情でした。ここ数日快晴が続いているのでとても穏やかな琵琶湖の風景でした。たぶん、毎日いろいろな表情がある琵琶湖。時間の経過でも様々な表情を見せてくれるのでこの醍醐味は琵琶湖湖畔に暮らす人間ならではの贅沢なのかなと思っております。富士山よりも琵琶湖が大好きなのでいつどのタイミングで湖畔に立っても素敵なほんとに素敵な日本一のBIG LAKEですね。

稼ぐ人の財布。

 「稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?」という税理士 亀田潤一郎という著者の本がある。つまり、年収1,000万円を目指すなら5万円の財布を買いなさい!と断言している。500人以上の「社長の財布」を見てきた税理士が教える、お金に好かれる人の共通ルールがあるらしい。って、仮にその法則が仮説レベルであったとして、それらに法則的なことを発見できたとして、同じことをして年収が1,000万円になった人がいたら、その方を紹介してほしいし、逆にこの本を読んで方程式を実行して私も年収が1,000万円になりました!的な本があれば教えてほしいものです。が、この書籍は買わない。

 たぶん、5万円以上の長財布のメーカーの息がかかっている。だって、500人程度の年収1,000万円を稼いでいる社長だったら、他にも共通点はあるでしょう。なんで長財布なのか?でも、すでに5万部を売っているわけだからそれ相当の共感は得られたということでこの税理士さんも脈はあったのだろう。稼ぐ人のルールがあるとしたら、たぶんお金に対する価値観が共通しているだろうし、稼ぎ方の部分についてもいろいろな業種があれど、アプローチの手法やビジネスモデルに対する洞察力や行動力のパターンが同じだったのかもしれない。また、年収が1億っていう社長ではないことから、そこそこの社長様ということでいろいろな共通項をひねり出した結果が「長財布」だったのだろう。つまり、これはシンボルとしての設定であり、誰でも彼でも5万円の長財布を買いました。でも年収が1,000万円になりません・・・ではないだろう。それこそ、この著者からの「なんでやねん!」が飛んできそうである。

 長財布か・・・、20代の頃、新宿で買った古い小さい皮の財布を今だに使っている。たぶん、20年以上は使っている。だからか・・・。

真木よう子写真集。

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 正直なところ昨年の大河ドラマ、福山さんは良かったが、個人的な印象としてはラストシーンもさることながら、真木よう子さんのイメージの方が強い。インパクトがありました。んで、アマゾンのサイトを見ていたら新中古ってことで発見。思わず買ってしまったという次第。現代劇よりも真木よう子さんは時代劇の方が光っているよう思います。源氏物語も楽しみですが、あまり、捻じ込まない感じでこの「お龍」さんのイメージはとても良かったです。

 芸人が選ぶ「僕達のアイドルは?」みたいな企画番組で石原さとみさんが選ばれたのは納得できるが、真木よう子さんの名前が一回も出てこなかった。旬の芸人なのにそのあたりの旬な感じはないのかと少し残念だった。まぁ、アイドルか?というテイで言えば無理があるかもしれなが、旬であることとここまでキラリと光っている上にすでにコアな部分ではヒートアップしているらしいのに。でも、コアだけにレアなのかもしれないし、ガチなのかもしれない。SPの真木よう子さんはちょっと無理があったにはあったと思う。

 やっぱ、いろいろ作品には出ておられるみたいですが、現段階では一番は「お龍さん」だったかなと・・・。

今日は京都で打ち合わせ。

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 なんかひさびさの京都駅。いつも打ち合わせは大阪が多いので・・・。しかし、今日は快晴ってことで京都タワーがとてもキレイでした。寒さもそれほど厳しくなかったので良かった良かった。やっぱ、人が多いっすねぇ~。それに外人が多い。大阪と比較してもやはり外人にしてみれば京都が人気なのでしょうね。結局、観光要素としての認知度の尺度は海外の方が多いか多くないかで観光地のポテンシャルは推量できるような気がしますね。ってことでやはり京都って地の価値は不動ですね。

LEATHERMAN(レザーマン)スケルツール到着!

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 うんうん、これこれ。腕時計もしない人間ですが、こんなモノには目がありません。道具の機能美とでも言うのでしょうか、ほんとに手の中にあるリアリティーと道具としての存在感。ステンレス製で両側に開くとプライヤーになるんですね。細かいネジなども摘まめますし、ワイヤーカッターも装備。内側からナイフも出できてハンドルにはプラスとマイナスのドライバーも内蔵しています。確か2008年と2009年の世界のベストオブツールとかなんとかという金賞に輝いている逸品なのです。

深海のYrr(イール)はガチでヤバい。

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 まだ上の100ページあたりですが、かなりこの小説やばいですね。何がやばいかについてはまだ読んでいない方も多いでしょうから割愛するとして、その設定や論拠するところ、テーマや登場人物の細かい描写に至るまで全てが科学的でありすべてが抒情的である。これはかなりやばい。こんな小説はそうないだろう。早く読みたいような早く読みたくないような・・・。ひさび~ですねこれは。

 ということで、フランス版ラピュタのポスターの前で。

で、JAZZライブ。

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 で、そのワインを飲みながらのJAZZライブを聴くというこの贅沢な感じ。なんともなんとも素敵なひとときでしたね。そりゃ、お酒があまり強くない私も美味しくいただけるという構図。

 ライブとてもgraetでした。やはり、音楽はライブですね。鍵盤の人もペットの人もボーカルの女性も素敵素敵。音楽は聴いても演奏しても楽しい。「本当の楽しい」を知っている人と共有する時間ってすごく刺激というか心地よさというか有意義というか、とてもお腹いっぱい心もいっぱいな夜でした。黒壁スタッフの皆様、素敵な演出をありがとうございました!

初!黒壁ワイン。

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 昨日(2月20日)は黒壁さん「カフェレストラン洋屋」にてワイン会。初黒壁ワインということで赤と白をご賞味させていただきました。正直、ワインの味はよく分からない。そして、ウンチクも何も持ち合わせていないので、参加されたワイン通の皆様のボトルやグラスやニュージーランドのお話を楽しく拝聴しながら、美味しく頂きました。結果、やはり、自分のアルコールのキャパを若干オーバー。今も少し残っているような感じ・・・。

Rene Magritteの世界。

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 う~ん、尊敬するマグリット。絵画が永遠の命を受けた瞬間、画家は何を思う。頭の中に存在するイメージが絵画という形態で存在を帯びるリアル。あまり言葉にはしたくない部分だがこうしてブログに切り取ることで何か新しい意味へ価値へ意義へ変異するならその何かの部分を少しでも共有できないだろうか・・・と。

破壊する創造者@フランク・ライアン著

 原題は「ヴァイロリューション」。ウイルスとエヴォリューションの造語。生物の進化について、各生物の遺伝子DNAの総体はゲノムの変化を基礎としている。多くのウイルスは、言わばDNAからなる紐であり、一部分が千切れて宿主生物のゲノムに取り込まれたり、逆に遺伝子をウイルスが拾い、他種の生物のゲノムに移したりする。ウイルスは細胞に対して友好ではなく、細胞に侵入しその代謝や成長に干渉し不都合を押しつける。しかし、研究の結果、必ずしも友好的でないウイルスだけでないことが判明されたらしい。つまり、壊しながら創るという能力を結果ウイルスは行っているという洞察である。117個の元素とDNAのスパイラル。まさに地球の神秘である。これこそが「進化」の実態だと視点をこの著者なりの研究や実例で考察された書籍なのだろう。うん、なかなか面白そうである。DNAのお話は専門ではないしても人間なら普通に興味を抱くジャンルだろうしその取り組みの最前線を知ることが日常生活に何の影響があるか?となればそれまでですし、元素の存在をどう知覚したところで、論文にするつもりもないが、「気になる」「気にならない」で言えば気になる。全ては元素なのだから。それを繋ぎ合わせ方というか進化はそのプロセスであり、それは今現在で完結してるわけではない。進行形なのである。それだけを知っていれば、この著者の考察に興味を抱くに十分な理由のような気がします。

 たぶん、ここら辺の書店にはないだろうから、アマゾン経由でゲットしたい書籍ですね。

流木です。

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 琵琶湖の湖岸に辿りついてた流木。どこに生えていて、どのような経緯でこの形になり、それが、琵琶湖のどこかの川から琵琶湖に流れ込み、そして、この湖畔に辿り着いた。とてもこの存在感というかリアルに引きつけらrて仕事場に持って帰ってきてしまった。うん、見ているだけれ飽きない感じですね。

冬の琵琶湖。

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 対岸までくっきり見えている冬の琵琶湖。なかなか晴れの日が少ない冬、しかも、対岸の雪山がけっこうくっきり見えています。風があるので波はありましたが、今日も雄大な琵琶湖でした。

琵琶湖湖畔の石の配列。

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 どんな高度なグラフィックソフトでもどんなに感覚的なアーティストでさえ、この配列の美しさは絶対に創れない。ふと見降ろした足元の石の配列。しばし、改めて、切り取るととこんなに美しい。これが自然の配列である。永年の波に削られた石、隆起してかどこかからか流れたどり着いたのか、様々な配色のコントラストとバランスの妙。数奇な印象派の画家でさえこの配色は出すことができない。まぁ、琵琶湖が好きだからこんな写真を切り取りこんな感想が頭に浮かぶといえばそれまでですが、どんなにハイテクのCGグラフィックでさえリアルを演出する際にお手本にするのはこの色や形や配列の法則であるはず。う~ん、改めて自然美は素晴らしい。しばしこの何気な美しさに心を奪われていました。

黒壁ワイン完成!

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 ニュージーランドから到着!黒壁ワインがいよいよ販売開始です。白ワインも赤ワインもラベルデザインをさせていただきました。印刷行程から仕上げ行程がニュージーランドだっただけにちょっと心配、というか予期せぬトラブルが発生しないかと思っておりました。こうして、完成した商品を見ると、うん、ひと安心です。明日はこのワインの発表会に参加させていただき、はじめてご賞味させていただけるという感じ。とても楽しみでございます。このワインがいろいろなこの地域の観光施設や、また、県外・都市圏で波及する展開ことを心から期待しておりま~す。

農業のシュミレーションゲームって!?

 「ドイツで爆発的な人気を誇ったファーミング シミュレーター シリーズの最新作がついに登場!日常の忙しい生活から解き放れ、田舎でトラクターを運転し、畑を耕し、種をまき、小麦やトウモロコシを育ててみませんか?是非!ファーミング シミュレーター ゲームをお楽しみください!」というあるソフト会社からのメルマガが到着。何がしたいのか?ゲームをしたいのか?農業をしたいのか?シュミレーションで農業をやって何が楽しいのか?もう、これはどうなの???日常の生活から解き放たれって、そんなに解き放たれたい日常になっているのは誰のせい?ゲームの世界に飛び立つ前にその日常の生活をなんとかしてお楽しみいただく方法はないものだろうか?ゲームの中でトラクターを運転して畑を耕して種をまいて、小麦やトウモロコシを育てて何が面白いのか?ゲーム文化は摩訶不思議過ぎる。

 ただ、ゲームクリエイターの人達もそこがニーズを捕まえるチャンネルでありファクターであるからこんな天の邪鬼を相手にしていないだろうが、逆に農業をしている人にちょっと失礼じゃないかと・・・。農業をゲームですることに、実際農業をしている人はどう思うのだろう?農業の大変さや苦労をゲームで「楽しさ」に簡単に置き換えてノーリスクでトラクターを画面の中で運転してどこにリアリティーがあるのか?何事もリスクがあるから危機感となり研鑽が生まれそれを達成していく継続していくからこそ「楽しい」が体感・会得できるのです。スイッチ入れて画面で「さぁ!農業するぞ!トラックを動かして、さぁ、トウモロコシの収穫だ!」ってなんでやねん!

何になる?子どもの答えは 正社員か・・・。

 恒例のサラリーマン川柳。優勝はこれ。なるほどなるほど、ここぞとばかりに時代を反映している。そこまでがフェイクにしろリアルにしろこれが優勝する背景は間違いないリアルとして偏在するのだろう。正社員・・・この言葉に学生の皆様をはじめキャリアのある方も特殊な経験をお持ちの方もここが目標なのだろう。ならば、自立して起業すればいいじゃんというほどの空気でもないのかな。もしも、小学校や中学校の卒業文集の将来の夢に「正社員」と書いちゃう子どもたちも実はガチでいるのでは?

 しかし、逆に「正社員」の定義とはどうなっているのだろう?グーグルやビックネームでさえそのほとんどがパートタイムであるらしい。技術をもち経験値の高い人になればなるほど「歩合」や「年間契約」という枠に自分ののびしろを見つける方向に社会の流れが向かっているように思います。その場合、「正社員」という規定はなんのため???となる。つまり、企業の構造がこうなってしまっている以上、正社員とはタテ系列なのかヨコ系列なのか?トップから管理層からそれぞれの役職による組織構成において、さて、今後「正社員」の規定も複雑になり、仕事ができる人=将来設計が安泰=正社員の構図ではなくなるような気がします。

 自分自身、正社員だった経験は7~8年。その間は全くデザインの仕事を会得するために経験値を積ませていただいたような期間だったように記憶している。パートの責任感と正社員の責任感は明らかに違う。それを経験できたことが仕事への危機感や探究心に大きく影響を及ぼしたと回帰する。

 つまり、組織を作らずひまつぶしの非営利団体であれ、井戸端会議レベルの各種団体が好きな持論を集めてお茶を濁している程度の人達のベクトルでは何も創造するには到達しない。まず、時間の認識が違い、コストへの認識が薄い。つまり、危機感に欠けているからポテンシャルが低い。それが大なれ小なれ全国的に緩く普及しちることが、「正社員」のクラスを引き上げているようなバンラス感覚ですね。たかが正社員、されど・・・なのでしょうが。

魅力発見プロジェクト!

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 ご関係者の皆様、そして、エントリーされた学生の皆様、ほんとにお疲れさまでした。発表される皆様の緊張の心臓の音が聞こえてきそうな程の空気と皆様が作成されたコンテンツの初々しさ。このプロジェクト本体の波及や価値や意義は計り知れない振幅があると感じると同時に、そのリアルタイムな場面にこうしていさせていただけたリアリティー。さらに僭越さの度合いを振り切る審査員という立場。これらが相まってなんとも充実したひとときでした。ここに至るまでの1回生の皆様のチームでのコンテンツワークもそばで拝見していただけに、3チームの皆様のコンテンツにはかなり感情移入させていただきました。私ならこうするとかプロとしてという目線はちょっと引き出してこれないほど、見入らせていただきました。ほんとに素晴らしい作品でした。そして、2回生の皆様の取り組みもほんとに素晴らしい総決算だったと想定しています。その道のエキパではない、あくまでもプロジェクトとしての成果物はひとつのカタチとしての結果であり、重要なことはそのプロセスであると十分に理解させていただいた上で、評価基準を設定し評点するということが心苦しい感じでした。ただ、優劣はお互いの作用と反作用となり、考え創り動いた人だけに得られるリアリティーをこのプロジェクトに参画された皆様が皆様個々のモノサシでのびしろとして捉えられ、このことをひとつのきっかけとしてさらなる展開を学業にライフスタイルにそして社会性に繋げていただきたいと願うばかりでした。とても素晴らしい発表会だったと思います。

 あらためてモノヅクリの魅力のベーシックな部分を強く再認識させていただいたひとときでした。そういう意味でありがとうございました的な感じでいっぱいですね。

三姉妹博覧会@歴史ドラマ50作館。

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 今日は長浜で開催されている三姉妹博覧会の3会場のひとつ「長浜黒壁 歴史ドラマ50作館」に入ってきました。入場料は¥500でした。さて、¥500という入場料、昨今の様々なこのテイの博覧会施設としての入場料としては適正か否かと言う部分。私自身ご厚意で3館入場券を頂いたためにその価値について正確には評価できない立場なのですが、そうか「これが¥500なのかと感じるのか、これで¥500と感じるのか・・・。」という不思議な気持ちで館内のひとときを体感してきました。

 例えば上野でハンマースホイを観た時は確か¥1,500でしたし、六本木でオルセーを観た時は¥1,800だった。渋谷でワイエスは企画展で¥1,200だったし・・・。それと比較するモノでもないのかもしれないですが、「入場して鑑賞する」基準で振り返ってしまった。そして、大河ドラマというベクトルについては、さほど特筆することがないので、セットや過去50作の配役年譜を見てもピンとこない。ちょっと暗室で~とかあまり言わない方がいいのかもしれないですが、もし、ここが心斎橋なら¥500で適正かもしれないし、この体裁が山中にあれば¥500は安い。ただ、長浜の中心市街地に黒壁やいろいろなショップが並ぶ通りにこの内容でとなると、やはり、「これが¥500なのかと感じるのか、これで¥500と感じるのか・・・。」のあたりでフリーズしてしまった。

 仮に、このドラマ50作館が月9だったら?とか、日曜洋画劇場だったら?とかだったら、逆に時間に余裕があれば¥500の価値はあったのかもしれない。ただ、最近はWEBで映像も過去の歴史も簡単にアクセスできてしまいますし、例えNHKさんの秘蔵映像かもしれないが、ここでゆっくり観る感じでもない。なんでしょう、リアリティーが微細だったのかもしれないですね。期待した部分としては、早速ではあるがこの前の今日みたいなツイッターテイストでラストシーンの豊川さんのあの白い衣装があるとか、桜の宴のあの衣装が展示してあるとか、コンテンツも旬な感じを期待しました。流れてる映像も過去のドラマではなく、今回の「江」のバックヤードの撮影風景とか俳優・女優さんのオフカットや編集風景などなどがあればと期待していました。という感じでしたが、大河ドラマ命の人が観る感じとはちょっと温度差のある感想でした。さて、あと2会場に期待してみます。

デッドゾーン@キング。

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 ふと最近映画を観てないなぁ~と思い、まぁ、チェックしている最新作とかいずれの部分のラインナップと合わせてなんとなく観てみなくなった映画がある。それがこれ。キングが原作のウォーケンが主役の映画である。クローネンバーグ監督作品です。なんか最近はCGが凄過ぎてそこばかりに視点というか心を奪われて、非常に美しい映像であるのですが、あまり物語や主人公の心象風景とは関係ないぞ・・・みたいなテイが気になる。ほんまにほんま、CGは凄いんだけど、その技術でそれを伝えてもらっても・・・と映画など創れない自分勝手な小さな批評家は思うのです。この映像にかかった費用や人材がどれほの人間かって聞けばヒエェ~なんだろうけど、ただ、一ユーザーとすると、そのCGがヒエェ~なのである。

 で、この「デッドゾーン」はどうか?どうなのか?と言えば、ストーリーはこんなところでバラす訳にはいかないしそんな野暮なことはできないとしても、心理描写と映像の展開が主人公の存在感とこれほどマッチしてグイグイとくるのはとんと最近ご無沙汰だなぁ~と思うのです。

 勿論、キングの原作上・下も何回も読んでいる上、あまりにも好き過ぎてこの小説の上・下を覚えたてのワープロで、これまた練習中のブラインドタッチで、全文一言一句に再入力したほど。まるでキングになったような気分になりたかったのか程度の原作なのですから、なんとなくフワフワとした気分の時には思い出すはず。いまどきワープロってことですが、かれこれ、23年前のお話。それほど好きな原作の映画ですから、このDVDは入れておこうかなと、ふと最近・・・。

八幡山の西の丸より。

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 久々の快晴に写真撮影に走りました。朝は澄んでいたようですが、昼から少しガスってきていました。しかし、ながら、この眺望はなかなか素晴らしい景色でした。

ひさびさにカラス。

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 とあるお寺の上にて。

経済効果算出方法。

 なんだ経済効果の算出方法って意外とどんぶり。池上さんが経済効果の算出方法と説明しそうな感じのテレビだったのでじっくり観ていたら、あれれれ、これってかなりどんぶりだし、ニュースや新聞に具体的な数値として定数を出している人もあまり誰だか知らない人。つまり、52億円!って聞けば、おおっと凄い経済効果があるんだと思うがその内訳はある人のある法則による希望的観測に近い算出方法だった。逆に算出方法に適用された人やモノはそれをどう受け止めるのか?天狗になるためには特に数多の修行はいらないようですね。

 それよりも、例の「メシ友グランプリ」で優勝された土佐のあのメシ友。あれはおいしそうでした。間違いなく。で、毎日10程度しか売れていなかったのが、この番組で決勝に進む過程で認知され評判になり現在毎日25,000個売れている。そして、3ヶ月先まで予約でいっぱい。このリアリティーの方がスゲッって感じ。そういえば哀川氏が本を出したらしい。タイトルは「継続」って。いやはやゴーストの人も大変である。つまり、リアリティーとはバックボーンへの信憑性。しっかりと脈々とタイムラインを流れてきた証のようなものが今その場所にある、あるだろうという確証を何かで感じてその度合いが確証に変わる。付け刃な史実を表面だけ取り繕っても決してリアリティーにはならない。さて経済効果と言えばいろいろなイベントが開催されるが、さて、それぞれにどの程度のこの算出方法が適用できるのだろう。そのバックボーンが明らかにどんぶりなら、せめてリアリティーのあるメシ友ぐらいはのかっててほしいものです。

映像の活用術。

 そうかそうか、WEBサイトのコンテンツを考える時、やはり、効果的なのは映像であるとのこと。いまさらの部分ではありますが、改めてその効果というか何故?の部分をある書籍で読むと「そうやねぇ~」という実感があります。どんどんいろいろな機能が便利に安価になりますが、結局、情報のディテールを文章や写真やイラストで見て知るということが極一般的。いくらデザインで魅力的にキレイに見せてもWEBサイトということで言えば、やはり、映像と連動している方がいい。その場合注意しなければいけないことは映像コンテンツデータの重さだろう。回線スピードは今後今まで以上に遅くなるということはないだろうが、だからとって不適正な映像コンテンツをサーバにアップしてしまうとやはりサーバに負荷がかかり、ユーザーの閲覧環境とマッチしないってことになる。そもそも、情報のディテールをより詳しく丁寧にと思ってやっていることが裏目になる。これではダメ

 確かに、ゴルフの雑誌のいろいろな企画や好きなプロのこんな練習方法やこのクラブはこうして打て!みたいな企画があると、ついつい、引き寄せられて買ってしまうが、文字や図解や写真で何回見ても理解力は映像を一発見るのに負ける。つまり、「百の雑誌は1つのWEBにしかず」とまで言わないなまでも、それぐらいの映像コンテンツの効果があるということ。だからと言って、テレビの電波はコスト(人件費?)がかかるので、コンテンツ制作の現場は火の海らしい。ならば、WEB内で適正な映像コンテンツがすでに豊富にあるわけだから、いろいろな映像サービスがあるのだから、これを利用しない手はないということ。で、やはり、最後は「映像コンテンツ」に対する企画力や想像力や編集力が本丸になってくるということ。環境があるから創れると思っているが、創れるはあくまでも技術的なお話。いくら理論で分かっていても実際に創るための企画構想をして実際作り、自分なりのスタイルを持っている人にはかなわんなぁ~ということになる。グラフィック(平面)デザイン・WEBデザインと同じぐらいに映像コンテンツの企画・構想・編集作業は難しい。が、ればれるほど面白く楽しいことも事実。

32歳からの人脈使いこなし術!?

 そんな僭越な本は気になるが購入したいとはちょっと・・・。その広告面を見れば「ただのお客さんが人脈に変わる瞬間。」とか、「悩みごとは人の知恵を借りて即解決!」とか、「人脈から情報や価値を引きで出す方法」などなど。ほんとうにこんな自分勝手な気持ちで果たしてそれは本当にその人にとっての「人脈」なのか?またまた、32歳からの~の部分も怪しいぞ。あなたのキャリアが高まる効果抜群の具体例がいっぱい!ってもう美味しい分脈の垂れ流し状態である。

 一気に伸びて、大きな結果を出す人は「人の力」を借りるのがたまらなく上手い!ってもうかなりの程度でヒラキナオリが感じられますね。結果、32歳になったらこの取り組みに挑戦してみよう!って思わない思わない。これはかなり両刃なことをおっしゃておられるように感じてしまった。「ただの知り合いで終わらせない」術ということでしょうが、この「ただの知り合い」ってことですが、知り合いに対して「ただ」と付けている段階でこの方の視点がずれているように思います。知り合いを「ただ」で済ませるってどういうこと???細かい部分でこの場合の「ただ」と「ただでない」人の違いは何?これが注目の最新刊だから暴論・奇論が読みたければ気分転換にはなるだろう的な一冊のように思えた。

 32歳からってここも気になるが、さほどのびしろは感じないし・・・。

ガチな戦略コンテンツ。

 現代の販売促進戦略とは「ガチなコンテンツ戦略」が必要だと言うこと。いろいろな書籍に書かれていること、専門分野のエキスパートな方に聞いて情報交換していること、そして、自分なりの尺度でリサーチした情報やフレーズを総合するとやはりガチなコンテンツが戦略のキモらしい。本当にそう感じます。情報交換の手法はほんとうにいろいろ充実していますし、最新の仕組みもどんどん浸透・訴求されている。デバイス機器もどんどん進化している一方でやはり手落ちの部分がこのコンテンツの部分だと言える。しかし、これはパソコンやソフトウエアのように買ってきて即戦力ってことにならない。じっくりと種を探し土に植え水をやり芽が出るというようになんか植物のようなもの。しっかり育成しなければ絶対に育たない存在である。アナログに人間臭く地道にマイペースに安易な手法や方法に一喜一憂せずにたくましい根と茎にする努力があってこそ花が咲き実がなるという仕組みのようです。

 さて、まずは、種はどこだ?ということになりますが、それは、自分自身の中にあるはずであり、どんな規模の会社にも種はあると専門家の方は言っている。しかし、種の状態から花や実をつけさせるためには相当の育成期間が必要であり、まるで農業のようなキメ細やかさが必要なようです。

 ということが今の旬のようですから、メディアミックスも含めてガチで取り組みをしていこうと思っております。オンラインには便利なツールや豊富な情報があるがこれはあくまでも種を育成するために必要な養分程度に捉えてちょうどいいのでのしょうね。

進むべきルート。

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 進むべきルートを指すコンパス。どんな状況にも指針がぶれないコンパス。時に進むべきか迷いながらも自分のルートを確かめるためにそれを見て確認する。針の指す方向は心の指す方向であると信じる力が何よりも真意たる確信となりその行動の質量さえ覚醒させることだろう。そんなコンパスを持っているか?ということ。混迷の現代と言われている。指針を失うことが一瞬でルートを見失うことになる危機感と立ち止まる勇気をもコンパスの針は諭しているように思います。太古の歴史が物語る人間のルートに意味があるのか、継承するべきモノを失うことで得る至福の時間に決して自分の時を浪費せぬように硬く握りしめておきたい心のコンパスってありますよね。

R-1グランプリののびしろ。

 M-1が終了してお笑いブームもそろそろ失速している状態でさて、ピン芸人という括りでどのような方達が新しい世界を創るのだろうかとチェック。明らかに予定調和の二人を除けば新しい方のネタが6スタイル観ることができたのでなかなかのものでした。

 しかし、予定調和の2名は最悪なネタの仕上がりであり、グランプリと名のつくこれらの番組をただのネタ番組として捉えているのか、マイスタイルを追及している部分でいたしかたなし!という完成度でした。観てて辛くなるネタであったこと以上に今後のこのお二人ののびしろが残念な感じ。最後はひらきなおりさえ感じられ、よくもあの会場でこの枠の電波を使ってあのネタをやれたものだ。これもプロ根性のなせる技なのか、ポテンシャルがそこまでなのか。

 では、まず、キャプテン渡辺さんの「金を借りる」というベクトルのネタ。貧困ネタの割りにひらきなおり感と独特のキャラ。私は対戦相手よりもはるかに世界観があって好きだったが、これまた予定調和の審査員の得点操作で惜しくも敗退。しかし、キャプテン渡辺さんとしてはあの短いステージの割りには傷跡を残せたようなステージでした。

 AMEMIYAさんの世界は非常に掘り下げていてさすが決勝のネタは3連発の3発目でちょっと不発気味でしが、それでも、コマを決勝に進めるだけのネタの構成でした。たぶん、AMEMIYAさんはこれをきっかけにテレビに露出してこられるだろう。デレクターやPの人の目には止まったことだろう。

 ヒューマン中村さんもとても良かった。が、ちょっとインパクトというか笑いの振幅の部分で決めてになる勝負球が少なかったのだろう。でも、3段オチの構成はとても練り込まれた光るものがあったと思います。せめてG郎はこの方のつめの垢を少し分けていただくべきだろう。

 ナオユキさんも毒のある世界観で中身の詰まったステージでした。もう少し、キレがあれば、構成にメリハリがあれば、勝っていたかもしれないですが、対戦相手が少し悪かったのかも・・・。

 そして、優勝された佐久間一行さん、おめでとうございますである。優勝者に相応し引き出しの多さとそのネタのワールド感は優勝者にはじない内容でした。1発目、2発目、3発目とあれだけのキャラを用意されるあたりさすが実力という結果。過去の優勝者と比較しても十分な力を発揮されたのではないでしょうか。やはり、ネタとして「もう一度観たいか観たくないか」基準が何より重要なポイントだと思うのですが、そういう視点で佐久間一行さんは最高でしたね。

 で、やはり、私の中での最高はスリムクラブの真栄田さんである。圧巻というかぶっちぎりで他の7名の比較ではない。惜しくも準決勝で敗退されたので2本しかネタを観れなかったのが非常に残念。まぁ、真栄田さんのネタなら何本でも観たいところですが、それでも、この2本はとても貴重な素晴らしいネタでした。というか、もう真栄田さんのネタを観たいというか真栄田さんを観たいという気持ちが強いので、ステージに登場しただけで50%満足している上に次から次へ出てくる不思議ワールドはもう最高である。とりわけ1本目の「コント世紀末」はこの番組の中の最高傑作だろう。

 冒頭のつかみからエンディングまで次から次へ繰り出された真栄田ワールドの中でも秀逸なフレーズはこれである。ペットボトルにガソリンを入れて貰ったテイで、このガソリンを何に使うのか?というフレーズ(ボケ!?)それは・・・、「発電機に入れて電気を作り電灯を付けて湯のみ茶碗に中国人風の笑顔の子どもの絵を描くため。」と。うん、間違いなく世紀末である。

 まだまだ、R-1グランプリののびしろはありそうである。

すべてはコンテンツ思考。

 もう、大手が運営するWEBサイトでさえ検索エンジンからの質量のある集客が得られない時代になり、キーワードが以前の単価の価値を完全に失った。もう、有料広告ではアクセスは得られるが数字になるニーズを拾えない時代になっていると言える。10年前、5年前、3年前の状況は一変していると認識した上で次の戦略が必要になっているとどこまでガチで捉えることができるかでWEBサイトはその価値を覚醒もし終息もされてしまう。今更というほど断言は決してできないが、今の段階でSEO対策がどうのこうのと言っている認識ではどうにもならないと知るべきである。もうこの事実というかリアリティーは5年前にあった。しかし、よりどころがないままエンジン対策をひとつの基準として捉え、日々変化するアクセス数に一喜一憂することだけがWEBサイトの戦略とできた時代は終わりつつある。それもそうであり、はなからそこに軸を置くつもりもないことは分かっていたが、まぁ、世の中的にそれもひとつ重要なTIPSと捉えられなくはない風潮もあった。だが、それは必然に短命に終わったというだけであり、終わりかけている。つまり、全ては潮流の一場面だったということ。もう、完全にコンテンツ思考の戦略なくWEBサイトの戦略、引いては自社の販売促進プランは成立しなくなった。そこで全てをリセットして会議をしても戦略を練ったところで本質的な中核的なポテンシャルは獲得できない。錬金術も黄金の方程式も存在しないからである。では、どうする?答はひとつだけ。「動いて、考えて、創る。」しかないようです。それが、自社の販売促進であり、WEBサイトの戦略としてのコンテンツ戦略のスタートラインなのである。

 言わば、テクニック思考・マニュアル思考ではもうのびしろが期待できないということ。競争能力の中核をコンテンツとしてカタチにしなければ、立ち位置が崩れていくという構図なんだろう。この危機感、どこまでリアルとして取り込めるのか?

 戦略なき運用コストはこのあたりだとある方の書籍に列挙されていました。うん、全くその通りである。1.検索エンジン対策のためのコスト 2.クリック課金型広告のコスト 3.ネット広告、リンク広告のコスト 4.WEBサイトを運用するために必要なコスト 5.運用に対するコンサルティング費用 これらが今後の無駄の象徴となる時代なのである。つまり、この仕組みは市場のニーズから逸れていくというお話。では、何が覚醒させる手法であり戦略なのか、贅肉の中に有効な筋肉が見えてきた。

 すでに、環境は凄まじいスピードで浸透・拡大・覚醒している。デバイスもしかり、端末と言われる機器はもう飽和している。そして、それと並行してソフトやアプリやプログラムなどのシステムも倦怠期を迎えている。差別化が厳しいということはつまり、ニーズの上限に到達していることのひとつの証。何を持って公平とするかスタンダードとするかを見極めなければ、今日の公平感は明日の公平感ではなくなるというこ。では、新鮮で斬新で有益なコンテンツはどうすれば創出できるのか?これが、言わば、デザインと深い関係にあるように思えます。つまり、今からが本当のガチの勝負。しかし、この勝負、勝ちとか負けとか白黒はない。ゆえに、会得することも至難。もうどんなテキストも無効であると同時に今までどこまで突っ込んで考えて行動してきたかがストレートに問われるのだろう。恐ろしい話である。そして、その間にこそ本当のニーズがあり価値がある。そして、そこからしかビジネスの仕組みは生まれない・・・みたいなことだろう。

 さて、コンテンツという概念をどう定義・洞察・分析しますか?

三姉妹顔抜き看板完成!

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 三姉妹顔抜き看板が設置完了しました。本日撮影に伺って来ました。この地を訪れる皆さんの記念のワンショットになればいいなぁ~と思います。顔抜きですから、顔の部分は勿論裏から簡単に外せますのでご安心ください。北陸自動車道の賤ヶ岳サービスエリアの下り線に鎮座しております。

ANDROID@au

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 これがかのアンドロイド。アプリも満載、flashもスイスイ、検索も快適。さて、iPhoneはこれに追随できるか?ギャラクシーもあるぞ、ねぇねぇ、アップルさん、その考えでよろしいのですか?ユーザーはもうブランドイメージに一喜一憂などしないように思いますよ。今欲しい機能は何かを整理して、いつまでもそんな売り手市場が通用するほど市場のニーズは緩くないですよ。私はずっとauユーザーですから、初めからiPhoneはスルーするつもりでしたが、実際、iPhoneに飛びついた人、実際ガチのリアルの部分、どうなんでしょう?ぶっちゃけると、やっぱ、auさんなのではないでしょうか?さてさて、これは娘のアンドロイド。私は次の最新を入手する予定で~す。

教育と平等。

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 何をもって「平等」か?教育の大義を知ることが平等を考察するのにこれほどガチでピュアだったとは・・・そんなチラミで買ってしまった書籍です。うんうん、質量もたっぷりいい書籍です。

「言葉と脳と心」か・・・。

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 言葉と脳と心の関係を失語症の権威が独特の視点で語っておられます。言語中枢の機能のある部位について素晴らしい研究結果と治療の現場のリアルがひも解かれている感じ。では、なぜ、この本が気になって購入したか・・・について、実は、言葉と脳と心の関係について必然か偶然かこの書籍に引き寄せられたような気持ち。まぁ、こうして、手の中にある以上出会いは必然でも偶然でもいい。書籍は全ページを読まずともそこに存在しているだけでその存在感からの刺激がある。これは電子書籍には決してまねできない効力である。本は読まずとも本の部分。そして、何回読んでも違う発見があるのも本の魅力。つまり、本を読むってことは高性能のスキャナが画像をスキャンしてデータ化するそれとはまったく違うってこと。人間の五感と脳がどれだけ「生きている」かってことを意識することためにも、書籍という存在は効力を発揮していると言える。

水は答えを知っているんですね。

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 世界31ヶ国で話題のロングセラー。うん、この視点この取り組みこの答えこそが・・・みたいな書籍ですね。しかし、水って正直なんですね。人間も・・・。

洋菓子店コアンドル。

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 ちょっといい感じの映画の原作本小説。まぁ、入手したのは勿論、蒼井優ちゃんが出ているから。読む気になったもの蒼井優ちゃんが出ている映画の原作だから。これは、外せないかなという感じです。例の時代劇はちょっとスルーしてしまいましたが、これはチェックですね。

あこがれのヨセミテ。

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 先週、ちょっとヨセミテに行ってきました。快晴とは言えなかったのですが、十分にその雄大な自然を満喫できて~って言ってみてぇ~!なんかこの地の持っているパワーをって個人的な主観のさじ加減ではありますが、感じてしまいます。たぶん、恐らく、間違いなく、現場はこの2,000倍素晴らしいのであろう・・・。いつか、いつか、きっと、必ず。

100が基準の公平感。

 私達は一般に学校の頃、100点を基準に優劣を推し量ってきた。しかし、何故、100が基準なのかを改めて考えたことはない。つまり、それが日本の義務教育から専門教育に人間を進める場合の基準値として最適だったと言われている。確かにである。すべての試験が100を基準に採点され順位が決定してきたがこれはあくまでも便宜上の設定値なのである。海外に目を向ければ必ずしも評価の基準が100ではない。つまり、貴方は90点、私も90点、だから、あなたと私は同じです~みたいな公平感で人ののびしろを規定するから、それ以外の要素でそれ相当の職についている人にポテンシャルとスピリッツとクリエティビティーが欠落するのである。決して出る杭は暴挙でもアンノーマルでもない。「しなやかな個性」をリスペクトするフィーリングというかモチベーションを会得していないから、孤立し仮想や妄想や迷走の世界に逃走するのである。インターネットはコミュニケーションのツールだと言うが、その本質というか真価の本丸に食らいついている人は少ない。一瞬で100の評価を1000に変えるような日本にならないと。だから、100の人が1になることを恐れすぎなのである。振幅は家柄や資本力や地位や名声や肩書きで決めない方がいい。これらが結果99の人は悲し過ぎるっしょ!まぁ、人のことは言えないので、いつでもどこでも100,000ぐらいのポテンシャルは蓄えておきたいものです。

外交官の未来・・・。

 朝のテレビで登場したアメリカのグラミー賞のノミネート者のコメント。彼はレゲェアルバムの製作者である。そして、日本人。普通の絵的にはただのおっさんであり、どこをどう見てもレゲェのテイストは0。なのに栄えあるグラミー賞の候補作品として彼の作品が選ばれたのである。ワンダホー!であり、やるなこのおっさんである。

 そして、短いインタビューを受けて~の彼のコメント。もともと外交官だったらしく、その滞在中のどこかの段階で彼は覚醒し天声を聞いたのだろう。彼のコメントがこれです!

 「~中略~私は以前、外交官だったのですがもともとこの仕事に未来はないので、いつか、どこかのタイミングでクリティブな仕事をするつもりでした~それがこんなに早い段階で認められて~」というコメントと叩きだした。なんと清々しいコメントだろう。そうかそうか「外交官」に未来はないのか・・・。スパッとしたこの堂々としたコメントは朝イチからスッキリした。まぁ、「外交官」って言われてもあまりピンとは来ませんし、頭に浮かぶのは「ユウジオダ」の顔ぐらい。これも先入観が作り上げたイメージですから、私の心像の中では、レゲェのおっさんが刀でユウジオダの首をスパッと一刀に~みたないイメージでした。

 相撲もしかり、政治家もしかり、国に守られた公的な機関の人達って、何故、これほど、本質が伴わないのだろう。まぁ、それが結果というより、数多の原因を蓄積・内在ているわけで、未来がないのに人生を浪費できる能力に長けているから~の必然の結果だとしたらちょっと悲しい。あくまでも独り言として、レゲェのおっさん、おめでとう!って感じです。

三姉妹顔抜き看板完成!

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 レストラン賤ヶ岳様に昨晩、「三姉妹顔抜き看板」を納品させていただきました。滋賀県の三姉妹のキャラはいつもの感じですが、それと組み合わせての三姉妹のオリジナルイラストとの組み合わせでこの感じです。通常の顔抜きは顔の部分が楕円でくり抜かれている状態で完成ですが、この顔抜き看板は例えば3名様で撮影したい場合、1名がカメラ、2名が顔抜きとなると三姉妹のあと一人が穴状態になるので、三姉妹の顔の蓋をすれば、2名様でも3姉妹状態になるという工夫がされています。まずもってドラマや女優さんのイメージでオリジナル原画を3体描いたわけですが、それプラス、初回の放送で竹生島の映像がとても印象的だったのでその原画もあとから描きました。実際に三姉妹が大きくなった状態で、竹生島を背景に3名が並ぶというシチュエイションはなかったかもしれませんが、三姉妹ゆかりの地ということで背景に琵琶湖竹生島を組み合わせて仕上させていただきました。

 賤ヶ岳サービスエリアの入り口のあたりにこの看板は鎮座しております。

膿が出たと・・・。

 膿が出たという例えはいかなものか。人間の身体が外傷なり内部の腫瘍が悪化して発生する膿とはそもそも血液の成分(白血球)だったような気がする。外傷から黴菌が身体に入ることを察知しそれと戦い包括してしまう結果、白血球はその黴菌と共に膿になり結果が身体本体を守る的な活躍をするのが膿。見た目が汚いからグロイからと言ってそれと膿を一緒にしない方がいい。内部の細胞が何らかの細胞分裂のタイミングで悪化し(設計図どおり?)それに対峙して他の健康な細胞から隔離させることも膿の機能である。つまり、膿は本体を健康状態に維持するために身を切って不適正な因子を自分で飲みこみ引き分け状態(結果排除する。)で健康因子を守るみたいなことだったように記憶している。骨は折れるととそこの部分が以前よりも太くなる。筋肉は成長期で一旦その数が増加するのは止まるが怪我や故障で一旦硬くなるが、基礎運動を繰り返せば元に戻る。血管などの臓器もしかり、身体に入れるモノで身体の臓器の成分は決定されるから食生活を整えれば、元来の設計図にそって人間の身体は自分自身で健康に向かって再構築を始める。

 つまり、かのデブたち頭の中がカラな上に家畜のような人生を国技という檻の中で強いらていたということ。適度なエサを与えられ、元締めのために。「バクチ」とはよく言ったもので、「場の口」なのである。つまり、そこでエンジョイさせていただいている以上、最終的にお金は「場の口」へ流れていく仕組みなのである。そのことに気がつかず(気がつく頭を持たず・・・)ただ丸い砂の上でブーブー言っていたということになる。暴言虚言は避けたいが、この程度の表現では実態を心像化することはできないだろう。

 まずもって、誰に陳謝するべきか。膿に謝って欲しい。

手の内を明かす・・・か。

 人間の身体は水の詰まった風船のようなもの。それが、地球の重力や磁力の中で骨と筋肉で日々の活動を行っている。生物の進化がそれであるように、あらゆる元素のこの生命体は水分や大気中やDNAの中に記述された設計図でその一生を支配されている。それが人間という生物体である。他の動物も同じ。進化の過程で然るべき分岐を行い自然界の構図の中でその生命を維持している。そのベースにあるのは地球上の気温や湿度や様々なエネルギー源との折り合いの中で生命を維持している。五感を通じて得られる情報は意識化に置きやすいために、いわゆる人間的な生活を送る上で目に見えて明確に影響を受けているように考えられている。意識の中の世界である。しかし、交感神経と副交感神経があるように、例え心が「もう生きたくない。」と思っても何も行動しなければ生命は維持される。食物を身体に入れながら栄養を摂取し続ける以上、生命は維持される設計になっている。そんな水の詰まった風船の中身が影響受けるモノは意識化に置かれているモノだけではない。それは「気」で片づけられないほどたくさんの影響を受けている。無意識に筋肉が受けている重力からの負荷や血流が受けている大きな地球という磁石からの磁気・磁場。地面が振動することで聴覚が感じられないほどの振動やパルス。人間が開発した技術としての電波層。人工物に流れる電気やこまくでは意識できない音波。そして、太陽光の中に含まれる紫外線や赤外線などの宇宙線。これらが微妙な水の風船に影響を与え、微妙なバランスで生命は保たれている。

 そのことを踏まえて上で、「手の内を明かす・・・」という言葉ある。これは、真意を言葉にすることの意味だが、何故こう呼ぶのか?様々な影響を受ける水の風船。その対象は水(血液)である。血流こそが脳という臓器を維持するための生命線であることは周知として、血流が変われば脳への信号が変化し、そして、脳からの信号が変化する。そして、それが部位の筋肉に伝達されて行動や思考になる。つまり、地球という大きな磁場に対してその磁場と血流を簡単に転換できるのが「手の平を上に向ける。」という行為なのである。脳への信号の変化がかならずしも「明かす」にはならないが、水の風船の血流を簡単に変化させることは、手の平を上に向けるだけで意外と簡単に実現できるのである。だから、昔の人はこれを持って「手の内を明かす。」と言ったとか言わなかったとか・・・。

皆様、お疲れ様でした。

 昨日は自治会の平成23年度の総会が開催され、1年間の業務が形式上、終了した。そして、1年間いろいろな地域の活動をしてこられた自治会の会長様や副会長様はじめ評議員の8名の皆様と慰労会へ。私自身、初めての経験であることや、自治会の役員がどのような活動をしているかなど、全く気にしていなかったことで、最初(去年の今頃)はかなりあたふたした。何からどう進めていけばいいのか???という状態。しかしながら、会長・副会長様や他の評議員の皆様や歴代の部長様にご助言をいただきながら大きな問題もなく無事1年を締めくくることができた。これぞ自治である。ある特定の責任を任されるということは経験のないポジションだけに不安になるが、その不安の振幅と同じぐらいの期待値を頂いているということが、部長をさせていただき実感できた。このことが、何よりの財産だったと振り返っている。

 しかしながら、会長様と副会長様2名様は大変だったことだろう。本当に心からの敬意と共にお疲れ様でしたと言いたい。次年度会長様も決定し、また、平成23年の自治会の活動が展開されていくわけですが、そこにも次の役員の皆様が組織化され自治を運営していかれる。このループこそが、地域の治安や交流や生活のつなぎとして脈々と機能しているモノなのだろう。大変だったが少しは心の視野が広がったようにも感じています。

信長の死。

 昨晩の大河ドラマは「本能寺の変」。豊川さんの織田信長像に引かれて第5回まで大河ドラマを断片的に観ている。これは非常に稀なことでたぶん、この長浜の地域での三姉妹博覧会はひとつのトリガーであり、テレビを見させているのは豊川さんの存在だけだろう。たぶん、恐らく、第6回目からはスルー。しかし、「世の春こそ私の春。」みたいなフレーズは非常に良かった。

 最後のシーンで側近に「ワシの首も骨も髪の毛一本も残すな・・・。」と伝える織田信長。なんともあっぱれな死に際だろう。江に託したメッセージ、「わしはわしの思うがままに生きたぞ、そちも・・・。」みたいな部分はちょっとスケールを小さくしたが、それでも、この物語の流れ的にはそれでよかったのだろう。そこはフィクションの部分として受け入れられなくはない部分。でも、織田信長をこのように描く感じはとても史実に沿っているようなイメージだったし、日本の武将で唯一好きな人だから第5回までをチェックしたのかもしれない。

 監督や原作者や脚本家がどうアレンジしてもいいのではあるが、今回の織田信長はなかなか良かった良かった。死に際が美しい人だったんだなぁ~と。

PowerConnect2624@DELL

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 アクトの社内LAN用の1000ベースのハブ到着。DELLの奴です。これでちょっとは社内環境が速くなれば・・・と。

 これの件でお世話になったのは「ぱそこん倶楽部」さん。現在の状況のヒアリングから機種の選定、お見積りと仕様書の送付、そして、発注の受信から商品の代引き発送までスムースなエキパな対応をしていただけた。コストも吟味したかったので、とても納得の買い物でした。これがエキスパートなプロの対応だと思いますね。扱う商品は機器であれデザインであれこの姿勢は同じ。ありがとうございました。

詳しくはこちら公式WEBサイトへ。http://www.pasocomclub.co.jp/

「満足」を語るために。

 よくもまぁこんな切り口・アプローチを不特定多数に送れるものだ。どこかで鋼の心でも入手・会得したのだろうか。で、「今の収入に満足していますか?」と来た。これはチープなスパムと処理するのは簡単だが、ちょっと、喰いついてみたい。このメルマガにの冒頭にはこう記載されている。

今の収入に満足していますか?
〓〓「もう少し小遣いがあったらな」って思いませんか?〓〓
〓〓欲しいものが、いつでも買える生活に憧れませんか?〓〓
〓〓安い居酒屋で、安い焼酎を飲む生活が楽しいですか?〓〓
〓〓サービス残業で、せっせと働き、昇給は満足してますか?〓〓
☆☆☆☆☆☆お金稼ぎましょうよ。お金儲けましょうよ。☆☆☆☆☆☆
お金があれば人生は本当に楽しいですよ。
今の収入に満足していない方へのすばらしい情報をお届けします。 とある。

 どこか「満足」の定義がおかしい。ずれて捻じれている。まずもって、「満足」と「情報」との組み合わせが安易過ぎる。たぶん、これを記述したライターの心理は何かのフォーマットを使用しているだろう。よくあるテレフォンセールスやテレフォンサービスのマニュアル的なモノだろう。これをメルマガを定期的に発信するプログラムのテンプレートに書き込んでクローラーで収集したメールアドレスにばらまいている流れだろう。しかし、この文脈のどこかのワンフレーズに共感した人なら、このメールに記述されているURLを叩くだろう。そして、訪問するぐらいなら、大きな問題にもならずリスクは少ないだろうと、道草・寄り道が自分の逃げ道になる。このシンプルなドラマをこの発信者や企画者は確率であとは魚を釣るだけみたいな戦略なのだろう。

 つまり、この場合、言葉や文章にあまり意味はない。ニュアンスの問題である。非言語がどこまで訴求力を高められるかという部分がデザインの仕事の重要なポイントであるから、このチープな文脈の中にでも何かの脈略を得て分解できる視点がないと語彙を先入観で捉えてしまって、語彙のニュアンスの部分を狭い自分の自己解釈で処理しアウトプットしてしまう危険性がるあるからである。これが情報化時代の徳の部分。これらの多様な視点を取り込んでいなければ創るという軸がぶれるのである。

日常からの離脱。

 寺でお香をたき般若心境を写経する人達。日常から離脱し無の安らぎを手軽に感じるってこと。そのための場所は寺である必要があるらしい。これも大地のパワーのなせる技か?本当の静寂を求めて都会の喧騒から隔離された場所にこそ人間の本当の~となるが、まぁ、どうでもいい。またまた、寺に数字が蓄積されるだけだろう。もう、すでにその仕組みはあるのだから、今更、温故知新の鍋に火をつける必要ない、現代は現代の鍋に具材を入れて料理しましょうよ・・・みたいな。

 しかし、離脱とは解脱?自己の分解?社会生活からのアイソレート?どんだけ疲れてるの?心のお手軽整体マッサージ駆け込み寺化していないかな?鍛えねば決して本当の至高は手にできないような危機感がある。だから、心技体、日々の鍛錬で自分ののびしろを意識化・具現化したいものです。そこには、どうしても「気」というチカラの存在を否定できない。つまり「心」の問題。心をどう分析して洞察して検証するかたぶん人間にその術はない。自由自在に瞬時にカタチも質量も速度も変化する「心」。これをコントロールできれば、そりゃそりゃ海賊王にだってなれるだろう・・・。

無神経な神経質。

 まず、デザインの仕事を初めてさせていただいたのが東京の四谷でした。あるフリーのグラフィックデザイナーの先生の事務所でアルバイトをさせていただいた。この方との出会いが今でも自分自身デザインの仕事をする際、気持ちというかメンタル部分で、75%ぐらいの割合で多様で過大な影響を受けているだろうと自覚している。初めて自分がデザインの仕事をしているという空間であったことや、先生のデザインの仕事に対する取り組みに感動したからだろう。とにかくワインとエスプレッソが好きな先生だった(過去形はちょっとまずい。まだ、バリバリお仕事をやっておられるはず・・・。)。どこの馬の骨とも知れない田舎者の若造にいつも先生はワインとエスプレッソを飲ませてくれたのでした。そして、先生のひとつひとつの言葉は今でも鮮明に頭に心に焼き付いてる。1年にも満たないその先生の事務所での仕事でほぼ一生分の経験をさせていただけたような気が今更ながらするわけです。その先生がまさに、私の言葉で言うと(僭越ながら)無神経な神経質だった。ざくっとした性格と細やかな仕事みたいな。

 で、その先生のセンスや技術的なことはさて置き、人生観というかライフスタイルの部分でのデザインへの取り組みというかクリエイターはこうあるべきみたいな部分で、ある部分では無神経、ある部分でへ繊細に神経質にというメリハリというかオンとオフの部分が、かなりの割合で自分のクリエイター気質を占めている。例えば、事務所に行ってまず最初にすることは、作業場をアルコールで完璧にキレイすることであった。その頃の機器と言えばコピー機や三角定規やカラス口みたいな機器・道具だったのですが、それらをまるで外科の手術に並べられたメスやカンシぐらいにキレイにすることであった。この癖というか習慣が今でも有効に機能していて、マウスやキーボードは購入した状態にいつもなっているし、イラストを描く筆や溶き皿などは完璧に洗浄されている。夏場など神経質なぐらに脂分をとらないと仕事にならないぐらい。どう考えても典型的なO型タイプの人間である私がこんなことをしていると、カミサンは飽きれているが、これをしなければ仕事に集中できなくなってしまうからだ。だから、ほこりや手の脂が付いているようなマウスやキーボードはちょっと厳しいのである。

 しかし、逆に車はどうかとなると、もう10年近く乗っている愛車のファンカーゴは一回もワックスをかけたことがないし、社内の掃除もおそらく1年に1~2回。ボンネットなどまず開けないし、車検後が一番キレイ。まったくの無神経さ極まりない現状がある。つまり、ある部分では無神経なのだが、本人としてはその部分も神経質の中に包括されていると認識しているからタチが悪い。が、これは死ぬまで治らないだろうし、修正・微調整するしろが見えないのが正直なところ。

 でも、これが一番メンタル的にはいい状態なので、このまま無神経で神経質にというニュアンスでいいかなと思っております。ただ、仕事場に対しては潔癖に見えて仕事に関係ないものもあたりに散らばっている。不均衡な均衡とでも言うのか、それが一番自分自身にとっていい巣・心地良い空間のようです。自分の場所だから自分のスタイルが一番生産的な空間だと信じております。これは無神経???

ワンピース最新刊。

 ワンピース最新刊を読んだ。内容についてのコメントはやめて、改めて思うこと。何故、尾田さんの絵はこれほどにイキイキしているのだろうか?他に類を見ないこの活力というかエネルギー感は何が要因だろうか?氾濫するデジタルデバイスがいかに最新の便利や楽しいを詰め込もうがこのエネルギー感には程遠い。つまりこれが共同作業ゆえに散ってしまうエネルギー感なのだろう。尾田さんの心と技と腕がそうであることを証明するように尾田さんの絵には活力と心と愛情が込められていることに他ならないだろう。まぁ、チームで展開を構想することはどこかであるのだろうけれど・・・。う~ん、なんなんだろうこの進化していく物語。画面の中、どの一片を見てもこの物語に対する愛情にあふれている。完全に日本のマンガの歴史を塗り替えている進行系のこの物語に改めて舌を巻く。楽し過ぎる・・・、オモシロ過ぎる・・・、爽快過ぎる。もしかして、僕たち私たちはとてつもない物語とリアルタイムに過ごしているのかもしれないとさえ思う。100年後200年後、日本が地球がどうなっているか予測できないとしても、これを歴史と法典として捉える人はたぶんちょっと悔しい気持ちになるだろう。

和泉村の雪。

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 なんじゃこの雪・・・。やっぱ、和泉村は凄い・・・。

最新戦闘機のプレゼン!?

 米と欧で最新戦闘機の販売戦略が激化しているらしい。う~ん、離陸点はなんとなくとしても着地点はどこだろう?そして、これらを買う人。何基準で購入するの?その場合の「いざという時」のいざの部分が結構近い感じだろうか?そして、これらを開発して作っている人。莫大な給料を頂いて戦闘機を作っているって・・・その人生、誰に誇れる?自分の中の神とどんな契約をしたの?しかし、信長という人、豪快で稀有な存在だったと大河ドラマで描かれていますが、真実はどうでもいいとして、現代にこう伝わってきている以上、多少のアレンジメントが画面の中にいるはず。アレンジメント=歴史ってことになるわけで、最新戦闘機も言わばその道の歴史上の産物。「太平の世」を得るための犠牲が必要だと誰が言ったかしらないが、そんなセリフが日曜日の午後8時になんのストレスもなく成立している部分、ちょっと、箍が外れているような気がした。なんもかんももうノーマルには戻れない戻れない。エジプトの暴動にしても振り上げたこぶしの行き場所はどこだろう?日本人だったこぶしは握っているぞ。今、仮に上に立っている人達、予定調和で生きてきた世代はもう少ないですよ、仮想に生きる人達の逆鱗に触れぬよう自分の城を確認しておくべきですね。相撲の世界もしかり、古い慣習だか経済の澱だか知らないが、露呈し過ぎ。情報が透明になると立ち位置を失う人、早く自分のベールの向こう側へ。

カラーインク+ペンのドローイング

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 まぁ、たまにはイラスト作品の紹介も。これは、セピアインクとペンで描いたドローイング。普通の画用紙に鉛筆で下描きをしてあとはカリカリとペンで描いた作品です。モチーフは会社にあったチラシの女性。誰ということでなく、ただ、セピアで描きたくなっただけ。下描き後はもうチラシの写真は見ない。で、チラシの写真とは完全に違ったタイプの女性の肖像になるのですが、まぁ、それがドローイングの「味」の部分。デッサンという視点ではもう顔を描く場合、身体を描く場合、風景を描く場合の基本は踏んでいるので、基本ラインの「デッサン」でモチーフを確認してフォルムを決めたらあとは「自分のデッサン」のスタイルでカリカリと仕上げるだけ。注意点は描き過ぎないこと・・・。これが一番難しい。

ブラインドタッチの効用。

 デザインの仕事を始めた時はまだ日本にMACは入っていなかった。2年目ぐらいに新宿で始めMACを知りその時お世話になっていた会社のご厚意で基本的なレクチャーをその新宿のお店で聞いた。そして、会社にMACがやってきて、現在に至る。マウスで図形を描くことを初めて知り、そのソフトウエア(イラストレーターの英語版)を体感する。ぎこちなくポインターが動き描く円や正方形は感動であった。それがDTPとの出会いになるが、仕事でDTPに取り組む以上、キーボードからの文字入力が必須となり、効率を上げるためには、キーボードを見ながら2~3本の指で文字を入力していてはダメだとその時感じた。そこから、ワープロを購入して文字を打ち始める。それまでにアナログのタイプライターをやっていたことで少しはアレルギーがない状態でのぞめた。が、変換のくせやキーボードの配列を指が覚え、頭に浮かんだ分脈をスムースに文字にするまでかなり時間が必要だった。

 そもそも、キーボードを見ずにキーを打つことが「ブラインドタッチ」だということを教えていただいたのは、同じく東京でお世話になっていた会社のデザインの師匠からである。ブラインドタッチっていいうのは、こうして基本の位置に右手と左手の人差し指を「J」と「F」に置いて、上下のキーをそれぞれ右手と左手が担当する。「H」と「G」のタテの列は任意で、みたいな。この基本ポジションが手に馴染むと右手でマウス、左手でキーボードという、ショートカットが多用できる。だから、どんなグラフィックソフトであれ、WEBソフトであれ、映像関連やドロー系のソフトであれ、右手のマウスと左手のキーボトを使う割合はほぼ同じぐらい。単純なオペレイトだったらキーボードのショートカットの方が多い。で、データやオペレイト中に入力が発生する時だけ、両手をキーボードにセットする。もうこのテイで仕事をしていると、マウスを使っている、キーボードを使っている感覚がほとんどなく、頭で思ったオペレイトや原稿を見ながらの文字入力はもう画面を見ているだけ。「なぜ、そんなに君のブログは文字が多いのか?そんだけ打てば疲れるだろう・・・。」とよく言われるが、ここまでこのブログを考えながら打って2分程度である。

 勉強する時はノートに鉛筆で文字を書き込みながら頭に記憶する。頭で分脈を想像しながら、紙面に写すという行為が勉強である。反復作業の繰り返しで記憶する書き出すのであり、これが、PCのプラットフォームに置き換えた場合、マウスとキーボードが意識の中で相当の割合を占めていたら、本来、アウトプットしなければいけないクリテイティブはその干渉を受け、淀む、というか、滞る。勉強するのに、これが鉛筆でこれがノートの紙面でって意識していたら勉強は捗らないはず。と同じ。

 で、MACとWINのキーボードやソフトウエアのショートカットには癖がある。また、変換するワープロにも癖がある。現在、右にMAC、左にWINを置いて基本この並びで仕事をしているが、これが、意外と右にWIN、左にMACを置くとなんかやりずらい。そもそも、私自身が左利きだったことも影響しているからかもしれないが、WINのマウスを左手で操作する時、左手で右クリックの方が、右手で右クリックよりも感覚的にスムースであり、左でマウスを操作して右手でテンキーを入力するよりも、右でマウスを操作して左手でテンキーを操作する方がスムースなのである。

 これらを会得できたことは、デザインの師匠であるマスターK氏から「ブラインドタッチ」を教えていただけたことが始点である。ちなみに、ブラインドタッチを会得するいろいろな方法がオンラインや書籍で紹介されているが、それらはすべてガチではない。本当にブラインドタッチを覚えたいなら、手元を布で隠して、小説を1冊分の文字を全てブラインドタッチで入力してください。近道は回り道なのである。

手元にあるアイテムだけでかっこよくデザインする!

 「文字・罫線・色・図形…手元にあるアイテムだけでかっこよくデザインする!イラストや写真素材を用いずに、かっこよくデザインをしたい!素材がなくても、インパクトのあるビジュアルにしたい!デザイナーならば誰もが直面する場面でしょう。本書は、そのような場面で参考になるデザインアイデアを結集させた1冊です。写真やイラストの力を借りずに、文字・罫線・色・図形といったアイテムのみで効果的にデザインされた秀作を多数掲載します。」というある書籍の広告分脈。これはしかし見本を見た段階で「かっこよく~」ではなくなりますね。つまり、サンプルはある案件のコンセプトがあり、それを料理・アレンジした方のポテンシャルがあり、オペレイトしたスキルとそれを客観的に仕上げたセンスの部分があったから成立した「カッコイイ」である。それを一覧してもその背景を読みとれなければただのテンプレート化してしまいます。しかし、テンプレート化してもいいから、この中のサンプルを現在の手持ちの案件に適用して「カッコイイ」と感じられる方にしてみれば、この書籍は価値あり。しかし、手元のアイテムだけって、アイテムでデザインできるならそれは正確にはデザインとは呼びにくい。冷蔵庫にある食材で美味しい一品料理が作れる人ととそうでない人がいるように、本丸はアイテムでも素材でもテンプレートでもない。デザインを理解しているということが大前提。逆にここを踏んでいれば、どんなものもアイテムになるし素材になる。逆算の逆算が一回まわってワン!の「ワン!」が成立すればそれが立派なデザインとなる。この書籍をどうひも解くかの能力にも最終仕上げのクオリティーは左右される。つまり、豚に???、鬼に???、???とはさみは~なのである。弘法も筆の誤りと言いますが、誤りから生まれるデザインもあることを弘法は知っているみたいな・・・。

「35歳限界説」!?

 「「35歳限界説」を打ち破る、エンジニアが習得するべきスキルとは?日進月歩のIT・ネット業界において、以前から囁かれている「35歳限界説」。市場環境の変化が激化している昨今、その傾向は加速している。事実、30歳前後の転職において、年齢相応のスキルや結果を求められることに、プレッシャーを感じるエンジニアも少なくない。」とあるルートからのメルマガに記載されていた。うん?35歳が限界って誰のさじ加減だ?確かに市場は激化しているしその傾向が加速していると言われていることは決して根も葉もないことではないだろう。しかし、30歳で転職する人がそれ相当のスキルを、まして、システムエンジニアという分野で・・・となると、本当にそうなんだろうか?つまり、「ついていけませんシンドローム」が実際に白旗を上げている人に有効に機能しているのなら、それはたまたまそういう人なだっただけのように思います。何もスキルスキルと煽らずともビジネスの現場はスキルだけじゃない。まして、地位や名声や資本力が逆にウイークポイントに容易く反転する時代、何をもってリアルとするかは自分が決めればいいじゃん!自分のスキルに責任が持てず企業や組織に依存している人、依存度を一旦解除して世の中を360度見渡せばそれが見えるのでは・・・?

 勝手に限界って言われると非常に遺憾だが、まぁ、限界点は自分で決めるでええやん。