日常からの離脱。

 寺でお香をたき般若心境を写経する人達。日常から離脱し無の安らぎを手軽に感じるってこと。そのための場所は寺である必要があるらしい。これも大地のパワーのなせる技か?本当の静寂を求めて都会の喧騒から隔離された場所にこそ人間の本当の~となるが、まぁ、どうでもいい。またまた、寺に数字が蓄積されるだけだろう。もう、すでにその仕組みはあるのだから、今更、温故知新の鍋に火をつける必要ない、現代は現代の鍋に具材を入れて料理しましょうよ・・・みたいな。

 しかし、離脱とは解脱?自己の分解?社会生活からのアイソレート?どんだけ疲れてるの?心のお手軽整体マッサージ駆け込み寺化していないかな?鍛えねば決して本当の至高は手にできないような危機感がある。だから、心技体、日々の鍛錬で自分ののびしろを意識化・具現化したいものです。そこには、どうしても「気」というチカラの存在を否定できない。つまり「心」の問題。心をどう分析して洞察して検証するかたぶん人間にその術はない。自由自在に瞬時にカタチも質量も速度も変化する「心」。これをコントロールできれば、そりゃそりゃ海賊王にだってなれるだろう・・・。