100が基準の公平感。

 私達は一般に学校の頃、100点を基準に優劣を推し量ってきた。しかし、何故、100が基準なのかを改めて考えたことはない。つまり、それが日本の義務教育から専門教育に人間を進める場合の基準値として最適だったと言われている。確かにである。すべての試験が100を基準に採点され順位が決定してきたがこれはあくまでも便宜上の設定値なのである。海外に目を向ければ必ずしも評価の基準が100ではない。つまり、貴方は90点、私も90点、だから、あなたと私は同じです~みたいな公平感で人ののびしろを規定するから、それ以外の要素でそれ相当の職についている人にポテンシャルとスピリッツとクリエティビティーが欠落するのである。決して出る杭は暴挙でもアンノーマルでもない。「しなやかな個性」をリスペクトするフィーリングというかモチベーションを会得していないから、孤立し仮想や妄想や迷走の世界に逃走するのである。インターネットはコミュニケーションのツールだと言うが、その本質というか真価の本丸に食らいついている人は少ない。一瞬で100の評価を1000に変えるような日本にならないと。だから、100の人が1になることを恐れすぎなのである。振幅は家柄や資本力や地位や名声や肩書きで決めない方がいい。これらが結果99の人は悲し過ぎるっしょ!まぁ、人のことは言えないので、いつでもどこでも100,000ぐらいのポテンシャルは蓄えておきたいものです。