2011年03月 アーカイブ

ラジオをゲットした。

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 こんな安易な簡易なモノがいざという時に情報を与えてくれるとは・・・、ジョブスはなんとこのリアルを感じているのだろう・・・。

ハラリを、パシッと。

 歳と共に年々いろいろなところが鈍くなる。数年前に腰と首のヘルニアが最悪状態になり、杖生活を余議なくされていた。その時は立っていることが辛い。仰向けに寝ることも長時間は辛い。ましてや、急な動きなど・・・。という状態でした。その原因はいろいろ複合的であり、その症状も手足への痺れや皮膚感覚の軽い麻痺などかなりひどい状態だった。しかし、治療方法はないという診断を下され、途方に暮れていたがそれでも仕事はしなければいけない。どうにかして日常生活に支障のないところまで復活しようと、毎日毎晩軽いストレッチから長時間の風呂での半身浴。ストレッチや軽い腰に負担のない運動を日課にした。そして、なんとか復活して3年である。普通にチョップ君と散歩したり、時にはチョップ君に合わせて軽く走ったり。これはもう夢のような状態である。

 そんな腰痛生活の副産物と言えば、足と腰が全然不安定だから、何をするにも両手で支えながら動作をする。すると、両手の筋力や握力は毎日のことだからかなり強くなり、身体を支える時でもできるだけ腰に負担をかけないレベルで両腕がそれを担った。おまけに腰を伸ばすために階段の踊り場でぶら下がることを続けていたらさらに両腕と握力が鍛えられた。調子にのって懸垂を繰り返しているうちに腰も首も足腰も強くなった。これが非常に大きな副産物でした。最悪の時は走るなどとてもできなかったが、今では100mぐらいは全力で走れる状態。

 すると、それまで仕事中に、紙が何かのタイミングでハラリと床に落ちたり、コロコロとデスクから何かモノが落ちそうになったりする瞬間に、手が反射して紙やボールペンなどをつかめるようになっていることに気がついた。つまり、腰や首が痛い時はそんなことでさえ、できていなかったということ。ハラリと落ちそうになる紙をパシッと掴める反射神経が戻ってきたことこれは意外と嬉しい瞬間でした。

 まぁ、何事も心技体なので、ビシネスチャンスもハラリとなりそうな時でも、パシッと掴める心と頭に復活しているといいなぁ~と思います。必然的に反射神経、筋力、持久力も毎日のトレーニングで一定レベルを維持できている。疲れない身体、太らない身体、俊敏に反応できる身体があれば、心も技も同期するのかな・・・と思います。何事もふわふわした情勢ですし、ハラリを、パシッと掴めるよう、トレーニングトレーニング。

想定外の振幅。

 東日本大震災の報道や新聞の記事でよく聞く「想定外」という言葉。どうも、女川原子力発電所と福島原子力発電所のそれはその振幅が違っていたようなことになっていますね。管理していた人を攻めることは簡単だがそれはまた論点が違う。ただ、震源地に対してさほど立地条件が異ならない二つの原子力発電所で想定されていた「想定外」の基準がかなり異なっていたことが、その建設段階でのジャッジから、そして、原子力発電所が建立してから、そこを管理・運営する人の中の危機感レベルについてもいろいろな面で「想定外」の設定値が異なっていたようですね。だから・・・などと東電の人達を攻めることなど決してできないのですが、結果、女川さんの「想定外」は的を得ていたということなってしまいます。

 で、同じことが日本国内、世界各国を捉えた場合、県単位、会社単位、地域単位、個人単位でどこまでこの「想定外」を捉えておくかということが、女川と福島の結果に繋がるような気がします。あらゆる可能性を想定しても、人間の英知など自然の前ではすべて想定外。

エハンさん、頑張ってください!

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 頑張ってクダサイ!エハンさん!道中くれぐれもお気をつけて!!

詳しくはこちら。http://hopebook.jp/

TOKIO DOWN.

 昔、「ダラス・ダウン」という小説を読んだ。地殻変動でダラスの街が崩壊するフィクションである。フィクションの世界ならただのドキドキで済むが、今回の福島はリアル。地球規模でなんとかしなければ甚大以上の被害を長期的に人類は受け続けるだろう。悲観しても仕方ないからテレビのCMでは空元気をゴリ押ししているが、事態は決してそんな甘く緩く浅い問題ではない。もっと根幹的な対応が見えてこなければ、とてもとても「復興」などという言葉を口に出すべきではない。タレント達も無責任なコメントをベラベラとああも脚本通りにしゃべれるものだ・・・、とんだマリオネットである。まだまだ最悪のシナリオは継続していることをもっと辛辣にメディアは取り上げるべきだろう。言わばもう手遅れの状態から何をどう整えるかという状態だろうし、現場の皆様の途方もない覚悟と尽力のさらに上にある決断を然るべき立場の人に早くお願いしたいものである。何よりも漏えいを止めて欲しいと願うばかり。海に流したら終わりではないのだから・・・。

素敵なおばあちゃん。

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 道の駅にて野菜を売っていたおばあちゃん。終始ニコニコ。天塩にかけた野菜をここで売っておられるのでしょうね。まだまだ風は冷たいのに・・・。その笑顔を見ているだけで優しい気持ちになれました。結局、私もパソコンとかソフトウエアを使って横文字商売をしているが、このおばあちゃんと同じ。種を植え、育てて創ったモノを買っていただける方に販売して代価で飯を食わせていただいている。雨の日も風の日も雪の日も晴れの日も。創ったモノを買っていただくためにやれることは、しっかり一生懸命創るということと、このおばあちゃんのように温かい気持ちで店頭に立つということ。決してイライラ・ガツガツ・ナヨナヨしないこと、うん、笑顔が一番です。

錯覚の科学。

 「錯覚にはいろいろな種類がある。まずは、物理的錯覚(蜃気楼やドップラー効果)、知覚的錯覚(だまし絵や錯視)、認知的錯覚(不注意や感違い)に分けられる。本書で言う錯覚は認知的錯覚である。注意、記憶、推論、自己認識などの錯覚が具体例や文献とともにわかりやすく解説されている。認知的錯覚は、その誤った見方・捉え方を訂正して正しく認識し直すことが可能だる。ところが、人間にはその訂正能力を過大に見積もる「錯覚」もある。それにもっと気を配ろうと著者たちは言う。例えば、原題になっている「見えないゴリラ」は心理学や神経科学の研究者の間では有名な面白デモで、バスケットボールのパスをしている中をゴリラの着ぐるみが胸を叩いて目立つように横切るという動画があるが、パスを数えている観察者の約半数はゴリラに気がつかなかった。注意の資源は有限だということだ。しかし、「そんな目立つものは簡単に気づくはずだ」と多くの人は考える。これが「錯覚」だ。たとえば、クルマの運転中の携帯電話の使用はハンズフリーの機種でも注意が不足して危険なのだが、多く人はそうは思わない。著者たちは「モーツァルト効果」をやり玉に挙げる。「モーツァルトの音楽を聴くと頭がよくなる」という迷信のことだ。この迷信の発生源は科学誌「ネイチャー」に1993年に掲載された論文であるという。モーツァルトを聴く被験者群、リラグゼーションのテープを聴く群、同時間黙って座っている群に事後テストしたら、モーツァルトを聴いた群の「抽象的推理能力」得点が他よりも高かったというのだ。心理学としてはずいぶん甘い実験計画である。どうダメなのかは本書を読んで頂くとして、この迷信は科学的な批判を浴びても沈静化するばかりか、何のデータもないのに「モーツァルトをこどもに聴かせるとよい」という方向に化けていく。その他、能トレやサブリミナルに言われているような効果はないなど、エセ科学への批判は容赦ない。直観的な思考の危うさも指摘する。もっとも、本書は啓蒙書ではなく、大人向きの楽しい科学本である。翻訳も素晴らしい。」とある記事に記載されていた。全文抜粋しました。

 批判することは簡単であるが、批判するためには軸がいる。それは、歴史や文化や経済も含めた慣習というか生活レベルの臭いのようなもの。その中に存在する軸が多面的に意識されていないとこの洞察や分析は散漫になるだろう。もとより、現在の日本、景気が低迷していた上に、この度の東日本大震災の影響と福島原発の歴史的な大事故でこの臭いがそれこそ濁っている。まさに、錯覚が生まれる混沌とした状態の極みである。「祈り」をベースにこの混沌とした情勢の隙間にトラップが仕掛けられる可能性がある。投資家達の錯覚、国家間の錯覚、個体と個体間に生じる数多の錯覚をどう制御するのかこそが、今、世界規模で問われているような気がする。正解はない。信じるものが救われるという暴論にも共感はできない。科学という軸が全ての正解を導き出せるとも思わないが、ひとつの有効なアプローチであることはリアルである。多くの尊い命を代償にfakeよりに心が傾かぬよう軸足を鍛えたい。祈るとは失ったものへの尊厳を軸に今ある命をその先へ繋げること。例えそれが錯覚でもいいから、掴み抱き温かい大切なモノを守ること。

地球はひとつ。

 世界中で放射能の計測数値が上がっているらしい。海に捨てた廃棄物、地上で放出された放射能、オゾンの破壊で増幅した宇宙線。しかし、この状況にもたぶん人間は対応するだろう。DNAに記述された災害時対策マニュアルを少しづつ紐解き、その内容を更新させながら、人類は地球は先へ行くのだろう。風が海流が地盤が動く時、人類はその影響をぶざまなまでも受けてしまう現実。核融合は人類にとってのパンドラなら、その被害者は他の生物である。生物達に一斉にツッコまれぬよう、「なんでやねん!」とならなぬよう、ボケるならボケる、ツッコミを受けるならそれ相当のリアクションを用意しておかなければいけないですね。

 2号機は復活したそうですが、まだまだ、予断は許さない状況です。地球はひとつ、生物もひとつ。すべてはひとつ。

命は命で救う・・・か。

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 ついに映画となりました。コミックスの第1号をある方からオススメ頂き、はまりにはまった「岳(ガク)」です。あまりにも嵌り過ぎて富士山の山頂に立ってしまった。冬山の頂にも立ってしまった。それが、なんと映画になった。このテンション。世の中、東日本の大震災、そして、福島原発のレベル6の危機って時に、映画なんて・・・と不謹慎かもしれないが、それでも、三歩さんの存在はどこか、今回の救援部隊のそれとリンクしていて山と被災地がシンクロしてしまっています。

 国内から世界から多くのエキスパートが被災地に乗り込んで24時間体制で復興を目指しておられるその命、福島原発で24時間、被爆もものともせず発電所の復活にその生命をかけて対峙しておられるプロフェッショナルな人達の命。つまり、命は命で救うというこの関係。多くの命が自然の脅威の下になり失われた。しかし、まだ、尽きていない命を懸命な志をもった命が救っている。そのことを考えると、私にできることをしなければとなる。いろいろな命の意義や熱意や志が今、その場所に集結しているのでしょう。

松本義久さんのメッセージ。

 昨日の池上彰さんの緊急生放送におけるゲストの方のコメント。東日本大災害のテレビにあらゆるジャンルのあらゆる専門家が登場して様々なコメントを流したが、私が観て聞く範囲内で一番強く正しいコメントはこの松本義久さんのコメントメッセージだったのではないだろうか。そもそも、このようなテレビに登場する人ではない部分がその口調や伝えたいという意識に溢れていた。生放送だったことで伝えたいことが少し空回りしている感じが否めなかったが、それでも、この方のメッセージは一番芯を喰っていたと思う。

 「人間のDNAこそが最高のマニュアルである。そこに人間はもっと注視するべきだと・・・。」この方、なかなかの切り口である。一番、心が動いたメッセージだった。

詳しくはこちら。http://www.titech.ac.jp/whoswho/Profiles/0004/0011520/profile.html

大切な相方。

 人間には相方が必要なんだと思う。いつの時代もどのような立場の人にも友人はいる。気楽になんでも話し合える友人。しかし、そんな親しい友人と相方は違う。仕事の現場においても組織なら組織で、個人でも個人で、パートナーが必要である。つまり、お互いにリスペクトし合っていながら、全然タイプの違う相手。時にお互いの痛い部分も苦い部分もズバリズバリと言い合える相方の存在。

 ジブリの歴史みたいなテレビ番組で宮崎さんと高畑さんの関係をそんな相方という表現で紹介し合っていた。つかみ合いの喧嘩もした、お互い酒を飲み泣きあった相方の存在。そんな熱量のバランスがマッチした存在が相方なのだろう。

 お笑いコンビ、漫才コンビも同位。どこかお互いのことをいろいろ言い合いながらも、そのバランスは誰の意見にも影響も受けない確固たる関係を築けているからこそ、テレビの業界で存在価値を示せるのだろう。一人ならただの変人・奇人が相方のお陰でパワーバランスが整いひとつのタレント・漫才師・芸能人としてののびしろに繋がるってことだろう。

 22歳の頃、東京でイラストレーターになりたかった私はその時のデザイン事務所の師匠に言われた言葉が今でも鮮明に残っている。「なかなかイラストレーターで有名になりいい仕事をするのは難しいぞ、ならば、まず、アートデレクター思考に切り替え、仕事を自分で受けられるようになればいい。そして、アートデレクターの自分がイラストレーターの自分を使えば、好きなイラストの仕事ができるんではないか・・・?」と。この言葉は人生観を覚醒していただけた。つまり、その時代、有名なイラストレーターには影に実力のあるアートデレクターの存在があったということ。彼らに採用され、彼らに信頼されるスタイルをもち熱意と技術があるから、最前線のいい仕事(イラストレーション)が世の中に出るという仕組み。そんなことは全然知らなかった若造にそこまで言っていただけたことがジワリジワリ、逆ボディーブローのように効いてくるわけである。しかし、そんなアートデレクターとイラストレーターの関係も、主観はひとつ。なかなか、仕事のいろいろな場面で迷うことが多い。そんな時、相方の存在がとても気なる。そんな人生の相方など探して見つかるわけでもなく、自分の中の「相方感」について考えたがなかなか、出会えることはなかった。その孤独感が時には有効に機能するが、基本はひとつの主観で苦悩していたような。覚醒はしたが、その先にあるパワーバランスは安定しなかった。

 しかし、30代の後半、それが見えた。その存在に気がついた。これは私からの一方的な渇望であり、相手はポカンだったことだろうし、今でもその意識はないのかもしれない。しかし、私は彼以外に相方はいないと確信できた。他のどんな固定観念や先入観よりも自分自身が確信を持てるということが一番意義があると思っているので、私は彼を相方だと勝手に認定している。彼の言葉は広く深い。こんなに素直に心に訴えられる言葉は時にナイフのように時にダイヤモンドのように光を放つ。

 大切な相方は今東京に住んでいる。一にも早く、離れてほしい。私は28歳で東京に飽きた。自分のチカラを試したくて東京を離れた。そして、巡り巡って今は琵琶湖の湖畔で仕事をさせて頂けている。結果、関西大震災も東北地震と津波からも放射能の関東からも幸運にも回避させていただけている。これは、たまたまなのか本能が大地の臭いを嗅ぎ分けたのか???その答はまだ分からないが、とにかく、相方には関東地方を離脱して欲しいと願う。

海の中で起こっていること。

 あるSF小説を読んでいる。この度の震災前から読み始めている小説である。それは、深海のお話。上・中・下それぞれに600ページあるので全部で1,800ページの大作である。それを読み進める段階でちょうど上の後半で東日本の大震災と津波が発生した。そして、それにまるでシンクロするように、物語の舞台である北欧・ヨーロッパの大陸棚で地球規模のある大災害が発生し、イギリス、北欧、大西洋岸諸国が津波に飲まれた。東北の映像と小説のそれが微妙に連動してまるで小説の映画化を見ているような気分だった。誠に不謹慎ではあるが、小説で起きていることがもし太平洋のプレートで・・・となどと妄想を膨らませてしまった。その上、原子力発電所の事故も同じようにこの小説で描かれている。それが、リアルタイムの事故ではなく、世界中の原子力に関するあらゆるレポートが事細かに紹介されているというテイ。勿論、フィクションだから、そこに信憑性は???となると全くの背景のないことなのかそれとも・・・?というバランスである。過去のチェルノブイリやスリーマイルは事故としては人類史上の大事故であることには間違いなのですが、それ以外に、原子力発電所の廃棄物や原子力潜水艦などプロトニウムに関する廃棄物の処理が実は・・・というお話。

 人は水中で生きていないので、空気中の放射能ばかりに注視するが、実はそれよりも、地球の生態系で言うと、水中の放射能の存在ほど恐ろしいことはないという流れ。詳細はまだ小説を読んでいない人に失礼なのでここまでとしますが、空気も繋がっているが海はもっと密接に生物に影響を及ぼしているということに人間はあまり重要視していないという警鐘である。

 本当に怖いことは実は海の中で起こっているというお話。う~ん、現在この小説はちょうど中の中盤戦です。結論が怖いと同時に、福島の原発の動向も気になる。小説は読むのをやめれば結果は分からないが、福島原発はそうはいかないガチのリアル。ただ、指を咥えて状態がもどかしいです。

ラジオのチカラ。

 被災地では電気の供給やライフラインの断裂で孤立する状況がまだ完全に復活していない。被災当初から、携帯は混乱しテレビもパソコンも失った人が唯一情報を得た手段がラジオ。電池があれば情報を入手することができるツール。インターネットも結局、電気と共にあり、結局、電子ブックもiPadも人が本当に情報を欲しい時にあまり機能しなかった。言わば嗜好品なのであるということ。洗練されたフォルムやあまり意味のないアプリやゲームなどで被災地の皆様の心が癒えたのか?表面的なふわふわしたコンテンツで人の心は暖かくなったのか?たぶん、ツールが機能していない以上NOだろうし、例え、手の中にそれがあったとしても、一本の電話の声やメモや手書きの看板が人の心を暖かく包みながら、しかも、情報もしっかり伝えていたような気がします。

 電気が消えた体育館で気持ちが落ち込む時、ラジオからの応援の声や情報の説明は被災された人の心に一番大きな火をともしたとのこと。ラジオ vs iPad の圧倒的な優位性は少しこの大惨事で揺らいだような構図である。私も静岡の地震の時、長浜も震度3程揺れたので、防災グッズや下着類や食料を登山用のバックに満タンに詰め込んだ。で、災害用のラジオに電池を入れて防災情報チャンネルに合わせると、こんな小さいな機器の中から刻々と細かい情報が流れてきた。改めてこのラジオの存在感を再認識してしまった。やるやん!ラジオ君。ラジオのチカラ、うん、なかなかのものです。

少しづつ少しづつ。

 被災地のこと、原子炉のこと、少しづつ少しづつ復興に向けて進んでいるような印象を受けました。何より原子炉の冷却と電力の供給が優先されていますが、その対応も、危険を顧みず24時間復旧に対峙している皆様がおられる。そんな現場とは裏腹に政治の現場でも、東京電力の上層部では、子どもの喧嘩のようなことばかり。入閣だの拒否だの言ったの言わないので時間を浪費するぐらいなら、黙って一人の人間として応援をしてください。攻めて現場で決死の覚悟で対応している人達の邪魔をしないように。大義名分はいいのでとにかく邪魔をしないように。

全ては伝言ゲーム。

 子どものころ横一列に並び、右はしから左はしに並び、一番右から一番左の人へ伝言を伝えるあれ。最初の人が説明したことを次の人が理解して次の隣の人に伝える伝言ゲーム。これはあらゆる世界の縮図である。家でも会社でも地域でも国でも世界でもそれの一番ホットな仕組みがたぶんfacebookなんだろう。まぁ、アンダーな世界の伝言ゲームについては一般人の知るよしもなし。

 朝起きて「おはよう!今日は天気がいいね。」から「おやすみ」までの間にどれだけの伝言を人は受信して発信している。些細な日常会話も重要な仕事上のコミュニケーションも。しかし、想いはなかなかまっすぐ走らない。どこかで屈折する沈滞する、もしくは、反射されてくる。あまりにもこのジレンマ感が辛い状況だと人は発信しなくなり受信もしなくなる。孤立して小さなモニターの仮想世界に憩いの場所を見つける。それがすべてゲームの世界だとは言及しないが、そこのエンジョイ感にはのびしろがないことも間違いのない現実である。無限のリスク=無限ののびしろなのである。

 しかし、ボールを相手の胸にめがけてコントロールに注意して投げているのに、相手が無神経にショートバウンドを投げたりジャンプしても捕球できないボールを投げられると、ちょっと、「おい!」となってしまう。でも、取り損ねても、てんてんと後方遠くにボールが転がってしまっても、また、ボールを追いかければいいだけ。相手も故意に悪いボールを投げたわけではないはず、胸に向かって投げようとしたのに、つい、緊張してや手先が滑りボールがコントロールできなかっただけかもしれない。それに、自分自身もいつもいつも相手の胸にボールを投げられるとは限らない。それが、キャッチボールの真理。

 真夏の炎天下、3時間延々とキャッチボールをした。練習として。大きな声を出して、相手の胸にボールを投げ続ける。汗はもう出ない。身体中の筋肉が悲鳴を上げる。しかし、相手の胸に目がけてボールを投げ続けた。真夏の炎天下、野球のユニホームをびっちりと着こみである。疲労の末、相手の受けられないようなボールを投げてしまう。相手はボールを追いかける。お互いもうピークな状態で。ボールを追いかける相手を気遣い自分自身も相手と一緒にボールを追いかける。「ごめんごめん。」これがコミュニケーションの真理である。

 しかし、いろいろな仕事をしているといろいろな人がいる。キャッチボールをするための準備ができていない人もいる。疲れて途中で怒るりだす幼い人もいる。馬頭を吐き捨て離脱してしまう人もいる。明らかに皆さんのポテンシャルが低いことが原因だと思う自分と、自分の投げていたボールが悪かったからこの人は怒ってしまった離脱してしまったと感じてしまったと捉える自分。二人とも間違いない自分なのである。でも、そんなことになっても、もう一度、キャッチボールをするために、これまで以上に神経を使って相手の胸に目がけてボールを投げようとする自分が自分の正解でいいと思う。ボールは一つ。

 また、これが試合になれば、空振りさせようとボールを投げるピッチャーとそれを打ち返そうとするバッターの勝負がキャッチボールと相反するようで、これが同位なのである。そして、勝敗がついた後、何故打たれたのか?なぜ、打ちとれなかったのかを考える。

 つまり、ボールは言葉。しっかり投げて、しっかり受けなければ、キャッチボールは成立しない。

もう一度、笑顔を。

 ただただ、心から思うことは、もう一度、日本が笑顔になってほしい。行動・言動・思考の側面は多様であるが自分自身がどの側面を見ているかは実感できるはず。それが脳幹からの信号だと信じて、それが自分のIDからの信号だと信じて、動き、考え、創り続けたい。ただその想いでこのタイミングで情報紙を発行することを決断しました。こんな時に不謹慎かもしれませんし、そんな意味のないことを何故やるのか?とも詰問されました。数多の危惧や想定されるリスクは棚に置き、起動・発動しました。ご快諾いただいたS.O.S.のメンバーの皆様、本当にありがとうございます。そして、今回は参画いただけなかった皆様からの心の声もしっかり受け止めて第27号をカタチにしたいと考えております。

 第27号のテーマは「WE LOVE JAPAN.」これを見た方がひとりでも笑顔になり1mmでもモチベーションが上がれば意義や価値があると信じて完成まで走りたいと思います。

 義損活動をできるような立場ではないし、3億も5億も寄付するような資本はない。音楽家が音楽を奏でるように、タレントがテレビでメッセージを放つように、クリエイターとしてアーティストとしてできることをするだけなのです。

言葉の細胞分裂。

 言葉や文字には多面的な意味がある。言葉や文字は道具である。筆記道具やパソコンのキーボードや声帯からアウトプットされた言葉や文字は意図があり意思が生まれる。本体が担わせた意味や意図とは別の意味や意図に分裂する特性を持っている。初めは一つの意味だったことが何かに転写されたり、声として聴覚が認知した段階で必ずそれは二つ以上の側面を持つ、というよりも、明らかに細胞分裂のように生命を持つ。細胞分裂後その二つ以上の側面はどうなるか、同意であればいいが、生物の進化のようにそれは必ず相反する性質を持つ特性がある。光と影、天と地、プラスとマイナス、作用と反作用である。時にこれを賢者は利用する。つまり、どんな矛にも突き破れない盾とどんな盾も突きぬく矛なのである。で、矛盾となる。

 鋼鉄の溶解炉についてのコメントにも恐らくこの方程式が適用されている。「希望的観測」という言葉や都合がいい。誰ひとりとして1秒先を確認する千里眼は持っていない。誰ひとり1秒先へ転送できるタイムマシンは持っていない。しかし、必ず1秒後はやってくる。これを相対性で理論化してもそれはまったくプロトニウムと無関係である。

 二つに分かれた言葉の細胞が時間の経過とともに4つになり8つになる。時間は止められないし、逆送もできない。映画「スピード」のデニス・ホッパーの声が聞こえる。「So, What do yoy do?(さぁ、どうする?)」。厳しい二者択一。それとも、SAWのジグソーが地球の真理を突き付けて「Let's play game...」とでも言っているのだろうか?生命を欠けた二者択一、ダイスは投げられてスローモーションのように今空中をゆっくりと舞っている。さて、どの目が出るのか・・・?

知層か・・・。

 東日本大震災関連情報番組の合間に流れる公共広告機構のCMの中、なかなか、いい感じのアプローチがある。ただ、それがいい感じ過ぎて怖くもある。裏で日本の半分が終焉を迎えようとしているのに・・・である。情報の正確性についてここで掘り起こしても意味も価値ものびしろもないから、つまびらかに「知層」について、真相との格差を感じたまま書き出したい。これが、真実が見えている人に届けばいいな。

 本や新聞を読む度に広がる世界がある。新しい世界は人にとって「知」の層となり豊な人生に繋がると言いたいのだろう。公共広告機構とはいったいどこを軸足にしているのか?そもそも、「知」があったとしてそれが層をなす、階層下に蓄積してなんらかの恩恵を及ぼすなら、「知」とは蓄積するだけの意義なのか?そうではないはず。しかし、それを「知層」と今、原子炉の真実をまるで階層下に封印しようとしていることを、言わば「知」に置き換えようとでもいうのか。真実はいつも時間と共に層を成し、それを人は礎にして生きているのだから、これを美しく風化させるためのfakeなのか?う~ん。

 そんなところで実態としての日本の経済構造に谷があったとは。フォッサマグナで分かれる東と西。もうそれは実は過去の「知」としてトップシークレットの文書のひとつになってしまうのかもしれない。それが誠に恐ろしい。しかし、現実はそこでは間違いなくカウントダウン状態なのか?時限爆弾の赤いデジタル数字のイメージ。

 豊かであることを「知」に置き換えるもよし、リアルを封印することを「知」に置き換えるもよし。そんな風にこのCMが流されているとしたら、それはとても恐ろしいことである。ただの深読みであってほしいものです。

メルトダウンの可能性。

 すでにメディアは義援金の金額表示に慌ただしいが、まだまだ、復興の兆しは見えない。むやみに煽るわけではないが、真意の部分で、最悪のシナリオが誰の心の中にもあるだろう。口に出さないがこのタブーについて頭では処理できていても心はまさにその部位のようにとてつもない不安で溶けてしまいそうである。全世界の専門家が終結しているにも関わらずメルトダウンの危険性は全く回避できていないことをもっと辛辣に伝えてほしい。そして、最悪の事態を想定した対処方法をもっと告知してほしい。地震は恐ろしい、津波も人知を超えた恐怖である。しかし、メルトダウンは自然災害と連動しているとはいえ、人工物。言わば、人災の要素も含まれている。管理力や技術的な対応は今現在人間の英知の全てを注ぎ現場の復活に携わっておられる数々の専門家が終結しているはずなのに、全く、この不安だけは日に日に増加する。どこかの段階で海外へ脱出するというシナリオも必要になってくるはず。東京に放射能が流れている。もう、想定外の地震が起きたから事故になったとか、焼け石に水のようなコメントは聞きたくないと、国民は感じているように思います。焦燥を募らせても何の解決にもならないが、個人個人で最悪のシナリオを持っていつでも対処できる準備を怠らないでいたいと思う。日本国内はどこを向いても原子力発電所である。その管理力が世界レベルだとかってことはもうどうでもいいこと。現在の状況と国として世界としてこの問題への解決策としての選択肢を早く一般市民に告知して欲しいと願う。恐らくもう水面下ではその対策が講じられているはず。妄想で動くことはできないし、軽率な判断で家族を犠牲にすることはできない。しかし、確実に人類にとって最悪のシナリオは発動しているように感じています。老婆心・被害妄想であってほしい。

失って初めて・・・。

 電気、ガス、水、暖かい食べ物、暖かい布団、家、家族、友人、愛情、失って初めてその大きな価値を知る。普通の生活がいかに多くの価値の上に成立していることか。このことを絶対に忘れてはいけないなどとテレビの中の専門家ぶるつもりはないが、この気持ちの芯の部分を自分の心でどう捉えるかで今回の大惨事の意味がただの傷になるのか、糧となるのかという差を生むのだろうと思う。地球の波動の前にこうも微塵に崩れた人間社会の在り様を見るにつけ、だからこそ、人はお互いにいつの時代にも支え合わなければいけないと思う。尊い多くの命の数をどう心に刻むのかでこれからの人生、どれだけ、優しい人間に大きな人間になれるかに繋がっているような気がします。つまり、すべてはひとつ。すべては繋がっている。自然も人間も・・・と思います。

WE LOVE JAPAN.

 中国が報じていた新聞の一面の捉え方を観て、心が震えた。どんな場面・状況でも暴動を起こすことなく整然と災害に対応している日本人を見て、中国のメディアが称賛していた。

 不景気だとか政治不信だとか国内にいるとそんな悪いことばかりにフォーカスして「日本ってダメじゃん!」とか「なんとかならないのかこの国は・・・。」とか心で愚痴っていましたが、そんなとんでもない。歴史上最大のピンチに見舞われているのに、被災者の方も救援の皆様も的確に迅速にパニックを起こすことなく対応している姿を見て、この中国のメディアの報道が真実だと改めて感じてしまった。素晴らしい国なんだ日本は!と。

 起こってしまったことや現在も進行中の原子炉のトラブルなどまだまだ、復興を目指す段階ではないものの、不眠不休でこの大惨事に取り組んでいる人が現地に溢れている状態。私にできることなど、ちっぽけな節電をする、コンビニや施設の募金箱に財布のお金を入れさせていただくことぐらいしかできないが、それでも、今、日本はひとつになっている。間違いのないこの事実・現実。まさに、WE LOVE LAPAN! だと思うのです。

 まだまだ、リアルタイムで変化に対応しなければいけない状況が続いていますが、現場の支援者のエキスパートの皆様、頑張ってください!そして、被災された皆様、ご心労・疲労が蓄積した状態で余談を許さない状態でしょうけれど、世界からエキスパートが集まっています。情報も次第に整理されていくと思います。気持ちをさらに強く持っていただき、今、直面している状況に対峙していってください。頑張ってください。

義援金と節電。

 とにかく、できる範囲での募金を行うこと。そして、無駄な電気は使わないこと。仕事上、電気が無ければ成立しないことがなんとももどかしい。それほど、電気やガソリンやガスや水が私達の生活を支えていたということが明確に改めて認識できる。決して、無駄使いをしているつもりはないが、とは言え、大切にその価値を認識して使っていたかとなるとそうでもないだろう。いろいろな感覚が麻痺してどちらかと言えば無限にあるものだと誤解して浪費していることの方が多かったことだろう。改めてエネルギーの恩恵をかみしめて節電に協力しなければ。

 日に日に知らされる地震と津波の情報。そして、現在も不眠不休で原子炉のトラブルに対峙している人がいることだろう。ほんとに何もできないが、ただただ、一人でも多くの人命が確認でき救われて、原子炉が最悪の状態にならぬように願うばかり。

地震の傷跡。

 刻一刻とテレビから流れる悲惨な状況と被災者の数。原子力発電所の事故状況。各国の支援体制。あまりにも大きな想像以上の未曾有の傷跡がテレビから流れる。太平洋プレートの震源を起爆剤に日本全土に連動するプレートが爆発する可能性があるらしい。もしものケースを想定して水や食料の確保をしなければいけない。日本国内最大規模の地震と最悪の原子炉施設の爆発。もうこれは日本だけの事故のレベルではないらしい。アメリカもロシアも動いているらしい。当然他のヨーロッパの諸国やアジア圏の皆様も同様だろう。う~ん、何をどう思考すればいいのか?何か被災された皆様にするべきことは何だろう?まだまだ、報じられていない被災現場で家族を土の中に残骸の中に探している皆様がいること。原子炉近隣の皆様の情報の不明確さに対する不安。まだまだ、震源地は安定していない。今後も同規模、もしくは、それ以上の規模の地震が発生しないという確定はない。傷はあまりにも大き過ぎる。これが乗り越えるための人間に与えられた試練などと軽々しい言葉が頭に浮かんで即座にゴミ箱へ行く。地震・津波から2日目、現地の皆様は本当に不安でいたたまれない気持ち、そして、焦燥と疲労困憊であろう。日本全国から、世界各国から支援者・支援物資が届けられるそうです。本当に気持ちだけを強く持っていただき、頑張っておられる皆様に対して頑張ってくださいとしか言えない情けない状況である。

おもしろいフォント。

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 オンラインにはフリー(無料)なコンテンツやアプリがいろいろ存在する。無料なのに~ってぐらい便利で魅力的なモノが多い。仕組み的には有料コンテンツへの導入的な存在なのは仕方ないとしても、無料でここまで開放するのか・・・というほどいいモノが多い。そこで無料の価値と有料の価値の境目はどこだろうと考えてみる。例えば著作権フリーの写真やイラストを提供するサイトがあったとして、ここには、サンプルというカテゴリーが用意されてて、気軽にダウンロードして使える状態になっている。いい絵柄があったとしてもデータのサイズなどの仕様的に不可な場合を回避したいからサンプルが存在するのですが、それでOKなら、もう一歩踏み込んで有料へということなります。では、ソフトウエアなどの場合、あれとこれを自分のプラットフォームで作りたいがソフトウエアが必要。しかし、有名ブランドになり多機能ならばそれ相当の価格帯になる。そこで、使用期間が限定され、仕様も限定されたソフトウエアが無料でダウンロードできて、試しにプラットフォームにインストールしてその機能や使い勝手を確かめることができて、「う~ん、やっぱ、難しそうだなぁ~。」なら買わない。「ああ、この程度でこの機能があるのなら、あのソフトと比較して値打ちだなぁ~。」となれば買う。このジャッジである。

 つまり、無料と有料の価値判断は常に自分のモノサシが最優先していて、この判断は人間の数だけ存在するということ。例えば、部屋に何か飾りたいというニーズとそのニーズにマッチした絵を確認する場合は常に自分のモノサシで、貨幣価値に置き換えると・・・ということになります。時には¥0でもいらんなぁ~というのもありますから、自分の貨幣価値、消費者の貨幣価値というのはしっかりと認識する必要がある。つまり、無料も有料も常にニーズに対してどこまでの価値があるのか、費用対効果がどこまであるのかを自分の中に確立していることで、それを買う場合だけではなく、売る場合もその基準が有効に作用するということ。ニーズが見えていない人はモノゴトノの価値を一方的に主観で見ている人。それで成立することも多いのですが、それだけでは、生産者・開発者・創造者・クリエイターにはなれない。いつまでも一パワーユーザー止まり。でも、それが一般的ですし、踏み込むためにはリスクもあるがのびしろもあるというわけ。すべてはひとつなのである。

 デジタルコンテンツにアナログテイストを連動させる方法は誠に持ってベタではありますが、ガチな部分も大いに・・・というサンプル(一例)でした。

激震2011.03.11

 何より、地震、津波、火災に見舞われた皆様の一日も早い復興と、まだ、余震が続く現場、2次災害、3次災害の可能性がある現場で救済・救助・復興に携わっておられる皆様の安全な作業が迅速に的確に進められることを祈念するばかり。次々にテレビから流れる映像。未曾有の恐怖の連続。M8.8の恐怖。あの場所にもしも自分がいたら、家族が行き埋めになっていたら、う~ん、一日も早い被災地の復興を願うばかりでございます。会われた方、救済の立場の方、皆様、頑張ってください。

ホーキングが語る。

 「ホーキング、宇宙と人間を語る~なぜ、宇宙は存在しているのでしょうか?なぜ、私たちは存在しているのでしょうか?私たちはいったい何者なのでしょうか?私たちと宇宙を支配する究極の理論とは何なのでしょう? 世界的ベストセラー「ホーキング、宇宙を語る」「ホーキング、未来を語る」に続く、9年ぶりの最新理論。」¥1,890。そうか、第3段が出たのか。

 これは、絶対に買わねばならない。しかし、上記の2冊はスルーした。「宇宙」にも「未来」にも興味があまりないからである。正確にはそれを分かった・知った・感じたところで、無に等しいと感じるから。しかし、その概念や概要はリサーチした。が、原文は読んでいない。でも、ホーキングが「人間」を語るなら、その書籍は絶対に読みたいと思っています。

ベストを尽くしてます!?

 よく人は「ベストを尽くします!」と言う。さて、この「ベスト」とは何だろう?フィーリングで考察すれば、「私は私の力の持てる限界まで頑張ります!」というHOPEになるが、その力がどれほどか理解できないのに、限界まで頑張るってどこまで頑張るの?となる。その場合「死に物狂いで」という意味でいいのだろうけれど、そこまでやる必要があるのか?というかそこまで気持ちを追い込んでいるのなら、もっと、早く、もっと平均してその力を日々の仕事になぜ適用できなかったのか?今、そう言っちゃうってことは、これまで確実に死に物狂いで仕事に取り組んでいませんでした。だけと、これからは一生懸命、死に物狂いで頑張ります!と言っているのか?これが、上記の「ベストを尽くします!」に含有されているような気がする。

 また、箱根駅伝などのスポーツで沿道で声援している一般の人達は決まって選手達に「頑張って!」と声をかけている。あきらかに、選手たちは一年365日、雨の日も風の日も雪の日も走り続けて今この晴れ舞台を疾走しているのですから、あきらかに今そこで声をかけているあなたよりも目の前を走っている選手は頑張っている。つまり、頑張っていない人とは言わないが、その度合いが少ないひとからあきらかに多い人対して「頑張って!」はちょっとナンセンス。

 つまり、「ベスト」も「頑張って!」も基準があいまいだととっとおかしい感じなる。

 で、エグザイル。あの団体は何だろう?私にはタイランドの肉体ワーカーの皆様が民族衣装を着てお酒の席で自由に踊って叫んでいるとしか見えない。が、アルバムが出た、1日で、ミリオン???そうかそうか、ある意味この島はタイランドでいいのか・・・。あいまいつながりで言うなら、日本の音楽シーンで、音楽の歴史で一番あいまいなこの団体が何をしたいのかが明確に理解できた日、もしかすると、日本の音楽ビジネスの未来も見えてくるのかなと思う。エイベックスの社長がテレビに出たそうですが、この上に君臨しているBEST OF ふわふわだろうから、また、ふわふわした話をテレビの電波で流すのだろう・・・。たぶん、「私はベストを尽くしてます!」ってテイでしゃべるのだろ。

4D VISIONという概念。

 人間は日々重力と戦っている。作用と反作用が常に筋肉や骨に加重をかけている。立つという基本的な状態でさえ、微妙なバランスを自立神経と三半規管で調整しながら3Dをコントロールしていると言える。この状態からさらにもうひとつの力点を設定することでより重力や自重に対して安定度が確立するという考えの概念が4D VISIONである。3点の安定度はあらゆるスポーツ力学や工業製品などで実証されていることであり、この力点をさらに同フレームで追加した4点ピラミッドであれば、必然的にその安定度はゆるぎないものになる。この理論は素晴らしい。よって、まゆつばなピラミッドなんとか~にはあまり俗っぽいから反応はできないが、三角形を4面組み合わせたこのピラミッド形状による安定構造を人間の足に組み込む商品ならば、頭も心も安定するだろう。身体が安定するのだから必然である。

 一方、ロッククライミング・ボルダリングの世界はこの自重に対して、四肢で支えるから4点となる。Gに対して身体のポジションと4点の壁との接地面をセンスよくバランスよく確保して登るというこの単純なアクションでさえ、3点の安定は欠かせない。Gに対して右手と右足でポイントに乗っている状態でさえ、自重とGのバランスをこの2点で決めていることになる。この2次元的な思考パターンに、壁は常に3Dである。傾斜があったり、ポイントでは、4点で上を向いてポイントにしがみ付く貼り付き状態の体制もありで、こうなると身体の筋力や柔軟性や両手の握力、そして、こられの筋持久力が壁に岩にホールドするための能力となり、垂直な壁をただポイントを決めて登るアクションから数倍に負荷が増加する。

 しかし、このトライワークでもしっかり4つの視点の概念を抑えていれば、身体がGに足してい平行であれ、直角であれ、どこに力を集中すればいいかが必然的に体感できるはず。うんうん、人間はGと戦い、Gと戯れているんですね。血流が地球の磁場にどのような影響を受け、1気圧が大気の混流で変化することが、体内気圧とのバランスで心臓に血管にどう影響を及ぼすか・・・、う~ん、生物のバランスはまさに神秘である。それが健康を意識する究極のホームワークのような気がします。

カフェインとニコチン。

 喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の危険性を高めます。疫学的な推計によると、喫煙者は心筋梗塞により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります。とタバコのパッケージには記載されている。1.7倍をどう受け止めるのか?心筋梗塞をどこまでリアルに受け止めるのか?確かにタバコを止められない理由に依存している部分が多いことは認めた上で、ニコチンとタールが身体に及ぼす影響は何だろう?嗜好品だと割り切って吸い続けてきたが、嗜好品で健康を害する危険性が1.7倍あること。恐らく危険性のベクトルは心筋梗塞だけではないはず。肺がんもあれば、他の悪腫瘍の因子を覚醒させる効果もあるのだろう。健康を犠牲にして嗜好を求めているわけですが、それほど自分にとって嗜好が大切なのか・・・?まぁ、このような疑問は吸い始めた時から心の中で大きく小さくジレンマとしてあるわけですが、こうしてここまで健康で入れることといいことに、このジレンマを押し殺しているだけなのだろう。それがもしかしたら「健康」の本質かもしれないとまで開き直っています。

 つまり、「健康」とは?の部分。グルメのメタボも飲酒の糖尿病も精神薄弱の悪いストレスも現代社会生活における根本的な運動不足もいわば「健康」から逸れている。しかし、すべてが1.7倍の因子を含んでいるとは限らない。タバコのパッケージに記載さているこの文字が本当は何を意味するのだろう?と考えると実はこの文脈の裏筋を通すと「1.7倍の競争率を勝ち抜き健康を手に入れた人だけが楽しめる嗜好品です。」となるような気がする。これも喫煙者のエゴだろうが・・・。

 で、カフェインはどうか?コーヒーに含有されるカフェインは毒性が高い。つまり、毒素も元素である。人間の身体も元素である。元素と元素の相性の問題であるから、摂取量さえ適正であれば、良薬口に苦しなのである。あの醤油でさえコップに1cm程度をイッキに飲めば高熱で死ぬ。食塩でさえ、大量に摂取すれば、内蔵は機能停止する。つまり、ニコチンもカフェインもようは元素。過ぎたるは及ばざるでもないが、何事もひとつ。地球上に存在する設計図どおりにことを進めていれば適正値は維持できるのでしょうね。元素、分子と元素、電子に中間子、非常に興味深いわけです。

ザ・ライトはやばいだろう・・・。

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 これはかなりやばいだろう。楽しみ過ぎて楽しみ過ぎて、楽しみが過ぎるとロクなことがないので、この気持ちを抑えつつDVDを待ちたい。そろそろ、SAWのファイナルもレンタル開始ですし、楽しみ楽しみ。で、やはり、A.ホプキンスと言えばの部分で「羊~」なんですが、あの頃の熱い感じがしびれる感じがようやくこれで復活したような気がします。ちょっと、「レッドドラゴン」も「ハンニバル」も遊び過ぎでしたしね・・・。

 で、「エクソシストの真実」ってことで、エクソシストは全く興味がないので、ここはスルーでいいとして、真実の部分がどう洞察しているかを、逆にのびしろとして期待したい。悪霊とか向こうの世界観をどう描いてもCGの作品集にしかならないので、そこはA.ホプキンスの表現力に期待したいところですね。

だんぜん、SUPERFLYさんかな。

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 たぶん、現代の日本の音楽シーンで最高峰の作品を出し続けられるのはこの人だろう。と思う。本人の世界観とあのパワフルなボーカルとそれを支えるスタッフの思考が時代をグイグイ牽引している感じ。仮に対極に数多のミュージックビジネスがぶら下がっているが、その対極で彼女ひとりが本格的な音楽のロックのアーティストの存在価値を抑えている感じ。他に追随する人が誰もいないだけに、彼女のスタンスは揺るがない。ただただ、今は、新譜を楽しみにしております。うん、そんな人、他に今の日本の音楽シーンにいないもんね。

ベストキッド(リメイク版)

 なかなか、よかったですね「ベストキッド」J.チェン版。どこか過去を引きずったカンフーの使い手というイメージ。これまでのチョコチョコ妙な演技とアクションを絡めていたJ.チェンの路線からひとつワンランクの演技というか新しいとても素敵なJ.チェンを観ることができました。アクションで魅せるのではなく、存在感で魅せるという意味でとてもいい物語のサブ的な存在で光っていました。またまた、ウイル・スミスの息子さんがいい。これがこの映画をかなりの相当なクオリティーに押し上げていました。やはり、親の印象を受けながらも、蛙の蛙ということで全体を通して物語をグイグイ引っ張っていっていました。物語的にはテッパン系ですが、それでも、一喜一憂な感じがとてもgood!

ちょっとオフレコで作品紹介。

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 ブログに掲載している段階でオフレコではないが、まぁ、私のブログを訪れた数少ない人に対してのみのオフレコということで、メビウスの画集の中身です。しかし、まぁ、これだけのイマジネーションと描画力とは、舌を巻くどころのさわぎではない。昨今、どうもデジタルテイストの3DCGから3D映像などなど、リアリティー技術の進化は止まらない。しかし、デジタルコンテンツのサガとでも言いましょうか、視覚的なリアリティーはあるのですが、心に響く質量が軽い。視覚的には確かに・・・なんですが、で?って感じ。やっぱ、絵は作者が何かを伝えたい伝達方法であることを基本としたら、目に伝わっても心に響かなきゃ・・・みたいなことで質量が軽い。に対してこの作品集の絵は・・・。重く広く深くいにしえの未来永劫の時間軸さえばっさり切り取り、そして、含有させている。う~ん、人の手の技術、アナログテイストののびしろは果てしない果てしない。これをどのように継承するかがこれを観た絵描き屋への責任でもある。それほど強い絵の重さががこの作品集には詰まっていますね。

 さぁ、このテイで「ガラパゴス」を一枚一枚アウトプットしていこうと思います。

午後の琵琶湖。

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 寒い冬が戻ってきた。仕事で湖畔を車で移動中、重い雲の中から湖面に落ちる太陽の光。湖面に反射する太陽の光。琵琶湖湖畔に暮らす人だけに与えられた日常の印象的なヒトコマ。

やっぱ、さすがセキスイハイムさん。

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 まぁ、WEBサイトデザインもいろいろなニーズの元、様々な取り組みがされていますが、それぞれに言い分があり、それぞれに価値観が違うってことで、変なカドをたてない方がいいし、変に小さくセオリーの中でまとめることも避けたい。結局、テッパンは踏まえた上で、どこまで自由に会社らしさを出しているかを担当者とクリエイターは試行錯誤してるんですね。そのアイディアや技術やセンスが高い低いは別として、共感できる表現さえぎゅっと詰まっていれば、ちゃんとWEBサイトは機能するんですよね。こうでなくっちゃダメだとか、論理や理論やデータで走ると、やっぱ、そのような仕上がりになるんでしょうね。ビジネスのこと、企画・デザインのこと、技術やセンスのこと、運営組織のこと、いろいろ考えていくとフォルムはシンプルになるんですね。うん、こちらはそのお手本のようなWEBサイトですね。素晴らしい以上になんか安心するWEBサイトですね。

詳しくはこちら公式WEBサイトです。http://toyouhome.com/

FACEBOOKのHAPPY.

 昨日のテレビでFACEBOOKに纏わるホットな話題が紹介されていた。身体が不自由な人が自宅のキッチンで出火を発見。しかし、家には誰もいない。どうすることもできない。しかし、その人はパソコンのFACEBOOKの友人とオンラインゲームをしていた最中だったのです。そこで、今、自分の部屋で出火したことをその友人が確認して消防車を呼んでくれたというお話。二つ目は生き分かれていた親子が20数年の時を経て、FACEBOOKの中で再会したというお話。三つ目は殺人の容疑をかけられた男性がそのアリバイを立証するためにその時間帯にFACEBOOKに書き込みをしていたログが残っていて実証されたというお話。インターネットが世界に浸透して、独裁政権が崩れたりしていることがよりFACEBOOKを際立たせているし、ツイッターにしてもしかり。

 予備校生が京大に入りたいばかりにあのような事件を起こしていしまうことも、アプローチは間違っていたが全員がこの技術を活用してHAPPYになりたいと願った結果である。それに技術や仕組みが反応でき機能できていたということになる。FACEBOOKの創始者が天文学的な資産を得てもそれはそれに見合うクリエイトをしたからなのである。活用する人のポテンシャルが異なればベクトルも異なるが、結果、今よりももっと人はHAPPYになりたいから考えて動いて創るを繰り返すわけである。

 うん、FACEBOOKのなかなかホットな話題はいい感じでした。やっぱ主人公は人なんですね。芯を喰ったクリエイティビティーだったということ。

引き出しづくり。

 世の中のニーズが多様になったとはよく聞くが、それは、商品の品質やコストの吟味ということでもある。デザインの場合この「商品の品質」ということが、印刷物やWEBサイトや映像コンテンツのクオリティーになり、コスト面ではイコール制作費ということになる。だから、一般的などこでも購入できるような印刷物や看板・サイン関係はバランス的に品質のよりもコストの比重が必然的に大きくなる。だから、例えばのぼりなどの作成をお願いされても、デザインはするがコスト面で、国内ののぼり制作会社様と競争するつもりはない。というかそこを目指すことができない。つまり、「のぼり制作会社日本一安いお店」にはなれないのである。「オリジナルののぼりを作ってほしい。」という依頼は受けるが、コスト面では必然的にどこかの日本一のぼりを安く制作する会社には絶対勝てないのである。この「多様なニーズ」の判断を見誤ると仕事として成立しなくなる。ここが一番の本丸。

 ならば、「コストもさることながら、ちょっとデザイン的に技術的にややこしいお話なのですが、一度、お願いできるかどうか聞いてください。」というご連絡は非常に嬉しい。何もあらゆるややこしいお仕事を100%完璧にデザイン・クリエイトできる自信があるからということでは決してない。そのほとんどが実際頭を抱えるようなご注文(ニーズ)の場合が多いので、一旦、ヒアリングの場では答を出さずに持ち帰る。そして、考えて相談して検討してそのニーズに対するアプローチや方法論を新しく創るのである。これまでそんなことばかりやってきたから、少し(23年分)ぐらいは経験値とノウハウがあるつもりですが、それでも、現代のニーズに対しては「引き出し」が足りないことばかり。だから、時間があれば「引き出しづくり」をしている。デザインの仕事に対する「引き出しづくり」とは?組織で考えず個人で得られる収集できる情報やディテールや感覚を一瞬でアウトプットできる状態にする訓練である。こう書くと非常に大袈裟なことのように聞こえるかもしれないが、これを仕事としてやっているというニュアンスになるとたぶんかなりのストレスになる。だから、このような思考や行動を心から楽しめないとこの仕事は無理。絶対に続かない。意外とヨコモジ仕事はジミで大変。

 で、本当に「ややこしい案件」や「こだわりつくしたご注文」や「技術的に高いハードル」をお客様から投げていただくことで必然的に自分自身の「引き出し」が増える。頭は抱えるが心の中ではニヤリである。これが癖になるといい意味でのサウンドバック状態が気持ちよく中毒になる。「どこからでも叩いてください。全部受けますから。」的な快感なのである。これは完全にMだとある社長様にご指摘いただいたが、まさになのである。でも、リングに立っている以上、どんなパンチを貰っても倒れません。そのタフさと能天気な明るさとフットワークさえあれば、クリエイティブデレクターという仕事は私の天職かもしれないですね。まぁ、打たれているだけれは楽しくないですし、時にはテンプルに重い右フックを入れたいですしね・・・。

 ほんと、無理難題を言って頂けるってことは心から嬉しいことだと思います。クリエイター冥利に尽きますね。

気持ちひとつで・・・。

 これは、石川遼君の言葉。「気持ちひとつで無駄にしたくない。」海外ツアー挑戦3年目の初戦を上位で終えられなかった遼君は自信が持てないことをしょうがないことだと思いたくなかったらしい。逆にこういう時だからこそ自信を持てるか否かがとても重要だと言っている。う~ん、なんて男だ。自分(遼君)は、米ツアーで出場できる試合数が限られているので、自信を持てずに「今回もうまくいかないのではないか・・・」という気持ちひとつで試合を無駄にしたくないと言っている。結果が悪くても、次の試合の時には「前の試合とは全然違うぞ」と自分に言い聞かせ、練習することをしっかりと練習する。その後は試合でどうなるかを試すぐらいの気持ちでやっていきたい。気持ちの切り替えは、ゴルフによってするしかしかたないのです。それは、練習次第でいくらでも変わると・・・。はぁ~、この気持ちの強さというか逞しさが「石川遼」を支えているのだろう。

 気持ちひとつ、まさにである。たぶん、遼君はプロゴルファーだからゴルフで気持ちを切り替えられる。逆に切り替えるステージがゴルフだからプロゴルファーなんだろう。それがいわゆる「天職」という存在なのでしょうね。「天職」を見つけられた人、見つけられなかった人がいると信じているが、実は、そうではなくて、それも言わば気持ちひとつ。どの角度でその高さでどんな心持ちでそれを見ているかで色も形も感触も変化する。心の視力も聴力も実は自分次第だと。しかるにそこに結果が時間の道の上に並ぶ・・・と。どんな気持ちでその道を歩いてきたか、そして、どの道をどう歩くかで、自分の道は自由に変化させることができるんだろう。悔んでいる人、諦めている人、自分以外の存在を自分への言い訳にしている人。つまり、それも気持ちひとつで・・・みたいな。

自然界が先生か・・・。

 私のグランドマスターのひとりの言葉。「自然界が先生である。」つまり、自然界には「きれいもきたないもない。」「自殺する羊もいない。」「無益な争いはない。」「廃棄物もない。」などなど素敵な言葉が散りばめられているのです。う~ん、まさに。すべて人工物なんですね。崇高な価値観と勘違いしていることが実は自然の摂理と相反している。プライドだと勘違いしていることが自然の摂理から逸していることが多いという警鐘である。見習うべきは自然の仕組み・・・なのである。

EXPEDITION WS4@TIMEX

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 「タイメックスアウトドアコレクションは、斬新なアイディアと機能、そして優れたデザインで、あなたのライフスタイルに広がりを与えます。クラフトマンシップと厳選された素材によって、タイメックスアウトドアコレクションは過酷な環境でも最高のパフォーマンスを発揮します。ここからあなたのアドベンチャーが始まります。」と商品カタログパンフレットには記載されている。う~ん、純粋にしびれる。普段、パンフレットの文脈を読む時は非常に冷静にCOOLに読むので、語彙表現の穴や文脈の乱れや誤作動ばかりをチェックする見方・読み方をしてしまうが、一変、自分の趣味の分野となると、そのリミッターというか制御バーが壊れる。もう、文章のニュアンスや言いたいだろう表現が自分の中でMAXになり、それがダイレクトに心に広がる感覚。う~ん、これがいい。特にイエローはカッコイイ!!!

 高度計・気圧計・温度計・コンパスなどなど。そして、モチ、様々な機能が付いたデジタルクロックというテイ。う~ん、しびれます。

武術「奥義」の科学@吉福康郎著

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 健康おたくの私が必ず気にするのが呼吸法。呼吸が乱れると全てが乱れる。しかし、いつも沈着冷静には人間いられるはずがない。だから、呼吸で荒ぶる鼓動を鎮める。呼吸で鎮静化した身体を高揚させてテンションを上げる、みたいなことに興味がある。その向こうに本当の健康があると感じるからである。心を整えるのも実は身体であり呼吸法などの体技のはず。だから、このテイの書籍が気になる気になる。でも、何か不徳の事態にも身体が反応できるように頭でまず理解しておくことも必要。むやみに喧嘩などするはずもないが、危険な場面で最大限自らの安全を守るための体技は少しぐらい頭にあっても損はしないはず。身体の構造や骨・腱・筋肉の仕組みを理解しておけば、山でクマに出くわしてももしかしたら、退治できる・・・できないできない。でも、まぁ、悪意のないチンピラ程度に絡らまれた場合、歩けなくするぐらいは適正な処置かもしれないし、自己防衛程度のスキルは日頃から意識しておくぐらいがちょっと凛として生きているって感じが・・・。

 もしもの場面、この本の知識で回避できるとしたら¥860は適正な保険代かもしれないですし・・・。

競争と公平感@大竹文雄著

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 これこれ、やっと発見。アマゾン経由かなぁ~と思っていたらちゃんとしっかり書店さんは仕入れてくれていました。素晴らしいです。ずっと気になっていた書籍だけに書店にふらりのタイミングで発見できるとこれまた書籍との一期一会を感じてしまいます。日本人はなぜ競争が嫌いなのか?たぶん、それは競争相手に恵まれてこなかった歴史があるからでしょう。昔から国取り合戦に一喜一憂して同種同志で利権を争い血を流してきた歴史を実は心のどこかで恥じているのでしょう。だから、美化された戦国時代や明治維新のハリボテに一喜一憂できるという仕組み。まぁ、そんなことはたぶん書いていないだろうが、それでも、資本主義において市場競争に対してこうも拒否反応を起こすのか?何のアレルギーなのか?で、今後はどうなるの?どうしたいの?あたりの考察が読めれば¥780はお値打ちでしょうね。

少しのお金で優雅に生きる方法@吉村葉子著

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 まぁ、このタイトルだけならこの本は「買い」ではないのですが、この著者をちょっとチラミしたら、パリを拠点にライターとしてフランスに20年間滞在とある。お金に対する価値観がどの程度どうなのか?日本の感覚と比較した場合の「優雅」に対する価値観みたいなことで発見があればと、その部分ののびしろを期待値として購入しました。女性ならではの繊細なヨーロッパ仕込みのライフスタイルをちょっとでも感じられたら¥571は安い!