全ては伝言ゲーム。

 子どものころ横一列に並び、右はしから左はしに並び、一番右から一番左の人へ伝言を伝えるあれ。最初の人が説明したことを次の人が理解して次の隣の人に伝える伝言ゲーム。これはあらゆる世界の縮図である。家でも会社でも地域でも国でも世界でもそれの一番ホットな仕組みがたぶんfacebookなんだろう。まぁ、アンダーな世界の伝言ゲームについては一般人の知るよしもなし。

 朝起きて「おはよう!今日は天気がいいね。」から「おやすみ」までの間にどれだけの伝言を人は受信して発信している。些細な日常会話も重要な仕事上のコミュニケーションも。しかし、想いはなかなかまっすぐ走らない。どこかで屈折する沈滞する、もしくは、反射されてくる。あまりにもこのジレンマ感が辛い状況だと人は発信しなくなり受信もしなくなる。孤立して小さなモニターの仮想世界に憩いの場所を見つける。それがすべてゲームの世界だとは言及しないが、そこのエンジョイ感にはのびしろがないことも間違いのない現実である。無限のリスク=無限ののびしろなのである。

 しかし、ボールを相手の胸にめがけてコントロールに注意して投げているのに、相手が無神経にショートバウンドを投げたりジャンプしても捕球できないボールを投げられると、ちょっと、「おい!」となってしまう。でも、取り損ねても、てんてんと後方遠くにボールが転がってしまっても、また、ボールを追いかければいいだけ。相手も故意に悪いボールを投げたわけではないはず、胸に向かって投げようとしたのに、つい、緊張してや手先が滑りボールがコントロールできなかっただけかもしれない。それに、自分自身もいつもいつも相手の胸にボールを投げられるとは限らない。それが、キャッチボールの真理。

 真夏の炎天下、3時間延々とキャッチボールをした。練習として。大きな声を出して、相手の胸にボールを投げ続ける。汗はもう出ない。身体中の筋肉が悲鳴を上げる。しかし、相手の胸に目がけてボールを投げ続けた。真夏の炎天下、野球のユニホームをびっちりと着こみである。疲労の末、相手の受けられないようなボールを投げてしまう。相手はボールを追いかける。お互いもうピークな状態で。ボールを追いかける相手を気遣い自分自身も相手と一緒にボールを追いかける。「ごめんごめん。」これがコミュニケーションの真理である。

 しかし、いろいろな仕事をしているといろいろな人がいる。キャッチボールをするための準備ができていない人もいる。疲れて途中で怒るりだす幼い人もいる。馬頭を吐き捨て離脱してしまう人もいる。明らかに皆さんのポテンシャルが低いことが原因だと思う自分と、自分の投げていたボールが悪かったからこの人は怒ってしまった離脱してしまったと感じてしまったと捉える自分。二人とも間違いない自分なのである。でも、そんなことになっても、もう一度、キャッチボールをするために、これまで以上に神経を使って相手の胸に目がけてボールを投げようとする自分が自分の正解でいいと思う。ボールは一つ。

 また、これが試合になれば、空振りさせようとボールを投げるピッチャーとそれを打ち返そうとするバッターの勝負がキャッチボールと相反するようで、これが同位なのである。そして、勝敗がついた後、何故打たれたのか?なぜ、打ちとれなかったのかを考える。

 つまり、ボールは言葉。しっかり投げて、しっかり受けなければ、キャッチボールは成立しない。

comments

兄ちゃんの野球部時代の話しには時々涙が出ますね。
一言の愚痴もこぼさず、こんな厳しい練習を寡黙にこなしていたんですね。
いかにもタイムリーな記事だったので、昨日話した釣りの平和さんにブログの紹介をしておきました。
兄ちゃんより10歳ほど年下ですが、厳しい練習に耐えた彼の過去、そして今の状況にタイムリーなので。

  • kuni
  • 2011年03月19日 20:47

たぶん、あの3年間がなければ
私はただの男です。
芸大も東京もN.Y.も無かったでしょうね。

へこたれない精神力は完全にこの3年間の賜物。
と同時にあらゆることに天の邪鬼になってしまったのも
この3年間の宝物。

たぶん、平和さんとは美味しい酒が飲めるでしょうね。

よろしくお伝えください。

  • khuz
  • 2011年03月19日 21:07

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